09/01/28 07:39:28 eKsdBFWf
古い経典を見れば、多くの人が(子供も在家も)悟りに達することができたことが明らかなんだから、初期仏教における悟りとは
神秘的なものではなく、頑張れば誰にでも達成できるものであっただろうということが分かるのです。
逆にいえば、そのような実際に現世で到達できる精神的境地を悟りと定義するのですよ。
>474
私はあなたの主張の意趣はよく理解できますが、私の反論の意図が分かりませんか?
まず、あなたは、一貫してsamsaraを「流れ」と解し「生まれ変わり」を意味しないと主張しています。
つまりsamsaraを「普通の意味」として解釈しています。
しかし、私はsamsaraはその最初より特別な意味を持った言葉であると解釈します。
それ故に
>経典の最古層にはsamsara(輪廻)という言葉はなく、時代が新しくなるに伴って加えられた言葉
>ブッダ以前のウパニシャッドにもsamsaraなる言葉はない。
(たしかカタ・ウパニシャッドあたりからだと思います)という結果になります。
私は「特別な言葉」だからこそ、仏典にもウパニシャッドにも取り入れられた、と考えます。
これが輪廻思想の形成が仏教勃興期と言われる所以です。
あなたの上記の文章からも、一方であなたがsamsaraを生まれ変わりを意味する「特別な言葉
として認識していることが読み取られますね。
もしsamsaraが単なる「流れ」という「普通の意味」であるなら、
なぜその時期に突然現れるのでしょうか?
私が批判する点の一つは、samsaraについてのあなたの「特殊な解釈」です。
あなた以外にこの様な「特殊な解釈」をする人を知りません。
おわかりになられたでしょうか?