09/02/17 06:37:37 tPMtUFgV
怪鳥は二河白道まで改竄していたのか。どこまで親鸞聖人の教えを曲げているのか?
「清森問答」より
【質問】
二河白道についての質問です。
三定死について、親鸞会の高森先生は行者が一進一退しながら白道を進んでいると、
火の河と水の河の波がいよいよ荒れ狂い、これ以上前にも進めない、後退もできない、
止まることもできない、その時が三定死と解釈されています。
これに対して本願寺では白道に一歩、足を踏み出す時は、すでに弥陀の呼び声が届いたときで、
したがって三定死は此岸にいる時と教えています。
二河白道の三定死について親鸞会と本願寺、どちらが正しい解釈なのか教えて頂きたいと思います。
【回答】
原文を読めば分かられると思いますが、弥陀の呼び声を聞いてから、白道を進むと描かれています。
ですから三定死は此岸です。
晩年にお書きなされた愚禿鈔にも、
●「白道」とは、白の言は黒に対す、道の言は路に対す、白とは、すなはちこれ六度万行、定散なり。
これすなはち自力小善の路なり。
と仰言っています。
ここで、親鸞聖人は白道を、「白」と「道」に分けて教えておられます。
・「白」→「黒に対す」=「六度万行、定散」(修善)
・「道」→「路に対す」=「自力小善では無い」(他力)
「道」という字は、「路(自力)」に対して使われていますから、信前ということはありえません。