09/04/29 21:58:49 gc9q24Eh BE:427479825-PLT(13230)
華厳経では、
一、すべてのものは、かりに因縁によって成り立っているものにすぎないから、もの
の本性は空なるものである、ということが理解できれば、仏を見ることができる。(唐経、
須弥頂上偈讃品)
二、すべてのものは、本来空なるものである。ゆえにすべてのものは滅することもな
い。このことを悟るならば、仏がつねに現われていることになる。(晋経、菩薩雲集妙勝
殿上説偈品)
三、ものの本来的あり方を見ると、それは空であって、とらえることも、これが空だ
と見ることもできないものである。本来、空なるものであると知れば、それがすなわち
仏なのである。(唐経、須弥頂上偈讃品)
などと説かれている。
151:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/29 22:08:25 gc9q24Eh BE:2308387469-PLT(13230)
華厳経の核心は、善財童子が楼観の門に入ったという無分別智の体得と、生きとし生け
るすべてのものが円融無礙なる関係を保つことを可能ならしめる大悲の行願にある
152:神も仏も名無しさん
09/04/29 22:11:34 gmx90JQg
クオリアの風景 : ◆ユングと唯識:種々比較すると・・・
URLリンク(cmann3.exblog.jp)
●まず心をどういう構造体として捉えているか、表層から深層に向かって列記すると・・・
・ユングでは・・・『意識』『自我』『無意識』『普遍的無意識』
・唯識では・・・・『意識』『マナ識』『アラヤ識』『アマラ識』
ということで、個々の意味するところは多少違うにしても,驚くほどよく似ています。
「マナ識」は別名「分別識」といって、本来ひとつのものを言葉で分別していくことで執着を生む、自我のネガティブな側面とよく似た執着の源。
「アラヤ識」は無意識に相当しますが、基本的にはその人自身を超えた輪廻転生の源、やはり個人的なものと普遍的なものを含むようであり、特にその中の「アマラ識」は菩薩になりうる「淨」の集まった普遍的なところということです。
●で、誰がために何を目指すか・・・
ユングで目指すものは・・・自己実現、あるいは個性化、いや実は何も目指してはいない?などと議論してきましたが、唯識ではずばり涅槃を目指すということになります。
ただ小乗仏教の涅槃が自分自身の涅槃を目指すのに対して、大乗の唯識では、涅槃の境地に達しても涅槃に入らず、世俗に残り救済に勤めるのが最高の涅槃ということのようであり、
『十牛図』の悟ったのち街に帰り救済に当たる原型はこれなのかもしれません。
●ならば悟りに達するプロセスは・・・
ユングでは無意識の領域から浮かび上がってくる各種の元型を自我がとりこみ、より完成した形の自我を形成していくことが個性化ないし自己実現のプロセスということになりますが、
唯識では本来、不浄なものが充満しているアラヤ識を修行により浄なるものに置きかえていくことが涅槃への道ということになります。
153:神も仏も名無しさん
09/04/29 22:13:26 gmx90JQg
●ではそれを目指す修行とは・・・
ユングはもともとセラピストやカウンセラーがクライエントに対して働きかけるといったところから出発していて、自身が何かを目指して積極的に修行といったニュアンスは希薄です。
通常は無意識からの原型は状況により補償やエナンティオドロミアといったエネルギーフローとして沸いてきてしまう、
ないしはカウンセラーが必要に応じて井戸水をくみ上げるようにくみ上げるといった感じで、クライエント自身は、まな板の上の鯉といった感じはいなめません。
対して唯識では、「多聞薫習」そして「瞑想」。正しい教えを多く聞く、それが薫製の煙が滲みこむようにアラヤ識の中に蓄積し、浄なる種子となり、やがてそれが芽をふく。
悟りとはアラヤ識の中の不浄な種子を如何にして浄なる種子に置き換えていくかということのようです。
「瞑想」とは座禅ですが、唯識の座禅は無念無想の方法だけでなく、言葉やイメージを使って思いつめることでアラヤ識の浄化を図る一種のイメージトレーニングのようなものもあり、なるほどといった感じです。
以上ですが、ユングがたとえ修行の書ではないとしても、ユング理論に精通し、それを心の迷路を歩く地図とすることでセルフカウンセリングし、自己実現を目指す・・・といったことには期待が持てる、
それがユングの魅力との思いは変わりません。
154:神も仏も名無しさん
09/04/29 22:16:08 gmx90JQg
クオリアの風景 : ◆井筒さんの「文化と言語アラヤ識」・・・
URLリンク(cmann3.exblog.jp)
ユングは心を『意識』『自我』『無意識』からなる三層の構造体としてとらえますが、唯識ではこの三層を『意識』『マナ識』『アラヤ識』と称し、このアラヤ識を種子が貯蔵されるところだと。
では種子とは何だということになるのですが、井筒さんは・・・『意識』や『マナ識』が意味分節機能を持った言葉によって構成されているのに対して『アラヤ識』の種子とは今だ分節を持たない意味可能体であり、
それを蓄えるところとしてのアラヤ識は「言語アラヤ識」とも呼ぶべきものなのだと・・・
井筒俊彦著「意味の深みへ」、岩波書店1985年刊。
その第二章が「文化と言語アラヤ識」、副題が“異文化対話の可能性をめぐって”ということなのですが、勝手な要約をさせていただくと・・・
------------
文化は各々の民族の思考や行動に対して規制力を持つが、それは言語によりカオスを秩序付けるメカニズムでもある。
言語はコミュニケーションの手段であるだけでなく、意味分節の体系であり、二つの異なる言語共同体は異なる文化を持ち、異なる現実を経験している。
言語は意味分節単位の有機的連合体として強固な枠組みを形成し表層部を覆っている。したがって表層のみに生きるなら人は紋切り型の思惟、感情、行動に縛られざるを得ない。
155:神も仏も名無しさん
09/04/29 22:18:28 gmx90JQg
だが言語はその下に深層構造を持っている。そこでは言語の意味は流動的、浮動的、未定形であり今だ「意味可能体」の状態にある。
意識構造の深層に働くこの内部言語は明確な分節性の無い「呟き」のようなもの。そしてこの深層構造が『言語アラヤ識』であり、「呟き」が「種子」なのだと・・・
人が日常見聞きする全ての言葉や感覚、それにより想起する心の動きはもれなく深層部に痕跡を残し、それがカルマとしてアラヤ識に蓄積される。
唯識では蓄積されたものが薫習により種子となるとされるが、種子はカオスの海で常に生起消滅を繰り返す泡沫のようなもの。
したがって表層部の強固に固定された意味ネットワークとは異なり、深層部の種子、意味可能体は本性的に柔軟性と可塑性を持ったもの。
そこでこの章の副題、“異文化対話の可能性をめぐって”ということにもどると、異文化の接触がこのレベルで起こるなら文化テクストの織り直しは可能ということになるのですが・・・
-----------
ところで・・・ユング、唯識、言語アラヤ識、そしてクオリア・・・コツコツ拾い集めた断片的な知識をわが心のカオスに投入すると、なんとなく心のイメージが浮かび上がってきます。
156:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/29 22:18:51 gc9q24Eh BE:641218853-PLT(13230)
そうだよね・・・
おいらもユングが仏教を基に精神分析していたんじゃないかと・・・
157:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/29 22:21:16 gc9q24Eh BE:512975726-PLT(13230)
ユングにかかわらず・・・
哲学者・・物理学者も仏教を基にしている・・・
158:神も仏も名無しさん
09/04/29 22:23:27 gmx90JQg
「ユングのマンダラと密教の曼荼羅」
URLリンク(www002.upp.so-net.ne.jp)
―西洋と東洋の深層心理比較,自我と無我について―
人間のこころの探究を無意識の領域にまで広げたユング(1875~1961)は,東洋思想の内面性,特に仏教思想に強い関心をもち,私たちは多くのユングの著書からもそのことを感じ取ることができます。
しかし残念なことに,実際には仏教のもつ多様性,ならびに両者の基本的なコンテクストの相違については,当時ユング自身あまり理解していたとは言えないようですし,
その後のユンギアンもほとんどこの基本的問題には触れてきませんでした。
他方仏教サイドのほうはと言えば,伝統的に西洋心理学の無意識に対して無関心であったこともあって,結果として両者の間で根本的なカテゴリーの相違について,客観的検証がなされていないのが現状です。
一方,1960年代から70年代にかけて,一部ユング心理学の流れを受け,東洋思想を取り入れたカウンターカルチャー運動,いわゆるニューエイジ,ニューサイエンス運動がアメリカ西海岸を中心に広まりました。
この運動自体は現在ではほとんど姿を消しましたが,この流れの延長線に位置するのが,東西思想の統合を唱えるウィルバー(1949~)に代表される,トランスパーソナル心理学です。
しかしこれもユングの場合と同様と言うか,さらに両者のコンテクストの違いを不明確にしたまま,安易にいいところ取りをした考え方のように思われます。
そうした背景を踏まえた上で,よくユングと仏教の類似性の例として一般的に挙げられるのが,「ユングのマンダラと密教の曼荼羅」および「ユング心理学と唯識思想」です。
本文では,これらの例を通して両者の本質的な相違点を,東西比較思想の視点に立って比較検証してみたいと思います。
さらに両者のコンテクストの底流にある「自我と無我,空の思想と実在論」「仏教思想史の釈迦仏教と大乗仏教」の問題も併せて考えてみたいと思います。
159:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/29 22:28:39 gc9q24Eh BE:427479825-PLT(13230)
なんだよ~~おいらが今日考えてたことが・・・
文章となって明確に書かれている・・・
これは驚いたおぉおおおおおおおおおおお^^
160:神も仏も名無しさん
09/04/29 22:34:36 gmx90JQg
カール・グスタフ・ユング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
フロイトは無神論を支持したが、ユングは神の存在に関する判断には保留を設けた。
ユングは歴史や宗教にも関心を向けるようになり、やがてフロイトが「リビドー」を全て「性」に還元することに異議を唱え、
はるかに広大な意味をもつものとして「リビドー」を再定義し、ついに決別することとなった。[2]
ユングは後に、フロイトの言う「無意識」は個人の意識に抑圧された内容の「ごみ捨て場」のようなものであるが、
自分の言う無意識とは「人類の歴史が眠る宝庫」のようなものである、と例えている。
ユングはその学位論文『いわゆるオカルト的現象の心理と病理』において、従妹ヘレーネ・プライスヴェルクを「霊媒」として開かれた「交霊会」を扱ったこと
(ただしこの論文では神秘的要因ではなく精神の病理的状態に帰されている)、また錬金術や占星術、易などに深くコミットしたことにより、
オカルト主義的な傾向を見て取られ、また新異教主義的な人々からその預言者とみなされる傾向がある。
これにはおそらく母方のプライスヴェルク家が霊能者の家系として著名だった出自も影響していると思われる。
また「集合的無意識」や「元型」などの一般の生物学の知見とは相容れない概念を提起することによって、
20世紀の科学から離脱して19世紀の自然哲学に逆戻りしてしまったという批判がある。[8]。
またフロイトもユングとまだ訣別する前に、「オカルティズム」を拒絶するよう強く求めた[9]。
161:神も仏も名無しさん
09/04/29 22:39:41 gmx90JQg
>>159
それがユングの言うシンクロニシティだ。
この世に偶然は無く、全ては必然なのだ。
全ては起こるべくして起きる。
因(原因)がなければ果(結果)はない。
162:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/29 22:43:17 gc9q24Eh BE:427479252-PLT(13230)
>>159
哲学板の決定論のスレの住人来たお^^
163:神も仏も名無しさん
09/04/29 22:51:44 eQRIIDQD
>>141 カルマって業とかいうのだっけ?
難しくて理解不足なんだにゃ(*~ρ~)
カルマとは何なのか…教えて
164:神も仏も名無しさん
09/04/29 22:56:29 gmx90JQg
>>162
自分にレスして楽しいか?
俺はそのスレは知らないな。
165:神も仏も名無しさん
09/04/29 23:00:10 gmx90JQg
業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
業(ごう 梵: कर्मन्、巴: कम्म karman)とは、サンスクリットの動詞の「クリ」(kR)の現在分詞である「カルマット」(karmat)より転じカルマンとなった名詞である。
したがって、「なすことそれ自身」という意味であって、古人が「造作」の義と言い伝えてきたとおり、動作の抽象的非人格的なものを言う。
そこには、一般に言われている「なすもの」「なされたこと」「つくられたもの」などの意味はない。
業とは仏教の基本的概念である梵: कर्मन्、巴: कम्मの漢訳音写の羯磨(かつま)を意訳したもの。本来は行為の意味。
因果思想と結合し、業はその善悪に応じて果報を与え、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、代々伝えられると考えられた。
「ウパニシャッド」にもその思想は現れ、輪廻思想・業感縁起の基礎となる。宿業思想に発展し、一種の運命論となった。中国、日本の思想にも影響を与える。
善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうくべし。浄行によって浄たるべく。汚れたる行によって、汚れをうくべし
善人は天国に至って妙楽をうくれども、悪人は奈落に到って諸の苦患をうく。死後、霊魂は秤にかけられ、善悪の業をはかられ、それに応じて賞罰せられる
– 『百道梵書』 (Zatapathaa-braahmana)
166:神も仏も名無しさん
09/04/29 23:06:34 KQ/MT0CW
あらら、もう165まできちゃったね。
1000までで悟れるのかいな?
悟りは体達しないと得られないんだよね?
このままじゃ、先人の単なる知識の寄せ集めになっちゃうかもお
167:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/29 23:07:17 gc9q24Eh BE:427479825-PLT(13230)
「カルマ」は仏教用語ではあるが、仏教においては、この世は無限のカルマが絡
み合って影響しあって成立ってる世界とも言われている。無数の過去世から未来
世へと絡み合ったカルマが続く。何度も何度も繰り返し生まれ変わる私達の運命
が全てこのカルマによって支配されていると言うのだ。
「輪廻」とはまさにこのカルマの渦の中をぐるぐる回り続ける状態なのだ。
これらのカルマを断ち切るために修行者は修行し、悟りをひらくのだ。解脱と
は、このカルマの渦から抜け出る事なのだ。
168:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/29 23:08:51 gc9q24Eh BE:341983924-PLT(13230)
>>159
哲学板の決定論のスレの住人来たお^^
>>161に訂正だお^^
169:NAS6 ◆kl1JWE6W72
09/04/29 23:12:58 XXV36zCK
そんなもの要りませんっ!
分かりやすいでしょ
170:神も仏も名無しさん
09/04/29 23:15:10 96mVZ1xb
てーすーと
171:161
09/04/29 23:16:06 gmx90JQg
>>168
だからそんなスレ知らないっつってんだろwよく読め。
勝手に決定するな。
まさにお前の方が決定論者じゃないか。
172:神も仏も名無しさん
09/04/29 23:22:18 eQRIIDQD
>>165>>167 ふむ 2人共すげ~知識人だな
今の世の中とは違う法則なんかな?悪いのでも金持ちで楽してるし善人で不幸な人も居そうだしな
輪廻なんか最早、人間の力及ぶどころじゃなさそうに見えるんだが…
そこから解脱てのかな?何とかなった人いるんかいな?
173:NAS6 ◆kl1JWE6W72
09/04/29 23:36:18 XXV36zCK
>悪いのでも金持ちで楽してるし
近視眼的な人は困るね
174:神も仏も名無しさん
09/04/29 23:40:33 gmx90JQg
>>172
>すげ~知識人だな
知識人?ほほー、それはそれは。冗談キツイねwww
>>1も俺もググって適当にコピペしただけで、
別にコピペの文章内容が大して身についてるわけではない。
その気になりゃ誰だって赤ん坊だってあのくらいの知識は集められる。
知識をいかに多く集めるかよりも知識をいかに上手くもちうるかが人生で最も重要なんだよ。
>今の世の中とは違う法則なんかな?悪いのでも金持ちで楽してるし善人で不幸な人も居そうだしな
うむ、古来から因果否定派の主張する代表的な論説ですな。
たしかに現世だけを見れば、悪人が得をしてばかりで、善人は損ばかりなんてざらだね。
だから、現世は何とか努力でこらえて来世や天国に期待するというのが宗教側のありがちな回答。
でもそれでは満足できないのが現代人。なかなか一筋縄にはいかない問題だわな。
175:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/29 23:40:43 gc9q24Eh BE:897706837-PLT(13230)
悪いの概念がわからない・・・
素粒子にとって悪いとは・・・
どんな状態なのか・・・
176:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/29 23:46:45 gc9q24Eh BE:1025950346-PLT(13230)
まぁ最初の段階としては・・・
人間の視野でものを捕らえるのではなく・・・
素粒子の視野でものを捕らえるようにしてみるよ・・・
177:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/29 23:47:45 gc9q24Eh BE:2693118479-PLT(13230)
ところで・・・
ヴィパッサナー冥想って・・
どうなの?
今はじめて知ったが・・・^^
178:NAS6 ◆kl1JWE6W72
09/04/29 23:48:12 XXV36zCK
>たしかに現世だけを見れば、悪人が得をしてばかりで、善人は損ばかりなんてざらだね。
近視眼的な人は困るね
現世でどこに逃げ場はありますか?
179:神も仏も名無しさん
09/04/30 00:00:59 baqeRa1R
>>178
>現世でどこに逃げ場はありますか?
現世に逃げ場はない。逃げてもカルマは解消されない。
あるがままを受け入れ、立ち向かうしかない。
カルマの試練は熊や虎と同じで逃げれば逃げるほど追ってくるし食われる。
釈迦は前世において、虎から逃げることよりも、むしろ自ら飢えた虎に身体を差し出すことを選んだという。
180:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 00:01:38 AQUi4ffD BE:2094647677-PLT(13230)
たしかに現世だけを見れば、悪人が得をしてばかりで、善人は損ばかりなんてざらだね。
NAS6 さん^^
決定論スレに貼ってくれば・・・
1日中議論するお^^おもしろいお^^
181:神も仏も名無しさん
09/04/30 00:08:04 kB9y3xwO
死んでない以上、死んだ後の世界なんか本当は誰も分からないでないかな?
天国なんて誰かが行ったのを本当に確認した人いるんかな…分かってる振りしてる人が多いだけで実際は、いつも言葉だけだし
言うだけなら簡単なんだけど、結局は単にみんな同じく死んでしまうだけなんかな?
本当は難し過ぎて誰にも分からないままなんじゃ?
この手の話は、しょっちゅう霊感商法や詐欺の温床になるし 実際なりやすいよね
絶対に確認出来ないものを、いつの時代も何故人々は信じようとするんだろうね?
うひゃは☆
182:神も仏も名無しさん
09/04/30 00:18:31 baqeRa1R
>>181
昔は俺もリアリストで霊もオカルトも信じてなかったが、
霊感の強い人と知り合ったり、
自分でも何気にガチな霊体験に遭遇したりしてたら、
段々そうも言ってられなくなった。
科学では証明できないが不可思議な現実というのは結構実在するもんだよ。
ただ天国に行って帰ってきた人には俺もまだ一人もあったことがないから
天国があるかどうかは知らない。
183:神も仏も名無しさん
09/04/30 00:19:57 kB9y3xwO
家も車も洋服だって ちゃ~んと自分で確かめてから買うよね 普通の人なら
それ以上に重大な事だと思うんだけど…いつの時代も無計画な上に猪突猛進
デタラメな地図を最初から正しいと信じて目的地に必死に向かってるみたいに見える
(*~ρ~)んで、ず~っと迷いまくるの?
184:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 00:22:24 AQUi4ffD BE:341983542-PLT(13230)
まぁね・・・
けど・・・
死んだ後の世界と・・・
生まれる前の世界では・・・
同じと思う???
違ってるとしたならば・・・
それは大変なことになるお^^
そのためにも悟りを開いて魂を浄化させておかないとねw
185:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 00:25:15 AQUi4ffD BE:2693118097-PLT(13230)
死んだ後の世界と・・・
生まれる前の世界では・・・
これ
今思ったんだけど・・・
両方の世界では自己は存在せず・・
全体として存在してるんじゃないのかな・・・^^
186:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 00:28:19 AQUi4ffD BE:2393882887-PLT(13230)
つまり・・・
死後の世界があったならば・・・
全ての魂は1つになる・・・
意識が1つに統一される訳だ・・なんてねw
187:神も仏も名無しさん
09/04/30 00:28:41 7pVv3MaN
ようはカルマ、業というものは自分でつくったものであるけれども、
一度染み付いてしまうと、そう簡単には取れないというか、
逆にこんどはカルマによって支配されてしまうことが多い。
つまりカルマとは来世の幸福を抜きにしては、考えられないということ
なのだ。悟りとは霊界における段階であり、当然高ければ、高いほど、
幸福度は増すということになる。しかし来世のそうした幸福を抜きにした
幸福はからなずしも、幸福となるとはいえないということなのだ。
188:神も仏も名無しさん
09/04/30 00:30:58 kB9y3xwO
>>182 それは分かる
霊は確かに存在する これは自分で数え切れないくらいに体験したから信じざるを得ない
でも自分に霊感あるとか思わないな 自由に見れる訳じゃないし…
いつも霊の方から姿を見せてくる感じがする。何故か分からない
しかしながら神や天国は凄過ぎて全然身近に感じられないのに、悪魔や地獄は何か自分も含めた人間全てに近い気がするのだ
特別な例外としてマザーテレサは常に天国と共にあったのかな?何となくそんな感じがするな
189:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 00:31:17 AQUi4ffD BE:2393882887-PLT(13230)
魂は因を残すと浄化されずに生まれ変わる・・・
エネルギー保存の法則により確定されました・・・w
190:神も仏も名無しさん
09/04/30 00:32:09 GfEL1Ut6
無限に広がる無の世界がふと思った
「つまらんの~」
そして無数の世界が生まれたが
それは無から生まれた幻の世界でしかなかった
191:神も仏も名無しさん
09/04/30 00:42:31 kB9y3xwO
だが、しかしだ!聞いておきたいのだよ!
いくら浄化したいとはいえ 自分の心を浄化するのは、俺には実に途方もなく難しいです!
すぐに欲望に汚れてしまうのだ!しかも汚れて悔い無しなのだから困った
いったいどうやったら不動の心になれるんだ?分からない~ッ!本当に全然分からない~ッ!!
良い事は嫌いではないが自分に不都合だったり無理なのは絶対に嫌なんだよ!悪い事はしたくないけど相手次第なら全然構わないと信じて迷いが無いんだ!
これ以上の欲望は嫌でも、ここまでなら最高だ!と確信すらしている
本当に正しい道が分からないんだよーっ!!
192:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 00:44:34 AQUi4ffD BE:2051899968-PLT(13230)
「つまらんの~」
欲望は悪だと言われているが生存本能の一つだと思われる・・
欲望がなかったならば人類は滅亡しているかもしれないし・・
全ての人間が「つまらんの~」と叫びだしたら・・・
自殺本能が発達するかもしれない・・・w
社会秩序を保つために欲望の抑制が行われるが・・・
欲望は悪ではない・・・
しかしそれによって真実が見えなくなるのも事実だ・・・
193:神も仏も名無しさん
09/04/30 00:59:19 kB9y3xwO
とにかくだ!興味が強くあるのに全然分からないーっ!
これは苦痛だ!精神的に苦痛なのだ!よく名前が出て来る連中は、いったい何を悟ったというのか?
貧乏乞食みたいに餓死寸前の汚ならしい惨めな姿にならないと悟りは得れないのか?何故だ!何故なんだ!そんなのは俺はイヤなんだよーっ!
普通に楽しく過ごして悟った奴はいないのか?
神は光ではないのか?なら豊かな中で悟らせろよー!
ずう~っと楽して永遠に生きたいんだよ 何とか言いやがれ、この役立たずの神め
いつまで御高くとまって見下ろしている気なんだ!
この世界に神の心なんか全然無いじゃないか!
ホッキョク熊とか助けろよな!神なんか力ばかりで全然使えねー野郎だ!
194:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 01:09:04 AQUi4ffD BE:1367933748-PLT(13230)
言語に魂が宿るとはこのことか・・・
195:神も仏も名無しさん
09/04/30 01:14:32 kB9y3xwO
もし俺が神なら、今の役立たずな馬鹿神より色々な事が出来ると約束できる!
まずはホッキョク熊にご飯をあげて救う!もはや自然は人間が管理しなければ様々な種の生命が絶滅に瀕している 世界の権力者の馬鹿どもめ!現実を見ろよな
飢餓に苦しむ人々全てにマクドナルドのハンバーガーとsoyjoyとコーラとデルモンテ野菜ジュースとユニクロとアディダスの服を沢山進呈する
海や河のゴミを拾って綺麗にする 水を大事にするんなら、水の在る環境を綺麗にしやがれ!
67億は多すぎるから人間は30億まで減らす
方法は自然の猛威による
よし これで行くぞ!
196:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 01:15:28 AQUi4ffD BE:1709916858-PLT(13230)
上座部仏教の目的は、個人が自ら真理(法)に目覚めて「悟り」を得ることであ
る。最終的には「自分として執着している自我(アートマン)は実体ではない
(無我)」と覚り、苦の束縛から解放されること(=解脱)を求めることである
。一般にこの境地を涅槃と呼ぶ。
これなんかどう??^^
上座部仏教では、釈迦を仏陀と尊崇し、その教え(法)を理解し、禅定などの実践修行によってさとりを得、煩悩をのぞき、輪廻の苦から解脱して涅槃の境地に入ることを目標とする。
197:神も仏も名無しさん
09/04/30 01:45:25 kB9y3xwO
有り得ないが万一に俺が悟ったとしてもそれだけじゃあ嫌なんだよ!
古来から色んな奴らが悟っただの解脱したと聞いてはいるが、世界は全然変らないどころか地球上がますます悪くなってるじゃんかよーっ!
人も植物も動物も細菌も虫も宇宙人もその他?色々も、みんなで最高に幸せに生きて最高に幸せに死にたいんだよ!
聖書の`見よ、世に限り無く永遠の神の光はとこしえに,てのは何なんだ?現実には全然世界を救ってなんかないじゃないか!嘘つき~っ!
法外な努力の果てにケチケチと個別に解脱じゃなくて一括して全てを救いやがれ!聞いてんのかよ大日如来とか天照大神!
神も仏も名前ばかり偉そうなくせに超どケチな奴ばかりだ!
テメーら役立たずの神は引退しろよ!俺に全ての力を渡して引退しやがれ!
198:神も仏も名無しさん
09/04/30 02:01:19 KFwUpz85
僕が主張したいのはそこだ。俺は菩薩道を極め10の12000乗阿僧祇億劫修行する。そしてブッダを目指すものだ。誇大妄想と笑わば笑え。きみは華厳経スレにきたまえよ。それから華厳経を学ぶ必要があります。嫌なら別にいいけどさ…
199:神も仏も名無しさん
09/04/30 02:02:48 KFwUpz85
神がいないならきみが神になれば良いのではないか?
200:神も仏も名無しさん
09/04/30 02:19:01 kB9y3xwO
よし決めたぞ!これから神として世界を変えるイメージをする
先ずはそこからだ!
だが…どんな夢も叶える力が無ければ妄想になってしまうし
力が欲しい… 自分の全ての願望を自在に叶える力が
でなければ神などなれないのだ!
201:華厳命
09/04/30 02:29:48 KFwUpz85
よし!偉大である。やっぱきみは華厳を学ぶべきです。菩薩道を学ぶのです。でも真実を言えば、きみはすでに神です。ただ究極の境地と究極の救済能力を持たないだけなのです。
202:NAS6 ◆kl1JWE6W72
09/04/30 05:52:50 pDQe8ff3
だれかの幸福はほかのだれかの不幸によって賄われている
これを
だれかの幸福は自分自身の不幸によって賄われている
とすれば万物平等になるんですね
203:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 06:22:59 AQUi4ffD BE:683966944-PLT(13230)
幸福不幸など存在しない・・・
感じるとするならば・・・
まだまだ悟りを得ていないことになる・・・
204:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 06:29:36 AQUi4ffD BE:897706837-PLT(13230)
唯識の空
龍樹(中観派)の「一切は空である」という主張に対して、「一切は空である」
と認識する心のみは存在しなくてはならないと唯識は考えます。
矛盾・・・・
205:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 06:32:26 AQUi4ffD BE:3077849489-PLT(13230)
八識
唯識では、六つの認識作用(眼・耳・鼻・舌・身・意)に、末那識・阿頼耶識を
独自に加えます。末那識とは深層に働く自我執着心のこと。阿頼耶識のアラヤ
(alaya)とは住居・場所の意味で、個人存在の根本にある認識作用をいいます
。
深層に働く自我執着心・・・
206:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 06:38:01 Nb45jStU
瑜伽行唯識学派は、中観派の「空 (くう)」思想を受けつぎながらも、とりあえ
ず心の作用は仮に存在するとして、その心のあり方を瑜伽行(ヨーガの行・実践
)でコントロールし、また変化させて悟りを得ようとした(唯識無境=ただ識だ
けがあって外界は存在しない)。
唯識無境=ただ識だけがあって外界は存在しない・・・
207:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 06:44:22 AQUi4ffD BE:1538924966-PLT(13230)
意識は聖教(経典)を対象として、心が清浄(しょうじょう)になる道を
開くものである。
唯識派では、第六意識のほか、第七末那識、第八阿頼耶識をたてる。
西暦6世紀に中国に現れた天台は第八識のその奥にあらゆる精神の働きを
突き動かしている第九識(阿摩羅識、または根本浄識)の実在に到達した
。
第九識(阿摩羅識、または根本浄識)の実在に到達・・・
208:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 06:48:57 AQUi4ffD BE:384731633-PLT(13230)
これにより天台宗や華厳宗などの法性(ほっしょう)宗は、この阿摩羅識を加え
て新たに九識を立てた。天台宗では、阿摩羅識をけがれが無い無垢識・清浄識
、また真如である真我、如来蔵、心王であるとし、すべての現象はこの阿摩羅識
から生れると位置づけた。したがってこれを「真如縁起」などともいう。真如は
絶対なる真我なれば「識」とは言い難いが、前の八識に隋縁生起する本源なるこ
とから阿摩羅識と名づけられた。したがって法性宗における仏性の異名である
阿摩羅識をけがれが無い無垢識・清浄識・・・
209:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 06:56:19 AQUi4ffD BE:1196941474-PLT(13230)
七識までが現世(今世)に於ける経験などに基づくもの
八識(一切種子識、無没識)によって、因果律に基づく輪廻転生がなされる
九識(阿摩羅識とは、最も根源的な宇宙そのものが持つ究極の超意識(清浄無
垢な意識)のことで、即ち仏様の境涯(命の状態)そのものを顕しています
その仏様の境涯である「仏界(仏性)」を、修行に依り自己の命に開き、認識・
身命に当てることで、八識に対し直接働きかける善因を積むこととなります。
ほほう^^
210:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 07:02:36 AQUi4ffD BE:512975243-PLT(13230)
唯識思想では六識(眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)、身(しん)
、意(い))は表層の意識でしかなく、表層の意識は根源的な深層の意識によっ
て生み出され、外界をあるかのごとく錯覚させられていると出張しました。
錯覚・・・
根源的な深層の意識とは「アーラヤ識」(阿頼耶識)と呼ばれるものです。
ここに自分が経験して知った自分の肉体や外界、あらゆる出来事などが蓄積さ
れ、それらの蓄積されたものは、アーラヤ識の働きによって表層意識に映し出
され、あたかも実在するかのように認識されるという。
実在するかのように認識される・・・
なぜ、実体のないものを実体化して見てしまうのかというと、深層にもう一つ
の潜在意識「マナ識」(末那識)のせいだといいます。
マナ識はアーラヤ識を自我であると思い込む心で、なんでも「俺が、俺が」と
自分に結びつけてしまい、外部世界を自分に結びつけ、実体化して見るといい
ます。
マナ識はアーラヤ識を自我であると思い込む心・・・
なるほどね・・・^^
「眼、耳、鼻、舌、身、意」の六識に対して、「マナ識」は七識、「アーラヤ識」は八識と呼びます。
211:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 07:08:44 AQUi4ffD BE:512975434-PLT(13230)
思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、審(つ
まび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考え
て執着し続ける。この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の
無我行を実践することができる。
この深層的な自我心を滅する・・・
212:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 07:39:27 AQUi4ffD BE:1025950346-PLT(13230)
精神的苦痛が苦であることはいうまでもないが、楽もその壊れるときには苦とな
り、不苦不楽もすべては無常であって生滅変化を免れえないからこそ苦であると
され、これを苦苦・壊苦・行苦の三苦という。すなわち、どちらの立場にしても
、苦ではないものはないわけで、一切皆苦というのは実にこの意である。
213:神も仏も名無しさん
09/04/30 07:55:59 1cEMPvql
>>212
先生、苦が壊れた後は何になるのですか?
一度の事象に対して苦は何度も訪れるのですか?
過去、未来の苦というものは存在するものなんですか?
214:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 08:00:51 AQUi4ffD BE:427479252-PLT(13230)
___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ) 苦が壊れた後は何になるのですか?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
| | ( ./ /
___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ ) おいら何もわかってないお^^
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/ いっしょに考えるお^^
| | ( ./ /
215:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 08:05:45 AQUi4ffD BE:427479825-PLT(13230)
人はこの世に生まれる時産声を上げる・・
この世の苦しみをすでに悟る・・
216:神も仏も名無しさん
09/04/30 08:09:00 1cEMPvql
苦と楽はどちらが多いのですか?
217:神も仏も名無しさん
09/04/30 08:10:15 FRtnEz3I
簡単、
苦が壊れた後は死にます。
218:神も仏も名無しさん
09/04/30 08:11:12 FRtnEz3I
考えるほどのことでもないでつ
219:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 08:15:51 AQUi4ffD BE:170992122-PLT(13230)
行苦(ぎょうく、saMskaara-duHkhataa) とは「生起の苦の状態」といわれる。
「行」の意味は、「作られたもの」ということで、生存していること自体を指し
ているから、一切の存在が無常であることによって遷り流れてゆくところに感じ
とられる苦である。とくに、人間生存の無常という事実の中に感ずる苦である
から、生存苦、生きること自身が苦であることを示した。
したがって、苦苦も壊苦も、この行苦を根本として起ってくるといえる。
その意味で、行苦や五陰盛苦は、人間の根本的な苦を示す。仏教は、根本的に
は生きていること自体が苦であるという形而上学的な考え方をもととして、
人間の「自分が」という我執こそ苦の根本であると言う。
これと・・・
220:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 08:17:28 AQUi4ffD BE:769463036-PLT(13230)
苦諦
このように一切は苦なりという仏教の根本的立場が確立され、苦諦(くたい)と
よばれる。苦諦とは「苦が諦である」ということで、それは苦であることが真
理(サトヤ、satya)であり、人間の生存そのものが苦であるという。その意
味では、苦とは哲学的意味をもった苦である。
しかし、四苦といわれる生・老・病・死、加えて八苦といわれる愛別離苦・
怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦をみても、実際には具体的な現実苦を示すこと
は注意すべきである。
これと・・
221:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 08:21:52 AQUi4ffD BE:512975243-PLT(13230)
唯識に「惑・業・苦」の教説がある。
人には、「惑」(わく)があって、「業」(ごう)を起こし、それが「苦」を
生む。無明が業・苦を起こす
「惑」とは、煩悩である。10種の根本煩悩と20種の随煩悩がある。
これらが、業(思考・行為)を起こし、苦(自分と他人に)を生じる。従って
、煩悩を捨てることが苦の解決になる。 根本煩悩を「本執」ともいう。貪・
瞋・癡・慢・疑・薩伽耶見(我見)・辺執見・邪見・見取・戒禁取の十である
。薩伽耶見(我見)から戒禁取までの五を「悪見」という。悪見を一つとみて
、六煩悩(貪、瞋、癡、慢、疑、悪見)とすることもある。「貪」はむさぼり
、「瞋」はいかり、「癡」は「無明」である。無明は、最も根源的な無知であ
り、一切の煩悩、業、苦の根本原因となる。業と果と四聖諦と宝(三宝)に対
する無知であるという説もある。
これ・・・
無明は最も根源的な無知であり、一切の煩悩、業、苦の根本原因となる・・・
根源的な無知が苦の根本原因となるらしいお^^
222:神も仏も名無しさん
09/04/30 08:23:41 1cEMPvql
無明とは何ですか?
223:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 08:26:00 Nb45jStU
悟りの智慧によって、煩悩の根が断たれておらず、無明は滅していなかったわけ
である。煩悩がなくなったわけではないから、大きな出来事があれば、坐禅して
いないとき、煩悩を帯びた業(思考)を起こして「苦」がおこる。苦悩が大きく
なって、心の病気になったり、自殺したりする。あるいは、他者を害して、いじ
めたり、犯罪を犯したりする。
だから、煩悩を捨棄する心の功夫は、2-3か月だけでも基本を修習しておい
て、生涯それを続けていくことは、難しいことではない。そうすれば、自他を
深刻に苦悩させることを予防できる。
座禅の修行か・・・
おいらも座禅と言う名のパチンコ行って来るかな・・・
224:神も仏も名無しさん
09/04/30 08:26:06 1cEMPvql
苦を逃れ得ないものだとすれば、
苦から逃れようとすることにどんな意味がありますか?
225:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 08:28:24 Nb45jStU
無明(むみょう、avidya)とは、仏教用語で、迷いのこと。また真理に暗いこと
、智慧の光に照らされていない状態をいう。法性(ほっしょう)に対する言葉で
ある。
仏教では十二因縁の根源に無明をおく。すべての苦は、無明(迷い)を原因とす
る煩悩から発生し、智慧によって無明を破ることにより消滅すると説く。我とい
うものが存在するという見解(我見)が無明である。無常であるものを常住と見
るが、それが失われると苦しみを生じる。すべての苦しみはこの無明を原因とし
て発生すると説く。この苦しみを消滅する方法は、初期経典には定型文句として
四諦、八正道であると説かれている。この四諦、八正道を知らないことも無明で
ある。
226:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 08:31:10 AQUi4ffD BE:769463036-PLT(13230)
苦から逃れようとすることにどんな意味がありますか
その行為は意味が無いと思う・・・
おいらなら苦を理解しようとするけど・・・
227:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 08:32:29 AQUi4ffD BE:1367932984-PLT(13230)
ふぅうううううううう~^^
終わったお^^
苦を実感してしまったお^^
悟りはまだまだだお^^
228:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 11:37:36 AQUi4ffD BE:769463429-PLT(13230)
ブッダは「内面的にも外面的に外面的にも感覚的感受を喜ばない」ことが重要だと言っている。
229:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 11:42:53 AQUi4ffD BE:1709916285-PLT(13230)
無分別智とは坐禅によって下層脳を活性化させ、識別作用(識)の寂滅から生じ
る苦(ストレス)の消滅と、もののあり方を客観的に正しく見る如実知見の二つ
の能力から成る全脳的智慧だと言えるだろう。
ほほう^^
230:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 11:44:25 AQUi4ffD BE:1282437465-PLT(13230)
∧ ∧
( *‘ω‘*)
(⊃\)_________
 ̄ ̄ v v.\ .|
| |
.~ ~~ ~|~~~~~~~~~~~~~~~
禅の悟りとは何か
231:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 11:46:10 Nb45jStU
最初に禅を紹介した人物としては飛鳥時代の僧道昭(629~700)とするのが通説
232:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 11:50:24 Nb45jStU
道元の禅はその後多くの弟子達によって布教され日本曹洞宗を形成した。
233:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 11:51:04 Nb45jStU
禅に於ける宗派の違いは単に師承の系譜上の違いに基づく。本質的な違いはないと見て良い。
234:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 12:11:51 Nb45jStU
禅定により阿羅漢果に達する
「無我」を「体験」する
235:神も仏も名無しさん
09/04/30 12:12:15 KFizvcoc
禅は以心伝心・不立文字だから、師子相続しかできないね。
宗派ができるのは当然だね。
236:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 12:13:12 Nb45jStU
阿羅漢とは、全ての煩悩が完全に滅した人です。
煩悩が全くありませんので、智慧が何の制限もなくストレートにはたらく
237:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 12:14:59 AQUi4ffD BE:2393883078-PLT(13230)
宗派か・・・
おいら何もしらないお^^
238:阿羅古希
09/04/30 12:17:26 KFizvcoc
おいらはアラコキだ。
>禅定により阿羅漢果に達する
やっぱ仏法の悟りは即身成仏じゃよ。ははは
阿羅漢は嵐寛寿郎の略称だろ。
239:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 12:27:22 AQUi4ffD BE:1154194439-PLT(13230)
自我などは、実はもともと存在しないものなのです。冥想実践で自我なんかはな
いことが発見できるのです。「自我というのはただの幻覚だ」とわかるのです。
自分を観察して、自我という化け物が構成されるシステムを発見した人は、もう
どんな条件のもとでも自我を作ることはありません。自我という妄想概念が破れ
たのです。それが悟りです。そうなったらもうだいじょうぶ。何があってもここ
ろの葛藤は起こりません。
自我の消滅・・・
240:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 12:34:04 AQUi4ffD BE:1282437656-PLT(13230)
仏教徒なら臨終の時でさえ、瞑想するのです。
241:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 12:37:29 AQUi4ffD BE:1196941474-PLT(13230)
仏教の瞑想修行・修習は二種類あります。止(samatha)と観(vipassanâ) です。
242:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 12:39:16 AQUi4ffD BE:1795412276-PLT(13230)
観(ヴィパッサナー)は自分の心身や外界の絶え間ない変化を観察し、その、一瞬ごとに絶え間なく変化生滅し続けている現象を、そのスピードのまま、ありのままに捉えるものです。
243:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 12:41:15 Nb45jStU
仏教以外にも知られている、いわゆる「禅定」瞑想は、止(サマタ)瞑想と呼ば
れます。観と同じく必死に集中してものごとを観察しますが、視点が観(ヴィパ
ッサナー)とは全く異なります。止(サマタ)では、絶え間なく変化生滅し続け
る現象を、その生滅する一つずつを次々に観察するのではなく、現象を「変化し
ないもの」と仮定して、何か一つの対象だけに集中し続け、そこに心を「留める
」のです。
ほほう^^
244:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 12:48:46 Nb45jStU
何かの対象に触れても心の揺らぎが起こらない、喜悦感も幸福感さえもなくし
た平安状態の禅定が、対象を取る色界四禅の最高の状態です。禅定をこのレベル
まで達してから、釈尊は最高の阿羅漢果に達しました。
平安状態の禅定・・・
245:阿羅古希
09/04/30 13:20:41 KFizvcoc
>>236
>煩悩が全くありませんので、智慧が何の制限もなくストレートにはたらく
濁ったボンノーではなくきよらかなホンノーで生きよということかな?
濁ったエゴよりきれいなエコが一番だね。
246:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 13:56:46 Nb45jStU
八番目に、無所有処を完全に超え、非想非非想処に達します。
何も意識しない心さえなくしてみようと、意識はおろか、意識しようとする衝動
「想(saññâ)」さえ起こさせない、でもそれさえも完全に起こらないのは心自
体が滅することでちょっと不可能で、実際には想が起こるのか起こらないのか分
からないほど微かにして、もちろん意識などは全く起こらない状態にまで達しま
す。
世俗的に言えば仮死状態のような、意識しようとする衝動さえ起こさないよう抑
えられている禅定が、この、色界禅定を超えた無色界等至の最高の状態です。
このように始めは何かの対象を通して四段階、次に心だけで四段階、心を制御す
る禅定が、合計八種類あります。
247:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 14:12:28 AQUi4ffD BE:2735866188-PLT(13230)
さて、第一禅定を自在にコントロールできるようにならなくてはなりません
。まず、禅定に入っていくときに心をそれに向けていく、意門転向心ができる
ようにします。次に、禅定に入ってから、ずっと禅定の心を保ち続けることがで
きるようにします。初めて禅定に入った状態ではこれらの区別はできませんので
、後になってからやることになります。
248:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 14:14:10 AQUi4ffD BE:641218853-PLT(13230)
このようにしてサマタ瞑想を修行した後、いよいよ四界分別観を媒介にしてに入
っていきます。この瞑想で、精神性と物質性の究極の真実を観ていきます。
そして、無常、苦、無我を観て行くのです。究極の精神的、物質的世界の現実を
観ると、それが常に生じては滅しているということがダイレクトに見えてきます
。それが無常であり、すべてはそのようにして留まることなく流れています
249:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 14:15:55 AQUi4ffD BE:1923655695-PLT(13230)
悟りの要素であるこれらの七覚支を育てていき、確固たるものとしていく
ことで、道智、果智という悟りを得ます。ニッバーナ(涅槃)を対象とす
るヴィパッサナーの最終段階の悟りに到るまで、七覚支を深く養っていく
ことです。
250:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 14:19:23 AQUi4ffD BE:2308387469-PLT(13230)
さてと・・・
頭で理解しても・・・
実践しないと・・・
悟りは得られないな・・・
どうしよう・・・・^^迷い?
251:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 14:20:37 Nb45jStU
___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ) どうしよう・・・・^^迷い?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
| | ( ./ /
___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ ) どうしてこうなった!?
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
| | ( ./ /
252:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 14:27:34 AQUi4ffD BE:1709916285-PLT(13230)
まずは・・・
1日30分だな・・
時間も定める・・・
スレが800になったら始めるか・・・
後の200で状況報告をする・・・
頭で理解してると・・
悟るのも早いのかも知れない・・・^^
253:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 14:30:23 AQUi4ffD BE:2393883078-PLT(13230)
段階としては・・・
止(サマタ)瞑想から・・・
観(ヴィパッサナー)瞑想へと・・
悟りの要素であるこれらの七覚支を育てていき、確固たるものとしていく・・
これだな・・・
254:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 14:31:24 AQUi4ffD BE:341983924-PLT(13230)
まずは・・・
第一禅定を自在にコントロールできるようにならなくては・・・
あぁあああああああああああああああああああああ^^
255:神も仏も名無しさん
09/04/30 16:04:15 kB9y3xwO
(o`-') 座禅…面倒臭いからイヤだ
寝禅ならいいけど
256:ドッカク
09/04/30 17:08:16 MSCTey+Z
唯識の話、読ませてもらいました。
感想・・・もう一歩のところまで来た。みんな、がんがれよ
257:亭白
09/04/30 17:33:53 ytR1sNMg
煩悩を滅することは出来ません。煩悩を滅すると人間の肉体が死んだときになりますので、
心を統御し煩悩をコントロールし心を支配下におくことであります。
258:ドッカク
09/04/30 17:48:44 MSCTey+Z
Φ氏には期待している。しかし横道にそれたらだめだね。
王道を歩んでほしい。
ヒントをあげよう。意識は言葉であり、無意識は視覚である。
無意識は言葉のない視覚だけの世界であり、夢であり魔境である。
これをどう越え、彼岸に到るのか?
瞑想の種類とか方法ではない。
秘密は「思い」にある。
自分の「思い」を根源的に変えなければならない。
259:ドッカク
09/04/30 18:32:41 MSCTey+Z
悟るためには、自分の「思い」を根源的に変える必要がある。
なぜなら、マナ識がアラヤ識を愛している状態が「自我」であり、
この状態を壊さないと悟りがないから。
1 マナ識がアラヤ識を愛している ・・・ 根源的な自己愛である
2 マナ識がアラヤ識を嫌う ・・・ 根源的な自己嫌悪である
だからやるべきことはつぎのようになる
1 目を開いて、自分の心の底に隠れている自己愛をえぐりだす
2 それを心の底から嫌う ・・・ 生きることは「一切皆苦」である
3 悔い改める → 運がよければ「聖霊」が訪れる
聖霊体験をしたら瞑想に専念する。
それまでは、自分の誤り、自分の罪をひたすら探そう。
260:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 18:41:07 AQUi4ffD BE:1196941474-PLT(13230)
がんがるおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお^^
261:ドッカク
09/04/30 19:03:24 MSCTey+Z
>>257
アラヤ識を脱落させれば仮死状態に入ります。
しかしそうやって根本識(九識)を体験できるのです。
それが語られるのは体験者がいるからです。
そこから再び帰って来れるのは聖霊の力だろうと思います。
入るにも出るにも聖霊体験が必要です。
だから聖霊体験が先なのです。
262:ドッカク
09/04/30 19:21:17 MSCTey+Z
Φ氏、聖霊体験だけで画期的。
キリスト教世界では超エリートである。
263:Φιλοσοφ ◆d........o
09/04/30 19:41:09 AQUi4ffD BE:1923656459-PLT(13230)
最後の人生・・焼酎飲んで楽しんでるお^^
あっ・・・
悟りは人には頼らない・・
独学で悟るお^^
これ基本^^
264:どっかく
09/04/30 22:17:41 dCD/Z50S
先日、生物の「死」をテーマにしたテレビ番組があった。
ウイルスや細菌は基本的に死なない。
死は雌雄という性ができてから登場した。
そして細胞の中には、死のメカニズムが最初から組み込まれている。
それは生物進化にとって必要なメカニズムだという。
もともとの生物は死なない存在だった・・・
「いのち」は死なない、ということを、最新の科学が裏付けている。
雌雄という性があっても、「いのち」は永遠かもしれない。
キリスト教の「永遠のいのち」、ありそうである。
265:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 00:09:32 0+BT9YSO BE:1367933748-PLT(13230)
映像で見る禅
URLリンク(www.rinnou.net)
( ^ω^)やばいお^^本当に悟りがえられそうだお^^
どうしてこうなった・・・・
266:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 00:11:44 0+BT9YSO BE:384731633-PLT(13230)
部屋の掃除からはじめないとならなくなったお^^
267:神も仏も名無しさん
09/05/01 00:22:38 qrvcXiuy
“神に最も近い男”角川春樹 宇宙、宗教、映画を斬る!(後編) - 日刊サイゾー
URLリンク(www.cyzo.com)
生涯“不良青年”を自称する角川氏は、ビジネスには遊び感覚が重要だとも語る。
「人間がこの世に生まれてきたのは、修行して来世に備えるためなんて考えがあるが、それはウソだよ。
宗教はウソ。人間はただ一点、楽しむために生まれてきたんだ。
オレは刑務所の中で宇宙を体験してきて、それがわかった。
オレがやっている一行詩も会社運営も、すべては遊び。その中でも映画製作は、かなり大掛かりな遊びだな。
人生を楽しむことこそが、最高の境地なんだよ」
268:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 00:28:51 0+BT9YSO BE:2735866188-PLT(13230)
( ^ω^)ひとそれぞれだから・・・
自分の信ずる道を行けばいい・・
だけども・・・人にその考えを押し付けるのはどうかな?
269:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 00:37:00 0+BT9YSO BE:512975726-PLT(13230)
大乗仏教の考え方の基礎は、この世界のすべての物事は縁起、つまり関係性の上
でかろうじて現象しているものと考える。唯識説はその説を補完して、その現象
を人が認識しているだけであり、心の外に事物的存在はないと考えるのである。
これを「唯識無境」(「境」は心の外の世界)または唯識所変の境(外界の物事
は識によって変えられるものである)という。また一人一人の人間は、それぞ
れの心の奥底の阿頼耶識の生み出した世界を認識している(人人唯識)。
他人と共通の客観世界があるかのごとく感じるのは、他人の阿頼耶識の中に自
分と共通の種子(倶有の種子 くゆうのしゅうじ、後述)が存在するからであ
ると唯識では考える(これはユングの集合的無意識に似ていなくもない)。
270:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 00:37:56 0+BT9YSO BE:2393883078-PLT(13230)
人間がなにかを行ったり、話したり、考えたりすると、その影響は種子(しゅう
じ、阿頼耶識の内容)と呼ばれるものに記録され、阿頼耶識のなかにたくわえら
れると考えられる。これを薫習(くんじゅう)という。ちょうど香りが衣に染み
付くように行為の影響が阿頼耶識にたくわえられる(現行薫種子 げんぎょうく
んしゅうじ)。このため阿頼耶識を別名蔵識、一切種子識とも呼ぶ。阿頼耶識の
「アラヤ」という音は「蔵」という意味のサンスクリット語である。さらに、
それぞれの種子は、阿頼耶識の中で相互に作用して、新たな種子を生み出す可
能性を持つ(種子生種子)。
271:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 00:39:37 0+BT9YSO BE:2693118479-PLT(13230)
無相唯識と有相唯識とは、阿頼耶識をどのようにみるかに大きな相違点がある。
無相唯識は、阿頼耶識もまた空として、究極的に否定し、仏が個体として現象し
て、見るものと見られるものとが分かれない絶対知が得られると説く。
有相唯識は、阿頼耶識を実有の識体と見なし、それが変化して見るものと見られ
るものとが生ずるという説を立てる。この説にしたがえば、絶対知を得ても阿
頼耶識そのものが否定されるのではなく、そのなかにふくまれている煩悩の潜
勢力が根絶されるのであると説くから、絶対知においても、見るものと見られ
るものはそこにあることになるのである。
272:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 00:43:34 0+BT9YSO BE:1709916285-PLT(13230)
法相(ほっそう)とは、存在のあり方を指す。個々の具体的存在現象のあり方だ
けでなく、一切の事物の存在現象の区分やその有様も指している。実際には、
存在現象そのものに関しては、説一切有部などの部派仏教を中心に研究が進め
られ、その研究の上に、存在現象のあり方を、我々人間がどのように認識して
いるのか、という研究が進められた。さらに、最終的には一切の存在現象はた
だ識に過ぎないとする。
さらに三性説を立て、人間が縁起の理法に気付く(覚る)までをダイナミック
に分析する。三性とは、事物は縁起に依るという依他起性、それに気付かずに
執着するという遍計所執性、縁起を覚って円らかになる円成実性である。
基は師の玄奘が訳出した『成唯識論』を注釈し、一切法の相を五位百法に分類
し分析的に説明した。この相と性を学ぶことを合わせて性相学という。→唯識)
273:神も仏も名無しさん
09/05/01 00:46:20 9xV3mStV
俺は時々こう思ってしまう
修行した人もしない人も結局は同じなのではないか?と
生きている人間ならば心臓は必ず動いている
自分でどうにかしようなどと思わないでも動いている
誰にでも生きる力 つまり神は既に万人に宿っているのではないか?
ならばただひたすら好きなように生きれば それで良いのではないか?
274:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 00:49:46 0+BT9YSO BE:341983924-PLT(13230)
>>273
自然のままに生きる・・・正論だお^^
けど・・おいらはちがうお^^
275:神も仏も名無しさん
09/05/01 00:52:11 qrvcXiuy
>>270
それは、アカシック・レコードの概念そのものだね。
アカシックレコード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
アカシックレコード (Akashic Records) は、宇宙や人類の過去から未来までの歴史全てが、データバンク的に記されているという一種の記録をさす概念。
多くの場合、宇宙空間それ自体にその(一種の)記録がなされると考えられており、アカシャ (akasha) とはサンスクリットで「虚空」、「空間」を意味する。
神智学(あるいは人智学)やリーディングの伝統(チャネリング)などでは精神的に目覚めた人は、
この記録から、意のままに過去や未来の情報を引き出すことができるようになり、そして自己の人生の意義や存在の理由がわかるとされる。
多くの預言者や神秘家がこれにアクセスし、予言として世に伝えてきたとされている。
この概念の類似概念は極めて古くから見られるが、直接にこの語が使われるのはインドに本拠地をおいた神智学協会の創始者ブラヴァツキーの主張に始まると見られる。
ドイツの神秘思想家ルドルフ・シュタイナーは、後の人智学協会の神智学協会からの独立の過程でアカシャ・クロニクル(アカシャ年代記。
この英訳語がアカシック・レコード)の概念を高度に体系化し、派生的な様々な影響を与えた。
276:神も仏も名無しさん
09/05/01 00:56:48 qrvcXiuy
倫理の源泉としての死後の実在の観念が社会的に揺らいだ時期である19世紀末ごろには複数の人物が、同時多発的に類似の概念を提唱している。
少し前後してイギリスの心霊科学研究で、場所の記憶をめぐる説明概念である「残留思念」が提唱されている。
残留思念はその元にルヴナンやアッパリッションの概念があり、日本でいう幽霊を指す言葉だが、「往来するもの・思い起こさせるもの」の意味があり、
キリスト教の死者の霊魂は地上から去るという教理と幽霊の伝承の狭間で展開した民間伝承を継承している。
シュタイナーの初期のアカシャ年代記(Akasha Chronik)の概念にも、この観念の影響が見られ、
シュタイナー初期のアカシャ年代記とは生物や万物の生成の背後にあるとするエーテル体の残滓・痕跡を意味しており、必ずしも未来の記録を含む概念ではない。
また、この概念は哲学者ベルグソンの哲学にも類似性がみられる。
これらの観念はギリシア哲学に発しアラブで発展した生気論(特にアル=キンディー)の中に多くのアイデアを見出すことが出来る。
これらの生気論では、生物のみならず鉱物や世界までもが固有の生気=霊魂=プネウマを持つと考えられた。
後にアカシックレコードの概念はエドガー・ケイシーの名前と共に知られるようになる。
現在、人智学、チャネリング、リーディング、あるいはクトゥルー神話に代表されるサブカルチャーのガジェット等、様々な文脈において発展を見せており、必ずしも一様な概念ではない。
虚空蔵菩薩はアカシックレコードを擬人化したものではないか、という説がある。
277:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 01:06:30 0+BT9YSO BE:1068698055-PLT(13230)
アカシック・レコードを開く鍵を見つけるために有効なのは、瞑想だけである
というのも、瞑想という行為は、ほかならぬ霊魂の象徴言語の一部を理解する
行為だからである。
瞑想を通じて、アカシック・レコードの特定の記録を解き放つ鍵を見つける術
を学べば、あなたはアカシック・レコードのおよそ無限の叡智にアクセスし、
そこから必要な情報を得ることができるようになる。
アカシック・レコードの神秘の扉を開くことで、あなたはそこに貯蔵されてい
る誰の想念にもアクセスできるようになるのだ。
今までに瞑想でアクセスした人いるのかな・・・
なんか懐疑的だな・・・
278:神も仏も名無しさん
09/05/01 01:13:56 qrvcXiuy
>>277
>今までに瞑想でアクセスした人いるのかな・・・
>なんか懐疑的だな・・・
歴史上にいっぱい居る。西洋ではエドガー・ケイシーあたりが特に有名。
仏教ではアカシック・レコードの叡智と悟りの境地へは
「虚空蔵求聞持法」を修することによって到達できるとされる。
虚空蔵菩薩 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
「虚空蔵」はアーカーシャ・ガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味である。
そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。
その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。
空海が室戸岬の洞窟 御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修したという伝説はよく知られており、日蓮もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったという。
また、京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く十三詣りという行事が行われている。 胎蔵曼荼羅の虚空蔵院の主尊であり、密教でも重視される。
279:神も仏も名無しさん
09/05/01 01:23:00 6xgmZVun
ほとんどがネットで見つけてきた文相のコピペだな
埋め埋め
280:神も仏も名無しさん
09/05/01 01:29:44 qrvcXiuy
アカシック・レコードにアクセスするというと一見難しそうだが、
要は俗に言う「ひらめく」とか「(芸術や発明などの)霊感を得る」ことと同じようなもの。
瞑想によってひらめきや霊感を得ることは難しくない。
つまり誰でもアカシック・レコードにアクセスすることは可能ということだ。
煩悩によってアクセスが分断されている状態が我々凡夫、つまり普通の人間の状態。
瞑想しアカシック・レコード(=神仏)とアクセスすることがおそらく古来から悟りと言われている状態なのかもしれない。
281:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 01:38:36 0+BT9YSO BE:512974962-PLT(13230)
とにかくこの人の驚くべき能力は、自分自身が催眠状態に入ったままで、本人の
顕在意識にまったく影響されていない自由な潜在意識が、同席している他の人々
と会話をすることができたということである。
彼は催眠状態から何でも答えることができ、それを記録したものが財団に保存
され研究しているらしいが・・
興味がないお^^
282:神も仏も名無しさん
09/05/01 03:27:01 9xV3mStV
いずれにせよ、旦那芸の域を超えてはいないのではないか?
何の役にも立たない気がしてならない
283:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 08:38:07 0+BT9YSO BE:598470672-PLT(13230)
>>282
この文を書く意図とは・・^^
284:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 08:48:40 0+BT9YSO BE:598470672-PLT(13230)
仏教を何も知らないおいらが勉強して4日目だからね^^
禅定をして早く悟れたら・・・
長年やってる人にわるいお~^^
285:神も仏も名無しさん
09/05/01 08:59:02 HG2uKhoT
おれは3秒で悟ったぜ
オマエは馬鹿だ
286:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 09:08:01 0+BT9YSO BE:641219235-PLT(13230)
おれは3秒で悟ったぜ
おれが存在してること自体悟っていないんだが・・・・^^
287:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 09:18:33 0+BT9YSO BE:2051899968-PLT(13230)
思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、審(つ
まび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考え
て執着し続ける。この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の
無我行を実践することができる。
288:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 09:20:05 0+BT9YSO BE:1538924966-PLT(13230)
深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の
無我行を実践することができる
これ再認識させられたお^^
289:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 09:52:15 0+BT9YSO
悟りの説明は、もちろん悟りそのものではなく、単なる知識です。そこから本当
に頑張って修行すれば、道がどんどん開けるのです。でも、経典に説かれている
悟りの説明を読むと、その、知識レベルの説明だけでも、体験した人だけが語れ
る圧倒的な真実があると分かります。その真実に、言葉のレベルでも触れると、
私たちの心も変わります。
ほほう^^
290:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 09:53:33 0+BT9YSO
悟りは、四沙門果(修行者が得る四つの結果)と言われるように、四段階あります。
預流果、一来果、不還果の順に一つずつ段階を進み、阿羅漢果で完成します。
阿羅漢果・・・^^
291:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 09:57:58 0+BT9YSO
最初の悟り・預流果では、細かく分ければ千五百もあると言われる煩悩の中、たった三つ(三結)だけが消えています。
でもそれは、悟りを決定付ける三つです。
「無常を悟る、無我を悟ることが仏教だ」と言われる、その無常、無我を一瞬だ
けでも「体験」して、「我がある」という邪見・煩悩が、単なる知識として分か
るのではなく、本当に消えるのです。
ほほう^^
292:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 10:10:10 0+BT9YSO
預流果に達した人は、真理を一瞬だけでも「体験」していますから、
それだけでも心はガラッと変わっています。心が変わってしまいましたので
、心が決めるその後の進路も、悟りの方向に大きく転換しています。
ほほう^^
293:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 10:11:18 0+BT9YSO
まずは・・・
預流果から・・・・^^
294:神も仏も名無しさん
09/05/01 10:25:02 6xgmZVun
>>286
>>293
ぷぷぷっ
まぁ、頑張ってくれたまぇ
295:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 10:30:55 0+BT9YSO BE:256487832-PLT(13230)
預流果に達してからは、説法を聴くだけではもう進みません。瞑想修行もして
、もう一瞬だけ、「私がいない、何もない」瞬間を「体験」すると、第二段階の
一来果に達します。
一来果では、有身見、疑、戒禁取の三結は当然消えていますが、その他に、欲、
怒り、無知の三煩悩が、いずれも弱くなります
ほほう^^
296:神も仏も名無しさん
09/05/01 10:31:05 6xgmZVun
もう、頭ガチガチだな。
297:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 10:33:42 0+BT9YSO BE:1025950346-PLT(13230)
瞑想に習熟して、目や耳などの五感に頼らない、しかも六番目の感覚・心で考え
る妄想も全くない、心が純粋にはたらくだけの状態に達したら、それが禅定です
。身体も妄想概念も全部切り離して、心だけが穏やかに生滅し続けます。
禅定・・
298:神も仏も名無しさん
09/05/01 10:34:53 HG2uKhoT
悟どころかガチガチにしがみついちゃってるねw
299:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 10:37:44 0+BT9YSO BE:1538925449-PLT(13230)
でも「『私』はない」と無我、無常を「体験」して悟りの段階に入った人が禅定
に達し、梵天界の素晴らしさを体験すると、やはりその素晴らしさに執着します
が、どこかに、この素晴らしさも所詮は無常だという諦めもあります。
このような聖者は、梵天界に執着する代わりに欲界への執着をあっさり捨てて
しまいます。ですから梵天界には生まれ変わりますが、そこでの長寿を終えると
もう満足していますので、何の執着も残らず、どこにも輪廻せず、ただ消えて
しまうのです。
『私』はない」と無我、無常を「体験」して悟りの段階・・・
300:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 10:44:30 0+BT9YSO BE:683966944-PLT(13230)
聖者の道の入口は、二つあります。教えに対する理解・法随行と、仏陀に対する
信心・信随行です。両方兼ね備えていなくても、どちらからでも、聖者の道に入
れます。人によって、教えの理解から仏道に入る場合と、信心から仏道に入る場
合があるのです。
仏陀の教えを聞いて喜び、理解できるなら、それは法に随って行く悟りへの
道。仏陀の存在を喜び、仏陀に心定まるなら、それは信に随って行く悟りへの
道です。このどちらかがあるなら、悟りへの道は開かれています。
おいらは「法に随って行く悟り」だお^^
301:亭白
09/05/01 10:47:08 IMquAhMT
>>299Φιλοσοφさん
無我、無常を「体験」して悟りの段階に入った人が禅定
に達し、梵天界の素晴らしさを体験する
☆梵天界の世界は菩薩界と如来界の間にある世界です。
そこで梵天界の素晴らしさとは具体的に御教示願いますか?
302:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 10:55:15 0+BT9YSO BE:2051899586-PLT(13230)
禅定に達して心だけでその禅定世界に遊ぶこともできますが、禅定に達した人が
亡くなると、禅定状態への執着が強く、逆にこの普通の欲の世界への未練があ
りませんから、禅定の世界に生まれ変わります。この禅定の世界を、梵天界と
呼んでいます。まだ欲界レベルの天人の世界・天界を遥かに超えた世界です。
そこに住む生命は、天人・神々とは比べものにならないレベルの、梵天と呼ば
れる生命です。
梵天界は、さらに細かく二種類に分けられます。瞑想の対象にもなる、何ら
かの物質が僅かにある色界と、それさえもない、本当に心だけの無色界です
。色界、無色界の二つの梵天界と、私たちの欲界を合わせて、三界と言います
。 梵天界も輪廻の世界なのですが、五(六)道輪廻の天界には、私たちは普
通、梵天界を含めて考えてはいません。あまりに次元が違うからです。でも、
輪廻する全世界を欲界・色界・無色界の三界に分類する時は、五道輪廻の中の
地獄から欲界天までが欲界だと明示し、それに色界・無色界の二つの梵天も
「天」に含めます。これで、五道でも三界でも、輪廻の全世界を言い表した
ことになるのです。
おいら何も知らないけど・・・
この世界らしいお^^
303:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 11:00:19 0+BT9YSO BE:2735866188-PLT(13230)
色界、無色界、欲界で輪廻の全世界の三界か・・
魂がエネルギーだとすると輪廻の全世界もありえるね^^
304:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 11:01:40 0+BT9YSO BE:2693118097-PLT(13230)
なぜなら・・・
エネルギーは消滅しない・・・^^
305:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 11:04:20 YERc7Bcb
エネルギーは形を変えても消滅しないというエネルギー保存法則の確立の基礎・・
だおったお^^
形を変えても消滅しない・・・だったお^^
306:神も仏も名無しさん
09/05/01 11:07:39 6xgmZVun
勉強しすぎだよ。
僕ちゃんだったら、
菩薩界と如来界の間にある世界なら、ひらがな15文字で説明できちゃうよ。
307:神も仏も名無しさん
09/05/01 11:08:31 6xgmZVun
レスが999ごろになったら、また、見に来るわ
頑張ってね
ばいばーい。
308:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 11:10:24 0+BT9YSO BE:769462463-PLT(13230)
>>306
みんなコピペだお^^
クリック2.3回するだけだお^^
309:神も仏も名無しさん
09/05/01 11:31:06 9xV3mStV
う~ん…いくら言葉を頭で理解しても 現実には何の力も身に着かないし何年経っても変らないんでしょう?
多分 言葉だけ先行して実質的なものが全然無いのには、誰もが飽き飽きしてるんだと思う
今のあらゆる宗教に根本的に足りないのは力
立派な御言葉ばかり並べても、それを叶えられる力が全く無い
だから宗教とかに熱心な人は、奇人変人扱いで指差されて笑い物になるんじゃないのかな?
310:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 11:40:10 0+BT9YSO BE:1025949683-PLT(13230)
おいらの基本は・・・
「存在とは何か」
スレリンク(philo板)
だからね・・・
生きてるうちに理解しておきたいんだよ・・
「存在とはなにか」を考えていたら・・
仏教の教えにたどりついた・・
ただそれだけなんだよ・・・^^
311:神も仏も名無しさん
09/05/01 12:12:39 9xV3mStV
例えば自動車を全く運転せずに、マニュアルだけ何十年も読んで理解した気になっても本当に解ったとは言えないでしょう?
教えは多々あっても何年頑張っても変らないどころか、かえって普通の一般人より精神的に悪い方向にイッてしまってるような人が多い
またこのテの人達の中には麻薬を使用する者も少なくないが、現実の生活や精神状態が乱れているのに悟りを開けるなど有り得ないと思う
最終的には頭デッカチの妄想狂になってしまうのでは?
312:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 12:16:08 0+BT9YSO
__________________
/ || .||
|.....|| .||
|.....|| .||
|.....|| .||
|.....|| .||
|.....|| ど う し て こ う な っ た !?.||
|.....|| .||
|.....|| .||
|.....|| .||
|.....|| .||
|.....|| ∧_∧ .||
|.....||_________ ( ) .|| どうして・・・
| ̄ ̄\三三三三三三三⊂/ ̄ ̄ ̄/三三三三\
| | ( ./ / |
313:どっかく
09/05/01 12:34:47 x8AUw4u5
学び、思い、体験することが悟りへの道である。
学ばない、思い悩まない、体験もしない、何もしないのではダメ。
学びすぎても、悩みすぎても、体験しすぎてもダメ。
ブッダやイエスは、少数の、単純な書物で悟りを開いたと思う。
シンプルにバランスよくやればいい。
悟りが趣味になって、袋小路に入らないように注意する。
314:どっかく
09/05/01 12:56:06 x8AUw4u5
瞑想の基本的な性格を知ったほうがいい。
瞑想の深さは、信仰の深さに応じた程度である。
それゆえ、瞑想を深めたいなら、信仰を深めなければならない。
これを知らないから、いくら瞑想しても悟れない。
そして瞑想するのが苦痛になる。
315:神も仏も名無しさん
09/05/01 13:02:02 9xV3mStV
本当に悟った人なんて誰もいないんでないの?
悟ったと勘違いしてるだけで…
まだ恐竜のほうが深海か何処かに居そうな気がする
316:どっかく
09/05/01 13:04:04 x8AUw4u5
悟りに、瞑想に、「信仰が欠かせない」ことは当たり前である。
なぜなら神に近づこうとしているのだから。
317:どっかく
09/05/01 13:14:00 x8AUw4u5
>>315
だれでもそう思う自由がある。
しかし、1万年以上前から、多くの人々が神を信じて生きてきた。
信仰には、長い先史、長い歴史がある。
信仰は神がいることの証明である。
318:どっかく
09/05/01 13:28:43 x8AUw4u5
キリスト教の福音書
その最初の部分に、重要なことが書かれている。
イエスは聖霊を受けてから、荒れ野で瞑想し悪魔を退ける。
聖霊→瞑想→悟り、これが悟りの順番である。
仏教の修行者が悟れないのは聖霊体験がないからである。
319:神も仏も名無しさん
09/05/01 14:04:14 jRqCtLQp
>>310
>「存在とはなにか」を考えていたら・・
>仏教の教えにたどりついた・・
仏教の存在の分析はその名のとおり「アビダルマ=存在について」ということだね。
なぜ仏教が存在分析を進めることになったか?
ブッダの法を理解したかったからでしょう。
諸行無常→諸法無我→一切皆苦→縁起→四諦(苦集滅道)→八正道→涅槃寂静
これが根本仏教(アーガマ)のすべてでしょう。
320:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 14:52:43 0+BT9YSO
「只管打座」<しかんだざ>(ひたすら座禅をすること)により、直観によ
って、仏教の真理「空」<くう>を体得しようとする「禅宗」の行き方も
仏教の有力な流れとなっています。
(※「只管打座」は、日本の曹洞宗・道元の禅の特色であって、言葉で
は言い尽くせない奥深い実践・修行の道です。書物だけで理解するのは
無理でしょう。道元の著書「正法眼蔵」<しょうぼうげんぞう>はきわめ
て難解な書物です。)
321:神も仏も名無しさん
09/05/01 15:19:44 9xV3mStV
おそらくは人々を集める求心力と組織の維持の為には、どうしても具体的な技法が必要なんかじゃないかな
多分 効果は思われている程には無いと思う
無人の洞窟に、いくら呼び掛けても返事は永遠に返って来ないが 木霊なら聞こえる
途方もない努力の果てに、気付いてみれば何ら凡人と変っていないという答を見出だすまで
迷信という名の迷宮を彷徨い続けるのだろうな
322:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 15:27:31 0+BT9YSO
無我説は、自己に恒常不変の主体を認めない。自己は、刻々と縁起して移り変
わっていく存在であるという。すると、過去と現在の自己が同一であるというこ
とは、なぜいえるのであろうか。無我説では、縁起するこころ以外に何か常に存
在する実体は認められない。はたして自業自得ということが成り立つのか。ある
いは、過去の行為の責任を現在問うことができるのか。これは難問であった。
ほほう^^
323:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 15:28:29 0+BT9YSO
現れてくるものは本来、無自性、空で、それ自体としては清浄(自性清浄)な
ものである。ところが日常の世界では「知られる」外界の事物もそれを「知る」
こころも、ともに「依他起」なるもので、それゆえに苦楽、汚れに満ちたものに
なる。しかし、それらは実は、アーラヤ識によって現れた表象でしかない。
この真理をを瞑想(禅定)によって体得することが求められる。
そのためには経典に説かれる法を知り、六波羅蜜などの修行を積み、瞑想の
段階を深めていく。瞑想における観法によって真実をみる目を得ると、アーラ
ヤ識が虚妄分別としてはたらかなくなる。このとき、「知るもの」と「知られ
るもの」の対立は現れなくなり、自他の区別はなくなり、すべてが平等なもの
として本来の清浄なすがたをあらわす。そして、アーラヤ識はそれまでとは別
の状態に移り、本来のあり方である「完全な真実の性質」(円成実性)を示す
。過去の善悪の業を蓄積する蔵であったアーラヤ識が、あらゆるものの自性清
浄な姿を映しだす大円鏡に変わり、宝の箱が開かれたように行者の仏性(仏に
なる本性)が輝きでるというのである。
ほほう^^
324:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 15:36:20 0+BT9YSO
外界に実在すると思いこまれる「知られるもの」という存在も、「知るもの」を
「われ」とする誤まりも、アーラヤ識に蓄えられた根源的な無知あるいは過去の
業の力によって形成されたもので、他のものによって縁起したものである(依他
起性、えたきしょう)。そこから、迷いの世界が現出する。この迷いから脱して
「一切は表象としてのみある」という知見に到達しなければならない。
またまた・・・ほほう^^
325:神も仏も名無しさん
09/05/01 15:37:32 f49zXj4F BE:279871542-2BP(4445)
γ'フ
イ ('i, ,/ (ヽ
( 'i,`ミ' ヽ i ヽ`)'フ
(\ヽ,,_ ` ':.ヽ )γ),ノ)
ヾ' ..,, '; 'l, ,/ .:' ノ'
ゝ- .,,, .: i! ノ' ,:' ''",フ
,,-'', ',,,.. .:' /' ⊂⊃ ''",,::' "つ
`ツ、,,ー- .:' (,,,,,/⌒ヽγ´ ''"ヾ、 彡'
''-彡,, ':, .( ´ω`). ヽ、,,_,,ノ'⌒ なんぞここー
,彡' | / ' ゙" '-=-'"
ノ., "シ ( ヽノ ,,_,,,ミ^ヾ
"''ツ' ノ>ノ ヽ''ヽ)
レレ
326:神も仏も名無しさん
09/05/01 15:44:22 9xV3mStV
馬場塚昭久著 「霊箭‐阿波研造物語」の中で
東京大学 姉崎正治博士の研究についての阿波と永井の会話が紹介されている
「日本に伝わった仏教教典は全て偽物だそうです」
「そ、そんなバカなっ!」
「ヨーロッパで早くから進んでいたパーリ語、サンスクリット語による詳しい原典研究の結果、日本に伝わった仏教教典は本物ではないことが分かったというのです。
釈迦入滅後四百年近くも経てから熱心な信仰者たちによって、きらびやかな仏の世界を描いた経典文学が次々と創作された
それが世に名高い『法華経』や『阿弥陀経』等、いわゆる大乗仏教典だというのです。あれは空想小説なのですよ。
『仏教聖典史論』『根本仏教』等の著作に詳しいです」
「そんな重大なことが、なぜ今まで…」
「一般大衆が知ったら仏教界は全滅でしょうね。日本は全て大乗仏教ですから。関係者は自己保身のために黙殺してますよ
しかし、学者たちは皆知っていることです。直説の教えが伝わっていない以上、真実の悟りも存在するわけがない。当然の真理です」
327:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 15:53:02 0+BT9YSO BE:854958454-PLT(13230)
読めば分かるよ・・・
真理が書いてあるかどうかは^^
>>326 はどうでもいい^^
328:神も仏も名無しさん
09/05/01 16:29:13 VbNz4jLS
>>326
お釈迦様が作った大河に後世の仏教徒が新たな水となって加わる・・・・鈴木大拙はこう言っていて、
時代とともに仏教に新しい流れが生まれていくのを肯定しているよ。
お釈迦様の時代から教え方や言葉の表現が変わらないほうが道に反していると思う。
329:神も仏も名無しさん
09/05/01 16:34:52 3gXfH9eV
この世のもの、諸法はすべて、恒常なるものではなく、無常なるものである。
すべては変化し、移り変わり、必ず消滅、死んでいく。
つまり万物は流転しているのです。「一切の現象はそのように見つめなさい」、
とこれが釈迦の教えの一つなのです。これは「変化していくものこそが本質である」
というヘラクレイトスの教えでもあり、存在は時間をうちにもつという、ハイデガー
の「存在と時間」の考え方でもあるようです。
330:神も仏も名無しさん
09/05/01 16:46:43 9xV3mStV
反応から精神的な揺れを感じる…
知識を言う事は簡単でも、目的達成は殆ど不可能なんじゃないか?
もう少し日常の生活で他人と触れ合わなければ、何時になっても心が弱いままだ。
そんな人間には悟りなんて宇宙の果てに行くくらい不可能だろう
誇大妄想の精神疾患になる可能性が高いと本気で心配してみる
331:大王
09/05/01 16:55:30 fmmKQnMa
仏教極め過ぎて、理屈がどうでも良くなった、
極め過ぎよりも、飽き気味と言うべきか。
>324 :Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/01(金) 15:36:20 ID:0+BT9YSO
外界に実在すると思いこまれる「知られるもの」という存在も、「知るもの」を
「われ」とする誤まりも、アーラヤ識に蓄えられた根源的な無知あるいは過去の
業の力によって形成されたもので、他のものによって縁起したものである(依他
起性、えたきしょう)。そこから、迷いの世界が現出する。この迷いから脱して
「一切は表象としてのみある」という知見に到達しなければならない。
あんまり真面目に語る気がおきないけど、
外部と内部が唯識においては一体となる、その場合の慈悲の感覚と智慧が生ずる。
曹洞宗道元は只管打坐と言う方向性で、その部分を知る、
ただし、共通項はあるのだが、悟った後の唯識と曹洞宗の空間認識は異なりがある
332:神も仏も名無しさん
09/05/01 16:56:18 9xV3mStV
人が生きて行く上で大切なのは、誰が言ったではなく自分が感じられる現実なのですよ
悟ったような気になっても、現実には弱くて脆いんでしょう?自分の希望に1cmすら近付いていないでしょう?
立派な言葉や教えでも、用いる人がだらしないなら意味を成さないし 嘲笑されるだけですよ
汚ならしい浮浪者がビル・ゲイツの言葉を話しても馬鹿にされて当たり前なんです
自分が悟りを求める以前の問題だと早く気付いた時こそ
初めて正しい道に戻る第一歩なんですよ
333:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 17:00:27 0+BT9YSO BE:1154194439-PLT(13230)
鈴木大拙が『大乗仏教概論』の中で言っている言葉です。「宗教と科学が互いを
理解することなく作用するなら、どちらも一面的なものとならざるをえない。」
、「想像力というものは、宗教だけの占有物ではないし、一方弁別や推理という
ものは科学が独占しているものではない。それらは相互的相補的なものである。
一方がなければ他方は何もできない。」。つまり科学と宗教というのは、お互い
に必要としあっているんだということを鈴木大拙ははっきり言っています。
鈴木大拙は日本的霊性、東洋的霊性という言葉でだんだん説明をし始めていく
んですが、それは一つには若い時に書いた『大乗仏教概論』で打ち出したんで
すけれども、これは本当に大乗仏教を概論したものかどうかということについ
て、かなり手厳しい批判を浴びた本でもあります。これは、鈴木大拙がインド
の大乗仏教をどれだけ正確に救いあげたかどうかということについての議論が
細かく色々と展開されていったんですけれども、その後、これはやっぱり鈴木
大拙はあくまで日本的な環境の中で仏教に取り組んで、仏教というものの洗礼
を受けて、また仏教学をやっていたわけです。鈴木大拙自身もそれについてか
なり反省を加えて、むしろ逆に自分がやっているのは実は日本的霊性、東洋的
霊性といわれる。つまり中国で成立し、それが日本に入ってきて大展開してき
たというような宗教学、それが鎌倉禅であり、それから鎌倉における浄土真宗
であると、だから、禅と真宗というものがいわば日本的霊性を支える宗教の二
大骨格であると、ですから、鈴木大拙は生涯に渡って二本柱を追いかけていっ
たんです。
初めて知った・・・^^
334:神も仏も名無しさん
09/05/01 17:14:13 9xV3mStV
いらないと言ってしまった時点で、教えや真理とは無関係な自分がよく見えるでしょう?
自分の培った言葉がまったく無い貧の心なのに、他者の言葉や教えを引用して分かる振りしても絶対に分からないんですよ
現実のあなたは、そんな立派な道を歩いてなんかいないんだから
そういう間違いだらけの考えを正しいと思い込んで、自称修行者とか霊能者ぶってる人が いっぱいいるんですよ
あなたは特別なんかじゃない その他大勢の間違い人間の一人に過ぎないんです
今の あなたでは気付かないだけなんです
でも あなたの周りの人達は気付いていると思う
335:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 17:22:40 0+BT9YSO BE:1923656459-PLT(13230)
悟った後の唯識と曹洞宗の空間認識は異なりがある
座禅でもおいらの求めている座禅は曹洞宗の座禅ではなかった・・
336:大王
09/05/01 17:22:45 fmmKQnMa
>禅と真宗というものがいわば日本的霊性を支える宗教の二
大骨格であると
鈴木大拙の日本的霊性は眉唾モノだよ、
明治政府の仏教弾圧の後の仏教の視点だからね、
明治政府が破壊しつくした仏教、
修験道、神仏習合仏教、
天台、真言の打撃は激しい、
修験禁止令で全滅、
本来の、日本的霊性は、修験道、神仏習合仏教
地蔵講とか、観音講、伊勢講とか、習俗的神仏習合が主流でしょう。
禅は少数派、
仏教の伝統的王道で、上流階級文化なら、禅でしょうけれども、
神仏習合、修験道、真言、天台が、勢力低下した明治期だと、
真宗は近代化もしたし、弾圧対象にならない、庶民階級だからね、地域では滅茶苦茶強いし、
神道含有と呪術否定するから、明治政府の攻撃対象にならなかった。
337:大王
09/05/01 17:30:53 fmmKQnMa
まあ、自分は曹洞宗も唯識もシャーマニズムとりあえず自動マスターだから、笑えるなあ、
どうしたらいい、と質問されて答えられないからなあ、
唯識はテレビで徳一の像見て、理解したと言う得たいが知れない、
まあ、それ以前にきちんと唯識の基本的知識を学んだ上だけれども、
338:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 17:36:47 0+BT9YSO BE:1795412276-PLT(13230)
テレビで徳一の像・・
この中にあるのかな・・?
URLリンク(www.youtube.com)
339:大王
09/05/01 17:37:58 fmmKQnMa
最近、神社で神仏習合の禅定を遊ぶて、やっていた記憶があ、
慈雲神道とかw
滝がある場所じゃ、法華経の霊山浄土、こう言う場所て、明治以前だと修験道、高野山空海信仰高野聖の霊性が多い。
340:大王
09/05/01 17:41:39 fmmKQnMa
338の徳一、これだと思う、東北地方の寺にのね、
像を見て、至福へ瞬間移動、世界一体感だった、
これなのね、と、
その後、行基の墓でも遊んだ最近、そこは、律宗寺院になっちまたが、
律宗と唯識と両方遊んだ記憶がある、
行基の墓の方が徳一像で得ていたんで初日で、イージーに決まったなあ、
341:神も仏も名無しさん
09/05/01 20:18:41 RHTRuxPy
借金に追われて鬱になって苦しんでる人が、悟る事によりどういう行動を取るでしょうか?
342:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 20:38:43 0+BT9YSO BE:1282437465-PLT(13230)
唯識
URLリンク(www.youtube.com)
^^
343:大王
09/05/01 20:47:15 fmmKQnMa
借金、はあーすいません、どうでもいいと、借金踏み倒す芸術家の様になり、
天台宗の坐禅で鬱症状をコントロールするんじゃないかなあ、
岩波文庫で、天台小止観と言う本がある、鬱気味の時は眉間に息を集めるように、
躁気味で眠れない時はへそ下、丹田に息を集める。
344:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 20:50:23 0+BT9YSO BE:1154194439-PLT(13230)
谷大学生涯学習講座/2008年度前期開放セミナー/大乗の仏弟子-天親-
URLリンク(www.youtube.com)
345:どっかく
09/05/01 20:50:34 JRDKC80a
スレの前のほう、>>52 で変性意識の話が紹介されていた。
そこに釈迦の悟りがあったので抜き書きする。
釈尊は六年間の苦難の修行の後,十二月八日
の払暁,東雲の空に明けの明星の光輝をみて見
性成仏したという。
これは空海の悟り、「谷、響きを惜しまず。明星来影す」と同じ。
346:どっかく
09/05/01 20:57:40 JRDKC80a
この話の出典は何だろうか。
それが信用できるなら、釈迦の悟りはおおよそ推測できる。
347:どっかく
09/05/01 21:25:45 JRDKC80a
釈迦と空海とイエスは「明星」で共通する。
そしてこの「明星」とはアートマン・・・仏性ではない。
であれば空観と唯識は単なる道具である。
348:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 21:34:31 0+BT9YSO BE:3077849489-PLT(13230)
12月8日に、暁の空に光る明星を見て「山川草木悉皆成仏」などの言葉を発せられ、悟りを開かれた
苦行に耐え、自分を磨こう、善いことをしよう、生老病死の苦しみを超克しよう
という自己本位の行いがありました。
しかし、自他不二を体得しその大いなるまなこで眺めると、この世のすべてのも
のは「あるがまま」なのだと「気付いた」のです。
それがお釈迦様の悟りです
ほほう^^
349:神も仏も名無しさん
09/05/01 21:34:38 Y8AVGPOa
明けの明星 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
その神秘的な明るい輝きは、古代より人々の心に強い印象を残していたようで、それぞれの民族における神話の中で象徴的な存在の名が与えられていることが多い。
また地域によっては早くから、明けの明星と宵の明星が(金星という)同一の星であることも認識されていた。
ヨーロッパでは、明けの明星の何にも勝る輝きを美と愛の女神アプロディテにたとえ、そのローマ名ウェヌス(ヴィーナス)が明けの明星すなわち金星を指す名となった。
キリスト教においては、ラテン語で「光をもたらす者」ひいては明けの明星(金星)を意味する言葉「ルシフェル」(Lucifer)は、他を圧倒する光と気高さから、
唯一神に仕える最も高位の天使(そして後に地獄の闇に堕とされる堕天使の総帥)の名として与えられた。
仏教伝承では、釈迦は明けの明星が輝くのを見て真理を見つけたという。また弘法大師空海も明けの明星が口中に飛び込み悟りを開いたとされる。
350:どっかく
09/05/01 21:35:11 JRDKC80a
ヨハネの黙示録22.16
わたしは・・・輝く明けの「明星」である。
351:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 21:47:07 0+BT9YSO BE:769462092-PLT(13230)
自我が空じられて、無我が体得される宗教体験のとき、
智慧(般若)が生ずる・・
何度も見てるので暗記してしまったお^^
352:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 21:59:04 0+BT9YSO BE:384731633-PLT(13230)
釈尊は明けの明星を見て悟ったのです。釈尊の空は、人間が見た空とは違います
。人間が考えることのできない、宇宙原理を発見したのです。これが釈尊の空観
の根底になっているのです。
イエスも又、ただの人間ではなかったのです。人間には違いなかったのですが、
イエスは私は神の内にいると言っていたのです。神と共にいると言っているの
です。人間の命の本源である神、存在の本源である神の中にいると言っている
のです。これは釈尊と同じことになるのです。
宇宙の根源の中にイエスは生きていた。釈尊は宇宙の根源の光を見て、一切空
であると悟った。
般若心経は色即是空、五蘊皆空と言っています。大したことを言っているのです。
色とは目に見えるあらゆる現象的物体を言いますが、これが存在していないと
言っているのです。釈尊は今から二千五百年も前に、物質は存在しないと断定
した。これは日本ができるはるか以前の出来事なのです。
二千五百年も前に「物質は存在しない」と悟ったなんて・・・^^
353:どっかく
09/05/01 22:05:28 JRDKC80a
>>351
その話は矛盾していないかどうか。
自我 → 空 → 無我 → 「般若の智慧」
空から生まれた「般若の智慧」はやはり空・・・実体がない。
「般若の智慧」はどこからやってきたのか。
354:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 22:12:56 0+BT9YSO BE:897706837-PLT(13230)
人間が仏陀になることを、識を転じて智を得るといっておりますが、それは結局
、迷いを転じて悟りを開くということと同じ意味で、要するにわれわれ迷いの人
間が、悟れる仏陀(ほとけ)になるということです。ところで、ここにいう般若
の智慧とは、決して愚痴といわれ、識といわれる、人間のもっているあさはかな
智慧ではないのです。それは知らざるもの、眠れるもの、迷える人間の智慧では
なくて、知れるもの、目覚めたるもの、悟れる人の智慧です。それは宇宙の真
理を体得した、仏陀(覚者)のもてる智慧です。真理の智慧、真理を悟った智
慧、それがとりも直さず般若の智慧であります。
頭が痛くなってきたお^^
355:どっかく
09/05/01 22:16:26 JRDKC80a
悟りをどういうものだとイメージする?
これはけっこう大事かも。
悟りを空だと思えば、空体験が目標になる。
悟りをアートマンだと思えば、アートマン体験が目標になる。
空体験が目標なら、唯識の持っている意味合いはどうなる?
唯識は不要にならないか?
356:大王
09/05/01 22:18:53 fmmKQnMa
智慧、大円鏡智、成作所智、平等性智、妙観察智
だったけ、成作所智が言葉違いかも、
唯識では、
世界と自己が無心において一体感で、智慧が生まれる
見る智慧が妙観察智
あれがいい、これがいい、自分がいいとか、差別がなくなる、平等性智
成作所智は慈悲の行い、他者と一体感で無心で行なえる智慧なのさ、
感じている部分があるね、徹底してないけど、インスタント的に
357:大王
09/05/01 22:21:46 fmmKQnMa
他者との一体感と慈悲、
キリスト教、アートマンには無い物さ、
大乗仏教の多くはこの流れの影響下にある。
358:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 22:23:43 0+BT9YSO BE:897706837-PLT(13230)
四向四果 (しこうしか)とは、部派仏教や上座部仏教における修行の階位である。詳しくは、
* 預流向(よるこう)、預流果
* 一来向(いちらいこう)、一来果
* 不還向(ふげんこう)、不還果
* 応供向(おうくこう)または阿羅漢向(あらかんこう)、応供果(おうくか)または阿羅漢果(あらかんか)
悟りをどういうものだとイメージする?
これらの段階を経て行こうかと・・・
唯物は重要・・・
359:大王
09/05/01 22:25:31 fmmKQnMa
まあ、いいいんじゃないの、
上座仏教の本を読むと、 預流向(よるこう)、預流果手前の聖者の位、
光ってくる所から始まる、
うーーん、不思議、シャーマニズム能力なのかあ??
360:亭白
09/05/01 22:26:36 J97mr4nZ
般若の智慧とはこの世で得られる知恵ではない。高次なる霊的真実を掴む智慧であり、
仏性の光を観る智慧でもあります。
高次なる霊的真実の智慧が善悪二元を越えてある霊的智慧であります。
思想として学ぶだけでなく仏法真理に則した無我なる実践のなかに般若の智慧を観る
ことは可能となってまいります。
361:大王
09/05/01 22:27:41 fmmKQnMa
360は幸福の科学君だあ。
うーーん。
362:神も仏も名無しさん
09/05/01 22:28:53 AY5YTy1e
「悟り」とは、誰が何を言おうと、
自分の生き方、考え方は正しい と
思える境地 の事。
反論ある?
363:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 22:28:59 0+BT9YSO BE:1282437465-PLT(13230)
亭白さんは何か分かっておられるお^^
364:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 22:30:13 0+BT9YSO BE:341983924-PLT(13230)
>>362
はぁ~~だお^^
365:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 22:31:55 0+BT9YSO BE:1196942047-PLT(13230)
なんでそこで自分のがでてくるんだお^^
366:どっかく
09/05/01 22:32:35 JRDKC80a
>>354
迷いに覆われた識(根本識、アートマン)があると仮定すれば、
合理的に解釈できる。如来蔵のような考え方。
>>356>>357
空観と唯識の目標が一致し、それが不二一体の空だとする。
この場合、慈悲の思想は空を背景に成立し、実体がないのでは?
367:神も仏も名無しさん
09/05/01 22:33:27 AY5YTy1e
>365
わかってないね
368:神も仏も名無しさん
09/05/01 22:35:36 AY5YTy1e
>366
わかり易い言葉で言えないのは、
自分がよくわかっていないの。
369:大王
09/05/01 22:36:21 fmmKQnMa
毒矢の例えて、あるよねえ、
実体とか、空とか、考えるんだろうか、その時。
キリスト教徒には無いが、キリスト自身には確かに自分を捨てて、
とある、
で自分を捨てて、の先に見える禅定世界は?
慈悲。言葉よりも感覚。
370:神も仏も名無しさん
09/05/01 22:40:20 AY5YTy1e
>369
何を書いてるんだ?
あなたは、そんな難しい生き方をしてるの?
371:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 22:42:52 0+BT9YSO BE:170992122-PLT(13230)
慈悲の思想は空を背景に成立し、実体がないのでは?
よくわからないけど・・
九識の段階になると仏様の境涯(命の状態)になるのかな?
九識(阿摩羅識とは、最も根源的な宇宙そのものが持つ究極の超意識(清浄無
垢な意識)のことで、即ち仏様の境涯(命の状態)そのものを顕しています
その仏様の境涯である「仏界(仏性)」を、修行に依り自己の命に開き、認識・
身命に当てることで、八識に対し直接働きかける善因を積むこととなります。
372:大王
09/05/01 22:45:21 fmmKQnMa
生き方と言うよりも精神のゾーンですよ、
骨を切らせて肉を絶つとか、武道的な意味もあるでしょう、
トップアスリートが成功した時自然と言葉に出しているじゃない。
373:どっかく
09/05/01 22:47:34 JRDKC80a
>>369
話としては何となく理解できる。
しかし「自分を捨てる」ということが「空」につながったあと、
善に向かうのか悪に向かうのか?
茨城で2人を殺した通り魔事件、犯人は死刑になって死ぬために
事件を起こしたという。自分を捨て悪い方向に走った。
374:大王
09/05/01 22:49:31 fmmKQnMa
悪と言う場合、自分の虚栄心は捨ててないぞ、捨てていても、
他人を捨て、殺すのでは、
自分と他人が一体で慈悲がれば、どうなのだろうか?
375:神も仏も名無しさん
09/05/01 22:50:18 AY5YTy1e
>371
で、あなたはどういう生き方を
使用としてるの?
376:どっかく
09/05/01 22:52:20 JRDKC80a
>>371
それです。そのほうが「般若の智慧」を合理的に解釈できる。
マナ識が迷い、アラヤ識に執着している。
その迷いをなくせば、九識が姿をあらわしてくる。
377:神も仏も名無しさん
09/05/01 22:57:26 AY5YTy1e
>376
人の言ってる事を
あれこれ考えて導き出すのが
悟り?
378:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 22:57:26 0+BT9YSO BE:1795412276-PLT(13230)
で、あなたはどういう生き方を使用としてるの?
生き方は必要としていない・・
「存在とは何か」を知りたいだけ・・・
379:どっかく
09/05/01 23:00:38 JRDKC80a
>>374
やけっぱちになって物事の前後を考えずに行動する。
この場合は、まだ自分を捨て切っていないのかもしれないですね。
それにしても慈悲の由来が腑に落ちない。
毒矢のたとえは布施のすすめだったと思いましたが?
380:神も仏も名無しさん
09/05/01 23:01:42 AY5YTy1e
>378
それは、純粋な学問になるでしょう。
1つの宗教に縛られない・・・
381:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 23:03:20 0+BT9YSO BE:1538925449-PLT(13230)
唯識無境=ただ識だけがあって外界は存在しない^^
382:どっかく
09/05/01 23:10:12 JRDKC80a
>>381
それはひとつの考えであり、夢や魔境を理解する仮説だろうと思う。
この現実が存在しないと思ったら危険であり冒険ですよ。
大乗仏教は諸法「実相」です。
383:神も仏も名無しさん
09/05/01 23:13:21 AY5YTy1e
>381 382
だからー
あなたたちは、どういう生き方をしたいわけ?
384:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 23:15:45 0+BT9YSO BE:1923656459-PLT(13230)
実相 (じっそう、tattrasya lakSaNam、तत्त्रस्य लक्षणम् (sanskrit))の「実」
とは虚妄に対していわれる。すなわち真実の意味である。相は無相の義である
といわれる。「実相」とは真実が無相であるということをあらわす。諸法実相
という複合語として使われることが多い。
「無相」とは、人間の言葉をはなれ、心でおしはかることのできないことをい
う。したがって「実相」とは、真実が無相であり、それが萬物の本来の相であ
ることを意味する。
実相を萬物の本体などといって、現象の背後に現象生起の源としての何か実在
的なものと考えるようなことがあるが、それは誤りであり、実相はけっして実
在的実体ではない。実相とはすべてのもののありのままのすがたをいうのであ
る。無相こそ萬有のありのままの姿であるということを説くのが実相である。
ほほう^^
385:神も仏も名無しさん
09/05/01 23:16:35 AY5YTy1e
それと、今まで「悟った」人は、
その後どんな生き方をしてるわけ?
386:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 23:17:05 0+BT9YSO BE:641219235-PLT(13230)
悟りの立場から見る(仏知見)諸々の存在のあるがままの真実の姿かたちをいう
。言い換えれば縁起する存在を表す用語である。
諸法実相は大乗仏教の根本に位置づけられる概念だが、中国、日本における解釈
は宗派によって異なる。
例えば、三論宗では空の理法であり、天台宗では三諦(空・仮・中)からなる中
道第一義諦の理法であり、禅宗では森羅万象本来の面目を表す。
ほほう^^
387:神も仏も名無しさん
09/05/01 23:18:54 AY5YTy1e
>384
あなたは、「悟り」という事について
人に何も説明できないんでしょうね。
ただ、言葉を羅列してるだけ。
心が伝わってこない。
388:神も仏も名無しさん
09/05/01 23:20:42 AY5YTy1e
>386
国会議員が、質問に
まともに答えていない、(答えられない?)
のと同じだね。
389:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 23:23:22 0+BT9YSO BE:3077849298-PLT(13230)
>>388
あなたの言ってることはどおうでもいい^^
それはひとつの考えであり、夢や魔境を理解する仮説だろうと思う。
この現実が存在しないと思ったら危険であり冒険ですよ。
大乗仏教は諸法「実相」です。
これについて勉強している・・・
なかなか意味深い・・・^^
390:どっかく
09/05/01 23:25:29 JRDKC80a
>>383
善悪の二元を超える・・・これはみんなに共通している
超えたところに霊的な存在がある・・・これはどうだろう?
そのような悟りをえれば、善悪を超えた真実の人生を送れるかもしれない。
酔生夢死ではない、真実の生き方をしたいのです。
391:神も仏も名無しさん
09/05/01 23:27:37 AY5YTy1e
>389
いや、
だから、あなたは勉強してどういう生き方をしているんですか?
また、それによって、何を得ようとしているのですか?
392:神も仏も名無しさん
09/05/01 23:30:18 AY5YTy1e
>391
まず、善悪の定義は?
そして、善悪を超えた真実の人生とは
具体的にどういう状態を思い描いてますか?
393:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 23:34:34 0+BT9YSO BE:1154194439-PLT(13230)
>>392
仏祖の現成は、究尽の実相なり。実相は諸法なり、諸法は如是相なり、如是性な
り、如是身なり、如是心なり、如是世界なり、如是雲雨なり、如是行住坐臥なり
、如是憂喜動静なり、如是拄杖払子なり、如是拈華破顔なり、如是嗣法授記なり
、如是参学弁道なり、如是松操竹節なり。
これを簡単に説明してくれ・・・
話はそれからだ・・・
394:どっかく
09/05/01 23:35:50 JRDKC80a
>>392
聞くばかりではなく、あなたの考えも述べてください。
あなたはどういう生き方をしたいのですか?
あなたの善悪の定義は?
395:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 23:39:16 0+BT9YSO BE:256488023-PLT(13230)
>>392
これ・・・
現象世界の眼に見える(色)と
真実世界の空の理法とは、
本来、別々ではありません(不二)。
理法に支えられた現象世界(事)と
現実世界そのもの(理理)も
現象世界に表現される真実の道理(理)とは、元来、同じです。
まったく差障りもなく、現象世界そのもの(事事)も、
真実世界そのもの(理理)も、
現象世界と現実世界の相互(事理)も、一つに融けあっているのです。
396:Φιλοσοφ ◆d........o
09/05/01 23:47:10 0+BT9YSO BE:1025950638-PLT(13230)
弥勒菩薩 の悟りの世界。
「是故空中無識・無受想行識・無眼耳舌身意・無色声香味触法・無限界乃至無
意識界 」
人間の深層意識の中に、ものや心などあらゆる存在を生ずる力として種字を説く。
現実世界のすべての現象は、識により生じるのみ。実体はない。
ただ心のみある。
普賢菩薩の悟りの世界
「色不異空・空不異色・色即是空・空即是色・受想行色亦復如是 」
現象界と、絶対の真理の世界は一体無碍である。
「事事無碍・事理無碍・理理無碍」
色(事)とは現象界、空(理)とは仏の絶対の世界のことである。
ふむふむ