09/01/31 21:14:40 MLKGWGU9
電波説では、釈迦は人の死後の生れ変りを意味しない輪廻を説いた。衆生の死後は無記。だという。
輪廻に生れ変りの意味が付加されたのは、釈迦の没後まもなく弟子によってなされたという。
一方で電波は、釈迦の直弟子には数多のブッダが生れたという。
悟りをひらいてブッダとなった弟子達が輪廻に生れ変りの意味を付与したとなると、論理がなりたたない。
最古層に輪廻の記述が無く、古層に記述が出て来るから、古層は弟子達の増広で、意図を持って生れ変りの異説が混入されたと電波は言う。
ブッタの指導によってアラハンとなった弟子達が師の意思に反した改竄をするというのは無理がありすぎる。
むしろ師の教説を補おうと、生れ変り論を増強する方向に向かうのが自然な流れだろう。
流れという意味の輪廻を生れ変りに変えるのならば、古層だけの改竄に留まらずに、さらに原始までさかのぼって変えるのがおよそ人情ではないか?
いずれにしても無理がありすぎてお話に成らない。