09/03/29 10:02:44 DRez6SOG
>>718
その人達って、教会の人達ではないですよね。
「どうせ同じような連中」→「なら、頭の中も同じ」という理屈なのかな?
>イエスは「儀式を外見だけ守るより聖書本来の精神を重んじた」というのが重要。
パウロもですね。
>>719
>キリストとしての“神性”についてのことです。
アブラハムの宗教、一神教の原則上、ごく普通の当たり前のことです。
>私はこのくらいのことは世間(クリスチャン以外)の常識の範疇かと見なしていましたから・・。
私が求めたのは>>627の意味ですら、教会が否定したか、という答えです。
それで、627に対し、「キリスト教徒も成長したのか」という返事をしたので、
では昔は627の意味ですら否定していたのか?と聞いたのです。
当たり前ですが、人間が神になっていけない、と教会が説くことなんていちいち聞くほどのことではありません。
>イエスも我々と同じ人間の一人であり、我々との違いはその神性の具現する割合の違いに過ぎないとか、
半分神、も一割神、もありえません。神か被造物か、これだけです。
だからこそ三位一体だのとこだわりも見せるのです。
>これらは絶対的神(実際にはローマ皇帝)の意志である「三位一体」説の否定となるので、
キリスト教では、神の前に平等です。ユダヤ人も異邦人も。
旧約聖書の書き手もいろんな立場、身分の人からなっています。
そして、歴史上明らかなように多神教時代でも皇帝は絶対とできました。