【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】12at PSY
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】12 - 暇つぶし2ch400:神も仏も名無しさん
09/03/22 09:44:01 nuXNE/li
>>390
>私はイエスは寛大な心を示したと思いますが。
>こちらはいつでもその根拠の句を提示できる。

仏教徒を自称する君にとって、イエス批判が何故そんなに気になるの
かね。仏教をキリスト教で「汚染」することは、絶対に許されない。

イエスの言動の具体的批判は、クリスレを初め、このスレの前スレでも
多数行っている。

君のその「根拠の句」を挙げて御覧なさい。一発で論破可能である。

401:393
09/03/22 09:49:39 +/AaSGzc
>>399
親はだれよりも子供のことを心配している。
その親が子供のために役立つと思って教える。悪いはずがない。
他人のなかで洗脳され、他人のエゴイズムに翻弄されるよりいい。

402:神も仏も名無しさん
09/03/22 10:40:44 YFaodUP2
>>396
カトリックはカルトに含まれますか?
層化はカルトに含まれますか?

403:神も仏も名無しさん
09/03/22 11:38:30 NqCin6LQ
>>401
残念ながら、親が宗教に嵌ると、わが子でさえも、自然の感情ではなく、宗教
のフィルターを通してしか見ることができなくなる。これは、恐ろしい事態で
ある。

横田めぐみさんのお母さんは、最近、キリスト教に入信したそうだが、その
結果、お母さんにとっては、めぐみさんよりもイエスのほうが大切になった
のである。めぐみさんにとって、これほど残酷なことがあろうか。

>>402
すべてのカルトは、伝統宗教を母体として発生し、その教義や宗教的テクニック
を利用している。従って、伝統宗教もカルトも「原理的には」同じ。反社会性の
程度の差だけである。

伝統宗教も、カルトを原理的に批判することはできない。すべて自分に跳ね返って
くるからである。

「反社会性」とは、世俗からからの逸脱をいう。

キリスト教自体が、ユダヤ教から発生した超カルトであるが、カトリックは、
長い年月をかけて、儀式や人間の取り込み(例えば、マリアや聖人崇拝)に
より、かなり世俗化したと思う。一方、プロテスタントからは、無数のカルト
が発生し、発生し続けている。

創価は、最初から人間主義を標榜しているから、あまり問題はないのではなか
ろうか。創価から発生したカルトがあれば、教えて欲しい。

404:神も仏も名無しさん
09/03/22 11:43:34 YFaodUP2
>>403
> キリスト教自体が、ユダヤ教から発生した超カルトであるが、カトリックは、
> 長い年月をかけて、儀式や人間の取り込み(例えば、マリアや聖人崇拝)に
> より、かなり世俗化したと思う。一方、プロテスタントからは、無数のカルト
> が発生し、発生し続けている。

つまり、現状ではカトリックやプロテスタントはカルトではなく、
プロテスタントから派生したキリスト教系カルトが存在する、ということでいいですか?

> 創価は、最初から人間主義を標榜しているから、あまり問題はないのではなか
> ろうか。創価から発生したカルトがあれば、教えて欲しい。

あなたは層化の人だといわれていますが、
この意見はあなた自身が層化であるということと関係がありますか?

405:神も仏も名無しさん
09/03/22 11:55:28 YFaodUP2
>>403
> 横田めぐみさんのお母さんは、最近、キリスト教に入信したそうだが、その
> 結果、お母さんにとっては、めぐみさんよりもイエスのほうが大切になった
> のである。めぐみさんにとって、これほど残酷なことがあろうか。

あなたは死後の魂を信じているのでしょうか?
そのお母さんの気持ちが冷たいというなら分るのですが、
もう亡くなっている人にとって残酷というのはどういう意味ですか?

406:神も仏も名無しさん
09/03/22 12:28:00 /XoeRtx8
本人は死んだ、と信じてないですね。もちろん蔑ろにしているわけでもない。

407:神も仏も名無しさん
09/03/22 12:29:48 NqCin6LQ
>>404
>つまり、現状ではカトリックやプロテスタントはカルトではなく、
>プロテスタントから派生したキリスト教系カルトが存在する、ということで
>いいですか?

両者共、狂人で、神の冒涜罪で処刑されたイエスを崇めるという点では、カル
トです。しかし、カトは、儀式や人間の取入れで、イエスの狂気を薄め、かな
り世俗化してきていると思われる。世俗、即ち、人間の日常生活と一体になれ
ば、それはもはや風習であり、カルトとは言えないでしょう。プロは、紛れも
無くカルトであり、カルトの源泉です。

私は、宗教、特にその「病理」について研究している者です。創価、その他特
定の宗教とは、一切関係ありません。創価も、オカルト性の強い法華経信仰と
いう点で、危惧があります。

>>405
めぐみさんが、もう亡くなっているとは、あなたは北朝鮮の方ですか。

408:371
09/03/22 12:43:52 CNBDgluC
>>392
>魂(心)の成長は、誕生後の努力によって生じるものであり、前世の業果によって
生じるものではない。
誕生したときに、この子は魂(心)のレベルが高いとか低いとか、だれも思わない。
なぜなら比較の対象がないのだから・・

  、当たりまえだ。
私はそんなことは言ってはいない。あんたの思い込みだ。

>精神性を扱うときは、経験を比較し反省し、推理・推測・仮説で行う。
、関係ないことだな。

>しかし前世の業果については、前世の記憶がないのだから、何の手がかりもなく、
そもそも業果を論じる土台がない。
、前世の業果なんて扱えるわけないだろ? 
現実のなかで善行、悪行をする者がいるのは前果によるものだろうという推測だ。

409:393
09/03/22 12:55:45 +/AaSGzc
>>408
>現実のなかで善行、悪行をする者がいるのは前果によるもの
>だろうという推測だ。
 
前果によるものと、今生の業になるものとの区別は? 判断基準は?

410:408
09/03/22 18:23:24 k5ZCSNnw
>>409
あんた、あたまよくないね。他の人から聞いてみたら・・


411:宝珠愚者
09/03/22 18:32:50 keW+4urv
>>396
 私も子供には宗教の植え付けには反対します。子供の精神はまだ未発達。神はいるとかいないとかも・・
自然な成長に任せて自分自身で考えさせるべきです。子供から質問を受けた場合には、正直な親の意見
は伝えてもいいとは思う。ただし、あくまでもそれについて自分で考えるようにさせ、押し付けは避けたい。

 尚、ゴータマが輪廻転生を説いたであろうことは、現存する経典からはほぼ間違いないものとして推測さ
れる。という歴史的な学問上の事実としては、子供たちに教えても当然のことです(定説として教えることは
問題ない)。ただし、自分が輪廻転生を理解でき、それを信じられるかどうかといったことは、また別問題で
す。

 ごっちゃ煮にするのは止めましょう!

412:宝珠愚者
09/03/22 18:35:19 keW+4urv
>>393>>409
 話としては簡単なことです。生まれの境涯は過去世(前世)からの業によるものです。尚、人生の中での
出来事の幾つかは前世の業の影響だろうと見なされますが、ただどれとどれが前世の業でどれがそうで
はないかなどは、我々、凡人には判別は困難であるし、その確認の術はない。
 かなり勘違いしている輩が多いようですが、悲惨な出来事の全てが前世の自己の行為による報いである
とは限らない(別の理由があると見なされる)。仏教は宿命決定論ではない。人生で遭遇する出来事に対す
る対処の在り方によって、前途の道は多様であり、大きく開かれる。ただし、物事を判断する上での人の趣
向性(癖)のようなものは、ある程度、前世の影響が在るとは考えられる。 

 自業自得は一つの分りやすい典型的な仏教理論(業報輪廻)のパーターンなのです。誤解してはいけな
いのは、仏教には悲惨な状態にある者や出来事に遭遇して苦しんでいる人を嘲笑ったり、それを放置すべ
きだ、といった見解はない。
 慈悲(大乗的言葉ではあるが)と奉仕の精神は仏教者としてのあるべき基本中の基本です。

413:宝珠愚者
09/03/22 18:38:01 keW+4urv
>>400
>仏教をキリスト教で「汚染」することは、絶対に許されない。

 誰もキリスト教の話をしたいとは思っていません。あなたが勝手にそれを持ち上げてるだけです。仏教
理論は仏教のみで成立してる。輪廻転生は仏教理論です。キリスト教やイエスを持ち出す必要はありま
せん。いつも持ち出しているのはあなたなのです。

>イエスの言動の具体的批判は、クリスレを初め、このスレの前スレでも
>多数行っている。君のその「根拠の句」を挙げて御覧なさい。一発で論破可能である。
>

 あなたが勝手にイエス批判を展開したがってるのですから、その理由となる根拠はあなたが提示すべき
です。これはあなたの意見を聞いた人に求められれば、その論を展開しようとする側の者が応じる義務が
あります。聖書引用はあなたからどうぞ!わたしはその後で、その意見の反論としてすぐに提示します。

 できないとは言わせません(聖書ならどこにでもある)。
ネット検索して下さい。あるいは書店で聖書を開いてきて下さい。
 以上、お願いします!

414:393
09/03/22 19:40:09 Lw19BTx6
>>412 
>話としては簡単なことです。生まれの境涯は過去世(前世)からの業に
>よるものです。尚、人生の中での出来事の幾つかは前世の業の影響だろう
>と見なされますが、ただどれとどれが前世の業でどれがそうではないか
>などは、我々、凡人には判別は困難であるし、その確認の術はない。
 
宝珠さんは無意味なことを語っているように思う。
  
生まれの境涯とは具体的に何でしょうか。 障害・病気・家柄・・・
またその業果が、前世のものか現世のものかを区別できないのであれば、
前世の業果については沈黙すべきではないでしょうか。
それともその基準が古い経典に語られているとでも言うのでしょうか。

415:神も仏も名無しさん
09/03/22 20:24:51 3QYhmrH5
>>414
いずれにせよ、前世だの後世だのは、一切証明できないのだから、それらに
ついて仏典に何が書いてあろうと、いかに議論しようと、一切ナンセンスで
時間の無駄。単に、無視するだけでよく、また、無視すべきもの。2ch用語
で言えば、「仏典のスルー」であるw。

416:初代スレ7
09/03/22 20:38:34 IOBRQfyp
>>414
※ 〔 〕は引用者が挿入。

>>412には、

 > ただどれとどれが前世の業でどれがそうではないか
  〔→どの業が(どのような業が)、その果(この果)を生じさせたのか〕などは、
 > 我々、凡人には判別は困難であるし、その確認の術はない。
のに、
 > 生まれの境涯は過去世(前世)からの業によるものです。
 > 尚、人生の中での出来事の幾つかは前世の業の影響だろうと見なされます
と言い得るのはなぜか?

と、問いを重ねるべきです。

そしてそれは、
【詳細が不明であるのに(→その“関連”が不明であるのに)】、
【大枠を確定できる(→前世の業と今生の果を必然として結びつけて語れる)(→法則化できる)のはなぜか?】
ということです。(“カルマの法則”という言い方は良く目にしますし、宝珠氏自身も何度か使っていたと思います。)

勿論、
詳細は不明でも、(たとえ大枠としてで(しかなくと)も)『前世の業が、その果(この果)を生じさせている』ということは、
『【嘘をつかない】覚者がそのように言ったから』『そうであると信じる(よりほかない)』のだ、
とは言えます。
『覚者(解脱者)はその詳細を、その関連を知り得る』のだ、と。
『知り、見たからこそ、大枠としてのその法則を説いた』のだ、と。

417:神も仏も名無しさん
09/03/22 20:47:33 M9v1LUPQ
横レス失礼

佛教の立場は古代インド思想の輪廻思想を批判する立場にある。
古代インドの輪廻観は、死後人間が実的存在として何処か定まった場所で
何らかの形態を具して生まれ変るということである。

佛教はこの思想に対して、一体、死後に輪廻すると言われている実的存在は何であるか、
我であるのか、霊魂であるのか、と批判をしている。
仏陀は作用論者であり業論者であり、また精進論者であった。(アンダッタラ・ニカーヤ、一巻 P287)
業論とは、行為についての作用性を基礎的原理としているもの。
この佛教内に限定された作用は古代インドにおける宇宙的シャクティの分割である。
業は宇宙的シャクティの人間における分割動作であった。動きを本質とする根源力(シャクティ)の上に人間的行為がある。
それゆえに、行為もまた、作用であり精進を促進するものである。

一切は動かない物体でなくして、絶えず動きにおいて存在する。
一切は常住の物体ではなく常ならざる無常であり、動的、流転的なのだ。
これは、ギリシャのヘラクリトスの言うパンタ・レイ(万物流転する)に同じ発想だ。

万物と同じく、人間の生命もまた永遠に流れ、そして動く。
輪廻の原語サムサーラは「動く」「流れる」を原意としている概念である。

佛教は輪廻を生命の無限性のシンボルと捉え、内的、心理的に意識の奥において捉えた。
心は刹那的であり、もっとも動き易いものとして考えられていた。
輪廻論もまた、生命の動きである限り、動きを本質とする心の次元で捉えている。これは佛教の合理性を示すものに他ならない。

418:神も仏も名無しさん
09/03/22 20:52:08 3QYhmrH5
>>416
その前提として、まず、前世・来世の存在の科学的証明が必要。証明できなければ、
議論は無意味・時間の無駄。

419:神も仏も名無しさん
09/03/22 21:04:40 M9v1LUPQ
佛教は帰納的思考方法であり科学は演繹法であって、
それを科学的根拠ウンヌンは如何なものであろうか?

物事を捉える視点・角度がまったく異なるものなのである。

420:神も仏も名無しさん
09/03/22 21:09:07 3QYhmrH5
>>419
>佛教は帰納的思考方法であり科学は演繹法であって

それは逆だろ。仏教のどこが帰納的?

宗教は、「科学が存在しなかった時代の、古代人の妄想」。

現代とは、時代が大違い。時代錯誤は、いい加減でやめるべき。

421:宝珠愚者
09/03/22 21:10:34 keW+4urv
>>414
基準?意味不明ですね・・。

生まれの境涯といったら、「境涯」ですよ。
それは前世に規定する業がなければ、決定のしようがない。
当たり前の話です。

これが認められない人は仏教に信奉しなければいい。

>>415>>418
それは、
あなたは科学者が証明してから受け入れればいいだけの話です。
何も無理して仏教の信をおく必要はない。

>>416
7さんは仏典の何を読んできたのか?
不満なら信奉するでない!

422:神も仏も名無しさん
09/03/22 21:20:08 3QYhmrH5
>>421
>あなたは科学者が証明してから受け入れればいいだけの話です。

証明できると本気で思っているの?科学の分野では、毎年、新しい発見が
続々となされているが、神や霊や前世・来世の証明は、数千年間、皆無。
あと何千年かかる?

君は、オカルト本の読みすぎ。まともな人たちは、オカルト本など
問題にしていないのだよ。読書傾向偏り過ぎ。他には、一体、どんな
本を読んでるのかね。漫画かw。

423:神も仏も名無しさん
09/03/22 21:33:48 M9v1LUPQ
>>419
訂正
佛教は帰納的思考方法であり科学は演繹法であって

佛教は演繹的思考方法であり科学は帰納法であって

>>420↑orz


424:神も仏も名無しさん
09/03/22 21:35:34 l2NEvGrU
唯物論者は、自分の立場が揺らぐが故に、宗教・オカルト・トンデモ・疑似科学・ニューサイエンス・生気論に過剰に反応する傾向にある。=ドーキンス

425:神も仏も名無しさん
09/03/22 21:54:40 3QYhmrH5
>>423
その誤りを指摘したのは私だが、しかし、宗教の中で、仏教だけは、
帰納的思考も充分に持っている。

釈迦による「五感」や「空」の発見は、現実界の徹底的観察とそれから
の帰納がなければ、ありえなかったと思う。「四苦」も、城門を出た釈
迦の、苦しむ人々の姿からの帰納であったのだろう。

色即是空、空即是色も、やはり、現実界の徹底的観察からの帰納だと
思うね。単に引き篭もって瞑想しているだけでは、絶対に到達できない
思想である。

仏教の帰納的思考性も、大いに指摘して、論じて欲しいね。そもそも、
仏陀が形而上を否定したのも、演繹的思考の否定なのだから。釈迦の
比類の無い偉大さは、むしろその点にあるのだと思う。イエスとは異
なり、仏陀は「妄想患者」ではなかった。

426:神も仏も名無しさん
09/03/22 22:01:07 3QYhmrH5
>>424
「実在」のみを信じる「唯物論者」は、「立場が揺らぐ」ことなど
絶対にない。「実在」は揺らがない。

ドーキンスは、近著「神は妄想である」の著者で、無神論者。

427:初代スレ7
09/03/22 22:02:35 IOBRQfyp
>>421
貴方こそ、「如実に見る」という冷酷さに耐えられないなら仏教から離れなさいw
「“連続殺人犯の自殺(という死)と消防士の殉職(という死)”とが等価であってはならない」
スレリンク(psy板:20番)
スレリンク(psy板:37番)
などと、甘ったるいセンチメンタリズムに酔っている者に仏教は向かない。





って、これは流石に勇み足&暴論か・・・www  少し反省・・w m(_ _)m

428:宝珠愚者
09/03/22 22:07:57 keW+4urv
>>420
>宗教は、「科学が存在しなかった時代の、古代人の妄想」。
>現代とは、時代が大違い。時代錯誤は、いい加減でやめるべき。

まず、あなたがすべきことは、
輪廻転生の是非ではなく、そもそも「宗教の是非」について問うことです。
どうぞそれは他スレ行きです!(タイトル的には例えば、こんなスレでしょうか)

宗教を信じる人と信じない人の差
 スレリンク(psy板)
全能の神なんて存在できないpart5
 スレリンク(psy板)
☆神仏なんているわけないだろ!バ~カ?☆
 スレリンク(psy板)
神なんて存在しないよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
 スレリンク(psy板)
「神などいない!」発言について
 スレリンク(psy板)
大の大人が未だに神様信じてるとか(笑)
 スレリンク(psy板)
科学を否定する宗教の信者はうざい Part007
 スレリンク(psy板)

429:神も仏も名無しさん
09/03/22 22:10:11 gUdqN87j
hhh


430:神も仏も名無しさん
09/03/22 22:11:40 gUdqN87j
悟ってるけど、なんか質問ある?

431:宝珠愚者
09/03/22 22:22:42 keW+4urv
>>427
>って、これは流石に勇み足&暴論か・・・www  少し反省・・w m(_ _)m

まっ、自分の信念に基いて大いに主張すること自体は何ら問題ない。

 私は、ここに投稿してる唯物論者と宗教否定者も、宗教グループがなしてきた血の歴史の事実に対す
る嫌悪感と怒りからくる正義感で主張してるものと受け止めている。それ自体については同意するが、宗
教そのものの迷信論には同意しない。それは料理包丁で怪我をしたから、「包丁を無くせ」と主張してる
に等しい暴論だからです。包丁についての理解がない人には納得できないようです。

>などと、甘ったるいセンチメンタリズムに酔っている者に仏教は向かない。

しかし、7さんの主張を裏付ける内容(仏典の根拠)は乏しいのでは?

432:宝珠愚者
09/03/22 22:25:48 keW+4urv
>>422
>証明できると本気で思っているの?

 魂(soul)や霊(spirit)そのものは科学装置では検出できないでしょうが、しかし、その存在を間接的に
証明することならば可能です。まだ50年~か80年~くらいは掛かるでしょう。その前に、まずはエーテル
質料の検知です。すでにその理論と前段階的な実験としては成功している。ライヒによるオルゴンエネル
ギーはその前駆段階です。あと30年くらいもすれば、科学者によって再確認されるでしょう。
 これがアカデミーの公認となれば、それまでオカルトや迷信扱いであった心霊現象と超常現象の数々、
インド宗教が説くチャクラなどの理解に繋がる。
 転生についての科学的研究も一部では続けられている。

URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E7%89%A9%E7%90%86)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%92


>君は、オカルト本の読みすぎ。まともな人たちは、オカルト本など問題にしていないのだよ。
>読書傾向偏り過ぎ。他には、一体、どんな本を読んでるのかね。漫画かw。

私が読んできた宗教/オカルト関係書籍は200冊を悠に超える。
その他のクダラン書物には興味などないわ。
自己の探求、真我の実現、解脱・・これ以上に価値、在るものがどこにあるのか!!

とはいえ・・娯楽漫画も嫌いではない。
『北斗の拳』『孔雀王』に、温泉巡りのための地域観光の月刊誌ですw

433:初代スレ7
09/03/22 22:30:49 IOBRQfyp
>>431
> しかし、7さんの主張を裏付ける内容(仏典の根拠)は乏しいのでは?

どれを指してるの? >>主張

434:宝珠愚者
09/03/22 22:43:42 keW+4urv
7さんが転生を信じないのも自由。
あるかもしれないが科学的には証明されてないという意見も自由です。
業報思想は差別的で良くないというのも自由です(こいつは私は大誤解だと思いますが!)

しかし、7さんの主張見解が仏教的に正しいものとする仏典中の根拠は何か?
その狭き部分だけ抜き出すのではなく、仏典記述の他の部分や、
仏教体系全体としての教えとの比較と整合性において、
それは7さんの考えを後押しする十分な根拠となりますか??


---という意味ですw

435:1/2 初代スレ7
09/03/23 00:11:52 S27gRXHQ
>>434
だから、どれ?w

それによって、
(私とて、膨大な仏典の極一部にしか触れていないので、学者さん達に比べたらはるかに経証としては弱いだろうがw)、
或るものは仏典にその根拠を探せるだろうし、
或るものは記述からの推論となるだろうし、
或るものは記述の比較検討による推定となるだろうし、
或るものは各記述を総合し俯瞰した所からの推論となるだろう。
また或るものは、自身の経験・知識からの敷衍&記述との擦り合わせのこともあろう。
記述外の事案もあろうが、それも記述の援用をしているつもりだ。
また、当然、それらの推論のうちには記述からの逸脱もある。(このスレでの議論の多くは、そうなっているだろう。)

また、仏典の成立史や、各地域での受容のされ方・変容の仕方、歴史的推移、
社会の中でどのように受けとめられてきたのか、等への視線にも気をつけたいと思っている。
それを考慮した時、「(解釈を除いた・字句通りの)仏典の記述」の根拠としての力は弱まらざるを得ない。

>仏教体系全体としての教えとの比較と整合性において
>後押しする十分な根拠となりますか??
(「そのようにして、今現在、私個人が受け止めている、仏教(についての考え方)」について)、
今のところ大きな反証が無い、という消極的な形でならねw

436:2/2 初代スレ7
09/03/23 00:13:39 S27gRXHQ
>>434
(Part12にもなるがw)このスレに於いて、私のレスに仏典の引用が少ないことにお気づきだろうか。
どこか一ヶ所(或いは数ヶ所)を根拠にするのでなく、
これまでに、触れ、受けとめてきた各記述を総合した上で言葉を紡いでいるからだ。
もう随分長いこと自分の中で熟成され、整理されたものになってきていると言えるのかもしれない・・。
(勿論、未消化未整理な部分もある。棚上げしてきたものもある。
 輪廻や、三世に跨る業報を巡る考察もその一つだ。だから、このスレに関わってきた。)
だから、(具体的言表について根拠の提示を求められたとしても)、
内様によっては顕著な記述を探すことは可能だと思うが、
どれか一ヶ所(或いは数ヶ所)を選び出すのは(少ないサンプルながらもw)骨が折れるw
(そこまで記憶力良くないしwww)

慎重に言葉を選んだので、時間もかかった、随分と言い訳染みたレスになったが、
いずれにしろ、金口の説法に遡れない以上、
誰もが、大なり小なり推論に拠らざるを得ないことに変わりはないと思っている。
これを越えるのは、(名無しさんが何度か書き込んでいるが)『追体験』しかない。
その意味では、自分の意見の妥当性を言うことはできても「(絶対的に)正しい」と言うことはできない。
(だから、貴方に対しても「~ではないか?」「~ではないのか?」「だろう」というレスが多くなる。
 断定口調をとらないわけではないが、それは「絶対的正しさ」ではなく「確からしさ或いは妥当性」に於いて
 そのように言い切っても良いだろうという判断からだ。)

ただ、少なくとも、これまでに触れてきた仏典の記述に依拠しているという自負はあるつもりだ。



てか、100%言い訳だな、こりゃwww

おやすみ ノシ

437:神も仏も名無しさん
09/03/23 04:14:01 QP+PSHjN



■ 【世界平和を一度も実現できない一神教の神】  ■

 
         ..◇・。..☆*。
   ゜゜・*:..。.。★◎@ ○☆。..:*・゜
 ゜゜・*:..。.。◇@☆*・゜★。。.:*・☆*・。..:*
  
            人            
     人    (__)
    (__) ∨ (__)               ゜゜・*:..。.。◇@☆
     ( ・ⅴ・) ▼ (・∀・ ,,) < 平和ってありがたいね  中東も平和にしてください!☆★
  ┃ (   つ ┻ と    ) ┃      全知全能のか・み・さ・ま・・・w
  ┗┳ヽ__)_)  (_(__ノ┳┛            やっぱり、祈っても無駄かw・・・ 効果ないし~w
''''''''''' ┻''''''''''''''''''''''''''''''' ┻ '''''''''''''''''           マザーもそれでずーっと悩んでいたからね☆★

 ..◇・。..☆*。

■ URLリンク(video.google.com)




438:宝珠愚者
09/03/23 05:52:02 VHKXvynE
>>435
>だから、どれ?w

う~ん???

>「“連続殺人犯の自殺(という死)と消防士の殉職(という死)”とが等価であってはならない」
>などと、甘ったるいセンチメンタリズムに酔っている者に仏教は向かない。 >>427
といった7さんの姿勢についてなどです。

 私はこの双方の異なる行為の死は、来世に異なる果報が当人に(来世において)課されるということ
を仏典の記述は教えているとして、それらの経文を根拠として提示してきました。それは仏教全体の理
念とも何ら矛盾しません。
 もし、7さんがそうではないとするのならば、それを後押しする仏典の記述とはどれなのか?それは仏
教全体の理念とも整合性はとれるのか?という意味です。

 ま~私も、原始仏典の教えの世界を現代社会に適応するにあたってどうあるべきか?という議論は、
とても有意義だと見なしているので(逆にいえばそのままでは疑問附)、今後はこのスレでは、そんな意
見も投稿されるようになってくれば理想的だと思っています。

 ~という意味においては、7さんがこの前上げてくれたウェブサイト(業報の現代社会の説き方につい
て)の内容などは確かに必要課題でしょう。
 これについて目を通し終えたら、私から何かこれらの内容に対しての意見を投稿したいと思います。
是非、業報思想の問題点と現代社会における適切な説き方、といったことについて、7さん及び皆さんか
らのご意見を頂戴したいと思います。

>>436
>どれか一ヶ所(或いは数ヶ所)を選び出すのは(少ないサンプルながらもw)骨が折れるw
>てか、100%言い訳だな、こりゃwww

 それは分りますが・・でも必要な作業です。この私もこのスレが立つまでは、この10年間というもの・・仏
典をこんなに読み返したり、引用部分を探し回ったりしたことはないw
---まっ、私には相手に強要しようとする意図はありませんけど!

439:宝珠愚者
09/03/23 06:06:46 VHKXvynE
>>437
 一神教だから~という問題ではない。全知全能なる神というものはいないし、神が世界を平和にしてく
れるということもない。世界平和は我々、人間によって成し遂げるべき課題です。これは(神への)祈りに
よっては達成されない。あくまでも実際的な平和へ向けた行動によって初めて変化が起こるのです。
 私は、宗教者たちの神への祈りの行為を無駄とは見なさないが、彼らはあまりに過剰に礼拝行為にエ
ネルギーを費やしており、非常に勿体無いことだと思う。真実の聖なる存在は人々の崇拝など求めない。
 仏教信者らの仏像への崇拝もあまりに過剰であり、エネルギーの無駄を生じている。そんなことをゴータ
マはいつ教えたか??

440:承狂 ◆nR84EH8w52
09/03/23 06:32:31 Hkq9jTDS
(^。^;)まだやってたのか、このスレ。(笑)

お前ら、中論読め。
答えは明確に記されているぞ。

441:宝珠愚者
09/03/23 06:47:53 VHKXvynE
>>440
私は、中論を悪くいうつもりはない・・。
しかし、原始仏典を在りのままに読んでいれば、別に必要な書物だとは思わないが。
---失礼

442:神も仏も名無しさん
09/03/23 08:51:53 xjrCfbF8
>>441
原始仏典には、「空」について、どれほどの理論が展開されているのかね。

443:神も仏も名無しさん
09/03/23 08:56:14 qvOFjJ86
>>437
【神話】ツァイトガイスト Zeitgeist【陰謀】
スレリンク(psy板)l50
こちらでどうぞ。

444:神も仏も名無しさん
09/03/23 09:27:21 XCkR8otz
>>441
私は、原始仏典を悪くいうつもりはない・・。
しかし、現象を在りのままに見ていれば、別に必要な書物だとは思わないが。
--失礼

>>442
中論にはどれほどの理論が展開されているのかね。縁起による現象は相であって
実体的存在とはいえないということが提示されているだけではないのかね。

445:宝珠愚者
09/03/23 10:00:08 VHKXvynE
>>スレ11/643-644
URLリンク(mimizun.com)

 これは内容と文脈から推察して、『トンデモ超常現象99の真相』(と学会著/洋泉社刊P302)から纏め上
げたものと推察します。実はこの私も、と学会のトンデモシリーズ本は大好きであり、オカルトについては
大いに参照させて頂くことがあるのですが、しかし残念ながら、シリーズ本の『--99の真相』に限っては、
決め付けと判断ミスが多く散見されるので、かなりガッカリしています(それを逐一、ここで指摘する気はあ
りませんが・・)。

 まず、あなたは英国心霊研究協会(SPR)が、例の“ホジソン報告”の件について、とっくに謝罪を済ませ
ていたという事実をご存知でしたか?


 やっとホジソン報告といったブラヴァツキー批判に対する私からの返答がここに纏まりました。これはあ
なたが納得できるような内容とはいえないかもしれませんが、これが今の私にできる最大限の情報の提
供です。
 ここにあるものは、ネット初公開となる文章ばかりであろうとこの私が自負するものです。ブラヴァツキー
信頼の回復に僅かでも貢献できるよう、私からネット利用者に心から捧げます。
 引用転載量が多いのでヴェブページを作成しました。是非、参考にして下さい!


*『ブラヴァツキー懐疑批判に異をとなえる』
URLリンク(houjugusya.web.fc2.com)

446:神も仏も名無しさん
09/03/23 10:37:11 ARO3gblE
>>439
まったく同意見でしたね。みごと

447:亭白
09/03/23 11:14:47 QsqlG6DD
>>430 神も仏も名無しさん
悟ってるけど、なんか質問ある?

@どのような悟りをお持ちですか?
 [あなた様の悟りとは何でしょうか?]

448:神も仏も名無しさん
09/03/23 22:38:56 5umqnIql
>>439
>一神教だから~という問題ではない。

一神教に、大殺戮や争いが最も多いという「事実」から眼を背けずに、その
原因を分析・解明して、除去することが、現代の宗教者の最大の義務ではない
のか。

中村元博士でさえも、一神教を極めて激しい言葉で非難している。

449:神も仏も名無しさん
09/03/23 22:57:07 XCkR8otz
激しく非難するのが当然だとでもいいたいのかね。
やっぱり宗教に凝り固まってるやつらはみんな一緒だな。
キリスト教徒だろうと仏教徒だろうと。狂信者乙。

450:神も仏も名無しさん
09/03/23 23:03:09 49wAedmg
除去することや、非難することは結構、簡単なんだよ~ん。


451:神も仏も名無しさん
09/03/23 23:03:09 ZgXOfD9L
と、激しく非難する人がいる。

452:神も仏も名無しさん
09/03/23 23:09:02 ZgXOfD9L
まあ百億回非難されたところで罪が消えるわけじゃ無いんだが。

453:神も仏も名無しさん
09/03/23 23:10:10 49wAedmg
空だな。

454:神も仏も名無しさん
09/03/23 23:12:01 ZgXOfD9L
そう。罪は空であるから、消えないのよーん。
罪を犯したら自分で償ってね

455:神も仏も名無しさん
09/03/23 23:15:07 5umqnIql
>>452
感情的な非難ではなく、現代人の知識と理性による、一神教の弊害の原
因の「原理的」分析と解明が必要。

456:神も仏も名無しさん
09/03/23 23:17:57 ZgXOfD9L
犯罪を裁くには、自分の感情をいれずに、被害者の感情を考慮に入れるのよ。
人を物としてみるのは、イカレタ共産主愚者だけで十分。

457:神も仏も名無しさん
09/03/23 23:20:46 49wAedmg
手に釘が刺さったキチガイ像を
ニヤついた仏像に置き換えることだな。



458:神も仏も名無しさん
09/03/23 23:23:29 ZgXOfD9L
金正日のほうがええんでないかい?

459:神も仏も名無しさん
09/03/23 23:34:56 49wAedmg
十字架の裸の将軍様、笑うわ。

460:神も仏も名無しさん
09/03/23 23:36:44 ZgXOfD9L
ひょうきん族の懺悔室思い出すよな。

461:神も仏も名無しさん
09/03/23 23:40:54 49wAedmg
なつかしいな、西川のりおのオバQの懺悔とか

462:宝珠愚者
09/03/24 06:52:31 SE+sEPg9
>448
>中村元博士でさえも、一神教を極めて激しい言葉で非難している。

なるほど確かに、歴史的には結果としてはそうかもしれない。
しかし、私は戦争は人間が勝手に行うという見方をします。
宗教が勝手にしてるわけではなく、また基本的に殺人を進める教えはないのでは?

では是非、その中村氏の言葉を引用紹介して下さい!
どの著作で何と??


参考ページ:
 「一神教は争いを引き起こす」という言説について
 URLリンク(d.hatena.ne.jp)
 ・肯定する意見と否定する意見の双方を上げて比較、検討している。

463:神も仏も名無しさん
09/03/24 16:11:40 +vJqGDb0
>>462
>しかし、私は戦争は人間が勝手に行うという見方をします。
>宗教が勝手にしてるわけではなく、また基本的に殺人を進める教えはないの
>では?

そうやって、自分の宗教や教祖は一切批判できず、すべての責任を「人間」に
押し付けるのが、まさに戦争の原因なのだよ。

特定の教義の言葉ではなく、その宗教の思想全体の問題。「きれいごと」は、
いくらでも言えるのである。

「隣人を愛せよ」「敵を愛せよ」と教えるキリスト教が、史上そして現在も、
最も多くの人間を、最も残酷な方法で殺しているのは何故かね。

要するに、「善悪・清濁併せ持つ、あるがままの人間に対する愛の欠如」が
原因なのである。

464:神も仏も名無しさん
09/03/24 16:29:10 f6znZniK
>>463
そうやって、自分自身やニーチェを批判できず、すべての責任をキリスト教やユダヤ教などに
押しつけるのが、まさにナチスによるホロコーストの原因なのだよ。

465:神も仏も名無しさん
09/03/24 16:41:23 +vJqGDb0
>>464
ホロコースは、キリスト教の仕業というのが、ユダヤ人の常識的理解。
ホロコーストのプログラムは、ルターが殆どそのまま既に提案している。

ニーチェは、生物的生存本能については思考の基盤としているが、「共同体
形成・維持本能」については、充分に思い至っていない。それが彼の限界で
ある。

466:も
09/03/24 16:57:56 M+onZrCm
インキョラー以外に神は無し!
インキョラー以外の真理無し!
本能共同体は真理である。


467:神も仏も名無しさん
09/03/24 17:17:08 f6znZniK
>>465
ニーチェの生物的生存本能を基盤にした考え方自体が、
ナチスによってホロコーストにつながる思想として利用されたというのが常識的理解。
そこの部分を批判できない点は、キリスト教徒の頑迷さと全く同一であることを理解されたし。

468:神も仏も名無しさん
09/03/24 17:57:35 +vJqGDb0
>>467
ヒットラーはキリスト教徒。一旦、イエスの思想で犯されると、ニーチェを
本当に理解することは絶対に不可能。

469:宝珠愚者
09/03/24 18:34:15 SE+sEPg9
>>463
 宗教戦争や殺戮の酷さは意味は分る。それが一神教に顕著というご指摘も分る。しかし、どうも府に
落ちない・・あなたの主張は不可解な見解に見えます。

>そうやって、自分の宗教や教祖は一切批判できず、すべての責任を「人間」に
>「隣人を愛せよ」「敵を愛せよ」と教えるキリスト教が、史上そして現在も、
>最も多くの人間を、最も残酷な方法で殺しているのは何故かね。

 それを守らないのだから、ど~しようもないのでは?どんな教えでも、守ってないのでは同じでしょう!
いくら、「私は仏教信奉してます。教えはよく知ってます」といったところで、それを守らないのでは、やは
り殺戮も起こりかねないわけでしょう!どう-違いますか?

>要するに、「善悪・清濁併せ持つ、あるがままの人間に対する愛の欠如」が原因なのである。

 ま~それと近い意見だけれども・・インド宗教の基本--「ナマスカラナ」といって相手に合掌して拝み挨拶
する精神。つまり、どんな人間も神聖な---神と同一不可分の---性質を内在しており、見た目というのは
仮の一時の姿に過ぎない・・という思想。その内在する神に畏怖と尊崇の念を抱くことで、これが相手を尊
重する姿勢と態度に繋がる。この精神があれば、殺戮などは決して怒り得ないのではありませんか?

 仏教にも大乗的には仏性という概念がある。イエスも内在のキリスト意識という同様の概念を教えていた
が、教会の教義からは削除されてしまったのです。誰でも、キリストのごとく成れる可能性という思想は抹殺
された。これが、平気で相手の命も奪う行動も起こしやすくするのだろうと思う。

470:宝珠愚者
09/03/24 18:35:37 SE+sEPg9
>>463
>そうやって、自分の宗教や教祖は一切批判できず、

 とにかくあなたは「イエス」と「キリスト教」を混同し、それを同一視する癖は止めたほうがいい。
それは、自ら無知を露呈して晒す行為です。
 で、例の聖句を引用してもらえます!>>413

>>389
>イエスの言葉は、常に、「自分の気に入らない人間に対する憎悪・非難・排斥とセットになっている。
>イエスは、神どころか、人間としても最低の部類に属する。

 そのイエスが気に入らない人間には憎悪・非難・排斥しているという、人間としても最低というその
部分を聖書から示して下さい。確認したいので、それは何書で何章何節なのか? 

 どうかその根拠を提示してください。宜しくお願いします!

471:神も仏も名無しさん
09/03/24 18:58:52 f6znZniK
>>468
ヒトラーはニーチェの教えを正しく理解できていないといいたいようだが、
イエスのおしえを正しく理解できていないだけだというキリスト教徒と
キミは一体どう違うのかね?

472:神も仏も名無しさん
09/03/24 20:48:24 YIunLtFu
ニーチェ川柳

旅の途中
ちょっとニーチェで
雨宿り


473:神も仏も名無しさん
09/03/24 20:50:07 04Sy1aF9
また、クリスチャンが湧いてきたな。仏教スレなのに、クリスチャンが一杯
群がってくることの不思議。

>>469
>教会の教義からは削除されてしまったのです

教会の教義から削除されたものを云々しても無意味。削除した者もイエスを
信じていた者だ。従って、削除そのものが、イエスの「教え」の結果である。

>>470
> そのイエスが気に入らない人間には憎悪・非難・排斥しているという、
>人間としても最低というその部分を聖書から示して下さい。確認したいので、
>それは何書で何章何節なのか?

これまでたびたび批判している。言うなれば、イエスの言葉の「すべて」だ。
前レスを参照されたし。

代表的なものを一つだけ上げれば、マタイ10:34以下だ。君は読んでいない
のかね。

それよりも、仏教者を自称する君が、何故イエス批判がそれほど気になるのか
を説明してくれ。

>>471
まず、ニーチェは無神論者・無宗教者だから、「教え」などとは言わない。

ヒットラーがニーチェを理解しているわけではなかったことは、ニーチェに
関する研究書を読んでくれ。

クリスチャンのヒットラーがニーチェを理解できないことは、君たちがニーチェ
を理解できないのと同様。

474:神も仏も名無しさん
09/03/24 21:00:03 04Sy1aF9
>>471
ホロコーストがキリスト教由来であることは、ルターの小論文を読めば
自明のことだ。

475:神も仏も名無しさん
09/03/24 21:24:35 YIunLtFu
子供っぽいヒトラーが、ニーチェの年寄りじみた文章を読んでたら、眠たくなるやろね。

476:宝珠愚者
09/03/24 22:28:36 SE+sEPg9
>473
>代表的なものを一つだけ上げれば、マタイ10:34以下だ。君は読んでいないのかね。

で、この句をあなたはどう受けとめたのです?
具体的には、これをどういう意味と解するからこの言葉がダメだと?
それに応じて私も返答します。

>それよりも、仏教者を自称する君が、何故イエス批判がそれほど気になるのかを説明してくれ。

どうにも府に落ちない(あなたの話に説得力が感じられない)のは、
何か、料理中に包丁で指を切ったから「包丁を無くせ」とか、
自動車事故で死亡者が出るからと車の「発明者を」責めてるかのように聞こえてくるからですよ。

477:神も仏も名無しさん
09/03/24 22:55:02 wRtq7tX1
地球上に戦争があるのはそれを好む人間がまだいるということですよ。
人を殺してもどうにも思わない者がいるんです。
銃を持つということが、何をしているかということが分らないでいるのです。
身近には、人を傷つけるということの意味が十分に分かっていないんです。

幸福とはどういうものかが分らないんです。

478:神も仏も名無しさん
09/03/24 23:05:35 WokO/DFZ
>>469
>イエスも内在のキリスト意識という同様の概念を教えていた

出典は何でしょうか。

479:神も仏も名無しさん
09/03/24 23:12:41 f6znZniK
>>473
> まず、ニーチェは無神論者・無宗教者だから、「教え」などとは言わない。

教えといおうが哲学と言おうが思想と言おうが言葉の問題にすぎないことを認識すべき。

> ヒットラーがニーチェを理解しているわけではなかったことは、ニーチェに
> 関する研究書を読んでくれ。

別に知っているし、ヒトラーがニーチェを理解していない事について異を唱えてなどいないわけだが。
あまりトンチンカンなことを書かれても困る。

> クリスチャンのヒットラーがニーチェを理解できないことは、君たちがニーチェ
> を理解できないのと同様。

勘違いしているようだが、私はニーチェを理解していないわけではないのだよ。
ツァラトストラなども読んでいるしね。
人のことに話題を振って誤魔化すのではなく、
キミ自身がニーチェの生物的生命を基盤とする思想領域に関して持ち上げるしかできない事自体が
クリ共と同じだということを認識してはどうなのかね。

480:神も仏も名無しさん
09/03/24 23:14:45 f6znZniK
>>474
どうでもいいな。そんなことは。キリスト教起源の部分があろうとなかろうと、
ニーチェの思想をナチスが利用していたという事実とはなぁ~~~んの関係もない。
私はキリスト教など別に擁護する気もないのだよ。
ただキミが頑迷なるキリスト教徒と同じだと言いたいだけでね。

481:神も仏も名無しさん
09/03/24 23:15:36 FxuioZdC
>>476
>料理中に包丁で指を切ったから「包丁を無くせ」とか、
>自動車事故で死亡者が出るからと車の「発明者を」責めてるかのよう
>に聞こえてくるからですよ。

全く分っていない。包丁や自動車は、「人間の生存」のために、必要・
有用だが、宗教はそうではない。

482:神も仏も名無しさん
09/03/24 23:17:57 f6znZniK
>>481
同様に哲学も必要ないな。

483:神も仏も名無しさん
09/03/24 23:18:20 WokO/DFZ
>教会の教義からは削除されてしまったのです。誰でも、キリストのごとく成れる可能性という思想は抹殺された。

なぜ初期の教会に、イエスへの悪意を抱かせたがるのか、理解に苦しみます。
教えの内容に都合の悪いところがあったとして、あなたは
「ブラヴァツキー夫人」や「ババジ」の教えを曲げるんですか?
教会の人達にとってイエスがどういう存在か考えることはないのですか?

484:宝珠愚者
09/03/24 23:26:15 SE+sEPg9
>>483
うん?私にいってるの?
何をいいたいのか?さっぱり意味不明なのですが・・。

私が、イエスへの悪意を抱かせたがってると??

485:神も仏も名無しさん
09/03/24 23:33:12 YIunLtFu
>>481
免許もってません。私は生存できないでしょうか?

486:宝珠愚者
09/03/24 23:42:08 SE+sEPg9
>>483
 あ~わかった!教会が本来のイエスの教えに反したドグマを形成していったとする私の意見が気に入
らないのですね?あなたはクリスチャンなのかな?
 何も私が勝手に捻じ曲げてるのではなく、教会がイエスを教えを捻じ曲げたのですよ。その上で更に馬
鹿なことばかりしてきたから、キリスト教に憎悪を抱いて、更にそれをイエスと重ねてしまって見てる者が
続出するのです。まっ無理もない・・。

>>478も含め、明日以降にしましょう!
 スレ違いにならない程度で簡単に説明します。

487:神も仏も名無しさん
09/03/24 23:42:43 FxuioZdC
>>485
自動車は、生存に「有用」なだけだから、免許が無くても生存はできる。

しかし、人間に包丁(物を切る道具)がなかったら、恐らく生存は出来なかっ
ただろう。人間は、他の動物のような鋭い歯や牙を持たない。

488:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:01:27 YIunLtFu
>>487
なぜ、「恐らく」って言ってるんですか?
なぜ、「だろう」という表現を使ってるんですか?

包丁なくても生存します。

あんた、生きる気、あるんですか?

489:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:04:28 FxuioZdC
>>479
>キミ自身がニーチェの生物的生命を基盤とする思想領域に関して持ち上げる
>しかできない事自体がクリ共と同じだということを認識してはどうなのかね。

全くのピント外れ。

持ち上げるも何もない。そもそも、生物的生命がなければ、思想も宗教も初め
から発生しない。その「事実」を述べているだけ。

イエスは、そのすべての根源としての「生物的生命」に、全く思い至っていない。
ニーチェ以外の西洋観念論哲学者も同様。

490:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:10:09 IyqPYvdj
>>488
>包丁なくても生存します。

君は、野生の植物や動物を、君の歯で噛み切って処理し、食べられる
のかねw。



491:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:11:21 e8qMPIfH
>>490
食べたw
鶏の砂肝うまいで

492:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:14:29 IyqPYvdj
>>491
鶏を殺すのも、解体するのも、君の歯でやったのかねw。

493:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:17:17 e8qMPIfH
>>491
殺すのは首を捻れば簡単です。
それを熱湯に入れて、毛をむしります。
包丁使わんでも、コキッとモモ取れます。
やってみなさい。


494:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:23:28 F0N5Qy+j
なんとムダな会話なんでしょう

495:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:25:49 e8qMPIfH
すまんすまん、横スレで脱線した。
>>481
>全く分っていない。包丁や自動車は、「人間の生存」のために、必要・
>有用だが、宗教はそうではない。
宗教分かってるんなら、さっさと宝玉愚者を論破しちゃってね。

496:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:28:28 IyqPYvdj
>>493
最古の石器にも、かならず石包丁や石斧が見られるのは、やはり「物を
切る」ということが、生存に絶対必要だったからだろう。

君は、石器時代以前の人間w。

497:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:30:31 e8qMPIfH
>>496
包丁にこだわるんだね。
まぁ、よく切れるいい包丁買って、幸せな人生送ってね。

498:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:30:49 F0N5Qy+j
宗教やってる人は自分で結構まともだと思っているんですよ。
でもね、真実からは離れていることを知らない。

幻想というこの世にどっぷりと浸っていて気がつかないでいる。
一般人も同様です。

499:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:33:51 IyqPYvdj
>>494
>なんとムダな会話なんでしょう

ムダではない。原始時代の人間がどうやって生存に努めたかという原点
から出発することが、すべての思考の基盤。

500:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:35:53 F0N5Qy+j
>>449
それなら君は原始人か?

501:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:38:49 IyqPYvdj
>>495
>宗教分かってるんなら、さっさと宝玉愚者を論破しちゃってね。

生存から離れた観念の虜になっている者は、「観念の病」という病気
なのだから、説得は極めて難しい。妄想患者は、目の前に証拠を突き
付けられても、絶対に認めない。

502:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:44:38 e8qMPIfH
>>501
生存から離れた観念の虜って、君自身じゃないだろうね。
認めるんなら、まず、鶏の毛を毟るところからね。

503:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:48:11 ouM1kcWD
>>489
全くビントハズレなのはキミの方なのだよ。
その「事実」とやらに「感染」し、クリ攻撃に執着している姿は
まったくもって、ナチスとそっくりではないか。
そのことに思い至らない愚かさを理解されたし。

事実は事実でしかなく、そこに思想など存在しないのである。
事実を根拠に他者を否定だのなんだのを「しなければならない」だの
「するべきである」などと言い始めるのは事実の曲解、利用である。

中国やソ連などがどれだけ非道な大量虐殺をしたのか考えてみれば
物質性を重んじ精神性を軽んじる輩がどれだけ危険か理解できるはず。
それができないのは狂信的に唯物主義的な思想にかぶれている感染者だからである。

504:神も仏も名無しさん
09/03/25 00:49:41 ouM1kcWD
>>500
いや、凝り固まっていなければいいんじゃね?
ご隠居はちょっとヤバイだろ。JK。

505:キリスト教と輪廻
09/03/25 01:16:42 HR+wVNwx
人間学序説--輪廻思想を中心にして
(共同研究 綜合仏教研究所研究助成中間報告) / 輪廻思想研究会
大正大学綜合佛教研究所年報. (通号 19) [1997.03]

このような論文があって、輪廻思想をまじめに研究しようというものである
らしい。この中で、キリスト教神学者の野呂芳男が、輪廻転生を承認し、
それを組みこんだ神学を考えていることを知った。野呂氏の名は、ウェズ
レー研究者としては知っていたのだが、輪廻神学を構想していたとはうかつ
にも知らなかった。いうなれば野呂は輪廻転生・再生(リンカネーション)を
最後の審判すなわち最後の救済にいたるまでの期間、神のアガペーの
もとで不信仰者が信仰篤き者になるまでの、何度も何度も生じて滅する
神より課せられたトレーニングとして積極的に捉えるものである。つまり、
サムサーラとカルマは、神が万有を最終的に救済していくための訓練だと
いうのである。

シュタイナーはすでに100年前に、「キリスト精神と輪廻転生思想が結び
つくことが現代の霊的思想の課題だ」と語っていた。これまでの仏教や
インド思想の輪廻思想では足りないものがあり、また、これまでのキリスト教
にも足りないものがあるのだ。伝統的なインドの輪廻観は、非常に輪廻を
ネガティブに見る感覚が支配的であり、ひたすら輪廻からの解放を願う
というものであったらしい。輪廻転生を、「経験による成長のチャンスを神が
与えてくれたものだ」と積極的に捉えるという発想は近年になって急速に
拡大したものである。とりあえず、こうした輪廻観が、現代に出てくるいろいろ
な文献、情報においては支配的だというのは、何か深い意味がありそうだ
とは言えるだろう。

野呂氏の神学の話に戻るが、そこで「救済」というのはおそらく「永遠の生命を
得る」ことであろう。もっとも人間は最初から永遠の生命を持っているので、
それを自覚するということだろう、と私は思うが。しかし野呂氏はプロテスタント
系であるので、救済から一歩進んで「神化」を言うことまでは至っていない。

506:東方キリスト教
09/03/25 01:18:41 HR+wVNwx
神化とは、文字通り、人間が神と合一するという神秘のことである。このことは、
カトリック、プロテスタントなど西方ラテン世界のキリスト教では原則として
認められていないことだが(例外はいろいろある)、ギリシア語圏の東方キリスト
教(ビザンチンを中心とする)ではむしろ神学の基本テーマだったという。
私はその昔、ロースキーの名著『キリスト教東方の神秘思想』に衝撃を受けて、
おそらくあれほど何度も反復して読んだ思想書はほかにないだろう。実は、
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』とか、ああいう世界は東方キリスト教
のスピリチュアルな世界を土台にしている。

仏教とは、人間が仏になれるという思想である。つまり人間は神になるということ
である。「えっ、そうなの?」と思った人は、不幸にしてこれまでまともに仏教に
ついての教育を受けていなかったのだと思ったほうがいい。仏教は、人間が
仏になるということである。禅とか念仏、密教というのは、そのための方法論に
よって分かれているだけである。つまり、仏教とはいかにとんでもないことを
言っているのかということをもっと自覚した方がいいということである。そのための
「鏡」として、東方キリスト教について知ることは有益である。

悟りとは神化のことである。救済とは、永遠の生命を知ることである。神化とは、
さらに階段を上り、ついに神と合一するという神秘を達成することである。
さらに言えば、救済とは仏教でいえば「菩薩の初地」に該当する。つまりやっと
スタートラインに立ったという状態である。救済と神化とは無限に離れている。
その中間段階に菩薩や天使の階梯があるのだろう。このように、仏教とキリスト教
は、東方キリスト教という媒介項を入れると、統合されたヴィジョンが見えてくる。
もっとも、東方キリスト教についての認知度は低くて、超マイナーなマニアックな
分野だと思われているが。

507:輪廻
09/03/25 01:20:09 HR+wVNwx
輪廻ということは、ただちに、輪廻する主体は何か、死を超えて生きる魂という
ものがあるのか、という問いになる。仏教では輪廻主体の問題について、
無我説との葛藤から、唯識でのアラヤ識説が立てられた。この唯識思想が、
輪廻神学としては過去の思想の中でもっとも「真相に迫ったもの」ではないか
と私は判断している。ただ世界の生成をすべて個的なアラヤ識として立てること
には無理があると考えて、「集合的なアラヤ識」があること、つまり「世界霊」
というべき次元があることを考えた。世界霊というコンセプトそのものは
西洋古代哲学にあることである。私が思うのは、宇宙に存在するものには
すべてそれぞれのアラヤ識的な根源があるということである。その無数の
アラヤ識が多重に重畳し調和しているという、ライプニッツ的な宇宙調和を
思い描くことができる。

真の意味で、「近代の後に来る思想」とは、宇宙が神的根源に発し、宇宙と
人間が存在することは神的な目的に向けて方向づけられており、それは
最終的には「神化」、すなわち、ヨハネ福音書にあるような、万物が「すべてに
おいて一つ」となる栄光へと向けられている、というイデーに基づくべきである。

そのことを表現してきたことにおいて、キリスト教思想の偉大さを率直に認める
べきである。ただ、キリスト教には、魂の先在、そして神の摂理の一環として
輪廻転生があるということが、受け入れられていなかった。この点を補うべき
であると考える。

従って、現代の霊的思想は、その基本的な骨格は、新プラトン主義を内在
させたところのキリスト教思想においてできあがっており、それに輪廻転生
という重要なイデーを追加した形になっているわけである(キリスト教思想と
輪廻イデーとの結合は、100年前にシュタイナーが予言したところであることは、
すでに述べたが、実際にそのように動いているのである)。

508:神も仏も名無しさん
09/03/25 01:30:16 IyqPYvdj
>>503
>中国やソ連などがどれだけ非道な大量虐殺をしたのか考えてみれば
>物質性を重んじ精神性を軽んじる輩がどれだけ危険か理解できるはず。
>それができないのは狂信的に唯物主義的な思想にかぶれている感染者
>だからである。

それも全くのピント外れ。事実に反する。

マルクスは、ユダヤ教から改宗したクリスチャン。唯物論を自称するが、実は、
ヘーゲル直系のドイツ観念論哲学。現実にはありえない「共産主義ユートピア
(神の国)」の「観念」を信仰する宗教の一種。「擬似宗教」と呼ばれる。
他の宗教とは、「信じる神」が違うだけ。

彼の「宗教は阿片」は、お決まりの宗教間紛争。

ちなみに、「血の粛清」を行ったスターリンは、グルジアの神学校を卒業した、
キリスト教の聖職資格者。現在のアフリカでの大虐殺の主導者も、皆、キリスト教
のリーダー。

キリスト教だからこそ、良心の呵責なく、大量の人間を殺害することが可能になる。

無神論者(唯物論者)は、百人百様の観念としての神ではなく、被造物として
の全実在(すべての人間と自然)に最大の価値を認めるから、人を大量に虐殺
することは、「原理的に」不可能。

創造(全実在)を離れた精神性は、人間の狂気を招く。上記のように、大虐殺
はすべてキリスト教に起因しているという事実からも、そのことが如実に証明
されている。すべての原因は、イエスの「愛の思想」にある。



509:神も仏も名無しさん
09/03/25 01:38:53 IyqPYvdj
>>505
>>506
>>507

輪廻転生肯定論者が、仏教徒を騙るクリスチャンであることが、如実に
証明されている。

510:神も仏も名無しさん
09/03/25 02:01:40 IyqPYvdj
>>507
「最終的な人間の神化」などいまさら考えなくても、仏教では、「一切衆生
悉有仏性」と、とっくの昔に喝破している。

511:*
09/03/25 02:18:09 HR+wVNwx
ここへ来て、いわゆる「ポストモダン思想」といわれていたものが、本当の
意味で近代を乗り越える思想ではなかったことが、はっきりしてきてしまった。
ドゥルーズとか、デリダとかは、根本的にはニーチェの思想を超えていない
ように思う。つまり、何ら中心がないという意味でのニヒリズムから転じて生の
絶対的肯定へ至ろうという思想であるが、結局のところ、宇宙的な目的を
見失い、無制約的な自由をもてあましている近代人の枠組みを超えるもの
ではなかった。その象徴がドゥルーズの自殺である、と私は思っている。
自殺に終わる哲学は絶対に善いものではない。作品と生活を混同するな、
なんて陳腐な批判は受けつけない。それは、生の肯定に失敗した哲学だと
自ら宣言したところになるのであり、哲学者というものは絶対に自殺しては
いけない。自分を生み出したところの宇宙に対する深い感謝の念を持って
終わることができない哲学に、何の意味があろうか。ポストモダン思想とは、
つまるところモダン思想の中のバリエーションにすぎなかったのである。
近代というものの自明の前提となっていることがらをさらに問い直していく
必要がある。

ポストモダン思想を、ベルグソンなどと関連づけて、「生命の思想」として位置
づけようとする人もいるが、そもそも、宇宙根源や宇宙的目的というイデーを
喪失したまま、無目的な「生命」を持ち出したところで、それが解決となるの
であろうか。そこでさらに西田幾多郎を持ち上げたところで同じことである。
根本的に、存在はどこから発出し、どこへ向かうのかという目的論的構成を
見失ったままで、「生命」だけが一人歩きしてもしかたがない。「生きること」は
自己目的ではないのである。それはより高次の宇宙的目的に属するものとして
初めて成り立つのである。まだまだ、神と向き合うことを回避した思想が多い
ということである。

512:神も仏も名無しさん
09/03/25 02:31:22 ouM1kcWD
>>508
マルキストは唯物論者だよ。キミがどういう妄想を抱こうと勝手だがね。
そうでないなら、何故、共産圏で大規模粛正などということが起こるのかね?
これにまず答えてみたらドウカネ?

マルクスはキミが言っているように、唯物論を自称しているのだよ。
そもそも弁証法を用いているというだけで観念論だという証拠にはなるわけもない。

彼の「宗教は阿片」は、マルクスの宗教否定を端的に物語っている。

ちなみに、「血の粛清」を行ったスターリンは、グルジアの神学校を卒業した後、
マルクス主義に傾倒してキリスト教を激しく憎むようになった。
中国のチベットにおける蛮行も、共産主義の結果のひとつ。

無神論で物質主義者だからこそ、良心の呵責なく、大量の人間を殺害することが可能になる。

一神教は、百人百様の観念としての神ではなく、被造物として
の全実在(すべての人間と自然)に最大の価値を認めるから、人を大量に虐殺
することは、「原理的に」不可能。

創造(全実在)を離れた精神性は、人間の狂気を招く。上記のように、大虐殺
はすべて物質主義に起因しているという事実からも、そのことが如実に証明
されている。すべての原因は、ニーチェやマルクスの「物質主義性」にある。

513:神も仏も名無しさん
09/03/25 04:16:31 IyqPYvdj
>>512
>一神教は、百人百様の観念としての神ではなく、被造物として
>の全実在(すべての人間と自然)に最大の価値を認めるから、人を大量に
>虐殺することは、「原理的に」不可能。

これも全くピント外れ。創造とは全実在(人間と自然、物質)のことだよ。
イエスが価値を認めるのは、創造(被造物、物質)ではなく、専ら「精神性」。 従って、「創造(あるがままの全実在)に対する畏敬」は皆無
である。その創造を無視した精神性そが、本来、実在に100%依存して生存
するようにプログラムされている人間の精神を狂わせ、大殺戮をもたらし、
現在ももたらし続けているのである。

その点、ユダヤ教は、その長年にわたる迫害の経験から、かなり目覚めてきた
ようだ。ユダヤ教徒であり、当代切っての哲学者であるレヴィナスは、神と
は何かについて考えあぐんだ末、「神とは全実在」「その意味で、一神教は
無神論」という結論に達せざるを得なかった。

514:神も仏も名無しさん
09/03/25 05:54:52 ouM1kcWD
>>513
これも全くピント外れ。創造とは全実在(人間と自然、物質)のことだよ。
唯物主義者が価値を認めるのは、創造(被造物、物質)ではなく、
専ら「物質性」。 従って、「創造(あるがままの全実在)に対する畏敬」は皆無である。
何故なら、畏敬とは精神性そのものであるから。

その創造を無視した物質性そが、本来、実在に100%依存して生存
するようにプログラムされている人間の精神を狂わせ、大殺戮をもたらし、
現在ももたらし続けているのである。

515:神も仏も名無しさん
09/03/25 06:02:01 ouM1kcWD
>>509
この辺の頭の弱さはいっいどうしたもんだろうね。
一部の人間が仏教徒を騙るクリだからといって、
輪廻を肯定論者がクリだという「証明」にはならないではないか。
いえるのはせいぜい「輪廻肯定論者の中には、クリもいると思われる」というところまででしかない。
お粗末。

516:宝珠愚者
09/03/25 07:14:58 EYN4c0Yq
>>505
>シュタイナーはすでに100年前に、「キリスト精神と輪廻転生思想が結びつくことが現代の霊的思想
>の課題だ」と語っていた。これまでの仏教やインド思想の輪廻思想では足りないものがあり、また、
>これまでのキリスト教にも足りないものがあるのだ。

このスレ上にも何度か名前が上がったシュタイナー。
日本ではシュタイナー教育などから認知度が高いようですが、
彼は元々、神智学徒の一会員であり、
大本の根幹はブラヴァツキーにあるのです。

517:神も仏も名無しさん
09/03/25 08:20:58 /qMWzp2/
>>486
>何も私が勝手に捻じ曲げてるのではなく、教会がイエスを教えを捻じ曲げたのですよ

最初から貴方がそう主張していると言ってます。
で、あなたは政治的に都合が悪くなったら
「ブラヴァツキー夫人」や「ババジ」の教えを曲げるんですか?

>あなたはクリスチャンなのかな?

いいえ。

518:神も仏も名無しさん
09/03/25 08:32:22 /qMWzp2/
>在ロシア大使館公使だった河東哲夫も「すべてを説明することのできる究極の理由」を探し出そうとする癖は
>マルクス主義の影響で、何か事件が起こるとすぐ誰かの悪意に発した陰謀をその背後に探そうとするのは
>遊牧民族から何度も侵略を受けたロシア人の癖だと述べています(『外交官の仕事』草思社、191-2頁)。
URLリンク(www6.plala.or.jp)

陰謀論に偏る思考も、共産主義が害をなした理由でしょうか。
何も無いところにも敵や敵意を見出さずにはおれない。
そういや中東でもユダヤ陰謀論がはびこってますね。

519:神も仏も名無しさん
09/03/25 08:55:37 BH7lEKOQ
>>514
>唯物主義者が価値を認めるのは、創造(被造物、物質)ではなく、
>専ら「物質性」。

「創造(被造物、物質)」と「物質性」とはどう違う?同じことでは
ないか。

>従って、「創造(あるがままの全実在)に対する畏敬」は皆無である。
>何故なら、畏敬とは精神性そのものであるから。

「精神性」は、「物質」としての「身体」のみに宿る。イエスに、創造
(被造物、物質)に価値を認める「精神性」があるかね?

520:神も仏も名無しさん
09/03/25 10:09:52 pYZBwEz4
>>505
>もっとも人間は最初から永遠の生命を持っているので、それを自覚するということだろう、
と私は思うが。

だったら、人間も「神」と言えないか?
具体的には、「魂」は神の子。潜在的に神のように自由な存在のはずだ。

521:神も仏も名無しさん
09/03/25 10:25:50 ar+ivtJb
ヨハネ福音書は思想的に仏教やギータに近いから
イエスの教えをよく理解した使徒が書き残してると思う。

522:神も仏も名無しさん
09/03/25 12:31:21 ouM1kcWD
>>519
> >唯物主義者が価値を認めるのは、創造(被造物、物質)ではなく、
> >専ら「物質性」。
>
> 「創造(被造物、物質)」と「物質性」とはどう違う?同じことでは
> ないか。

唯物主義者が価値を認めるのは、専ら「物質性」。
(削除を忘れた。失礼しました)

> 「精神性」は、「物質」としての「身体」のみに宿る。

またピント外れ。
何に宿っているかに関係なく、畏敬の念というのは精神性以外のものではありえない。
もし物質性のみを重視するのであれば「畏敬の念」などという「観念」は完全に放棄すべき。

それともキミは、畏敬の念というものが物質性そのものだとでもいうのかね?

物質にしか価値を置かず、精神に価値を置かないから、共産圏では大規模粛正が行われたのである。
生物的生命にのみ基盤を求める唯物論的思考の大罪である。

523:神も仏も名無しさん
09/03/25 16:54:55 ELFd2skx
>>522
マルクス主義も、実は、キリスト教由来の極端な精神論・観念論であったこと
を忘れてはならなりません。だから「擬似宗教」と呼ばれるのです。「血の大
粛清」の原因となったのは、「精神」ではありませんか。

マルクスの「下部構造」には、「上部構造」であるはずの「価値感」がたっぷ
りと含まれています。彼の、富に対する憎悪(実は、羨望と嫉妬)は、イエス
の思想のそのままの承継です。

生存本能による争いは、相手を皆殺しにしたら自己の生存も危うくなる、少な
くとも不利になることを、これも本能的に知っているため、生存本能による自
動制御と計算が働き、適当なところで和解が可能になります。宗教紛争は、宗
教観念により生存本能が制限・破壊されるため、このような計算が不可能であ
り、あるのは憎悪のみで、相手を皆殺しにするまで、止めることが出来ません。
すべての人間に与えられた肉体的本能である生存本能からこそ、自他の死への
恐れや他者への思いやりという「精神性」が派生するのです。

一神教の言う創造(あるがままの実在)の尊重が、まさに、無神論・唯物論
なのです。この意味で、無神論・唯物論こそ、神の意図に最も近いと言えましょう。

旧約聖書は、「人間が自然状態を離れ、神のようになり、善悪の観念を持つこと」
が「原罪」であると喝破しています。イエスはまさに、原罪の権化ではあり
ませんか。

524:神も仏も名無しさん
09/03/25 17:01:10 7KRxEt7E
>>523
> 「血の大
> 粛清」の原因となったのは、「精神」ではありませんか。

勘違いしてはいけない。粛正の原因になったのは「唯物論」という精神。
物質中心主義がいけないのだと何度もいっている。

> マルクスの「下部構造」には、「上部構造」であるはずの「価値感」がたっぷ
> りと含まれています。彼の、富に対する憎悪(実は、羨望と嫉妬)は、イエス
> の思想のそのままの承継です。

だから唯物論やニーチェを標榜する者はクリと同じ過ちを犯しつづけているのである。
しかも自分自身には目を向けず、クリにばかり目を向けている辺りが手に負えない。

> 一神教の言う創造(あるがままの実在)の尊重が、まさに、無神論・唯物論
> なのです。この意味で、無神論・唯物論こそ、神の意図に最も近いと言えましょう。

この発言自体も、クリと唯物論、共産主義やニーチェの思考が結局のところ似たような過ちに走る原因を
持っていることを示しているといえよう。
クリの非道を訴えるのであれば、まず自分自身の中にある非道さを直視し改善すべき。

525:神も仏も名無しさん
09/03/25 17:24:28 ELFd2skx
>>524
「唯物論」を、「主義」などと解釈するからおかしくなる。「主義」は、「思
想」「観念」であり、「物」と同一平面に置くのは矛盾。「実在」は、「主義」
「思想」「観念」の介入を要しないもの。

真の意味での唯物論とは、創造、即ち、生命を含むあるがままの「実在」を受
け入れる生活態度、即ち、「万物に対する愛」です。それは、圧倒的多数の人間
の日常の生活態度に過ぎません。

526:神も仏も名無しさん
09/03/25 17:27:18 +bN64bkF
釈尊が何を悟り、何故教えを人々に説いたかを考えれば
転生とか馬鹿な話は出てこないだろう。
宇宙の広さとか転生とか論証不可能で役に立たないものは一切説いていない。
議論好きもいいが論証不可能なものに囚われるより
己の仏性を啓く行いをして行こうじゃないか。

527:神も仏も名無しさん
09/03/25 18:22:58 7KRxEt7E
>>525
> 「実在」は、「主義」
> 「思想」「観念」の介入を要しないもの。

まったくだ。然るにキミは、キリスト教はダメだのイエスはどうだの
一神教に対して解明すべきだのと、思想、主義、観念を並べ立てる。
これが矛盾だと言っている。

>即ち、「万物に対する愛」です。
愛とは観念ではないのかね?
愛とは精神ではないのかね?
そもそもそれではキリスト教徒などの博愛と同じでしかあるまいよ。
キミが真の唯物論というのなら、クリ共も真のキリスト教とか言い始めるだろうよ。

528:1a/11 初代スレ7
09/03/25 19:00:23 ecc4fCLJ
>>438
> >「“連続殺人犯の自殺(という死)と消防士の殉職(という死)”とが等価であってはならない」
> >などと、甘ったるいセンチメンタリズムに酔っている者に仏教は向かない。 >>427
> といった7さんの姿勢についてなどです。
であるならば、その典拠はないw 貴方の姿勢に対する(皮肉めいた)私の感想なのだからwww
この言表そのもの、或いは相似した構図を持つ記述は仏典にはない。(と思うw)
このような言い方を仏教はしないだろう。
強いて言えば、>>435中の4つ目《>或るものは各記述を総合し俯瞰した所からの推論》に該当するかもしれないが、
「売り言葉に買い言葉」としての性格の方が強い。だから、(貴方への誹謗を含むので)言い過ぎてるなと断り書きした。
  ※(ただ、(個々の事例のみでなく)総合して判断するなら、「(上の文に限らず)『「死」という果』はあくまで等価である」
    と読めるのではないか、と考えているのだ。(もっと丁寧に言うなら「価値判断を外す」べきではないか、と。)
    等価であるからこそ、定型句として(→一般化して(→誰もが見据えることが可能な(見据えるべき)「“苦”の一端」として))
    「老病死」と括れるのではないか。
      ※(→このような等値させる見方は、大乗仏教の「一」(一相)や(禅の)「平等(思想)」等とリンクするものかもしれない。)
    現に貴方は《【両者の『行為の果』】を【来世に設定している】》し、
    貴方の論理では《【「死」という果】が【来世の果の「因(或いは縁)」となってはいない】筈だ》。
    そして、貴方は「行為」を問うているつもりだろうが、【実際は「死」という果の価値評価に堕している】ように見える。
    (本当は、二人の「死という果」ではなく「行為」をこそ評価したいのでしょう?)
    だから、つい427の発言をしてしまったし、何度もそうした傾向を指摘してきた。
     ※さて、《「行為の果」は、来世を待たねばならないのだろうか?》
      《【そこに】表れていない(表れない)のだろうか・・?》。)

529:1b/11 初代スレ7
09/03/25 19:01:35 ecc4fCLJ
  ※大学図書館は遠いし、片山訳は(続刊中だし)金銭的な面で追いかけ切れてないしで、
   業報(特に三世に跨る業報)や異熟に関しての考察は断片的であることを告白しておく。
   今後の課題として、抱えていきたいと思っている。(特に細部に於いては仏典の記述外となるであろうから・・・。)
   (あんな長文を投下したのも、「誰かピンポイントで批判・指摘してくれないかな・・・」
    という期待と他力依存が裏にあったことも併せて告白しておくw)

530:神も仏も名無しさん
09/03/25 19:01:46 ELFd2skx
>>527
「生命」と「生命によって知覚される実在」という「事実」を述べているだけ。
これは「観念」ではない。

「愛」は、すべての人間の身体から発生する、共生のための「肉体的本能」。
これも「観念」ではない。

531:2a/11 初代スレ7
09/03/25 19:03:49 ecc4fCLJ
>>438
私は、>>528で述べたように《「“果”自体」(「因自体・業(行為)自体」も)や「縁起を見る」ということは
そのような価値判断を含んでいない(そのような判断は二次的なもの)》と見ているので、427のような感想を述べた。
勿論、【記述として「これらは等価である」と述べられているのではない】。 ただ、同時に、
【「それらが、何がしかの価値レベルを(原初から)保持している・有している・備えている」という記述そのもの】も
見られないであろう。そのような(善悪も含めた)意味付けは、たとえ【涅槃に資する(向かう・求める)ベクトル】を
最大最強最初の基軸としたとしても、それもまた《【涅槃を求める上で】という仏教の枠組み》が設定された上でのことだ。
違う枠組みを採用すれば、違う価値分別が為されることになる。
 (→思想・世界観等に関わらず、誰もが援用できる形での核(コア)が「無常・無我・縁起」と言えるのではないか?
   また、上で「自体」という言い方をしたが、無自性を持ち出すまでもなく「(何らかの)果」がそれのみで存在するわけもなく、
   それが生じるにあたって、因(や縁)との関連がそこにある。そしてそれは一様ではない。
   文字通りケースバイケースの様相を呈す。『(価値付け・意味付けを含んだ)法則化し得る形での必然』は、
   「ある条件下(ある条件が整っている時)」「ある枠組みの下で」初めて言い得るのではないか?
   (→特に「修道」の面に於いて等・・。))

仏典全てを読破してはいないし、また網羅もできないので、PTS辞書の記載を参考に挙げておく。
URLリンク(dsal.uchicago.edu) (kamma)
URLリンク(dsal.uchicago.edu) (kiriya)
URLリンク(dsal.uchicago.edu) (vipAka)

532:2b/11 初代スレ7
09/03/25 19:46:07 ecc4fCLJ
 ※また、528で少し触れたように、「等価である」と見做し得るのはなぜか? どういう場合か?
  という考察があっても良いのではないか。
  貴方が>>331で > 「自己の行為は【それと同等価の】果報を受ける」という真理を示したものです。
  と述べる時、私はそこに“貴方の願望”を見てしまうのです。(【 】は引用者が挿入。)
  その時、何が等価なのか?『なぜ、【等価】だと言えるのか?』
   ※「ふさわしい」「適している」「相応である」という言い方なら、(「同じじゃねーかw」というツッコミがあるかもしれませんが・・・w)、
    (その言葉通りではないにしても)仏典の記述そのものに根拠を探し得るかもしれない※
  勿論、私の『「死という果」は等価ではないか?』という発言も吟味検証されるべきだ。

533:3/11 初代スレ7
09/03/25 19:46:55 ecc4fCLJ
>>438
そして、(>>436で(見苦しいw)言い訳をしたように)、「縁起」が、仏教の中心思想として抽出される理由は、
(たとえ「縁起」という言葉が用いられていなくとも、直接的に“それ”が述べられていなくとも)、
仏典の種々の記述から(いや、全ての記述から)、“それ”が炙り出されるからではなかろうか。
同様の考察の仕方(≒読み方)でもって、私は(427発言の元でもあるが)《「無味乾燥な繋がり」を示している》と読んでいる。
そこへの意味付けは、『どの文脈で見るか(→世俗との接点を設けること)』を定めた後のことになろう、と。
 ※(「どれがそうか?」と問われるなら、「全て」と答えるよりほかはないが、一例で、
   沙門果経に於ける“(目に見える)沙門の果報”も、
   (その幾つかは顕著な形で)『或る文脈・或る条件下で、善き果報と見做されるもの』だ。
   そこに見られる《『沙門である』ということがもたらすもの》は、彼が、どのような社会(環境)の中に居るかで変わる。
   沙門であることで、保護され尊敬されるどころか、迫害される場合もありうる。
   この時、《“沙門であること”がもたらすのは“迫害という果報”》だ。
   貴方の論理で、この事態を反証し得ますか?
   常不軽菩薩の登場は、この消息を示唆してはいないか?)
机氏を批判しながらも、自分も勝義という言い方を多用する理由はここにある。
だから、(晩年の体調不良・食中毒・サンガの論争・二大弟子の死を例にとってもよいが)、
涅槃は「寂滅」であり「寂静」なのだ、と。
如来にとってそれらは“苦”ではない、と・・・。
如来に“苦”は生じない、と・・・。

「因(縁)があれば必ず果がある」という骨格のみが見出され、
どれだけ理不尽に見えても、それを見据えねばならないのだろう、と。
アッサジは謙遜しながら舎利弗に答えたが、見事なフレーズだと言わねばなるまい・・・。

また、釈尊が「業論者(kamma-vAdin)」「行為論者(kiriya-vAdin)と呼ばれる時、それは、
「【業報(業の異熟:kamma-vipAka)】を説く者」ではなく、
「(生まれによる決定を斥け)、行為の重要性(及び行為にはそれに応じた果がある)を説く者」と見るべきではなかろうか。
業報は業の亜種である、と。

534:4a/11 初代スレ7
09/03/25 20:50:36 ecc4fCLJ
531でPTS辞書のURLを貼ったが、その中でも興味深い部分を
(自身の根拠ということでなく、議論自体への参考として)引用してみる。

II. Applied (pregnant) meaning:
doing, acting with ref. to both deed and doer.
It is impossible to draw a clear line between the source of
 the act (i. e. the acting subject, the actor) and
 the act (either the object or phenomenon acted, produced,
  i. e. the deed as objective phenomenon, or the process of acting,
   i. e. the deed as subjective phenomenon).
Since the latter (the act) is to be judged by its consequences, its effects, its manifestation
always assumes a quality (in its most obvious characteristics either good or bad or indifferent),
and since the act reflects on the actor, this quality is also attached to him.
This is the popular, psychological view, and so it is expressed in language,
although reason attributes goodness and badness to the actor first, and then to the act.

535:4b/11 初代スレ7
09/03/25 20:51:34 ecc4fCLJ
In the expression of language there is no difference between:
 1. the deed as such and the doer in character: anything done (as good or bad) has a corresponding source;
 2. the performance of the single act and the habit of acting: anything done tends to be repeated;
 3. the deed with ref. both to its cause and its effect: anything done is caused and is in itself the cause of something else.
As meanings of kamma we therefore have to distinguish the following different sides of a "deed," viz.
 1. the deed as expressing the doer's will, i. e. qualified deed, good or bad;
 2. the repeated deed as expression of the doer's habit=his character;
 3. the deed as having consequences for the doer, as such a source qualified according to good and evil;
as deed done accumulated and forming a deposit of the doer's merit and demerit (his "karma").
Thus pApakamma=a bad deed, one who has done a bad deed, one who has a bad character,
the potential effect of a bad deed=bad karma.
The context alone decides which of these meanings is the one intended by the speaker or writer.

しかし長いw
kammaの項は(関連造語や出典の量が多いせいでもあるが)冊子の方では4頁半あるもんな・・・(^^;

536:神も仏も名無しさん
09/03/25 21:00:50 7KRxEt7E
>>530
こういうのを詭弁という。
キリスト教はダメだのイエスはどうだの、
一神教に対して解明すべきだのというのは、思想、主義、観念等と呼ばれるものではないのかね?

> 「愛」は、すべての人間の身体から発生する、共生のための「肉体的本能」。
> これも「観念」ではない。

そんなこといえばクリ共の信仰だって、生きるために自分の支えがほしいという、
生存のための「肉体的本能」だろうよ。

537:5/11 初代スレ7
09/03/25 21:12:23 ecc4fCLJ
>>438
また、貴方は、
>  私はこの双方の異なる行為の死は、来世に異なる果報が当人に(来世において)課されるということ
> を仏典の記述は教えているとして、それらの経文を根拠として提示してきました。
と述べるように、目連さんや、仏法を(或いは仏を)誹謗した者、父母を殺した者、等についての記述を引用していたように記憶するが、
それら記述は、(私の>>427が「俯瞰した後の推論(感想)」であるのと同様)、
 〔 > 双方の異なる行為【の死】は、来世に異なる果報が当人に(来世において)課される 〕
ことを示し得るだろうか? そのように言うには、あまりに特殊で、少数過ぎやしないか? と。
前スレ(及び前々スレ)の長文で提起したように、
そこに「強引な結びつけ」「願望・希望・無根拠な理由付け」が見られないか? と。
まず「文脈ありき(≒罰としての報いが無ければならない)」ではないだろうか?
PTS辞書は言う。
Since the latter (the act) is to be judged by its consequences, its effects, its manifestation
always assumes a quality (in its most obvious characteristics either good or bad or indifferent),
と・・・。

538:6/11 初代スレ7
09/03/25 21:13:49 ecc4fCLJ
>>438
 ※上の引用文で、貴方は迂闊にも「死」という言葉を挿入している。本来なら(→真に“三世に跨る業報”を言うならば)、
  [ > 双方の異なる行為は、来世に異なる果報が当人に(来世において)課される ] とすべきではないか?
  そして、私なら次のような文にするだろう。
  [ > 双方の行為は、それぞれに果報として課される ] と・・・。
  そしてそれは、貴方が何度か述べた「自業自得」という言葉が示すように(―この“語自体”はパーリには無いようだが―)、
  [ 行為の果は当人が受ける ]ということになろう。(※これは、必ずしも「他者は(間接的に)その果を受けない」ということを意味しない。)
   (PTS辞書―3. (Interaction) A. in subjective relation;の項)
   (b) the effect of the deed on the doer: the consequences fall upon the doer,
   in the majority of cases expressed as punishment or affliction:
   yathA yathA ayaM puriso kammaM karoti tathA tathA taM paTisaMvedissati. …☆
   "in whichever way this man does a deed, in the same way he will experience it (in its effect)"A i.249;
  仏典に於いては、この骨格が述べられていると私は読む。少なくとも、全ての記述に共通するのはこの骨格のみであろう、と。
  そしてこの骨格は、「その果に対する“他者からの評価”」とは一線を画すべきだろう。
  それは、仏教が「気付き」「自覚」をその出発点としていることとリンクさせれば、よりはっきりすると思う。
   ( 同項より。 kamma vipAka kovida "【 well aware 】 of the fruit of action," i. e. of retribution Sn 653; )
  そして、記述の外へはみ出す形で推論を重ねるなら、
  「“【殺人犯の】殺害という行為”は、【直接には】本人に【“満足・快楽・喜び”という果】をもたらし」
  「“【消防士の】救助・消火という行為”は、【直接には】本人に【“満足・達成感・充実感・喜び”という果】をもたらし」
  ている。そして、その後の縁によっては(→≒文脈の導入の仕方によっては)「後悔」や「死」という果も生じ得る、と。

539:7/11 初代スレ7
09/03/25 21:15:39 ecc4fCLJ
>>438
貴方が引用したものは全て、
「【それでは理不尽だから】理由が探された」形であり、
「【それでは溜飲が下がらないから】“罰・報復”としての果が想定されている」形であるという、
この可能性を否定することはできないでしょう?
少なくとも、正当性・妥当性の主張には、前スレ長文のような疑義がクリアされねばならない。
たとえそこに「文脈の導入」が必須であったとしても、その文脈こそが、「仏教的にどうなのか?」と問われるべきだろう。

上や下に引用するPTS辞書の記述(事例としての出典)からしても、
(善きことだけでなく)業果・業報に「罰」の意味が付加されていることは見てとれる。
今生の果の因を過去世の行為(業)に遡及して求める視線も見いだせる。
「業果は(当人が)必ず受けねばならない」というのが仏教の骨子となっているのも解る。

だからこそ、記述自体への視線にも懐疑的でありたいと思う。そして敢えて問いたいと思う。
『なぜ、異熟(≒vipAka)という概念が導入されねばならなかったのか?』と。
それは、直接的な業果のみでは、理不尽に感じられる事象を説明し辛かったからではないか?と。
「三世に絡んだ(跨った)場合」と「理不尽な(→理不尽に見える)直接的“果の表れ”」について、
「胸を撫で下ろす形・溜飲の下がる形での納得」が要請されるからではないか?
或いは、『そのような価値判断とセットでの「業果は(当人が)必ず受けねばならない」』
という鉄則の維持の為には必須な概念とも言えるだろう。

参:vipAkaの項抜粋。
fruit, fruition, product;
always in pregnant meaning of "result, effect, consequence (of one's action),"
either as good & meritorious (kusala) or bad & detrimental (akusala).
Hence "retribution" (kamma-vipAka), reward or punishment.

540:8/11 初代スレ7
09/03/25 21:18:19 ecc4fCLJ
>>438
「果が、時を異にして熟す(表れる)」ということが、(因果の拾い上げに際し)
スパンを長くとった場合にも適用可能にする為であることは容易に理解できる。(卑俗な喩えで恐縮だがw)、

 「(宿題(課題)を後回しにし、)誘われた飲み会に出かける(=行為)」・・・A
 →「楽しい時間を過ごす(=楽)」〈来て良かったw〉・・・b
 →「宿題の量と難しさに愕然とする(睡眠時間を削られる)(=苦)」〈行かなきゃよかったorz〉・・・c

ここに於いて(【宿題をやっている最中には!】)「因果の拾い上げ」「因果の結びつき」は、
〔Aによるc苦〕となる。(もし、【歓談の最中ならば!】当然〔Aによるb楽〕だ。)
 ※勿論、これらの結びつけの間を更に刻むことも可能だ。※
ここで、もう少し長くスパンをとってみよう。
 →「就寝前、一人の友より電話がくる。〈実は明日引越すんだ・・〉と。〈会えて良かった〉と。
   彼は思う。〈行って良かった〉と。〈彼と騒いで良かった〉と・・。」・・・d

さて、
≪彼にとって、Aという行為は“苦”の因か?“楽”の因か?(この場合“善”も含ませる)≫
≪彼が受けた「Aという行為の果」は何か?どのようなものか?≫

以前貴方に《「自殺という行為」の“果”とは何か?》と問うたことがある。同じ構図だ。

541:9/11 初代スレ7
09/03/25 21:22:12 ecc4fCLJ
>>438
 ※文脈の他に重要な問題の一つは、(上の宿題・飲み会の件はともかくwww)
  『こうした関連を、(遡及して)観察し、確かにその通りである、と自覚、納得できるかどうか』にある。
  だから私は、三世に跨る業果について疑問符を付けるのだ。(参:前スレ668、670-671)
  上の方で述べたような『骨格としての業果(≒因果(→縁起))』を見ることが大切ではないか?と。
  他者がそれを判断・断定して良いのか?と。
  再度引用しよう。《 kamma vipAka kovida "【 well aware 】 of the fruit of action, Sn 653 》

  酒のせいもあり、おざなりな課題の処理で、教授から小言を貰い、提出のし直しを求められ、
  各人のレポートをまとめる者は期限オーバーについて嫌みを言う。確かに迷惑をかけている。
  だが、彼は、本当に飲み会には行かない方が良かったのか?
  飲み会に行ったことは、(大勢に迷惑を掛けた)「悪業」の範疇に入るのか?
  誰がそれを判定するのか?
  迷惑を被った者達にしてみれば、まさに悪業かもしれない。それを為さずに、責務を果たしてくれ、と。
  友人は思うかもしれない。来てくれてありがたかったと。他の誰でもないお前と、騒ぎ、笑って旅立ちたかった、と。
  さて、彼は自分の行為Aを、どう見るべきだろうか・・・。
   (※この事例の登場人物全てが、根本的構図として「エゴを基点にしている」ことも注視されるべきかもしれない。)

ここに於いて、bでもcでもdでも、「受け止め方」「視線の向け方」で、(実際には全て世俗の雑事・夢幻泡影であるわけだが・・)、
実は『苦でも楽でもない、只の“Aによる結果”である』或いは『(一切行苦の意味で)どちらも苦である』と見る視線が存在する。
それが、勝義としての業果ではなかろうか・・・。

 ※(上の653偈を含む、Sn大品ヴァーセッタ経も大変興味深い。)

542:10a/11 初代スレ7
09/03/25 21:28:54 ecc4fCLJ
>>438
※こうした一連の考察は、金口の説法を辿れないのと同様に、現存仏典の記述のみでは根拠として弱い。
 なぜなら、『三世に跨る業報の詳細(→その「因果としての」結び付き)は語られていない』からだ。
 法則化するには、事例として少なく、特殊であるからだ。(>>416
 だから私は、多くの問いを貴方に投げかけている(―それは自分への投げかけでもあるが―)。
 私の知らない(≒まだ咀嚼整理し終わっていない)「三世に跨る業報の正当性・妥当性」を貴方は知っていて、
 知っているからこそ、私を論難するのだろう、と。
 だから、この議論に関しては「外道」の称号を甘んじて受け入れている。
 kamma-vipAka / kamma-phala とは、
 往々にして「過去世から現世へ跨って(時を異にして熟す(表れる))こと」及び「罰としての報い」を指すからだ。

 参:3. (Interaction) A. in subjective relation;の項から抜粋。
 (a) character of interaction as regards action; action or deed as having results:
 phala and vipAka (fruit and maturing); both expressions being used either singly or jointly, either singly or independent;
  * phala: tassa mayhaM atIte katassa kammassa phalaM
  "the fruit of a deed done by me in former times" ThA 270; Vv 479 (=VvA 202);
  * vipAka: yassa kammassa vipAkena . . . niraye pacceyyAsi . . .
   "through the ripening of whatever deed will you be matured (i. e. tortured) in Name." M ii.104;
   tassa kammassa vipAkena saggaM lokaM uppajji
   "by the result of that deed he went to Heaven" S i.92; ii.255;
   kamma vipAka kovida "well aware of the fruit of action," i. e. of retribution Sn 653;

543:10b/11 初代スレ7
09/03/25 21:30:28 ecc4fCLJ


 前スレの長文は、貴方にこそ回答してほしかった。(他の方でツッコんでくれる人がいるかと思ったが、それもないw)
 (あれは、仏典中に根拠を探してくれということではない。それ以上に、≪貴方自身の見解≫をこそ問うているのだ。)
 仏典の記述に例を探せば、(このスレの最初の主旨同様)【そうした内容を意味する記述は存在する】。
 だがそれが、貴方の主張を、完全に、不備なく、例外なく後押しするかと言えば、
 上に(ダラダラとw)述べてきたように、一抹の疑義を感じるのだ・・・。

544:11/11 初代スレ7
09/03/25 21:31:31 ecc4fCLJ
>>438
> それは仏教全体の理念とも何ら矛盾しません。
仏教全体の理念とは何か?
縁起、無常、無我(非我)、四諦(八正道)、涅槃、これ以外に何があるのか?
そして、輪廻も、業果も、業報も、縁起の範疇に含み得る。
だとすれば、矛盾しないのは当たり前だ。
問題は、仏典の成立史・変遷を考慮するなら、この2500年の間、本当に「各記述の仔細が互いに齟齬を生じていないか」だ。
ここについて、一歩退いた、慎重な態度も必要ではなかろうか。

 ※貴方の挙げたものと逆の事例はどうか?或いは、そうした極端なことでなく、些細な行為の場合はどうか?
  貴方の提示した例は、本当に
   >双方の異なる行為の死は、来世に異なる果報が当人に(来世において)課される
  ということを示し得るだろうか?
  法則化して捉えるには、あまりに性急ではないか?(だから>>416となるし、この点での考察は仏典の記述外になります。)
  仏典には『そのような【詳細(→必然的結び付きの理由)】は説かれていない』。
  圧倒的量で説かれているのは、『縁起』という骨格、『涅槃(の希求)』『梵行・正道』『正見』『戒』という基準ではないか?




>  もし、7さんが ・・・・・・ 意味です。
今はまだわからない。(他の方が、(私の書き込みを)検証断罪してくれるのでは?w)

>  ま~私も、 ・・・・・・ 思っています。
ですね。

>  ~という意味に ・・・・・・ したいと思います。
期待してますよw

> でも必要な作業です。
ですよねぇ~・・・w orz

545:神も仏も名無しさん
09/03/25 22:45:57 c4pohMUV
*

546:神も仏も名無しさん
09/03/25 22:54:16 c4pohMUV
ご隠居の典拠、インチキ本には笑った。たぶん、このスレで一番レヴェルが低い。
机さん並み。あるいは以下。

547:神も仏も名無しさん
09/03/26 00:21:52 L8PqqDQb
>>536
>そんなこといえばクリ共の信仰だって、生きるために自分の支えがほしいという、
>生存のための「肉体的本能」だろうよ。

生存のための支えは、衣食住。イエスや神は一切関係ない。イエス自身の生存に
ついても、全く同じ。

極限の飢餓状態においては一切れのパン、極限の寒気においては一枚の衣服が
「神」である。他の神は必要としない。

神とは、信仰とは何かは、極限の生存状態においてのみ、判明する。

548:神も仏も名無しさん
09/03/26 00:38:59 L8PqqDQb
>>546
インチキ本とは、事実に反する本のこと。だとすれば、最大のインチキ本は、
聖書であることには、間違いない。

549:絶対神
09/03/26 00:44:40 pObmWUjT
まあそれを言うなら仏典だってそうだね。

現代人から見れば、「嘘ばかり」

「嘘が全くない宗教書なんて存在しないよ」

逆に聖書は、奇跡描写を置いとけば、歴史的事実がワリと書かれてる
事が考古学的に証明されている。

だから、逆に、聖書はかなり事実に適合しているのでインチキ本とは
言えない。

>>547
俺が言いたいのはそういう事。

「本当の神様は飢えている人間に食料を与える存在でなければいけない」
って事。

「物理的に救う能力があってこそ、人を本当に救えるの」

だから、「本当に奇跡の力を持ってないと。つまり、全能に近くないと
人は救えない訳よ」

ただ無論、ただの衣服やパンが「神」な訳がない(本気でそう思って
るのなら、そいつはただの馬鹿)。
衣服は道具だし、パンは人間が作った食料であってそれ以上ではない。

だが、「飢えている人間や、寒さで凍えている人間を救えもしない存在
が偉そうに神を名乗っていけないのも、また事実」

「神とは宗教を教える存在ではなく、現実に人を救える存在」

550:絶対神
09/03/26 00:47:04 pObmWUjT
人を救うのは、釈迦でもない、仏教でも仏典でもない。

「本当に奇跡能力を持った、私のような生き神だけ」なんだ。
わかった?

551:神も仏も名無しさん
09/03/26 01:56:54 N7f1XFh8
>>547
> 生存のための支えは、衣食住。イエスや神は一切関係ない。イエス自身の生存に
> ついても、全く同じ。

そりゃそうでしょうよ。物質的なことさえ満たされていればそれでいいという視点で考えるなら
という前提はつくがね。

> 極限の飢餓状態においては一切れのパン、極限の寒気においては一枚の衣服が
> 「神」である。他の神は必要としない。

だから唯物論的な視点に立つ限り、キミの言う「愛」なども必要としないのだよ。

> 神とは、信仰とは何かは、極限の生存状態においてのみ、判明する。

何がいいたいのか意味がわからんね。
苦行することで極限状態を作り出すのはよくある修行法だが、苦行のすすめでもしたいのか?

552:神も仏も名無しさん
09/03/26 03:17:21 FrEjZbli
>>551
>そりゃそうでしょうよ。物質的なことさえ満たされていればそれでいいとい
>う視点で考えるならという前提はつくがね。

他のすべての生物と同様、人間の本質はその生存本能。人類の歴史は、生存の
ための「物質的充足」の追求の歴史。甘ったれた「精神的充足」などではない。

>だから唯物論的な視点に立つ限り、キミの言う「愛」なども必要としないの
>だよ。

人間は、一人では生命を維持できないことを、これも本能的に知っているから、
生存本能から、共同体形成・維持の本能、自他の死への恐れ、他者への思いやり
(愛)という本能や自然の感情が派生する。これらはすべての人間に生来的に
ビルトインされている「肉体的本能」であるから、宗教から教えられる謂れ
はなく、教えられてはならないもの。

生命は、その38億年前のシアノバクテリアの発生時から、共同体。神は、
人間を「男と女」に創った。原初から共同体である。

553:神も仏も名無しさん
09/03/26 10:05:55 N7f1XFh8
>>552
> 人間は、一人では生命を維持できないことを、これも本能的に知っているから、
> 生存本能から、共同体形成・維持の本能、自他の死への恐れ、他者への思いやり
> (愛)という本能や自然の感情が派生する。これらはすべての人間に生来的に
> ビルトインされている「肉体的本能」であるから、宗教から教えられる謂れ
> はなく、教えられてはならないもの。

バカかね。人は一人でも生きていけるではないか。
無人島で生きながらえた人もいれば、太平洋戦争が終ったことを知らず、
一人でずっと隠れ住んでいた人もいる。
一人で生命を維持できないなどという甘ったれたことを言うのはやめたまえ。

554:神も仏も名無しさん
09/03/26 10:25:08 mzvkdAAQ
>>553
>バカかね。人は一人でも生きていけるではないか。

無人島で独りで生きた人も、先人及び同時代人によるあらゆる知恵と文明の
利器を使用している。これらの知恵と利器がなければ、たちまち飢え死にする
か、猛獣に襲われて死ぬだけだろう。

独りでは、子供が出来ず、種属としの生命は維持できないw。

555:神も仏も名無しさん
09/03/26 10:37:41 N7f1XFh8
>>554
では道具を使うことが愛なのかね?
拡大解釈にもほどがあるとは思わないのか。

556:神も仏も名無しさん
09/03/26 10:49:05 sXqx/hIg
ご隠居のつまんない。凡百のニヒリズム独白は聞き飽きました。
スレに関係ないだから、よそでやってくれないか? 
頼むよ。オイ!

557:神も仏も名無しさん
09/03/26 10:49:51 sXqx/hIg
ああ、生命教と常識教も同じね。

558:亭白
09/03/26 10:51:36 ulKYQTtR
>>550 絶対神さん
人を救うのは、釈迦でもない、仏教でも仏典でもない。
「本当に奇跡能力を持った、私のような生き神だけ」なんだ。
わかった?

@どことなく愛嬌のあって憎めませんが「人を救うのは、釈迦でもない、仏教でも仏典でもない。」
 それはあなたが無智をさらけ出しているにすぎない。御自分のあるべき理想と現実のギャップに
 苦しんでいるのはわかります。地団駄踏む気持ちもわかります。その悶々とした気持ち、鬱積を
 持って渇愛の心で「生き神だ」と名乗られても、その勢いを借りてヘドロ沼に捨てるしかないのです。


 心の内からこみ上げる使命観にも似たうずきなのか?
 悪魔に憑依され押さえがたき怒りに似た「生き神」の名誉心か?

 メジャの多神教を嫉妬した一神教の祟り神の生まれ変わりですか? 
  
 絶対神さん孫悟空みたいな行為はもうやめてはいかがでしょうか?
 超能力の善のために使う如意棒は、小さくして耳の穴にしまっていただきますか?
 

 



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