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世界真光文明教団初代教え主 岡田光玉とは?
1960年の安保騒動では、岸信介内閣の意を受けた児玉誉士夫の要請に応じ、
「生長の家」などと共に信者を「警官補助警備力」として動員した。
1962年、現界は『火の洗礼』に突入したと発表し、そのピーク(大峠)は20世紀と21世紀
の交流する頃に来る、と警鐘を鳴らした立教以来の神示をまとめた『御聖言集』
(1969年刊)では序文に 「二十世紀人類の終末への警世の書」 「人類文明の崩壊、終末、
断絶の危機は目前」と記され、「オウム真理教の終末論との類似性」があった。
翌年、教団名を世界真光文明教団に変更。
右翼思想から国政参加を企図し、参院選全国区で矢田ワ一(1971年)、内田芳郎(1974年)を
推薦、組織を挙げて応援したものの、何れも落選した。
1974年、谷口雅春・山岡荘八らと「日本を守る会」(後の日本会議)の創設に参画
(真光誌400号)このとき生長の家職員だった「村上正邦議員」は同会国事局長を務
めている(真光誌279号)。
初期研修会では「薬害を批判」し、薬害問題追及で活躍していた高橋晄正を講演会に呼
んだり、環境問題にも関心を示したが、岡田自身は愛煙家のため「タバコの害には言及せず」、
天変地異が来ると言いながら原子力発電所の建設に反対しないなど、矛盾した姿勢を見せた。