09/01/24 18:25:03 6QXYZTmt
電波教一味の詭弁。
彼らは、我々は形而上のテーマは、証明不能であるから、無記としているだけです。
肯定も否定もしていません。といいながら、実は形而上のテーマは、一切否定しています。
それは彼らの今までの言説を見れば明らかでしょう。
なぜ彼らは、明らかな唯物仏教論者であるのに、詭弁で、私達は唯物仏教論者ではない。
ただ、形而上のテーマは、肯定も否定もしないというスタンスです。などと、詭弁でかわすのか?
それは、肝心要の釈迦が、形而上のテーマは否定していないので、(それどころか、原始経典を見る限り
彼は語っています)彼を差し置いて自分達が否定する立場だとはっきり表明すれば、
自分達は断見者だと、他から叩かれるのを恐れているからです。
彼らのやり口は、姑息で、非常に汚いですね。おい、こざかしいごまかしのテクニックなんか使ってねぇで、
自分達のスタンスをはっきり言えばどうだ。形而上のものなどあるわけねぇだろ。この世が全てだ。
この世の命、今の自分が全てだ。糞の役にも立たない慈悲の心など糞くらえだ!てな。
それがお前らの本音だろ。ほら言ってみろ。自分達が断見者だとばくろして、他者からトンデモ仏教者
だと叩かれるのが、そんなに怖いのかい?
釈迦は一切は皆苦だと説かれました。釈迦の言う一切とは五感で感じられる世界、
意識と意識がぶつかり合う世界。つまりこの世のことです。
いずれにせよ、この世が全ての唯物仏教論者共には、釈迦の七仏通戒偈の教えも、四正勤の教えも
八正道の教えも、なぜそれが必要なのか理解不能であり、説明できないものであります。