09/02/13 22:01:03 Z2HEQmN6
>>230
>>エゴ(自我)とは、歪んだ現状認識マシンなのでその刻々、認識は変わるでしょう。
言おうとしていることはわかるのだが、「歪んだ~」という言葉のニュアンスは少々違うと思う。
というのは、「真の現実」には美味しいリンゴも腐ったリンゴも現に実在しているので、
そのどちらを見たとしても、それは「歪んだ認識」ではなく「正しい認識」だと思う。
ただ、エゴというフィルターがかけられた結果、波長が合わないもう片方が五感から除外されてしまったというだけのことだし。
>>Aさんが他の何かに気を奪われば、目の前の美味しそうなリンゴは見えなくなる。
うん、何かに気を奪われれば美味しそうなリンゴは見えなくなる。
しかし、再びリンゴを意識したときにAさんの前に現れるのは「美味しそうなリンゴ」だ。「腐ったリンゴ」ではない。
Aさんが最初に「美味しそうなリンゴ」を見た時点で、Aさんには「美味しそうなリンゴがある」という記憶ができる。
この記憶は、少なくとも数日間は絶対的な信念を伴う記憶なので、その信念が再び「美味しそうなリンゴ」を引き寄せる。
Aさんが「そのリンゴ」を見る都度、そこにあるのは「美味しそうなリンゴ」であって「腐ったリンゴ」ではない。
そういう意味で、Aさんは「腐ったリンゴは存在せず、美味しそうなリンゴだけが存在する世界を生きている」ということになる。
同様、Bさんは「腐ったリンゴだけが存在する世界を生きている」ということになる。そういう意味な。
(注:時間が経って美味しそうなリンゴが腐ったというオチはなしだよw)
>>認識は不変ではないので、エゴを用いたほうが分かりやすいと思う。
ごめん、これの意味がわからなかった。