09/06/09 12:31:04 4pdyGDoP
>>458
空の言葉や概念は原始仏教にもあるし、大乗が直接反論したのはスリランカ上座部の元となった分別説部じゃなくて、
北伝の説一切有部。
念仏も原始仏教から来ている観想法だし、説一切有部も既に十力・四無畏・三念住・大悲という言葉で仏陀を神格化している。
無常も無我も苦も大乗と原始仏教は同じ。輪廻する主体は業によって種子が熏習される阿頼耶識。
禅定というか、瞑想もする。というか、念仏といい、お題目といい、行を重視するのは変わらない。
梵天勧請といって、大乗では慈悲の心で仏陀が衆生に教えを説く事にしたとする。だから、釈尊の教えを嘲っても居ない。
もっとも、煩悩を全て滅ぼす事は確かに大乗は目指していない。
結局は、煩悩を滅ぼそうとすると、肉体がなくなるまでしなきゃなくならないという立場をとる(滅の原語ニローダは抑制するという意味もある)。
菩薩行の事だが、実際、「仏となる直前の状態」としての、神格化された菩薩としてじゃなく、修行の過程として「菩薩」を
捉えている大乗だと、
徳一とか行基とか社会事業に精力を尽くす僧も出てくるわけだし、日蓮とかも菩薩と称して色々と頑張ろうという気になったわけで。
そんなに対立はしないと思うが。