09/03/12 17:42:00 ODqShb9s
スレ11URLリンク(mimizun.com)
log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/dat/1235556630.dat
スレ10URLリンク(mimizun.com)
log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1234/12345/1234594095.dat
スレ9URLリンク(mimizun.com)
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スレ1URLリンク(mimizun.com)
3:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/03/12 17:46:02 ODqShb9s
スレを立てましたが、>>2のスレ10と、スレ11は
コピーペーストしてから検索してください。
(コピペ失敗です)
4:神も仏も名無しさん
09/03/12 19:54:24 +DP2/wdH
前レス>>811
>つまりは「縁起」とか「無自性」とかの意がそもそも解っておらんのでしょ?
>解っておる人は、そもそも「事実」とか「自然現象」とかは言わんですね。
「事実」や「自然現象」自体が、観測者の知覚も含めて無数の要素の相互依存
と関係の塊であり、変転極まりないこと(「空」)を前提とすれば、「事実」
「自然現象」と呼んでも、ちっとも差し支えない。
「時間が恒常普遍」などと言った覚えは無い。「時間は、単なる自然の変化」と
言っている。「時間」を、独立の概念として固定するのは誤り。なお、「心理
的時間」は、「物理的時間(自然の変化)」との対応における、単なる「心理
現象」である。
5:宝珠愚者
09/03/12 21:50:16 EMhUB78v
**全過去ログ/リンク集
URLリンク(houjugusya.web.fc2.com)
スレ建てご苦労さまでした^^
*繰り返し投稿を希望される方はできるだけコテハンの使用を推奨します。
(あなたの見解を明確に示しやすくするためです)
-----否定意見に対する解答-----
1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
死後、輪廻しないというのは、断見である。
2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。
3.十/十四無記で死後が不問にされている。主要論者:桜部健など。
反証:水野弘元先生以下が論証したようにタターガタを人、有情と注釈するのは、ジャイナでも
タターガタという語を使うからで、十/十四無記のタターガタは、解脱者の意味に他ならない。
つまり、解脱者は死後どうなるのか、それは答えられないという意味である。
4.釈尊の仏教では輪廻は否定された。主要論者:並川考儀など。
反証:輪廻は否定したという意味が異なる。輪廻は仏教で一貫して厭離され解脱することが目的である。
それを輪廻という現状を認めないという意味で無理に解釈している。
6:宝珠愚者
09/03/12 21:51:04 EMhUB78v
5.三世輪廻は部派のみのもの。主要論者:梶山雄一先生など。
反証:『雑阿含』『スッタニパータ』『小四十経』『量評釈』『タルカバーシャー』に明らかなように
原始仏教も大乗仏教も三世輪廻、というか輪廻は始まりはなく、終わりは解脱するまで続くもので、
それ以外の輪廻など現代日本以外で説かれたことなどないと思われる。
6.輪廻は現世の因果で転生ではない。主要論者:常識論
反証:経典の用例は明らかに前世・来世を想定したものであり、現世のみの因果であれば、
始まりと終わりがあることになり輪廻ではなく他ならぬ断見である。
7.輪廻や神々、地獄、餓鬼などは譬喩または、象徴表現としてとかれた。主要論者:望月海慧
反証:方便説のヴァリエーション。仏典では譬喩は、かならず譬喩と説かれる。
古今東西の文献・口伝の両伝承に譬喩であるという解釈はみつけられない。
8.四聖諦で輪廻を説いてない。主要論者:2CHネラー(著名な主要論者をご存知の方はお知らせ願います)
反証:経典は四聖諦を観じていない間は輪廻転生していたと明言している。『大品/第六薬助謫』
『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』
7:神も仏も名無しさん
09/03/12 22:37:21 02XJ3FKb
514 名前:名無しさん@引く手あまた :2009/03/12(木) 21:34:02 ID:HfdTiVYJ0
■私の納棺師の実体験
・遺体をアルコールで拭き、白衣(仏衣)を着せ、髪や顔を整え数珠を持たせる
・死後硬直が始まった遺体はむりやり納棺時に骨を折りたたみ納棺
・轢死の場合は現地で警察(鑑識)と一緒にビニール袋もってバラバラ遺体を
拾ってあるく。鱈の白子のような脳ミソは箸を使って拾う
・首吊り死体は警察官と一緒に下に下ろす
・死亡1ヶ月の水死体などは海岸まで出張納棺
・一人暮らしで何ヶ月も放置された遺体は室内のウジをほうきで掃除し肋骨の
中でうごめいているウジの固まりも掃除
8:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/03/13 06:48:04 eJC1xUe8
>>4
>なお、「心理的時間」は、「物理的時間(自然の変化)」との対応における、
>単なる「心理現象」である。
可笑しな論法ですよねw
心理的時間と物理的時間が対立してるじゃ~ないですか?
して、対立した結果が「心理現象」とか?
こんな論法は妄想というんじゃ~ないですか?
(そもそも、時間とは何ぞや?ってことから始めませんとあかんですね)
先ず基本的に仏教は、対立として結果が導きだされるもんじゃ~ないです。
(これは非常に重要です)
>「時間は、単なる自然の変化」と言っている。
これもそもそも可笑しな話じゃ~ないですか?
縁起・無自性を言いながら、時間だけ「単なる自然の変化」ってのは論理的矛盾でありますね。
まあ、貴殿の論法を整理してみますと・・・
xyzが→縁起・無自性
tが→→「事実」であって「単なる自然の変化」
あ~~~っはっはっは、
そういうことは有り得んですね。
xyztが縁起・無自性ですね。→これが釈尊の本懐です。
9:神も仏も名無しさん
09/03/13 09:54:49 lJuWaYRa
前スレ>>805
>悟りを開いた未来ビジョンをありありと明確化し、
>利自即利他を含んだ悟りの世界のビジョンの継続・・
・・以下、雑文
どーでもいいが、矛盾だらけの支離滅裂って解かるよね?
いかにも解かった風なことをいうカルト教祖が
信者相手に眼くらましにいう御託だなw
このスレでよくもそんな騙し雑文を書き込むものだな。
アフォらしいので以下応答せず。
tibyaku、逝ってよし
10:神も仏も名無しさん
09/03/13 11:48:41 W3KRP47h
>>8
>心理的時間と物理的時間が対立してるじゃ~ないですか?
「一般に言われている」物理的時間と心理的時間の二分法についてコメント
しただけ。心理的時間は「時間」ではないということ。
>xyztが縁起・無自性ですね。→これが釈尊の本懐です。
「自然」自体が縁起・無自性、即ち「変化」だから、その「自然の変化」であ
る「時間」を、別概念、別次元として、観念的に「固定」するのは、論理的誤
りであるということ。即ち、「仏教は四次元」という命題がおかしい。次元そ
のものが「空」なのだから。三次元までは、五感の知覚の対象となる。しかし
時間はそうではない。単なる「妄想」だということ。「色」にも含まれない。
11:神も仏も名無しさん
09/03/13 12:03:31 3IDalVX9
>即ち、「仏教は四次元」という命題がおかしい。
机氏は「悟りとは四次元を体感すること」とおっしゃっている。
12:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/03/13 12:18:35 jgfMN00Y
>>10
貴殿の書き込みを読んでみますと、
いかに初期仏教(部派仏教)が苦悩の歴史であったか推測できます。
実際、初期仏教では時間という概念が釈尊の本懐に届いていなかったのであります。
したがって時間とは、貴殿がおっさる物理的時間?の肯定をしていました。
(過去・現在・未来の肯定)
しかしこれでは宗義にもなにもならんので、
それなりの意味付けをして・・・
なんとか宗義らしきもんを構築していったのであります。
しかし直ぐに唯識論にとって替わりましたが。
>即ち、「仏教は四次元」という命題がおかしい。次元そ
>のものが「空」なのだから。
ほらほら、やはり論理的矛盾があるでしょ?
「次元そのものが空」であるなら、三次元・四次元に関わらず空なのです。
>三次元までは、五感の知覚の対象となる。しかし
>時間はそうではない。単なる「妄想」だということ。「色」にも含まれない。
こういうことは有り得んですね。
仏教の本義は「一切皆空」です。
よって、xyztは空ですね。
13:神も仏も名無しさん
09/03/13 12:22:48 W3KRP47h
>>11
「時間」を含めた四次元の体感は、「誰でも」がやってること。それら
の次元そのものが「空」であることを悟るとが「悟り」である。即ち、
いずれも「人間」の知覚に過ぎず、それらが「実在」する訳ではない。
時間は、五感の知覚の対象でさえもない。
釈迦は、「色」を、あくまで「人間の五感の知覚の対象」に限定している。
彼は「妄想」を語っているのではない。
14:神も仏も名無しさん
09/03/13 12:39:57 W3KRP47h
>>12
空であるはずの、三次元・四次元などという分別概念を、最初にもちだされたのは
貴殿ですw。
xyztを、あたかも別個独立の要素の如く並列に並べるのは、論理的誤り。
xyz=tだからです。
15:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/03/13 12:46:49 eJC1xUe8
>>14
では、貴殿は既に悟っておられるようですから、ひとつ質問しますが、
時間というのは「事実」であって「単なる変化であり」したがって
過去から未来へと方向性を常にもちえておるのが時間ということで宜しいのですか?
16:神も仏も名無しさん
09/03/13 13:07:02 W3KRP47h
>>15
>過去から未来へと方向性を常にもちえておるのが時間ということで宜
>しいのですか?
「悟っておられる」などとご冗談をw。
「過去から未来への方向性」などありません。あるのは「今ここ」だけ
です。それが「生命」であり、「悟り」です。「過去」や「未来」を
考えることは、「今ここ」にある生命の機能に過ぎないからです。
釈迦が「過去から未来への方向性」など考えたとしたら、それは誤り。
ニーチェは「永劫回帰」と言った。しかし、この訳語はおかしい。原語
では「永遠に反復すること」です。「永劫回帰」では、「永劫が」回帰
するのか、「永劫に」回帰するのか、さっぱり分らん。
「今ここ」が永遠に繰り返すのだから、「今ここがすべて」ということに
なります。
西洋哲学者たちは、この「永劫回帰」の解釈に四苦八苦し、ピント外れの
解釈ばかりしているが、仏教者には容易に理解できることですね。
17:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/03/13 13:36:35 jgfMN00Y
>>16
>「過去から未来への方向性」などありません。
時間の概念というのは、五蘊における識蘊ですね。
経験則的データベースにおいて「時間」の概念が形成される。
それは「過去から未来への方向性」をイメージ化したものです。
時間自体が方向性をもつものではない。
よって、貴殿が第一義とする「生命」についても、やはり同じですね。
生命というのは本来ない。
(これを仏教では「本来無一物」などと言ったりする。→金剛般若経参照)
過去から未来への方向性がないなら、現在がありようがない。
現在とは来つつあることだし、また去りつつあることだから、
来つつあって、なお且つ去りつつあることは現在ではない。→中論参照
ということで、
無自性を言うておる御仁が、
生命教の開祖である。ってのも可笑しな話ですね。
悟りを開いたら、「本来は生命などありゅらん」と
宗旨訂正したら如何ですか?
18:神も仏も名無しさん
09/03/13 16:08:00 RW8LnbN1
>>17
>悟りを開いたら、「本来は生命などありゅらん」と宗旨訂正したら如何ですか?
「生命などありゅらん」と「考えて」、「宗旨訂正する」のも、「生命」の
機能ですから、いくら足掻いても「生命」からは逃れることは出来ませんよw。
生命を以って、「生命のない世界(死後・来世)」を考えるのもナンセンスですね。
そこは、生命の機能としての知覚や思考とは、一切関係ない世界なのですから。
19:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/03/13 16:41:03 jgfMN00Y
>>18
>生命を以って、「生命のない世界(死後・来世)」を考えるのもナンセンスですね。
>そこは、生命の機能としての知覚や思考とは、一切関係ない世界なのですから。
仏教でいう「生命はない」というのは、そういう意味ではありません。
自我の正体というのは、
あらゆる情報を蓄積しながら、やがて自己形成という段階を辿る。
つまり自我というのはイメージとして作りあげられたものに過ぎない。
ってことだよ。
(これは時間概念と同じ)
これを仏教では無我といい、五蘊における識作用(識蘊)に過ぎない。
ってことだね。
この五蘊の作用は、色即是空の「色」にあたるが、
それも一切が空である。ってのが「五蘊皆空」。→般若心経より
縁起の現観とは、時間とか生命とかの名称およびその形態が寂滅することだよ。
だから貴殿の論法というのは、仏教には全く関係なくて・・・
ただの唯心論です。
20:神も仏も名無しさん
09/03/13 17:07:23 RW8LnbN1
>>19
>あらゆる情報を蓄積しながら、やがて自己形成という段階を辿る。
その情報が、歴史を通じて形成された共生の叡智としての「常識」なのです。
しかし、「生物的生命」というcoreがなければ、自己は形成されません。
>だから貴殿の論法というのは、仏教には全く関係なくて・・・
>ただの唯心論です。
そのcoreである生物的生命が、万物・万人と相互依存・縁起の関係にあれば、
生命も「空」であり、立派な仏教です。
21:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/03/13 17:39:19 eJC1xUe8
>>20
>その情報が、歴史を通じて形成された共生の叡智としての「常識」なのです。
>しかし、「生物的生命」というcoreがなければ、自己は形成されません。
元来、人間はそんなcoreなどありませんね。
(つまり生得的にはない、という意味です)
先ず、幼少のころに自我が芽生えますね。
この時点において自他分別の概念が形成されるのですが、
これを起点としまして、命とかの属性概念が発達して逝くのであります。
やがて、自他分別の概念を因としまして、同時にこれを無明の因とする見解なのであります。
>そのcoreである生物的生命が、万物・万人と相互依存・縁起の関係にあれば、
>生命も「空」であり、立派な仏教です。
生命が万物・万人と相依しているわけではなく、
色心不二であり、命も相依においてしか縁生はないのです。
つまり相依が第一義であり、命というのはその二義なのであります。
ですから、貴殿が吹聴しておるのは仏教ではないですね。
残念ですが・・・
22:神も仏も名無しさん
09/03/13 17:59:50 RW8LnbN1
>>21
>元来、人間はそんなcoreなどありませんね。
早い話、貴殿が死ねば、その書き込みはできない、ということですw。
> つまり相依が第一義であり、命というのはその二義なのであります。
第一義、第二義、などという分別をしないのが「空」です。生命について言えば、
「相互依存即生命」です。
23:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/03/13 18:21:36 jgfMN00Y
>>22
>第一義、第二義、などという分別をしないのが「空」です。
そうではありません。
雑阿含経、第一義空経にありますように、原始仏教から「空」は第一義であります。
「生命」という言語概念は世俗諦になりますね。
ですから仏教は、先ず相対概念を第一義とすることはないのです。
>生命について言えば、「相互依存即生命」です。
相互依存において、生命とかの自覚が生起するのであります。
相互依存なくして、なんで生命などの自覚がありや?
小1時間問いたいですね。
24:神も仏も名無しさん
09/03/13 18:37:56 pQxipqrz
>>23
釈迦が相互依存、空を悟ったのも、その生物的生命によってであります。
死者には、悟りも、その他、如何なる営みも不可能です。
25:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/03/13 18:56:02 jgfMN00Y
>>24
いや、そうではないですね。
釈尊は「生者」とか「死者」とか、あらゆる概念が寂滅しまして、
すでにそういった囚われから解脱した瞬間に、光明を見出したのであります。
それは「生」とか「死」とかは殆ど意味がなさないのであります。
貴殿が、生死に迷っておる状況とは違いますね。
26:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/03/13 19:14:34 eJC1xUe8
では、これにて寝ます。
生命教というのは、ただ生命に囚われておっただけですね。
27:神も仏も名無しさん
09/03/14 10:17:22 B5WKVtWA
>釈迦が相互依存、空を悟ったのも、その生物的生命によってであります。
>死者には、悟りも、その他、如何なる営みも不可能です。
この理屈だと、苦しみがあるのも生物的生命があるから。
死んでしまえばいかなる苦しみも消え失せる。
死んだほうが良い。
なんだ生命教でなく実は自殺教ですか・・・
28:神も仏も名無しさん
09/03/14 11:32:45 1NKIrW4n
>>26
>>27
生存本能(生物的生命)は、人間を初め、すべての生物に共通する唯一の普遍
の事実。
苦しみが無ければ喜びもなく、死ねば永遠の無であることを悟っているから、
一度限りの生、今ここの生を、より良く生きる意欲が生じる。
釈迦も、「より良き生」のために、苦からの離脱を説いたのである。しかし
彼は、その鬱病ゆえに、苦や死に囚われ過ぎた。即ち、悟りが、もう一歩足り
なかった。
29:大王
09/03/14 11:42:18 ScMiNJCq
机対インキョ真理教の戦いかあ。
マア、机君が勝利する為には、哲学センスが勝負、昆布ドンレベルあれば、論破可能だが。
机君も真面目に仏教主義主張を保持し過ぎるからなあ、
インキョ真理教の強引な理論展開を細かく論破すれば、
インキョ真理教は意味不明論理立てか逃亡するだろうと。
30:神も仏も名無しさん
09/03/14 11:54:24 1NKIrW4n
>>29
生命を以って生命を否定・論破することは、初めからナンセンスで不可能。
昆布氏は、陰湿な宗教擁護者、宗教の黒幕に過ぎない。
31:神も仏も名無しさん
09/03/14 12:12:10 40GWlGM2
>>30
あんたの二項相対主義にたいする机氏の批判に対してなんにも答えていないよ。
32:神も仏も名無しさん
09/03/14 12:15:01 40GWlGM2
>>30
>生命を以って生命を否定・論破する
論点ずれまくりじゃんw
33:神も仏も名無しさん
09/03/14 12:15:15 1NKIrW4n
>>31
机師の、二項対立を批判しながらの二項対立という矛盾については、前レスで
すでに批判済み。
34:神も仏も名無しさん
09/03/14 12:19:17 40GWlGM2
>>33
それにしても、あんたよくずーっとこのスレに張り付いていられるね。
感心、感心w
一番安上がりのレジャーだけどねw
じゃ、おいらはホームレスの人たちの健康状態をみてきますので、また!
35:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/03/14 12:22:23 1VkhTIf2
>>29
>マア、机君が勝利する為には、
拙者は、法論で勝負を決するつもりはありませんね。
日蓮宗(日蓮正宗)とは違いますから。
ご隠居氏の書き込みを拝しますと、たぶんアートマン的な世界観があるかと想像しています。
ですからあえて、人間の命を「生物的生命」と言っておるんでしょうね。
つぅことは、
「生物的生命」以外の生命を想定しておるんでしょうから、
そのバックボーンである「生命」というのを根本義として語ちとる。
人間が死んだら、その根本義たる生命に吸収合併される。とか・・
それがご隠居氏の安心立命であることが、ほぼ確定しました。
仏教の位置づけといういのは、その担保ですね。
果たしてそれが担保になったかどうか?
それは拙者には解りませんが。
36:神も仏も名無しさん
09/03/14 12:26:04 1NKIrW4n
>>34
つい最近、クリスレから出張してきただけだよ。
しかし、クリスレに比べて、仏教スレは頭が疲れる。御釈迦さんは手ご
わい。イエスは、妄想と思考停止だけだが。
仏教は、現代的には、宗教などというチンケなものではなく、むしろ冷
厳な合理主義的哲学、自然科学として捉えるべきものだとおもう。
37:神も仏も名無しさん
09/03/14 12:36:26 1NKIrW4n
>>35
>「生物的生命」以外の生命を想定しておるんでしょうから、
それは全く違いますよ。宗教者が、「生命」をことさら「いのち」などと表記
して、「生物的生命」を避けているから、「生命(いのち)」には、「生物的
生命」以外にはないことを、明確にするためです。
それにしても、宗教者は、何故「いのち」などと表記するのか。自分が「生物
の一種に過ぎない」ことを自覚するのが、怖いのではないか。
「人間とは、生存本能(生命)を中核とする動物の一種に過ぎない」という、
「すべての人間に共通する唯一の普遍の事実」を思考の基盤としない議論は、
百人百様の「観念の遊戯」に堕してしまい、何千年議論しても、合意には到り
得ません。
38:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/03/14 13:40:52 1VkhTIf2
>>37
>それにしても、宗教者は、何故「いのち」などと表記するのか。自分が「生物
>の一種に過ぎない」ことを自覚するのが、怖いのではないか。
仏教者はあまり「いのち」とか表記しているのは見掛けたことはないですね。
つうか、
「いのち」とは何か?なんてあまり考えませんし、
総じて拘りとかがなくなりますね。
自由解放というのでしょうか?
こればかりは仏教者にしか解らんかと思いますね。
仏教に惹かれる。というのは、それなりの魅力があるからです。
>「人間とは、生存本能(生命)を中核とする動物の一種に過ぎない」という、
こういうことも考えませんね。
つうか、
生命どころか、あらゆる根本義が説き明かされるのです。
パーツどころではないですね。
そうでなければ、仏教は既に淘汰されてましたよ。
39:神も仏も名無しさん
09/03/14 14:05:52 b2ZALWps
>>38
>生命どころか、あらゆる根本義が説き明かされるのです。
>パーツどころではないですね。
その「あらゆる根本義の解き明かし」も、生物的生命の機能であったことに、
思い至る必要があります。若し、釈迦が今生に生を受けなければ、一切不可能
だったことです。
宗教を含め、人間の「ありとあらゆる営みの根源」は、その生物的生命です。
死者には、一切不可能。
生命は、パーツではなく、すべての根源です。
40:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/03/14 14:14:03 1VkhTIf2
>>39
>その「あらゆる根本義の解き明かし」も、生物的生命の機能であったことに、
だから、本来、生物的生命の機能などはないのですよw
五蘊においても縁起があって主客が分別され、その主体を生命と言うておるんです。
縁起があって→→そして生命の機能が発動です。
飯を食うと「美味い」ってのがあって、そして生命の機能があり、
またその対象となるご飯があるのです。
縁起がなければ生命はありようがない。
41:神も仏も名無しさん
09/03/14 14:50:03 b2ZALWps
>>40
「縁起がなければ生命はありようがない」ことに思い到ったのも、釈迦の
生物的生命w。
その生命が、万物との関連性の塊(空)であることに思い至ったのも、釈迦の
生物的生命。
42:神も仏も名無しさん
09/03/14 15:12:32 b2ZALWps
宗教、特に創唱宗教は、その開祖の精神障害の症状としての「観念過剰」
故に、頭のてっぺんでしか物事を考えないから、「人間が特別の存在」と
いう錯誤に陥り、その生物としての身体とその中に宿る生存本能に思い
到らなかった。これは宗教の「最大の見落とし」。
昨日の新聞だかで読んだが、蝿の脳も、その構造と機能において、人間の
脳と変わりはないそうだw。知覚や感覚の原理は同じw。
43:初代スレ7
09/03/14 17:35:45 YW8I6Bl6
>>40&>>41
>縁起があって→→そして生命の機能が発動です。
>「縁起がなければ生命はありようがない」ことに思い到ったのも、釈迦の生物的生命
縁起によって(縁によって)生命がある
↓
「縁起によって(縁によって)生命がある」と「観察し・思考している」のは生物的生命
↓
その生命は縁によって生じている
↓
「その(この)生命は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは「その(この)生命」
↓
「その生命」は縁によって生じている
↓
「「その(この)生命」は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは『その(この)生命』
↓
『その生命』は縁によって生じている
↓
「『その(この)生命』は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは《その(この)生命》
↓
《その生命》は縁によって生じている
↓
「《その(この)生命》は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは≪その(この)生命≫
↓
≪その生命≫は・・・・・・・
↓
・
・
・
・
;´ー`)y━~~
44:神も仏も名無しさん
09/03/14 17:39:57 c7dgK11E
机氏は空論を説いているけど、
机氏の場合、道徳や倫理はどこから出てくるのだろうか?
世渡りのための見せ掛け? そこを机氏に聞いてみたい気がする。
45:神も仏も名無しさん
09/03/14 18:17:49 c7dgK11E
昔も今も宗教は、生やさしいものではない。
論争に負ければ、耳や鼻をそがれたり、熱湯を浴びせられたり、
島流しにされたり、殺されたりする。
匿名掲示板である2ちゃんねる・・・宗教が持っている残酷な側面を緩和し、
みんなの宗教意識を高めるために多大の貢献をしていると思う。
46:初代スレ7
09/03/14 18:24:48 YW8I6Bl6
あ、全部同じ括弧でいいのかw
縁起によって(縁によって)生命がある
↓
「縁起によって(縁によって)生命がある」と「観察し・思考している」のはその生命
↓
その生命は縁によって生じている
↓
「その(この)生命は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは「その(この)生命」
↓
「その生命」は縁によって生じている
↓
「「その(この)生命」は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは「その(この)生命」
↓
「その生命」は縁によって生じている
↓
「「その(この)生命」は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは「その(この)生命」
↓
「その生命」は縁によって生じている
↓
「「その(この)生命」は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは「その(この)生命」
↓
「その生命」は縁によって生じている
↓
「「その(この)生命」は縁によって生じている」と「観察し・思考している」のは「その(この)生命」
↓
「その生命」は・・・・・・
↓
・
・
・
・
47:神も仏も名無しさん
09/03/14 18:37:46 c7dgK11E
>>43>>46
生命という言葉に二通りの意味がこめられている。
ひとつは食べたり飲んだりして維持されている身体的な意味である。
もうひとつは、身体的な意味とは違う、根源的な意味である。
ご隠居の話が循環しているわけではない。
48:初代スレ7
09/03/14 18:47:25 YW8I6Bl6
>>47
??? (´・ω・`)
どちらかといえば、
むしろ、御隠居擁護仏教批判になると思うが?
49:神も仏も名無しさん
09/03/14 18:50:52 c7dgK11E
禅宗が鎌倉武士や戦国武士たちに受け入れられたのは、
人殺しをしても罪を問われないという空論に理由があるのではないか?
他人殺しも自分殺しも空である。
これが空論であり、そこには道徳も倫理もまったくない。
50:神も仏も名無しさん
09/03/14 18:57:44 c7dgK11E
>>48
ご隠居はともかく、
仏教批判ではなくて、大乗中観派に対する批判である。
51:机龍之介
09/03/14 19:01:33 Ej2uAvOZ
>「縁起によって(縁によって)生命がある」と「観察し・思考している」のは生物的生命
これについて説明いたします。
「観察し・思考している」というのは、五蘊の想蘊にあたりますから、
拙者が前記いたしました
「美味しい」って五感の感受(受蘊)と同じ五蘊、つまり現象(縁起)です。
よって、理論的には
>飯を食うと「美味い」ってのがあって、そして生命の機能があり、
>またその対象となるご飯があるのです。 >>40
と同義です。
受蘊も想蘊も縁においてしか生起しないですね。
どんな論法であっても、すべてが縁生・縁滅の理法に見事に一致するのです。
この五蘊の作用は、色即是空の「色」。つまり現象ですね。
現象において自覚、つまり自己認識が可能となります。
つまり、現象なくば、自己認識は全くないですね。
(心臓がパクパクしておったとしても、縁起がなければ機械的にパクパクしているだけです)
#、、プロバイダー規制中のため、代行レスポンスです。
52:神も仏も名無しさん
09/03/14 19:05:17 c7dgK11E
要するに、肥えたブタでいいのか、やせたソクラテスがいいのか、
というテーマが、ご隠居VS机氏の背景に横たわっている。
53:神も仏も名無しさん
09/03/14 20:32:34 a5rVmfD7
>>46
前後関係が混乱している。縁を認識するのは、あくまで生物的生命である。
生命が無くなれば、縁起の認識が出来なくなるから、「はい、それまでよ」で
ある。
般若心経も、生命による「色」の知覚がまずあって、それが「空」であると
悟るのである。
>>52
ソクラテスを有難がるのは、ギリシャ哲学→キリスト教→西洋観念論哲学の
系統。東洋哲学とは、対極にある。
矢内原元当代総長は、東大の卒業式で、「肥えた豚ではなく、やせたソクラテス
になれ」などと訓話したが、これは彼がクリスチャン(プロテスタント)で
あったからである。卒業生の心には、響かなかったと思う。我々には、極めて
違和感があった。
54:神も仏も名無しさん
09/03/14 20:45:24 tfj/JqZY
>>53
ご隠居の背景にソクラテスを見たのだが・・・
肥えたブタのほうだったか ^△^
55:神も仏も名無しさん
09/03/14 21:11:51 a5rVmfD7
>>54
そもそも、矢内原が、人間を「豚」と「ソクラテス」に差別し、自分の気に入
らない人間を「豚呼ばわり」した時点で、彼の人間性は終わっている。イエス
の「豚に真珠」などという誤った言葉が、念頭にあったのだろう。
ソクラテスは、「勇気」「正義」「美」とは何かを、有識者に聞いて回ったが、
誰も「具体例」を挙げるだけで、その言葉の「定義」が出来なかったので、彼
らを無知であるとした。しかし、無知だったのは、ソクラテスのほう。これら
の言葉は、具体的状況下における具体的事物の属性であり、それを離れて抽象
的・観念的には存在しえないものであることに、彼は思い至らなかった。西洋
学の長い誤謬の始まりである。
「美しい花がある。花の美しさなぞ、ない。」(小林 秀雄)
56:美とは
09/03/14 21:53:49 qOsHPv8h
私は単純に「美」と「芸術」とを等しいものとは見ない。
「美」とは、一者に対する現象の透明性(現象を透過して一者が現れること)であり、
「芸術」とは、そのまわりに枠組みを持つもののことである。
モナ・リサは「芸術」であり、「美」であるが、
トマト・スープの缶は「芸術」である。
物質的に美しい何かを見ることは、
<神なるもの>の<美>に至る最短の道である。
それは輝く<神の顔>である無限の<美>の小さな限定版であり、
小さな縮小版である。そう、縮小されている。
しかし、それでもやはり<神なるもの>の光である。
プラトンの『饗宴(Symposium)』は、あらためて言うまでもなく、
私たちがこの物質的な美の光から始め、
それを使って<善>や究極の<美>それ自体のヴィジョンにさかのぼる
ことができるのを思い出させてくれる。
ホワイトヘッドの有名な評言、
「西洋的伝統は基本的にプラトンへの一連の脚注である」というのは
本当かもしれませんが、それらの脚注が分裂したのです。
人々は自分の気に入るプラトンの「半分」―来世的か現世的―を
受け入れがちで、全部を受け入れることはまれでした。
私たちはプラトンへの分裂した脚注に固着している必要はありません。
上昇および下降潮流はプラトンにおいて結合されていたのであり、
プロティノスにおいて結合されたことは絶対に確実です。
ケン・ウィルバー
57:プロティノス
09/03/14 22:06:25 qOsHPv8h
プラトンから、非二元性、統合的なヴィジョンの伝統は、無傷のまま、
そのもっとも有名な代表者プロティノスに受け継げられた。彼はその伝統に、
古今東西を通じてほかのどんな形式に見出されるよりも力強く、圧倒的で、
完全な言語表現を与えた。どこまでも独自の思想を構築した哲学者であり、
黙想の聖者であったプロティノスは、他に類を見ない規模の総合力を
持った天才であり、そこに彼の重要性が存在する。
「師は何ごとにおいても簡素であった」とポルピュリオスは述べている、
「一切の厳格な苦行なしに、師はその穏やかで愛情に満ち溢れた性質で、
すべての人の心をつかんだ」(これは誇張ではない。ローマにいる間、
彼はただの一人も目立った敵を作らなかった。これはその当時、ほとんど
不可能なことである)。「彼はこの世のすべての美わしきもの、良きものに
共感を抱いていた。彼の、自然に美しい表情は、友人と話すとき、光と愛と
に満ちていた」(「語るときには、英知が彼の表情に表れて、その光で顔を
照らした。普段から、見て魅力的であったが、そのときはとりわけ美しく
見えた。うっすらと汗がにじんで、柔和さが顔一面に輝きわたった」)。
ポリピュリオス『プロティノス伝』田中美知太郎訳による―訳注』。
彼は最終的にはバガヴァッド・ギータにおけるカルマ・ヨーガに似たタイプの
実践を記述している。
統一性(ユニティ)に根を置いて、汝の義務をなせ。そして義務をなすときは、
完全に「この世界」のなかでなすこと。カール・ヤスパースは書いている。
「彼は紛争の調停者として呼ばれることはあっても、けっして敵を作らな
かった。優れた男女が臨終の床にあってかれを呼び、自分の子弟の教育や、
その財産の管理を託した。このため彼の家は、いつも少年少女で溢れていた」。
孤児で一杯の家。この人物こそ、ヤスパースが正確に、そして多大の尊敬を
込めて次のように讃えた人であった。「プロティノスほど一者と共に生きた
哲学者はいない」。確かにプロティノスが真実の一者は他者を抱擁すると
述べるとき、彼の言葉は真実に満ちていた。
58:プロティノス
09/03/14 22:10:56 qOsHPv8h
プロティノスはカンパーニアにある家に滞在していたとき病魔におそわれ、
友人で医師のエウストキウスが急行したが、時間がかかりすぎたのかも
知れない。というのもエウストキウスが到着したとき、プロティノスは、ただ
次のように言うのだった、「私たちのなかにある神性」(彼はけっして「私の
なかにある神性」とは言わなかった)が、すべてのなかにある神性へと
旅立つ前に、あなたにお会いしようと待っていました」。そして彼は眼を閉じて、
息をひきとったのである。
*
プロティノスは答える。それは、今、ここで起きているのだ、と。
この時間のない瞬間において、
万物は絶対の一者から、やむことなく流出している。
存在のすべての段階は
この最高位の次元から一歩ずつ降りていったものである。
多元的なプロティノスのコスモスにおいては、
一者が他者―そして全部を誕生させ、全部は一者へ帰還する。
全部を構成するそれぞれは、無限の一者の完全な体現者である。
一者はそれぞれおよび全部の基底なのである。
*
プロティノス語録
「世界魂は世界のなかにない。
むしろ世界がそのなかに、抱擁され、形成されて、ある」
「魂は身体のなかにない。
しかし身体は、それを作りだした魂に包まれ、充満されているのである」
59:*
09/03/14 22:13:41 qOsHPv8h
プロティノスによる存在のホラーキー(階層)
絶対の一者
ヌース(直覚・英知)
魂・世界魂
創造的理性
論理的機能
概念と意見
イメージ
快楽・苦痛
知覚
植物性機能
物質
60:神も仏も名無しさん
09/03/14 22:38:06 UZ+MFe+f
日本の戦後インテリ仏教者は、漢字仏教用語を使って、勝義とか第一とか空とか縁起とかいって誤魔化すが、100%がちの唯物論者に1ペソ
61:神も仏も名無しさん
09/03/15 01:36:40 NAN43sCJ
>>59
根拠皆無な、「観念の遊戯」による分別の見本。
世界は「絶対の一者」などではなく、「生命」という「無数の絶対者」によっ
て形成されている。
62:神も仏も名無しさん
09/03/15 09:23:24 8XrdCJXJ
>>55
>ソクラテスは、「勇気」「正義」「美」とは何かを、有識者に聞いて回ったが、
>誰も「具体例」を挙げるだけで、その言葉の「定義」が出来なかったので、彼
>らを無知であるとした。しかし、無知だったのは、ソクラテスのほう。これら
>の言葉は、具体的状況下における具体的事物の属性であり、それを離れて抽象
>的・観念的には存在しえないものであることに、彼は思い至らなかった。西洋
>学の長い誤謬の始まりである。
>「美しい花がある。花の美しさなぞ、ない。」(小林 秀雄)
人間には「勇気」や「正義」や「美」などの純粋なイメージがありそうだ。
はっきり定義できなくても、そういったイメージがありそうだ。
そしてそのイメージから、この花はあの花より美しい、という判断をする。
ソクラテスはこのイメージを問題にしたのだろう。
この問題を設定しなおせば「なんじ自身を知れ」ということだろう。
63:神も仏も名無しさん
09/03/15 10:01:42 8XrdCJXJ
2ch規制
2chを利用しているのだから、ぜひ対価を払いたいと思っている。
しかしクレジットを使いたくない。そこで提案したい。
1 2chの振込み口座に、HN名(トリップ付き)で振り込む。
これなら利用料以外に、2ch応援のためにも使える。
2 たとえばノートンのように、2ch利用のキーを電器店などで売る。
規制されたら、このキーによってログインする。
64:神も仏も名無しさん
09/03/15 10:53:02 ype7zJLd
>>62
そんなイメージなら、百人百様で、言葉としての意味伝達のの機能を果たしえない。
キリスト教徒の「正義」とイスラームの「正義」とは、同じ意味かねw。
自分で自分を知ることは不可能。どこまで行っても「自分の」主観に過ぎない。
65:神も仏も名無しさん
09/03/15 11:14:53 8XrdCJXJ
>>64
「正義」や「善」などのイメージとは、
ソクラテスの場合、心の奥底から聞こえてくるような、幽かなものを
指していたように思う。これが「ものさし」になっている。
キリスト教徒やイスラム教徒などは、各宗教による独自の洗脳があり、
かれらの価値観がまったく重なるということはない。
しかし、善や正義を説くなど、おおよその骨格は同じだろう。
>自分で自分を知ることは不可能。
そうは思わない。自分がわからなければ、他人のこともわからない。
それでは共同体が成立しない。
66:神も仏も名無しさん
09/03/15 11:15:51 7MEzGFvo
>>63
P2て知ってるか?
67:神も仏も名無しさん
09/03/15 11:31:17 8XrdCJXJ
初代スレ7 さんが前スレで語っていた、
無数の因縁の、いったいどれが人間の業になるのか、というテーマ。
その人の身口意が問われ、「意志」が問われるのだと思う。
悪い「意志」が人間の「業」になる。
68:神も仏も名無しさん
09/03/15 11:33:18 8XrdCJXJ
>>66
知らない。簡単に教えてください。
69:無神論無宗教 ◆konbu//XQ6
09/03/15 11:57:37 VaotYIm7
>>55
矢内原って知らんが、ソクラテスと豚のメタファーはベンサムだよ。
ベンサムは、後世にも何かできることはないかと考えて、自分のミイラを作らせた人間だから、まあ、その人間性は推して知るべし♪
70:神も仏も名無しさん
09/03/15 12:52:48 FgQbqa7p
>>69
自分の気に入らない人間を「豚呼ばわり」したのは、イエスが最初だろう。
ベンサムは英国国教徒。
71:無神論無宗教 ◆konbu//XQ6
09/03/15 12:57:51 VaotYIm7
ゴイム乙♪
72:神も仏も名無しさん
09/03/15 15:31:32 7rEHkv+U
>>51
言いたいことは分かる。
しかし、釈迦も、生命によって知覚できる「色」、生命によって知覚できる
「苦」をまず前提としている。その逆ではない。最初から縁起など考えるの
ではない。生命によって知覚できない、神や霊、絶対の一者などの「形而上」
は否定する。まず「心臓がパクパク動いていること」が前提なのである。そし
て、「苦の除去」も、「身体のより良き生」という極めて形而下的なものである。
つまり、釈迦は、生命に無関係な「妄想」「形而上」を語っているのではない
ことを、忘れてはならない。
73:神も仏も名無しさん
09/03/15 15:48:31 Ae8v/I8m
悟りへの最短コース
大乗仏教の土台は唯識と空観である。現代風に言えば心理学と哲学である。
悟るためには、ひとつではなく、これらふたつが必要になる。
<心理学>はたとえばフロイトの精神分析など。
単なる知識ではなく、自分自身と格闘し、自分自身を分析する。
<哲学>は正反合の弁証法がいい。解説書程度の簡単なものでかまわない。
これも単なる知識ではなく、正反合の思考方法を体で消化する。
あとは学んだことを社会生活の中で実践する。
急がば回れ、これが早いと思う。そして射程距離も長くなる。
74:神も仏も名無しさん
09/03/15 15:56:48 7rEHkv+U
>>73
仏教に、何故、フロイトや弁証法などの西洋思想を持ち出すのかね。
東洋思想と西洋思想の本質的相違も理解できないのでは、仏教を語る
資格はない。
弁証法は、物事を「正」と「反」に分別するが、このような分別自体が
仏教ではない。弁証法は、「正」と「反」のそれぞれが、「正」と「反」
によって構成されており、従って弁証法など成立しないという、初歩的
な論理の誤りを犯している。
75:神も仏も名無しさん
09/03/15 16:13:54 Ae8v/I8m
>>74
弁証法では、ふたつのものの「正」と「反」ではなく、
ひとつのものの中に「正」と「反」を見つけることが重要になる。
これは相関関係(空間)の中に因果関係(時間)を見ることと同じ。
76:神も仏も名無しさん
09/03/15 16:21:00 Ae8v/I8m
渦を巻いている銀河を見れば、空間の中に時間があることがわかる。
道教の太極図も、その意味をシンボル化したと思われる。
77:神も仏も名無しさん
09/03/15 16:52:00 2Z3ysBBG
>>67
>その人の身口意が問われ、「意志」が問われるのだと思う。
>悪い「意志」が人間の「業」になる。
それは誤り。「業」とは、あくまで「行為」である。 いかなる意思を抱いても、
それが「行為」に表れない限り、共同体としては問題にしない。それが、道徳・
倫理の本質である。
業報論は、仏教の中心思想などではないが、仏教は、あくまで「行為」を問題と
しているところが、キリスト教との巨大な相違であることを、理解すべきである。
イエスとは異なり、仏教は、「淫らな心で女を見ただけで、姦淫の罪を犯した」
などという、アホなことは言わない。
78:無神論無宗教 ◆konbu//XQ6
09/03/15 16:53:01 VaotYIm7
元気そうで相変わらずなご隠居w
79:承狂 ◆nR84EH8w52
09/03/15 17:05:37 RxrV4dvO
>77
つ蜜厳院発露懺悔文
(^。^)普通に書いてますが?(笑)
80:神も仏も名無しさん
09/03/15 17:12:43 8CJBRg66
アジャンタ石窟寺院の第17窟の入り口には、8人の仏陀が描かれた壁画があります。
左から数えて6人目までが過去世の仏陀、7人目が釈尊、そして一番右側の王冠をかぶった
仏陀が未来に再誕する仏陀(未来仏)だと考えられています。
再誕の時期については、4千年説、5千年説から数億年先という説まで諸説紛々のようですが、
アジャンタ村では「仏陀は2500年後に生まれ変わってくる」という先祖からの言い伝えが
今も強く信じられているのです。
仏陀の生まれ変わりを信じない仏教徒も少なくないインドにおいて、これは異例のことといっても
よいと思います。
そのアジャンタ村で、セミナーを開催し、彼らが慕ってやまない仏陀が今、日本に生まれ変わって
いること、そして、日本人のためだけでなく、仏教徒のためだけでなく、世界のすべて人々を導く
ために新たな教えを説いていることを伝えました。
セミナーが終わった後も誰も帰ろうとせず、その様子を聞いて地元のプレスが取材に来たりしたため、
メディア局の方々の午後のスケジュールはキャンセルせざるを得なくなりました。
仏陀の再誕を知った村の人々の思いは、「死ぬまでに一度でいいから再誕の仏陀に会いたい」という
声に代表されます。
現在、主がさまざまな国を訪問され、法を説かれていること、かつての母国であるインドにもきっと
近い将来、訪ねてくださるであろうこと、そのためにも熱心に教えを学び、多くの人に伝えていくこと
が大事であることを話すと、「私たちはすでに2500年間も待ち続けてきたのだ」と、真剣な目で
訴えられました。
「どうか私たちのことを忘れないでほしい。どうか、必ずまた来て、再誕の仏陀の教えを話してほしい」
と何度も何度も懇願する人々に次の訪問を約束し、アジャンタ村を後にしました。
81:承狂 ◆nR84EH8w52
09/03/15 17:19:39 RxrV4dvO
>80
お釈迦さんの生まれ変わりなんて罰当たりな戯言を抜かすメタボの学歴コンプレックスの某の信者さんですね♪(笑)
(^。^)判ります♪お仕事乙♪(笑)
82:神も仏も名無しさん
09/03/15 17:23:41 8CJBRg66
インドの仏教徒というのは、その大部分がアンベドカル博士の信奉者です。
アンベドカル博士は、ヒンズー教のアウトカーストの出身ですが、苦学して世に認め
られるよういなり、インドの法務大臣にまで上り詰めました。
その過程で仏教に出会い、カーストによる差別を認めない教えであることを知って改
宗し、その後、何十万人もの人々をヒンズー教から仏教へと改宗させた方です。
インドでいったん滅んでいた仏教を再興させた功績は確かに大きいのですが、その考
え方には「仏陀以外の神を崇めてはならない」など、多分に排他的な要素が含まれて
いて、「仏陀の再誕」も否定しています。
セミナーの会場は、仏教寺院を兼ねた施設となっていて、正面に仏像が祀られ、その
右手にアンベドカル博士の銅像が置かれてありました。「かなり濃いなあ・・・」と
いう感じです。
私は冒頭に思い切って、「皆さんは、仏陀はもう生まれ変わらないと思いますか?」
と尋ねました。ほとんどの人が、「生まれ変わらない」と言いながら頷いています。
「『自分は涅槃に入ったから、もう地上の人は関係ない、苦しんでいても関係ない』
と、本当に仏陀がそう考えていると思いますか?」と重ねて問いかけました。今度は
皆、沈黙しています。
そこで、私は、仏陀が入寂の前に自ら予言したとおりに、東の国、日本に再誕され、
新たな教えを説いておられること、その教えを学び実践することにより、どんな環境
にある人でも必ず幸せになれること、中でももっとも重要な教えは愛の原理であり、
その実践により人類は宗教や民族の違いを乗り超えて調和することができる、という
ことなどを話しました。
終わった後は何となく騒然とした感じでしたが、再びリーダーが前に出てきて、大き
な声で激しく何かを訴えています。通訳してもらうと、「今日、私たちはたいへん大事なことを学んだ。こういう教えが
あれば、世界はきっと平和になる。みんなでしっかり勉強しよう」というような内容
だということでした。
「仏陀再誕」の事実を、アンベドカル派の仏教徒の方々にも受け入れていただけたの
は、大きな収穫でした。
この日は、約200名の参加者のうちちょうど180名が入会されました。
83:無神論無宗教 ◆konbu//XQ6
09/03/15 17:24:22 VaotYIm7
まあ、そう言うなよ。
釈迦もやっぱりその辺のおっさんと変わらんってだけのことだろう。
苦行に飽きてスジャータとやってしまったのに開き直って「ブッタ」といったらしいし、まあ、輪廻から解脱してないのもわかるじゃん♪
詐欺だねぇ~w
84:承狂 ◆nR84EH8w52
09/03/15 17:29:07 RxrV4dvO
>82
民主化の為に努力している社会運動グループから、カルトに勧誘した訳ですか。
( ̄∀ ̄)君たち、あんまり悪戯ばかりついていると地獄に落ちますよ。
85:承狂 ◆nR84EH8w52
09/03/15 17:29:48 RxrV4dvO
>82
民主化の為に努力している社会運動グループから、カルトに勧誘した訳ですか。
( ̄∀ ̄)因業な・・・
86:承狂 ◆nR84EH8w52
09/03/15 17:33:49 RxrV4dvO
(^。^;)失敗した♪(笑)
>83
(´д`)・・・
87:無神論無宗教 ◆konbu//XQ6
09/03/15 17:38:07 VaotYIm7
なに興奮してんだか笑
アホw
88:承狂 ◆nR84EH8w52
09/03/15 18:01:00 RxrV4dvO
>87
(^。^;)イカン。下品なレスしか浮かばない。
89:無神論無宗教 ◆konbu//XQ6
09/03/15 18:08:35 VaotYIm7
品性が出てるだけだろう♪
隠したって、無駄無駄w
どうせばれる(^。^)y-.。o○
90:神も仏も名無しさん
09/03/15 18:14:58 T9oDzRme
>>77
>イエスとは異なり、仏教は、「淫らな心で女を見ただけで、姦淫の罪を犯した」
>などという、アホなことは言わない。
唯識や空観のように、仏教はきわめて唯心論的なものである。
心に思ったことが現実であり、悪い意志によって業が積み重なることになる。
イエスの言っていることとまったく同じ。
91:神も仏も名無しさん
09/03/15 18:29:28 T9oDzRme
>>77
常識や道徳を基盤とする法律においても、
ある行為が意図的であるかそうでないかはきわめて重要であり、
その行為の責任問題を左右する。
92:神も仏も名無しさん
09/03/15 18:54:41 T9oDzRme
>>77
何をやったかではなくて、何を思ったかがその人の運命を左右する。
霊界では、その人の地上での思いによって裁かれる。
これは相当に愉快な話ではないか。
93:神も仏も名無しさん
09/03/15 19:29:48 B+zwLgAe
>>91
それはあくまで「行為」を前提とする。意思だけで罰せられるような犯罪は
ない。
「殺したい」と思っただけで、殺人罪になるか。イエスの、「姦淫の罪を犯した」
は、それと同じことになる。共同体における道徳・倫理・法とは何かを、理解
していないのである。
94:神も仏も名無しさん
09/03/15 19:35:16 B+zwLgAe
>>90
>イエスの言っていることとまったく同じ。
またクリスチャンが湧いてきたな。カルトはお断り。
95:神も仏も名無しさん
09/03/15 19:41:54 B+zwLgAe
>>89
昆布君。北海道あたりの牧師(?)で、宗教擁護の黒幕の君が、
「無神論無宗教」では、虚偽表示。住民に誤認混同を招く。
イエスを批判されると反応する「無神論無宗教」は痛いw。
96:無神論無宗教 ◆konbu//XQ6
09/03/15 19:45:44 VaotYIm7
私はアンチじゃないからなw
97:神も仏も名無しさん
09/03/15 20:02:41 T9oDzRme
>>93
たしかにこの世では、
行為がまず問われ、そのつぎに意思や動機が問われる。
意思と行為との間にはかなりの距離がある。
しかし意思されたことは、チャンスがあれば実行されるのであり、
意思と行為との距離はどんどん縮まる。
そう考えれば、イエスは真実を語っている。
そして意思がそのまま行為になる霊界ではまったくの真実である。
98:神も仏も名無しさん
09/03/15 20:29:25 T9oDzRme
>>93
想念を現実だと理解する仏教のほうがイエスの上を行くのではないか?
99:神も仏も名無しさん
09/03/15 20:50:28 B+zwLgAe
>>97
>しかし意思されたことは、チャンスがあれば実行されるのであり、
そんなことはない。自己の意思を、他者を考慮して抑えるのが、道徳・倫理・
法である。
宗教者なのに、道徳の原理も知らないのかw。
100:神も仏も名無しさん
09/03/15 20:58:29 T9oDzRme
ふだん思っていることが夢になる。
そして、ある人間の思いは、ある人格レベルに集約されていく。
このことは霊界における生活を暗示させる。
霊界では、その人の思うがままであり、同じ人格レベルが永遠に続く。
苦しむ霊がいるなら永遠に苦しむことになる。
かりに転生があるなら、永遠の苦しみ、これに関係しているのではないか。
苦しむことによって業がつき、神の慈悲によって再びこの世に生まれる。
101:神も仏も名無しさん
09/03/15 20:58:49 B+zwLgAe
イエスに、道徳の原理を教えてあげよう。
「すべての人は死を恐れ、すべての人は暴力に怯える。己が身に引き比
べて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(法句経)。
イエスが逆立ちしても、言えない言葉である。
102:神も仏も名無しさん
09/03/15 21:07:53 T9oDzRme
>>101
死を恐れ、暴力に怯えるところに、悟り不足を感じてしまう。
それより十戒の、「殺すな」という掟のほうがいい。
103:神も仏も名無しさん
09/03/15 21:16:36 B+zwLgAe
>>102
>それより十戒の、「殺すな」という掟のほうがいい。
「殺すな」という「命令」だけで、その理由も述べなければ、説得力が
ないばかりか、かえって反発・逆効果を招く。
旧約の「殺すな」は、原義では、「殺すはずがない」ということだそうだ。
ちゃんとそう訳せば、人間に対する大いなる信頼が感じられ、より説得力が
増す。
>死を恐れ、暴力に怯えるところに、悟り不足を感じてしまう。
悟れば、殺してもよいのか。「すべての人は死を恐れる」というところ
に、人間性の洞察がある。イエスには、人間性の洞察は皆無である。
104:神も仏も名無しさん
09/03/15 21:23:15 T9oDzRme
転生し、新しく生まれた人はゼロからスタートする。
霊界で業はつき、善でもなく悪でもない白紙の状態になっている。
転生は神の御業であり、前世など、論じるべきことではないと思う。
大富豪が乞食になり、乞食が大富豪になるかもしれない。
男が女になり、女が男になるかもしれない。
転生すること自体が神の奇跡なのではなかろうか。
105:神も仏も名無しさん
09/03/15 21:27:20 B+zwLgAe
>>100
>神の慈悲によって再びこの世に生まれる。
仏教は、神や霊のような、「人間が考えても無意味なもの」は考えない。
孔子も、「怪力・乱神」は語らなかった。
106:神も仏も名無しさん
09/03/15 21:42:11 T9oDzRme
>>103
神の命令に理由があっては不自然に思う。
原義よりも、「殺すな」だけのほうがすっきりして神らしい。
覚悟していない人に対する説教だったら、法句経でいいのかもしれない。
しかし時には、死を覚悟することもあるし、そしたら暴力にも怯えないだろう。
そうすると「己が身に引き比べて」という部分が意味をなさなくなる。
107:神も仏も名無しさん
09/03/15 21:58:59 T9oDzRme
>>105
神や霊を考えない思想は哲学であり、宗教ではない。
釈迦や孔子が、神や霊を否定して語らなかったのか、
肯定していたが周囲の事情で語れなかったのか、どちらなのだろう?
108:神も仏も名無しさん
09/03/15 22:13:55 T9oDzRme
秋葉原で死を覚悟した人の事件があった。彼には「殺すな」と言いたい。
孔子は今で言う葬祭業者だったらしい。少なくても霊を感じていたはず。
109:神も仏も名無しさん
09/03/15 22:32:38 twlivWLJ
>>107
>神や霊を考えない思想は哲学であり、宗教ではない。
人間の空想の産物に過ぎない神や霊が「実在する」と信じ込ませるのが、人間
にとって最も有害。一旦信じ込ませれば、人間はその現実性を破壊されて狂い、
後は、人間が人間を自由に操れることになる。これ以上の「人権侵害」はない。
神や霊を振り回すことは、もはや法律で禁止すべきもの。
霊は、英語ではsoul,spirit。即ち、人間の精神のこと。人間の外部には、どこにも
存在しないのである。
キリスト教の「聖霊」も、旧約聖書では、創造主がすべての人間に吹き込んだ
「ルーアッハ」「プネウマ」即ち「空気」「生命」「精神」のこと。それを、
新約聖書が、「人間のどこか外部から鳩のように舞い降りてくる物」に歪曲・
捏造したものである。聖霊を冒涜しているのは、他ならぬ新約聖書なのである。
110:神も仏も名無しさん
09/03/15 22:39:56 T9oDzRme
あとは前世の記憶だが、これにはいい予感を少しも感じない。
たとえば、前世がサルであり、ネズミであったことを思い出してどうする?
前世の業がつき、新しく転生したことで十分ではないだろうか?
前世の記憶が思い出せないということ。
これは神が、人間の「知識」を重要視していないことなのかとも思う。
それが重要なら寿命を200年300年にすればいいだろう。
しかし「知識」ではないから70年80年なのだろう。
重要なのは「知識」ではなくて「意志」である。
111:神も仏も名無しさん
09/03/15 22:58:39 T9oDzRme
>>109
ご隠居は宗教の洗脳を語っている。それは正しいと思う。
しかし個人的な体験であれば洗脳ではない。
ご隠居に欠けているもの、それは体験だと思う。
聖霊についての説明にはおおよそ同意する。
ただし鳩の話は内的な心的なドラマだと。
112:神も仏も名無しさん
09/03/15 23:13:15 twlivWLJ
>>111
>しかし個人的な体験であれば洗脳ではない。
>ご隠居に欠けているもの、それは体験だと思う。
体験って、洗脳体験のことか。一旦神や霊で洗脳されれば、一生涯離脱は
極めて困難。幸運にして離脱できても、洗脳期間と同期間の「のたうちまわる」
苦しみを経験する。結局は、宗教から宗教へ渡り歩くことになる。一生は破滅
である。家庭を初め、人間関係はすべて破壊される。身近で洗脳患者を観察し
ているから、最も良く知っている。
113:神も仏も名無しさん
09/03/15 23:14:45 T9oDzRme
前世の記憶・・・これを思い出してどうするのだろう?
前世での失敗、悔いることを思い出してもどうすることもできない。
思い出しても意味がないし、つらいだけだろう。
記憶を思い出すこと、これには不思議なものがある。
だいたい、いやなことを思い出す。
いいこともたくさんあったはずなのに、どうしてなのだろう?
ごめんね、ごめんねと言うことに意味があるのか?
きっとそうなのだろう。
114:大王
09/03/15 23:18:41 ExRe/v0v
まあ、議論スレで転生なんて、関心が無いんで、ここじゃ隠居を論破する気がおきないな。
議論である以上、隠居氏の発言も認知されるべきだろうと思うからね。
115:大王
09/03/15 23:20:29 ExRe/v0v
転生を論理性で裁断する的な隠居論のみに関しては異論は別にないからなあ。
116:神も仏も名無しさん
09/03/15 23:40:07 T9oDzRme
>>112
洗脳体験ではなくて、空の体験・聖霊体験・アートマン体験ですよ。
早くこういった体験をしてください。
ご隠居の原点が、身近な人の洗脳体験だったことを知り、
その頑固さに納得しました。ご隠居の論理は、
ソクラテスの産婆術のような印象だったけど、がっかりしました。
今日はありがとうです。でわでわ、おやすみ。
117:神も仏も名無しさん
09/03/16 00:51:36 hh9Vlw8k
>>116
>洗脳体験ではなくて、空の体験・聖霊体験・アートマン体験ですよ。
それが、洗脳体験というのだよw。変性意識により気が狂うということ。
一旦経験したら、人生オシマイ。
118:神も仏も名無しさん
09/03/16 08:24:51 zHDb6Ng7
>>107
釈迦は神々について普通に話してるけど。
神学みたいな込み入った設定がないだけ。
119:神も仏も名無しさん
09/03/16 09:32:57 eN+oJYq9
>>118
>釈迦は神々について普通に話してるけど。
バラモン教からの過渡期に過ぎない。その意味で、原始仏典は無視すべき。
「空」が仏教の中心思想であるのに、「神や霊」の実在など認めたら、仏教は
矛盾しまくりの宗教になってしまう。
120:神も仏も名無しさん
09/03/16 11:28:02 zHDb6Ng7
>>119
>「神や霊」
神も霊も「空」で何の問題がある?キリスト教的な見方をひきずってるだろ。
仏教では神も霊も因果を超越とかしてない。神々もただの衆生。
仏教で否定される神は「絶対神」や「主宰神」の類だ。
121:神も仏も名無しさん
09/03/16 12:02:22 vWLYlDrD
仏陀は輪廻も神も霊も説いている。
122:神も仏も名無しさん
09/03/16 12:30:58 xvpJeUw7
>>121
だからそれは、バラモン教をまだ引きずっている状態。仏教としては
無視すべきもの。さもなければ、仏教がバラモン教に逆戻りする。何の
ための仏教か。
123:神も仏も名無しさん
09/03/16 13:56:03 zHDb6Ng7
>>122
仏陀本人が引きずってるんだから仕方が無い。
仏陀の考えは仏陀の考えとして、仏教とは別個に
仏教から一部ネタを拝借した。
「進歩的な考え」でも作ればいいんじゃないの。
124:生命とは何か
09/03/16 14:01:48 lm4bm2/G
玉城康四郎(仏教学者、元東大名誉教授)『生命とは何か―ブッダをとおして
の人間の原像』を読んでみた。わかったポイントは、次のようなものである。
1.玉城氏は、「ダンマの顕現」や「永遠のいのち」などといわれる世界を
直覚した。
2.同時に、自分の根底には、輪廻転生する主体であるところの「業熟体」
があるという自覚が生じている。この業熟体とはアーラヤ識に対応する
と言っている。つまり、「個的な自己」の根源としてのアーラヤ識は自覚
しうるものであり、それが自覚できたときに、それが業のかたまりである
ことも自覚され、そしてその業のかたまりの中に顕現するのがダンマで
あるということである。
3.この本では、臨死体験や体外離脱に経験についてかなり語られ、それ
が仏教で言う「中有」であることが論じられている。そして玉城氏がそれ
がある意味で実在していることを肯定している(ある意味、というのは、
仏教においては根源的な意味では何も実在するものは認めないから
である)。
玉城氏のこのような発言はいまだに無視され続けている。君子危うきに
近寄らず、という名の保身主義であろう。しかし、死後はどうなるのかという
もっとも根源的な問いに取り組むことなしに、霊性(スピリチュアル)もへっ
たくれもない、というのが私の立場である。
125:生命とは何か
09/03/16 14:02:31 lm4bm2/G
微細次元の身体が実在するということはそれほど怪しげな言説であろうか。
思うに、自己性の根源としてアーラヤ識があり、それこそが身体性を形成
する原理である、ということが承認されるならば、その身体性のあり方には
複数のタイプがありうること(これが微細身)、そして同次元においても継起的
に複数の身体性を形成すること(これが転生)、という可能性を否定する
根拠も、論理的には何もないのである。それが仏教本来の見方であると
私は思っている。その意味で私の論も決してトンデモではなく、伝統に根ざ
したことを述べているだけだ、と考えるものである。
ただ、この本を読むとわかるが、玉城氏は自在に体外に離脱したり、また、
微細レベルに存在する身体を直接に見たりすることはできなかったようである。
そう考えると、玉城氏の悟りというのも、究極である「法界体性智」というか、
究極まで到達したものではなかった、という判断ができると思う。こう言うのは
ずいぶん僭越、傲慢と感じる人もあろうが、本当に仏智に達するということは
宇宙的な絶対智の達成にほかならないので、それをいっさいまげずに考えれば、
玉城氏の見た光明の世界は、悟りの世界の「入り口」であった、と結論すべき
だと私は思う。
というのも以前に、「玉城氏には超感覚的な能力はないようであるが、それ
なら、そういう超感覚の発達という道筋を通らずに絶対に至るという道もある
ということだろうか」というような質問を送って来た人がいたのである。しかし、
それならばそれはもはや絶対とは呼べないだろう。論理的には、玉城氏は
究極までは行っていない、と考えるしかないのである。だからといって玉城氏
に対する尊敬の念が変化するわけではない。ただ、玉城氏と空海とは同等
ではない、と述べているだけである。玉城氏自身、空海と同等だと思っていた
わけではないと思う。
ただ、この「ダンマの顕現」の体験は、いわばスタートラインだと思っている。
このことがわかってはじめて、霊性(スピリチュアル)について何か発言する
ことが可能になるという、基本線なのである。最低限そこまではなんとなく
でもわからないと、というのが私の「自主基準」である。
126:神も仏も名無しさん
09/03/16 14:15:10 /j6kZMUF
>>123
仏陀の誤りがあれば正し、それを一歩進めることが、弟子の義務ではないのか。
仏陀は何のために「自灯明」を説いたのか、よーく考えてみて欲しい。
自灯明などと言い切れたのは、多くの宗教の開祖のうち、釈迦のみである。
127:神も仏も名無しさん
09/03/16 14:25:25 /j6kZMUF
>>125
「悟り」とは、「万物の複雑な相互依存性・関連性の自覚」という、極めて冷
厳・合理的・理性的な営みである。「神秘体験」などとは対極にあるもの。
128:神も仏も名無しさん
09/03/16 22:01:49 4ytXD+u1
>>126
>仏陀の誤りがあれば正し、
自覚してるんなら、それでよし。例えて言うなら
今は仏陀は生きていないけども、仮に同席する機会があったとして
認めないようなら仏陀に「アンタ駄目やね」と言って捨て置くならおk。
口先で自灯明を掲げつつ、仏陀(仏教)ブランドに擦り寄るなら本末転倒。
自分なりに自灯明した結果、仏陀の教えを承服しきれず、批判する立場になれば
自分が「仏の」「仏教の」などと名乗る理由は存在しないから。
仮に名乗るとすると、そもそも、なぜ主張に誤りのある人間の
称号をわざわざくっつけなくてはならないのかという疑問が生じる。
ゴータマは教えに誤りを含んだ男で、自分は彼よりも正しい、
もしくは自分こそが本物の「仏陀」だ、というなら主張に少しは整合性があるが。
129:神も仏も名無しさん
09/03/16 22:04:26 vWLYlDrD
コピペ
お釈迦様が説いた「四諦八正道(したいはちしょうどう)」
「四諦」とは「苦諦(くたい)」「集諦(じったい)」「滅諦(めったい)」「道諦(どうたい)」の四つ。
1、「苦諦」苦しみは何ですか。(病・貧・争)
2、「集諦」仏法真理知識で苦しみの原因を突き止める。
3、「滅諦」苦の原因の欲・執着から離れは爽やかな軽い心になったら良いですね。
4、「道諦」八正道の反省を通して抜苦与楽し爽やかな軽い心を取り戻す。
積極的人生の幸福な生き方ができるようになる。
お釈迦様は無神論は説いていません。霊的人生観こそ真の幸福に到る方法であります。
この世とあの世を貫いた幸福を真なる幸福であります。
130:神も仏も名無しさん
09/03/16 22:13:41 4ytXD+u1
糞味噌はこうして混ぜられていく、という実例を見せられた思いだ。
131:神も仏も名無しさん
09/03/16 23:00:08 KEAy3Qtt
明日、輪廻=仏法の教義説を唱えるゲストが来る予定。
よろしく。
132:神も仏も名無しさん
09/03/17 00:10:32 Hn1DWe+N
>>128
「教祖は完全で、誤りが無い」と思い込むのが、まさに宗教によるマインドコントロール、
宗教の「病理」である。
133:神も仏も名無しさん
09/03/17 00:15:26 Hn1DWe+N
>>131
いい加減で、輪廻転生に対する執着を去ったらどうかね。自分の信じる
「唯一神」を失いたくない、という意図的な執着以外には考えられない。
輪廻転生が中心思想の宗教など、無意味・無価値である。
134:神も仏も名無しさん
09/03/17 10:31:06 7Rer/evc
>>132
>認めないようなら仏陀に「アンタ駄目やね」と言って捨て置くならおk。
>口先で自灯明を掲げつつ、仏陀(仏教)ブランドに擦り寄るなら本末転倒。
135:初代スレ7
09/03/17 11:23:49 YbmlI9mA
>>131
wktkだなw
では、ツッコミ用のネタも兼ねて、私個人のスタンスを略記しておこう。
《「輪廻」は、仏教の【前提の一つ】ではあるが【教義】ではない》
(→ここに於いて「前提」と「教義」を分けている点を重視していただきたい。
なぜ「前提足り得ても教義足り得ないのか」を。)
《「輪廻」は、「転生」という概念・用語・言い方を含まざるを得ないが、
「転生」の語義は(仏教という枠組みにふさわしい範囲に)狭めるべきである》
面倒なので詳説はしない。好き勝手に読み解いてくれw
136:神も仏も名無しさん
09/03/17 11:24:27 Bk1rkK0X
>>128
>口先で自灯明を掲げつつ、仏陀(仏教)ブランドに擦り寄るなら本末転倒。
そんなことはない。開祖の誤りは正し、「現代でも通用する部分」があれば、
その部分のみを認めることは、むしろ「宗教の現代的あり方」であろう。さも
なければ、単なる「盲信」「原理主義」に過ぎない。
137:神も仏も名無しさん
09/03/17 11:31:08 7Rer/evc
>>136
>「現代でも通用する部分」があれば、その部分のみを認めることは
思想の中から、ある部分を流用することを否定した覚えは無いが。
>仏陀の考えは仏陀の考えとして、仏教とは別個に
>仏教から一部ネタを拝借した。
>「進歩的な考え」でも作ればいいんじゃないの。
「宗教として」支持してるわけでもない人間が、なぜ看板を背負う必要があるのか?
138:神も仏も名無しさん
09/03/17 11:39:54 Bk1rkK0X
>>137
君は、「盲信」だけが宗教だと勘違いしているのかね。尤も、心理的に
盲信に陥らざるを得ないのが、宗教の最大の「病理」なのだが。
139:神も仏も名無しさん
09/03/17 11:46:19 7Rer/evc
>>138
>君は、「盲信」だけが宗教だと勘違いしているのかね。
いや、もう一つ「辻褄合わせ」がある。大雑把に言えば「盲信」の範疇だが。
神話を「誤り」としないために、象徴的に解したりすること等がこれにあたる。
ユダヤ教徒やキリスト教徒で進化論者や地質学者をしている人はこれをやっていると言える。
140:神も仏も名無しさん
09/03/17 12:02:11 Bk1rkK0X
>>139
もともと辻褄が合っていない大昔の宗教を、辻褄合わせようとすれば、
かえって辻褄が合わなくなるだけ。
その進化論者や地質学者は、宗教の「現代に適用しない部分」は廃棄し
ようと努力している。それが、むしろ「宗教の正しいあり方」ではない
のか。
宗教の開祖は、あくまで、「当時の状況における当時の人々」に対して
説いたのである。ならば、開祖の意図を尊重するためには、常に時代の
変化と進歩に応じてアップデートして行く努力をすることが、弟子たちの
義務であるはず。さもなければ、むしろ、開祖の意図を尊重していない
ことになる。
開祖が何を説いたかではなく、開祖が現代に生きていれば何を説くか、
を考えることが必要。
141:神も仏も名無しさん
09/03/17 12:24:32 7Rer/evc
隠居は仏教を「宗教として」支持しているのか。
仏教を信じているのか?仏教徒なのか?違うだろ。
今までの流れを見るに、自灯明をすすめる態度や「空」や縁起に
「現代人から見ても妥当性がある」という「評価」をくだしているだけだ。
なら仏陀の思想のうち、この部分には共感する、と言って引用すればいいだけの話であって、
それで何の問題があるんだろう。この時点で仏陀への批判はできており、また盲信になっていないというのに。
>>140
>宗教の「現代に適用しない部分」は廃棄しようと努力している。
廃棄する部分に「聖典そのもの」は入っていない。
バチカンは進化論に妥当性を認めているが、創世記を誤りだとして否定したわけではない。
神の意思だとか、霊的ななんじゃらかんじゃらという解釈を与えてるだけ。
辻褄合わせの例が見たいならwikipediaの「聖書への批判」でも見ればいいよ。
>宗教の開祖は、あくまで、「当時の状況における当時の人々」に対して説いたのである。
(当たり前だが)ある時代に生まれた人間はその時代にしか生きられず、
また同時代の人々にしか会うことがないから結果的にそうなっているだけ。
>開祖の意図を尊重するためには、常に時代の変化と進歩に応じてアップデートして行く努力をすることが、
仏陀にとっての転生は本人にとって前提となる「事実」にあたる部分だ。「方法論」の部分ではない。
>開祖が何を説いたかではなく、開祖が現代に生きていれば何を説くか、を考えることが必要。
そこで形作られた仏陀像があくまで仮想上のものであることを自覚してるなら、それでいいと思うよ。
142:神も仏も名無しさん
09/03/17 12:40:19 7Rer/evc
これまでの話のなかで隠居が
・転生説を蒙昧なものとして否定している。が、
・仏陀が過去に「転生(再生誕)を説いた」ことは事実として認める。
・仏陀が説いたこととは言え、不合理な転生説は否定されるべきである。
と考えていることは明らかになった。
これから先の話として、仏陀の思想のうち、不合理なものは否定し
合理的なものを流用する(これ自体はこちらも否定してない)うえで、
そうして作った思想に「仏教」というラベルを貼るのは妥当か否か、という議論になっている。
が、これ以上のことはある事柄に対する基準の違い、
価値観の違いということになるだろう。
この件についてこちらが言うべきことは全部言ったし、
これ以上、続けても前言ったことを別の言い回しで返すだけになる。
というわけで、この議論について、こちらはこのレスをもって終わりとする。
143:神も仏も名無しさん
09/03/17 13:11:56 cJK+mOAc
釈迦はある人には転生はあると話し、ある人には転生は無いと話した。
144:神も仏も名無しさん
09/03/17 13:21:15 7Rer/evc
どういう文脈で、どんな相手に対して言ったのか、
出典つきで書いてほしい。
145:神も仏も名無しさん
09/03/17 14:17:51 CIzMvmrL
>>142
>仏陀が過去に「転生(再生誕)を説いた」ことは事実として認める。
「説いた」というのは誤り。仏陀の死後はるか後に、弟子たちが作った「原始
仏典」に「書いてある」というだけ。「仏陀自身が説いた」という保証はゼロ
である。
146:神も仏も名無しさん
09/03/17 16:52:07 7Rer/evc
>>145
>保証は
歴史のことだからねえ。
前スレでも書いたが、仏典全体にわたって様々な状況で散りばめられていることから
仏陀が転生説を否定した可能性はかなり小さいと言える。
逆に仏陀自身が説いた可能性は非常に高い。仏陀の、本人らにとっての価値を鑑みれば、
伝承が、転生説についても○か×か程度の情報で誤りが出るほど疎かなものになるとは考えにくい。
来世のディディールのそのまた細部なら誤差も十分出てくるだろうが。
147:神も仏も名無しさん
09/03/17 17:09:15 7Rer/evc
アレクサンダー大王が何をしたか、とか、イエスやらソクラテスが何を説いたか、
と同じ程度には仏陀は「転生説を説いた」と言えるし、自分はその意味で
仏陀は説いた、というレスをしている。
148:中庸
09/03/17 17:30:12 0hDiIM3n
この世から霊界に行き、霊界からこの世に転生するかもしれない、
というあたりまでわかってきました。
あとは前世の記憶ですかね。
149:神も仏も名無しさん
09/03/17 17:37:16 EXTMb5je
>>148
この世の存在さえ認めない釈迦が、霊界の存在など認める訳がないだろうw。
150:中庸
09/03/17 18:01:09 0hDiIM3n
前世の記憶を考える手がかりは、
この記憶がどこで消えてしまうのかを推測することにありそうです。
霊界が夢を見ているようなものだと仮定すれば、
霊界の段階ではこの世の記憶があると言えるのかもしれません。
なぜなら夢は、記憶を材料にしているから。
ただし夢には意識がありません。
そして転生する理由は、霊界での永遠の苦しみを避けるため、
その霊の業がつきたときに、その霊に再びチャンスを与えるためです。
そして「業がつきた」ということがポイントのように思えます。
151:tibyaku
09/03/17 18:13:40 5JC8CIJ0
前世の記憶は肉体脳の記憶とは別次元のことで、前世の記憶は心の記憶のことを
意味しています。この世の人生で経験で学んだ心の糧とか心に痛みを伴う苦しみは、
心のという所に蓄積されます。
例えば
1300年 890年前 100年前
天国 天国 天国
1000年前 600年前 現在
イラン人 アメリカ人 日本人
520年前
地獄
上記の転生輪廻を例えて上げましたが現在日本人になっている時点の前世の記憶はイラン人としての心の記憶、アメリカ人としての心の記憶が前世の記憶にあたります。
心の記憶は魂の記憶でもあります。お解りでしょうか?
152:tibyaku
09/03/17 18:24:04 5JC8CIJ0
>>151の続き
心(魂)の記憶は心の想念帯に記憶されます。守護霊がご本人を撮影しますから
三途の川を渡ってあの世の寄り合い場所ドームみたいなところでご本人の認識に
あわせて映画がいい場合は映画の上映が始まります。ご本人様の生まれて死ぬま
での人生ドラマみたいに観れます。先にお亡くなりになった親戚や友人・知人・
大切な方と一緒に鑑賞できますので、秘密や内緒など洗いざらい出てまいります。
そして人生劇場が終わった頃天国か地獄か定まります。
153:中庸
09/03/17 18:28:59 0hDiIM3n
>>149
竜樹の空とか聖徳太子の世間虚仮ですかね?
前世の記憶はすぐ終わります。少し待ってください、onz
「業がつきた」ということは、記憶されていたことがエネルギーを失い、
世親が語る根本種子に変換されたのではないかと思うのです。
そうすると、転生して、新しく誕生するということは、
古いアラヤ識がなくなるのではなく、古いアラヤ識が不活性化しているだけ
ということになります。そのアラヤ識に根本種子が存在します。
ではなぜ思い出さないのかと言えば、
不活性化しているからであり、それらの種子は死んでいるからです。
つまりアラヤ識とは、前世の記憶と言うより、過去世の集合死体なのです。
154:神も仏も名無しさん
09/03/17 18:29:19 7kRZXr64
言うのも馬鹿馬鹿しいが証拠を持って出直しなさい
155:中庸
09/03/17 18:45:08 0hDiIM3n
>>151>>152
チビャクさんには大半同意します。しかし同意できない点もあります。
前世の記憶に関する結論は、業がつきたような、
そういった記憶は無意味であり、それ以下ではないのか、
ということです。それらは不浄なものです。
156:中庸
09/03/17 19:05:10 0hDiIM3n
アラヤ識を過去世の集合死体とすれば、
それらを思い出さないのはまったくの当然であり、そして同時に、
前世の記憶を語るケースも想定できるのです。
前世の記憶を語るケースは、頭の配線が混乱したのではないかと。
なぜなら、前世の記憶など、まったくの無意味であり、それ以下だからです。
157:中庸
09/03/17 19:23:05 0hDiIM3n
ある霊の「業がつきた」とき、
なぜその霊が神のニルバーナに行かないのでしょうか?
これについては、アラヤ識からエネルギーが消失しただけであり、
清浄なアートマンを、不活性化したとはいえ、不浄なアラヤ識が覆っている
からだろうと思います。
付け加えれば、マナ識はアラヤ識とともに存在しています。意識は消失。
158:中庸
09/03/17 19:34:20 0hDiIM3n
前世の記憶があったら困るケースはいくらでもある
前世は天皇であった・・・精神病院に直行
前世はあの家の息子だった・・・関係者全員が不幸になる
前世で隣人に殺された・・・事件に発展するかも
子供が、じつは前世で親だったと言い始めた・・・げんこつもの
159:中庸
09/03/17 19:58:24 0hDiIM3n
>>154
以上、証拠はないけど、推理・推測に基づく仮説でした。
160:神も仏も名無しさん
09/03/17 20:00:58 7WbmyMYN
>>150
中庸は、どこのカルトか。所属カルト名を名乗れ。
tibyakuは、超カルトの幸福の科学。大川隆法は、「自称釈迦の生まれ変わり」。
釈迦は解脱したので、生まれ変わらないはずだが。大川は明らかに偽物・詐欺師
なので、即刻逮捕すべし。
161:中庸
09/03/17 20:11:26 0hDiIM3n
>>160
中庸と名乗るぐらいだからカルトとは100%無縁。
たしかに釈迦やイエスの生まれ変わりは信じられないですね。
釈迦やイエスを侮辱しているような気もする。
そうでないというなら解脱思想、転生思想を語るべきでしょう。
162:中庸
09/03/17 20:22:40 0hDiIM3n
そういえば、孔子・ソクラテス・ムハンマド・ジンギスカン・聖徳太子
の生まれ変わりを名乗る人はいなそうですね。
163:神も仏も名無しさん
09/03/17 20:47:47 +kzdF/b4
「輪廻転生」などと肯定する限り、これからも、釈迦の生まれ変わりと自称する
詐欺師は、続々と現われるぞ。見分ける方法はないのだから、否定もできない。
輪廻転生肯定論者は、どう責任を取るつもりかね。
164:中庸
09/03/17 21:20:02 0hDiIM3n
解脱思想、転生思想、前世の記憶、輪廻思想などを語ってくれたら、
自称かどうかが明らかになると思いますね。
165:神も仏も名無しさん
09/03/17 21:58:03 pgKUZYnC
>>164
そんなありもしないことを得々と語る者が、偽者に決まってるw。
166:神も仏も名無しさん
09/03/17 22:03:37 pgKUZYnC
「世界を空と観ぜよ」と言った釈迦が、神・霊・前世・来世の「実在」
など口にしたら、釈迦は論理矛盾の塊と化す。
167:神も仏も名無しさん
09/03/17 22:06:56 CCu6MlFC
>ムハンマド
いかん、危ない危ない危ない…
いたらある意味、逆に尊敬してしまうかもしれない。
168:中庸
09/03/17 22:14:57 0hDiIM3n
わたしのは推測に基づく仮説にすぎません。
釈迦の生まれ変わりはマユツバであり、
解脱した以上、生まれ変わるはずがなかろうと。
169:神も仏も名無しさん
09/03/17 22:18:23 CCu6MlFC
「解脱したはずなのにまた生まれ変わっちゃったよ~(泣)」という路線の
自称釈迦っていないの?
170:中庸
09/03/17 22:32:22 0hDiIM3n
>>166
この世を空とし、あの世を実在としたのだからスジが通ってません?
>>167
何の得も想像できないから逆に本当らしくて、確かに危ないですね。
171:中庸
09/03/17 22:43:54 0hDiIM3n
>>169
その場合はふつう、恥ずかしくて自称を控えると思うのだが・・・
172:神も仏も名無しさん
09/03/17 23:50:21 CCu6MlFC
>>171
別のところに「真の師や神」がいた!という話にするなら有りうるかもしれない。
自称仏陀の転生ではないが、統一協会の教義上での仏陀はまさにそれ。
URLリンク(www.geocities.co.jp)
URLリンク(www.geocities.co.jp)
173:131
09/03/17 23:56:43 DsAcKLIo
輪廻転生=仏教の教義説を唱えるゲストは逃亡したようだ。
輪廻転生の根拠はこのスレのテンプレだとさ。馬鹿らし・・・
時間の無駄だった。
174:神も仏も名無しさん
09/03/18 00:53:01 tQhNP5CH
>>170
>この世を空とし、あの世を実在としたのだからスジが通ってません?
なんだね、それは。「空」とは、文字通りすべて「空」ということ。君は、
釈迦をアホ扱いしているのか。
釈迦は、すべてこの世の苦の除去を語っているのだが、あの世の苦は、すっかり
忘れていたとでもいいたいのかね。あの世に同じ苦が待っているのなら、解脱
しても無意味だろう。釈迦の教えはナンセンスな妄言ということになってしまうぞ。
175:宝珠愚者
09/03/18 06:35:34 vC/WxSwy
永いこと投稿規制に巻き込まれており、
これは携帯からの投稿です(従って、あまり投稿は難しい・・)。
また、ブラヴァツキーに対する懐疑の問題、
英国心霊研究協会(SPR)の“ホジソン報告の件については、今、執筆中です。
ご意見を頂いた方は、もう暫くお待ち願います m(__)m
176:片岡数吉 ◆X8bUvIiQ1A
09/03/18 06:36:47 Gy1Rdywa
僕のブログが
協力者の支援を持って
「神は慈愛なり」に
なりました
是非ご覧下さい
177:宝珠愚者
09/03/18 06:38:58 vC/WxSwy
-----議論が盛んなことは大いに結構です!!
この前、ご指摘があったから『大法輪』(第76巻第4号)を20年振りに購入しました。なるほど「特集-輪
廻転生を考える」という有意義な内容になっていました。
しかし、この『【総説】輪廻転生をめぐる様々な問題と現代』(山崎 龍明著)というのは、まったく以って
今一つです。ど~して、TV番組が取り上げる興味半分で安易な心霊主義と仏教の説く輪廻転生を同一
次元で論じるのか?
この山崎教授というのは、仏教の根本理論を全く理解してないのではないかと思われてくる。
『日本仏教の歴史では、現実の事象はすべて前世の業の結果だから、あきらめなさい(断念)と説いて
きました。上に立つ者にとってはまことに都合のよい理論です。業思想は過酷な現実に目を閉じさせるた
めに利用されました。』(P71)
お話にならない!輪廻思想は未来及び来世に対する希望を保証するものであって、人々に諦めを説く
教えではない。誤解を招きかねないので一応、言っておきましが、仮に前世の業というものが存在しない
と過程したところで、現実の生まれの境涯(個人の差異)が解消するわけではなく、それは逆に、未来世
に対する可能性も摘み取るものなのです。どーして輪廻と前世の業思想が上に立つ者にとっての勝手都
合となるのか?理解に苦しむ・・。
TV番組が提供してきた心霊モノは、愚かな唯物主義という迷信の排除には大きく貢献してきましたが、
もちろん弊害があるのは分る。しかし、今の仏教界には心霊主義に対して確実に反論したり、大衆に明
確な指針を示すことすらできない状態に陥っている、ということが根本問題となっているのです。
178:宝珠愚者
09/03/18 06:41:59 vC/WxSwy
この輪廻の特集に中では、最も価値在る寄稿は『ブッダの輪廻観』(宮元 啓一著)でしょう。その他、宗
派の解説などは正直いってどうでもよい。
『じつはブッダは輪廻転生思想を否定した、認めなかったとする人がかなりいます。そういう人たちの多
くは、ブッダは無我説を説いたから、というのです。
無我とは、「個体の本体である自己(サンスクリット語でアートマン、パーリ語でアッタン)が存在しない」と
いうことです。一般に(例外はありますが)インドでは、自己は認識主体であると同時に、業の担い手・業の
果報の享受者、つまり輪廻転生の主体であると考えられています。ですから、自己が存在しないとする無
我説は、輪廻転生思想とは両立しないのです。
しかし、ブッダは、自己が存在しないなどとは1度も語ったことはありません。ブッダは、五蘊(心身)のい
ずれも自己ではない(非我)とか、みずからの実存にまつわるすべての事象は自己ではない(諸法非我)と
は語りましたが、五蘊は無我であるとか諸法は無我であるとは説きませんでした。』(P78)
この基本部分は、しっかりと押さえておきたいところです。
179:宝珠愚者
09/03/18 07:01:42 vC/WxSwy
私たちが、歴史上のゴータマが何を語り、
どのように生きたのかについて知ろうとする場合には、
現存する仏典の記述に拠る以外に術はないのであるから、
その仏典の記述内容を無視した意見というのは全くの論外なのです。
従って、
仏典の記述に反する主張をする人は、その根拠を提示する必要があります。
勝手にゴータマが述べた証拠はないから・・などというのは理由にならない。
180:神も仏も名無しさん
09/03/18 08:23:16 vrPlFXQb
>宝珠愚者氏へ
いい加減で、君の輪廻転生に対する異常な執着を諦めたらどうかね。その
執着は、君のキリスト教的唯一神を守るための意図的なもの。仏教ではない。
そのような執着を脱することを教えているのが、仏教なのである。
仏陀は、現世における苦の滅除を説いている。来世のことなどではない。
仏陀のいう苦とは、すべて現世の肉体に関するものではないか。
仏教者間でも、これだけ賛否両論が分かれている輪廻転生は、もはや仏教の
中心思想などにはなり得ないことは明らかだろう。
キリスト教の、罪による「脅迫」と同様、輪廻転生で「脅迫」する仏教など、
如何なる意味と価値があるか。それが、世界の人々が期待している仏教か。
そんな宗教など真っ平御免である。「脅迫」は、「悪業」の最たるものである
ことを、忘れてはならない。
君にとって輪廻転生がそれほど重要なら、今すぐ仏教者という看板をおろして、ヒン
ドゥー教に改宗しなさい。
181:神も仏も名無しさん
09/03/18 08:58:10 te51U1hs
>>180
動機なんぞどうでもいい。
問題は言っている事が妥当かどうか、だけだ。
182:宝珠愚者
09/03/18 09:05:29 vC/WxSwy
>>180
「四つの尊い真実を
如実に知らずにいた故に
長き流転の歳重ね
幾多の生を受けにしを
深き道理をさとりえて
妄執すでに断ち切れば
もはや苦悩の根は断たれ
迷いの生はさらになし」
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
「弟子たちよ、輪廻はその始めを知らない。生きとし生ける者が、無明に覆われ、渇愛に縛られて、流転
し輪廻した越し方は、知ることができぬ。弟子たちよ、たとえば、ここに人があって、草や枝をとり、あなじ場
所にあつめ、指四つほどの方形に堆みあげて、これはわが母である、これはわが母の母であると、数え置
こうとするに、その人が、いまだ越し方の母を数え終わらぬうちに、この世界の草も枝も、尽き果てるであろう。
弟子たちよ、そのわけは何であろうか。輪廻はその始めを知らず、生きとし生ける者が無明に覆われ、渇
愛に縛られて、流転し輪廻した来し方は知ることができぬからである。弟子たちよ、かように、人は、長夜に
苦しみを受け、痛みを受け、失いを受けて、ただ墓所のみが増大したのである。
されば、諸行は厭うべく、厭い離れるべく、解脱すべきものであるというのである。」
(南伝相応部経典15-4/漢訳雑阿含経33-34)
183:宝珠愚者
09/03/18 09:08:31 vC/WxSwy
>仏陀のいう苦とは、すべて現世の肉体に関するものではないか。
その原因をゴータマは輪廻を発動する渇愛という意識であるといっているのでする。四聖諦の真理を知ら
ぬまでは流転輪廻していたのであり、その苦悩の根源たる渇愛(タンハー)によって無明に陥っていたと。
>仏教者間でも、これだけ賛否両論が分かれている輪廻転生は、
>もはや仏教の中心思想などにはなり得ないことは明らかだろう。
仏教の基本すら理解できず、愚かな唯物主義(目先だけの現象)に目が眩んでいるからです。
>そんな宗教など真っ平御免である。「脅迫」は、「悪業」の最たるものであることを、忘れてはならない。
>君にとって輪廻転生がそれほど重要なら、今すぐ仏教者という看板をおろして、
>ヒン ドゥー教に改宗しなさい。
私にとってではなく、そんなことは仏教そのものの理論が成り立たず崩壊する暴論だからです。仏教によ
る強制勧誘などというものはない。「真っ平御免」大いに結構です。理解できない輩は信奉しなければいい
だけのことです。
脅迫などというのはあなたの勝手な誤解です。業報輪廻を認めないということは、人が死後に何らの果
報も受けないという考えは、「100人殺した殺人鬼」も「人を救って殉教した者」も死ねば同じというメチャク
チャな思想。であるから、来世を信じない者は悪事を為すともいわれるのです。
184:神も仏も名無しさん
09/03/18 09:09:41 te51U1hs
>>182
マハー・パリニッバーナ・スッタンタのほうの引用箇所を示してけろ。
185:宝珠愚者
09/03/18 09:21:36 vC/WxSwy
>>184
URLリンク(www2.big.or.jp)
186:神も仏も名無しさん
09/03/18 09:27:33 te51U1hs
>業報輪廻を認めないということは、人が死後に何らの果報も受けないという考えは、
>「100人殺した殺人鬼」も「人を救って殉教した者」も死ねば同じというメチャクチャな思想。であるから、
苦難に逢った人を強制的に「元・悪人」にしてしまうというムチャクチャさもある。
この後、隠居は「生は一度だからこそ命の大切さが」云々言うだろう。
転生説のほうも、悪人は人間に生まれ変われない、とか調整をすればいいんだろうが
まぁ、この場では無意味だろう。昨日以上のループが続いていくことが危惧される。
>>184
リンク先のほうも出典の引用箇所は示してないのね。信徒団体が捏造経文を載せるとは思いがたいが。
187:神も仏も名無しさん
09/03/18 09:36:47 vrPlFXQb
>>183
>であるから、来世を信じない者は悪事を為すともいわれるのです。
一度きりの生だからこそ、よりよく生きるという意欲が生じる、という考えも、
全く同様に成り立つぞ。
輪廻転生の「脅迫」による善行は、専ら、自分の輪廻を免れたいという「エゴ」
「欲望」に基づくものであり、それは善行とは対極にある悪業である。
脅かさない限り人間は善をなしえない、という君の考えは、肝心の人間を軽視
・否定するという「最大の悪業」であり、それこそ、地獄行きは確定。
すべての人間を「罪人」扱いし、「死後の裁き」で脅迫する、忌むべきキリスト教
と全く同じである。
君は、輪廻で脅かされない限り、善はなしえない人間なのか。他のすべての
人間は、生まれながらに仏性を有する。善をなしたとき、最大の喜びと満足を
感じ、悪をなした時、良心の呵責を感じるのは、一体何故だと思うか。
輪廻転生は、すべての人間の心に宿る「良心」「善意」「仏性」とは、真っ向から
対立する「悪魔の思想」である。
188:神も仏も名無しさん
09/03/18 09:38:45 te51U1hs
調べてみたところ、岩波文庫版『ブッダ最後の旅』では45ページにある。
189:宝珠愚者
09/03/18 09:40:22 vC/WxSwy
>>186
>苦難に逢った人を強制的に「元・悪人」にしてしまうというムチャクチャさもある。
>
「悪人」などという短絡的なカテゴリーの押し込めが脅迫といった発想を生んでいるのです。我々、凡夫
には原因を見通す力はありませんが、生まれながらの境涯の差異の原因は前世に求めるのは当たり前
のこと。仏教的観点においては、自己に原因なくして受ける境涯というものはない。
>リンク先のほうも出典の引用箇所は示してないのね。信徒団体が捏造経文を載せるとは思いがたいが。
ほぼ同じ内容かと・・。
『時に世尊は拘利村に到りたまえり。此に世尊は拘利村に住したまへり。此に世尊は比丘等に告げて言
いたまへり、「比丘等よ、四聖諦を了悟せず通達せざるによりて此の如く我も汝等も久しく流転輪廻せり。
何をか四と為すや。比丘等よ、苦聖諦を了悟せず通達せざるによりて此の如く我も 汝等も久しく流転輪
廻せり。苦集聖諦を[…乃至…]苦滅聖諦を[…乃至…]順苦滅道聖諦を了悟せず通達せざるによりて此
の如く我も汝等も久しく流転輪廻せり。』(大品/第六薬助謫29-1)
『比丘等よ、今や苦聖諦を了悟し通達せり、苦集聖諦を了悟し通達せり、苦滅聖諦を了悟し通達せり、
有愛を断じ有索を尽くし更に後有を受けず。
四の聖諦を如実に
観ぜざるによりて
久しく処処の生に
輪廻したりき
此等の[聖諦]を観じたれば
有索を滅し
苦の根本を断ち
更に後有を受けず』(大品/第六薬助謫29-2)
190:神も仏も名無しさん
09/03/18 09:44:09 vrPlFXQb
>>187の追加
輪廻転生は、生まれながらに善である人間の「心」「仏性」を無視し、
来世とやらの「実在」を認める、君が嫌悪する「唯物論」そのままでは
ないか。それは専ら君が信奉して止まないキリスト教の思想であり、
仏教の思想ではない。
191:神も仏も名無しさん
09/03/18 09:47:01 vC/WxSwy
>>187
>一度きりの生だからこそ、よりよく生きるという意欲が生じる、という考えも、全く同様に成り立つぞ。
それは通用しない!
この場合、「だからこそ自分は好き勝手にさせてもらう。他人の迷惑や苦悩は自分には関係がない」
とする悪鬼を制する理法がそこにはない。
192:宝珠愚者
09/03/18 09:47:58 vC/WxSwy
>>187
>一度きりの生だからこそ、よりよく生きるという意欲が生じる、という考えも、全く同様に成り立つぞ。
それは通用しない!
この場合、「だからこそ自分は好き勝手にさせてもらう。他人の迷惑や苦悩は自分には関係がない」
とする悪鬼を制する理法がそこにはない。
193:神も仏も名無しさん
09/03/18 09:48:48 te51U1hs
>>189
>「悪人」などという短絡的なカテゴリーの押し込めが脅迫といった発想を生んでいるのです。
大雑把ではあっても、全く的外れとは言えまい。酷い境涯に生まれるからには
それなりの業があってのこと、というのが業報輪廻なんだろ。
ブッダ自身は、そいつは過去生で邪悪だったから見下していいよ、
などとは言ってないが、業報輪廻単体で言えば良くも悪くもどうにも解釈され得る。
良いか悪いかなんて感性や価値観の問題なんだから、これからいくらぶつけ合っても進展は無いだろう。
194:初代スレ7
09/03/18 09:57:43 NjZqh2LK
ひょっとして、宝珠氏は同和問題のことを知らないのかな?
彼らが(日本)仏教の何を批判し、何を糾弾しているのかを。
これは、解同側からの提言なので、(この手の言辞の中では、かなり穏健ではあるものの)、
それなりにバイアスがかかっていることは留意しなければならないが、
それでも、よく見られる抗議発言とは趣を異にしている。
解同側であるにもかかわらず、
《「前世の業(輪廻)という考え方を排除する」のでなく「その解釈、受け止め方を変える」、
或いは「解釈、受け止め方のあるべき形を啓蒙啓発すべき」だ、
「それが、現代の仏教者(宗教者)のしなければならないこと」だ》とする意見も示唆に富む。
臭いものに蓋をするのでなく、(輪廻や前世の悪業が、仏教を語る上で抜き難いものであるなら)
その解釈や受け止め方を適切なものへと誘導すべきである、という意見だ。
論者の立ち位置や真意、中心となる主張、立論の仕方、論理展開の是非(≒適不適)等は一先ず措くとしても、
(個人的には)一読の価値ある論考(講演)だと思う。
真宗教団連合中央研修会(第 25 回同和問題を中心として)
差別問題に関する提言「真宗教団に期待するもの」―部落解放運動の立場から―
URLリンク(www.shin.gr.jp)
URLリンク(72.14.235.132)
195:神も仏も名無しさん
09/03/18 09:58:38 vC/WxSwy
>>190
そういうのは「唯物論」とはいわない。
私はイエスも尊敬するだけであり、なにもキリスト教の信奉者ではない(寧ろ逆の批判論者である)。
あなたには、
このように基本的な定義すらもできていないから、全てメチャクチャなのでは??
「脅迫」観念という受け方はあなたの誤解です。
輪廻転生を否定するということは、
救いの可能性も全て閉ざすことになるということがまだ分らないのか!!
死んだら終わりでは、善行善果という救いも希望も、
善を成さんとする意欲までも掻き消す暴論なのですよ。
(では、また~)
196:宝珠愚者
09/03/18 10:00:07 vC/WxSwy
でした
197:神も仏も名無しさん
09/03/18 10:04:15 te51U1hs
>>195
>死んだら終わりでは、善行善果という救いも希望も、
>善を成さんとする意欲までも掻き消す暴論なのですよ。
>>187
>脅かさない限り人間は善をなしえない、という君の考えは、肝心の人間を軽視 ・否定するという「最大の悪業」であり、
>君は、輪廻で脅かされない限り、善はなしえない人間なのか。
以下ループ。
198:初代スレ7
09/03/18 10:10:07 NjZqh2LK
で、宝珠氏は、例によって私の指摘を悉くスルー続行、と・・・w
>>183も>>192も>>195も、(時にはカラス氏相手の時も名無しさん相手の時もあったが)、
御隠居の対極として極論だと、(或いは「願望・希望」にその端を発している、と)何度も申し上げているのに・・・w
199:宝珠愚者
09/03/18 10:16:53 vC/WxSwy
>>194
>その解釈や受け止め方を適切なものへと誘導すべきである、という意見だ。
には、特に反対する何ものありません・・。
リンクページは後でジックリ読ませて頂きます---大感謝 !!
200:初代スレ7
09/03/18 10:22:40 NjZqh2LK
老婆親切で、もう一つ貼っておこうか・・。
URLリンク(www.eonet.ne.jp)
201:宝珠愚者
09/03/18 10:31:59 vC/WxSwy
以前、
真言師から伝統仏教の立場から私に読むよう奨められた書籍の中から、
ポー・オー・パユットー著『仏法---テーラワーダ仏教の叡智』サンガ刊
ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツオ著『智恵の眼をひらく』春秋社刊
の2冊を購入し、手元に届きました。
すぐには読めそうにありませんが、序々に拝読します。
>>200
ありがとうございます!