09/02/01 03:30:15 fGHo0ADQ
>>87
> 対して後者の場合というのは、肉体生命最重視に対する否定意を説いているのですよ。この肉体生命最
> 重視とは何かというと、死んだら終わりとする断見(だから「死にたくない」という意識)を示すことになるので
> す。文意を読み取れば分るのであり、これは前者も後者も断見のことです。
それに対して「常見」は「死んだら終わりとする断見」の逆、つまり「死んでも終わりではないとする見解」です。
「常見(じょうけん)とは、仏教用語で、この世は永遠に続くもので不滅であるとする見解のこと。反対語は断見(だんけん)。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
>>88
>どうも府に落ちませんね。その割には、随分と手の込んだ言葉の表現ですが・・。
神話、物語は手が込んでいればいるほどリアリティが生まれ、迫力があっていいのです。
ディテールが細かく具体的であればあるほど、読む人はその世界に引き込まれるからです。
ジャータカ物語もそうです。聖書や古事記などもみてください。手が込んでますから。
>要するにこれは、今生から来世に転生することは苦であると説くのが仏教だからですよ
そういう先入観をもって読めば、そうとしか読めなくなるのでしょう。
「今生から来世に転生するという妄想」が「苦」(の一つ)なのです。
>>89
>・この世は永遠に続くものという意味と、
> もう一つは人の死後にアートマンとして永久不滅に存続するという見解が常見。
>・死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見。
「死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見」の逆は
「死後に意識、あるいは生命が永続するとする見解が常見」となるはずです。
この両方をブッダは否定しているのです。アートマンは否定したが、アートマン無しの転生は肯定している
というような話(詭弁ですが)などではありません。