09/07/01 10:06:49 bPSsPgr3
要するに、ブッダはどう悟ったのか?の時点で解釈が二分している。
テラワダの人は、木の下で冥想して冥想して悟ったのだとするのだろうけど違うだろう。
何日冥想しても悟りきれず、スジャータの粥を貰ったとき
その世の循環に触れ、縁起の法則に目覚めたというべきだ。
テーラワーダは、世界全てを融通する縁起の法則というブッダの悟りの本質を軽視してるよ。
世のあらゆるものが通じているという発想と、そこから導き出されるそれを良く知った生きかたの指導が
ブッダの説いてきた教えである。経典の古層では法、法とブッダはそればかり言っている。
こんなことは初期仏典を普通に読めば分かること。
なのに冥想という苦行によって超人的な悟りを得るというような、インド苦行者のロジックで
捻じ曲げていってしまったものが、現在のテーラワーダの思想であり教典。