09/02/01 16:38:22 7Yp/x8/s
>>140
>輪廻というのは世俗諦の話ですよ。
我々、凡夫は空で縁起してる肉体に自己意識があるのです。この意識境が世俗諦です。
その限りにおいては転生は免れない。転生とは再び肉体を持つことです。
>>132
>そうですよ。
そうではなく、出現したのか?それともゴータマの幻覚か?
と聞いてるのです。
146:神も仏も名無しさん
09/02/01 16:42:03 MJjMdhyV
>>145
もう、結構です。失礼しました。
147:神も仏も名無しさん
09/02/01 16:46:16 DQYqdr1X
>>123
>>共同体の不特定多数の成員が、私の「身体」を知覚できれば、私は、共同体において、
>実在と認められます。
>それは空と矛盾しないのでしょうか?
まさに「空」ですよ。「自分(個)は、他者との関連においてのみ、存在し
得る」のですから。自分(個)独立では、存在し得ない(無自性)。
従って、デカルトのコギトの命題は誤り。
西洋思想の誤謬の根源としての、デカルトのコギトについて、仏教の立場からの
批判をお願いします。
148:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/01 16:49:52 h+E1sRfx
>>137
>何故、キリスト教では下層民の不満なりを来世に繋げないのです?
それは旧約聖書を読めが明らかですよね。
最初神は、天地創造からアダムとエバ(イブ)を想像して、
それで理想世界を造ろうとした。
しかしエバの失敗によってこれを断念せざるを得ない。
この脈絡がある限りは、これが永久に続くということですから、
それで終了ですよね。
キリストの他に救世主(メシア)が出現すれば、新展開になる可能性はあるのしても
現段階においては、ないですね。
また、人間の創造は神の一存で決められたわけですから、
そこに人心が入ることはない。
(これは一神教の特徴ですね)
149:神も仏も名無しさん
09/02/01 16:53:52 7lnUaupq
>>53
>知識、理論だけで「知ってる」「認めます」とはいっても、狂気が都合のいい身勝手な言い訳を見つけ出す
のですよ。・・・人は様々に差別しますが、しかし、法(天)の上に人間は平等なのです。
輪廻転生も知識、理論だけで「知ってる」「認めます」と言ってるのではないですか?
>>54
>輪廻転生を説いたらカルトなどという論理が成り立たない。
↑ と断定できる理由は何ですか?
>>68
>教会の教え=イエスといった愚弄は馬鹿げています。
↑イエスの教えと教会の教えの違いを明確に提示して下さい。何回もイエスの教えではないと言われるので・・
あなたの論は、どこかおかしいのですょw つまり、表面上、非常に口が上手いのです
宗教セールスマンの特徴は ↑ ですねw (笑
150:神も仏も名無しさん
09/02/01 17:02:30 7lnUaupq
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
■ 宗教とは、本当に困ったものだな。 ■ (#/_ _)/
現実上根拠皆無な、百人百様の妄想を、あたかも事実であるが如く、狂ったように主張する。
その妄想は、他者によって「植え付けられた」もの。★
人間は、現実界に100%依存しない限り、その生命の維持は不可能で、信仰そのものが
存在し得ない、という自明の事実をすっかり忘れている。☆
1個人に過ぎない開祖や教祖を、あたかも「完全な人間」であるように勘違いしてひたすら盲信する。
「すべての人間には、長所もあれば短所もある」のが、唯一の「真理」であるのに。☆★
この「根拠皆無な妄想」を一旦植えつけられると、それから離脱することは、殆ど一生不可能。
結局は、妄想の中で、酔生夢死の一生を送ることになる。 勿論、社会には、何の貢献もできない。
幸運にして離脱に成功しても、「のた打ち回る苦しみ」を味合わなければならない。
宗教は、古代人が生存するための「手段」の一つとして発生した。すべての人間に共通する唯一
の普遍の事実は生存本能(生命)である。古代人は、生存の「手段」である宗教を、生存の「目的」
とするような倒錯には陥っていなかった。彼らにとっては、生存のための精一杯の「合理性・現実性・
科学性」の表れであり、現代の科学に相当するものだった。
宗教のいかなる奇跡も及ばない科学の発達により、宗教はすでにその役目を終え、現代では、
その多くの弊害故に、法律をもって廃止すべきものである。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
151:神も仏も名無しさん
09/02/01 17:20:22 DQYqdr1X
>>137
>何故、キリスト教では下層民の不満なりを来世に繋げないのです?
「(心の)貧しい人々は、幸いである、天国はその人たちのものである。」
(山上の説教)
ちゃんと来世に繋げているではないか。
イエスは、自分を信じさせる「目的」のために、「弱者」「貧者」に擦り寄り、
「幸い」「天国」などの「甘言」で釣ったのである。
彼の教えは、基本的に、このような「人間差別」に基づいていたために、すべt
誤りなのである。ニーチェが、「弱者のルサンチマン」として厳しく批判する
所以である。
152:神も仏も名無しさん
09/02/01 17:20:37 MJjMdhyV
>>147
>>>共同体の不特定多数の成員が、私の「身体」を知覚できれば、私は、共同体において、
>>実在と認められます。
>>それは空と矛盾しないのでしょうか?
>
>まさに「空」ですよ。「自分(個)は、他者との関連においてのみ、存在し
>得る」のですから。自分(個)独立では、存在し得ない(無自性)。
仏教の縁起とはちょっと違うと思います。
原因と諸条件によって x が発生する、縁起する、認識される。
実在というと真実に有るという語感があるので、ある、とか存在するという
なら
仮設としてありだと思います。
>西洋思想の誤謬の根源としての、デカルトのコギトについて、仏教の立場からの
>批判をお願いします。
昔読んだだけでよく覚えていませんが、
我思う、故に我あり。というのは、縁起と違って、
何か知覚や現象があるからには、基盤として実体、実在がなければならないという前提、仏教的には無明があると思います。
しかも、凡夫認識(ボンサンス)が基準となってますから、
まさに常識世界観、ローカーヤタに近いのではないでしょうか?
ここから、世界を量化、数値化、対象化して捉える世界観が始まったとよく言われますね。
この世界観ですと物質がどうなってるかは緻密に客観的に記述できても、
どうすべきかという行動原理が全く提示できないところに
ハイデガーなどが批判する技術社会の疎外と苦悩があると思います。
以上のような感想みたいなものでよろしいでしょうか?
153:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/01 17:24:38 uRC7gv2m
>>139
>おっしゃる意味は分りますが、質問に答えていません。
>何故、キリスト教では下層民の不満なりを来世に繋げないのです?
一度答えてますが、再度の質問に答えます。
あのですね、キリスト教というのは、
下層民であっても上層民であっても・・・そういうふうに神が被造したんですよ。
だから、
下層民だからどうだ?上層民だからどうだ?
と批判することは許されないのです。
(これは神を批判することにもなる)
例えば、
下層民だから救済しよう。って段階で・・・それは神の被造物破壊になる。
(マザーテレサは、あえて禁を犯したことになる)
で、貴殿は、下層民は不満があって、上層民は不満がない。とお考えか?
(その考え自体がキリスト教的ではない)
154:宝珠愚者
09/02/01 17:25:39 7Yp/x8/s
>>143
机さんはねぇ~ラジニーシ(1931年-1990年)と言ってることが殆ど酷似してるのですよw
拝見してるとその思想の印象としてはね・・。
彼は禅が好きだったようで、晩年はOshoと呼ばれることを好みました。
ところで、机さんはクリシュナムルティーを知ってるようですね。
実際、著作は丸々1冊、読んだのですか?
155:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/01 17:32:21 h+E1sRfx
>>154
禅師は、根本的なとこは殆ど同じですよ。
個性は違いますけどね。
>実際、著作は丸々1冊、読んだのですか?
本は速読で充分ですね。
要点だけ拾い読みすればいい。
本は買ったことは殆どない。
156:神も仏も名無しさん
09/02/01 17:51:02 DQYqdr1X
>>152
>仏教の縁起とはちょっと違うと思います。
>原因と諸条件によって x が発生する、縁起する、認識される。
>実在というと真実に有るという語感があるので、ある、とか存在するという
>なら仮設としてありだと思います。
仏教の縁起とは、そのような単に時間的・逐次的な概念で、空間的・同
時的要素は除外するのでしょうか。「色即是空・空即是色」は、まさに、
その両方の要素を包含するものだと思いますが。
この世界は、「人間」の目に映じた世界ですから、「仮設」であるのは
当然です。されど、その仮設の世界こそ、人間が現に生きている、生きる
べき世界なのです。
デカルトは近代西洋哲学の父と呼ばれる人。そのコギトをどう批判でき
るかが、キリスト教などの西洋思想と仏教などの東洋思想をと分かつ分
水嶺だと思います。
157:神も仏も名無しさん
09/02/01 18:21:23 hPHqu/TL
100歩譲って語られた言葉が比喩だとしよう。
比喩を比喩だと認識してしまえば、導く者の示した道を失ってしまう。
あらゆる物事に等しく批判的であると自称する批判者には行き着く処が無い。
158:宝珠愚者
09/02/01 18:31:54 7Yp/x8/s
>>149
>輪廻転生も知識、理論だけで「知ってる」「認めます」と言ってるのではないですか?
ゴータマは大いなる意識と自らの超常体験によって確認したのです。
輪廻転生を認めなければ理論的に仏教の教えが崩壊します。
>「輪廻転生を説いたらカルトなどという論理が成り立たない。」 ↑ と断定できる理由は何ですか?
輪廻転生を説かない仏門というのは、
阿弥陀にすがる浄土教のような似非仏教の他には存在しないのです。
>↑イエスの教えと教会の教えの違いを明確に提示して下さい。
>何回もイエスの教えではないと言われるので・・
読んで下さい!スレリンク(psy板:209-210番)
この中で紹介した「イエスと仏陀の説く真理真実とは?」スレの私の投稿には詳細があります。
159:宝珠愚者
09/02/01 18:32:39 7Yp/x8/s
>>148>>148
知識は豊富ですが・・いいでしょうか!キリスト教における輪廻思想は異端のカタリ派のみならず、本
来、元々は説かれていたものです。これは仏教の場合における輪廻転生の後付説とは違い、ネタの上
がっている確立した根拠のあるものです(クリスチャンは認めたがりませんが)。で何故、キリスト教から
輪廻思想が排除されたかは分りますか?
スレリンク(psy板:201番)
>>155
或いは、クリシュナムルティー(1895-1986年)に被れても、また似た状況に陥る・・。まずはラマナ・マ
ハリシ(1879~1950)について知ったほうがいいです。そこから更に、ジュニャーナだけでは無意味だと
いうこと。そして、クリシュナ(紀元前3000年頃)の説く、「行為の道が非行為の道(ジュニャーナ)に勝る」
という教えについて知るならば、輪廻と勝義の関係について分るのです。
殆どの者にとっては役立たないのが勝義の教えです。それだけで済む者は僅かであり、ごく少数です。
そういう人は今生に生まれたときからすでに解脱に近いレベルにあるのです。
160:宝珠愚者
09/02/01 18:34:24 7Yp/x8/s
間違えました。
>>148>>153ね
161:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/01 19:08:16 uRC7gv2m
>>159
スレリンク(psy板:201番)
この↑書込み読みましたけど、
>聖書には生まれ変わりを示す教え(及び行為の結果が自己に返ってくるとい
>う業報の教え)は削除されることなく、そのまま今も残っています。
あのですね、
仏典も捏造がありますけけど、
聖書はそれ以上に捏造がありますから、
聖書をそのまま信じ込んでしまうのは痛いですね。
たとえクリスチャンでも、そういうことは見抜いてほすい。
業報というなら、神にとっての業報であり・・・
この場合は対人間にとっては有効ではない。
ゆえに、
神と相対するサタン抹消こそが「善き報い」ということになる。
(これは非常に危険ですね)
中世ヨーロッパの魔女狩り的なことは簡単にできちゃう。
(人間に都合がいいように改ざんされてる)
#、では、おやすみなさい。
162:神も仏も名無しさん
09/02/01 19:51:12 Voghe/30
>>112
>イギリスの王族や、アメリカの大統領。財閥などの、実際に世界の経済を動かしている
支配層の人々がメンバーにいるある団体では、そこの集まりでは決して政治の話や、宗教
の話はしてはならないが、そこのメンバーになる条件は、宗派は問わないが、無神論者は、
決してなれないということ。
↑
>悪貨は良貨を駆逐する。ま、悪が支配するこの物質世界だ。(>>110)
163:神も仏も名無しさん
09/02/01 19:53:26 Voghe/30
>>162の訂正
>>110 → >>109
164:神も仏も名無しさん
09/02/01 20:27:23 VQlu8QDA
スレリンク(psy板:209番)
イエスの噂を聞いて発せられたヘロデのこの発言は生まれ変わりでしょうか。
この時のイエスは赤子ではなく、大人です。生まれ変わりととるとすると、
死んだヨハネが時間旅行して母親(マリア)の子宮に宿ったと考えなければならなくなります。
新しく生まれ変わったのではなく、殺したはずのヨハネが死からよみがえり
(その年齢のまま)引き続き活動を行っているのかとヘロデは考えたのでしょう。
スレリンク(psy板:210番)
マタイ22:32神の性質の説明が、どうしたら(人間が至る)境地の説明になるのか不明。
黙示録3:12も「神からくる恩寵」という点で大きく異なります。
人間の努力や修行の成果ではなく、神のほうからもたらされるものです。
その他も輪廻やニルヴァーナを持ち出さなくても、聖書の中で書かれている思想で
説明がつくものです。
165:神も仏も名無しさん
09/02/01 20:32:21 MJjMdhyV
>>156
同時解釈もあります。
仏教の凄いところは重層的で、しかも単純明解な入り口になっているところです。
重層的な高度な意味がどこまであるか私には分かりませんけど。
166:神も仏も名無しさん
09/02/01 20:45:40 O5R4EuIl
>>97
>>他の断見や唯物論の外道と仏教も「実は」「考え方によっては」
>>僅かな相違だと主張する人の意見も許さなくては、公平・客観的とは言えなくなりますよ。違いますか?
>
> 外道とはゴータマの教えとは違うということであり、その中身においては近しいレベルから遥かに遠く離
>れた思想までも含みます。断見外道は業報、及び死後の断滅を説くもので、これは最悪にして最強。ゴー
>タマから最もかけ離れた見解なのです。これ以上のものはない。
遠くも近くも、あなたのような明白に「外」の人間が、これは遠い、これは近いを
論じることができると考えるのが、そもそもの誤りです。
中にいる人間から見て、それは近いとか、それは離れているが、見えるはずです。
そうでない人間に見えているものはどこまでいっても100%ピュアな妄想です。
「五十歩百歩」以外の何ものでもありません。
167:神も仏も名無しさん
09/02/01 21:00:02 O5R4EuIl
>>124
> 梵天勧請の梵天や苦行を止めるよう誘惑した悪魔、悪魔相応の悪魔といったものに関しては、自己意
>識の心理描写です。梵天といった人格神が出現したり、魔界の化け物が出現したりしたわけではありま
>せん。
へえ、意外とつまらない考え方をされているのですね。中村博士の考え方を採用して
いるのですから、そうなるのは当然ではあると思いますが。
このへんは、偽レノンと仲の良い、偽リンゴ・スターならぬ、明けの明星論者のカラ
ス氏の意見はどうなんでしょうね? 彼の方がもっと神秘的(ロマンティック)に考
えていそうですが。
168:神も仏も名無しさん
09/02/01 21:29:38 O5R4EuIl
>>159
>そこから更に、ジュニャーナだけでは無意味だと
>いうこと。そして、クリシュナ(紀元前3000年頃)の説く、「行為の道が非行為の道(ジュニャーナ)に勝る」
>という教えについて知るならば、
ジャイナ教のニガンタ・ナータプッタは、身口意のうち身による業を一番重視
していました。ちょうどあなた(の賛同するクリシュナ)の考えと同じように
です。あなたは以前にも奉仕がどうのと言ってましたね。
これに対して、それを聞いたゴータマ仏陀は「意が業として一番重い」と述べ、
さらにそのことを伝え聞いた、ナータプッタは、「身による業が明らかに重い
に決まっているではないか」と訝しんだそうです。ちょうどあなたが、ジニャ
ーナだけでは駄目だと述べているのに対応します。
中村論者のあなたから見て仏教とジャイナ教は双子に思えるみたいですが、そ
の仏教とジャイナ教の間での見解の相違点については、あなたはジャイナ教側
に立場が一致しています。無我論と真我論の対立も仏教ジャイナ教間での歴史
的な論点でした。
ちなみに、渡辺研二氏は、仏教学者ですが、研究は主に六師外道についてのも
ので、ジャイナ教についての本を二、三冊書かれています。といっても、氏は
中村元全集のジャイナ教について書かれた巻の執筆を一部手伝われていて、そ
の巻のダイジェスト版のような本を渡辺氏の名義で出したような形なので、も
し読まれるなら中村元全集の方を読まれることをお勧めしますが。
URLリンク(www.chugainippoh.co.jp)
169:神も仏も名無しさん
09/02/01 21:50:28 MJjMdhyV
>>168
『ウパーリ経』ですね。その最後に出てくるナータプッタが
血を吐いて死んだといことの真偽をご存知でしょうか?
よろしければ教えてください。
170:神も仏も名無しさん
09/02/01 21:55:01 O5R4EuIl
>>78-79
宝珠愚者さんのジャイナ教に対する批判は主に苦行の実践面についてです。
しかし、あなたが、中村元をたよりに文献面から仏教のイメージを作り上げている
ように、ジャイナ教も経典から文献学的に思想面についてアプローチするならば、
むしろジャイナ教の方に適合性が高いことに気付くでしょう。
ジャイナ経典からは、いくらでも比喩的に神話として述べられたのではないかと推
測できることがあるのですが、そういった事柄を、極端に現実的に受けとってその
まま実践すると、現状のジャイナ教徒の形態となるのではないかと。
基本的に、魂(何らかの自己の実体)とその修行という関係性で世界(人生)を捉
えている点では、あなたの神智学にはジャイナ教の方がはるかにフィットするはず
です。
171:神も仏も名無しさん
09/02/01 22:02:53 FEHMX+hV
>>119
>この仏教の回答の前提が、他ならぬ業報・輪廻です。
>そして、それを導き出す時に用いるのが正に縁起です。
「何故人を殺してはいけないか」の理由についてよく引用される法句経の有名
な「己が身に引き比べて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」は、業報輪
廻にも、縁起にも関係ない。人間の本質としての共同体性を射程に入れた、
「思いやり」に基づき、「殺してはならない」ことの「原理」を、簡潔、雄渾
に述べた大文章。聖書などには、どこを探しても見当たらない感動的な一章で
ある。この一文だけでも、仏教の価値は充分にある。
172:宝珠愚者
09/02/01 22:11:05 7Yp/x8/s
>>164
>イエスの噂を聞いて発せられたヘロデのこの発言は生まれ変わりでしょうか。
はい、それはごめんなさい!かなり不正確な記述でしたね。あなたの指摘が正しいです。生まれ変わ
りが当たり前のものとして当時にも認知されていたという意味と、これは一緒にして纏めてしまったので
す(笑)
この時のヘロデの発言は洗礼者ヨハネの霊的な力による鼓舞が働いている、というものです。「イエス
と仏陀の説く真理真実とは?」スレの「聖書の中の再生誕とカルマの教え」と題した投稿を読まれて下さい。
「マタイ22:32」は、死者の復活について述べているのです。神は死人のためではなく、生きている人間
のためにあると述べている。完成者は死を克服し、復活も可能であるということであり、イエスはそれを
示そうとしている。
「黙示録3:12」は、征服者(勝利者)はその境地から二度と堕ちることがないといっているのです。この
完成者、征服者(勝利者)というのは自己の霊性の進歩において困難を全て克服した者をいうのです。
あなたはどうやら、クリチャンのようであり、「人間の努力や修行の成果」について否定的なのだというの
は分ります。
それを神の恩寵(力)に拠るといいたいのであれば、それも間違いではありません。唯、神の他に存在
はしていないからです。業報の作用も神の力です。転生現象も神の御業です。
しかし、神の特定の個人に恩寵(力)をもたらす場合は選択される基準があります。その基準に合格す
るのは個人の努力なのです。
173:宝珠愚者
09/02/01 22:12:15 7Yp/x8/s
>>167
私は魔界の化け物はない、と言っているのではないのです(個人的には存在に肯定的です)。しかし、
この仏典の記述は自己意識の心理描写であり、文学形式なんだと見ましています。
紹介した「相応部経典23-11/羅陀相応魔」の中で、ゴータマは問いに答えて、五蘊が悪魔の正体だと
ハッキリと教えています。つまり、自己意識を低我へと縛り付けるこれら五蘊の存在と作用こそが解脱
の妨げとなる悪魔の誘惑だからです。
>明けの明星論者のカラス氏の意見はどうなんでしょうね?
仏典中の記述(根拠)については私は知りませんが、でも、否定はしません。ゴータマについてもそうい
うことがなかったとはいえない。「明けの明星」というのは重要な秘教的象徴であり、カラスさんの言いたい
ことについては理解できます。
174:神も仏も名無しさん
09/02/01 22:44:03 O5R4EuIl
>>169
真偽はわかりません。事実だとしても、ジャイナ教では当然、そのことは伏
せるでしょうね。パーヴァーという場所で死んだということについては一致
していると思います。
175:神も仏も名無しさん
09/02/01 22:52:51 6OW87D+w
>>172
> この時のヘロデの発言は洗礼者ヨハネの霊的な力による鼓舞が働いている、というものです。
「あれは洗礼者ヨハネだ」と言っています。
>完成者は死を克服し、
違います。聖書の世界観では預言者・聖者の力は神が与えたものです。
復活をはじめとする恩寵は本人が修行や努力をして得るのではないのです。
修行や努力による、と書き得るとしても、それは「神から評価されて」という意味においてです。
> 「黙示録3:12」は、征服者(勝利者)はその境地から二度と堕ちることがないといっているのです。
違いますね。あの文章は各人が個別に達するというものではありません。
「時」が来ると、神が世界をまるごと巻き込む「みわざ」を行うというものです。
でもって、こうした神の側からの干渉は旧約聖書から説かれているものです。
>唯、神の他に存在はしていないからです。
創造主と被造物は厳然と分けられています。聖書は汎神論ではありません。
>業報の作用も神の力です。
>転生現象も神の御業です。
聖書に明記されてあってはじめて言える事です。聖書の世界観はどうか、という話だからです。
あなたがしていることは、エゼキエル書に出てくるケルビムをUFOと解するのと変わりません。
>あなたはどうやら、クリチャンのようであり、「人間の努力や修行の成果」について否定的なのだというの
>は分ります。
こういうレッテル貼りはやめましょう。思想の違いを述べているまでです。
176:宝珠愚者
09/02/01 23:06:23 7Yp/x8/s
>>166
>遠くも近くも、あなたのような明白に「外」の人間が、これは遠い、これは近いを
>論じることができると考えるのが、そもそもの誤りです。
>中にいる人間から見て、それは近いとか、それは離れているが、見えるはずです。
>そうでない人間に見えているものはどこまでいっても100%ピュアな妄想です。
それは失礼しました。私は、個々の人々による見解の違いや個人の自由については、もちろん尊重します。
100人全員が完全、同一の理解と認識に至るということは在り得ず、それが起こるならそのほうが異常事態
です。個々の違いを知ることが重要。そこに互いに学びが在る。
しかし、言わせてもらうならば、外(私は仏教徒ではないと公言している)にある人間だからこそ見えるもの
もある。中にいるとそれが気付けない、という話はよくあることであり重要なことです。
>>170
分析に感謝です(苦笑)!! しかし、個人的には伝統のクリシュナのギーターとシャンカラ、近代のラマ
ナ・マハリシと神智学があればいいのであり、別にジャイナの教えが自分に必要だという認識は全くあ
りません。殊は足りています。
>>167
>中村博士の考え方を採用しているのですから、そうなるのは当然ではあると思いますが。
私は経典を読んでて、これがすぐに自己意識の心理描写だと理解できました。尚、この件、及び悪魔の
正体(五蘊)について明確に指摘した学者は、私の知ってる方としては増谷文雄氏です。
177:宝珠愚者
09/02/01 23:07:53 7Yp/x8/s
>>168
身口意の三業でいうと、身業口業というのは意業が先立ってなされるということが通常の意味と理解と
なります。
問題は自己の意識の焦点がどこにあるのか、どこに置かれているのか?そして、どの位置の視点から
それについてを述べるのか?といったこの二重の段階、この違いが様々な学派の差異として現れるので
す。しかし、内容をよ~く理解すると、結局、最終的には同じことをいっているに過ぎないものと理解される
ものが殆どなのです。
意識が低我に置かれていなければ、人は行為しててもそれは非行為なのです。この場合には意業の問
題も起きない。ジュニャーナとは、身口意の三業すべてにおいて、自己の行為であるとは見なさないことを
いうのです。しかし、我々一般人というのは身口意の三業のいずれかを行為せずにはいられない。従って、
ジュニャーナの教えは思考的には理解できても、現実には非行為でいることは決してできないのです。
行為の道とはつまり、ヨーガ(ハタヨガの意味ではない)であり、身口意の三業の三密加持(これは密教
的内容を意図せずに述べています)を意味します。
さすが詳しいですねぇ-渡辺研二氏についての説明に感謝!名前は聞いたことがあります。もう十数年、
仏教関係については読んだりしてなかったものですから・・恐らく以前に何かで見てるのかもしれません。
178:神も仏も名無しさん
09/02/01 23:11:28 Z7bFAOXR
まとめ
スレリンク(psy板:224-225番)n
↓
スレリンク(psy板:227-228番)n
↓
スレリンク(psy板:213番)n
↓
スレリンク(psy板:399番)n
179:宝珠愚者
09/02/01 23:23:12 7Yp/x8/s
>>175
>修行や努力による、と書き得るとしても、それは「神から評価されて」という意味においてです。
同じです。そのようなアプローチが望みならどうぞ!
>創造主と被造物は厳然と分けられています。聖書は汎神論ではありません。
私はキリスト教の理解について述べてるのではありませんよ(私は正しいとは全く見なさない)。キリスト
教がイエスの教えと聖書の記述を正しく反映したものと見なすのは愚行です。簡単な話ですよ。神、以外
には存在しないのです。
>聖書に明記されてあってはじめて言える事です。
自分で考えて調べて吟味すべきものです。聖書の記述など絶対ではありません。比喩と間違い、誤訳、
改変・・霊的に未熟な作家による記述であり、神そのものの言葉ではない。原理主義者のような発言です
ね?
聖書の記述で議論したいとは思いません。わたしは別に、あなたの見解を変えたいなどとは思わないの
で、どうぞお好きにしてください!
180:神も仏も名無しさん
09/02/01 23:30:36 Z7bFAOXR
>>179
>私は正しいとは全く見なさない。
>聖書の記述など絶対ではありません。
そう、聖書は宝珠氏の思想からすると、(霊的・宗教的な意味でも)誤りを含むものです。
でもって、私も聖書を根拠に輪廻転生は無い!間違いだ!と主張しているのではありません。
あくまで「聖書には輪廻思想がない」「聖書からでは輪廻転生を肯定できない」というだけです。
181:三代スレ170
09/02/02 00:02:35 uTPokk2+
>136 :神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 16:23:10 ID:fGHo0ADQ
>>>134
>何言ってるか分かりません。
>ブッダが生まれ変わりを説いたか説かなかったかを
>経典に基づいて考証するのがこのスレの目的じゃないの?
>生まれ変わり、来世、輪廻などを体感直知(妄想)することが目的じゃないはず。
そのはずなんですけどねえ…
肯定派も否定派も「輪廻はあるかないか?」に話をずらしがちなんですよ。
182:三代スレ170
09/02/02 00:25:07 SkTY63qs
118さんへ
>御釈迦さんは、「神や霊」の「実在」を認め、「肯定」したのでしょうか。
お釈迦さん自ら「俺っち梵天の野郎に頼まれちゃったぜ」とか言ってるんで、
「実在」がどーの、「肯定」がどーのという話では無いような気が…
>若しそうなら、「空」とは完全に矛盾しますね。「無記」との関係は?
さあ?
「お釈迦さんは矛盾したことを平気で言う野郎だ」
とするのが現代人に解りやすい合理的解釈にはなるでしょうね。
>原始仏典に「神霊」が出てくるのは、「輪廻転生」と同じく、バラモン教から
>の「過渡的現象」に過ぎないのではないでしょうか。
お釈迦さんは(現代人の常識からみて)電波ゆんゆんの変な野郎だったと
するのが、経典を読んだ上での素直な解釈になるかと思います。
お釈迦さんは2500年前の人間で、現代合理主義の世界観の上で生きて
いたわけではないのだから、変なこと言ったって良いじゃないですか。
それで納得いかないなら「お釈迦さんは間違っている!」と言えばよいだけですよ。
183:宝珠愚者
09/02/02 00:26:57 Zfp/6WZq
>>153
>で、貴殿は、下層民は不満があって、上層民は不満がない。とお考えか?
>(その考え自体がキリスト教的ではない)
そんなことはないです。それぞれの立場に応じた不満は付きまとう。
人間というもの、どんな境涯にあっても不満が生じます。
>>161
>あのですね、 仏典も捏造がありますけけど、 聖書はそれ以上に捏造がありますから、
>聖書をそのまま信じ込んでしまうのは痛いですね。
>たとえクリスチャンでも、そういうことは見抜いてほすい。
仏典に関しては、私の理解では捏造の意味というより、アンチ小乗としての大乗諸経典群というのはゴ
ータマの教説を纏めた原始仏典群とは異なるという趣旨のものです。原始仏典にはない、または反する
内容を説く教典にも「仏説」と付け加えてたことは、たしかに捏造的な批判を免れないかもしれません。仏
説としないと信頼性を評価されないからです。
原始仏典に関しても、後代のジャイナ・バラモン思想の逆流入含みであるとか、神秘性部分は全て後代
の神格化に過ぎないとして排除しようというものとか・・そういう意見は確かにあります。それらの説の信憑
性については確かな情報がありません。神秘性の排除の方向というのは唯物思考しか持てない非霊性的
で俗物的な見解にしか過ぎません(多くの仏教学者はその範疇なのか?)
184:宝珠愚者
09/02/02 00:27:43 Zfp/6WZq
尚、聖書に関しての評価、見方は机さんに同意します!
それで何故、キリスト教から輪廻思想が排除されたのか?についてです。
私は スレリンク(psy板:201番) において、
「553年に開催されたコンスタンチノーブルでの「第五次汎宗教(キリスト教)会議」において、皇帝が当時
の教会の長老たちにこの概念をキリスト教のドグマから排除するよう強いたのです。それ以来、教会から
学ぶ神学(教理)には転生の教えは失ったのです。」と、いいました。
つまり、キリスト教から輪廻思想が排除されたことについては、ネタは上がっているのです。
そして、同スレ213にて、「転生とカルマの教義はキリスト教から抹殺されたのです。イエスの絶対性を謳う
ためには非常に邪魔な思想だったからです。当時の権力者(皇帝)はキリスト教を支配の道具に使ったの
です。」と述べました。
185:宝珠愚者
09/02/02 00:28:29 Zfp/6WZq
では何故、この思想がキリスト教にとっては邪魔だったのか?
キリスト教を国教として定めて維持し、その統一性を利用して国を統治しようと目論む支配権力者にとって
は、キリスト教に完全な絶対性を持たせる必要があります。他の宗教思想に負かされるものであってはなら
ないのです。
当然、その完全な宗教とはイエスの絶対性において集約されたわけです。そのイエス個人の絶対性を謳う
ためには、他の人間の追従を認めず一切、許さないことです。それは如何なる人間であれ、真似ることすら
も許されないほどの絶対性です。
業報輪廻を認めるということは、イエスとて繰り返し転生経験を経ることで、やっと到達した境地であったこ
とに繋がる。また、他の人間もイエスのようになれる可能性を認めることにも繋がってしまうので、それでは
唯一なる神の子(元々、我々のような人間ではない)という絶対性の概念が崩壊してしまうからでした。
しかし、イエスといえども我々と同じ人間であり、繰り返し転生の中で到達した境地なのですが(であるから
こそ本当は驚異なのです)、教会はイエスの神の子としての絶対性に救いを求める思想なので、断固してそ
れを認めないのです。もちろん、イエスも明確に転生を説いたのです(聖書に記述あり)。これを説かない聖
者など、私からみればそれは完全なモグリです(そういう聖者を私は知らない)。
186:初代スレ7
09/02/02 00:33:12 s/+ThaW3
>>181
スレリンク(psy板:242番)
スレリンク(psy板:269番)
ノシ
187:神も仏も名無しさん
09/02/02 00:55:48 pIf7/vHI
ブッダが縁起=空と中道を説いたことを認めるなら
輪廻転生論は明確に経験的に確認不能の異質な形而上的戯論であり、
バラモン=ヒンドゥに汚染された落第弟子たちの落第経典であって、無視が正解。
輪廻転生論を完全排除した中道純粋仏教(非断滅・非常見)がブッダの真意である。
こんな妄想に迷っているのは時間の無駄、さて、励もう!
以上
188:宝珠愚者
09/02/02 01:09:35 Zfp/6WZq
>>161
>聖書をそのまま信じ込んでしまうのは痛いですね。
>たとえクリスチャンでも、そういうことは見抜いてほすい。
私は、キリスト教のイエスからあまりに掛け離れたドグマ(教義)の矛盾と、そして、聖書の記述そのもの
の捏造と改変についても、いろいろと知っています。下記に掲載するのは私の以前に書き留めたものです。
いつも同じ話題ばかりになっているので、ほんの少しだけ脱線しますw
【イエスの言行録とされている新約聖書/四福音書は、イエスの死後200年を経てようやく聖書として認め
られ加えられた文書であり、成立が最も古いと見なされるマルコの書はイエスの死後、最低40年を経てか
ら書かかれたと見られる。内容的にも福音書家たちは、解釈家であって伝記家ではなく、そして、まだ明ら
かだったことすらも分らなくしてしまった。彼らの意図は報道ではなく、事実の捏造と訂正だった。
こうしたことから「イエスは実在しなかった」とする説すらも出たが、紀元37年頃に生まれた非クリスチャン
のユダヤ歴史研究家による記述に、「多くのユダヤ人とギリシア人を惹きつけたイエスという驚くべき人物
がいたが、告発を受けてピラトによって磔刑に処された。しかし、イエスをはじめから愛していた人々は彼
から離れなかった」などとあったことからも、イエスが実在して磔刑に処されたことは事実であったものと見
られる。
キリスト教は国教として民衆をコントロールすべく政治に利用された。「宗教会議」によって、都合の悪い
内容は削除され改変されて、カトリックのドグマというべきものが形成されていった。他の諸教は全て異端
として弾圧し、都合よく様々に手が加えられていった聖書に絶対性を求め、そして教義を疑うことを一切、
許さなかった。
唯一なる神の子イエスという教義に絶対性を与えるためには、生まれ変わりの教えはとても都合が悪か
ったので、これも宗教者会議によって教義からは外されていく。何故なら、イエスの過去世に関心を向けさ
せることは、誰でもイエスにようになれる可能性と、イエスのような人物が他にも出現している可能性を示
すことを意味するので、イエスが唯一なる神の子ではなくなってしまうからだ。
189:宝珠愚者
09/02/02 01:10:08 Zfp/6WZq
現在でもキリスト教が繁栄しているのは、批判的聖書研究の結果が知られていないお陰です。
「マールブルクのフィリプス大学で神学の学位を得たヨアヒム・カールはこういっている。《キリスト者の無
知は、神学者、教会史家による情報の不足の結果である。学者たちは著作で、スキャンダル的事実を否
認するのに二つの方法を知っている。現実を曲げて全く反対のものにするか、被い隠すか、だ》--私はそ
れをともに信者に対する欺瞞と呼ぶ」--------(「奇跡」エーリッヒ・V・デニケン著/角川文庫)
では、聖書におけるイエスの言葉は全て無価値なのか、というとそんなことはない。それはキリスト教のド
グマに拠らないで自分自身でイエスの言葉を読むならば、おぼろげながらイエスの真意を感じることができ、
得るものはかなりある。
尚、私個人が惹かれるイエスについてのエピソードは、有名な「姦淫の女」の話し。「あなたがたのうちで
罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(ヨハネ伝8章7節)
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネ伝8章11
節)といい、姦淫を犯して投石で殺されようという女を救いだしている。
このユダヤ伝統の律法に逆らって女を助け出す、などという勇敢な人物がいたということに、私は単純に
驚いてしまう。そんなことをしたら、自分が捕らえられ殺されかねない(イエス試すために謀られた出来事だ
ったらしいが)
イエスは罪を犯さない人間などいないといい、自分は人を罰しない、と明言している。にも拘らず人々は、
イエスが裁くために帰ってくるものと見なしている。「自分が裁かれないために、人を裁くのをやめなさい。
あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです。」(マタイ7章1-2節)】
190:宝珠愚者
09/02/02 01:10:44 Zfp/6WZq
>>187
「空」というは、輪廻否定にはならないと思いますが・・。
では、あなたは何年修行すれば成仏できるお考えですか?
死期が近い者にとってはどうですか?
あなたも机さん同様、「はい、これで悟りましたよ!」などというのですか?
191:超スーパー女教師河合希
09/02/02 01:19:50 hajl1Jzf
憎く嫌いな相手の幸福を
強引に感情的に抵抗があってもイメージしながら
毎日毎日祈ることにより 悟り に 近づけます
そして その訓練した 因 は 来世に引き継がれ
来世は 悟りを得られる可能性がかなり高まります
192:宝珠愚者
09/02/02 01:37:12 Zfp/6WZq
>>186
う~む。やはり7さんの的確な洞察と分析力は群を抜いてる・・。
きっとその知性の高さが、転生の受け入れを拒絶してるのでしょうねw
193:宝珠愚者
09/02/02 01:53:28 Zfp/6WZq
エーと、議論とは違いますけれど。
ここで提案です。
繰り返し何度も投稿する意志のある方は、
できれば、やはりコテハンにされたほうが良いと思います。
コテハン個人に優劣があるといった余計な意味は一切ありません。
ただ日付が変わればIDも代わってしまうので、
つまり、誰が何々の内容でどんな意見であったかの確認を面倒にします。
すでに何人かのように、ただの番号名でも構いません。
もちろん強制ではありませんが、より議論を円滑にして
閲覧者にとっても読みやすくなるだろうと思います。
特定されることを敢て望まない方についてはそのままで結構です。
各自でご検討のほどをお願いします。
(この投稿に特にレスは不要です。同意される方だけ実行をお奨めしたい)
194:神も仏も名無しさん
09/02/02 02:08:57 vSSYRiTz
そもそもキリスト教自体、イエスの説いていることを理解できない地中海の馬鹿者共が、
アレはあんな意味だ、コレはこんな意味だと自分が理解可能な尺度に無理矢理はめ込んだに
すぎないインチキ宗教。下手をすると福音記者の書いたとされるイエスの言葉すら、
そういうユダヤ的、あるいはエジプト的なモノに毒されてしまっている可能性がある。
そういう意味では、イエスの思想を古代インド思想と照応させ、矮小な人格神からの解放を
訴えたベートーベンは偉大すぎる。ゲーテやシラーも、メタ的には同類で、彼らもまた
偉大だ。
195:神も仏も名無しさん
09/02/02 06:12:43 CqYT8DDU
過去レスの膨大さで宝珠愚者がプロの宗教家であることが確証!
会社員として働いてこんなに細かく検証することはできないでしょう
「大嘘つき」は、クリ達とそっくり! 全て嘘つき?
196:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/02 07:25:49 8iyu7LPb
>>181
一応、基本的なことを書いておきます。
>>何言ってるか分かりません。
>>ブッダが生まれ変わりを説いたか説かなかったかを
>>経典に基づいて考証するのがこのスレの目的じゃないの?
>>生まれ変わり、来世、輪廻などを体感直知(妄想)することが目的じゃないはず。
>そのはずなんですけどねえ…
口承でも経典でも、先ず勝義諦を記録するのは無理です。
釈尊は全部、世俗諦で説法している訳で、
「生まれ変わりを説いたか?」って言うのなら、説いた可能性は充分ある。
しかしながらそれは全部、世俗諦です。
勝義諦ですと「〇〇ではない」とかの否定文にならざるを得ない。
勝義諦のエッセンスとして般若心経がありますが、
文意としては意味不明です。→つまり否定の羅列ですから。
#、ではまた、暇なときにROMります。
197:神も仏も名無しさん
09/02/02 07:26:32 PpQx+tv6
オウムだよな。
インテリをたらしこむのが得意。
198:神も仏も名無しさん
09/02/02 07:46:22 OiZil6E4
>>174
ありがとうございました。
199:380
09/02/02 08:01:53 Do4O5JKa
>122
>根拠は今まで散々述べてきました。
いいえ、全然根拠になっていません。
samsaaraの用法についても、あなたの示した唯一のsamsaara-saagaraですら
コンパウンドの読みを間違っていたじゃないですか?
SPの古層におけるsamsaaraはすべて「流れ」と解釈できると、並川先生も
言わないことを主張しましたよね?いまだ例文が示されていませんが?
>50
>つまり、海の激流(荒波?)がsaMsAra(輪廻)なのであり・・川の激流もsaMsAraです・・・
>原始仏典における1の意味で用いられるsa.msaaraの頻度はどのくらいですか?
>全てです。
「子供でも解脱できる」の根拠も未提示ですが?
200:神も仏も名無しさん
09/02/02 08:06:17 OiZil6E4
>>199
その人に何を言っても無駄だと思いますが
201:380
09/02/02 08:07:34 Do4O5JKa
>「仏陀は輪廻を説いたはずだ。しかし、南伝ではその伝承が伝わらなかったか途絶えたのでしょう。」
あなたの理論だとそのような過失になるという比喩のつもりですが
あなたは「比喩」を真実だと思いこみましたね?
たしかに、あなたのような方には比喩は用いない方が良いのかもしれませんね。
さて
>特に、あなたたちがいうように、輪廻思想がブッダの中心思想であるなら。
「輪廻思想が前提である」「輪廻は世俗である」という人はおりますが、
だれも、「輪廻思想が仏陀の中心思想、真理である」と主張しているひとはおりませんが?
自身の都合の良いように捏造してはなりません。
反対論者のテキストといえども素直に読んで下さい。
>誰かが悪意をもって削除した可能性くらいしか考えられませんが、あなたはそうだと信じているのですか?
>その場合でも、もし輪廻思想がブッダの中心思想なら、すぐに別の誰かが修正したはずです。
その理屈で言うなら、
仏陀がどこぞの比丘のように明確に「輪廻は嘘だ、信じてはならない」と説いたのなら、
明確に伝承として残っているはずですよね?
それが残っていないのは、悪意ある削除があったとしか考えられません。
しかし、それなら別の誰かが修正している「はず」です。
わたしには、あなたたち否定論者は「輪廻の否定こそ仏陀の中心思想」と主張しているように
思えますね。
202:380
09/02/02 08:11:51 Do4O5JKa
>200
ご忠告有難う御座います。
一見、学術を装っておりますが・・・・
「人の話は聞かない、聞かないようにする」「自身の主張のみを繰り返す」
この2点は洗脳された人の特徴ですから。
203:宝珠愚者
09/02/02 08:13:23 Zfp/6WZq
>>195
>会社員として働いてこんなに細かく検証することはできないでしょう
また、なんで~~!!!そんなことはないって(涙)
とにかくどうか・・おかしな誤解を招くから、そういうのは辞めて下さいなぁ!
この世界でメシが食えるなら、ホント会社辞めてそうしたいくらいですよ。
しかしながら、この分野の金儲けは罪ですよ(金銭を得ることが悪い意味ではない)。
投稿量が多いというのは、たまたま今回の100年レベルという
経済の悪化による仕事減から残業レスと連休が増えたからなのですよ。
内容も全体的には専門的なレベルではなく大したものではない。
詳しい人なら世の中幾らでもいます。
このスレにも私などより遥かに凄い方がいっぱい投稿していますよ!
(もう、十数年来まともには読書もしていませいし・・)
ただ私は生まれつき物心がついた頃からの霊的思考者であって、
小学時代から---宗教は迷信に見えて興味なかった---
心霊(科学)研究など分野に関心を持ち、ニューサイエンスといった分野にも惹かれた。
宗教的には18歳で仏教(原始仏典)に触れ、以降~一部ヒンドゥーと、そして神智学の系譜へ
と至った経緯にあります。もう、すでにおっさんであり、二十数年歴となる宗教・オカルト馬鹿なのです。
204:神も仏も名無しさん
09/02/02 08:43:48 RrS+ZnHf
>「人の話は聞かない、聞かないようにする」「自身の主張のみを繰り返す」
>この2点は洗脳された人の特徴ですから。
自称、東大の印哲とか言ってたな。
それにしては、あまりにも賢くない。
205:神も仏も名無しさん
09/02/02 09:14:02 OiZil6E4
>>204
東大印哲と言ったのは、対論者です。
206:神も仏も名無しさん
09/02/02 09:50:36 pIf7/vHI
俺にとっては、輪廻転生論なんて迷いそのもので空華だ、それだけ。
水月の道場に座し
空華の万行を修す
207:神も仏も名無しさん
09/02/02 10:08:58 KJFq+s8B
キザだねぇw
208:神も仏も名無しさん
09/02/02 10:46:11 udqqfujY
>>184
転生説は絶対化に不都合でしょうか?違うと思います。
まず、もともと聖書ではイエスはヨハネ福音書の冒頭からあるように
「最初から特別」な存在です。そしてこれは、転生させる上で何の障害にもなりません。
ヒンズーのアヴァターラやギリシャ神話でゼウスのような神々がとる姿のように扱えます。
また転生の上で本人の同一性が確保されているなら、「神の子」の数が増えるということもない。
ここで考えて見ましょう。仮にイエスを過去のローマに転生させるとするとどうでしょうか。
皇帝の先祖や皇統の祖として転生させるとするならばどうでしょうか。
この使い方をすれば、皇帝そのものまで宗教的な神聖性を与えることができるのです。
209:神も仏も名無しさん
09/02/02 11:06:49 zb9UXACP
カタリ派は12世紀くらいまではあったと思うけど、輪廻転生思想を受け継いでいる。
当然ながらイエスもいる。
210:神も仏も名無しさん
09/02/02 11:06:57 Jx3/ou/Z
>>189
>尚、私個人が惹かれるイエスについてのエピソードは、有名な「姦淫の女」
>の話し。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
>(ヨハネ伝8章7節)
>「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯して
>はなりません。」(ヨハネ伝8章11
やはり、イエス中毒・依存症患者だな。
その話にも、イエスの他のすべての「教え」と同様、多くの矛盾と誤りがある。
群衆たちは、共同体の秩序維持のために、「犯罪者」を処罰しようとしていた
のである。「売春」は、現代でも犯罪であり、処罰される。
イエスは、他のすべての犯罪者も、同様に助けるつもりだったのか。その場合、
社会の秩序維持は、一体どうする積りだったのか。それとも、この売春婦に
性的魅力があったから助けたのか。それなら彼は、「心の中で姦淫の罪を犯し
た」ことになる。
イエスが、本当に女を助けたかったのなら、何故、体を張って助けようとは
しなかったのか。多勢に無勢で敵わないと思ったのなら(この判断は正しい。
イエスは神でもなく、神通力などなかったことの証拠)、何故、少なくとも
進み出て、「女が可哀想だから助けてやれよ。君たちも石で打たれたら痛い
だと」と言えなかったのか。法句経の「己が身に引き比べて」である。それが
言えないで、陰湿にも、群衆の心に「罪の概念」を植えつけたのは、石打や
売春より、はるかに大きな「罪」ではないか。
イエスは、共同体の合意に反して、女の「犯罪」を許す権限など、どこから得た
のか。彼こそ、共同体の秩序の破壊者又は破壊の幇助者という罪人ではないか。
イエスは、結局は、「石を投げた」のか。投げなかったのなら、彼自身も
「罪を犯した人間の一人」ということになる。
群衆たちは、共同体の秩序維持という「公益目的」のために真剣に行動していた
のである。イエスの「女を許す」と言う言葉には、すでに、「自分は善で、女
は悪」であるという、傲慢な思い上がりがある。
211:神も仏も名無しさん
09/02/02 11:11:05 zb9UXACP
> それとも、この売春婦に
> 性的魅力があったから助けたのか。
正直、その発想はなかったw
> 何故、少なくとも
> 進み出て、「女が可哀想だから助けてやれよ。君たちも石で打たれたら痛い
> だと」と言えなかったのか。
同じ意味だと思うんだが、どう違うんだ?
212:神も仏も名無しさん
09/02/02 11:11:24 udqqfujY
URLリンク(www.catholicapologetics.info)
URLリンク(www.mtio.com)
上記のサイトを見ると、様々な教父たちが転生説を批判しており、
かつてはキリスト教で輪廻が一般的だったという主張も疑わしく思えます。
213:神も仏も名無しさん
09/02/02 11:28:29 Jx3/ou/Z
>>211
暴力から、本当に助けたいと思う者は、「体を張る」よ。イエスは、
卑劣にも、「自分の身の安全」を考えた。イエスの陰湿な「罪概念の
植え付け」が成功しなかったら、女は殺されていただろう。法句経が
説く「慈悲の原理」にも、全く思い至っていない。
イエスの周囲には、女、特に人妻が異常に多いw。
「人を裁くな。裁けば自分も裁かれる」などと説教垂れながら、最も
人を裁きまくったのがイエスである。著しい言行不一致が、イエスの
特徴。
彼の「心の中で姦淫の罪を犯した」が、如何にピント外れで、誤った
ものであったかについては、機会があれば、別途解説する。
214:神も仏も名無しさん
09/02/02 11:34:04 zb9UXACP
>>213
石投げようとした連中に逆らった時点である程度リスクは冒してると思うんだが。
> 進み出て、「女が可哀想だから助けてやれよ。君たちも石で打たれたら痛い
> だと」と言えなかったのか。
こういうのと同じくらいのリスクはあると思うぞ?
215:神も仏も名無しさん
09/02/02 11:35:25 zb9UXACP
あと、法句経は原始教典だし、慈悲は大乗以降の概念じゃね?
216:神も仏も名無しさん
09/02/02 11:46:16 Jx3/ou/Z
>>214
それほどイエスに感心するような話ではなく、むしろその逆だという
ことである。
ユダヤ人は、現実的な良識人である。彼らは、イエスが暴力に訴えない
限り、イエスに害を加えたりしない。イエスも、それを読んでいたので
あろう。
彼らは、イエスと違って、「やましい心を持って女を見た」だけで、
「姦淫の罪を犯した」などというアホなことは言わない。彼らは、
「心の中で何を思おうとも、それを我慢して行為に表わさないこと」
という、共生の「技術」としての「道徳・倫理の基本」を知っているからである。
旧約聖書は社会維持のための「骨太の行為規範」であり、新約聖書のよう
な「甘ったれた精神規範」ではない。
217:神も仏も名無しさん
09/02/02 11:50:28 Jx3/ou/Z
>>215
開祖(教祖)が言ったという事実だけで盲目的・熱狂的に信じ、有難が
るのが、まさにカルトなのである。
218:神も仏も名無しさん
09/02/02 11:59:02 dNdVKhO8
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
■ <宗教者の最大の誤りと錯覚>は、「開祖・教祖が言った」から、「教典に書かれている」から、
「真理」だと思い込むこと。古代人の言葉が「時代が全く異なる現代においても」通用しない限り、
それは、現代においては、もはや真理とはいえないのである。■ (*^。^*)
従って、現代において通用しない開祖・教祖の言葉は、すべて、誤りとして無視するだけでよい。☆
「言った、言わない」「書いてある、書いてない」を詮索するのは、労力と時間の無駄に過ぎない。☆
仏教の教えのうち、「関係性」は現代でも100%通用する永遠の真理だが、輪廻転生など
問題にならない。論じるに値しない。
仏陀もバラモン教の社会に生きていたのであり、その「悪影響」を完全に払拭 できなかった
事情を、充分に考慮する必要がある。
後代における宗教者の任務は、古代人である開祖の教えから、「現代に通用する真理」を
見出すことでなければならない。時代の制約下にあった開祖の誤りや妄想を大真面目に議論
することは、むしろ開祖に対しても礼を失することになる。
人間であるイエスを、こともあろうに「神格化」し、あらゆる荒唐無稽を付け加えたキリスト教が、
その典型である。<キリスト教の愚> を繰り返してはならない。
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
219:宝珠愚者
09/02/02 12:45:39 Zfp/6WZq
>>208
イエスも人間であり、唯一なる神の子などというものはないのです。
全ての人間が神の子であって、我々と同様に繰り返し転生経験を経て、
最終的に驚異的な神性を達成したのです。
それは本人の努力の賜物であって、輝かしい栄光なのです。
(また煩いのが現れるといけないから・・はい、これら全ては神のお陰です)
>>210-213
>イエスが、本当に女を助けたかったのなら、何故、体を張って助けようとはしなかったのか。
>イエスは、結局は、「石を投げた」のか。投げなかったのなら、彼自身も
>「罪を犯した人間の一人」ということになる。
だから、助け出したということは、体を張ってるのですよ。
ユダヤの律法的伝統に逆らうということは、死を覚悟した自殺行為なのです。
イエスがこのとき、群集に混じって一緒になって投石していたら、
2000年の時を経てまで、彼の名声が残ることはなかったでしょう。
イエスが口先だけではなく、救い出すのかどうかコレは仕組まれた試されたのです。
あなたはホント酔っ払ってませんか?とても正気とは思えませんが・・。
>>212
キリスト教徒であれば難癖をつけて認めません。
認めてれば、とっくにキリスト教など辞めてることでしょう!
教会に従わずとも、自由にイエスの教えを学ぶことはできるのです。
>>216
ん?ここにはユダヤ教徒も参加してたのかな?パリサイ派サドカイ派?w
220:宝珠愚者
09/02/02 12:51:56 Zfp/6WZq
>>213
>最も人を裁きまくったのがイエスである。
では、その具体例を上げて下さい!
221:神も仏も名無しさん
09/02/02 13:11:29 udqqfujY
>>219
>イエスも人間であり、唯一なる神の子などというものはないのです。
>全ての人間が神の子であって、我々と同様に繰り返し転生経験を経て、
>最終的に驚異的な神性を達成したのです。
転生の仕組みが実際どうなっているか、
という話ではなく、聖書の思想ではどうか、という話なんで。
>キリスト教徒であれば難癖をつけて認めません。
教父のみなさんはキリスト教徒ですが。
222:神も仏も名無しさん
09/02/02 14:41:19 lmwDLw2C
>>199
>samsaaraの用法についても、あなたの示した唯一のsamsaara-saagaraですら
>コンパウンドの読みを間違っていたじゃないですか?
それは訂正しました。
>SPの古層におけるsamsaaraはすべて「流れ」と解釈できると、並川先生も
言わないことを主張しましたよね?いまだ例文が示されていませんが?
私は並川先生がそんな主張をしているなんて一言も書いていませんよ。
また、私はsamsaraは「流転」であって、全て「苦を繰り返すこと」の象徴・比喩だと言っているのです。
>「子供でも解脱できる」の根拠も未提示ですが?
解脱とは以下のようなものです。
1106 師(ブッダ)は答えた、
「ウダヤよ。愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨をやめること、
1107 平静な心がまえと念いの清らかさ、─それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、
─これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」
子供には無理だとする根拠は何もないでしょう。だから子供でも解脱できるのです。
どこにも大人だけが解脱できるとは一言も書かれていないのです。それが根拠です。
解脱には年齢も性別も身分も、一切の差別がありません。
223:神も仏も名無しさん
09/02/02 14:41:41 lmwDLw2C
>>201
>だれも、「輪廻思想が仏陀の中心思想、真理である」と主張しているひとはおりませんが?
いえ、宝珠愚者氏ははっきりそう書いてましたよ。
あなたが、輪廻思想はブッダの中心思想と思っていないのであれば、この点は私の勘違いでした。
>仏陀がどこぞの比丘のように明確に「輪廻は嘘だ、信じてはならない」と説いたのなら、
明確に伝承として残っているはずですよね?
だから、私はブッダが「明確に『輪廻は嘘だ、信じてはならない』と説いた」なんて一言も言ってないではありませんか。
ブッダは輪廻思想については特に何も説いてない、と言っているのです。それは最古層を見れば明らかです。
>あなたたち否定論者は「輪廻の否定こそ仏陀の中心思想」と主張しているように
思えますね。
そうではありません。ブッダの中心思想は、たとえばオルデンベルグによれば四聖諦です。
ブッダは輪廻を説きませんでしたが、ブッダのロジックを輪廻に適用するなら、輪廻の賛否のどちらも、
認識の届かないことについての妄念ですから、捨て去るのが正しいのです。ですから、輪廻については
説かないということこそが、ブッダの思想に相応しいことです。
224:神も仏も名無しさん
09/02/02 15:20:23 Jx3/ou/Z
>>219
>>220
イエスもパウロも、パリサイ派神学ですよ。イエスのパリサイ派批判は、宗教
お決まりの、教派内対立という「コップの中の嵐」。
イエスの殆どすべての「教え」は、「自分の気に入らない他者に対する、あくなき
憎悪・非難・排斥」とセットになっていることを、見破る必要があります。
例えば、「善きサマリア人」の話におけるイエスの真意は、サマリア人に
かこつけて、自分の気に入らない祭司とレビ人を非難することであったのは、
既レスの通り。
225:神も仏も名無しさん
09/02/02 15:24:37 M/kQwnY3
つまみ食い論法のお手本↑
226:神も仏も名無しさん
09/02/02 15:39:01 pIf7/vHI
>>224 同意
>①「輪廻思想が仏陀の中心思想、真理である」と
>②「輪廻は嘘だ、信じてはならない」と
輪廻ごとき戯論については「無記」ゆえ①②ともに無視なのが当然。
ところが出来の悪いヒンドゥ汚染弟子がブッダを誤解して業報輪廻、天国地獄などを
ブッダ没後100年以上たって「経典」に平気で書き込む。
それを宝珠愚者やカラスなどのケロンパ連中はありがたく拝読して論拠とするわけだ。
マンガ的というほかはない。
227:226
09/02/02 15:40:21 pIf7/vHI
× >>224 同意
〇 >>223 同意
228:神も仏も名無しさん
09/02/02 15:57:25 qo29s0Es
>>195,>>197
なかなか鋭いですね。この人は実際にはオウムではないようですが、私はどうやら
とある確信に達しまして、宝珠愚者さん自身は、ヒンドゥでイシュヴァラ(創造神)
と呼ばれる存在の崇拝者に違いないという結論です。イシュヴァラは仏教では色界
最上位の第四天(有頂天)にいる梵天とされており、これはヒンドゥのシヴァに相
当するとされています。絶対神崇拝は、いろいろと名前や姿形は違っていても、こ
の神のことを指しているものと思われます。それで、シヴァを標榜していたオウム
も、ヤーウェを崇拝するアブラハムの一神教も、仏教者から見れば、ひとからげに、
同様の宗教的性格(匂い)を帯びているように感じるわけです。ジャイナ教も明ら
かにイシュヴァラを指向している宗教であったことを示す例を私は見つけています。
229:神も仏も名無しさん
09/02/02 16:01:16 qo29s0Es
>>203
>小学時代から---宗教は迷信に見えて興味なかった---
>心霊(科学)研究など分野に関心を持ち、ニューサイエンスといった分野にも惹かれた。
>宗教的には18歳で仏教(原始仏典)に触れ、以降~一部ヒンドゥーと、そして神智学の系譜へ
>と至った経緯にあります。
キリスト教の影響下で幼少の頃を過ごしたという経歴をお隠しになってはいませんか?
おそらく宝珠愚者さんは、梵行はそれなりに人生において実践されており、梵天的いわゆる、
バラモン的な生活は実現されている人のようです。外道は外道でも、悪趣とは縁遠いのかも
しれません。色界禅定をある程度嗜んでおり、そのために、人から何を言われても、ほとん
ど応えることがありません。しかし、ゴータマ仏陀が述べたのは、正定であって、ただ禅定
的に高度でありさえすれば、良いわけではない。禅定的な高い境地に耽溺していた修行者は、
当時から、バラモンたちにはたくさんいた。しかし、それは邪定ではあって、正定ではあり
ませんでした。だから、解脱には資さない。
色界というのは欲界を離れなければ行けない境地です。つまり五欲を離れなければならない。
宝珠愚者さんの邪見は、五欲を離れることと、五蘊を厭離することを、同一視する解釈にポ
イントがあります。このことによって、仏教では通過点に過ぎない五欲を離れた色界禅定の
境地が、五蘊をも厭離した色界・無色界の先にある涅槃とすり替わることによって、それが
最高の境地という虚偽の主張を行う根拠となっているのです。
言葉の上、表現の上では、色々と原始仏典の五蘊に関する教説を引用して、自分の見解が辻
褄が合っているという主張を、今後も繰り替えされると思われますが、真っ当な仏教者であ
れば、私の説明で、宝珠愚者さんの主張の実質を理解していただけるのではないかと思いま
す。彼の言いたい境地は、実質のところ、五欲を離れた色界梵天的な境地です。今後もその
境地が、涅槃と同一のものであるという主張を繰り替えされることでしょう。
色界禅定に心が囚われた人の典型的なサンプルとして、格好の研究材料となるのではないか
と思います。宝珠愚者さん、ありがとうございます。
230:神も仏も名無しさん
09/02/02 17:25:14 OiZil6E4
このスレの状況をベック『仏教』岩波文庫、上巻が巧く記していると思います。
ベックは「ダルマは事物(仏教では事物に実体性があるとは決して言わない)
の背後に隠れている精神的な真の実在であって、それが仏陀や聖者たちの
精神的な眼(法眼)に映る。それは仏陀が観察した最高の精神的実体であって、
瞑想によって把握することができるのである」(21頁)というように、
常見なのですが、以下のように訳されています。
近代になって、また最近、西洋で仏教の宣伝が行われているが、神智学や、
それに似た動きを別にすると、たいていは、仏教は、合理主義の体系、
「無神論の道徳哲学」であると言い、近代の有力な世界観ともすぐにも
調和し、この意味で、西洋の思想の展開において宗教の代用につかえる
ものだと考えている。このような見解は仏教の本質を誤解するもはなはだ
しい。本書の説明ではっきりすると思うが、仏教は西洋でいうような
無神論でもなく、また、ただの哲学的合理主義でもない。仏教はその本質に
おいて哲学とはまったく異なったものであって、近代の唯物論とは
まったく関係のないものである。かつまた、偏見にとらわれず学的に
研究すれば明らかであるように、ほんとうの仏教は近代の神智学の動きと
同じでもない。いくらか接触する点があるとしても本質上べつのものである。
231:神も仏も名無しさん
09/02/02 17:50:07 lmwDLw2C
>>230
>~というように、常見なのですが
それは常見ではない。
仏教はベックの言うとおり、
唯物論でもなければ神知論でもない。
また、無神論でもなければ有神論でもない。
両方とも、前者は断見、後者は常見。
どちらの妄念も捨て去り、現実の人間の心の自由を説いているのが仏教。
232:神も仏も名無しさん
09/02/02 18:42:02 qo29s0Es
>>231
>>230氏は、
>「ダルマは事物の背後に隠れている精神的な真の実在であって、それが仏陀や聖者
>たちの精神的な眼(法眼)に映る。それは仏陀が観察した最高の精神的実体であっ
>て、
の部分が常見だと言いたいのでしょう。結局、人格的な最高存在を、ダンマという
無人格的な別の実体に置き換えただけで、どうあっても心の中の「最高神のいまし
めす玉座」という、精神構造を、手放したくはないのです。これが宝珠愚者さんの
考える「真の仏教像」の基本論調でしょうし、これは実際、大乗仏教の発生過程に
おいても起こった歴史的現象なのです。
233:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/02 19:40:00 fRPCaM3A
>>230
>ベックは「ダルマは事物(仏教では事物に実体性があるとは決して言わない)
>の背後に隠れている精神的な真の実在であって、それが仏陀や聖者たちの
>精神的な眼(法眼)に映る。
これは十牛図でいいますと、人牛倶忘の手前ですね。
これはある意味非常に危険な状態でして、これに固執すると精神衰弱になったり
ノイローゼになったりする。
(つまりここを脱しきれないのが・・・いわゆる禅病)
拙者は、一年弱この状態が続きましたが、やはり精神的には不安定。
まあ、軽い薬物を吸引しているようです)→自己陶酔というんでしょうか?
(ここで留まってしまう人も多い)
この状態なら簡単に事件でも起こせそう。
シバ神を崇めていた田賀井健次氏も、この頃が絶好調で事件を起こした。
(事件当時36歳だから、年齢的には法珠愚者氏と同じくらい)
しかし、キャラは田賀井とは対象的。
234:神も仏も名無しさん
09/02/02 19:58:16 OiZil6E4
>>232
>大乗仏教の発生過程に
>おいても起こった歴史的現象なのです。
すいません。まったく仰る通りですが、大乗が常見とは思いません。
もっとも、部派仏教や大乗の中に常見的な考えがなかったとは言いませんが。
>>233
>シバ神を崇めていた田賀井健次氏も、この頃が絶好調で事件を起こした。
実名を挙げるのは、美しくないですね。
なにかそこに汚いものを感じます。
235:神も仏も名無しさん
09/02/02 20:06:08 qo29s0Es
>>234
大乗=常見と言いたいわけでは決してありません。あくまでもその過程でそういう
現象「も」起こったということです。これは、釈迦如来以外の非実在の如来に対す
る信仰が発生したことを意味します。
236:神も仏も名無しさん
09/02/02 20:15:51 OiZil6E4
>>235
すいません。それも私は信仰しております。
237:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/02 20:16:59 fRPCaM3A
>>234
田賀井氏は今でも無料メルマガを配信していて、
名前は自ら公表してます。
(自分のHPで公表している)
たしか、メルマガ受信登録者は6000人くらい。
事件は、作為的な彼のパホーマンスです。
238:宝珠愚者
09/02/02 20:23:12 Zfp/6WZq
>>223
>いえ、宝珠愚者氏ははっきりそう書いてましたよ。
中心でも端でもない。
仏教の目指す境地が輪廻からの解脱。つまり、それが「目的」ね!
心の平安というのはその過程に過ぎない。
>>233
>(事件当時36歳だから、年齢的には法珠愚者氏と同じくらい)
勘弁して欲しいな-比較すんなって!それに同じくらいじゃないよぉwww
239:宝珠愚者
09/02/02 20:25:02 Zfp/6WZq
>>224
>イエスもパウロも、パリサイ派神学ですよ。イエスのパリサイ派批判は、宗教
>お決まりの、教派内対立という「コップの中の嵐」。
今時、まるで化石のような見解でしたね。
あなたが何も知らない、ということがこれでよくわかりました。
まぁ、いい・・。
それで~何書の何章何節の記述で“イエスが人を裁きまくった”と?
>>210
>共同体の秩序の破壊者又は破壊の幇助者という罪人ではないか。
>イエスは、結局は、「石を投げた」のか。投げなかったのなら、彼自身も
>「罪を犯した人間の一人」ということになる。
>群衆たちは、共同体の秩序維持という「公益目的」のために真剣に行動していた
あなたは姿勢は、まるで何か古代ローマの裁判か、
イスラム律法のおぞましさを見てるような気がします。
あなたなら女性器切除/陰部封鎖も共同体の法規であるとして、
その厳格性を求め維持しようとしそうですね。
人間、姦淫程度で投石処刑などと・・
そんな愚かな思考しか持てない基地外が創りあげた法規を厳守しようとし、
イエスが示したこの行動を非難するとはね・・。
この私は、あなたとは違い「迷信の排除」に赴くのです。
この件(姦淫)に関してのイエスの霊的姿勢と見解については示した。
それが正しい法規となるべきものです。
240:宝珠愚者
09/02/02 20:25:38 Zfp/6WZq
>>221
>転生の仕組みが実際どうなっているか、
>という話ではなく、聖書の思想ではどうか、という話なんで。
聖書の記述は、明らかにイエスが転生を肯定していることを示しています。
私はそのことをいってるのであり、キリスト教徒はそれを理解せず否定するのです。
元々、原始キリスト教では認められていたものが、排除されたという経緯があるのです。
彼らはこれらの批判的な事実については教会からはもちろん知らされないし、
それらの噂を聞いても信じません。見てみぬ振りをするのですよ。
241:宝珠愚者
09/02/02 20:35:10 Zfp/6WZq
>>228-229>>232
ん?>>197は、私のことを指してたの??全然、わからんかったわw
ハハハッ!!
まっ、いろいろと私のことを想像するのは楽しそうですが、しかし、かなりピンボケだなぁ~!!
私はイシュヴァラだとか、またはシヴァだとか、そういう特定の宗教の神や人格神を信仰しない。特に
礼拝行為といった崇拝に興味がない。別に礼拝崇拝を拒絶してるのではなく、そのような神といった対
象に対するバクティー(献身)には価値を見出さない。個人的には神や神々を崇拝してる時間があるの
なら、人類(社会)への貢献というアプローチのほうが遙かに意義深い。苦悩してる人々が実は神の姿
である、とかね。
「真理に勝る宗教はなし」---各宗教の人格神がどうしたなどには興味なし。神智学的にはロゴスと呼
称するだけです。後は、宗教の違いに関わらず、すべての覚者存在と聖者たちを尊敬して敬意を示す。
そこから学ぶこと。
>キリスト教の影響下で幼少の頃を過ごしたという経歴をお隠しになってはいませんか?
ない!ですから、キリスト教の否定論者なのですよ、この私は(笑) ただし神智学には、「仏教の教え」
と「聖書を読み解く鍵」をも含むのです。鍵を使いながら自分で読み解くのです。
>彼の言いたい境地は、実質のところ、五欲を離れた色界梵天的な境地です。
>今後もその境地が、涅槃と同一のものであるという主張を繰り替えされることでしょう。
あなたがたは仏教書の読み過ぎで教理にガチガチに縛られてるから、思考が硬直化していて気付けな
いのです。ニルヴァーナに到達した仏陀の意識状態が真我、唯一なる実在にして永久不滅の意識状態
(存在)なのですよ。非実在であり、無常/空なる一切の世界から解脱するのです。そこを解脱した者はニ
ルヴァーナに常住することになる。それは、また明日にでも転落するような境地ではもうない。また瞑想を
辞めれば、転落するような境地でもない。
>色界禅定に心が囚われた人の典型的なサンプルとして、格好の研究材料となるのではないかと思います。
>宝珠愚者さん、ありがとうございます。
どうぞ、よ~く比較することです。こちらは構わない!
242:宝珠愚者
09/02/02 20:35:31 Zfp/6WZq
>結局、人格的な最高存在を、ダンマという無人格的な別の実体に置き換えただけで、
>どうあっても心の中の「最高神のいましめす玉座」という、精神構造を、手放したくはないのです。
>これが宝珠愚者さんの考える「真の仏教像」の基本論調でしょうし、
なにも法そのものを、わざわざ「人格的な最高存在」や「最高神」にする必要性はない。それにこの私には、
人格神という概念は必要がない。
243:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/02 20:48:03 fRPCaM3A
>>240
>聖書の記述は、明らかにイエスが転生を肯定していることを示しています。
しかし貴殿は知識が豊富ですね。
しかもこれだけの宗教的スキル?があっても、何処ぞの教団にも属してない。
ってことなんでしょ?
(まあ、ある意味もったいない)
自説に自信があるなら、これをネット(HP)で公表して流布するとかいう野心はないのですか?
無料メルマガを配信すれば、貴殿なら1万人くらいは受信するかと思うけどね。
(ある特異性の教義を自分で開発したなら、人間はそのくらいのことは考える)
しかし、そうゆう方向性も貴殿の書込みには見えてこない。
・・・・ってことは、
やはり拙者は、貴殿は何処かの教団に属してるんじゃないか?
とか、余計なことを考えてしまう。
つまり、そういう未知なる部分が、拙者は関心が向くのです。
244:神も仏も名無しさん
09/02/02 21:08:26 ilvZu3TD
>>202
「人の話は聞かない、聞かないようにする」「自身の主張のみを繰り返す」
この2点は洗脳された人の特徴ですから。
↑ 正にご明察! いつでも自分の土俵に上げようとしますw
>>203
>投稿量が多いというのは、たまたま今回の100年レベルという経済の悪化による
仕事減から残業レスと連休が増えたからなのですよ。
マタマタ下手な嘘~(笑
普通は、収入が減ってこれからどうしようかとか悩む人が多くて、こんなところで
汗カキしてませんってw クリは献金が沢山ありお気楽で嘘つきで~すw
正体バレバレ!!(笑
お先にオヤスミ~ン☆
245:神も仏も名無しさん
09/02/02 21:09:47 Pb9y4FrY
>>239
ならば、「輪廻転生」や、イエスの「処女懐胎」「復活」「再臨」「永遠の
生命」「死後の裁き」などという、明らかな「迷信」も排除したらどうかね。
「姦淫」は、「現実の社会の維持」に関する。姦淫者の配偶者に大きな精神的
苦痛を与えるからである。従って「迷信」ではない。君は、奥さんが浮気しても
平気なのかねw。
246:神も仏も名無しさん
09/02/02 21:10:16 qo29s0Es
>>241
あなたは、外面的な差異に固執しています。あなた自身がそれらの宗教と自分の宗
教観に差異があると思ってはいても、それは色界禅定内の差異に過ぎないのです。
イシュヴァラなどの様々な名で、インドのバラモン系の修行者たちが垣間見てきた
境地、存在、エネルギー状態などのことです。もちろん、色界にも様々な段階があ
り、あなたが人格神崇拝などを批判的に言うのも、その中での境地の高低によるも
のと考えます。そしてそこを超えるものではないと。
>>243
信者ではなく場合によっては立宗されている(もしくはそのつもりの)可能性もあ
るのでは?
>>236
そうですか。
247:神も仏も名無しさん
09/02/02 21:10:25 t4BeDbxk
>>239
>あなたなら女性器切除/陰部封鎖も共同体の法規であるとして、
陰部切除そのものはイスラム由来ではありません。
>>240
>聖書の記述は、明らかにイエスが転生を肯定していることを示しています。
>>178にまとめたやりとりからも、単なる拡大解釈であることは明らかです。
目が見えなくなるのは「本人の罪」によるものではない、
一つにしても「低我パーソナリティー」を新たに導入したり、
同じ人物の前世や今生を切り離して別人としたりという
細工を用いなければならないほど無理があるのです。
エリヤの例にしても、旧約で彼は死んでおらず天に引き上げられた、
ということが踏まえられていません。
>元々、原始キリスト教では認められていたものが、排除されたという経緯があるのです。
様々な教父たちが否定していた事実があり、ほんとうに一般的だったのか、
という疑いが持たれます。
248:神も仏も名無しさん
09/02/02 21:11:38 ilvZu3TD
>>197
>オウムだよな。インテリをたらしこむのが得意。
オウムの脱退信者達から原始仏典の情報を聞き、キリスト教と合致する所を抜き出して
世界宗教布教をさらに一段階強固なものに画策しようとしてると思われ
249:神も仏も名無しさん
09/02/02 21:32:28 qo29s0Es
>>241
>ニルヴァーナに到達した仏陀の意識状態が真我、唯一なる実在にして永久不滅の意識状態
>(存在)なのですよ。非実在であり、無常/空なる一切の世界から解脱するのです。そこを解脱した者はニ
>ルヴァーナに常住することになる。それは、また明日にでも転落するような境地ではもうない。また瞑想を
>辞めれば、転落するような境地でもない。
ゴータマ仏陀は「私に師の握拳はない」と言った人です。もし、あなたがおっしゃる
通りなのであれば、「ニルヴァーナに到達した仏陀の意識状態が真我、唯一なる実在
にして永久不滅の意識状態(存在)なのだ」と言ったでしょうね。しかし言わなかっ
たし、実在も説かなかった。「私に師の握拳はない」という言葉で、あなたのような
偽の仏説を語る人の言説を未然に識別できるようにしています。
>また明日にでも転落するような境地ではもうない。また瞑想を
>辞めれば、転落するような境地でもない。
人間界での人生からすれば、ほとんど永遠に思えます。それが大きな誤ちであり、典
型的な外道の一つのパターンであることは、梵網経で説かれている通りです。ゴータ
マ仏陀はそのように説く人の行き先もわかりますと述べていますが、私にも宝珠愚者
さんの行き先であれば、わかりそうな気もします。
250:神も仏も名無しさん
09/02/02 21:47:48 mHQ964dd
転生説の導入が、イエスやキリスト教の絶対化にとって不都合にはならないことは説明しました。
使いようによっては、皇帝に宗教的権威を与える役にも立ち得ることも述べました。
絶対化に都合が悪いという理由は成り立たないかと考えます。むしろ実際に当時のキリスト教徒のあいだで
一般的であって、なおかつイエスの教えにあったのなら肯定しない理由はないでしょう。
上記の話題とは関係ないですが、宝珠氏におすすめの本があります。
URLリンク(www.kyobunsha.co.jp)
251:神も仏も名無しさん
09/02/02 23:06:15 Pb9y4FrY
修行して、Nirvanaとやらに達したら、「虫歯」の痛みは治るのかね。「金が
ない。食べる物がない」という、人生最大の苦しみはどうか。
252:神も仏も名無しさん
09/02/02 23:19:51 Pb9y4FrY
御釈迦さんは、死ぬ時には苦しまなかったのだろうか。毒キノコか腐った豚肉
による食中毒らしいから、下痢や腹痛で大変苦しんだことと思うが。
253:tibyaku
09/02/02 23:24:51 ZFIwz4hG
仏陀様の教えに「過去七仏」があります。
これは転生輪廻を説いている証です。
254:神も仏も名無しさん
09/02/02 23:28:24 Pb9y4FrY
>>253
輪廻転生などの「迷信」はどうでもよいから、「現代的視点からの
仏教の中心思想」を、誰か語ってくれ。世界が期待している。
255:神も仏も名無しさん
09/02/03 00:12:56 D0dMFV3/
>>251
もちろん推測ですが、
痛みはなくなることはないが、それに煩わされることはなくなります。
いつでも冷静で穏やかです。
金や食べ物にも執着しませんので、精神的には完全に自由な境地です。
>>252
もちろん肉体的には苦しんだはずですが、煩い憂いを離れているので、
精神は苦しまないのです。
解脱した者は、第一の矢を受けても第二の矢を受けない、という言葉があります。
第一の矢は身に起こる不幸ですが、第二の矢は自分の精神が作り出す苦です。
>>254
スッタニパータの4章、5章でも読めば十分だと思いますけどね。
十分現代に通用します。
256:神も仏も名無しさん
09/02/03 00:36:37 TZI8mzkx
>>255
あなまり苦しい言い訳はやめたほうがよい。「肉体的苦痛」とは、「肉体の異常
によって心が惑わされる」という意味だよ。
スッタニバータは、まだバラモン教の「迷信」の影響が残っているのでダメ。
一度読んだが感動は「ゼロ」で、中途で止めた。
257:神も仏も名無しさん
09/02/03 00:48:44 D0dMFV3/
>>256
何が言い訳かよく分からないが、つまらない揚げ足取りだな。
>「肉体的苦痛」とは、「肉体の異常によって心が惑わされる」
と言いたいなら、肉体の異常はあり、それを感じてはいるが、心が惑わされない状態
と言い換えてもいいよ。
258:神も仏も名無しさん
09/02/03 00:51:04 D0dMFV3/
>スッタニバータは、まだバラモン教の「迷信」の影響が残っているのでダメ。
一度読んだが感動は「ゼロ」で、中途で止めた。
それじゃどうしようもないな。
>「現代的視点からの仏教の中心思想」
なんて諦めた方がいい。仏典以外ブッダの思想には手がかりはないからね。
それとも、大乗のようにまた新しい仏教を創造したいというなら、どうぞ頑張って。
そういうものがあってもいいと思うよ。
259:神も仏も名無しさん
09/02/03 01:34:19 TZI8mzkx
>>258
「開祖(教祖)が言っているから、即、真理」と思うのが、最大の誤り。
両者の間には、何らの必然的関係もない。
260:神も仏も名無しさん
09/02/03 01:41:32 D0dMFV3/
>>259
>「開祖(教祖)が言っているから、即、真理」
なんて言ってないよ。
「開祖がどう説いたか」、ということについては、開祖の言葉が真理。
開祖がどう説いたかではなく、世界の真理(それって何?)なんてものを
夢想しているのであれば、それはもちろん開祖と何の関係もない。
でもそれなら仏教という言葉を使わないで欲しいな。仏教は「ブッダの教え」という意味なんだから。
261:神も仏も名無しさん
09/02/03 02:20:51 Gc35Mlkj
>>255
ふ~ん。仏教ってのは、
単に気の持ちようでこの世はハッピーという程度の教えなんですね。
四法印の一切皆苦と、どう整合性が取れるのか知らんけど、その程度の教えなら、
仏教は世界一下らない宗教ですね。あなたの話しじゃ、
シャブやモルヒネ決めてりゃ、ニルバーナです。
>>256
スッタニパータばだめだから、般若心経と、中論ですか?
いい加減自分達のは、ゴータマの仏教をベースにした、
新興宗教だとお認めになられてはどうですか?
262:宝珠愚者
09/02/03 02:26:08 zi4TSwXD
>>261
同意。
そういうことを言う人がいるので、では、もしも仮に、「輪廻(転生)など元々から無かったんだ!」と知る
ことが悟り(解脱)だとしてみましょう!しかし、そんなことに気付くまでに出家から、6年麻麦の苦行の末に、
更には49日間もの瞑想行を経てから、やっとそれが分ったのだと?もしも、そうだったとしたら、あまりに愚
かしく・・またそのバラモンから受けた妄信洗脳の強烈さは信じ難いほどの強烈さだということになる。
であれば余計に、その悟りの後には、「皆さん、ど~うか騙されてはいけませんよ。輪廻がないことについ
て、この私ははっきりと確認できましたから!」と、きっと語気を強めて明言する筈です。皆んなが騙されな
いようにとそのことを説く筈ですよ。
ど~うして、「騙されてはいけない。輪廻はありませんよ!」と語った経文は、たった一つも存在しないのか??
263:宝珠愚者
09/02/03 02:29:06 zi4TSwXD
>>246
神智学の説く「ロゴス(logos)」とは、ヒンドゥーでいえば確かにイシュヴァラに相当します。しかし、神
智学は神への信仰(献身)ではありません。ロゴスやイシュヴァラがどうしたこうした、などといったこと
は特に関係がない。また特定の導師グルも不要の道です。
>信者ではなく場合によっては立宗されている(もしくはそのつもりの)可能性もあるのでは?
妄想です。教団の設立など興味ありません。なんで??
>>248
私は神智学徒です。オウムに教わる必要が無い。真実は逆であって、オウムも大川も神智学を借用/
利用してるのが実体です。
>>250
転生を認めるということは、過去世ではイエスも完成者ではなかったことを意味するのです。それはキ
リスト教の絶対性と権力の必要にとつては不都合な概念でした。だから、そう判断されたのです。
>上記の話題とは関係ないですが、宝珠氏におすすめの本があります。
>URLリンク(www.kyobunsha.co.jp)
私もイスラムの教えは本来、そのような残虐非道で好戦的な思想ではないと見ています。はい、この著
作は勉強になりそうですね-感謝!!
264:宝珠愚者
09/02/03 02:33:32 zi4TSwXD
>>243
>しかし貴殿は知識が豊富ですね。
>しかもこれだけの宗教的スキル?があっても、何処ぞの教団にも属してない。
>ってことなんでしょ? (まあ、ある意味もったいない)
組織に所属することには正直、やや抵抗があります。が、しかし、自己を霊的に成長させてくれる誠
に素晴らしいグループがあれば、所属しないこともありません。入会所属しても、従属しない。あくまで
も自分で考えて行動します。良いと見なせば喜んで受け入れるし、疑問を感じる抵抗のあることには従
わない。あまりにも自己の意思に沿わないなら・・そこにいる意味はないでしょうね。
信奉する教えは良くでも組織的に腐敗が蔓延るパターンも多い。すでに教えさえあれば、無理に組織
に属する必要もない。
若い頃、麻原も真っ青といったカルト教団の教祖から教団の運営に協力を求められたことはあります。
「一緒にやろう!」と。教義の編纂と教育システムの構築にアイディアが欲しいと。受講料、受法料・・す
べて信じがたいほどの高額設定・・でした。私はその人に、「宗教の金取りは地獄行き真っしぐらだ。金
持ちほど霊的に進歩できるシステムなどこの世に存在しない」といって断りました。
「宗教心に国籍はない。それは、信仰でもなければ教義でもない。あるいは経典テキストや導師グルでもない。
それは、いかなる権威も持たず、ましてや集団に属することは決して在り得ない。」(クリシュナムルティー)
>自説に自信があるなら、これをネット(HP)で公表して流布するとかいう野心はないのですか?
>無料メルマガを配信すれば、貴殿なら1万人くらいは受信するかと思うけどね。
>(ある特異性の教義を自分で開発したなら、人間はそのくらいのことは考える)
自説というものは一つもないですよ、これはホントに!ただ掲載そのものではなく、自分の言葉で語ろう
とはしますが・・。まっ、それだけです。でもまぁ~すべて個人的に自己流で身につけたものではあります。
265:宝珠愚者
09/02/03 02:34:02 zi4TSwXD
>しかし、そうゆう方向性も貴殿の書込みには見えてこない。
>・・・・ってことは、
>やはり拙者は、貴殿は何処かの教団に属してるんじゃないか?
>とか、余計なことを考えてしまう。
あっ、ヨガナンダのクリヤヨガ教団には所属しています。ただそれは、特定のヨガ瞑想技法を修得する
ためが目的であり、あまり(教団の)信者であるといった感覚は自分にはありません。あと個人的には、協
会の様子については知りませんが、ラーマクリシュナ・ミッションの日本支部、「日本ヴェーダーンタ協会」
には関心はあります。あとは私は個人の学徒ゆえ、神智学系のグループ活動には時折り参加することが
あります。もちろん優れたグループであれば、私は参加や協力の意志は常にあります。
266:神も仏も名無しさん
09/02/03 02:38:29 D0dMFV3/
>>261
>単に気の持ちようでこの世はハッピーという程度の教え
「単に」と簡単なように言うけど、あなたは簡単に苦しみから逃れられるのですか?
一切の苦しみがない?
今は刹那的に生きていて気づいていなくても、必ずいつか病気になったり年老いたり、
死を前にして恐怖し苦しむこ日がありますよ。そのような苦を完全に消滅するのが
ブッダの教えです。
どうしてそれを「その程度の教えなら、仏教は世界一下らない宗教」と言えるのか分からない。
その程度というなら、一体どれ程の人がこれらの苦から逃れ、本当にハッピーでいるのですか?
一体どれ程の人間が実践できているのですか?だから一切皆苦という認識が重要なのです。
>>262
>「輪廻(転生)など元々から無かったんだ!」と知ることが悟り
そんなことは一度も言っていません。
>!しかし、そんなことに気付くまでに出家から、6年麻麦の苦行の末に、
更には49日間もの瞑想行を経てから、やっとそれが分ったのだと?
そうではありません。それだけの修行をしてやっと執着・苦を完全に取り除いたのです。
並大抵のことではありません。
267:宝珠愚者
09/02/03 02:39:54 zi4TSwXD
>>245
>ならば、「輪廻転生」や、イエスの「復活」「再臨」「永遠の生命」
>「死後の裁き」などという、明らかな「迷信」も排除したらどうかね。
「処女懐胎」については、在り得ないのではなくて、私はキリスト教による偽造説を支持しています。これ
がそのことを説いた私の投稿です。理由を明確に述べています。
スレリンク(psy板:88番)
「復活」「再臨」「永遠の生命」は迷信ではない。これについて、神智学徒はイニシエーションの過程と、そ
してイエスとキリストの二重性質について理解することを学ぶのです。
ここにも現れた大川の門弟が、仏陀は自己の意思で自由に再誕できるからと、それが東大卒7/3分けの
仏陀だと述べましたが。たしかに自己の意思のままに自由に再誕できることについては、私も同意するの
です。しかし、ゴータマは再誕しないことを宣言した。それが変更されるということはない。しかし、イエスは
明確に宣言しています。つまり、イエスは再臨するのです。というよりも、彼はすでに不死であり、この地上
から消えたことなど1度もありません。我々の目前から姿を消しただけなのです。
「死後の裁き」というのは教会による脅し部分と、実際に肯定すべき部分とがあります。一つは死後のい
わゆる地獄であり、仏典にも在る通りでそういう体験と世界もある。もう一つは「最後の審判」であり、これ
は人類全体の進化に関われるものです。人間の下位には、人間に進化できたものとできなかったものの
二者が在る通り、人類が次の段階に上がる段階の次元でそれは起こるものです。まだまだ遙かに気の遠
くなるほど先の未来です。普通の一般人については心配無用です。
268:宝珠愚者
09/02/03 02:41:26 zi4TSwXD
>「姦淫」は、「現実の社会の維持」に関する。姦淫者の配偶者に大きな精神的苦痛を与えるからで
>ある。従って「迷信」ではない。君は、奥さんが浮気しても平気なのかねw。
誰も良いとはいっていません。イエスも二度と罪を犯すなといったでしょう!人間はうっかり間違いも犯す
し、知っていながらもやってしまうのです。他人を許してあげないということは自分も決して許してもらえない
ことをいう。
異性の関係もそう。伴侶のいる相手と知っていながらも惹かれてしまい、つい結ばれるということもあり得
る。これはマナーの範疇として戒める必要がありますが、投石で処刑するようなことでは全くない。
269:宝珠愚者
09/02/03 02:42:57 zi4TSwXD
>>249
>ゴータマ仏陀は「私に師の握拳はない」と言った人です。もし、あなたがおっしゃる
>通りなのであれば、「ニルヴァーナに到達した仏陀の意識状態が真我、唯一なる実在
>にして永久不滅の意識状態(存在)なのだ」と言ったでしょうね。しかし言わなかっ
>たし、実在も説かなかった。「私に師の握拳はない」という言葉で、あなたのような
>偽の仏説を語る人の言説を未然に識別できるようにしています。
ニルヴァーナとは不死であり、その意識は常住し続けます(一切の相が滅びてなくなり、没することがな
い)。それが仏教の摂る立場です。つまりは、同じことになるのですよ。不死で常住は無常・空に反するよ
うに見えますが、それはもちろん当然です。無常なる縁起/空の世界を克服して解脱したからですよ。
「これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解
脱の境地である。」(ウダーナヴァルガ26-29)
『解脱の境地においては、生死が存在しない。修行を完成した者は《生死を明察せる者》(スッタニパータ
484)である。この究極の境地は、「不滅の領域」、「不滅の境地」といい、あるいは単に「不死」とも称する。
また単に「不老」ともいうのである。 そして仏教はこのような最高目的に達することを教えているものであ
るから、仏教は「不死の門」、「不死の獲得」であり、修行者は「不死の境地を見る」のである。』
(原始仏教---その思想と生活/中村元著)
270:宝珠愚者
09/02/03 02:45:53 zi4TSwXD
>>247
「低我パーソナリティー」というのは、何もそんなに変わった概念でもなんでもない。心理学でも表層意
識と深層意識、集合的無意識などと分けたでしょう。普段、自覚できる自己意識が低我であり、肉体と
感情などを含めた総計が「パーソナリティー(personality)」という個性です。田中さんが次の来世では鈴
木さんとして生まれる、その個体毎の違いがパーソナリティー。転生する魂は実際、田中さんでも鈴木さ
んでもない。ただそれだけの話です。
ヨハネが再来(転生)のエリヤであると述べたのは、イエスご自身です。
《[我汝らに告ぐ。エリアは既に来たれり。然れど人々はこれを知らず、反って心のままにあしらへり。か
くの如く、人の子もまた人々より苦しめらるべし。]ここに弟子たちパプテスマのヨハネを指して言い給ひし
なるを悟れリ。》(マタイ17章12~13節)。《すべての預言者と律法との予言したるは、ヨハネの時までなり。
もし汝ら我言を受けんことを願わば、来るべきエリアはこの人なり、耳ある者は聴くべし。》(マタイ伝11章
13~14節)
人々はそれを知らないのだと。耳ある者は聞け、とまでいったのです。記述がなくてもその後のいつかエリ
ヤとしての人生は絶えてるものと解するべきです。
>様々な教父たちが否定していた事実があり、ほんとうに一般的だったのか、という疑いが持たれます。
彼らが認めたがらないのは当然でしょ!教義のすべての信頼性を疑われることに繋がるのですよ。転生
の教えは宗教会議で抹殺が決定したのです。これを知ってる人は大勢いますよ。認めないのは盲目なクリ
スチャンと従わせる側の立場にある聖職者たちだけです。自分でいろいろ調べてみることです。
271:神も仏も名無しさん
09/02/03 03:34:35 TZI8mzkx
>>270
宝珠愚者氏は、仏教徒などではなく、「超オカルト宗教」の神智学だったのだね。
道理で、こちらが疲れるはずだw。
Wikiで見たら、内容は一神教そのもの。キリスト教の影響は、色濃い。
創始者には、精神医学上の問題はなかったのかね。
人間は、もともと、自然(宇宙)の一部なのだから、宇宙との合一という観念
はおかしい。すでに皆、合一しているではないか。人間は、自然に100%依存
しない限り、生存できないのだから。それに、人間の身体自体が「小宇宙」で
ある。
オウムも利用したそうだから、オウムとの間に共通点がある、むしろ極めて近似
か同一ではないのかね。
これからは、仏教上の見解などではなく、必ず、神知学上の見解と、但し書きを
つけるように。仏教上の見解であるという誤解を生じる。
272:神も仏も名無しさん
09/02/03 03:40:38 H6+cglKc
ご隠居も、これからは生命教上の見解と、但し書きをしてもらいたい。
273:神も仏も名無しさん
09/02/03 06:55:16 Vzpa7SR9
キリスト教徒の頑迷さが実によくわかるスレだなwww
274:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/02/03 07:25:23 3NjpFsCH
法珠愚者どの
貴殿の持論というのは、つまり現世において霊性?のレベルを上げて
ある最高のステージ?に到達する。ってことですよね。
(ここまでは理解しました)
ならば、これを行動原理として実践する。
というのが、つまり現時点の方向性であるわけです。
この流れで考えれば、貴殿の持論を多くの御仁に知ってもらい、
多くの民衆を最高ステージまで到達させる。ってのが
貴殿にとっても民衆にとっても、これが至上善になるわけです。→つまり民衆救済
であるなら、
持論をネットで流布するとか、その他いろいろ考えるのは当然です。
(イイか?ワルイか?は別問題です)
拙者が貴殿の立場でしたら、そういうことを考えますね。
(勿論、経済的な儲けとか、そういうことは別問題です)
日蓮だって、金儲けのために辻説法したわけではない。
純真な気持ちから行動したわけで、
行動原理とするものがあるなら(それを確信してるなら)
人間というのは、死にもの狂いで行動するもんだよ。
(野心?とか持って当然。男ならそれがロマンだろ?)→貴殿は男か?女か?
275:神も仏も名無しさん
09/02/03 11:54:15 xKA9j4LO
>>272
宗教、思想をはじめ、人間のすべての営みは、その生物的生命の機能である。
死ねば、一切不可能。
従って、いかなる神概念も、人間の生命に従属する。人間が神を思考する限り、
それはどこまで行っても、人間の生命の機能としての空想作用・観念作用に
過ぎないからである。
人間が人間の生命に最大の価値を置くことは、如何なる意味でも「宗教」では
ない。人間界のすべての成員の、共生のための「至上の義務」である。換言す
れば、「究極の宗教」であるとも言えよう。
276:神も仏も名無しさん
09/02/03 13:10:40 gHvFkXYM
ご隠居と堀井は同じこと言ってるな。
常識も行き過ぎると、吉外だな。
277:神も仏も名無しさん
09/02/03 14:09:52 mup6yZBl
>>263
> 神智学の説く「ロゴス(logos)」とは、ヒンドゥーでいえば確かにイシュヴァラに相当します。しかし、神
>智学は神への信仰(献身)ではありません。ロゴスやイシュヴァラがどうしたこうした、などといったこと
>は特に関係がない。また特定の導師グルも不要の道です。
それに対するアプローチ方法が違うだけですね。例えば、バクティ(神愛)を主と
するアプローチが比較的低次元の色界第一層だとしたら、それをどんどん純化させ
ていった色界第四層的な在り方がロゴス(神智学のアプローチ)という風にです。
しかし、仏教はそもそもその枠(色界禅定)で捉え切れるものではないと。
つまり、ロゴス(もしくは神智学のアプローチ)=色界第四層は涅槃ではない、
ということです。
278:神も仏も名無しさん
09/02/03 14:14:06 uxL8QTxZ
>>255
>もちろん推測ですが、痛みはなくなることはないが、それに煩わされることはなくなります。
↑ もちろん推測ですが、・・・・・ということは誰も現在まで証明できていないということでOK?
>解脱した者は、第一の矢を受けても第二の矢を受けない、という言葉があります。
第一の矢は身に起こる不幸ですが、第二の矢は自分の精神が作り出す苦です。
↑ も経典の言葉だけで、やはり誰も現在まで証明できていないということでOK?
>>257
>肉体の異常はあり、それを感じてはいるが、心が惑わされない状態と言い換えてもいいよ。
食中毒も大変苦しいらしいがその痛みは感じてはいるが・・・感じてたら痛くて苦しいでしょうにw
心が惑わされない状態・・・
それって仏陀のみで誰も現在まで証明できていないということでOK?
279:神も仏も名無しさん
09/02/03 14:16:52 uxL8QTxZ
>>266
>今は刹那的に生きていて気づいていなくても、必ずいつか病気になったり年老いたり、死を前にして
恐怖し苦しむこ日がありますよ。そのような苦を完全に消滅するのがブッダの教えです。
↑ も経典の言葉だけで、やはり誰も現在まで証明できていないということでOK?
>>266
>それだけの修行をしてやっと執着・苦を完全に取り除いたのです。並大抵のことではありません。
↑ も経典の言葉だけで、やはり誰も現在まで証明できていないということでOK?
>>276
>常識も行き過ぎると、吉外だな。
>>275のご隠居氏は、至極当然の理屈、、「究極の宗教」の意味は万人に分かる
■ 既存宗教も行き過ぎると、吉外だな。→ 勿論、歴史やマイコン・洗脳患者のレスで分かるw
280:神も仏も名無しさん
09/02/03 16:00:30 D0dMFV3/
>>278
>もちろん推測ですが、・・・・・ということは誰も現在まで証明できていないということでOK?
経典から推測するしかなということですよ。ブッダの教えは経典から読み取るしかないのは
当たり前でしょう。
>↑ も経典の言葉だけで、やはり誰も現在まで証明できていないということでOK?
ブッダの思想がどのようなものであるかは、「経典の言葉」しか手がかりがありません。
他に証明方法が何かある?
>食中毒も大変苦しいらしいがその痛みは感じてはいるが・・・感じてたら痛くて苦しいでしょうにw
「苦しい」という感情は、「どうして自分がこんな目にあうんだ」とか、「死にたくない」とか、様々な妄想によって生まれ、
増幅するものなのです。そのような迷い、執着が完全に取り除かれた人は、痛みを純粋に痛みとしてあるがままに感じるだけで、
心穏やかにいられるのです。ブッダも死ぬ前には激しい食中毒で臥せっていましたが、それでも心穏やかに、質問に来た人
に、弟子の制止も聞かず、色々教えてあげたりしていたのです。
>心が惑わされない状態・・・
それって仏陀のみで誰も現在まで証明できていないということでOK?
経典によれば、ブッダのみではなく、弟子も到達した境地ですし、誰でも至れる境地です。そして現実にも、同じこと
は可能だということがある程度推察できます。末期癌の患者さんなど、それまで病と死の恐怖に取り付かれていた
人が、自分の病気を受け入れた時か心穏やかに過ごすようになることがあります。また誰でも経験するようなレベ
ルでは、身体のどこかを怪我した時、それを意識している間は痛みが強く苦痛がひどいが、他のことに集中している時
は痛みが気にならないことがあるでしょう。執着により苦が生まれ、執着を無くすことで苦が無くなるのです。私たち
凡夫はこういうことはたまに経験するくらいですが、徹底的に執着を捨て、完全な心の安定を手に入れた状態が涅槃なのです。