09/06/01 00:14:51 d4CCBt7+
コーサッラ長老、なかなか頑張ってる。面白くなってきた。
テーラワーダ仏教の色々な解釈について
URLリンク(arana-vihara.blogspot.com)
テーラワーダ仏教でも色々な解釈があります。
同じミャンマー仏教で同じでパーリ経典や注釈書を元に指導しているマハーシ冥想法を間違った方法だと非難する長老がいます。
例えばパアゥ・サヤドーが最近では有名です。
大きな論点は集中力のレベルにあります。
パアゥ・サヤドーは悟るには最低第一禅定に到達していないと悟ることは出来ないという意見です。
マハーシ長老は禅定に入れればベストだが、達しなくとも近行定(禅定に入る手前)に達すれば五蓋などを抑えることが出来るので第一禅まで達しなくとも悟ることが出来るという意見です。
ヴィパッサナー・ジャーナというのはこの近行定のことです。
サマタ冥想を通して作るのでなくヴィパッサナー冥想、連続したサティの実践を通じて作り上げるものです。
一度この状態に達したら後戻りしないかは私は分かりませんがサマタの禅定よりは崩れにくいということを聞いたことがあります。
定(ジャーナ)は普通、初禅などの安止定の意味ですが、冥想の障害を燃やし尽くすような連続したサティで五蓋が抑えられた状態をヴィパッサナー・ジャーナといいます。
どちらも一度ぐらいそのような状態になっても常に冥想しないと、また入るのは難しいでしょう。
五自在は普通、初禅などの安止定に使う言葉です。
他にラベリングを使うとヴィパッサナー冥想にならないなどの非難もあります。