【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】8at PSY
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】8 - 暇つぶし2ch35:神も仏も名無しさん
09/01/31 18:12:10 9cVLj2rR
カースト ガンジーでぐぐったら出てきたんだが
URLリンク(www.wound-treatment.jp)
URLリンク(yosukenaito.blog40.fc2.com)
URLリンク(www5.atwiki.jp)
批判はしてないそうだよ。

36:神も仏も名無しさん
09/01/31 18:13:14 PUKOC8vM
>>33
君は、人間としてのキリスト教徒や教会制度は批判できても、イエスは絶対に
批判できない。それがまさに「クリスチャン」なのだよ。

君の思考は、全体的に、クリスチャンそのもの。

37:宝珠愚者
09/01/31 18:16:13 oAjYgRSF
>>32
>輪廻転生論というのは、それは壮大なロマンですよ。
>テーマとしたら人類の最大の謎ですからね。

はい、これは根底に業報の理論があるからです。輪廻転生は大変、重要な事柄(テーマ)です。

>こんなことを真剣に考えられるのは若いうちです。
>老いてきますと、どうでもよくなりますからね。

私は決して若造ではありませんよ。ま~ジジィでもありませんが(笑)

>で、一番謎なのが、釈尊は悟って輪廻転生に確信を持ったのですか?

 仏典に信を置くならば、その通りです。輪廻転生を否定した経があるならば、それを出して下さいよ。空だ
から・・・とかいうのは、もう要りませんから。輪廻転生の思想はバラモンの外道である。そんなものはないと、
教えた経文があるという人はそれを提示願います。

>もしそうだとしたら、釈尊は仏陀ではないですね。
>ただの俗人ですよ。
>拙者はそう思います。

 俗人こそ「死後は確認できない」のではありませんか?ゴータマには確認する能力がありました。だからそ
れを説いたのです。従って、そのような能力は凡夫にはないから、これを世間では「仏陀は俗人ではない」と
いうのです。
 仏陀とは凡夫俗人が知り得ない世界を知っているのです。そこから、語られたものが仏教の教えです。俗
人でも知ることができるような内容ではない。

38:モラリストへ
09/01/31 18:44:17 SEW9wAdk
>>27
『不生不滅の中道が断滅論、唯物論などではないことは当然だ。
勝手にペンキ屋をやるなよ。
そもそもブッダの中道は断滅vs恒常の二項相対対立と別次元のメタ・コードなんだよ。
言語や論理思考という分別ではなく無分別智で直覚し掴むものさ。』(>>14



39:宝珠愚者
09/01/31 18:45:18 oAjYgRSF
>>35
>批判はしてないそうだよ。

ガンジーのカーストに対する意識は、スレ6/275-276
URLリンク(209.85.175.132)
 で私が掲載したヨガナンダによるカースト解説と同意だったからでしょう。カーストは本来はこのようなも
のではなかったのです(リンクを参照)。しかし、ガンジーはカーストが人間差別に使われている現状を直
視するようになり、晩年においてはカースト廃止を訴えています。

40:宝珠愚者
09/01/31 18:47:18 oAjYgRSF
>>36
私はイエスのみならず・・クリシュナ、シャンカラであれ、とても肯定的ですが?

>君の思考は、全体的に、クリスチャンそのもの。

あんれ?キリスト教は輪廻否定でしょよ!w
それに私は人格神も認めないし、
キリスト教にとって最も重要視するキリストによる贖いという姿勢を強く否定していますが?
これはクリスチャンなら1番、論外とみなすものです。

あなたの批判は~何でも味噌も糞も一緒でめちゃくちゃです。


41:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/31 18:48:45 qEcvJkAN
>>37
>輪廻転生を否定した経があるならば、それを出して下さいよ。

前に書込みしました雑阿含経・第一義空経の一節で充分ですね。
これを解釈するスキルがあれば。の話ですが。

つまり空思想というのは原始仏教から面々と継承されておったのです。
これを龍樹が原点回帰ということで中論を書いたのですから。
中論はあくまでも説一切有部へのアンチとして書かれたものです。
つまり、中道を突き詰めていきますと、もはや一般的概念における「時間」というもんが
崩壊します。
ゆえに、死んだ先のことなど理論的に有り得ないんですね。

有り得ないもんを否定はできんでしょ?
肯定も出来ない。

未来(死後でもいい)は、現時点を起点とします。
しかしながら現時点においても、来つつあって今でありますし・・・
また去りつつあって今ですから、
来つつあって、なおかつ去りつつあるものは、今ではない。

今という起点がそもそもなければ、未来(死後でもいい)や過去などあろうはずがない。
と、このように中道において説一切有部を論破した経緯があります。
(この拙者が提示しました論拠で納得が逝きますか?)

42:モラリストへ
09/01/31 18:50:07 SEW9wAdk
>>27
ここでヒステリック・モラリストの宝珠愚者がご都合主義的に引用している中村元博士の世界観を示しておこう。

『ここで皆さんは、妄執がなければ執着は当然止滅するが、執着が無くなるとなぜ出生までも無くなるのか疑問に思うかもしれません。
執着のあるなしに関係なく人間は生まれるではないかとは、もっともなことであります。
しかしここで考えなければならないのは、自己とは妄執と執着によって仮構されたものであるということです。
妄執の中核を打ち砕けば、仮構された自己は消滅します。自己が消滅すれば、じ自己によって仮構された世界像も壊滅してしまいます。
そこには「ありのまま」の世界があるのみで、分別、対象化された世界はありません。
有るとか無いとか分別した世界ではありませんので、自分と世界とは素通しになってしまいます。自己は無限定なものとなってしました。
後世の大乗仏教では「自他不二」(自己と他とは分離できない)といっています。
そうした「ありのまま」の世界では、自己は限定なき存在そのものなのですから、当然出生もありません。
出生がないのですから老死もないのです。
これがブッダの不死の法則です。
後世これを不生といっています。』(ブッダの人と思想 49頁~50頁)
 
平易に説かれた達意の名文というほかはないだろう。
このような視点からすれば当然、業報輪廻、神・悪魔・天国・地獄などという妄想は真相として入る余地が無い。
説くにしても世俗における心理的な比喩、物語として以上の意味はないのだ。




43:モラリストへ
09/01/31 19:18:02 SEW9wAdk
>>29
>「私はこの1度だけの人生を自分の快楽のためだけに生きたい」として、
>遣りたい放題の人間に対しては、あたなはどうようにしてそれを制するのですか?

他人に迷惑をかけていない限り、あえて制しません。
本人がその不自由さに気がつくのも自由だからです。
快楽のためだけに執着して生きることもその人の生き方であり、
その反面執着ゆえに苦しみも生じるのは当然です。
まさに大部分の人間がそうであり、その苦しみを乗り越えることをブッダは教えました。
快楽主義といわれるエピクロスの本義も精神的な平安にあります。
エピクロスの「アタラクシア」はブッダの涅槃と同意義だと思います。


44:神も仏も名無しさん
09/01/31 19:44:10 fW0q94zk
>22
>これを見ても分かるように、業報はこの世での現実の話です。
あんた現実を知らずのうのうと生きてる坊主か?
あんたさ、ガザの住人が虐殺されるのはガザの住人の業の結果なのか?
派遣社員が首切られるのも派遣が悪いのか?
行いでどうにでもなるなら
あんた、首切られた派遣社員の前で「行いによって社長にもなれる」と言ってみ。



45:宝珠愚者
09/01/31 19:48:21 oAjYgRSF
>>43
答えて貰えないようですね!
歴史上、少女の生き血を絞った風呂に漬かって、不老の肖ろうとした奇女も実在しました。
これらの人々には、相手の激痛や悲しみ、絶望・・も関係がありません。

業報理論によれば、女性はただ済むことは在り得ない。
しかし、あなたの理論では、この女性は生涯において勝手な自己の楽しみを満喫して過ごし、
なんかの報いも受けません。これがあなたが信じるゴータマの思想とやらですか?

46:宝珠愚者
09/01/31 19:54:36 oAjYgRSF
>>22
都合のいい部分だけを見てるようですね。
全体を通じてみないと意味がありませんよ。

 「賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報い
とを熟知している。世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は
業(行為)に束縛されている。---進み行く車が轄(くさび)に結ばれているように。」(スッタニパータ653-654)
 「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(同666)
 「罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生の
あるうちになすべきことをなして、忽(ゆるが)せにしてはならない。」(同676)

 業は絶対性のものであって、来世にも果報を受けることを述べています。

47:宝珠愚者
09/01/31 20:03:35 oAjYgRSF
>>41
>中道を突き詰めていきますと、
>もはや一般的概念における「時間」というもんが崩壊します。

それは勝義です。
ですから、頭で思考でそのような理論を巡らしたところで輪廻からは脱することはできないのです。
砂糖に塩塩・・と、ただ思考を巡らせようと、甘いものという実体には変化はない。
実体の変容には修行が必要なのです。
書物や理論では到達できない。


>>42
それは解脱した存在にとっての世界観を示すものです。
特に間違いとかいったものではないです。

48:神も仏も名無しさん
09/01/31 20:03:35 uLy5fg4o
>>45
その不老の肖ろうとした奇女って当然、クリでしょうねw 多分~
捕まって自分も酷い環境で殺されたのではなかった? 

>>31
>それだけで済むなら、歴史上の大虐殺とかは起こり得ないのですが?
ネロ、カリギュラ皇帝、串刺し公ヴラド・ツェペシ、魔女狩り、十字軍、ユダヤ・ナチ収容所・・。

↑ の大虐殺は何故、起こったとあなたは判断されてるのですか?
仮に輪廻転生の観念を仏陀が説いたと決定したとしたら上のようなことが起こらないと断言できる
理由を教えて下さい。
アサハラも牧師も神父も又、カルトの教祖も沢山の宗教指導者達は、罪・天国・地獄・カルマ・輪廻転生・・
などの観念を勿論周知で自から説いてますが、それでも何の恐れも無く宗教犯罪を犯しているのですw 
つまり、来世などより現在の宗教の真理・教義・教団・自分達の生活・命・・等の方が大切ということでしょう

あと・・・輪廻転生の短所も考えて頂けましたか?報告お願いします。

>>32
>貴殿の書込みに感動して、アンチ派もおもわずレスポンするのかとおもいます。
あはは・・・(笑) 感動なんて・・面白~い、余裕がおありですね
宝珠愚者氏のレスに、異様に用意周到な狂気の危険な論・脅し・企み・・の臭いがするからですょw(笑


49:宝珠愚者
09/01/31 20:07:49 oAjYgRSF
>>41
>前に書込みしました雑阿含経・第一義空経の一節で充分ですね。
>これを解釈するスキルがあれば。の話ですが。

 解釈など不要です。「輪廻転生はない」と説いた文章は経典のどこにありますか?

50:初代スレ7
09/01/31 20:08:40 i+JYo/zI
さて、スレも序盤だし、
また駄レスを一つ入れておくか・・・。


宝珠氏(及び断滅批判者)には、
「100万回生きたねこ」を100万回熟読してほしい。
そして、佐野洋子が、
なぜ、タイトルを「100万回(101万回)死んだねこ」ではなく「100万回生きたねこ」としたのだろうか、
と、よくよく考えてほしい。

(厳密には“転生”ではないが)、転生(物語の前提)の肯定否定ではなく、
何が言われているのか、を・・・。


おやすみ ノシ


>>44
>あんたさ、ガザの住人が虐殺されるのはガザの住人の業の結果なのか?
宝珠氏なら、(「共業(ぐうごう)」という言葉を用いながらかもしれませんが)
「そうだ」と言うでしょうねw

ノシ

51:神も仏も名無しさん
09/01/31 20:10:49 uLy5fg4o


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


現代では、思考や記憶や認識は、脳の機能であることが証明されている。
死ねば、脳は腐敗するか、灰になるから、これらの機能は停止する。
記憶が消失すれば、人格の同一性もありえない。従って「輪廻転生」は、
真理ではない。

脳や身体が腐敗し、又は灰になっても、その原子は消滅することはないから、
自然界の生物・無生物を循環する。しかし、前世の記憶も思考も一切失われて
いるから、これらの循環の認識も知覚も不可能。死者にとっては、この循環
は認識不能であるから、一切無関係。考えること自体が無意味。これが、現代
「輪廻転生」である。

■ 仏陀の時代は、脳科学も、生理学も存在しなかったから、無理も無いこと。
これらの無知は、釈迦の責任ではない。しかし、その無知を正すのは、現代人
の責任である。■

(*^。^*) 

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪




52:宝珠愚者
09/01/31 20:43:23 oAjYgRSF
>>48
>その不老の肖ろうとした奇女って当然、クリでしょうねw 多分~
>捕まって自分も酷い環境で殺されたのではなかった? 

URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)

>>31
>↑ の大虐殺は何故、起こったとあなたは判断されてるのですか?
>仮に輪廻転生の観念を仏陀が説いたと決定したとしたら
>上のようなことが起こらないと断言できる理由を教えて下さい。

 個々のケースでいろいろでしょう。しかし、基本的にいえることは、いずれも身勝手な自称の正義を掲
げたり、大義のための小さな犠牲は止む無しといったものや、人々の苦悩を我ごとのように感受できな
い精神的な未発達と心の病に冒されているのです。

 輪廻転生と業報の教えを示しても、聞く耳持たないものは当然、出ますよ。ここにも沢山、集っています。
確認できないとして無視しようとするのです。けれども、中にも思い止まる者も現れるでしょう。一般的に多
くの人々には効果的だと思います。やはり、一部のこれら歴史上の大虐殺を展開するような輩は無理かも
しれません。 
 重要なことは、たとえ無視して実行(残虐非道な行為)に移そうともそれで済むことはない。必ず行為者で
ある本人がその報いを受けることになるのです。
 「確認できない」などという人は仏教を信奉しなければいいだけのことですよ。私はゴータマに信頼を寄せ
ます。部分的にだけゴータマを賞賛する姿勢というのは、結局、ゴータマを疑って、信用しないということで
す。疑うのは自由ですが、その人は仏教徒ではない。

53:宝珠愚者
09/01/31 20:43:53 oAjYgRSF
>アサハラも牧師も神父も又、カルトの教祖も沢山の宗教指導者達は、罪・天国・地獄・カルマ・輪廻転生・・
>などの観念を勿論周知で自から説いてますが、それでも何の恐れも無く宗教犯罪を犯しているのですw 
>つまり、来世などより現在の宗教の真理・教義・教団・自分達の生活・命・・等の方が大切ということでしょう

 知識、理論だけで「知ってる」「認めます」とはいっても、狂気が都合のいい身勝手な言い訳を見つけ出す
のですよ。しかし、アサハラがただで済むということはない。もしも彼が捕らえられずに済み、無事に生涯を
過ごせたとしてもです。人間は平等とはこのことをいうのですよ。人は様々に差別しますが、しかし、法(天)
の上に人間は平等なのです。

54:宝珠愚者
09/01/31 20:53:25 oAjYgRSF
とにかく、めちゃくちゃ~は辞めましょうか!
カナンの地(イスラエル)に固執するユダヤ教徒の迫害の歴史も永くて大量に殺されてきた。
キリスト教徒も大量に殺されてきた事実を持つ。
輪廻転生の教義を持たない(否定する)キリスト教徒らは大量殺戮を行ってきた。

輪廻転生を説いたらカルトなどという論理が成り立たない。
では、輪廻転生を説かない仏教とはどれか?と聞くと、ただの一つも出せない。
デタラメと味噌も糞も区別が付かない人たち・・が批判してるだけです。

55:神も仏も名無しさん
09/01/31 21:12:17 8o6ql+WS
>>39
その「起源」は神話や法典の説くものとは異なるね。
原住民を侵略したアーリア人の支配から生まれたという歴史説とも違う。
人類の性質の進化に合わせて、というあたりが神智学的というかヨーロッパ的に感じられる。
カーストについての彼の意見と同じだったら、ガンジーはカースト制そのものを否定しているはず。
でもってカーストとは、ヨガナンダが言うように、本人の適正や行動への呼び名であると主張しているはず。
が、彼は擁護するにあたって従来のカーストを前提にして、これにこんないいところがあるという言い方をしている。
それでも『ヴァルナを「神の創造物全体における絶対平等の法則」』と言えるのは
彼の愛読書のギーターで、どのカーストでも救われるとされているためだろう。

56:神も仏も名無しさん
09/01/31 21:14:40 MLKGWGU9
電波説では、釈迦は人の死後の生れ変りを意味しない輪廻を説いた。衆生の死後は無記。だという。
輪廻に生れ変りの意味が付加されたのは、釈迦の没後まもなく弟子によってなされたという。

一方で電波は、釈迦の直弟子には数多のブッダが生れたという。
悟りをひらいてブッダとなった弟子達が輪廻に生れ変りの意味を付与したとなると、論理がなりたたない。

最古層に輪廻の記述が無く、古層に記述が出て来るから、古層は弟子達の増広で、意図を持って生れ変りの異説が混入されたと電波は言う。
ブッタの指導によってアラハンとなった弟子達が師の意思に反した改竄をするというのは無理がありすぎる。
むしろ師の教説を補おうと、生れ変り論を増強する方向に向かうのが自然な流れだろう。
流れという意味の輪廻を生れ変りに変えるのならば、古層だけの改竄に留まらずに、さらに原始までさかのぼって変えるのがおよそ人情ではないか?
いずれにしても無理がありすぎてお話に成らない。


57:神も仏も名無しさん
09/01/31 21:29:55 M/xXTiau
『明句論』1-3以下が、おもしろいこと書いているので訳してみました。


ある意味をある人が(~だと)主張する。だから自分が(~だから~だと)結論付けたように
他人を(なるほど~だと)結論に導きたい思う。
それ故、その(~だという)意味の(~だからという)妥当性から納得した合理性を
他人に説明すべきである。それ故(自立論証者が)自ら認める主張命題の論証は、
当の対論者が提示すべきである。これがとりあえずの原則である。
これは他人にとって証拠ですらない。証拠や実例がないから、自らの主張命題の論証は、
自分に都合のいいことだけを提示する。それ故、妥当性のない論点を認めるのだから、
これ(自立論証)は本人のみが(オレちゃんは正しいと)騙されるので
(なに言ってんだコイツはと思ってる)他人を結論に導けない。


58:神も仏も名無しさん
09/01/31 21:35:09 TB1MSzSF
>>40
>あんれ?キリスト教は輪廻否定でしょよ!w
>それに私は人格神も認めないし、
>キリスト教にとって最も重要視するキリストによる贖いという姿勢を強く否
>定していますが?
>これはクリスチャンなら1番、論外とみなすものです。

イエスも、「永遠の生命」や「死後の裁き」など、「自分(イエス)を信じ
させるため」に、「甘言」と「脅迫」を弄している。これと「輪廻転生」に
よる「脅迫」と「甘言」は、どう違うのか。

「輪廻転生」があるのなら、その主宰者は、一体誰なのかね。「唯一人格神」
とどう違う?

「イエスによる贖罪」は、「死後の裁きの免除」の目的のためだよ。

それでも、仏教の「輪廻転生」がキリスト教よりも優れている点は、前者が
「行為」を要因としていることである。キリスト教、特にプロテスタントでは、
単に「信仰のみ、聖書のみ」という「精神性」だけだから、共同体にとっては
何の役にも立たないばかりか、却って、「信仰のために人を殺す」という、
とんでもない害悪を招く。人間は、具象に依存しない限り一瞬も生存できない
存在だから、具象を欠く「精神性」は、人間の狂気をもたらす。キリスト教の
「血塗られた歴史と現状」が、そのことを如実に証明している。

59:神も仏も名無しさん
09/01/31 21:35:42 M/xXTiau
>>56
ですね。

>>41
>>>37
>>輪廻転生を否定した経があるならば、それを出して下さいよ。
>
>前に書込みしました雑阿含経・第一義空経の一節で充分ですね。
>これを解釈するスキルがあれば。の話ですが。

全く逆、『第一義空経』は主体のない縁起による輪廻を説いているんです。
これは夙に木村泰賢先生が指摘することであり、
『第一義空経』の引用箇所や、『因縁心論』『ミリンダ王の問い』と一致する内容で、
この理解がないというのは、縁起も空も全く分かってない証拠ですね。

60:神も仏も名無しさん
09/01/31 21:45:36 eKpdMUZU
>>46
自分に都合のよい部分しか見ていないのはあなたです。

私が引用したスッタニパータ651-655は現実的なまともな話ですが、
あなたが引用した部分は地獄描写の一部であって、続きはこうです。

666 けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。
667 (地獄に墜ちた者は)、鉄の串を突きさされるところに至り、鋭い刃のある鉄の槍に近づく。さてまた灼熱した鉄丸のような食物を食わされるが、それは、(昔つくった業に)ふさわしい当然なことである。
668 (地獄の獄卒どもは「捕えよ」「打て」などといって)、誰もやさしいことばをかれることなく、(温顔をもって)向ってくることなく、頼りになってくれない。(地獄に墜ちた者どもは)、敷き拡げられた炭火の上に臥し、あまねく燃え盛る火炎の中に入る。
669 またそこでは(地獄の獄卒どもは)鉄の網をもって(地獄に墜ちた者どもを)からめとり、鉄槌をもって打つ。さらに真の暗黒である闇に至るが、その闇はあたかも霧のようにひろがっている。
670 また次に(地獄に堕ちた者どもは)火炎があまねく燃え盛っている鋼製の釜にはいる。火の燃え盛るそれらの釜の中で永いあいだ煮られて、浮き沈みする。
671 また膿や血のまじった湯釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。かれがその釜の中でどちらの方角へ向って横たわろうとも、(膿と血とに)触れて汚される。
672 また蛆虫の棲む水釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。出ようにも、つかむべき縁がない。その釜の上部は内側に彎曲していて、まわりが全部一様だからである。
673 また鋭い剣の葉のついた林があり、(地獄に墜ちた者どもが)その中に入ると、手足を切断される。(地獄の獄卒どもは)鉤を引っかけて舌をとらえ、引っ張りまわし、引っ張り廻しては叩きつける。
・・・・・まだまだ続きます。

最古層にはこんな話は全くないのですから、これは後に作られた神話、物語であることは明らかです。
これは悪い行為を地獄に仮託して民衆に教え、善い行為を薦めるための方便、悪く言えば脅し、であるのは子供でも分かると思います。

61:神も仏も名無しさん
09/01/31 22:15:17 eKpdMUZU
>>56
私の主張を細かい点では色々誤解しているようですが、まあそれはおいておいて、

>悟りをひらいてブッダとなった弟子達が輪廻に生れ変りの意味を付与した

なんてことは考えていません。ブッダの思想をよく理解して解脱していた弟子達がそんなことするはずないでしょう。
第一時結集の時には、教えを確認する資格があったのはアラハンである直弟子だけとされていますから、
その頃はまだ正しい教えだったはずです。しかし経典を現代まで伝えてきたのは悟った人ばかりではありません。
教団を構成している人の大半はむしろ悟っていない修行僧たちです。その中には人生の大半を在家で生きた人も
たくさんいるでしょう。口伝の時代が何百年も続きますから、そのうちに在家の信じる民間信仰などが溶け込んでしまう
のは全然無理な話ではありません。僧の伝える教えが一枚岩でないことは、後の部派仏教や大乗時代の僧侶・宗派間
の対立を見ても明らかです。もともと別のことを表していたのに、「俗信」のとおりに受け取られてしまった可能性を中村元氏
も以下のように指摘しています。

「仏教では、この世界に対してどこかに空間的に存在する天を考えたのではなく、あくまで、
絶対の境地を天ということばを借りて表したのであるが、一般民衆は俗信のとおり、死後の
理想郷に行かれると信じていたのであろう。」

62:三代スレ170
09/01/31 22:18:13 Ivy+k05r
なんか定期的に、輪廻思想を
>アーリア支配合理化のための政治的デマゴギー・イデオロギー
とか決めつける人が湧いてくるけど何なの?
輪廻思想は昔のウパニシャッドには出てこないし、
五火二道説にしたってバラモン由来じゃねえぞ。
そもそも「ジャイナ教」の存在を失念しているのが解せない。

そんなに輪廻が嫌いなら
「仏教は邪教!お釈迦さんは輪廻を説いたカルト教祖!!」
と言っちゃえば楽になるよ♪


あと
>忌むべき一神教
とか軽々しく書く人もいるけど、
古典を読めば多神教や汎神論もろくなもんじゃなかった
(一神教よりある意味ひどかった)のはすぐわかるし、
近現代史を学べば理神論、無神論、唯物論の流血具合もわかりそうなもんだけど…
(要は世界の覇権を握った国が奉じていたのがたまたま一神教だったってだけなんだよね)
今の腐敗した仏教国どもが世界を左右する権力を握ったら、絶対世界に宗教戦争を引き起こすぜ。
(今でも小規模な形で起してるよね。まあ、国力がないからショボイ規模ですんでいるが)

63:神も仏も名無しさん
09/01/31 22:22:49 8o6ql+WS
>>58
>「輪廻転生」があるのなら、その主宰者は、一体誰なのかね。

これに関して、面白いやりとりがヒンズーの聖典にあったりする。

クリシュナの主宰神批判
URLリンク(blogs.dion.ne.jp)

バーガヴァタ・プラーナの日本語訳(重訳だが)がそろそろ完結するので買いませう。

64:神も仏も名無しさん
09/01/31 22:55:44 ECMOnzvI
横レスですが、
>>27 :宝珠愚者:2009/01/31(土) 17:26:58 ID:oAjYgRSF
>SEW9wAdkさんへ
>あなたとアジタ・ケーサカンバリンとの違いについて説明し下さい。

あなた(宝珠愚者)とジャイナ教のニガンタ・ナータプッタ(外道の一人)との
違いについて説明してほしいです。

65:三代スレ170
09/01/31 23:58:38 Ivy+k05r
63さん
>63 :神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 22:22:49 ID:8o6ql+WS
>>>58
>>「輪廻転生」があるのなら、その主宰者は、一体誰なのかね。
>
>これに関して、面白いやりとりがヒンズーの聖典にあったりする。

リンク先読んだ!面白かった!ありがとう!
ただ、そのなんだね。クマーリラの論理を聞かせても
「そう、そのとおり。すべては神の慣行!したがって因果律は成り立たない!!」とか、
一神教徒側(ムスリムのガザーリーとか)の連中は言っちゃうんで、
何の痛痒も与えられないんだよね。実に厄介。


66:神も仏も名無しさん
09/02/01 00:40:28 9WIW0sf5
>>65
一旦、ありもしない「神概念」を植えつけられと、もはや何を言っても無駄。

「神や霊など、人間が考えても無意味なものは考えるな」と戒めた点に、仏陀
の比類の無い偉大さがある。

67:宝珠愚者
09/02/01 00:42:31 7Yp/x8/s
>>55
ガンジーはマハトマの称号があるとはいえ、
仏陀のような完成者ではありませんでした。
実に様々な人間的な間違いと愚行をしてきてもいます。
恐らく、カースト制度に対する認識にも誤りがあった・・。
しかし、晩年には廃止の意向を示したといわれています。

しかしながら、
何れにせよ彼の非暴力思想と勇敢が行動を非難するなにものもないでしょう!

余談ですが、
ガンジーはブラヴァツキー夫人(神智学協会開祖)に謁見しており、
彼が誇るべき自国の宗教すらも知らないことを指摘し、ギーターの読書を薦めたのはプラヴァツキーでした。
また、ガンジーのマハトマの称号は協会二代目会長ベサント女史によって附されたといわれています。

68:宝珠愚者
09/02/01 00:43:00 7Yp/x8/s
>>58
>イエスも、「永遠の生命」や「死後の裁き」など、「自分(イエス)を信じさせるため」に、
>「甘言」と「脅迫」を弄している。これと「輪廻転生」による「脅迫」と「甘言」は、どう違うのか。

 イエスを信じなければ地獄に堕ちると脅したのは教会の聖職者らによる所業です。イエスの教えではない。

>「輪廻転生」があるのなら、その主宰者は、一体誰なのかね。「唯一人格神」とどう違う?

 一応、>>63紹介のサイトも拝見しました(感謝!!)。この問題はアプローチ次第でどうにでもなります。業
が全てを規定するなら、主宰神は無用といういい方をする人もいますが、この業報の法則、作用する力
そのものが主宰神であり、もしくはその一部分なのです。それは人格神といったものではない。人格神と
いった概念は自分たち人間を縮図として、その延長上に思案したものです。人格神は意識ですが、感情
の次元を超えたものです。それは表現はできない。喜んだり、起こったり、笑ったりといった意識ではない。
 人格神を否定するということは、そのまま「神などいない」といういい方にも通じるのです。どちらも完全な
間違いでもなければ、完全に正しい表現でもありません。

>「イエスによる贖罪」は、「死後の裁きの免除」の目的のためだよ。

 その通りです。ですから自己都合の勝手なものです。イエスはそんなものは教えていません。教会の教え
=イエスといった愚弄は馬鹿げています。わたしはあなたに、それについて再確認されることを推奨します。

69:宝珠愚者
09/02/01 00:43:52 7Yp/x8/s
>>60
 「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(スッタニパータ666)

 確かにこれは地獄描写の一部です。この来世とは地獄に生まれるの意でしょう。描写の詳細については
もある程度、比喩であるとして解していますが、しかし、悪業をなした者は転生に入るまでにこのような体験
を経るのでしょう。あなたはそれも否定するわけでしょう!死んだら断滅などと説くのは外道です。

 「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれ
らのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、
巧みに語っている。」(スッタニパータ876)

 このように、断滅を巧みに語るとして断見外道者に注意するようにゴータマは警告しています。

 「前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成
すべきことをすべて完成した人、─かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。」(ダンマパダ423)

 「あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れなく、清ら
かで、生を滅ぼしつくすに至った人、─彼を(目ざめた人)(ブッダ)という」(スッタニパータ517)

 「物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、止滅(ニルヴァーナ)
を知らないので、再び生存にもどって来る。」(スッタニパータ754)

 「聖者には輪廻は存せず、彼はもはや生まれ変わるということがない。聖者の身体は、永遠の昔からの
永劫の輪廻の過程における最後の身体であり、これは最後の生涯である。今や再び後に生存に入ること
がない。」(テーラ・ガーター202、スッタニパータ502)

 「実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へ、暗黒から暗黒へと(生まれかわる)。
死後には苦しみを受ける。」(スッタニパータ278)

70:神も仏も名無しさん
09/02/01 00:47:49 9WIW0sf5
>>68
>イエスを信じなければ地獄に堕ちると脅したのは教会の聖職者らによる所業
>です。イエスの教えではない。

「私を信じなければ裁かれる」は、イエスの言葉。

そうやって、イエスは絶対に批判できず、すべての責任を、専ら「他の人間」
に押し付けるのが、まさにクリスチャンなのである。

71:宝珠愚者
09/02/01 00:51:34 7Yp/x8/s
つづき

 「師は答えた、《牡牛のように結縛を断ち、くさい臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、わたしくしはも
はや母胎に入ることはないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。》」(スッタニパータ29)

 「諸々の邪まな見解にとらわけず、戒を保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた
人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。」(スッタニパータ152)


 全く納得できませんね。それではこれらの言葉は何ですか?
 「前世の生涯」「あらゆる宇宙時期と輪廻」「非物質的領域に住む諸々の生存者」「聖者の身体は、永遠の
昔からの永劫の輪廻の過程における最後の身体であり」「母胎から他の母胎へ」「母胎に入ることはないで
あろう」などの意味について説明して下さい!


72:宝珠愚者
09/02/01 00:53:27 7Yp/x8/s
>>70
それは、どの書で何章何節のことですか!確認します。

73:神も仏も名無しさん
09/02/01 01:11:26 O5R4EuIl
>>69
> このように、断滅を巧みに語るとして断見外道者に注意するようにゴータマは警告しています。

断見の外道だけは非難して、ニガンタという外道は非難しないのですか?

74:神も仏も名無しさん
09/02/01 01:13:16 O5R4EuIl
ニガンタはまさしく「真我を巧みに語る」とすることができるんじゃないですか?

75:神も仏も名無しさん
09/02/01 01:15:15 O5R4EuIl
「非我論」とはまさしくそのようなこととは言えないですか?

あなたと代表的外道の一人ニガンタ・ナータプッタとどう違いがあるのですか?

76:神も仏も名無しさん
09/02/01 01:32:00 fGHo0ADQ
>>69
> 確かにこれは地獄描写の一部です。この来世とは地獄に生まれるの意でしょう。描写の詳細については
>もある程度、比喩であるとして解していますが

比喩と認めましたね。地獄描写の一まとまり全体が一つの物語、神話のようなものなのです。来世の話云々もそうです。

>「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれ
らのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、
巧みに語っている。」(スッタニパータ876)

「最上の清浄の境地」と言っているところに注意してください。「境地」なのであって、「来世」などの世界ではないのです。
境地というのは今世における人間の心の姿なのですから、精神も肉体も残りなく消滅する「断滅」のうちに無いのは当たり前
です。同様に、来世にもありません。
続きはこうです。

877 かの聖者は、『これらの偏見はこだわりがある』と知って、諸々のこだわりを塾考し、
知った上で、解脱せる人は論争におもむかない。思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない。」

来世の有無についてあれこれ妄執することが偏見です。ブッダはこれらの偏見を捨てよ、と言っているのです。

>死んだら断滅などと説くのは外道です。

あなたは断滅という言葉を断見と勘違いしているようですね。断滅はただ「消え去る」という意味で、主語を伴わなければ
それ自体では意味をなさず(○○が断滅する、と使う)、文脈によっては肯定的にも使われます。たとえば、

761 自己の身体(=個体)を断滅することが「安楽」である、と諸々の聖者は見る。
(正しく)見る人々のこの(考え)は、一切の世間の人々と正反対である。

ここでは断滅を否定するどころか、積極的に自己の身体の断滅を薦めています。

77:神も仏も名無しさん
09/02/01 01:43:28 fGHo0ADQ
>>71
>全く納得できませんね。それではこれらの言葉は何ですか?
>「前世の生涯」「あらゆる宇宙時期と輪廻」「非物質的領域に住む諸々の生存者」「聖者の身体は、永遠の
>昔からの永劫の輪廻の過程における最後の身体であり」「母胎から他の母胎へ」「母胎に入ることはないで
>あろう」などの意味について説明して下さい!

あなたが引用しているこれらの古層の言葉は、全て「苦」を仮託した表現です。「苦」の言い換えなのです。
仏教では色々な「苦」がありますが、特に「生」と「死」は「苦」の代表なのです。
生まれ変わる、再び生まれる、来世においては悪いところに生まれる、母胎から他の母胎へ、は全て「苦」を表現しているのです。
簡単に言えば、「再生」とは「苦の再生」なのです。
「聖者の身体は、永遠の昔からの永劫の輪廻の過程における最後の身体であり」というのも、永遠の昔から苦しみ続けていると
思えるほど深く人間は苦の世界に捉われているが、聖者になったらそれから完全に抜け出す(解脱する)、という意味なのです。
だから、解脱した人に対しての表現「再び生まれない」「母胎に入ることはないであろう」は、もう二度と苦が再生しない、二度と
苦しむことがない、という絶対的な安楽の境地(=ニルヴァーナ、涅槃)を表現しているのです。

78:神も仏も名無しさん
09/02/01 01:49:36 fGHo0ADQ
断見、常見について

生まれ変わり、来世などについて「ある」と断定するのが常見。
生まれ変わり、来世などについて「無い」と断定するのが断見。

ブッダはこの両方を否定し、生まれ変わり、来世など、人間の認識の届かないことについて議論するのは
愚かなことであるから、これらの問いへの執着、こだわりを捨てよ、と説いたのです。

836 (マーガンディヤがいった)、「もしもあなたが、多くの王者がもとめた女、このような宝、が欲しくないならば、
あなたはどのような見解を、どのような戒律・道徳・生活法を、またどのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」
837 師が答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する
執著を執著であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤を)見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。」

「どのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」という問いに対して、ブッダは「『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。」
と退け、このような問い自体が執着・偏見であるから、執着を捨て、固執することを止め、省察しつつ内心の安らぎを得るのです。

79:宝珠愚者
09/02/01 02:02:08 7Yp/x8/s
>>64
>あなた(宝珠愚者)とジャイナ教のニガンタ・ナータプッタ(外道の一人)
>との違いについて説明してほしいです。

 これはどのような意図の質問でしょうか?この私の主張がジャイナに似てるとでも??
 ジャイナと仏教は双子のような感じがあり近しいでしょう。ジャイナの在家信仰の状況では、更に私とも
かなり近しい印象はあります・・。しかし、根本的に思想部分というか、見解的にはいろいろと異なります。

 ジャイナの生命感は動植物のみならず無機物にも及んでおり、地・水・火・風・大気にも霊魂を説く。そ
の点は無機物である鉱物界にも生命を認める神智学とも似ていますが、神智学では無機物と植物の意
識は霊魂とは異なり、動物の意識とて個別化した魂とは見なさない(動物界全体を一とする超魂を説く)。
また転生は進化の法則であり、人間が動物といった下位生命へと転生するといった概念は認めない。
 神智学的には水も生命という見方も可能ですが、これは殺生ではない。またジャイナのように水中の微
生物すらも殺生しないよう、ろ過して濾して飲むといった極端な姿勢はない。

80:宝珠愚者
09/02/01 02:02:30 7Yp/x8/s
 とにかくジャイナの不殺生戒は極端過ぎており、そこには不殺生に対する固執(執着)意識が増大して
るようです。あの不殺生戒の極端性には肉体生命に対する重度な固執が感じられます。彼ら自身は自分
の肉体生命は重視しませんが、他の生命体に対しては意識が集中し過ぎてるようです。
 それから苦行の極端さです。たしかに在る面においては、苦行は意識を肉体から内面に向かわせるの
に効果的でしょう。しかし、過剰な苦行は逆に肉体に対する執われとなると思います。神智学ではそのよ
うな苦行はせず、奉仕を推奨します。それは自己犠牲(一切の利益や報酬を受けない)によって他者や社
会に貢献することなのです。奉仕したいという欲求は自己の高我(魂)からくるものであり、瞑想の習慣に
よって自己意識(低我)を魂と連結させていき、魂からの指令を確実にしていくことが奉仕の行為に結びつ
きます。魂からのエネルギーは奉仕の行為で消化していきます。

 とりあえず、この程度しか返答できません。もしも具体的にジャイナのこの部分についての私の見解が欲
しいとか、私との相違点について示してくれ、といった質問ならば、この私も回答しやすいです。

81:宝珠愚者
09/02/01 02:03:20 7Yp/x8/s
>>74-75
>ニガンタはまさしく「真我を巧みに語る」とすることができるんじゃないですか?

 否定はしません。

>あなたと代表的外道の一人ニガンタ・ナータプッタとどう違いがあるのですか?

 魂も永久不滅ではありません。魂も縁起で生じています。これは真我に意識が留まるまでの媒体です。
対するジャイナは不滅を説く。しかしまぁ、僅かな相違です。阿羅漢の境地に達する段階で違いが確認で
きるからです。阿羅漢に達する段階で「死」を経験するのです。その死とは肉体のみならず魂の死です。こ
のときにその恐怖を克服できれば問題はない。魂意識への執着は問題となる恐れはあります。その違い。

82:神も仏も名無しさん
09/02/01 02:05:36 nG8oYVSw
たけたけはらはら たくや凶

83:神も仏も名無しさん
09/02/01 02:19:56 O5R4EuIl
>>81
>しかしまぁ、僅かな相違

沙門果経ではっきり外道と断じられているジャイナと仏教が双子で、僅かな相違
で済むのなら、他の断見や唯物論の外道と仏教も「実は」「考え方によっては」
僅かな相違だと主張する人の意見も許さなくては、公平・客観的とは言えなくな
りますよ。違いますか? そうじゃないのならあなたは結局は主観に基いている
だけであり、主観によって他者を断じ、そのように断じたい動機に基づいて行動
しており、自己の見解に執着し囚われていることを認めなくてはなりません。

84:神も仏も名無しさん
09/02/01 02:23:24 O5R4EuIl
仏教とジャイナ教が双子だという主張は中村元の弟子の渡辺研二という人の
そのまんま受け売りでしょうけど。

85:神も仏も名無しさん
09/02/01 02:28:01 O5R4EuIl
基本的に、あなたから唯物論的外道に見える、断見論者が仏教徒を自称するが、外道以外の
何者でもないように思えるのように、
あなた以外の人からは、あなたはニガンタという外道に見える、真我論者が仏教徒を自称す
るが、外道以外の何者でもないように思えるという当然の事実に、

しかし、自己の見解に執着し囚われている愚か者は、

気づかないのです。

86:神も仏も名無しさん
09/02/01 02:32:50 O5R4EuIl
自分がジョン・レノンだと思い込んでいるジョン・レノンの偽者が、

自分をビートルズのメンバーだと主張するポール・マッカートニーの偽者に向かって、

「この偽ビートルズ野郎!」と、非難する。

これは何でしょう?

87:宝珠愚者
09/02/01 03:02:58 7Yp/x8/s
>>76
>「最上の清浄の境地」と言っているところに注意してください。「境地」なのであって、「来世」などの世界で
>はないのです。境地というのは今世における人間の心の姿なのですから、精神も肉体も残りなく消滅する
>「断滅」のうちに無いのは当たり前です。同様に、来世にもありません。

 《「断滅」のうちに無いのは当たり前です》。そりゃ~そうですよ。だから、それをゴータマは「巧みに」語っ
ているといい、騙されるなと警告してるのですよ。

>来世の有無についてあれこれ妄執することが偏見です。
>ブッダはこれらの偏見を捨てよ、と言っているのです。

 それは分りますよ。論争するなといっているのであり、私のような人間などを戒めているのですよ。

>あなたは断滅という言葉を断見と勘違いしているようですね。断滅はただ「消え去る」という意味で、主語
>を伴わなければそれ自体では意味をなさず(○○が断滅する、と使う)、文脈によっては肯定的にも使わ
>れます。たとえば、761 自己の身体(=個体)を断滅することが「安楽」である、と諸々の聖者は見る。
>(正しく)見る人々のこの(考え)は、一切の世間の人々と正反対である。
>ここでは断滅を否定するどころか、積極的に自己の身体の断滅を薦めています。

 分りますよ。ですから文脈で捕らえる必要がある。前者の断滅とは断見のことです。「(精神も肉体も)残り
なく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、巧みに語っている。」というのですから、これは断見
のことです。
 対して後者の場合というのは、肉体生命最重視に対する否定意を説いているのですよ。この肉体生命最
重視とは何かというと、死んだら終わりとする断見(だから「死にたくない」という意識)を示すことになるので
す。文意を読み取れば分るのであり、これは前者も後者も断見のことです。

 「断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることが
ないとする見解のこと。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

88:宝珠愚者
09/02/01 03:05:17 7Yp/x8/s
>>77
>あなたが引用しているこれらの古層の言葉は、全て「苦」を仮託した表現です。「苦」の言い換えなのです。
>仏教では色々な「苦」がありますが、特に「生」と「死」は「苦」の代表なのです。
>生まれ変わる、再び生まれる、来世においては悪いところに生まれる、母胎から他の母胎へ、は全て「苦」
>を表現しているのです。簡単に言えば、「再生」とは「苦の再生」なのです。

 どうも府に落ちませんね。その割には、随分と手の込んだ言葉の表現ですが・・。
 「母胎から他の母胎へ」は確かに仏教の立場からは「苦」を示すものでしょう。要するにこれは、今生から
来世に転生することは苦であると説くのが仏教だからですよ。「母胎から他の母胎へ」とはそういうことです。

89:宝珠愚者
09/02/01 03:05:41 7Yp/x8/s
>>78
>生まれ変わり、来世などについて「ある」と断定するのが常見。
>生まれ変わり、来世などについて「無い」と断定するのが断見。

間違いです。
・この世は永遠に続くものという意味と、
 もう一つは人の死後にアートマンとして永久不滅に存続するという見解が常見。
・死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見。

>ブッダはこの両方を否定し、生まれ変わり、来世など、人間の認識の届かないことについて議論するのは
>愚かなことであるから、これらの問いへの執着、こだわりを捨てよ、と説いたのです。

 それは理解できない相手に対する待機説法です。

 「このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が『この者は、このところへ生まれる。
この者は、このところへ生まれる』と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人に吹聴する
ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、『わたしは、このような超能力があることを人は知
れ』というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子
はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもた
らし安楽をもたらす」以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』」
(中阿含経・第77・帝三族姓子経)

 死後の再生については明確に解説しました。

 「また、このようにして心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は思考から成り立つ身体(意生
身)を化作することに、心を傾け、心を向けます。彼はその(物質的な)身体から、別の身体、(すなわち)
形はあるが思考から成り立ち、四肢も完全にそなえ、(眼や鼻の)感覚器官もそこなわれないままの身体
をつくり出します。」(ディーガ・ニカーヤ第2/出家の功徳)

 この経文では、肉体とは異なる意識体も意図的に作り出せるとも述べています。

90:神も仏も名無しさん
09/02/01 03:30:15 fGHo0ADQ
>>87
>  対して後者の場合というのは、肉体生命最重視に対する否定意を説いているのですよ。この肉体生命最
> 重視とは何かというと、死んだら終わりとする断見(だから「死にたくない」という意識)を示すことになるので
> す。文意を読み取れば分るのであり、これは前者も後者も断見のことです。

それに対して「常見」は「死んだら終わりとする断見」の逆、つまり「死んでも終わりではないとする見解」です。

「常見(じょうけん)とは、仏教用語で、この世は永遠に続くもので不滅であるとする見解のこと。反対語は断見(だんけん)。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

>>88
>どうも府に落ちませんね。その割には、随分と手の込んだ言葉の表現ですが・・。

神話、物語は手が込んでいればいるほどリアリティが生まれ、迫力があっていいのです。
ディテールが細かく具体的であればあるほど、読む人はその世界に引き込まれるからです。
ジャータカ物語もそうです。聖書や古事記などもみてください。手が込んでますから。

>要するにこれは、今生から来世に転生することは苦であると説くのが仏教だからですよ

そういう先入観をもって読めば、そうとしか読めなくなるのでしょう。
「今生から来世に転生するという妄想」が「苦」(の一つ)なのです。

>>89

>・この世は永遠に続くものという意味と、
> もう一つは人の死後にアートマンとして永久不滅に存続するという見解が常見。
>・死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見。

「死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見」の逆は
「死後に意識、あるいは生命が永続するとする見解が常見」となるはずです。
この両方をブッダは否定しているのです。アートマンは否定したが、アートマン無しの転生は肯定している
というような話(詭弁ですが)などではありません。

91:神も仏も名無しさん
09/02/01 03:41:00 fGHo0ADQ
>>89

>  「このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が『この者は、このところへ生まれる。
> この者は、このところへ生まれる』と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人に吹聴する
> ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、『わたしは、このような超能力があることを人は知
> れ』というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子
> はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもた
> らし安楽をもたらす」以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』」
> (中阿含経・第77・帝三族姓子経)

おそらく新しい経典で、ブッダが説かなかったはずの来世の話を経典にふんだんに盛り込んでしまったために、
辻褄あわせ、正当化が必要で、このような経典を作ったのでしょう。おそらく当時も今と同じような議論があり、
「人を欺いているのではないか」と批判した人がいたので、「人を欺くためでなく」などという言い訳を書く必要
が生じたのでしょう。
よく考えてみてください。もし本当にブッダが来世を説き、それが事実なら、「再生する場所を予言するのは、
人を欺くためでなく、人に吹聴する ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく」
「事実だからだ」と一言書けばすむ話です。でもどこにも「事実だ」なんて書かれていません。
そうは書かず、
「信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子 はそれを聞いて真理に心をはせる。
アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもたらし安楽をもたらす」
と書いているのは、「これは方便です」と言わんばかりです。
「とりあえず地獄などで脅し、天国を夢見させておけば真面目に修行したり善行為を積むだろうから」という意図が
見え隠れします。穿った書き方をしましたが、方便としては別に悪いことではないのでしょう。ただ「事実」と混同してはいけません。


92:神も仏も名無しさん
09/02/01 03:50:14 fGHo0ADQ
>>89
>「また、このようにして心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は思考から成り立つ身体(意生
>身)を化作することに、心を傾け、心を向けます。彼はその(物質的な)身体から、別の身体、(すなわち)
>形はあるが思考から成り立ち、四肢も完全にそなえ、(眼や鼻の)感覚器官もそこなわれないままの身体
>をつくり出します。」(ディーガ・ニカーヤ第2/出家の功徳)
> この経文では、肉体とは異なる意識体も意図的に作り出せるとも述べています。

私たちは自分の身体を、自分のものと思い込んでいます。身体に執着しています。
たとえば怪我したり病気になったりしたら、冷静でいられず、必要以上に大騒ぎしたりするのです。
つまり私たちは身体をありのままに見ているのではなくて、自分の思考のフィルターを通して身体を
見ているのです。それが「思考から成り立つ身体」です。このような執着を取り払い、間違った思考を直し、
正しい思考で身体を捉えなおせば、ありのままの「感覚器官もそこなわれないままの身体」を作り出したことになるのです。
(もちろん物体としての身体はずっとそのままです)

「肉体とは異なる意識体も意図的に作り出せる」とあなたが書いている意味はよく分かりませんが、
これはあくまでもその人の心の内面の話なのです。来世などではありません。

93:宝珠愚者
09/02/01 03:51:11 7Yp/x8/s
>>34
>マッリカーの逸話で十分だろ?w

 この場合の教え、「自分の幸せだけを考えなさい」とは、自己が愛しいことをよく吟味して理解できたとき
に、他人様にとってもそれは等しく感じていることだろうとして悟る、という意味においてです。

 「心の中であらゆる方向を巡ってみても、どこでも、自己よりも愛しいものに巡り会わなかった。
それ故に自己を愛する人は他人を害してはならぬ。」(サンユッタ・ニカーヤ:Ⅰ.75)
 「自己よりもさらに愛しいものは決して存在しない。同様に他の人々にもそれぞれ自己は愛しい。
故に自己を愛するものは他人を害してはならぬ。」(サンユッタ・ニカーヤ:Ⅰ.75-ウダーナ)
 「自己を護る人は他の自己をも護る。それ故に自己を護れかし。しからば彼は常に損ぜられる
ことなく、賢者なのである。」(アングッタラ・ニカーヤ:Ⅲ.373)
 「もしも、自己を愛しいものであると知ったならば、自己を悪と結ぶなかれ。」(スッタニパータ:790)
といっているのです。

 これらの経文がそのことを示すものです。

 しかし、先般述べたような極悪非道な鬼畜には、こんなことをいっても通用せず、ますますエスカレートす
らしかねない。死後の業報を説明しても、そんなものは信じないといってたぶん聞かないでしょう!止めら
れるものはないのかもしれない・・。
 肝心なことは、業報は自然法則であるが故に、本人が信じる信じないか関われず、本人に非情に作用し
ます。この鬼畜も当然、ただで済むことはない。自己の行為と同等の代償を自らの苦悩で以って味わうこと
になるのです。これが天がもたらした平等の作用です。

 死後の業報を否定する見解は、他人を救った殉教者もこの鬼畜も等しく扱うことになる愚行です。

94:宝珠愚者
09/02/01 04:11:04 7Yp/x8/s
>>90
>神話、物語は手が込んでいればいるほどリアリティが生まれ、迫力があっていいのです。
>>77
>だから、解脱した人に対しての表現「再び生まれない」「母胎に入ることはないであろう」は、もう二度と苦
>が再生しない、二度と 苦しむことがない、という絶対的な安楽の境地(=ニルヴァーナ、涅槃)を表現して
>いるのです。

 そりゃそうですよ。それがニルヴァーナですから。しかし、実際に輪廻転生の状態から、再生しない状態
へと解脱するのであって、「転生などは妄想だったんだ!元々、無かったんだ!」などと思考を巡らせるこ
どてはありません。


>「死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見」の逆は
>「死後に意識、あるいは生命が永続するとする見解が常見」となるはずです。
>この両方をブッダは否定しているのです。アートマンは否定したが、アートマン無しの転生は肯定している
>というような話(詭弁ですが)などではありません。

 違います。正反対意ではありません。「アートマンはない」などと説いた経文は存在しません(あるならば
それを出してみて下さい!)。アートマンの永久不滅論についてを否定したのです。またこれは、低我の
アートマンとの同一視に対する誤りなども含むでしょうね、やはり。死後をも続く意識について、様々な経で
説かれているのです。これを否定したら断見なのです。誤解しています。

95:神も仏も名無しさん
09/02/01 04:14:58 fGHo0ADQ
>>93
横レスですが、

>極悪非道な鬼畜には

あなたの輪廻説の信仰は、結局、「極悪非道な鬼畜には相応の罰が下って欲しい」という願望の反映でしょう。
しかし、「事実」かどうかは、「願望」と無関係なはずです。
もし、極悪非道な人間がよい目を見て、善人が不幸な目にあうような理不尽な世界が現実であったなら、
いくらあなたの「願望」に沿わなくても、仕方ないんですよ。

でも心配しなくても、ちゃんと現実の世で報いを受けるのです。
極悪非道な人間は、いくら世間的に成功していても、心は貧しいのです。人からは嫌われていることを自分でも
自覚しているものですから。いくら強気に振舞っていても。それに犯罪人になれば法律で罰せられますし、
世間から白い目で見られるという報いを受けるのです。物質的には理不尽なことはいくらでもありますよ。
しかし心の問題としては、ちゃんと報いを受けるのです。
極悪非道なことをして平気でいるように見える人間も、本当は全うな人生を歩み、善い行いをして人から好かれる
人間になりたいはずです。それが叶わず心の中で苦しむのです。

96:神も仏も名無しさん
09/02/01 04:34:33 fGHo0ADQ
>>94
アートマンについても同じです。アートマンを否定したと書いたのは書き方が悪かったですが、「アートマンはない」という
意味ではありません。

アートマンはあるという見解 常見
アートマンはないという見解 断見

この両方を否定したのです。アートマンなるものも、私たちに認識できない事柄だからです。
「永遠不滅の実体」なんてものを一体どうやって認識するのです?「実体」や「主体」という
言葉自体、よく考えれば曖昧で、具体的に何を指しているのか、誰も示せないのです。
ですからそのようなものについて議論するのは不毛なのです。アートマンももともとは
ただの「わたし」という意味です。そこにヴェーダなどで抽象的な意味を付与するから、
誤解・執着が生まれるのです。

(スッタニパータ)
1119 「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。
そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」
(ダンマパダ)
279一切の事物は我ならざるものであると明らかな知慧をもって観るときに、
ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

「自我に固執する見解」は「アートマンはあるという見解」、「アートマンはないという見解」の両方です。
両方ともアートマンに固執しているのです。
「一切の事物は我ならざるもの」というのは、我々が認識できる事物一切は、無常ですからアートマンではないのです。
ですが「アートマンがどこにもない」かどうかは別問題です。それは認識できませんので、誤った見解ということになります。

97:宝珠愚者
09/02/01 04:49:54 7Yp/x8/s
>>83
>他の断見や唯物論の外道と仏教も「実は」「考え方によっては」
>僅かな相違だと主張する人の意見も許さなくては、公平・客観的とは言えなくなりますよ。違いますか? 

 外道とはゴータマの教えとは違うということであり、その中身においては近しいレベルから遥かに遠く離
れた思想までも含みます。断見外道は業報、及び死後の断滅を説くもので、これは最悪にして最強。ゴー
タマから最もかけ離れた見解なのです。これ以上のものはない。
 また、今生の中での業報を認めるといった偏見は通用しません。外道は自由であり、いろいろあっても
それら全部が外道ですが、仏教には今生だけの業報なる見解はありません。


>>84
>仏教とジャイナ教が双子だという主張は中村元の弟子の渡辺研二という人の
>そのまんま受け売りでしょうけど。

すみません。私は仏教に詳しくないのでよく知りません。

98:神も仏も名無しさん
09/02/01 04:59:22 fGHo0ADQ
>>97
>私は仏教に詳しくないのでよく知りません。

なんということ・・・
納得。

99:380
09/02/01 07:52:44 9+5ThHKe
>61
56さんは電波説について陳べているのに、それに答えるあなたはやはり電波さんとやらですか?
さて
>第一時結集の時には、教えを確認する資格があったのはアラハンである直弟子だけとされていますから、
>その頃はまだ正しい教えだったはずです。しかし経典を現代まで伝えてきたのは悟った人ばかりではありません。
>教団を構成している人の大半はむしろ悟っていない修行僧たちです。その中には人生の大半を在家で生きた人も
>たくさんいるでしょう。

あなたも想像力の逞しい人ですね。しかもまだ在家にこだわる・・・。
第一結集のアーナンダの伝承もあなたの言うところの不肖の弟子が
改竄して伝えた経典によるものかもしれませんよ?
なぜそこだけは疑わないのでしょうか?
結局は先に結論ありきの牽強付会ということですね。

それに「はずがないでしょう」とか「はずです」とか「でしょう」とか根拠なく陳べられても・・。
それが許されるのなら
「仏陀は輪廻を説いたはずだ。しかし、南伝ではその伝承が伝わらなかったか途絶えたのでしょう。」
と、言うことも可能になってしまいます。


100:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/01 08:01:01 h+E1sRfx
>>49
>解釈など不要です。「輪廻転生はない」と説いた文章は経典のどこにありますか?
>>59
>全く逆、『第一義空経』は主体のない縁起による輪廻を説いているんです。
>これは夙に木村泰賢先生が指摘することであり、
>『第一義空経』の引用箇所や、『因縁心論』『ミリンダ王の問い』と一致する内容で、
>この理解がないというのは、縁起も空も全く分かってない証拠ですね。

では、第一義空経について触りの部分だけ解説いたします。
「生起するも生起するわけではない」。→第一義空経より抜粋。
この意とするところは、生起を論じてますけど・・・即否定となってますね。
つまり、
「生起する」ということは、生起しない状況を前程としますから、
「生起しない」という状況があって、そこより何らかの変化がある。ってことになる。
また、
「生起しない」という状況がないなら、そこに何らかの変化がある。ってことにはならない。
つまり生起はありえない。
ということになる。

つまり「生起する」という語義自体が論理的矛盾を含んでまして、
もしも仮設であるにしろ、論を立てた瞬時にすでに論が破壊されてしまうのです。
これが「即否定」の意味でありまして、
仮に>>59氏のように
>主体のない縁起による輪廻を説いているんです。
というような意味付与しても、根底から論が崩れてるもんですから戯論にしかならない。
木村泰賢先生は大間違いですね。

101:神も仏も名無しさん
09/02/01 08:35:41 j4RDywq/
>前スレ688
>現在、検討中です。一応、関連文献の検討は終わりました
>中観スレですね。了解しました。

繰り返して申し訳ありませんが、もしも宜しければ、
「デルゲ、チョーネ」「ナルタン、北京、ラサ(金写)」「ショル版」の
『宝行論』1.48-49(特に49)の蔵訳、及び、アジタミトラ註の同箇所を
中観スレの方で、邦訳を御示し頂くわけにはいかないでしょうか?
もちろん不可でも結構です。

102:1/3 初代スレ7
09/02/01 08:36:06 /duY1DXc
>>93
>  しかし、先般述べたような極悪非道な鬼畜には、こんなことをいっても通用せず、ますますエスカレートす
> らしかねない。死後の業報を説明しても、そんなものは信じないといってたぶん聞かないでしょう!止めら
> れるものはないのかもしれない・・。
>  肝心なことは、業報は自然法則であるが故に、本人が信じる信じないか関われず、本人に非情に作用し
> ます。この鬼畜も当然、ただで済むことはない。自己の行為と同等の代償を自らの苦悩で以って味わうこと
> になるのです。これが天がもたらした平等の作用です。

予想通りというか期待通りの反応でワロタw

103:2/3 初代スレ7
09/02/01 08:37:05 /duY1DXc
>>93
そう。
御指摘の通り、普段から自己を大切にしていない人(自分が嫌いな人、やけっぱちになってる人等)は、
「なにそれ?馬鹿じゃないの?」と、その意味を理解しないでしょう。しようとしないでしょう。
宗教者・教育者等、或いは道徳心あり慈悲心ある大人達は、或いは親御さん・保護者達は、
この部分へ届く言葉を持たねばなりません。模索せねばなりません。
 (だから、幼児教育、児童教育は重要なのです。
  「自分を大切にすること」、「自分の存在・在り様を許すこと」、
  「“ここ”に居てもいいんだ・・」(→「生きていてもいいんだ」)、
  「自身もまた、無数に生きる多くの“いのち”と等価であること。劣ってなんかいないこと」
  を実感させることが重要なのです。
  そして、これを実感させ、良いベクトルへと向かわせるのは、
  「断滅(死んだら終わり)」という思想でもなければ、「輪廻転生(次がある)」という思想でもない。
  具体的な、世俗の、日常の、他者との関わり合いの中に根を下ろした、道徳的言葉や行為達であろう。)
〔「自己を大切にしない、自分なんかどうなってもいい」と考える者は、来世の自分だろうが何だろうが意味を見出さないでしょう。
効果の薄さでは似たり寄ったりじゃないですか?来世云々は関係ないのでは?〕
というレスも用意していたが、この方向の言葉はないようだ。
>止められるものはないのかもしれない・・。 という告白が示すように・・。
その代り、(>>95さんも触れていますが)、「報いがあってほしい」「罰があってほしい」というベクトルが、より鮮明になりました。
 (勿論、その“ベクトル自体”は否定する必要はないと思います。
  倫理面道徳面、或いは納得(わだかまりの処理法)等の面での重要な要素であろうとは思います。)
だから、次のように続けておこう。
〔マッリカーの逸話を骨格にすることが、現在の悪行を防ぎきれないとしたなら、
 貴方の言う輪廻転生もまた、ブレーキとなり得ていないのでは?
 (少なくとも>>93に於いてその効果・手段は述べられていない)〕と。
〔単に、「後々の罰があるかどうか」に過ぎないのでは?
 「どうせ後で罰を受けるんだから、今は仕方ない」というのと、どこが違うのか?〕と。

104:3/3 初代スレ7
09/02/01 08:38:30 /duY1DXc
>>93
>  死後の業報を否定する見解は、他人を救った殉教者もこの鬼畜も等しく扱うことになる愚行です。
(時期尚早となってしまったが)、この際、はっきりと貴方に問うておこう。
(私自身が考え中であり、考えの整理の為にも欲しい情報だし・・・。)

≪ 「“果”が等しい」とはどういうことか? 「“果”が等しくない」とはどういうことか? ≫ と・・・。
≪ >等しく扱うことになる愚行です。
  そもそも、「等しく扱う」「相違を見て扱う」ということ自体、恣意的な分別ではありませんか? ≫ と・・・。

105:三代スレ170
09/02/01 08:46:01 uTPokk2+
66さんへ
>「神や霊など、人間が考えても無意味なものは考えるな」と戒めた点に、仏陀
>の比類の無い偉大さがある。
…まあ、お釈迦さんも神や霊とお話をしちゃう、電波な野郎なんだけどね。
「梵天勧請」のエピソードを考えるに、電波って奴も時と場合によっては良いものではあるのだけれど。

106:三代スレ170
09/02/01 08:50:17 uTPokk2+
86さんへ
>自分がジョン・レノンだと思い込んでいるジョン・レノンの偽者が、
>
>自分をビートルズのメンバーだと主張するポール・マッカートニーの偽者に向かって、
>
>「この偽ビートルズ野郎!」と、非難する。
うまい!たくみなたとえですね。

107:神も仏も名無しさん
09/02/01 08:55:14 j4RDywq/
>>100
『勝義空性経』については、漢訳のみで理解するのは危険だと思います。
宮下先生の梵本からの邦訳に拠れば、59さんの仰る通りであり、
『明句論』26章が引用し、『廻諍論』『縁起心論』も依拠する
『稲芋経』の「鏡の喩」等と同趣旨ですから、
漢訳は、サムケータ周辺を誤解していると思います。

108:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/02/01 09:08:50 7mNe+xW9
>>104
また中論馬鹿が、知った風の口を聞いてらぁ。
屁理屈はいいんだよ、屁理屈は。形而上のことばかりでなく、
形而下の事柄においても、不可知論にしてしまう、外道が。
こういう奴はよ、木刀でしばきまわしてやればいいんだよ。
ほれ、お前の悟りは、痛いも、快感も無い、中道なんだろ、
ほれほれ、としばきまわしてやればいんだよ。
いかにこいつらの中道が、糞の役にも立たない、
馬鹿馬鹿しい言葉遊びでしかないものか、少し利口な人なら、すぐに
見抜くんだけどね。

あのさ、中道とはあくまで、真理である、真我の領域のことであって、
この二元世界である物質世界は、善と悪があるんだよ。
”それ” は恒常であるとみると、常見となり、いずれは消えてなくなるものと見れば、
断見となる。言い方を変えると、それは見方によると恒常普遍のものではないが、
見方を変えると、恒常普遍なものである。またそれは、縁起で成るものだが、
見方を変えると、それ単独で存在しているものだ。そういうものだ。
一方この物質世界は、あくまで縁起でしか成り立たないし、いつかは滅びる
恒常普遍のものは一切無い。そういうものだ。ゴータマは、あくまで物質世界とは
そういうものだと説いたんだよ。おまえらのように、物質世界は、無常、無我を説く傍ら
舌の根も乾かぬうちに、い~や。物質世界は、無常であり、無我であるといったが
本当は、無常でも無我でもない、中道だべ~。なんてなことは言ってないんだよ、ば~か。

「一」から「他」へ。そして、「他」から「一」へ。

この世界は全て平等だというのは間違いない。なぜならこの世界の本質は、「一」だからである。
二つに見えることは、全て見せ掛けに過ぎない幻。本質は「一」なのである。ゆえに因果応報はある。
他人にしたこと、しなかった事は、全て自分自身にしたこと、しなかったことなのである。
他人に対して成した行為の報いは、いずれ自分自身が受け取ることになる。


109:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/02/01 09:19:17 7mNe+xW9
ここの頑固な断滅外道仏教徒に皆さんは、
浄土系の人達だったんですね。
南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛と無意味な念仏を唱えるだけで
自分達は救われると、最も下らない最もゴータマの仏教とは違う道を行く
似非仏教徒たちが、われこそ、ゴータマの仏教、原始仏教を語るこの不条理さよ。
あの電波って男も、浄土系の人なんだって?
悪貨は良貨を駆逐する。ま、悪が支配するこの物質世界だ。
まがい物が、本物より評価され、メジャーになるなんてことは、宗教界には
よく見られる光景だわな。

110:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/02/01 09:40:28 7mNe+xW9
ジャイナ教の過ちは、苦行によるカルマ落としにある。
悪を成した報いは、いずれ自分自身が受け取ることになるが、
それはあくまで自然に任せるべきである。
そうすtれば勝手にその報いは受ける。それを自分は救われたいからと、
そのエゴのまま、自らカルマ落としと称して、自らを傷つける者は、自分自身を
傷つけているつもりが、他人をも傷つけている。
他人を助けるために、自らの命を捨てるのとは、わけが違う。

我々は本当は一つだ。
人を殺す者は自分自身を殺している。
そして自分自身を殺す者は、他人をも殺している。
人殺しは生きない。死人のままである。

ジャイナ教は、カルマ落としと称して、苦行で自分自身を傷つける。
それは「人」そのものを傷つけている他ならない。
彼らは悪のカルマを落としているつもりだが、その行いによって、さらに悪のカルマ
を積んでいることに他ならない。その報いは受ける。
真理に至るには、好き嫌いという自分のエゴを捨て去り、
他人をも自分自身のことのように思い、愛する心を完成させることに他ならない。
これを善の修行という。この心を完成させた者は、善の修行を完成させた者である。
好き嫌いというエゴのフィルター無しに、全ての人を平等に愛する
ということは、自分自身をも愛することに繋がる。本当の自分自身をね。
自分自身を愛する心が無い者は、他人を自分自身のごとく愛することはできないのである。


111:神も仏も名無しさん
09/02/01 09:55:21 MJjMdhyV
>>100
>つまり「生起する」という語義自体が論理的矛盾を含んでまして、
>もしも仮設であるにしろ、論を立てた瞬時にすでに論が破壊されてしまうのです。
>これが「即否定」の意味でありまして、

また、適当な妄想をw なんでも京都学派論理、でもただの現状肯定。

>>101
まだ、不十分な内容ですがあげときました。

>>107
仰る通りですが、机さんは>>57で月称菩薩が仰る通りですから。
私も含めて悟ってない人の主張は全て本質的には机さんと同じなんでしょうがw



112:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/02/01 10:05:33 7mNe+xW9
オバマは、大統領就任式の演説で、宗派を超えて、皆が一つにという趣旨の
演説の中で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教などの名前は挙がったが、
仏教はいわなかったろ。あれは意図的に言わなかったんだよ。
君らは仏教の無我思想を誤謬するあまり、至高の存在さえ認めない。
イギリスの王族や、アメリカの大統領。財閥などの、実際に世界の経済を動かしている
支配層の人々がメンバーにいるある団体では、そこの集まりでは決して
政治の話や、宗教の話はしてはならないが、そこのメンバーになる条件は、宗派は
問わないが、無神論者は、決してなれないということ。つまり至高の存在を認めない多くの
仏教徒達は、そこのメンバーにはなれないということなんだよ。
前スレで、唯物論者でも、私は自然を愛するものですといえば「、欧米人からも
尊敬されるといっている人がいたが、大きな勘違いだ。至高の存在を認めない無神論者は、
決して彼らから、尊敬を集めることもなければ、兄弟だと、仲間として認められないだろう。


113:初代スレ7
09/02/01 10:09:56 /duY1DXc
>>112

なんだ、カラスの動機は西洋コンプレックスだったのかw

114:初代スレ7
09/02/01 10:11:38 /duY1DXc
(もはや余分かもしれないが)、もう一つ指摘しておこう。

>> スレリンク(psy板:85番) では、
> ただし、基本原則的にはこの一枚の紙の喩通りですが、
> 状況により特殊ケースにおいてはこれも絶対ではありません。
と述べ、>>52では
> >上のようなことが起こらないと断言できる理由を教えて下さい。
に対し
>個々のケースでいろいろでしょう。しかし、基本的にいえることは・・・・・・
と述べる。  (実際は、個々のケースなど、これっぽっちも考慮していないw)

前者は、「断滅に於ける特殊ケース」であり、
≪「特殊ケース(個々のケース)【が存在するから】」「断滅の道徳理論は不完全である」≫という主旨。

後者は、「輪廻業報思想に於ける特殊ケース」であり、
≪「特殊ケース(個々のケース)【は存在するけれども】」「輪廻業報思想の道徳理論は完全である」≫という主旨。

皆さん、なんかおかしいと思いませんか?w


 ※どちらも、特殊ケースをフォローする言辞が要請される点で変わりはありませんが・・・。※

115:ケセラセラ
09/02/01 10:25:28 bVb89yFv
Que sera sera. ケ・セラ・セラ

Whatever will be, will be. 結局はなるようになる

The future's not ours to see.未来は人間にはわからない

Que sera sera . ケ・セラ・セラ



116:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/01 10:35:00 h+E1sRfx
>>107>>111
部派仏教の時代(アビダルマ)は勿論「空」という言葉はありましたが、
それほど重要視されてませんでした。
釈尊直伝の法(諸行無常)であっても、ダルマは無常ではない。
という前程がありましたから、
三世(過去・現在・未来)は実有で、刹那滅として無常としたのです。
(この刹那滅も、無我をどうにか理論体系して導きだしたものです)
これだと最初から三法印は崩れていたわけで、
あくまでも法としての無常・無我がなければ仏教とは言えません。

しかしながら、こういった論理的矛盾も、
長らく埋もれていた「空」によって、全てが解消されていくのです。

古い言説に固持することはない。
草創期においては説き明かされなかたものでも、
恒久の時間が法を育てておるんですから、
これひとえに人類の英知であろう。

117:神も仏も名無しさん
09/02/01 10:42:47 MJjMdhyV
>>114
あの、仏教の業報・輪廻と西洋的なエティカ、シナ的な道徳とは全く別ものです。
仏教における悪とは苦をもたらすものです。
ただし、エティカや道徳と共通するものがほとんどですが、
根本的な考え方が違います。

どうちがうかというと、仏教は苦しみをもたらさない為の行動指針として
明解に具体的、演繹的に打ち出せるのにたいして、
エティカや道徳は、規範的であったり、習慣的であったりと
根本的な考え方が明確でないので相対的であり、文化的なので、
習慣や規範の違う集団で共通認識を得られないのではないか、
というのが私の妄想ですw

118:神も仏も名無しさん
09/02/01 12:54:12 1chWh+Ss
>>105
>…まあ、お釈迦さんも神や霊とお話をしちゃう、電波な野郎なんだけどね。

御釈迦さんは、「神や霊」の「実在」を認め、「肯定」したのでしょうか。若し
そうなら、「空」とは完全に矛盾しますね。「無記」との関係は?

原始仏典に「神霊」が出てくるのは、「輪廻転生」と同じく、バラモン教から
の「過渡的現象」に過ぎないのではないでしょうか。

孔子は、「鬼神(神)は敬して、これを遠ざく」と言っています。釈迦は、
「敬して」さえいないのではないでしょうか。人間の最大の執着・煩悩は、
「神概念」なのですから。

119:神も仏も名無しさん
09/02/01 13:15:37 MJjMdhyV
>>117
例えば、一時流行った「なぜ人を殺してはいけないか」
「なぜ自殺してはいけないか」に対して、仏教は苦をもたらすからと明解に回答できますが、エティカや道徳、哲学などからは明解で論理的な回答はなかったように思います。
デレク・パーフィットの回答はなかなかよかったように記憶しますが。

この仏教の回答の前提が、他ならぬ業報・輪廻です。
そして、それを導き出す時に用いるのが正に縁起です。


120:神も仏も名無しさん
09/02/01 13:16:44 MJjMdhyV
>>118
>御釈迦さんは、「神や霊」の「実在」を認め、「肯定」したのでしょうか。若し
>そうなら、「空」とは完全に矛盾しますね。「無記」との関係は?

あなたは今、実在してますか?


121:神も仏も名無しさん
09/02/01 13:26:42 1chWh+Ss
>>120
>あなたは今、実在してますか?

共同体の不特定多数の成員が、私の「身体」を知覚できれば、私は、共同体において、
実在と認められます。

いくら私が、「我思う。故に我あり」と思っていても、このようにして、私の
身体が知覚されなければ、私は単なる「幽霊」「非実在」ですw。

人間にとって、「物が実在する」とは、(必要な場合には観測装置を使って、
五感で知覚できること」。例外は「皆無」です。日常生活の経験から帰納すれば、
あまりにも自明のこと。

122:神も仏も名無しさん
09/02/01 13:29:41 fGHo0ADQ
>>99
>56さんは電波説について陳べているのに、それに答えるあなたはやはり電波さんとやらですか?

それなら私の勘違いです。私を電波氏と混同している人がいるので、私への問いと思い答えただけです。

>第一結集のアーナンダの伝承もあなたの言うところの不肖の弟子が
>改竄して伝えた経典によるものかもしれませんよ?
>なぜそこだけは疑わないのでしょうか?

疑ったないなんてことはありませんよ。アーナンダについて悪く書かれている部分は、
アーナンダと敵対する勢力の主観が混ざっているでしょうし、同様にマハーカッサパを
悪く言う部分は、マハーカッサパを嫌う人の主観が混ざっている可能性があると思います。

>それに「はずがないでしょう」とか「はずです」とか「でしょう」とか根拠なく陳べられても・・。

根拠は今まで散々述べてきました。

>「仏陀は輪廻を説いたはずだ。しかし、南伝ではその伝承が伝わらなかったか途絶えたのでしょう。」

もともと最古層にはブッダが生まれ変わりを説き、samsaraという言葉もあったが、伝承からその部分だけ
失われたということでしょうか?他の部分の輪廻の話はちゃんと伝わっているのに?
そこだけ途絶えるのはおかしいでしょう。特に、あなたたちがいうように、輪廻思想がブッダの中心思想であるなら。
誰かが悪意をもって削除した可能性くらいしか考えられませんが、あなたはそうだと信じているのですか?
その場合でも、もし輪廻思想がブッダの中心思想なら、すぐに別の誰かが修正したはずです。

123:神も仏も名無しさん
09/02/01 13:51:55 MJjMdhyV
>>121
>共同体の不特定多数の成員が、私の「身体」を知覚できれば、私は、共同体において、
>実在と認められます。

それは空と矛盾しないのでしょうか?

124:宝珠愚者
09/02/01 14:40:45 7Yp/x8/s
>>118
 梵天勧請の梵天や苦行を止めるよう誘惑した悪魔、悪魔相応の悪魔といったものに関しては、自己意
識の心理描写です。梵天といった人格神が出現したり、魔界の化け物が出現したりしたわけではありま
せん。ゴータマは悪魔とは何?と聞かれて、その正体については明確に解答しました。

スレ3/23-25
URLリンク(mimizun.com)

125:宝珠愚者
09/02/01 14:41:25 7Yp/x8/s
>>102-103
 もちろん、あなたのように今生だけの唯一の人生だから、自己を大切にしたいというのは確かにありで
しょう。しかし、自暴自棄という言葉がありますが、自分の人生は好きにするという言い分の中では、自己
を大切にする必要がないという主張もまた可能なのです。しかし、本当の意味で自己を大切にするとは来
世に繋がるからですよ。今やこの人生だけでは済まない。だから、もっと永いスパーンで考える必要が出
るから、その時だけの思いつきでは失敗する。

 幼少期からの教育の重要性については全く同意します。7さんの教育方針には肝心なことが抜けていま
す。自己の行為の結果が自分に返って来るというものであり、そこに本来は他は無く一であるという教えで
す。来世というのは、これの延長上として必然的に導かれるものです。

 7さんのは断滅論。死んだら終わりであり、本人にとってはどんな人生を過ごしても死ねば同じ結果なの
です。人命を救った殉教者も殺人鬼も同じです。残された周囲の評価と反応が異なるだけで、それは死ん
だ本人には確認の術もないというもの。
 輪廻転生は違う。自分の行為の結果は確実に自分が受け取るのです。それは他人のせいではない。全
て平等に作用している。
 人の生まれつきの境涯の違い。これも他人のせいではないいし、根本的に偶然の結果などといった考え
方は仏教にはない。縁起について再確認して下さい。

 以前、枯葉剤の奇形の話が出て、それは枯葉剤による縁起だという意見がありましたが、何故、自分は
枯葉剤の地域に出生したのか?同じ地域でもA夫婦にはなく、B夫婦には奇形が出た。何故、自分はA夫
婦の下に生まれなかったのか?この原因と縁起を思考して下さいな。「それは偶然です」なんていう言葉は
仏教ではありません。

 更にもう一つ。スレ4/150を再読して頂いて、
URLリンク(mimizun.com)
 今度は7さんが回答してみて下さい。仏教と出会えない人と死期が迫った人間はどうしたら解脱成仏でき
るのか?ゴータマの教えとは万人成仏道?それとも?そもそも仏陀になるには何年の修行が必要ですか?

126:神も仏も名無しさん
09/02/01 14:46:56 MJjMdhyV
>>124
そんなこといったら、輪廻や地獄は比喩表現と説を否定することはできませんよ。
これも、なんども言ってるんですが。

127:宝珠愚者
09/02/01 15:34:33 7Yp/x8/s
>>50
>「100万回生きたねこ」を100万回熟読してほしい。

 さすが物知りですね!私は知らなかったのでこれを初めて読みましたが、かなり面白かったです。涙は
出ませんが、ジ~ンと考え深いものはあります。でも、ごめん。100万回じゃなくても1回で7さんの意図する
ところは分ります。
 これについては簡単に述べることにします。この物語が仮に仏典の輪廻転生と最後に二度と生き返らな
かったというのがニルヴァーナの境地だとします。
 何か満足を得られず繰り返し転生を続けて、最後には大好きな白いねこが死んでしまった。それでもう、
この世には戻りたいという願望は沸かなかったのでしょう。

128:宝珠愚者
09/02/01 15:35:03 7Yp/x8/s
 話としては仏教の教えと通じていますよ。転生を繰り返しているのは自らの意志による割愛(タンハー)が原
因であると説かれている。しかし、この二度と再生しないこの境地というのは、繰り返し転生経験を経て、修
行を積んで初めて達成できるのです。
 それは何故か?それは頭の中でいくら、「自分が望もうとしなければ再生しないんだ。わかった!」など思
考を巡らせたところで、そして「二度と再生はゴメンだ」「この世に未練は一つない」としても無理なのです。
何故なら、凡夫は意識的に悪行から離れようとしても、必然的に悪しき業を積む行為をしないではいられな
いからです。意識が低我に留まって要る限りはこれから逃れることはできないのであり、いくら低我で以って、
「低我が本来と自己ではない」などと思考したところで、それは低我の中での活動に過ぎないからです。
 意識が低我から離れ、高我に向かうには修行が必要なのです。それは一定の時間(期間)を要する。積
んだ悪業は非情に作用するので、その力が強制的に来世へと転生に導くのです。
 ねこの悟りが低我によるものではなく、自己意識が高我と直結することで感受できない限りは、ただの思
考の産物で終る。凡夫は低我でしか思考できないのです。いくら仏教書を読みそれを悉く理解しようと、「輪
廻なんかないんだ。わかった!」としたところでダメなのです。
 ただし「転生を繰り返しているのは自らの意志による割愛(タンハー)が原因である」と知り、それを理解する
ことはいいのことです。

 勝義が不要ということではない。勝義は必要です。しかし、勝義を知りそれを理解しても、我々の意識は
それを超えられないのです。肉体は空だからといって放置できならして下さい。
 しかし、食べ物や病気な様々なことについて肉体を世話しなければならないのであれば、ねこの死(二度
と再生せず)を知的に理解したところでダメなのです。

129:宝珠愚者
09/02/01 15:40:56 7Yp/x8/s
>>126
 味噌も糞も一緒にしないことです。似てても違いが分らないと・・。
 地獄はある。次の転生に向かうまで間と人生での生き地獄もある。しかし、蛆虫といった細部にこだわる
必要はない。蛆虫ではなくゴキブリかもしれないし、ミミズかもしれないし、そういうものではないかもしれな
い・・それは比喩です。輪廻は真我レベルからみれば、輪廻は元々から存在しない。低我レベルでは現実
です。

130:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/01 15:44:15 uRC7gv2m
>>125
>本当の意味で自己を大切にするとは来世に繋がるからですよ。

古代インドにおいてアーリア人が侵攻した時、
バラモン教を土着信仰とうまく吸収合併できたのは
下層民の不満なりを来世に繋げるという教義を、あえて受け易い状況があったわけです。

つまり輪廻論は、支配する側においても支配される側においても都合がよかった。
(支配される側は、圧政があったとしても心理的な逃げ場ができる)

ようするに、今生(現世)で満足できる生き方が出来たなら、
本来、人間というのは来世のことなど念頭には逝かないんじゃ~ないかな?

拙者は失礼ながら、貴殿が輪廻論をあくまでも固持してるのは、
貴殿の深層心理にいささかの問題(現世不満)があるんじゃないかと
野暮な推測をしてるのですが・・。

釈尊が悟ったのは、こういった人間の深層部分の解明でして、
そこに無明の原因がある。とした。

ですから先ず、世界観構築以前に「我見」と「古い信仰を捨てよ」って言ったわけです。
来世に希望を託すのは、最大の執着でしかない、
これさえ滅侭すれば即涅槃寂静。

131:宝珠愚者
09/02/01 15:53:01 7Yp/x8/s
>>130
>つまり輪廻論は、支配する側においても支配される側においても都合がよかった。
>(支配される側は、圧政があったとしても心理的な逃げ場ができる)

 では、キリスト教が輪廻論を認めないのは?

>ようするに、今生(現世)で満足できる生き方が出来たなら、
>本来、人間というのは来世のことなど念頭には逝かないんじゃ~ないかな?

 それは否定しません。しかしまた、その満足は永く続きたいと思うでしょうから、「死にたくない」という思いは強い傾向があり、もしも来世があるならば、来世でも続きを得たいと望むでしょう。

>拙者は失礼ながら、貴殿が輪廻論をあくまでも固持してるのは、
>貴殿の深層心理にいささかの問題(現世不満)があるんじゃないかと
>野暮な推測をしてるのですが・・。

 それは仏典の記述であり、私はそれに同意します。

132:宝珠愚者
09/02/01 16:02:44 7Yp/x8/s
>>126
では、あなたに確認します。

あなたの見解では、苦行を止めるよう誘惑した悪魔ナムチとは、
実際にそういう化け物が出現したことをこの経は述べているということですか?
またはそうではないが、ゴータマには化け物が実際に見え、
出現したものと思って語ったことがそのまま経になったと。

133:神も仏も名無しさん
09/02/01 16:04:11 fGHo0ADQ
>>129
>輪廻は真我レベルからみれば、輪廻は元々から存在しない。低我レベルでは現実
です。

現実に存在するかしないかの話をしているのです。妄想レベルでは存在するが目覚めた高いレベルでは
元々存在しないというなら、それは現実には存在しないってことです。



134:宝珠愚者
09/02/01 16:09:45 7Yp/x8/s
>>133
それは自分の肉体について放置(意識の焦点として)できるようになってからいって下さいよ!
あなたは食べ物や水を得ることについて思考しませんか?
職場に向かう時間については思考しない?
これら肉体に伴う自己は行為者ではないと体感直知できてからにして下さい。

135:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/01 16:11:00 h+E1sRfx
>>131
>では、キリスト教が輪廻論を認めないのは?

あのですね、キリスト教と仏教は根本的に思想が違うんですよ。
キリスト教というのはね、
貴殿の家の便所の蜘蛛の巣だって神の被造物なんです。
なにからなにまで神が創造したもの。

だから人間は神には絶対逆らえないんです。
ほら、エデンの園で神に逆らったから原罪が発生したんでしょ?
(これで人間は善悪を知ってしまった)
エバ(イブ)の一回の過ちだって許されない。
(蛇の誘惑に負けただけなのにね)
この蛇ってのは、貴殿は意味はご存知ですか?
蛇の頭は亀頭を意味してるのですよ。
まあ、どこかエロティックであります。

さりげなくバイブルは書いてありますが、そこには人間の作為的なものを感じます。
このバイブルの解釈によって・・・どうにでも話を変えられるますからね。
そういった秘密めいたところを、先ずは見抜きませんと、
幼女などは危ないですよw
(こういった事件がキリスト教では頻発してます)

136:神も仏も名無しさん
09/02/01 16:23:10 fGHo0ADQ
>>134
何言ってるか分かりません。
ブッダが生まれ変わりを説いたか説かなかったかを
経典に基づいて考証するのがこのスレの目的じゃないの?
生まれ変わり、来世、輪廻などを体感直知(妄想)することが目的じゃないはず。

137:宝珠愚者
09/02/01 16:24:57 7Yp/x8/s
>>135
おっしゃる意味は分りますが、質問に答えていません。
何故、キリスト教では下層民の不満なりを来世に繋げないのです?

138:神も仏も名無しさん
09/02/01 16:25:09 MJjMdhyV
>>129
何人かが指摘しているように、あなたの説は、神智学説であって仏説ではないのです。
『梵網経』に明らかなように凡夫の断見、常識説より高いものですが、
釈尊は、それらを敬いますが、ネハン、解脱には至らず、
相応の境地に転生すると明解に説かれています。

これは『梵網経』だけではありません。例えば『ウパーリ経』では、
ジャイナ教の高弟ウパーリが、釈尊に論争を挑みにきます。
ウパーリは命をかけた真剣勝負です。釈尊は「真実を語るなら話してもいい」と言って問答が始まり、ウパーリは釈尊の問答に打たれて改宗し悟ります。
結果、ウパーリはジャイナ教主の前でジャイナ教が間違っているという比喩を述べ釈尊を讃えます。
その賛美に耐えられずジャイナ教主は、その場で血を吐いて倒れ死にます。

以上は、問答が、どれほど切実だったかを伝えてあまりあると思います。
その真剣な問答のなかでウパーリは、ジャイナの掟を守って水を呑まず、
湯を飲もうとして得られずに飢渇して死んだものは神々に生まれると言っています。
釈尊は、これを否定しません。この状況で、比喩はありえないでしょう。
『梵網経』と同じで、明らかに禅定の境地に対応する神々に転生するのが、
解脱していなものというのが、共通認識です。


139:宝珠愚者
09/02/01 16:28:17 7Yp/x8/s
>>135
おっしゃる意味は分りますが、質問に答えていません。
何故、キリスト教では下層民の不満なりを来世に繋げないのです?


>>136
>生まれ変わり、来世、輪廻などを体感直知(妄想)することが目的じゃないはず。

私は仏教の教えについて述べてるのです。

140:神も仏も名無しさん
09/02/01 16:31:50 MJjMdhyV
>>129
>必要はない。蛆虫ではなくゴキブリかもしれないし、ミミズかもしれないし、そういうものではないかもしれな
>い・・それは比喩です。輪廻は真我レベルからみれば、輪廻は元々から存在しない。低我レベルでは現実
>です。

そんなこと言ったら机さんの現状肯定論と変わらないでしょう。
輪廻というのは世俗諦の話ですよ。

>>132
そうですよ。

141:神も仏も名無しさん
09/02/01 16:31:51 fGHo0ADQ
>>139
最古層に説かれていないという事実、むしろ来世など認識の及ばないことにについての見解に執着するなという教えを無視し、
神話を文字通り信じているだけではないですか。それでいて、地獄の詳細は比喩です、などというのはダブルスタンダード
です。あなたは何を基準に詳細は比喩だが、地獄自体は比喩ではないと断定するのですか?

142:宝珠愚者
09/02/01 16:33:00 7Yp/x8/s
>>138
それで~なんだというのです?
だから、味噌も糞も区別がつかないというのですよ。

143:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/01 16:34:26 uRC7gv2m
>>131
>「死にたくない」という思いは強い傾向があり、もしも来世があるならば、
>来世でも続きを得たいと望むでしょう。

四苦においての「生きる苦しみ」ってのは、
貴殿が書いた、まさに「死にたくない」って苦しみと、「死にたい」という苦しみですよ。
まあ、これは「老」「病」「死」にも繋がりますが。

悟りますと「死にたくない」という恐怖観念は寂滅します。
(これを不死の境地という)

一休宗純の「死にとうない」ってのは、この不死の逆説的なものですね。
(まあつまり頓智ですが、現世で精一杯生きたい。の意)

拙者は来世まで命が存続するのは望みません。
ハッキリいって苦痛です。
手塚治の漫画で「不死鳥」の話がありますが、死ねない苦痛も書いてあります。
「生きる」ってのは、死ぬことも苦痛かも知れませんけど、
永久に生きる。となれば・・・こんな苦痛はないんじゃ~ないですか?

仏教は中道。偏に依らずですから、断滅と永遠の極を断じてます。
(これほどの最高哲理は他にないですね)

144:神も仏も名無しさん
09/02/01 16:36:58 MJjMdhyV
>>142
そうですか、それは失礼しました。

145:宝珠愚者
09/02/01 16:38:22 7Yp/x8/s
>>140
>輪廻というのは世俗諦の話ですよ。

我々、凡夫は空で縁起してる肉体に自己意識があるのです。この意識境が世俗諦です。
その限りにおいては転生は免れない。転生とは再び肉体を持つことです。

>>132
>そうですよ。

そうではなく、出現したのか?それともゴータマの幻覚か?
と聞いてるのです。

146:神も仏も名無しさん
09/02/01 16:42:03 MJjMdhyV
>>145
もう、結構です。失礼しました。

147:神も仏も名無しさん
09/02/01 16:46:16 DQYqdr1X
>>123
>>共同体の不特定多数の成員が、私の「身体」を知覚できれば、私は、共同体において、
>実在と認められます。
>それは空と矛盾しないのでしょうか?

まさに「空」ですよ。「自分(個)は、他者との関連においてのみ、存在し
得る」のですから。自分(個)独立では、存在し得ない(無自性)。

従って、デカルトのコギトの命題は誤り。

西洋思想の誤謬の根源としての、デカルトのコギトについて、仏教の立場からの
批判をお願いします。


148:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/01 16:49:52 h+E1sRfx
>>137
>何故、キリスト教では下層民の不満なりを来世に繋げないのです?

それは旧約聖書を読めが明らかですよね。
最初神は、天地創造からアダムとエバ(イブ)を想像して、
それで理想世界を造ろうとした。
しかしエバの失敗によってこれを断念せざるを得ない。

この脈絡がある限りは、これが永久に続くということですから、
それで終了ですよね。
キリストの他に救世主(メシア)が出現すれば、新展開になる可能性はあるのしても
現段階においては、ないですね。

また、人間の創造は神の一存で決められたわけですから、
そこに人心が入ることはない。
(これは一神教の特徴ですね)

149:神も仏も名無しさん
09/02/01 16:53:52 7lnUaupq
>>53
>知識、理論だけで「知ってる」「認めます」とはいっても、狂気が都合のいい身勝手な言い訳を見つけ出す
のですよ。・・・人は様々に差別しますが、しかし、法(天)の上に人間は平等なのです。

輪廻転生も知識、理論だけで「知ってる」「認めます」と言ってるのではないですか?

>>54
>輪廻転生を説いたらカルトなどという論理が成り立たない。

↑ と断定できる理由は何ですか?

>>68
>教会の教え=イエスといった愚弄は馬鹿げています。

↑イエスの教えと教会の教えの違いを明確に提示して下さい。何回もイエスの教えではないと言われるので・・

あなたの論は、どこかおかしいのですょw つまり、表面上、非常に口が上手いのです
宗教セールスマンの特徴は ↑ ですねw (笑


150:神も仏も名無しさん
09/02/01 17:02:30 7lnUaupq


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


■ 宗教とは、本当に困ったものだな。 ■  (#/_ _)/

現実上根拠皆無な、百人百様の妄想を、あたかも事実であるが如く、狂ったように主張する。
その妄想は、他者によって「植え付けられた」もの。★

人間は、現実界に100%依存しない限り、その生命の維持は不可能で、信仰そのものが
存在し得ない、という自明の事実をすっかり忘れている。☆

1個人に過ぎない開祖や教祖を、あたかも「完全な人間」であるように勘違いしてひたすら盲信する。
「すべての人間には、長所もあれば短所もある」のが、唯一の「真理」であるのに。☆★

この「根拠皆無な妄想」を一旦植えつけられると、それから離脱することは、殆ど一生不可能。
結局は、妄想の中で、酔生夢死の一生を送ることになる。 勿論、社会には、何の貢献もできない。
幸運にして離脱に成功しても、「のた打ち回る苦しみ」を味合わなければならない。
宗教は、古代人が生存するための「手段」の一つとして発生した。すべての人間に共通する唯一
の普遍の事実は生存本能(生命)である。古代人は、生存の「手段」である宗教を、生存の「目的」
とするような倒錯には陥っていなかった。彼らにとっては、生存のための精一杯の「合理性・現実性・
科学性」の表れであり、現代の科学に相当するものだった。

宗教のいかなる奇跡も及ばない科学の発達により、宗教はすでにその役目を終え、現代では、
その多くの弊害故に、法律をもって廃止すべきものである。  

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪



151:神も仏も名無しさん
09/02/01 17:20:22 DQYqdr1X
>>137
>何故、キリスト教では下層民の不満なりを来世に繋げないのです?

「(心の)貧しい人々は、幸いである、天国はその人たちのものである。」
(山上の説教)

ちゃんと来世に繋げているではないか。

イエスは、自分を信じさせる「目的」のために、「弱者」「貧者」に擦り寄り、
「幸い」「天国」などの「甘言」で釣ったのである。

彼の教えは、基本的に、このような「人間差別」に基づいていたために、すべt
誤りなのである。ニーチェが、「弱者のルサンチマン」として厳しく批判する
所以である。

152:神も仏も名無しさん
09/02/01 17:20:37 MJjMdhyV
>>147
>>>共同体の不特定多数の成員が、私の「身体」を知覚できれば、私は、共同体において、
>>実在と認められます。
>>それは空と矛盾しないのでしょうか?
>
>まさに「空」ですよ。「自分(個)は、他者との関連においてのみ、存在し
>得る」のですから。自分(個)独立では、存在し得ない(無自性)。

仏教の縁起とはちょっと違うと思います。
原因と諸条件によって x が発生する、縁起する、認識される。
実在というと真実に有るという語感があるので、ある、とか存在するという
なら
仮設としてありだと思います。

>西洋思想の誤謬の根源としての、デカルトのコギトについて、仏教の立場からの
>批判をお願いします。

昔読んだだけでよく覚えていませんが、
我思う、故に我あり。というのは、縁起と違って、
何か知覚や現象があるからには、基盤として実体、実在がなければならないという前提、仏教的には無明があると思います。

しかも、凡夫認識(ボンサンス)が基準となってますから、
まさに常識世界観、ローカーヤタに近いのではないでしょうか?
ここから、世界を量化、数値化、対象化して捉える世界観が始まったとよく言われますね。

この世界観ですと物質がどうなってるかは緻密に客観的に記述できても、
どうすべきかという行動原理が全く提示できないところに
ハイデガーなどが批判する技術社会の疎外と苦悩があると思います。
以上のような感想みたいなものでよろしいでしょうか?



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