09/06/06 18:34:24 vWLvtUdh
テーラワーダの瞑想は、南伝のアビダルマ(アビダンマッタサンガハ、『摂論』)によると、サマタで四十種類。
大地や水なんかを遍く観る「遍想」が10種類。
不浄観が10種類。
念仏みたいな仏隨念など、繰り返し対象を念ずる隨念が10種類(呼吸を数える数息観もこの内の一つ)。
無量心で対象を観る方法が4種類。
これに、食べ物を厭う食厭想、自分の身体を四大元素の構成物として分析する四界差別(しゃべつ)、無色界の四つの状態を観想する四無色。
これで四十。
ヴィパッサナーが段階を踏んで阿羅漢に達する方法で、七種清浄が基本。
最初は戒清浄。戒律を守ること。次は心清浄。近行定と安止定。三番目が肉体の把握をする見清浄。
四番目が度疑清浄。精神と肉体の因果の把握。五番目が道非道智見清浄。無常・苦・無我の三相を区別する。
六番目が行道智見清浄。九観智と呼ばれる智慧によって、無常と苦と無我を順次観想する。
で、最後に智見清浄。四諦を直接知る境地に至る、らしい。
……凡人に出来るか、こんなもん。
大乗が流行るわけだ。
南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、南無観世音菩薩、御真言を繰り返し称えていればちょっとしたサマタ瞑想になるから、
人格も変わって落ち着くだろうし。