09/01/31 11:11:04 i+JYo/zI
スレ5
URLリンク(mimizun.com)
スレ4
URLリンク(mimizun.com)
スレ3
URLリンク(mimizun.com)
スレ2
URLリンク(mimizun.com)
スレ1
URLリンク(mimizun.com)
3:宝珠愚者
09/01/31 11:30:08 oAjYgRSF
(まだDAT落ち前ですが)
スレ7 URLリンク(mimizun.com)
スレ6 URLリンク(mimizun.com)
スレ建てご苦労さまでした^^
4:宝珠愚者
09/01/31 11:33:06 oAjYgRSF
スレ7/797-801
>それは、司法制度の問題。君に「善」だの「悪」だの、人を裁く資格
>があるのかね。君個人の思い上がりに過ぎない。
私が裁くのではなく、法(自然の摂理)に拠るのですよ。
>人を殺した者が、本当に楽しめるなどと思っている君には、宗教など語る資格はない。
では、あなたは犯罪をして捕まらなくても、
犯人の良心から本人は苦しむ筈だから、それでいいとでもいうのですか?
業報は違う!たとえ捜査によって囚われることなく無事に生涯を終えようとも、決してそのままでは済まな
いことをいっているのです。
逆の場合もまた然り。この世では報われないかに見える人知れない努力や善であっても、必ず等しい等
価を得ることを保証するものです。そのことにより、人が見ている見ていないに関わらず、悪をなさず善を
成そうと説くことが可能となるのです。
業は行為者に同等の力で返ってくるのです。いうなれば、これは作用と反作用の法則。これが平等であり、
自然法則(摂理)ですよ。
5:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/31 13:55:23 A+aJ8azv
スレ立て乙です。
前スレ:法珠愚者どの
>>801
>悪道の限りを尽くし数十人も殺害して平気な者も、
>死んだら等しく終わりですか?
>そんな論理でどうやって人々に善意識を植えるというのです?
釈尊が悟ったのは、森羅万象平等である。ってことですね。→中道ですから。
では何故に悪行を好まないか?というと、それは理性があるからです。
理性と感情のバランスにおいて人は共同体を形成してます。
理性というのは感情をセーブしますから、共同体においては重要です。
(人間の和の心ですね)
しかしながら感情というのも大切ですよね。→喜怒哀楽
(これがないと女性はマグロですからw)
この理性と感情のバランスは、人が生きて逝くうえで非常に重要です。
バランスが欠けてしまいますと、ある時に反社会的行動に出たりします。
(人間は基本的に完全ではありませんから、こういうこともある訳です)
つまり人間に完全性を求めても、それは所詮無理です。
しかし理想としての人間、または理想社会を希求するのもまた人間です。
法(ダルマ)は、このヒントにしかなりません。
これ以上のことは、釈尊は悟ってないのです。
それはアタリマエですね。
法(ダルマ)を生かすも殺すも人間ですから。
6:宝珠愚者
09/01/31 14:01:09 oAjYgRSF
スレ7/785
>それに、「良いこと」「悪いこと」は、誰が、どのような基準で判断す
>るのかね。「良い」「悪い」は、あくまで具体的な状況によって変化する。
>意見が割れて一致しないときは、どうなるのかねw。
たしかに、我々には簡単にどうすることが最良なのか?判断がつかないことも多い・・。
しかし、行為に応じて「法ダルマ」が的確に作用するのです。
その行為の意図も重要でしょう。
スレ7/683
「輪廻転生」は「仏教の中心思想」というよりは、その目的にあたるものです。
浄土教は輪廻転生を排除してるようですが、ま~元々ここは仏教ではない。
で、輪廻転生というと、カルトカルトと非難する輩が多いようですが、
それでは浄土教の他には輪廻転生を説かない法門(信仰)というのはあるのですか?
カルト呼ばわりしている人はこれに回答して下さい!
説かないところとは、一体どこ?
>>5
>つまり人間に完全性を求めても、それは所詮無理です。
>しかし理想としての人間、または理想社会を希求するのもまた人間です。
>法(ダルマ)は、このヒントにしかなりません。
>これ以上のことは、釈尊は悟ってないのです。
いいたことは分らなくもないですが、そういうのは仏教ではないのでは?
仏教の目指す境地は思考を超越したものです。
7:初代スレ7
09/01/31 14:17:36 i+JYo/zI
>>6
>「輪廻転生」は「仏教の中心思想」というよりは、その目的にあたるものです。
( ゚д゚)y―~
( ゚д゚)y-~~
( ゚д゚)y ポロッ
( ゚д゚ )y
8:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/31 14:19:21 A+aJ8azv
>>6
>仏教の目指す境地は思考を超越したものです。
貴殿は今、人間の善悪において不条理だと。そのように考えましたね。
「思考を超越する」という本意は、その意味連関を断ち切るのです。
迷妄があるうちは、もはや涅槃には到らないかと思います。
つまり貴殿は法を求めているのではなく、
人間の不条理は納得いかない。ってことで
そこへ法を無理やり連関させてる。
どうか己の位相にお気づきくださいまし。
(かしこ)
9:神も仏も名無しさん
09/01/31 15:11:46 SEW9wAdk
前スレ>>795
>>6
>仏教から実際、輪廻転生の思想を排除しては、仏法は成り立たないでしょう!
ちゃんと成り立ちますが、なにか?(→前スレ>>772)
もういいかげんにチンケな一元論的世界観は捨てたら?
真正仏教は中道にて候。
中道と輪廻転生論は水と油、抗原抗体反応、異質思考にて候。
>行為に応じて「法ダルマ」が的確に作用するのです。
誰が作用させるのかね?あんたの神かね?
どこでその作用のメカニズムを確認しましたか?
勝手な妄想的推測にしかすぎない。
もういいかげんにヒンドゥ汚染のエセ「仏教」から開放されたらいかがですか。
そのためには
1) あなたのモラリズム体質から来る神秘的かつ絶対的善悪因果応報思想 及び
2) 絶対的自己意識(自分が存在しないなんて信じられな~い!消えるのが怖い)を
放棄すること,です。
10:モラリストへ
09/01/31 15:21:44 SEW9wAdk
「自分の感受性くらい」茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
11:モラリストへ
09/01/31 15:33:06 SEW9wAdk
苦しむのを
輪廻転生のせいにするな
いまを生きていない自分
12:宝珠愚者
09/01/31 15:47:43 oAjYgRSF
>>9
>ちゃんと成り立ちますが、なにか?(→前スレ>>772)
>もういいかげんにチンケな一元論的世界観は捨てたら?
>真正仏教は中道にて候。
>中道と輪廻転生論は水と油、抗原抗体反応、異質思考にて候。
成り立ちません。
死んだら断滅とはこれ「外道」です!
>誰が作用させるのかね?あんたの神かね?
>どこでその作用のメカニズムを確認しましたか?
>勝手な妄想的推測にしかすぎない。
ゴータマが説いたものです。
>もういいかげんにヒンドゥ汚染のエセ「仏教」から開放されたらいかがですか。
ですから、そのエセではないという仏教教団とはどれですか?
私はそう聞いてるのです。回答して下さい。名称上げて下さい!
13:宝珠愚者
09/01/31 15:48:07 oAjYgRSF
>>9
あなたの主張はアジタ・ケーサカンバリンとなんら変わりがありません。これで事足りるのならば、あなたこ
そ、では何のための仏教なのか?このアジタ・ケーサカンバリンと仏教の違いを説明して下さい。
「ブッダと同時代の自由思想家の中には、プーラナ・カッサパやアジタ・ケーサカンバリンのように、業の
因果応報を積極的に否定したものもあった。彼らは善悪の行為が後に安楽と苦しみの果報をもたらすこと
はないと考えた。またマッカリ・ゴーサーラのように運命論を説く人もいた。さらに、業の因果応報思想の中
には、前世での行為(業)を宿命のようにみなす決定論的な考えもあった。現世での行いは、善であれ、悪
であれ、すべて前世の業によって規定されているというのである。この説によれば、意志の自発による行
為は認められない。
これらに対し、仏教やジャイナ教は、このような人間の行為の効力を認めない説を行為否定論(akiriyavA
da, akriyAvAda)と呼び、道徳を破壊する説として非難した。
彼は唯物論を説き、業・輪廻の思想を否定した。善悪の行為の報いはなく、死後の生れ変りもない。人間
は地水火風の四要素からなるもので、死ねば、四要素に帰り消滅する。死後存続することはない。布施に
功徳があるとは愚者の考えたことであるとする。
だから、宗教的な行為は無意味で、この世での生を最大限利用して楽しみ、そこから幸福を得るべきだと
いう。
この思想は宗教や道徳の根本を破壊するものと恐れられ、他のインド思想諸派から激しく攻撃された。」
(インド思想史略説)
URLリンク(user.numazu-ct.ac.jp)
14:モラリストへ
09/01/31 16:19:59 SEW9wAdk
>>13
俺は前スレ>>772で以下のように書いた。
『あんたが勝手に無批判な「概念仏教」的姿勢でそう読んでいるだけ。
俺にとっては、そんなアーリア=ヒンドゥ汚染のエセ「仏教」には用はないだけだよw
そもそも古代インドにおけるアーリア支配合理化のための政治的デマゴギー・イデオロギーを 現代日本人の人生の精神的骨格として受け入れる理由はない。
現代におけるブッダの教えは四諦八正道、三法印→無常=無我=縁起=空=中道で精髄を月指し得るし、現代的意義を成立させうる。
現代において輪廻転生妄想を必要とするにはカルト「仏教」だけだ。』
上記に一語の変更の必要も認めない。
ましてやどこの教団だの学者だのなんて権威主義には興味はない。
不生不滅の中道が断滅論、唯物論などではないことは当然だ。
勝手にペンキ屋をやるなよ。
そもそもブッダの中道は断滅vs恒常の二項相対対立と別次元のメタ・コードなんだよ。
言語や論理思考という分別ではなく無分別智で直覚し掴むものさ。
あんたのこころは乾いているね。
15:宝珠愚者
09/01/31 16:28:29 oAjYgRSF
SEW9wAdkさんへ
あなたがそのように私を非難するのであれば、
是非、ご回答のほどを宜しく!
例えば、
他人様を弄び、虫けらの如く残虐に殺害してから遺体もバラバラにしたという殺人鬼がいます。
彼は旨いこと生涯、捕らえられることなく生涯を終えました。
あなたの論によれば、彼は犯罪を犯した意識で苦しみ続けるので、
それによって対等な果報を受けたと見なす。
これがあなたの見解ということで宜しいのですか?
また、その殺人が犯行直後に自殺したパターンについて(これも起こるケースです)。
その残虐非道の限りを尽くした犯行の本人への果報はどうなります?
そして人命救助で同じく命を落とした殉職者とも比較してはどうです?
これも死ねば殺人鬼と同じですか?
それは、単純に周囲の評価の違いだけだとあなたは説くのですか?
そんなことを子供たちに話して聞かせて教えようとするのですか?
16:神も仏も名無しさん
09/01/31 16:33:04 /AjZ5NBg
前7#690-691
>原始仏教だけが仏教だ、などと言うのは、「ライト兄弟の飛行機だけが飛行機だ」
と言ってるのと同じ。現代のジェット機とは、格段の相違があるではないか。
★ 大乗仏教は、原始仏教の「空」を、無数の人々の思索によって改良・発展させたもの。現代のジェット機である。☆
さ~すが現代の賢者!!胸がスカーっとした!!ヽ(^。^)ノ
飛行機とジェット機の違いは、大変分かり易い!!☆★
<オウムの愚> を決して繰り返してはいけません~
■ 当時の文献が、現代でも通用するという前提での解釈は、方法論として誤り。■
↑ 大変鋭い考察です!!スバラシイ!! (^O^)/
誰も気がつきませんねーーー、やはり・・・・(笑
17:宝珠愚者
09/01/31 16:41:26 oAjYgRSF
>>16
><オウムの愚> を決して繰り返してはいけません~
くだらん--オウムの愚などとは関係がない。
>大乗仏教は、原始仏教の「空」を、無数の人々の思索によって改良・発展させたもの。
>現代のジェット機である。
話しになりません!大乗はゴータマの教えから離れたのです。小乗に対するアンチテーゼの姿勢から
結局、結果的にはゴータマから離れたのですよ。つまり仏教ではなくなっていった・・。その大乗発展の
流れはバラモン/ヒンドゥー化なのでした。私はこれが全部、悪いといってるのではありません。しかし結
局、古代インドの根本へと起ち帰ろうとしたのです。古代インドの原初的なパーワーと思想を求めたので
す。大乗発展のインド仏教の歴史はそういうこと。
18:神も仏も名無しさん
09/01/31 16:43:35 /AjZ5NBg
☆*****************************☆***************★*****************************☆
● 昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。
● 私(ブッダ)の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。
先ずそれを自分で試してみなさい。金は火によって試されるのだから。
./)/) ■ ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、
(・ー・)ノ 自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、
゚L-J その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。 (カラマ・スッタより) ■
☆*****************************☆***************★*****************************☆
19:宝珠愚者
09/01/31 16:45:37 oAjYgRSF
>>15
つつぎ。
万が一、そんなものがゴータマの教えだったとしたら、
私はまっぴらゴメンだねぇ!
ありえない。
20:宝珠愚者
09/01/31 16:49:19 oAjYgRSF
>>18
都合良く使うでない!
では、あなたもSEW9wAdkさんと同じか?
>>15のような事態に対する見解でいいとするなら、
それをあなたは「理性と経験によって承認」した上で支持してるのか?
ご回答を宜しく。
21:神も仏も名無しさん
09/01/31 16:56:25 PUKOC8vM
>>15
そうやって、常に、極端から極端にしか走れないのが、カルトの特徴。
圧倒的大多数の人間は、凶悪殺人犯でもなければ、殉職者でもない。特に良い
ことも悪いこともしない、又は、そこそこに良いことも悪いこともする人間で
ある。そのような圧倒的多数の人間は、一体どう扱うのかねw。
凶悪殺人はは、「現世」で裁かれ、または精神的負担を負う。人命救助者は、
「現世」で賞賛され、また、自らも、「人の命を助けた」という事実に、最大
の精神的満足を感じる。いずれも、思考器官も感情器官も灰になった「来世」な
ど関係ない。
輪廻転生など大真面目に説いている法門は、カルトだけ。教養ある現代人から
は相手にされない。カルトは「輪廻転生」で信者を「脅迫」「洗脳」しなけれ
ば、「営業」が不可能だからである。あるお坊さんに、信者が「来世は本当に
あるのでしょか」と聞いたら、「死んでみなくちゃ分らん」と答えたそうだw。
輪廻転生が、釈迦の直接の言説に最も近いと思われる再古層には存在せず、その
後に多く現われているのは、君のような、ヒンドゥー教の呪縛から逃れられな
い「仏教者」の洗脳が、再びフラッシュバックしただけの話。
君はいい加減で、ヒンドゥー教、キリスト教のような、君の古巣のカルトに
戻れ。仏教よりもはるかに居心地が良いはずだ。
22:神も仏も名無しさん
09/01/31 17:07:31 eKpdMUZU
前スレ>>795
>たしかに一見、仮説としては成り立っていることは分ります。
>しかし、仏教から実際、輪廻転生の思想を排除しては、仏法は成り立たないでしょう!
>輪廻転生の基本原因は業報です。業報を無視するということは何でもありということです。
ブッダが生まれ変わり(来世)を説いたことを否定しているからといって、業報を否定しているのではありません。
業報はこの世での現実の話なのです。
業報の背景には縁起思想があります。
すべて原因があって、結果が生まれるというのが、縁起です。
業報とは、行為「業」があり結果「報」が生まれるということなのです。
スッタニパータより
651 行為によって農夫となるのである。行為によって職人となるのである。行為によって商人となるのである。行為によって傭人となるのである。
652 行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。行為によって司祭者ともなり、行為によって王ともなる。
653 賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報いとを熟知している。
654 世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。--進み行く車が轄に結ばれているように。
655 熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と、これによって<バラモン>となる。
これが最上のバラモンの境地である。
これを見ても分かるように、業報はこの世での現実の話です。
23:宝珠愚者
09/01/31 17:07:48 oAjYgRSF
>>14
>現代におけるブッダの教えは四諦八正道、三法印→無常=無我=縁起=空=中道で精髄を月指し得るし、
>現代的意義を成立させうる。
ですから、「無我」は「アートマンはない」などというものではなく、「それら(五蘊)はアートマンではないから、
アートマンではないものと自己を同一視するな」というものです。「縁起/空」は無常な現象世界の流転変滅
する様をいうのです。人間の生における流転とは転生の繰り返しをいう。それは水(液体)が氷(個体)になっ
たり、蒸気(気体)になったりしてるようなもので、外見の形態が変わろうとも水の全体総量は変化せず、存
続し続けるのです。
>ましてやどこの教団だの学者だのなんて権威主義には興味はない。
はい、もういいですよ。つまり、輪廻転生を説かない宗派教団は一部、浄土系を除く他にはどこにも存在し
ていないのですね。
では、つまりこういうことになります。現存する仏教の法門は阿弥陀信仰のグループと、あと他は全てカルト
仏教であると!あなたの見解は分りました。そういう見方もあるということで受けておきます。
24:神も仏も名無しさん
09/01/31 17:12:07 eKpdMUZU
>>17
>話しになりません!大乗はゴータマの教えから離れたのです。小乗に対するアンチテーゼの姿勢から
結局、結果的にはゴータマから離れたのですよ。つまり仏教ではなくなっていった・・。その大乗発展の
流れはバラモン/ヒンドゥー化なのでした。
生まれ変わりについても同じです。ゴータマの教えから離れたのです。
25:宝珠愚者
09/01/31 17:16:13 oAjYgRSF
>>21
>そうやって、常に、極端から極端にしか走れないのが、カルトの特徴。
>圧倒的大多数の人間は、凶悪殺人犯でもなければ、殉職者でもない。
ニュース報道で度々、眼にするこれも現実です。
そのような場合についても説明し得るものでなければ意味がない。
>いずれも、思考器官も感情器官も灰になった「来世」など関係ない。
ただの唯物論、外道です。
外道とは仏教の枠外を意味します。---「外(そと)」です外!
>あるお坊さんに、信者が「来世は本当に
>あるのでしょか」と聞いたら、「死んでみなくちゃ分らん」と答えたそうだw。
そういうのを糞坊主、なまぐさ坊主という。
26:モラリストへ
09/01/31 17:24:29 SEW9wAdk
>>15
仏教が問題にするのは、いま、ここ、じこ のみ。
無明自己から解脱すること。
その手段としてさまざまな真っ当な人間としての教えをブッダは説いた。
これにより無明世間を超越するまなざしで、しかも世間の真っ只中で慶安に生きなおすことだよ
・・・ブッダの本懐はこれにて遂げられる。
あんたのモラリズム体質からすればあんたの事例はとうてい許しがたい不条理にみえるだろう。
だから確認不能の前世、来世を想定してまで永遠の信賞必罰論理で溜飲を下げようとする。
ヒステリックなモラリストによくある傾向だ。
しかしそれは複雑きわまる縁起によるものであって、
“悪い奴ほどよく眠る”“正直者ほど馬鹿をみる”ように見える無数の事態は世俗諦ルールでコントロールするしかないんだよ。
あんたの言うとおりになれば芸術(とくに文学)なんてほとんど成立しないだろうね。
ドストエフスキーやカミュなんか開店休業だよw
それにしても、ホントに子供っぽいヒステリック・モラリストのうえに、捻じ曲げペンキ屋体質だねえw
子供たちには段階的に本当の現実を教えることだ。前記の茨木のり子の詩もいつか一緒に
読むといいね。
27:宝珠愚者
09/01/31 17:26:58 oAjYgRSF
SEW9wAdkさんへ
あなたとアジタ・ケーサカンバリンとの違いについて説明し下さい。
はい、これが断見/断滅の説明です。
「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さら
にかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の
境地がある)と、巧みに語っている。」(スッタニパータ876)
「断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生ま
れることがないとする見解のこと。反対語は常見(じょうけん)。原始仏教、つまり釈迦が在世の
頃にあった六十二見のうちの1つで、この世界・世間や我の断滅を主張したものである。「見」と
は見解・意見・見方のこと、あるいは邪見や執見との否定的な意味も含む。人の一生・人生はこ
の世の一回限りであるとして、死後やその運命を否定して、この世における善と悪の行為やその
果報を無視し否定する見解をいう。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
28:神も仏も名無しさん
09/01/31 17:28:33 /AjZ5NBg
>>762
>そんなことを子供たちに話して聞かせて教えようとするのですか?
今、来世のことなど、子供たちに話して教えようとする必要は無いでしょう
誰にも分からないことをあえて偉そうに決定づけて教える程の意味があなたには何かありますか?
本当に万人に証明出来、認められた時に教えれば良いこと・・・誰も皆、不完全な人間ですからね
誰にも分からないことは、分からないで良いのでは?→ 無記
誰でも自分が一番可愛いのだから他人も同じこと、だから他人を害してはいけないとか、
自分が苦しむことは嫌だから他人も苦しめてはいけないとか・・・で充分でしょう
宝珠愚者氏は、誰も証明出来ない輪廻転生を現実の司法・・等より完璧なものだと言われますが、
何にも長所・短所はある筈です。是非、短所も考えてみて下さいな
まず、短所は完全に誰も証明できず、万人が認めていないこと・・
これはキリスト教の神の存在を誰も証明出来ず、万人が認めていないことと同じです。
キリスト教の罪の観念で脅し人の精神を宗教者が束縛する副作用の弊害をあなたは考えませんか?
キリスト教の悲惨な殺戮の歴史が如実に物語っているでしょう
仕事オチ
29:宝珠愚者
09/01/31 17:36:10 oAjYgRSF
SEW9wAdkさんへ
>苦しむのを
>輪廻転生のせいにするな
>いまを生きていない自分
では、仮に前世来世などというものはないとしてみましょう!
で、今生だけのための業報?という論(そんな仏教理論は存在しないのだが・・)によって
「私はこの1度だけの人生を自分の快楽のためだけに生きたい」として、
遣りたい放題の人間に対しては、あたなはどうようにしてそれを制するのですか?
ご回答のほどを宜しく!
30:神も仏も名無しさん
09/01/31 17:44:27 PUKOC8vM
要するに、宝珠愚者氏は、自らにどこか外部から植え付けれれた「唯一
人格神」の観念が、仏教によって吹っ飛ばされるのが怖いだけ。
結局は、キリスト教が原因です。
他の宗教でも、キリスト教の影響があると「例外なく」カルト化します。
これは、多くのカルト事例の研究からの、最終的結論。
彼が固執して止まないヒンドゥー教も、実質的には一神教です。
ガンジーも、結局は、世界平和には何の役に立たず、宗教対立をさらに
激化させ、自らと娘が暗殺される原因を作っただけ。これは、ガンジー
が英国滞在においてキリスト教の影響をたっぷりと受けたからです。
彼が、インドの最下層賎民を「神の子」と呼ぼうとしたが、彼らは何故
ちゃんと「最下層賎民と呼ばない」と激怒したという、ガンジーのキリ
スト教的偽善性からも明らかです。
31:宝珠愚者
09/01/31 17:49:17 oAjYgRSF
>>28
はい、詳しく丁寧な回答をありがとうございました。
あなたの主張は私も納得しますよ。それは理解できます。
従って、
仏教を信用できない者は受け入れなければよいだけのことです。
仏教による世界支配というものはないのですよ。
これを受け入れる者(個人)だけがそうすればよいのです。
あなたは理解できたときに入信すればいい。
それだけのことです。
>誰でも自分が一番可愛いのだから他人も同じこと、だから他人を害してはいけないとか、
>自分が苦しむことは嫌だから他人も苦しめてはいけないとか・・・で充分でしょう
それだけで済むなら、歴史上の大虐殺とかは起こり得ないのですが?
ネロ、カリギュラ皇帝、串刺し公ヴラド・ツェペシ、魔女狩り、十字軍、ユダヤ・ナチ収容所・・。
以上で、あなたとの議論は終了です。
32:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/31 18:01:46 qEcvJkAN
ここまでROMる。
法珠愚者どのと拙者は、考え方に相違がありますが、
法珠どのの書込みは面白いですね。→いい意味で。
貴殿の書込みに感動して、アンチ派もおもわずレスポンするのかとおもいます。
ある意味、人間の根本に関わる問題ですから、
世俗諦という範疇でしたら大変興味深い。
輪廻転生論というのは、それは壮大なロマンですよ。
テーマとしたら人類の最大の謎ですからね。
こんなことを真剣に考えられるのは若いうちです。
老いてきますと、どうでもよくなりますからね。
で、一番謎なのが、釈尊は悟って輪廻転生に確信を持ったのですか?
もしそうだとしたら、釈尊は仏陀ではないですね。
ただの俗人ですよ。
拙者はそう思います。
33:宝珠愚者
09/01/31 18:02:26 oAjYgRSF
>>30
>要するに、宝珠愚者氏は、自らにどこか外部から植え付けれれた「唯一人格神」の観念が、仏教によって
>吹っ飛ばされるのが怖いだけ。結局は、キリスト教が原因です。
私はキリスト教の概念に反対しているといった筈です。彼らの説く人格神なるものは存在しないと。
>彼が、インドの最下層賎民を「神の子」と呼ぼうとしたが、彼らは何故ちゃんと「最下層賎民と呼ばない」と
>激怒したという、ガンジーのキリスト教的偽善性からも明らかです。
それは意味を読み解ければ氷解します。彼らが怒ったのは、貧しく苦しい生活苦から思わずほとばしり出
たものであって、「こんな酷い状態にある」(カーストによる差別待遇に対する不満を込めて)のに、その一体
どこに神の子としての尊厳があるのか?と、つい不満をぶつけたものなのです。
対するガンジーの神の子と呼ぼうとした意図とは、どんな苦境にあっても負けず、耐え忍ぶことができるよ
うに、カーストなどといった人間が勝手に設けた制度には関係がなく、自分らの本質は等しく神の子としての
栄光が与えられていることを信じる喜びを持って欲しいからです。それによって耐えることができるからです。
ガンジーは何もカーストを肯定してるわけではなく、カースト批判の意識からもその姿勢を示したかったのです。
34:初代スレ7
09/01/31 18:10:26 i+JYo/zI
横槍一言w
>>29
(仏教的に、経典の後ろ盾付にするなら)、マッリカーの逸話で十分だろ?w
35:神も仏も名無しさん
09/01/31 18:12:10 9cVLj2rR
カースト ガンジーでぐぐったら出てきたんだが
URLリンク(www.wound-treatment.jp)
URLリンク(yosukenaito.blog40.fc2.com)
URLリンク(www5.atwiki.jp)
批判はしてないそうだよ。
36:神も仏も名無しさん
09/01/31 18:13:14 PUKOC8vM
>>33
君は、人間としてのキリスト教徒や教会制度は批判できても、イエスは絶対に
批判できない。それがまさに「クリスチャン」なのだよ。
君の思考は、全体的に、クリスチャンそのもの。
37:宝珠愚者
09/01/31 18:16:13 oAjYgRSF
>>32
>輪廻転生論というのは、それは壮大なロマンですよ。
>テーマとしたら人類の最大の謎ですからね。
はい、これは根底に業報の理論があるからです。輪廻転生は大変、重要な事柄(テーマ)です。
>こんなことを真剣に考えられるのは若いうちです。
>老いてきますと、どうでもよくなりますからね。
私は決して若造ではありませんよ。ま~ジジィでもありませんが(笑)
>で、一番謎なのが、釈尊は悟って輪廻転生に確信を持ったのですか?
仏典に信を置くならば、その通りです。輪廻転生を否定した経があるならば、それを出して下さいよ。空だ
から・・・とかいうのは、もう要りませんから。輪廻転生の思想はバラモンの外道である。そんなものはないと、
教えた経文があるという人はそれを提示願います。
>もしそうだとしたら、釈尊は仏陀ではないですね。
>ただの俗人ですよ。
>拙者はそう思います。
俗人こそ「死後は確認できない」のではありませんか?ゴータマには確認する能力がありました。だからそ
れを説いたのです。従って、そのような能力は凡夫にはないから、これを世間では「仏陀は俗人ではない」と
いうのです。
仏陀とは凡夫俗人が知り得ない世界を知っているのです。そこから、語られたものが仏教の教えです。俗
人でも知ることができるような内容ではない。
38:モラリストへ
09/01/31 18:44:17 SEW9wAdk
>>27
『不生不滅の中道が断滅論、唯物論などではないことは当然だ。
勝手にペンキ屋をやるなよ。
そもそもブッダの中道は断滅vs恒常の二項相対対立と別次元のメタ・コードなんだよ。
言語や論理思考という分別ではなく無分別智で直覚し掴むものさ。』(>>14)
39:宝珠愚者
09/01/31 18:45:18 oAjYgRSF
>>35
>批判はしてないそうだよ。
ガンジーのカーストに対する意識は、スレ6/275-276
URLリンク(209.85.175.132)
で私が掲載したヨガナンダによるカースト解説と同意だったからでしょう。カーストは本来はこのようなも
のではなかったのです(リンクを参照)。しかし、ガンジーはカーストが人間差別に使われている現状を直
視するようになり、晩年においてはカースト廃止を訴えています。
40:宝珠愚者
09/01/31 18:47:18 oAjYgRSF
>>36
私はイエスのみならず・・クリシュナ、シャンカラであれ、とても肯定的ですが?
>君の思考は、全体的に、クリスチャンそのもの。
あんれ?キリスト教は輪廻否定でしょよ!w
それに私は人格神も認めないし、
キリスト教にとって最も重要視するキリストによる贖いという姿勢を強く否定していますが?
これはクリスチャンなら1番、論外とみなすものです。
あなたの批判は~何でも味噌も糞も一緒でめちゃくちゃです。
41:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/31 18:48:45 qEcvJkAN
>>37
>輪廻転生を否定した経があるならば、それを出して下さいよ。
前に書込みしました雑阿含経・第一義空経の一節で充分ですね。
これを解釈するスキルがあれば。の話ですが。
つまり空思想というのは原始仏教から面々と継承されておったのです。
これを龍樹が原点回帰ということで中論を書いたのですから。
中論はあくまでも説一切有部へのアンチとして書かれたものです。
つまり、中道を突き詰めていきますと、もはや一般的概念における「時間」というもんが
崩壊します。
ゆえに、死んだ先のことなど理論的に有り得ないんですね。
有り得ないもんを否定はできんでしょ?
肯定も出来ない。
未来(死後でもいい)は、現時点を起点とします。
しかしながら現時点においても、来つつあって今でありますし・・・
また去りつつあって今ですから、
来つつあって、なおかつ去りつつあるものは、今ではない。
今という起点がそもそもなければ、未来(死後でもいい)や過去などあろうはずがない。
と、このように中道において説一切有部を論破した経緯があります。
(この拙者が提示しました論拠で納得が逝きますか?)
42:モラリストへ
09/01/31 18:50:07 SEW9wAdk
>>27
ここでヒステリック・モラリストの宝珠愚者がご都合主義的に引用している中村元博士の世界観を示しておこう。
『ここで皆さんは、妄執がなければ執着は当然止滅するが、執着が無くなるとなぜ出生までも無くなるのか疑問に思うかもしれません。
執着のあるなしに関係なく人間は生まれるではないかとは、もっともなことであります。
しかしここで考えなければならないのは、自己とは妄執と執着によって仮構されたものであるということです。
妄執の中核を打ち砕けば、仮構された自己は消滅します。自己が消滅すれば、じ自己によって仮構された世界像も壊滅してしまいます。
そこには「ありのまま」の世界があるのみで、分別、対象化された世界はありません。
有るとか無いとか分別した世界ではありませんので、自分と世界とは素通しになってしまいます。自己は無限定なものとなってしました。
後世の大乗仏教では「自他不二」(自己と他とは分離できない)といっています。
そうした「ありのまま」の世界では、自己は限定なき存在そのものなのですから、当然出生もありません。
出生がないのですから老死もないのです。
これがブッダの不死の法則です。
後世これを不生といっています。』(ブッダの人と思想 49頁~50頁)
平易に説かれた達意の名文というほかはないだろう。
このような視点からすれば当然、業報輪廻、神・悪魔・天国・地獄などという妄想は真相として入る余地が無い。
説くにしても世俗における心理的な比喩、物語として以上の意味はないのだ。
43:モラリストへ
09/01/31 19:18:02 SEW9wAdk
>>29
>「私はこの1度だけの人生を自分の快楽のためだけに生きたい」として、
>遣りたい放題の人間に対しては、あたなはどうようにしてそれを制するのですか?
他人に迷惑をかけていない限り、あえて制しません。
本人がその不自由さに気がつくのも自由だからです。
快楽のためだけに執着して生きることもその人の生き方であり、
その反面執着ゆえに苦しみも生じるのは当然です。
まさに大部分の人間がそうであり、その苦しみを乗り越えることをブッダは教えました。
快楽主義といわれるエピクロスの本義も精神的な平安にあります。
エピクロスの「アタラクシア」はブッダの涅槃と同意義だと思います。
44:神も仏も名無しさん
09/01/31 19:44:10 fW0q94zk
>22
>これを見ても分かるように、業報はこの世での現実の話です。
あんた現実を知らずのうのうと生きてる坊主か?
あんたさ、ガザの住人が虐殺されるのはガザの住人の業の結果なのか?
派遣社員が首切られるのも派遣が悪いのか?
行いでどうにでもなるなら
あんた、首切られた派遣社員の前で「行いによって社長にもなれる」と言ってみ。
45:宝珠愚者
09/01/31 19:48:21 oAjYgRSF
>>43
答えて貰えないようですね!
歴史上、少女の生き血を絞った風呂に漬かって、不老の肖ろうとした奇女も実在しました。
これらの人々には、相手の激痛や悲しみ、絶望・・も関係がありません。
業報理論によれば、女性はただ済むことは在り得ない。
しかし、あなたの理論では、この女性は生涯において勝手な自己の楽しみを満喫して過ごし、
なんかの報いも受けません。これがあなたが信じるゴータマの思想とやらですか?
46:宝珠愚者
09/01/31 19:54:36 oAjYgRSF
>>22
都合のいい部分だけを見てるようですね。
全体を通じてみないと意味がありませんよ。
「賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報い
とを熟知している。世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は
業(行為)に束縛されている。---進み行く車が轄(くさび)に結ばれているように。」(スッタニパータ653-654)
「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(同666)
「罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生の
あるうちになすべきことをなして、忽(ゆるが)せにしてはならない。」(同676)
業は絶対性のものであって、来世にも果報を受けることを述べています。
47:宝珠愚者
09/01/31 20:03:35 oAjYgRSF
>>41
>中道を突き詰めていきますと、
>もはや一般的概念における「時間」というもんが崩壊します。
それは勝義です。
ですから、頭で思考でそのような理論を巡らしたところで輪廻からは脱することはできないのです。
砂糖に塩塩・・と、ただ思考を巡らせようと、甘いものという実体には変化はない。
実体の変容には修行が必要なのです。
書物や理論では到達できない。
>>42
それは解脱した存在にとっての世界観を示すものです。
特に間違いとかいったものではないです。
48:神も仏も名無しさん
09/01/31 20:03:35 uLy5fg4o
>>45
その不老の肖ろうとした奇女って当然、クリでしょうねw 多分~
捕まって自分も酷い環境で殺されたのではなかった?
>>31
>それだけで済むなら、歴史上の大虐殺とかは起こり得ないのですが?
ネロ、カリギュラ皇帝、串刺し公ヴラド・ツェペシ、魔女狩り、十字軍、ユダヤ・ナチ収容所・・。
↑ の大虐殺は何故、起こったとあなたは判断されてるのですか?
仮に輪廻転生の観念を仏陀が説いたと決定したとしたら上のようなことが起こらないと断言できる
理由を教えて下さい。
アサハラも牧師も神父も又、カルトの教祖も沢山の宗教指導者達は、罪・天国・地獄・カルマ・輪廻転生・・
などの観念を勿論周知で自から説いてますが、それでも何の恐れも無く宗教犯罪を犯しているのですw
つまり、来世などより現在の宗教の真理・教義・教団・自分達の生活・命・・等の方が大切ということでしょう
あと・・・輪廻転生の短所も考えて頂けましたか?報告お願いします。
>>32
>貴殿の書込みに感動して、アンチ派もおもわずレスポンするのかとおもいます。
あはは・・・(笑) 感動なんて・・面白~い、余裕がおありですね
宝珠愚者氏のレスに、異様に用意周到な狂気の危険な論・脅し・企み・・の臭いがするからですょw(笑
49:宝珠愚者
09/01/31 20:07:49 oAjYgRSF
>>41
>前に書込みしました雑阿含経・第一義空経の一節で充分ですね。
>これを解釈するスキルがあれば。の話ですが。
解釈など不要です。「輪廻転生はない」と説いた文章は経典のどこにありますか?
50:初代スレ7
09/01/31 20:08:40 i+JYo/zI
さて、スレも序盤だし、
また駄レスを一つ入れておくか・・・。
宝珠氏(及び断滅批判者)には、
「100万回生きたねこ」を100万回熟読してほしい。
そして、佐野洋子が、
なぜ、タイトルを「100万回(101万回)死んだねこ」ではなく「100万回生きたねこ」としたのだろうか、
と、よくよく考えてほしい。
(厳密には“転生”ではないが)、転生(物語の前提)の肯定否定ではなく、
何が言われているのか、を・・・。
おやすみ ノシ
>>44
>あんたさ、ガザの住人が虐殺されるのはガザの住人の業の結果なのか?
宝珠氏なら、(「共業(ぐうごう)」という言葉を用いながらかもしれませんが)
「そうだ」と言うでしょうねw
ノシ
51:神も仏も名無しさん
09/01/31 20:10:49 uLy5fg4o
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
現代では、思考や記憶や認識は、脳の機能であることが証明されている。
死ねば、脳は腐敗するか、灰になるから、これらの機能は停止する。
記憶が消失すれば、人格の同一性もありえない。従って「輪廻転生」は、
真理ではない。
脳や身体が腐敗し、又は灰になっても、その原子は消滅することはないから、
自然界の生物・無生物を循環する。しかし、前世の記憶も思考も一切失われて
いるから、これらの循環の認識も知覚も不可能。死者にとっては、この循環
は認識不能であるから、一切無関係。考えること自体が無意味。これが、現代
「輪廻転生」である。
■ 仏陀の時代は、脳科学も、生理学も存在しなかったから、無理も無いこと。
これらの無知は、釈迦の責任ではない。しかし、その無知を正すのは、現代人
の責任である。■
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
52:宝珠愚者
09/01/31 20:43:23 oAjYgRSF
>>48
>その不老の肖ろうとした奇女って当然、クリでしょうねw 多分~
>捕まって自分も酷い環境で殺されたのではなかった?
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
>>31
>↑ の大虐殺は何故、起こったとあなたは判断されてるのですか?
>仮に輪廻転生の観念を仏陀が説いたと決定したとしたら
>上のようなことが起こらないと断言できる理由を教えて下さい。
個々のケースでいろいろでしょう。しかし、基本的にいえることは、いずれも身勝手な自称の正義を掲
げたり、大義のための小さな犠牲は止む無しといったものや、人々の苦悩を我ごとのように感受できな
い精神的な未発達と心の病に冒されているのです。
輪廻転生と業報の教えを示しても、聞く耳持たないものは当然、出ますよ。ここにも沢山、集っています。
確認できないとして無視しようとするのです。けれども、中にも思い止まる者も現れるでしょう。一般的に多
くの人々には効果的だと思います。やはり、一部のこれら歴史上の大虐殺を展開するような輩は無理かも
しれません。
重要なことは、たとえ無視して実行(残虐非道な行為)に移そうともそれで済むことはない。必ず行為者で
ある本人がその報いを受けることになるのです。
「確認できない」などという人は仏教を信奉しなければいいだけのことですよ。私はゴータマに信頼を寄せ
ます。部分的にだけゴータマを賞賛する姿勢というのは、結局、ゴータマを疑って、信用しないということで
す。疑うのは自由ですが、その人は仏教徒ではない。
53:宝珠愚者
09/01/31 20:43:53 oAjYgRSF
>アサハラも牧師も神父も又、カルトの教祖も沢山の宗教指導者達は、罪・天国・地獄・カルマ・輪廻転生・・
>などの観念を勿論周知で自から説いてますが、それでも何の恐れも無く宗教犯罪を犯しているのですw
>つまり、来世などより現在の宗教の真理・教義・教団・自分達の生活・命・・等の方が大切ということでしょう
知識、理論だけで「知ってる」「認めます」とはいっても、狂気が都合のいい身勝手な言い訳を見つけ出す
のですよ。しかし、アサハラがただで済むということはない。もしも彼が捕らえられずに済み、無事に生涯を
過ごせたとしてもです。人間は平等とはこのことをいうのですよ。人は様々に差別しますが、しかし、法(天)
の上に人間は平等なのです。
54:宝珠愚者
09/01/31 20:53:25 oAjYgRSF
とにかく、めちゃくちゃ~は辞めましょうか!
カナンの地(イスラエル)に固執するユダヤ教徒の迫害の歴史も永くて大量に殺されてきた。
キリスト教徒も大量に殺されてきた事実を持つ。
輪廻転生の教義を持たない(否定する)キリスト教徒らは大量殺戮を行ってきた。
輪廻転生を説いたらカルトなどという論理が成り立たない。
では、輪廻転生を説かない仏教とはどれか?と聞くと、ただの一つも出せない。
デタラメと味噌も糞も区別が付かない人たち・・が批判してるだけです。
55:神も仏も名無しさん
09/01/31 21:12:17 8o6ql+WS
>>39
その「起源」は神話や法典の説くものとは異なるね。
原住民を侵略したアーリア人の支配から生まれたという歴史説とも違う。
人類の性質の進化に合わせて、というあたりが神智学的というかヨーロッパ的に感じられる。
カーストについての彼の意見と同じだったら、ガンジーはカースト制そのものを否定しているはず。
でもってカーストとは、ヨガナンダが言うように、本人の適正や行動への呼び名であると主張しているはず。
が、彼は擁護するにあたって従来のカーストを前提にして、これにこんないいところがあるという言い方をしている。
それでも『ヴァルナを「神の創造物全体における絶対平等の法則」』と言えるのは
彼の愛読書のギーターで、どのカーストでも救われるとされているためだろう。
56:神も仏も名無しさん
09/01/31 21:14:40 MLKGWGU9
電波説では、釈迦は人の死後の生れ変りを意味しない輪廻を説いた。衆生の死後は無記。だという。
輪廻に生れ変りの意味が付加されたのは、釈迦の没後まもなく弟子によってなされたという。
一方で電波は、釈迦の直弟子には数多のブッダが生れたという。
悟りをひらいてブッダとなった弟子達が輪廻に生れ変りの意味を付与したとなると、論理がなりたたない。
最古層に輪廻の記述が無く、古層に記述が出て来るから、古層は弟子達の増広で、意図を持って生れ変りの異説が混入されたと電波は言う。
ブッタの指導によってアラハンとなった弟子達が師の意思に反した改竄をするというのは無理がありすぎる。
むしろ師の教説を補おうと、生れ変り論を増強する方向に向かうのが自然な流れだろう。
流れという意味の輪廻を生れ変りに変えるのならば、古層だけの改竄に留まらずに、さらに原始までさかのぼって変えるのがおよそ人情ではないか?
いずれにしても無理がありすぎてお話に成らない。
57:神も仏も名無しさん
09/01/31 21:29:55 M/xXTiau
『明句論』1-3以下が、おもしろいこと書いているので訳してみました。
ある意味をある人が(~だと)主張する。だから自分が(~だから~だと)結論付けたように
他人を(なるほど~だと)結論に導きたい思う。
それ故、その(~だという)意味の(~だからという)妥当性から納得した合理性を
他人に説明すべきである。それ故(自立論証者が)自ら認める主張命題の論証は、
当の対論者が提示すべきである。これがとりあえずの原則である。
これは他人にとって証拠ですらない。証拠や実例がないから、自らの主張命題の論証は、
自分に都合のいいことだけを提示する。それ故、妥当性のない論点を認めるのだから、
これ(自立論証)は本人のみが(オレちゃんは正しいと)騙されるので
(なに言ってんだコイツはと思ってる)他人を結論に導けない。
58:神も仏も名無しさん
09/01/31 21:35:09 TB1MSzSF
>>40
>あんれ?キリスト教は輪廻否定でしょよ!w
>それに私は人格神も認めないし、
>キリスト教にとって最も重要視するキリストによる贖いという姿勢を強く否
>定していますが?
>これはクリスチャンなら1番、論外とみなすものです。
イエスも、「永遠の生命」や「死後の裁き」など、「自分(イエス)を信じ
させるため」に、「甘言」と「脅迫」を弄している。これと「輪廻転生」に
よる「脅迫」と「甘言」は、どう違うのか。
「輪廻転生」があるのなら、その主宰者は、一体誰なのかね。「唯一人格神」
とどう違う?
「イエスによる贖罪」は、「死後の裁きの免除」の目的のためだよ。
それでも、仏教の「輪廻転生」がキリスト教よりも優れている点は、前者が
「行為」を要因としていることである。キリスト教、特にプロテスタントでは、
単に「信仰のみ、聖書のみ」という「精神性」だけだから、共同体にとっては
何の役にも立たないばかりか、却って、「信仰のために人を殺す」という、
とんでもない害悪を招く。人間は、具象に依存しない限り一瞬も生存できない
存在だから、具象を欠く「精神性」は、人間の狂気をもたらす。キリスト教の
「血塗られた歴史と現状」が、そのことを如実に証明している。
59:神も仏も名無しさん
09/01/31 21:35:42 M/xXTiau
>>56
ですね。
>>41
>>>37
>>輪廻転生を否定した経があるならば、それを出して下さいよ。
>
>前に書込みしました雑阿含経・第一義空経の一節で充分ですね。
>これを解釈するスキルがあれば。の話ですが。
全く逆、『第一義空経』は主体のない縁起による輪廻を説いているんです。
これは夙に木村泰賢先生が指摘することであり、
『第一義空経』の引用箇所や、『因縁心論』『ミリンダ王の問い』と一致する内容で、
この理解がないというのは、縁起も空も全く分かってない証拠ですね。
60:神も仏も名無しさん
09/01/31 21:45:36 eKpdMUZU
>>46
自分に都合のよい部分しか見ていないのはあなたです。
私が引用したスッタニパータ651-655は現実的なまともな話ですが、
あなたが引用した部分は地獄描写の一部であって、続きはこうです。
666 けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。
667 (地獄に墜ちた者は)、鉄の串を突きさされるところに至り、鋭い刃のある鉄の槍に近づく。さてまた灼熱した鉄丸のような食物を食わされるが、それは、(昔つくった業に)ふさわしい当然なことである。
668 (地獄の獄卒どもは「捕えよ」「打て」などといって)、誰もやさしいことばをかれることなく、(温顔をもって)向ってくることなく、頼りになってくれない。(地獄に墜ちた者どもは)、敷き拡げられた炭火の上に臥し、あまねく燃え盛る火炎の中に入る。
669 またそこでは(地獄の獄卒どもは)鉄の網をもって(地獄に墜ちた者どもを)からめとり、鉄槌をもって打つ。さらに真の暗黒である闇に至るが、その闇はあたかも霧のようにひろがっている。
670 また次に(地獄に堕ちた者どもは)火炎があまねく燃え盛っている鋼製の釜にはいる。火の燃え盛るそれらの釜の中で永いあいだ煮られて、浮き沈みする。
671 また膿や血のまじった湯釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。かれがその釜の中でどちらの方角へ向って横たわろうとも、(膿と血とに)触れて汚される。
672 また蛆虫の棲む水釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。出ようにも、つかむべき縁がない。その釜の上部は内側に彎曲していて、まわりが全部一様だからである。
673 また鋭い剣の葉のついた林があり、(地獄に墜ちた者どもが)その中に入ると、手足を切断される。(地獄の獄卒どもは)鉤を引っかけて舌をとらえ、引っ張りまわし、引っ張り廻しては叩きつける。
・・・・・まだまだ続きます。
最古層にはこんな話は全くないのですから、これは後に作られた神話、物語であることは明らかです。
これは悪い行為を地獄に仮託して民衆に教え、善い行為を薦めるための方便、悪く言えば脅し、であるのは子供でも分かると思います。
61:神も仏も名無しさん
09/01/31 22:15:17 eKpdMUZU
>>56
私の主張を細かい点では色々誤解しているようですが、まあそれはおいておいて、
>悟りをひらいてブッダとなった弟子達が輪廻に生れ変りの意味を付与した
なんてことは考えていません。ブッダの思想をよく理解して解脱していた弟子達がそんなことするはずないでしょう。
第一時結集の時には、教えを確認する資格があったのはアラハンである直弟子だけとされていますから、
その頃はまだ正しい教えだったはずです。しかし経典を現代まで伝えてきたのは悟った人ばかりではありません。
教団を構成している人の大半はむしろ悟っていない修行僧たちです。その中には人生の大半を在家で生きた人も
たくさんいるでしょう。口伝の時代が何百年も続きますから、そのうちに在家の信じる民間信仰などが溶け込んでしまう
のは全然無理な話ではありません。僧の伝える教えが一枚岩でないことは、後の部派仏教や大乗時代の僧侶・宗派間
の対立を見ても明らかです。もともと別のことを表していたのに、「俗信」のとおりに受け取られてしまった可能性を中村元氏
も以下のように指摘しています。
「仏教では、この世界に対してどこかに空間的に存在する天を考えたのではなく、あくまで、
絶対の境地を天ということばを借りて表したのであるが、一般民衆は俗信のとおり、死後の
理想郷に行かれると信じていたのであろう。」
62:三代スレ170
09/01/31 22:18:13 Ivy+k05r
なんか定期的に、輪廻思想を
>アーリア支配合理化のための政治的デマゴギー・イデオロギー
とか決めつける人が湧いてくるけど何なの?
輪廻思想は昔のウパニシャッドには出てこないし、
五火二道説にしたってバラモン由来じゃねえぞ。
そもそも「ジャイナ教」の存在を失念しているのが解せない。
そんなに輪廻が嫌いなら
「仏教は邪教!お釈迦さんは輪廻を説いたカルト教祖!!」
と言っちゃえば楽になるよ♪
あと
>忌むべき一神教
とか軽々しく書く人もいるけど、
古典を読めば多神教や汎神論もろくなもんじゃなかった
(一神教よりある意味ひどかった)のはすぐわかるし、
近現代史を学べば理神論、無神論、唯物論の流血具合もわかりそうなもんだけど…
(要は世界の覇権を握った国が奉じていたのがたまたま一神教だったってだけなんだよね)
今の腐敗した仏教国どもが世界を左右する権力を握ったら、絶対世界に宗教戦争を引き起こすぜ。
(今でも小規模な形で起してるよね。まあ、国力がないからショボイ規模ですんでいるが)
63:神も仏も名無しさん
09/01/31 22:22:49 8o6ql+WS
>>58
>「輪廻転生」があるのなら、その主宰者は、一体誰なのかね。
これに関して、面白いやりとりがヒンズーの聖典にあったりする。
クリシュナの主宰神批判
URLリンク(blogs.dion.ne.jp)
バーガヴァタ・プラーナの日本語訳(重訳だが)がそろそろ完結するので買いませう。
64:神も仏も名無しさん
09/01/31 22:55:44 ECMOnzvI
横レスですが、
>>27 :宝珠愚者:2009/01/31(土) 17:26:58 ID:oAjYgRSF
>SEW9wAdkさんへ
>あなたとアジタ・ケーサカンバリンとの違いについて説明し下さい。
あなた(宝珠愚者)とジャイナ教のニガンタ・ナータプッタ(外道の一人)との
違いについて説明してほしいです。
65:三代スレ170
09/01/31 23:58:38 Ivy+k05r
63さん
>63 :神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 22:22:49 ID:8o6ql+WS
>>>58
>>「輪廻転生」があるのなら、その主宰者は、一体誰なのかね。
>
>これに関して、面白いやりとりがヒンズーの聖典にあったりする。
リンク先読んだ!面白かった!ありがとう!
ただ、そのなんだね。クマーリラの論理を聞かせても
「そう、そのとおり。すべては神の慣行!したがって因果律は成り立たない!!」とか、
一神教徒側(ムスリムのガザーリーとか)の連中は言っちゃうんで、
何の痛痒も与えられないんだよね。実に厄介。
66:神も仏も名無しさん
09/02/01 00:40:28 9WIW0sf5
>>65
一旦、ありもしない「神概念」を植えつけられと、もはや何を言っても無駄。
「神や霊など、人間が考えても無意味なものは考えるな」と戒めた点に、仏陀
の比類の無い偉大さがある。
67:宝珠愚者
09/02/01 00:42:31 7Yp/x8/s
>>55
ガンジーはマハトマの称号があるとはいえ、
仏陀のような完成者ではありませんでした。
実に様々な人間的な間違いと愚行をしてきてもいます。
恐らく、カースト制度に対する認識にも誤りがあった・・。
しかし、晩年には廃止の意向を示したといわれています。
しかしながら、
何れにせよ彼の非暴力思想と勇敢が行動を非難するなにものもないでしょう!
余談ですが、
ガンジーはブラヴァツキー夫人(神智学協会開祖)に謁見しており、
彼が誇るべき自国の宗教すらも知らないことを指摘し、ギーターの読書を薦めたのはプラヴァツキーでした。
また、ガンジーのマハトマの称号は協会二代目会長ベサント女史によって附されたといわれています。
68:宝珠愚者
09/02/01 00:43:00 7Yp/x8/s
>>58
>イエスも、「永遠の生命」や「死後の裁き」など、「自分(イエス)を信じさせるため」に、
>「甘言」と「脅迫」を弄している。これと「輪廻転生」による「脅迫」と「甘言」は、どう違うのか。
イエスを信じなければ地獄に堕ちると脅したのは教会の聖職者らによる所業です。イエスの教えではない。
>「輪廻転生」があるのなら、その主宰者は、一体誰なのかね。「唯一人格神」とどう違う?
一応、>>63紹介のサイトも拝見しました(感謝!!)。この問題はアプローチ次第でどうにでもなります。業
が全てを規定するなら、主宰神は無用といういい方をする人もいますが、この業報の法則、作用する力
そのものが主宰神であり、もしくはその一部分なのです。それは人格神といったものではない。人格神と
いった概念は自分たち人間を縮図として、その延長上に思案したものです。人格神は意識ですが、感情
の次元を超えたものです。それは表現はできない。喜んだり、起こったり、笑ったりといった意識ではない。
人格神を否定するということは、そのまま「神などいない」といういい方にも通じるのです。どちらも完全な
間違いでもなければ、完全に正しい表現でもありません。
>「イエスによる贖罪」は、「死後の裁きの免除」の目的のためだよ。
その通りです。ですから自己都合の勝手なものです。イエスはそんなものは教えていません。教会の教え
=イエスといった愚弄は馬鹿げています。わたしはあなたに、それについて再確認されることを推奨します。
69:宝珠愚者
09/02/01 00:43:52 7Yp/x8/s
>>60
「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(スッタニパータ666)
確かにこれは地獄描写の一部です。この来世とは地獄に生まれるの意でしょう。描写の詳細については
もある程度、比喩であるとして解していますが、しかし、悪業をなした者は転生に入るまでにこのような体験
を経るのでしょう。あなたはそれも否定するわけでしょう!死んだら断滅などと説くのは外道です。
「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれ
らのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、
巧みに語っている。」(スッタニパータ876)
このように、断滅を巧みに語るとして断見外道者に注意するようにゴータマは警告しています。
「前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成
すべきことをすべて完成した人、─かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。」(ダンマパダ423)
「あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れなく、清ら
かで、生を滅ぼしつくすに至った人、─彼を(目ざめた人)(ブッダ)という」(スッタニパータ517)
「物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、止滅(ニルヴァーナ)
を知らないので、再び生存にもどって来る。」(スッタニパータ754)
「聖者には輪廻は存せず、彼はもはや生まれ変わるということがない。聖者の身体は、永遠の昔からの
永劫の輪廻の過程における最後の身体であり、これは最後の生涯である。今や再び後に生存に入ること
がない。」(テーラ・ガーター202、スッタニパータ502)
「実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へ、暗黒から暗黒へと(生まれかわる)。
死後には苦しみを受ける。」(スッタニパータ278)
70:神も仏も名無しさん
09/02/01 00:47:49 9WIW0sf5
>>68
>イエスを信じなければ地獄に堕ちると脅したのは教会の聖職者らによる所業
>です。イエスの教えではない。
「私を信じなければ裁かれる」は、イエスの言葉。
そうやって、イエスは絶対に批判できず、すべての責任を、専ら「他の人間」
に押し付けるのが、まさにクリスチャンなのである。
71:宝珠愚者
09/02/01 00:51:34 7Yp/x8/s
つづき
「師は答えた、《牡牛のように結縛を断ち、くさい臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、わたしくしはも
はや母胎に入ることはないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。》」(スッタニパータ29)
「諸々の邪まな見解にとらわけず、戒を保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた
人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。」(スッタニパータ152)
全く納得できませんね。それではこれらの言葉は何ですか?
「前世の生涯」「あらゆる宇宙時期と輪廻」「非物質的領域に住む諸々の生存者」「聖者の身体は、永遠の
昔からの永劫の輪廻の過程における最後の身体であり」「母胎から他の母胎へ」「母胎に入ることはないで
あろう」などの意味について説明して下さい!
72:宝珠愚者
09/02/01 00:53:27 7Yp/x8/s
>>70
それは、どの書で何章何節のことですか!確認します。
73:神も仏も名無しさん
09/02/01 01:11:26 O5R4EuIl
>>69
> このように、断滅を巧みに語るとして断見外道者に注意するようにゴータマは警告しています。
断見の外道だけは非難して、ニガンタという外道は非難しないのですか?
74:神も仏も名無しさん
09/02/01 01:13:16 O5R4EuIl
ニガンタはまさしく「真我を巧みに語る」とすることができるんじゃないですか?
75:神も仏も名無しさん
09/02/01 01:15:15 O5R4EuIl
「非我論」とはまさしくそのようなこととは言えないですか?
あなたと代表的外道の一人ニガンタ・ナータプッタとどう違いがあるのですか?
76:神も仏も名無しさん
09/02/01 01:32:00 fGHo0ADQ
>>69
> 確かにこれは地獄描写の一部です。この来世とは地獄に生まれるの意でしょう。描写の詳細については
>もある程度、比喩であるとして解していますが
比喩と認めましたね。地獄描写の一まとまり全体が一つの物語、神話のようなものなのです。来世の話云々もそうです。
>「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれ
らのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、
巧みに語っている。」(スッタニパータ876)
「最上の清浄の境地」と言っているところに注意してください。「境地」なのであって、「来世」などの世界ではないのです。
境地というのは今世における人間の心の姿なのですから、精神も肉体も残りなく消滅する「断滅」のうちに無いのは当たり前
です。同様に、来世にもありません。
続きはこうです。
877 かの聖者は、『これらの偏見はこだわりがある』と知って、諸々のこだわりを塾考し、
知った上で、解脱せる人は論争におもむかない。思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない。」
来世の有無についてあれこれ妄執することが偏見です。ブッダはこれらの偏見を捨てよ、と言っているのです。
>死んだら断滅などと説くのは外道です。
あなたは断滅という言葉を断見と勘違いしているようですね。断滅はただ「消え去る」という意味で、主語を伴わなければ
それ自体では意味をなさず(○○が断滅する、と使う)、文脈によっては肯定的にも使われます。たとえば、
761 自己の身体(=個体)を断滅することが「安楽」である、と諸々の聖者は見る。
(正しく)見る人々のこの(考え)は、一切の世間の人々と正反対である。
ここでは断滅を否定するどころか、積極的に自己の身体の断滅を薦めています。
77:神も仏も名無しさん
09/02/01 01:43:28 fGHo0ADQ
>>71
>全く納得できませんね。それではこれらの言葉は何ですか?
>「前世の生涯」「あらゆる宇宙時期と輪廻」「非物質的領域に住む諸々の生存者」「聖者の身体は、永遠の
>昔からの永劫の輪廻の過程における最後の身体であり」「母胎から他の母胎へ」「母胎に入ることはないで
>あろう」などの意味について説明して下さい!
あなたが引用しているこれらの古層の言葉は、全て「苦」を仮託した表現です。「苦」の言い換えなのです。
仏教では色々な「苦」がありますが、特に「生」と「死」は「苦」の代表なのです。
生まれ変わる、再び生まれる、来世においては悪いところに生まれる、母胎から他の母胎へ、は全て「苦」を表現しているのです。
簡単に言えば、「再生」とは「苦の再生」なのです。
「聖者の身体は、永遠の昔からの永劫の輪廻の過程における最後の身体であり」というのも、永遠の昔から苦しみ続けていると
思えるほど深く人間は苦の世界に捉われているが、聖者になったらそれから完全に抜け出す(解脱する)、という意味なのです。
だから、解脱した人に対しての表現「再び生まれない」「母胎に入ることはないであろう」は、もう二度と苦が再生しない、二度と
苦しむことがない、という絶対的な安楽の境地(=ニルヴァーナ、涅槃)を表現しているのです。
78:神も仏も名無しさん
09/02/01 01:49:36 fGHo0ADQ
断見、常見について
生まれ変わり、来世などについて「ある」と断定するのが常見。
生まれ変わり、来世などについて「無い」と断定するのが断見。
ブッダはこの両方を否定し、生まれ変わり、来世など、人間の認識の届かないことについて議論するのは
愚かなことであるから、これらの問いへの執着、こだわりを捨てよ、と説いたのです。
836 (マーガンディヤがいった)、「もしもあなたが、多くの王者がもとめた女、このような宝、が欲しくないならば、
あなたはどのような見解を、どのような戒律・道徳・生活法を、またどのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」
837 師が答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する
執著を執著であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤を)見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。」
「どのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」という問いに対して、ブッダは「『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。」
と退け、このような問い自体が執着・偏見であるから、執着を捨て、固執することを止め、省察しつつ内心の安らぎを得るのです。
79:宝珠愚者
09/02/01 02:02:08 7Yp/x8/s
>>64
>あなた(宝珠愚者)とジャイナ教のニガンタ・ナータプッタ(外道の一人)
>との違いについて説明してほしいです。
これはどのような意図の質問でしょうか?この私の主張がジャイナに似てるとでも??
ジャイナと仏教は双子のような感じがあり近しいでしょう。ジャイナの在家信仰の状況では、更に私とも
かなり近しい印象はあります・・。しかし、根本的に思想部分というか、見解的にはいろいろと異なります。
ジャイナの生命感は動植物のみならず無機物にも及んでおり、地・水・火・風・大気にも霊魂を説く。そ
の点は無機物である鉱物界にも生命を認める神智学とも似ていますが、神智学では無機物と植物の意
識は霊魂とは異なり、動物の意識とて個別化した魂とは見なさない(動物界全体を一とする超魂を説く)。
また転生は進化の法則であり、人間が動物といった下位生命へと転生するといった概念は認めない。
神智学的には水も生命という見方も可能ですが、これは殺生ではない。またジャイナのように水中の微
生物すらも殺生しないよう、ろ過して濾して飲むといった極端な姿勢はない。
80:宝珠愚者
09/02/01 02:02:30 7Yp/x8/s
とにかくジャイナの不殺生戒は極端過ぎており、そこには不殺生に対する固執(執着)意識が増大して
るようです。あの不殺生戒の極端性には肉体生命に対する重度な固執が感じられます。彼ら自身は自分
の肉体生命は重視しませんが、他の生命体に対しては意識が集中し過ぎてるようです。
それから苦行の極端さです。たしかに在る面においては、苦行は意識を肉体から内面に向かわせるの
に効果的でしょう。しかし、過剰な苦行は逆に肉体に対する執われとなると思います。神智学ではそのよ
うな苦行はせず、奉仕を推奨します。それは自己犠牲(一切の利益や報酬を受けない)によって他者や社
会に貢献することなのです。奉仕したいという欲求は自己の高我(魂)からくるものであり、瞑想の習慣に
よって自己意識(低我)を魂と連結させていき、魂からの指令を確実にしていくことが奉仕の行為に結びつ
きます。魂からのエネルギーは奉仕の行為で消化していきます。
とりあえず、この程度しか返答できません。もしも具体的にジャイナのこの部分についての私の見解が欲
しいとか、私との相違点について示してくれ、といった質問ならば、この私も回答しやすいです。
81:宝珠愚者
09/02/01 02:03:20 7Yp/x8/s
>>74-75
>ニガンタはまさしく「真我を巧みに語る」とすることができるんじゃないですか?
否定はしません。
>あなたと代表的外道の一人ニガンタ・ナータプッタとどう違いがあるのですか?
魂も永久不滅ではありません。魂も縁起で生じています。これは真我に意識が留まるまでの媒体です。
対するジャイナは不滅を説く。しかしまぁ、僅かな相違です。阿羅漢の境地に達する段階で違いが確認で
きるからです。阿羅漢に達する段階で「死」を経験するのです。その死とは肉体のみならず魂の死です。こ
のときにその恐怖を克服できれば問題はない。魂意識への執着は問題となる恐れはあります。その違い。
82:神も仏も名無しさん
09/02/01 02:05:36 nG8oYVSw
たけたけはらはら たくや凶
83:神も仏も名無しさん
09/02/01 02:19:56 O5R4EuIl
>>81
>しかしまぁ、僅かな相違
沙門果経ではっきり外道と断じられているジャイナと仏教が双子で、僅かな相違
で済むのなら、他の断見や唯物論の外道と仏教も「実は」「考え方によっては」
僅かな相違だと主張する人の意見も許さなくては、公平・客観的とは言えなくな
りますよ。違いますか? そうじゃないのならあなたは結局は主観に基いている
だけであり、主観によって他者を断じ、そのように断じたい動機に基づいて行動
しており、自己の見解に執着し囚われていることを認めなくてはなりません。
84:神も仏も名無しさん
09/02/01 02:23:24 O5R4EuIl
仏教とジャイナ教が双子だという主張は中村元の弟子の渡辺研二という人の
そのまんま受け売りでしょうけど。
85:神も仏も名無しさん
09/02/01 02:28:01 O5R4EuIl
基本的に、あなたから唯物論的外道に見える、断見論者が仏教徒を自称するが、外道以外の
何者でもないように思えるのように、
あなた以外の人からは、あなたはニガンタという外道に見える、真我論者が仏教徒を自称す
るが、外道以外の何者でもないように思えるという当然の事実に、
しかし、自己の見解に執着し囚われている愚か者は、
気づかないのです。
86:神も仏も名無しさん
09/02/01 02:32:50 O5R4EuIl
自分がジョン・レノンだと思い込んでいるジョン・レノンの偽者が、
自分をビートルズのメンバーだと主張するポール・マッカートニーの偽者に向かって、
「この偽ビートルズ野郎!」と、非難する。
これは何でしょう?
87:宝珠愚者
09/02/01 03:02:58 7Yp/x8/s
>>76
>「最上の清浄の境地」と言っているところに注意してください。「境地」なのであって、「来世」などの世界で
>はないのです。境地というのは今世における人間の心の姿なのですから、精神も肉体も残りなく消滅する
>「断滅」のうちに無いのは当たり前です。同様に、来世にもありません。
《「断滅」のうちに無いのは当たり前です》。そりゃ~そうですよ。だから、それをゴータマは「巧みに」語っ
ているといい、騙されるなと警告してるのですよ。
>来世の有無についてあれこれ妄執することが偏見です。
>ブッダはこれらの偏見を捨てよ、と言っているのです。
それは分りますよ。論争するなといっているのであり、私のような人間などを戒めているのですよ。
>あなたは断滅という言葉を断見と勘違いしているようですね。断滅はただ「消え去る」という意味で、主語
>を伴わなければそれ自体では意味をなさず(○○が断滅する、と使う)、文脈によっては肯定的にも使わ
>れます。たとえば、761 自己の身体(=個体)を断滅することが「安楽」である、と諸々の聖者は見る。
>(正しく)見る人々のこの(考え)は、一切の世間の人々と正反対である。
>ここでは断滅を否定するどころか、積極的に自己の身体の断滅を薦めています。
分りますよ。ですから文脈で捕らえる必要がある。前者の断滅とは断見のことです。「(精神も肉体も)残り
なく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、巧みに語っている。」というのですから、これは断見
のことです。
対して後者の場合というのは、肉体生命最重視に対する否定意を説いているのですよ。この肉体生命最
重視とは何かというと、死んだら終わりとする断見(だから「死にたくない」という意識)を示すことになるので
す。文意を読み取れば分るのであり、これは前者も後者も断見のことです。
「断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることが
ないとする見解のこと。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
88:宝珠愚者
09/02/01 03:05:17 7Yp/x8/s
>>77
>あなたが引用しているこれらの古層の言葉は、全て「苦」を仮託した表現です。「苦」の言い換えなのです。
>仏教では色々な「苦」がありますが、特に「生」と「死」は「苦」の代表なのです。
>生まれ変わる、再び生まれる、来世においては悪いところに生まれる、母胎から他の母胎へ、は全て「苦」
>を表現しているのです。簡単に言えば、「再生」とは「苦の再生」なのです。
どうも府に落ちませんね。その割には、随分と手の込んだ言葉の表現ですが・・。
「母胎から他の母胎へ」は確かに仏教の立場からは「苦」を示すものでしょう。要するにこれは、今生から
来世に転生することは苦であると説くのが仏教だからですよ。「母胎から他の母胎へ」とはそういうことです。
89:宝珠愚者
09/02/01 03:05:41 7Yp/x8/s
>>78
>生まれ変わり、来世などについて「ある」と断定するのが常見。
>生まれ変わり、来世などについて「無い」と断定するのが断見。
間違いです。
・この世は永遠に続くものという意味と、
もう一つは人の死後にアートマンとして永久不滅に存続するという見解が常見。
・死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見。
>ブッダはこの両方を否定し、生まれ変わり、来世など、人間の認識の届かないことについて議論するのは
>愚かなことであるから、これらの問いへの執着、こだわりを捨てよ、と説いたのです。
それは理解できない相手に対する待機説法です。
「このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が『この者は、このところへ生まれる。
この者は、このところへ生まれる』と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人に吹聴する
ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、『わたしは、このような超能力があることを人は知
れ』というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子
はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもた
らし安楽をもたらす」以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』」
(中阿含経・第77・帝三族姓子経)
死後の再生については明確に解説しました。
「また、このようにして心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は思考から成り立つ身体(意生
身)を化作することに、心を傾け、心を向けます。彼はその(物質的な)身体から、別の身体、(すなわち)
形はあるが思考から成り立ち、四肢も完全にそなえ、(眼や鼻の)感覚器官もそこなわれないままの身体
をつくり出します。」(ディーガ・ニカーヤ第2/出家の功徳)
この経文では、肉体とは異なる意識体も意図的に作り出せるとも述べています。
90:神も仏も名無しさん
09/02/01 03:30:15 fGHo0ADQ
>>87
> 対して後者の場合というのは、肉体生命最重視に対する否定意を説いているのですよ。この肉体生命最
> 重視とは何かというと、死んだら終わりとする断見(だから「死にたくない」という意識)を示すことになるので
> す。文意を読み取れば分るのであり、これは前者も後者も断見のことです。
それに対して「常見」は「死んだら終わりとする断見」の逆、つまり「死んでも終わりではないとする見解」です。
「常見(じょうけん)とは、仏教用語で、この世は永遠に続くもので不滅であるとする見解のこと。反対語は断見(だんけん)。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
>>88
>どうも府に落ちませんね。その割には、随分と手の込んだ言葉の表現ですが・・。
神話、物語は手が込んでいればいるほどリアリティが生まれ、迫力があっていいのです。
ディテールが細かく具体的であればあるほど、読む人はその世界に引き込まれるからです。
ジャータカ物語もそうです。聖書や古事記などもみてください。手が込んでますから。
>要するにこれは、今生から来世に転生することは苦であると説くのが仏教だからですよ
そういう先入観をもって読めば、そうとしか読めなくなるのでしょう。
「今生から来世に転生するという妄想」が「苦」(の一つ)なのです。
>>89
>・この世は永遠に続くものという意味と、
> もう一つは人の死後にアートマンとして永久不滅に存続するという見解が常見。
>・死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見。
「死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見」の逆は
「死後に意識、あるいは生命が永続するとする見解が常見」となるはずです。
この両方をブッダは否定しているのです。アートマンは否定したが、アートマン無しの転生は肯定している
というような話(詭弁ですが)などではありません。
91:神も仏も名無しさん
09/02/01 03:41:00 fGHo0ADQ
>>89
> 「このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が『この者は、このところへ生まれる。
> この者は、このところへ生まれる』と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人に吹聴する
> ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、『わたしは、このような超能力があることを人は知
> れ』というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子
> はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもた
> らし安楽をもたらす」以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』」
> (中阿含経・第77・帝三族姓子経)
おそらく新しい経典で、ブッダが説かなかったはずの来世の話を経典にふんだんに盛り込んでしまったために、
辻褄あわせ、正当化が必要で、このような経典を作ったのでしょう。おそらく当時も今と同じような議論があり、
「人を欺いているのではないか」と批判した人がいたので、「人を欺くためでなく」などという言い訳を書く必要
が生じたのでしょう。
よく考えてみてください。もし本当にブッダが来世を説き、それが事実なら、「再生する場所を予言するのは、
人を欺くためでなく、人に吹聴する ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく」
「事実だからだ」と一言書けばすむ話です。でもどこにも「事実だ」なんて書かれていません。
そうは書かず、
「信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子 はそれを聞いて真理に心をはせる。
アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもたらし安楽をもたらす」
と書いているのは、「これは方便です」と言わんばかりです。
「とりあえず地獄などで脅し、天国を夢見させておけば真面目に修行したり善行為を積むだろうから」という意図が
見え隠れします。穿った書き方をしましたが、方便としては別に悪いことではないのでしょう。ただ「事実」と混同してはいけません。
92:神も仏も名無しさん
09/02/01 03:50:14 fGHo0ADQ
>>89
>「また、このようにして心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は思考から成り立つ身体(意生
>身)を化作することに、心を傾け、心を向けます。彼はその(物質的な)身体から、別の身体、(すなわち)
>形はあるが思考から成り立ち、四肢も完全にそなえ、(眼や鼻の)感覚器官もそこなわれないままの身体
>をつくり出します。」(ディーガ・ニカーヤ第2/出家の功徳)
> この経文では、肉体とは異なる意識体も意図的に作り出せるとも述べています。
私たちは自分の身体を、自分のものと思い込んでいます。身体に執着しています。
たとえば怪我したり病気になったりしたら、冷静でいられず、必要以上に大騒ぎしたりするのです。
つまり私たちは身体をありのままに見ているのではなくて、自分の思考のフィルターを通して身体を
見ているのです。それが「思考から成り立つ身体」です。このような執着を取り払い、間違った思考を直し、
正しい思考で身体を捉えなおせば、ありのままの「感覚器官もそこなわれないままの身体」を作り出したことになるのです。
(もちろん物体としての身体はずっとそのままです)
「肉体とは異なる意識体も意図的に作り出せる」とあなたが書いている意味はよく分かりませんが、
これはあくまでもその人の心の内面の話なのです。来世などではありません。
93:宝珠愚者
09/02/01 03:51:11 7Yp/x8/s
>>34
>マッリカーの逸話で十分だろ?w
この場合の教え、「自分の幸せだけを考えなさい」とは、自己が愛しいことをよく吟味して理解できたとき
に、他人様にとってもそれは等しく感じていることだろうとして悟る、という意味においてです。
「心の中であらゆる方向を巡ってみても、どこでも、自己よりも愛しいものに巡り会わなかった。
それ故に自己を愛する人は他人を害してはならぬ。」(サンユッタ・ニカーヤ:Ⅰ.75)
「自己よりもさらに愛しいものは決して存在しない。同様に他の人々にもそれぞれ自己は愛しい。
故に自己を愛するものは他人を害してはならぬ。」(サンユッタ・ニカーヤ:Ⅰ.75-ウダーナ)
「自己を護る人は他の自己をも護る。それ故に自己を護れかし。しからば彼は常に損ぜられる
ことなく、賢者なのである。」(アングッタラ・ニカーヤ:Ⅲ.373)
「もしも、自己を愛しいものであると知ったならば、自己を悪と結ぶなかれ。」(スッタニパータ:790)
といっているのです。
これらの経文がそのことを示すものです。
しかし、先般述べたような極悪非道な鬼畜には、こんなことをいっても通用せず、ますますエスカレートす
らしかねない。死後の業報を説明しても、そんなものは信じないといってたぶん聞かないでしょう!止めら
れるものはないのかもしれない・・。
肝心なことは、業報は自然法則であるが故に、本人が信じる信じないか関われず、本人に非情に作用し
ます。この鬼畜も当然、ただで済むことはない。自己の行為と同等の代償を自らの苦悩で以って味わうこと
になるのです。これが天がもたらした平等の作用です。
死後の業報を否定する見解は、他人を救った殉教者もこの鬼畜も等しく扱うことになる愚行です。
94:宝珠愚者
09/02/01 04:11:04 7Yp/x8/s
>>90
>神話、物語は手が込んでいればいるほどリアリティが生まれ、迫力があっていいのです。
>>77
>だから、解脱した人に対しての表現「再び生まれない」「母胎に入ることはないであろう」は、もう二度と苦
>が再生しない、二度と 苦しむことがない、という絶対的な安楽の境地(=ニルヴァーナ、涅槃)を表現して
>いるのです。
そりゃそうですよ。それがニルヴァーナですから。しかし、実際に輪廻転生の状態から、再生しない状態
へと解脱するのであって、「転生などは妄想だったんだ!元々、無かったんだ!」などと思考を巡らせるこ
どてはありません。
>「死後には意識も生命も断滅して存続しないとする見解が断見」の逆は
>「死後に意識、あるいは生命が永続するとする見解が常見」となるはずです。
>この両方をブッダは否定しているのです。アートマンは否定したが、アートマン無しの転生は肯定している
>というような話(詭弁ですが)などではありません。
違います。正反対意ではありません。「アートマンはない」などと説いた経文は存在しません(あるならば
それを出してみて下さい!)。アートマンの永久不滅論についてを否定したのです。またこれは、低我の
アートマンとの同一視に対する誤りなども含むでしょうね、やはり。死後をも続く意識について、様々な経で
説かれているのです。これを否定したら断見なのです。誤解しています。
95:神も仏も名無しさん
09/02/01 04:14:58 fGHo0ADQ
>>93
横レスですが、
>極悪非道な鬼畜には
あなたの輪廻説の信仰は、結局、「極悪非道な鬼畜には相応の罰が下って欲しい」という願望の反映でしょう。
しかし、「事実」かどうかは、「願望」と無関係なはずです。
もし、極悪非道な人間がよい目を見て、善人が不幸な目にあうような理不尽な世界が現実であったなら、
いくらあなたの「願望」に沿わなくても、仕方ないんですよ。
でも心配しなくても、ちゃんと現実の世で報いを受けるのです。
極悪非道な人間は、いくら世間的に成功していても、心は貧しいのです。人からは嫌われていることを自分でも
自覚しているものですから。いくら強気に振舞っていても。それに犯罪人になれば法律で罰せられますし、
世間から白い目で見られるという報いを受けるのです。物質的には理不尽なことはいくらでもありますよ。
しかし心の問題としては、ちゃんと報いを受けるのです。
極悪非道なことをして平気でいるように見える人間も、本当は全うな人生を歩み、善い行いをして人から好かれる
人間になりたいはずです。それが叶わず心の中で苦しむのです。
96:神も仏も名無しさん
09/02/01 04:34:33 fGHo0ADQ
>>94
アートマンについても同じです。アートマンを否定したと書いたのは書き方が悪かったですが、「アートマンはない」という
意味ではありません。
アートマンはあるという見解 常見
アートマンはないという見解 断見
この両方を否定したのです。アートマンなるものも、私たちに認識できない事柄だからです。
「永遠不滅の実体」なんてものを一体どうやって認識するのです?「実体」や「主体」という
言葉自体、よく考えれば曖昧で、具体的に何を指しているのか、誰も示せないのです。
ですからそのようなものについて議論するのは不毛なのです。アートマンももともとは
ただの「わたし」という意味です。そこにヴェーダなどで抽象的な意味を付与するから、
誤解・執着が生まれるのです。
(スッタニパータ)
1119 「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。
そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」
(ダンマパダ)
279一切の事物は我ならざるものであると明らかな知慧をもって観るときに、
ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
「自我に固執する見解」は「アートマンはあるという見解」、「アートマンはないという見解」の両方です。
両方ともアートマンに固執しているのです。
「一切の事物は我ならざるもの」というのは、我々が認識できる事物一切は、無常ですからアートマンではないのです。
ですが「アートマンがどこにもない」かどうかは別問題です。それは認識できませんので、誤った見解ということになります。
97:宝珠愚者
09/02/01 04:49:54 7Yp/x8/s
>>83
>他の断見や唯物論の外道と仏教も「実は」「考え方によっては」
>僅かな相違だと主張する人の意見も許さなくては、公平・客観的とは言えなくなりますよ。違いますか?
外道とはゴータマの教えとは違うということであり、その中身においては近しいレベルから遥かに遠く離
れた思想までも含みます。断見外道は業報、及び死後の断滅を説くもので、これは最悪にして最強。ゴー
タマから最もかけ離れた見解なのです。これ以上のものはない。
また、今生の中での業報を認めるといった偏見は通用しません。外道は自由であり、いろいろあっても
それら全部が外道ですが、仏教には今生だけの業報なる見解はありません。
>>84
>仏教とジャイナ教が双子だという主張は中村元の弟子の渡辺研二という人の
>そのまんま受け売りでしょうけど。
すみません。私は仏教に詳しくないのでよく知りません。
98:神も仏も名無しさん
09/02/01 04:59:22 fGHo0ADQ
>>97
>私は仏教に詳しくないのでよく知りません。
なんということ・・・
納得。
99:380
09/02/01 07:52:44 9+5ThHKe
>61
56さんは電波説について陳べているのに、それに答えるあなたはやはり電波さんとやらですか?
さて
>第一時結集の時には、教えを確認する資格があったのはアラハンである直弟子だけとされていますから、
>その頃はまだ正しい教えだったはずです。しかし経典を現代まで伝えてきたのは悟った人ばかりではありません。
>教団を構成している人の大半はむしろ悟っていない修行僧たちです。その中には人生の大半を在家で生きた人も
>たくさんいるでしょう。
あなたも想像力の逞しい人ですね。しかもまだ在家にこだわる・・・。
第一結集のアーナンダの伝承もあなたの言うところの不肖の弟子が
改竄して伝えた経典によるものかもしれませんよ?
なぜそこだけは疑わないのでしょうか?
結局は先に結論ありきの牽強付会ということですね。
それに「はずがないでしょう」とか「はずです」とか「でしょう」とか根拠なく陳べられても・・。
それが許されるのなら
「仏陀は輪廻を説いたはずだ。しかし、南伝ではその伝承が伝わらなかったか途絶えたのでしょう。」
と、言うことも可能になってしまいます。
100:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/01 08:01:01 h+E1sRfx
>>49
>解釈など不要です。「輪廻転生はない」と説いた文章は経典のどこにありますか?
>>59
>全く逆、『第一義空経』は主体のない縁起による輪廻を説いているんです。
>これは夙に木村泰賢先生が指摘することであり、
>『第一義空経』の引用箇所や、『因縁心論』『ミリンダ王の問い』と一致する内容で、
>この理解がないというのは、縁起も空も全く分かってない証拠ですね。
では、第一義空経について触りの部分だけ解説いたします。
「生起するも生起するわけではない」。→第一義空経より抜粋。
この意とするところは、生起を論じてますけど・・・即否定となってますね。
つまり、
「生起する」ということは、生起しない状況を前程としますから、
「生起しない」という状況があって、そこより何らかの変化がある。ってことになる。
また、
「生起しない」という状況がないなら、そこに何らかの変化がある。ってことにはならない。
つまり生起はありえない。
ということになる。
つまり「生起する」という語義自体が論理的矛盾を含んでまして、
もしも仮設であるにしろ、論を立てた瞬時にすでに論が破壊されてしまうのです。
これが「即否定」の意味でありまして、
仮に>>59氏のように
>主体のない縁起による輪廻を説いているんです。
というような意味付与しても、根底から論が崩れてるもんですから戯論にしかならない。
木村泰賢先生は大間違いですね。
101:神も仏も名無しさん
09/02/01 08:35:41 j4RDywq/
>前スレ688
>現在、検討中です。一応、関連文献の検討は終わりました
>中観スレですね。了解しました。
繰り返して申し訳ありませんが、もしも宜しければ、
「デルゲ、チョーネ」「ナルタン、北京、ラサ(金写)」「ショル版」の
『宝行論』1.48-49(特に49)の蔵訳、及び、アジタミトラ註の同箇所を
中観スレの方で、邦訳を御示し頂くわけにはいかないでしょうか?
もちろん不可でも結構です。
102:1/3 初代スレ7
09/02/01 08:36:06 /duY1DXc
>>93
> しかし、先般述べたような極悪非道な鬼畜には、こんなことをいっても通用せず、ますますエスカレートす
> らしかねない。死後の業報を説明しても、そんなものは信じないといってたぶん聞かないでしょう!止めら
> れるものはないのかもしれない・・。
> 肝心なことは、業報は自然法則であるが故に、本人が信じる信じないか関われず、本人に非情に作用し
> ます。この鬼畜も当然、ただで済むことはない。自己の行為と同等の代償を自らの苦悩で以って味わうこと
> になるのです。これが天がもたらした平等の作用です。
予想通りというか期待通りの反応でワロタw
103:2/3 初代スレ7
09/02/01 08:37:05 /duY1DXc
>>93
そう。
御指摘の通り、普段から自己を大切にしていない人(自分が嫌いな人、やけっぱちになってる人等)は、
「なにそれ?馬鹿じゃないの?」と、その意味を理解しないでしょう。しようとしないでしょう。
宗教者・教育者等、或いは道徳心あり慈悲心ある大人達は、或いは親御さん・保護者達は、
この部分へ届く言葉を持たねばなりません。模索せねばなりません。
(だから、幼児教育、児童教育は重要なのです。
「自分を大切にすること」、「自分の存在・在り様を許すこと」、
「“ここ”に居てもいいんだ・・」(→「生きていてもいいんだ」)、
「自身もまた、無数に生きる多くの“いのち”と等価であること。劣ってなんかいないこと」
を実感させることが重要なのです。
そして、これを実感させ、良いベクトルへと向かわせるのは、
「断滅(死んだら終わり)」という思想でもなければ、「輪廻転生(次がある)」という思想でもない。
具体的な、世俗の、日常の、他者との関わり合いの中に根を下ろした、道徳的言葉や行為達であろう。)
〔「自己を大切にしない、自分なんかどうなってもいい」と考える者は、来世の自分だろうが何だろうが意味を見出さないでしょう。
効果の薄さでは似たり寄ったりじゃないですか?来世云々は関係ないのでは?〕
というレスも用意していたが、この方向の言葉はないようだ。
>止められるものはないのかもしれない・・。 という告白が示すように・・。
その代り、(>>95さんも触れていますが)、「報いがあってほしい」「罰があってほしい」というベクトルが、より鮮明になりました。
(勿論、その“ベクトル自体”は否定する必要はないと思います。
倫理面道徳面、或いは納得(わだかまりの処理法)等の面での重要な要素であろうとは思います。)
だから、次のように続けておこう。
〔マッリカーの逸話を骨格にすることが、現在の悪行を防ぎきれないとしたなら、
貴方の言う輪廻転生もまた、ブレーキとなり得ていないのでは?
(少なくとも>>93に於いてその効果・手段は述べられていない)〕と。
〔単に、「後々の罰があるかどうか」に過ぎないのでは?
「どうせ後で罰を受けるんだから、今は仕方ない」というのと、どこが違うのか?〕と。
104:3/3 初代スレ7
09/02/01 08:38:30 /duY1DXc
>>93
> 死後の業報を否定する見解は、他人を救った殉教者もこの鬼畜も等しく扱うことになる愚行です。
(時期尚早となってしまったが)、この際、はっきりと貴方に問うておこう。
(私自身が考え中であり、考えの整理の為にも欲しい情報だし・・・。)
≪ 「“果”が等しい」とはどういうことか? 「“果”が等しくない」とはどういうことか? ≫ と・・・。
≪ >等しく扱うことになる愚行です。
そもそも、「等しく扱う」「相違を見て扱う」ということ自体、恣意的な分別ではありませんか? ≫ と・・・。
105:三代スレ170
09/02/01 08:46:01 uTPokk2+
66さんへ
>「神や霊など、人間が考えても無意味なものは考えるな」と戒めた点に、仏陀
>の比類の無い偉大さがある。
…まあ、お釈迦さんも神や霊とお話をしちゃう、電波な野郎なんだけどね。
「梵天勧請」のエピソードを考えるに、電波って奴も時と場合によっては良いものではあるのだけれど。
106:三代スレ170
09/02/01 08:50:17 uTPokk2+
86さんへ
>自分がジョン・レノンだと思い込んでいるジョン・レノンの偽者が、
>
>自分をビートルズのメンバーだと主張するポール・マッカートニーの偽者に向かって、
>
>「この偽ビートルズ野郎!」と、非難する。
うまい!たくみなたとえですね。
107:神も仏も名無しさん
09/02/01 08:55:14 j4RDywq/
>>100
『勝義空性経』については、漢訳のみで理解するのは危険だと思います。
宮下先生の梵本からの邦訳に拠れば、59さんの仰る通りであり、
『明句論』26章が引用し、『廻諍論』『縁起心論』も依拠する
『稲芋経』の「鏡の喩」等と同趣旨ですから、
漢訳は、サムケータ周辺を誤解していると思います。
108:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/02/01 09:08:50 7mNe+xW9
>>104
また中論馬鹿が、知った風の口を聞いてらぁ。
屁理屈はいいんだよ、屁理屈は。形而上のことばかりでなく、
形而下の事柄においても、不可知論にしてしまう、外道が。
こういう奴はよ、木刀でしばきまわしてやればいいんだよ。
ほれ、お前の悟りは、痛いも、快感も無い、中道なんだろ、
ほれほれ、としばきまわしてやればいんだよ。
いかにこいつらの中道が、糞の役にも立たない、
馬鹿馬鹿しい言葉遊びでしかないものか、少し利口な人なら、すぐに
見抜くんだけどね。
あのさ、中道とはあくまで、真理である、真我の領域のことであって、
この二元世界である物質世界は、善と悪があるんだよ。
”それ” は恒常であるとみると、常見となり、いずれは消えてなくなるものと見れば、
断見となる。言い方を変えると、それは見方によると恒常普遍のものではないが、
見方を変えると、恒常普遍なものである。またそれは、縁起で成るものだが、
見方を変えると、それ単独で存在しているものだ。そういうものだ。
一方この物質世界は、あくまで縁起でしか成り立たないし、いつかは滅びる
恒常普遍のものは一切無い。そういうものだ。ゴータマは、あくまで物質世界とは
そういうものだと説いたんだよ。おまえらのように、物質世界は、無常、無我を説く傍ら
舌の根も乾かぬうちに、い~や。物質世界は、無常であり、無我であるといったが
本当は、無常でも無我でもない、中道だべ~。なんてなことは言ってないんだよ、ば~か。
「一」から「他」へ。そして、「他」から「一」へ。
この世界は全て平等だというのは間違いない。なぜならこの世界の本質は、「一」だからである。
二つに見えることは、全て見せ掛けに過ぎない幻。本質は「一」なのである。ゆえに因果応報はある。
他人にしたこと、しなかった事は、全て自分自身にしたこと、しなかったことなのである。
他人に対して成した行為の報いは、いずれ自分自身が受け取ることになる。
109:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/02/01 09:19:17 7mNe+xW9
ここの頑固な断滅外道仏教徒に皆さんは、
浄土系の人達だったんですね。
南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛と無意味な念仏を唱えるだけで
自分達は救われると、最も下らない最もゴータマの仏教とは違う道を行く
似非仏教徒たちが、われこそ、ゴータマの仏教、原始仏教を語るこの不条理さよ。
あの電波って男も、浄土系の人なんだって?
悪貨は良貨を駆逐する。ま、悪が支配するこの物質世界だ。
まがい物が、本物より評価され、メジャーになるなんてことは、宗教界には
よく見られる光景だわな。
110:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/02/01 09:40:28 7mNe+xW9
ジャイナ教の過ちは、苦行によるカルマ落としにある。
悪を成した報いは、いずれ自分自身が受け取ることになるが、
それはあくまで自然に任せるべきである。
そうすtれば勝手にその報いは受ける。それを自分は救われたいからと、
そのエゴのまま、自らカルマ落としと称して、自らを傷つける者は、自分自身を
傷つけているつもりが、他人をも傷つけている。
他人を助けるために、自らの命を捨てるのとは、わけが違う。
我々は本当は一つだ。
人を殺す者は自分自身を殺している。
そして自分自身を殺す者は、他人をも殺している。
人殺しは生きない。死人のままである。
ジャイナ教は、カルマ落としと称して、苦行で自分自身を傷つける。
それは「人」そのものを傷つけている他ならない。
彼らは悪のカルマを落としているつもりだが、その行いによって、さらに悪のカルマ
を積んでいることに他ならない。その報いは受ける。
真理に至るには、好き嫌いという自分のエゴを捨て去り、
他人をも自分自身のことのように思い、愛する心を完成させることに他ならない。
これを善の修行という。この心を完成させた者は、善の修行を完成させた者である。
好き嫌いというエゴのフィルター無しに、全ての人を平等に愛する
ということは、自分自身をも愛することに繋がる。本当の自分自身をね。
自分自身を愛する心が無い者は、他人を自分自身のごとく愛することはできないのである。
111:神も仏も名無しさん
09/02/01 09:55:21 MJjMdhyV
>>100
>つまり「生起する」という語義自体が論理的矛盾を含んでまして、
>もしも仮設であるにしろ、論を立てた瞬時にすでに論が破壊されてしまうのです。
>これが「即否定」の意味でありまして、
また、適当な妄想をw なんでも京都学派論理、でもただの現状肯定。
>>101
まだ、不十分な内容ですがあげときました。
>>107
仰る通りですが、机さんは>>57で月称菩薩が仰る通りですから。
私も含めて悟ってない人の主張は全て本質的には机さんと同じなんでしょうがw
112:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/02/01 10:05:33 7mNe+xW9
オバマは、大統領就任式の演説で、宗派を超えて、皆が一つにという趣旨の
演説の中で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教などの名前は挙がったが、
仏教はいわなかったろ。あれは意図的に言わなかったんだよ。
君らは仏教の無我思想を誤謬するあまり、至高の存在さえ認めない。
イギリスの王族や、アメリカの大統領。財閥などの、実際に世界の経済を動かしている
支配層の人々がメンバーにいるある団体では、そこの集まりでは決して
政治の話や、宗教の話はしてはならないが、そこのメンバーになる条件は、宗派は
問わないが、無神論者は、決してなれないということ。つまり至高の存在を認めない多くの
仏教徒達は、そこのメンバーにはなれないということなんだよ。
前スレで、唯物論者でも、私は自然を愛するものですといえば「、欧米人からも
尊敬されるといっている人がいたが、大きな勘違いだ。至高の存在を認めない無神論者は、
決して彼らから、尊敬を集めることもなければ、兄弟だと、仲間として認められないだろう。
113:初代スレ7
09/02/01 10:09:56 /duY1DXc
>>112
なんだ、カラスの動機は西洋コンプレックスだったのかw
114:初代スレ7
09/02/01 10:11:38 /duY1DXc
(もはや余分かもしれないが)、もう一つ指摘しておこう。
>> スレリンク(psy板:85番) では、
> ただし、基本原則的にはこの一枚の紙の喩通りですが、
> 状況により特殊ケースにおいてはこれも絶対ではありません。
と述べ、>>52では
> >上のようなことが起こらないと断言できる理由を教えて下さい。
に対し
>個々のケースでいろいろでしょう。しかし、基本的にいえることは・・・・・・
と述べる。 (実際は、個々のケースなど、これっぽっちも考慮していないw)
前者は、「断滅に於ける特殊ケース」であり、
≪「特殊ケース(個々のケース)【が存在するから】」「断滅の道徳理論は不完全である」≫という主旨。
後者は、「輪廻業報思想に於ける特殊ケース」であり、
≪「特殊ケース(個々のケース)【は存在するけれども】」「輪廻業報思想の道徳理論は完全である」≫という主旨。
皆さん、なんかおかしいと思いませんか?w
※どちらも、特殊ケースをフォローする言辞が要請される点で変わりはありませんが・・・。※