09/03/05 21:12:55 Q8qgWztL
もう一つ、儒教理論で非常に矛盾していることがある。孔子・孟子は性善論をとっているが、先にも述べたとおり、人間の本性が善であるならば徳化が必要なはずはないという大矛盾である。
しかも天子の感化力がおよぶ範囲と言うのは非常に限定されている。仮に歴代の天子が有徳者だったとしても、側近すら徳化できたためしがない。
宦官、廷臣といった側近にすら感化力を発揮できず、ほとんどやりたい放題にさせて国政を乱すのが王朝末期のパターンである。
天子の徳は側近にすらおよんでいないのだから、あまねく万民を徳化するなどという理論はなおさらおかしい、ということになる。
そして、現実に官僚が従うのは清廉の倫理ではなく、「権」と「利」の論理である。官僚の職務を考えてみれば分ることだが、「権」がなければ官僚にはなれないのだ。
そして「権」は「利」と分かちがたく結びついているから、清廉の倫理が入り込む余地はない。
官僚の行動原理は「権」と「利」の論理によって成り立っているのであって、天子による徳化や、曖昧な清廉の倫理で動くものではないのだ