09/01/24 16:19:59 bx9yOKV9
>>49
続き
>次に、「経典の作者はウパニシャッドでは既に凡夫の輪廻転生を意味するsa.msaara
>をわざわざ用い、なぜ別の言語を用いなかったのか?」について論理的に説明して下さい。
まず、いつのウパニシャッドの話をしているのかで事情が違います。
ウパニシャッドの成立年代は広範囲にわたります。紀元前500年ごろの古ウパニシャッドの多くも、
成立はブッダ以降です。ブッダ以前の初期のウパニシャッドもありますが、そこでは素朴な生まれ変わり
の思想がわずかに見られますが、「saMsAra」は使われていません。
だからブッダのいた時代のインドでは「既に凡夫の輪廻転生を意味するsa.msaara」
とは言えません。この時代はまだ原義(流れ、流転)の意味で使われていたのでしょう。
Wikiにも「輪廻思想がバラモン教に公認されたのは、最終期のブラーフマナ文献文[1]ないし最初期のウパニシャッド文献[2]においてである。「輪廻」という語は用いられず、「五火」と「二道」の説として現れる。」
とあります。「輪廻思想」などと書いてますが、ここにも書かれている通り、ブッダ以前の(最初期)ウパニシャッドでは生まれ変わりについて「輪廻」(saMsAra)という語は用いられていないのです。
また、インドの生まれ変わり思想では人間は他の生物(豚や虫など)に生まれ変わるといいますね。
そんな話はジャータカ物語などの「物語」以外、原始仏典には出てきません。
これもまた生まれ変わりの思想がないことの傍証です。
52:神も仏も名無しさん
09/01/24 16:25:48 bx9yOKV9
>>50
ミスです。
苦・迷いの人生(欲・煩悩を絶つこと)
↓
苦・迷いの人生(欲・煩悩に捉われていること)
53:神も仏も名無しさん
09/01/24 16:36:42 Ygpky/SA
宗教とは、本当に困ったものだな。
現実上根拠皆無な、百人百様の妄想を、あたかも事実であるが如く、狂った
ように主張する。その妄想は、他者によって「植え付けられた」もの。
人間は、現実界に100%依存しない限り、その生命の維持は不可能で、信仰
そのものが存在し得ない、という自明の事実をすっかり忘れている。
1個人に過ぎない開祖や教祖を、あたかも「完全な人間」であるように勘違い
してひたすら盲信する。「すべての人間には、長所もあれば短所もある」のが、
唯一の「真理」であるのに。
この「根拠皆無な妄想」を一旦植えつけられると、それから離脱することは、
殆ど一生不可能。結局は、妄想の中で、酔生夢死の一生を送ることになる。
勿論、社会には、何の貢献もできない。幸運にして離脱に成功しても、「のた
打ち回る苦しみ」を味合わなければならない。
宗教は、古代人が生存するための「手段」の一つとして発生した。すべての
人間に共通する唯一の普遍の事実は生存本能(生命)である。古代人は、
生存の「手段」である宗教を、生存の「目的」とするような倒錯には陥って
いなかった。彼らにとっては、生存のための精一杯の「合理性・現実性・科学性」
の表れであり、現代の科学に相当するものだった。
宗教のいかなる奇跡も及ばない科学の発達により、宗教はすでにその役目を
終え、現代では、その多くの弊害故に、法律をもって廃止すべきものである。
54:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/24 17:28:52 E7u1KbK+
>>2
>スレ建てご苦労さまです。
> 益々、熱くなってきた本スレ、怒涛の7代目ですね。
そうですね。
このスレッドの魅力というのは、様々な人の死生観が垣間見えるということでしょうね。
輪廻転生があるか?どうか?というよりも、
その背景にあるのが人間の願望なんでしょうね。
20代とか30代とかは精神的・肉体的にピンピンしてますから、
死後において魂が消え去ること自体信じられない。
(これは充分に拙者でも分ります)
しかしながら、人間が老い始まりますと精神的・肉体的にも衰えてきます。
色心不二ですから、魂だけピンピンしている訳ではない。
それなりに耐久疲労してきます。
(脳も老化しますから)
諸行無常というのは、こういった変化する“在りのまま”の位相を捉えることであって、
老いてきた、その瞬間・瞬間が掛け替えのない大切な人性だと、
そういう風に悟るのが禅ですね。
勿論、老いてくる魂?は自然に消滅していきます。→いつまでもピンピンしている訳ではない。
断滅ではない、諸行無常ですから~~~~そういう風に変化しているのです。
この変化する“在りのまま”こそが、つまり「縁起の現観」なのです。
これを見落としてしまいますと、
仏教の一番オイシイ部分がなくなって、カスを食うようなもんですw
55:神も仏も名無しさん
09/01/24 17:37:23 sHRLTgfc
☆*****************************************☆*******************************************☆
./)/) ■ 釈迦が自分で書いた経典など一つもない。すべて後代の人々が、それぞれの
(・ー・)ノ 解釈で書いたもの。経典が、釈迦の「真意」であることの保証は「皆無」である。☆★
゚L-J 従って、釈迦や原始仏典の「言葉」に拘るのはナンセンス。★
それぞれの時代に生かすべく、それぞれに解釈すればよいだけのこと。■
☆*******************************************☆*****************************************☆
56:神も仏も名無しさん
09/01/24 18:02:54 McBWFZVg
原始経典に述べられている来世につながる輪廻とは、
単に今生の未来のことを言っているのですか?ならばそれは単に因果応報ということなので、
わざわざ輪廻と、因果応報という言葉を使い分ける必要性が見つかりません。
素直に原始経典を読む限り、あなたがたの解釈は、客観的にみて、正直苦しいものと言わざるをえませんね。
電波氏の価値観にあう強引な解釈、手法は、その辺のカルト信者達と、
思考回路は変わらんものです。つまりカルト信者と、あなたは、同じ穴の狢なんですよ。
57:神も仏も名無しさん
09/01/24 18:25:03 6QXYZTmt
電波教一味の詭弁。
彼らは、我々は形而上のテーマは、証明不能であるから、無記としているだけです。
肯定も否定もしていません。といいながら、実は形而上のテーマは、一切否定しています。
それは彼らの今までの言説を見れば明らかでしょう。
なぜ彼らは、明らかな唯物仏教論者であるのに、詭弁で、私達は唯物仏教論者ではない。
ただ、形而上のテーマは、肯定も否定もしないというスタンスです。などと、詭弁でかわすのか?
それは、肝心要の釈迦が、形而上のテーマは否定していないので、(それどころか、原始経典を見る限り
彼は語っています)彼を差し置いて自分達が否定する立場だとはっきり表明すれば、
自分達は断見者だと、他から叩かれるのを恐れているからです。
彼らのやり口は、姑息で、非常に汚いですね。おい、こざかしいごまかしのテクニックなんか使ってねぇで、
自分達のスタンスをはっきり言えばどうだ。形而上のものなどあるわけねぇだろ。この世が全てだ。
この世の命、今の自分が全てだ。糞の役にも立たない慈悲の心など糞くらえだ!てな。
それがお前らの本音だろ。ほら言ってみろ。自分達が断見者だとばくろして、他者からトンデモ仏教者
だと叩かれるのが、そんなに怖いのかい?
釈迦は一切は皆苦だと説かれました。釈迦の言う一切とは五感で感じられる世界、
意識と意識がぶつかり合う世界。つまりこの世のことです。
いずれにせよ、この世が全ての唯物仏教論者共には、釈迦の七仏通戒偈の教えも、四正勤の教えも
八正道の教えも、なぜそれが必要なのか理解不能であり、説明できないものであります。
58:神も仏も名無しさん
09/01/24 18:45:00 Ygpky/SA
>>57
形而上は、百人百様の観念だから、いくら議論しても合意に達することは無く、
紛争の原因となるだけ。このスレでも、そのことが明白に証明されている。
形而上を「空」として捨てることこそ、釈迦の教えのはずだが。
59:神も仏も名無しさん
09/01/24 18:49:11 LWn0V8qu
『「私」というものがすべての煩悩の根源なんです。だから、その「私」は、滅尽させなければならない。
「私」を芽生えさせる力をサンスカーラ(行)といいますが、そのサンスカーラを滅尽することが、修行の目的なんです。
サンスカーラを滅尽して、ほどかれた「私」が、「無我の状態になった自分」なのです。
それこそが、「頼りとすべき自分」ということです。そのために、「瞑想しなさい」とお釈迦さまは説いています。
瞑想によって、自分を調えるのです。それが、「自灯明」になるわけです。
それから、よく調えられた自分が感じとる世界が「法」です。
よく調えられた自分によって受けとられた世界、それを頼りにすることこそ「法灯明」になるわけです。』
60:神も仏も名無しさん
09/01/24 18:52:17 PUMInbTL
仏教=宗教(地獄極楽あり 多神教 輪廻転生 カルマの法則)
61:神も仏も名無しさん
09/01/24 19:07:05 h88tNnhM
>>59
>形而上を「空」として
勉強し直せ
62:61
09/01/24 19:08:26 h88tNnhM
× >>59
〇 >>58
63:神も仏も名無しさん
09/01/24 19:12:53 ADmd+aZt
>>59
「調えられた自分」などに「執着」していては「悟り」などない。
「あるがままの自分」を受け入れることが、悟りである。
64:神も仏も名無しさん
09/01/24 19:53:26 S37QdCKa
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
自分で自分をいくら観察してみても、結局は自分の主観。「自分探し」
は、幼稚な人間のやること。★☆
「自分だけ」で求める至福は、結局は「自己満足」と「自己陶酔」。
社会にはくその役にも立たん。
人間は、共同体としてしか生存できない。充実した、永続的な、本当の
深い至福は、他者との係わり合いの中における日々の生活においてのみ
得られる。
釈迦は、それを悟れなかった。 (*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
65:神も仏も名無しさん
09/01/24 19:54:30 XYMdWSde
応無所住而生其心
まさに住するところなくして その心を生ずべし
66:神も仏も名無しさん
09/01/24 20:18:37 3fsUgt7x
もし「輪廻すなわち三世の否定」が仏教の常識、仏説であるなら、輪廻という言葉すらとっくの昔に
経典からなくなっていたことでしょう。
それとも、この2500年間仏弟子はアホばっかりでブッタの真意を知るものは一人もおらず、
20世紀になってやっと和辻さんみたいな人が現れたというのでしょうか?
仏教は宗教であり文化です。近代科学に合致しない教義があって当然です。
私は「仏教を完璧な宗教あるいは哲学」などと、ぜんぜん思っておりません。
むしろ矛盾だらけで雑多ですが、それはそれで良いと思います。
「輪廻思想をカルトが悪用する」それは分かります。
しかし宗教の不合理性を意図的に排除することに何の意味があるのでしょう?
それは正しい宗教理解とはいえませんね
そもそも宗教から神話や不合理を除いたら、どこにでもある道徳倫理しか残りません。
べつに仏教など特定の宗教を学ぶ必要はありません。
共産主義者みたいに宗教を否定すれば済むことです。
67:神も仏も名無しさん
09/01/24 20:26:20 XYCyD47T
輪廻否定論は大体、こんなとこでしょう。
1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
死後、輪廻しないというのは、断見である。
2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。
3.十/十四無記で死後が不問にされている。主要論者:桜部健など。
反証:水野弘元先生以下が論証したようにタターガタを人、有情と注釈するのは、ジャイナでも
タターガタという語を使うからで、十/十四無記のタターガタは、解脱者の意味に他ならない。
つまり、解脱者は死後どうなるのか、それは答えられないという意味である。
4.釈尊の仏教では輪廻は否定された。主要論者:並川考儀など。
反証:輪廻は否定したという意味が異なる。輪廻は仏教で一貫して厭離され解脱することが目的である。
それを輪廻という現状を認めないという意味で無理に解釈している。
5.三世輪廻は部派のみのもの。主要論者:梶山雄一先生など。
反証:『雑阿含』『スッタニパータ』『小四十経』『量評釈』『タルカバーシャー』に明らかなように
原始仏教も大乗仏教も三世輪廻、というか輪廻は始まりはなく、終わりは解脱するまで続くもので、
それ以外の輪廻など現代日本以外で説かれたことなどないと思われる。
6.輪廻は現世の因果で転生ではない。主要論者:このスレ住人など。
反証:経典の用例は明らかに前世・来世を想定したものであり、現世のみの因果であれば、
始まりと終わりがあることになり輪廻ではなく他ならぬ断見である。
輪廻否定派は、テクストに根拠をもてず、提出した理論も以上のように全て反証されました。他に根拠はありますか?
68:神も仏も名無しさん
09/01/24 20:27:53 XYCyD47T
『ミリンダパンハー』ですが。
そのなかでミリンダ王は輪廻に対して疑義を呈していたと記憶しますが。
それに対してナーガセーナが答えて納得させていたと思います。
問題となるのは、輪廻がどの国の起源かではなく、
輪廻説を盲信しているインド人のために釈尊が方便で説いたとするなら、
輪廻を信じない外国人に方便で説く必要などないということです。
それなのに輪廻を外国人に説く必要があるということは、
仏教にとって必要な説であるからということです。
69:神も仏も名無しさん
09/01/24 20:31:55 h88tNnhM
>>63
>「あるがままの自分」を受け入れることが、悟りである。
あるがままの自分=無明自己を受け入れることが肯定することを意味するなら、
ブッダが四諦八正道を説く意味が無い。
一体何のための修行だ?
そんな御託は完全な悟りに達したものの床屋談義にして桶。
オウム麻原にもそう言ってこいよ。
70:初代スレ7
09/01/24 20:40:00 PLuM6TPA
>>67
輪廻不要論もお忘れなくw
( ̄ー ̄)ニヤリ
71:神も仏も名無しさん
09/01/24 22:10:30 jQ9id7YY
>>69
「修行しよう」「修行しよう」のオウムが、何を悟ったのかねw。
72:三代スレ170
09/01/24 22:40:18 kM4WBCMT
うげっ!もう次スレか。
コテハンさん達、頑張りすぎ。
前スレ747さんとか、今スレ67さんとかいい仕事してますね。
しかし何だね。なぜ「お釈迦さんは輪廻を前提とした教えを説かなかった派」の面々は、
無理な解釈をゴリ押ししようとするのか?
「仏教は邪教!釈迦の野郎は輪廻を説いたカルト教祖!」とか素直に言えばよいのに。
まあ、「仏教」の看板は、まだまだ旨味があるとはいえ…
73:神も仏も名無しさん
09/01/24 23:10:39 h88tNnhM
「仏」教というが、仏でない奴も勝手に
『仏説』『如是我聞』とお札を貼ってテキストを書けば
「仏教」になってしまうところがハチャメチャ魑魅魍魎化の原因だ。
そういう意味では非常に言論の自由のある民主的な宗教ではある。
現代社会にふさわしい。
74:神も仏も名無しさん
09/01/24 23:30:49 dW1J24r9
あら?あら?きちがいカラスは、まさか名無し登場がばらされて恥ずかしくて
逃亡?なんてこたあないよな?頼むから俺の大事なおもちゃ壊さないでくれよ。
もう少し遊びたいんだから(笑
さて、それではいきますかね。
前スレ864
>1 最初の生命体はどこから転生してきた?
2 転生する先の惑星はどのように決められる?
3 転生する『業』はどのように選別される?
4 転生するまでの間は『業』はどこにいる?
5 逆パターンを考えると消滅した惑星の宇宙人の『業』を
背負っている地球人がいるわけか?
6 以上はどのように観測された?
これらの問いに対して >とっくに答えてんだろうが!何処読んでんだ、池沼。
は?どこで答えたって?レス番あげてみろや、あほカラス。
適当こいて逃げんじゃねえぞ。
75:神も仏も名無しさん
09/01/24 23:33:20 dW1J24r9
>あいもかわらず、待機などと言う概念は無いといっているのに
理解不能みたいだし。
お前、自分で書いたこと覚えてないのか?
お前は804で >地球が消滅したら?と言う話だったな。
ならば、他の惑星に人間と同じく心に「言」を持つ生命体がいるなら、
その生命体として生まれるのみ。もしいなければ、将来他の惑星で生命が
誕生し、進化して、「言」を獲得すれば、その生命体に生まれるのみ。
これを突き詰めると宇宙が消滅すればどうなるかに行き当たるが、それに対する
解答は、>>801で解答済み。
さらに802で >また人口が増え
れば、生まれてくるだけの話。そのタイムスパンの間はどうしている?などというのは愚問。
その人にとって、生まれてきた時が今なのだから、前の生から生まれ変わるまで、
たとえ2000年ほどのタイムスパンがあろうと、それを問題にする道理は無い。
もしこのまま人類は減少に向かい、いずれ滅びたとして、再び生まれてくるチャンスが
無ければそれはその人にとってゲームオーバー。完全な無となり滅びさるのみ。
これは永遠の滅びである。
「将来他の惑星で生命が
誕生し、進化して、「言」を獲得すれば、その生命体に生まれるのみ。」
その間「待ってる」わけだわな、どこかで。
「 また人口が増え
れば、生まれてくるだけの話。」 これも人口の増えるのをどこかで
「待ってる」わけだわな? 「待ってる」という言い方が気に入らない
なら単に「どこかに居る」と言っても別にかまわんがね。(笑
76:神も仏も名無しさん
09/01/24 23:35:40 dW1J24r9
前スレ865 >モンスターが宇宙を造ったというのは、何の根拠も無い
荒唐無稽な話でしかないが、宇宙(縁起)の始まりには、根源がある
と言う話は、ビックバン理論からも、また、縁起の法を逆順で考察しても、
理論的には根拠のある話である。おまえがいうモンスターが宇宙を作った
という話とは全然違う話なんだよ、吉外。
勝手に論点ずらすなよ。誰が宇宙の起源に根拠がないなんて言ったか?
俺が言ってんのはお前の「他の惑星に転生する」というとんでも理論は
荒唐無稽で根拠がないと言ってるんだろうが。俺が「宇宙の起源に根拠がないなんて言った」
レスがあるならレス番挙げてみろ、キチ外が。
そういえば、お前「宇宙の起源の根源」を知っていると言ってたな?
その解説はまだか?
>これは生まれ変わりを認めないとうまく説明できない事例がある以上、
だから、そんなものはないと言ってるのに(笑
77:神も仏も名無しさん
09/01/24 23:36:49 dW1J24r9
>おまえがまず、無いという完璧な証拠を出せと言ってるんだよ。
本当にやれやれだね。お前、論証の基本知ってるの?「ある事象の実在の
有無を議論するときは、存在を主張するほうに立証責任がある」
こんなこと今時、中学生でもわかるぞ。
世界には、いわゆる「超常現象」を主張する「とんでもさん」は数えきれない
ほどいるが、それでも「あなたは、~という現象がありえないことは証明でき
ないでしょ?だから~はあるんだ」なんて言うやつは、さすがに見かけなくな
ったがな。(お前ぐらいじゃねえの?)
さらに言っとくと、お前は「~大学の先生の研究を証拠としてあげた」なんて
寝ぼけたこと言うかもしれんが、あんなもんは、何の客観的実証例にもなって
ないわけ。お前が「真実だ」と信じてるだけ。俺が挙げた「スパモン教団」は
荒唐無稽と決め付けたくせに、自分の出した例は真実だと言い張る。お前は
自己の主観により恣意的に判断をくだしてるに過ぎないわけ。わかるか?
転生を信じない者にとっては、どちらも荒唐無稽なんだよ。
お前にいえる事は「何の実証もできない妄想なんですが、僕は真実であると
『信じ』ちゃってるんです」 これだけ。わかるか?あほカラス。
78:神も仏も名無しさん
09/01/24 23:37:54 0iOmF4tl
>>69
>あるがままの自分=無明自己を受け入れることが肯定することを意味するなら、
>ブッダが四諦八正道を説く意味が無い。
>一体何のための修行だ?
己が無明であるとを自覚することこそ、悟りである。この世は徹頭徹尾共同体。
他者との係わり合いにおける毎日の生活からかけ離れた、「引きこもり」の
修行など、全く無意味。それから得られた「悟り」は偽物。
苦悩は、すべて、あるがままを受け入れることができず、あるがまま以外に執着
することによって生じる。
釈迦も、そんな修行がアホらしくなって止めたね。 釈迦に見習うべきではない
か。
79:神も仏も名無しさん
09/01/25 00:06:32 wU8RukDY
もう少し、きちがいカラスに突っ込んどくかな。
>他の惑星に人間と同じく心に「言」を持つ生命体がいるなら、
その生命体として生まれるのみ。
お前、こんなこと言ってたが、「心に『言』を持つ生命?」
お前も、もしかして「転生は認識判断力をもつ人間のあいだにおいて
のみ起こる」 という派か?
80:神も仏も名無しさん
09/01/25 01:56:58 g0/uE0Y4
>本当にやれやれだね。お前、論証の基本知ってるの?「ある事象の実在の
>有無を議論するときは、存在を主張するほうに立証責任がある」
>こんなこと今時、中学生でもわかるぞ。
わからないのでソースを出してくれませんか?脳内ソース?
81:神も仏も名無しさん
09/01/25 02:36:59 g0/uE0Y4
日蓮さんは立正安国論でお墓参りを否定されたそうですね。
なんでなのでしょうか?
82:神も仏も名無しさん
09/01/25 03:01:27 wU8RukDY
「立証責任」という用語自体は、もともと裁判で使用される法律用語ですね。
裁判においては、自分に有利な事実についてはそれを立証する責任があり、それができなければ
その事実は存在しないと見做される、裁判上の大原則のことです。それの
論戦への擬制です。例えば「AさんとBさんとの間で甲という事実に関して、その
存否が争われている場合、Aさんが甲という事実を主張するならば自ら証拠を
提出し論証しなければなりません。」すなわち「Bさんが甲の事実を否定でき
ないのであるから甲は事実であるとAさんは主張できません。」
もしこのような「不存在証明」を認めてしまうと「何でもあり」となってしまう
からです。一般に刑事裁判においては被告を有罪であると「主張」する検察側に
立証責任が負わされているのもそのためです。裁判以外の論戦においても、
もちろんこの大原則は擬制されます。「~は真実である」と主張する者は自ら
それを実証しなければなりません。相手に反証責任を負わせることは、「言った
モン勝ち」になってしまうのです。論証の基本原則です。
83:神も仏も名無しさん
09/01/25 03:18:26 bXd+h/Sn
[608]神も仏も名無しさん [sage] 2009/01/25(日) 03:13:09 ID:bXd+h/Sn
AAS
仏教について詳しく知りたければここオススメ。もっともここのブロガーさんもスマさんから学んでるそうだがw
ちなみにブロガーさんは一来果者だよ
【選り抜きINDEX.2】仏教入門
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
84:神も仏も名無しさん
09/01/25 03:28:56 wU8RukDY
もう少し書いとくかな。
ここでカラスは「転生はある」という主張、俺は「ない」。
「転生はある」と主張するカラスに証拠を挙げて実証する立証責任が
あることは明らかですね。それを「無いということを証拠を挙げて
立証しろ」の一点ばり。そこで「不存在証明の不合理性」を理解させるため
にモンスターの例をとり、「俺が宇宙を創ったこんなモンスターがいると主張したら
お前はその不存在を証明できないわけだから実在することになっちゃうよ」と言っても
「そんなのは荒唐無稽だ」と、まるで論旨を理解できない始末。
と、まあこういう次第なんですよ。
85:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 05:54:43 CkHI4hNK
>>74
おや、精神年齢の低い糞餓鬼がまだ吼えてんのか。
名無しで書いたのは、新しいスレが立って、いちいちハンドル入れるのが
面倒くさかっただけだからだよ、吉外。
お前の質問はレベルが低すぎて話にならないんだよ。
それに答え済みだし。何がレス番出せだ。てめぇみたいな揚げ足とって喜んでる
レベルの低い奴の為になぜわざわざ、一度答えたことをいちいち探し出して
ここにあげてやんなきゃいけねぇんだ?相も変わらず、待機という概念などないと
いっているのに、それすらも理解できない池沼が。馬鹿の壁を超えられない
程度の低いおまえには、土台話したところで、エネルギーの無駄なんだよ。
86:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 06:04:37 CkHI4hNK
>>76
論点どこずらしてんだよ?
論点ずらしてんのは、おまえだろ。
俺は根源の話をした。そしたらおまえは
モンスターが宇宙を創造したといってることは同じだ
と言ってきた。俺はぜんぜん違う話だ。根源は、ビック番理論からも
縁起の法を逆順で考察しても論理的に行き当たるもので、
おまえのモンスターが宇宙を創造したという、荒唐無稽な話とは
まったく違う話だといったんだよ。おまえ、本当に頭が悪いんだな。
なにがレス番あげろだ。なんでおまえのような程度の低い人の為に、
わざわざ過去レス漁って探し出すなんてエネルギーを投資しなきゃいけないんだ?
してほしかったら、お願いしますと、頭を下げて頼め。
>そういえば、お前「宇宙の起源の根源」を知っていると言ってたな?
>その解説はまだか?
それは前スレで答えた。似非仏教徒のおまえは見事気づかないわけだ。
色は何からできた?お前はそんなことも知らないんだな。どんな仏教徒だよ、吉外。
87:神も仏も名無しさん
09/01/25 06:08:04 CkHI4hNK
>>76
>>これは生まれ変わりを認めないとうまく説明できない事例がある以上、
>だから、そんなものはないと言ってるのに(笑
だから、前スレであげた例が、確実に違うというなら、その証拠を出せといってるんだよ。
お前の主観、思い込み、根拠のないどうとでも取れる、結論とはいえない、お前の能書き
だけじゃなくってな。さぁ出せ。早く出せ。そんなものはないというだけなら、小学生でもできるぞ。
88:神も仏も名無しさん
09/01/25 06:17:28 CkHI4hNK
>>77
>さらに言っとくと、お前は「~大学の先生の研究を証拠としてあげた」なんて
>寝ぼけたこと言うかもしれんが、あんなもんは、何の客観的実証例にもなって
>ないわけ。お前が「真実だ」と信じてるだけ。
そうか?まったく赤の他人のはずの子供が、知らない人のことをぺらぺらしゃべる
なんてことも、主観の問題か?なんでもかんでも主観の問題で済ますお前の能書きのほうが
主観だけで語っているんじゃねぇの。お前相当頭悪いよな。相も変わらず、待機などの観念は
無いといっているのに、理解不能だしよ。
くだくだ能書きたれて逃げてんじゃねぇぞ、糞餓鬼。
おまえはないと言ったそういいきるなら、それの立証責任は
おまえにあるんだよ。お前は無いと言い切るなら、それの証拠を出せよ。
おまえのこのレスは、逃げの口実しかなんねぇんだよ。
己の立証責任からは、逃げてる糞が。
89:神も仏も名無しさん
09/01/25 06:29:09 CkHI4hNK
>>84
あほか、おまえ。
ここはもともとゴータマは、輪廻転生をといたかどうか?をテーマにしたものだ。
数々のテキストからは、ゴータマはまず間違いなく、説いていただろうという話を
した。そこからはじまり、輪廻転生を信じる者に対して、それを立証しろとおまえは
絡んできた。それは他人が立証できるものではなく、自分自身で確かめるしかない。
客観的な事実として、どこかの精神科医が調べた事例として、どうも生まれ変わりを
認めないとうまく説明できない事例もある。またゴータマは、明らかに輪廻を転生を
説いている。それらの事例がある以上、輪廻転生があるという仮説も成り立つ。
それらの事例があるのに、絶対に無いというなら、それの立証責任はおまえにあると
言ってるんだよ。早く立証してくれよ、吉外。お前の能書きこそ、お前の主観でしかないもの
じゃねぇか。そんなことも気づかないんだな、おまえ。たとえで宇宙人の話を
すれば、条件反射的に馬鹿にするしか能の無いおまえは、相当頭が悪いんだよ。
90:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 06:35:10 CkHI4hNK
>>84
いいか、俺はまったく根拠もなしに、輪廻転生はあるとはいっていない。
生まれ変わりを認めないとうまく説明できない事例がある以上、輪廻転生の
仮説も成り立つ。それを完全に無いと言い切るなら、その立証責任はおまえに
あると言ってるんだよ。この理屈はわかるか?おまえ頭悪いからこんな簡単な理屈も
わからないか?立証責任の意味も履き違えてる吉外が、なにいってるんだか。
こいつ、相当レベル低いぞ。
91:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/25 07:14:04 6/oyYud+
>>67
>反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
> 死後、輪廻しないというのは、断見である。
「縁起している」というのは五感で感受するものを指すわけで、
(例えば、食感・味覚とか、触覚とか、想念とか)
五感で感受するという主体とか、感受される客体とかは・・・
いわゆる二義的なものであり、それ自体に自性がない。ということで
アンチ自性として「無自性」という概念が成り立つ。→これが無我
(食感・味覚とか、触覚とか、想念とか)が、あるか?どうか?が問題になる。
これが縁起を第一義諦とする、第一義空経における骨格の部分。
縁起を第一義とするなら、もはや「我」とかは二義的なものであり、
縁起なくば、我そのもののが独立独歩で輪廻するはずがない。
(仏教は不二の法門ですから、身体と精神は一如)
我とか、その客体(対象となるもの)は、非常に漠然とした概念であるが、
(食感・味覚とか、触覚とか、想念とか)は、それに比して具体性があるのは
日頃の経験則においても納得がいく。
ただ2500年も昔に、これだけのアカデミックな法を説くというのが、
あまりにも時代に即応していなかった。
それから時代を経て、原点回帰ということで体系付けていったのが龍樹。
部派仏教の時代は模索の時代であった。
92:神も仏も名無しさん
09/01/25 08:58:11 XbP0gQeH
俺が批判するのは「輪廻を否定する」という行為そのものではない。
素朴に輪廻を信じ生天を願うヒンドゥー教徒や
輪廻からの解脱を願うチベット仏教徒をあざ笑う態度
褒められたことか?それって単なる差別意識の現われだろ?
そして何より
輪廻思想を差別やカルト宗教の根源と断定し、輪廻否定はカルト宗教の根絶のためと言いながら
新たな「自身の宗教」を植えつけようとする偽善だ
「文献上そうは解釈できない」とか指摘するだけなら学問的だが
「これがブッタの真意である」といえばそれはもはや宗教だ。
まあ、高名な学者の中にも勘違いして宗教を語るバカはいるがなw
93:神も仏も名無しさん
09/01/25 08:59:03 XbP0gQeH
「釈尊は無我をといた、アートマンを否定した。しからば輪廻の主体をみとめないのだから輪廻を認め得るはずがない、
という論法は、和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』以来、しばしば打ち出される。しかし、この考え方は果たして理に合するというべきであろうか。
経典は、終始、我が無いと説く。それと共に経典は、迷える者に再有があることを、繰り返し説く。このことは果たして論理的に矛盾なのか。
それを矛盾と捉え、その点を衝くのは、あるいは、その点から仏教は本来輪廻を認めないと結論づけるのは、むしろ、
我の存在を主張する仏教以外の諸派から仏教を批判する立場そのものではなかろうか。
輪廻の主体としての『我』はないとするのだからして、再有すなわち輪廻転生があるとなし得る筈はない、と考えることは、
裏を返して言えば『我』があって始めて『有』が有り得ると考えることでないか。
それは、迷いの有(輪廻的存在)は、『我』なくして縁起的に展開する、『無明によって行あり--生・老あり』と展開する、
と見る仏教のユニークな立場を少しも理解しないところから発する議論というべきではなかろうか。」
櫻部建『阿含の仏教』
94:神も仏も名無しさん
09/01/25 09:04:56 xbsS67l0
>原始仏教における信仰とはどういった事柄を指すのですか?
これは重要な問題だと思います。
最近の日本人にとって「信仰」はどちらかといえばネガティブな
イメージを持っています。学会やオウム事件に見られるよう
「信仰」は「頑迷な妄信」「カルト」という意味合いを纏ってしまいました。
しかし仏教において信仰(シュラッダー、サッダー)は重要なタームです。
サッダーは第一信用、信頼の意味であり否定されるべきものではありません。
よく引き合いに出されるのが、サンユッタ・ニカーヤⅠなどに見られる
Aparuta tesam amasatta dvara, ye sotavanto panmuccantu saddham
「彼らに不死の門は開かれた。聞く耳を持つ者は信仰を解き放て(捨てよ)。
ですが、
ある先生はこれを「信仰を捨てよ」と訳し、「信仰」とはヴェーダなど否定されるべき信仰である
と解釈しました。
しかし、サンユッタ・ニカーヤ・アッタカター(注釈)によればpamuccantu
は、自己の内部にあるものを外部に「解き放つ」「発する」という意味があり
「信仰を起こせ」と注釈しています。
どうも伝統的にはそのように理解されていたようです。
また、これ以外の部分では信仰は決して否定的に扱われていません。むしろ
重要なものとされていました。
当たり前ですが、ブッタに対する信用、信頼がなければ帰依も必要なく
またブッタの言葉を聴く必要もありません。
先ず、信頼して教えを聞いた上で(聞)、それを玩味(思)し、その後修業する、
というプロセスだと思われます。
95:神も仏も名無しさん
09/01/25 09:17:32 /I8y8oG3
私の理解では十無記/十四無記で扱われたことは、禅定の結果で経験するものではありません。
宿命通などの過去の記憶は、無記でもなんでもなく、釈尊がなんども語っていることです。
何度も言っているように十無記/十四無記のターターガタが有情と注釈されることから、
死後は問うべきでないと解釈した学者がいたのですが、それが誤解であることは水野弘元先生が
論証したとおりです。
死後は問うべきでない解釈を敷衍して釈尊は形而上を問わなかったとなるわけですが、
それは成り立たないのは明白です。なぜなら釈尊は一切に意とその対象である諸法を含めたのですから。
つまり、精神や観念、思惟、直観を扱っているのが明らかです。
というより、釈尊は五官を抑制し、もっぱら禅定や観法という精神を主に扱ったのですから、
形而上を重視したと言えるでしょう。戒定慧でいえば、戒だけが形而下と関わっている。
その戒にしても仏教の戒律は、動機を重視するので形而上・精神を重視しているのです。
だから、仏教が形而上を扱わないというのは、全く問題にならない妄説なのです。
96:神も仏も名無しさん
09/01/25 09:18:22 /I8y8oG3
科学で証明できるのかとか仰ってますが、
先ずこのスレでは文献、テキストに何が述べられているかを正確に読むことが問題だと思うんですが。
テキストに説かれている釈尊の体系は何かが問題なのであって、そこに現代人の常識を持ち込むことこそ、
文献学的意味で非科学的態度以外のなにものでもないでしょう。
科学で証明できるのかとか仰ってますが、それを検証するためには科学に一生身を捧げても無理でしょうね。
才能のある科学者が取り組んでも無理なのに、今からそんなこと私ができるわけありません。
学問は、なんでも学術論文が読めるレヴェルになるまででもかなりの訓練が必要になります。
ましてや、誰もなしとげていない成果を出すのは、単純に考えて無理でしょう。
それから類推できるように科学の学説の正否を自分で確認するのはとても大変なことです。
私は相対性理論も量子論も、その正否など全くわかりません。
多くの科学者も自分の専門分野以外の理論の正否などは分からないものと言われます。
それでも現代の多くの人は専門の科学者が認めたものは正しいと信じてます。
これは科学信仰でなくてなんでしょうか?
仏教も同じです。悟りがあるかないか、それは悟るまでは分からない。
でも、多くの聖者が悟ったようだから、彼らの思想・行動から推測して信じられるなら受け入れればいいし、
信じられないなら、受け入れなければいいだけの話でしょう。
それとも科学は自分で検証しなくても信じるが、
仏教は科学と呼ばれる現代の常識から分析してからでなくては受容できないというなら、
それは仏教ではなくて、ただの現代の常識を仏教で権威づけてるだけでしょう。
ほら、釈尊も同じことを言ってる、だから常識は正しいと言いたいだけ。
なぜなら、仏教を常識のフィルターにかけて、別なものに作り変えているのですから。
97:神も仏も名無しさん
09/01/25 09:21:44 ErG+iskA
輪廻を説きはじめると、他の宗教を否定する側面が出てくる可能性があるから、
説かない方がいいと思うよ。
別に輪廻説かなくても悟りは否定されないし
悟りを目指している限り、仏教は成立するしね。
98:宝珠愚者
09/01/25 09:37:04 oM6E2Y58
>>95-96
正論ですね。
>これは科学信仰でなくてなんでしょうか?
>信じられないなら、受け入れなければいいだけの話でしょう。
>仏教は科学と呼ばれる現代の常識から分析してからでなくては受容できないというなら、
>それは仏教ではなくて、ただの現代の常識を仏教で権威づけてるだけでしょう。
同意します!
>>97
意味不明です。
もっと具体的に述べてもらえますか?
他の宗教とは何であり、どう否定します?
そのあなたのいう輪廻に関係ない悟りとは一体、何?
99:神も仏も名無しさん
09/01/25 09:49:01 xG8wvtQd
>>95-96
なんかずっとコピペしてるようですが、コピペならコピペと分かる形で
書いた方がいいと思います。
内容に関しては同意いたします。
100:神も仏も名無しさん
09/01/25 09:55:42 qeS8aKHX
いままでの議論を私なりにまとめてみます。
まずもって
「(業報)輪廻思想は原始仏典において確実に前提とされていますよ。
だれもそれを否定していない」
だそうです。()をつけたのは解釈が異なるためで、これはデンパさんと思われる人の説。
さすがに原始仏典に「輪廻」の語は無いという人はいない。
次に仏教において「輪廻」は苦であり、厭うべきもの解脱すべきものとされ
その意味では「否定的」に見られても「肯定的」に見られることは無い。
これも共通認識。
まして、「輪廻」が「真理」であり「事実」であると主張する人もいない。
しかし、なにを勘違いしてか「検証」「実証」と叫ぶ輩も後を絶たない。
問題は「輪廻」という語の解釈です。
次に「輪廻」の解釈をめぐって
①業報輪廻・・・今日行ったわるいことは、明日かそれ以降に報いがある。
人間存在とはそのように業の積み重ねによって苦しむ性質のものである。
*ここで順後次受が説かれていない点がミソ
②輪廻転生・・・・ 業報を死後の生まれ変わりに求める。
(282 神も仏も名無しさん [sage] Date:2007/10/31(水) 14:03:21 ID:K2u3Mk10)
この二つに分ける説(デンパさんたち)と、分けない説(私もそう)があります。
前者において
①業報輪廻は「生死」とも読みかえておられます。
「生死とは生老病死の四苦をまとめていったことであって、
生まれ変わり死に変わりではありません」デンパ説?
しかし、そのように「生死」を限定する典拠は未だ提示されていません。
更に②を「生死輪廻」「生死流転」と読み変える人もいます。
この場合の「生死」は上記の「生死」とは異なるようです。
101:神も仏も名無しさん
09/01/25 09:58:44 qeS8aKHX
そして、この二つを分ける典拠、原典の提示を求めると
日本の学者がそのように区別していることをあげ、終には
「根拠は必要ありませんね。
輪廻は経典や論書に現れる言葉、輪廻転生は表れない
だから、この両者は違うものとして取り扱わなければならない。
よく理解できませんが・・・、結局「根拠」はないようです。
その一方でデンパさん?は(A)「仏典には生死輪廻はあっても、輪廻転生はありません」と断言しています。生死輪廻がいわゆる輪廻転生なんですが・・・
どうやら、仏典で説かれる「輪廻」は①のみで②では無いという主張のようです。
また②を否定する理由として、
ブッタは「形而上」を取り扱わなかったことをあげていますが、扱ったか否かで論争中です。
その一方で(B)「輪廻転生を主張することに対する批判ですよ。
同じく、輪廻転生は無いと主張するひとも批判しますがね。」
との主張もあり同一人物なのかどうか?
あきらかに矛盾してます。
102:神も仏も名無しさん
09/01/25 09:59:09 qeS8aKHX
また
「私の言う前提とは「執着を否定するために採用された輪廻思想」と言う意味です。
つまり、当時の宿命論的な業報輪廻について(の執着を)否定するために前提として採用され、
否定されたということです」
ともデンパさんは述べます。
「宿命論的な業報輪廻」とは「前世においてこういうことをしたから、今の状態がある」ということでしょう。
するとそれは「彼らの意味するところの②輪廻転生」ということになり(A)と矛盾します。
結局「輪廻への執着を否定する」とは「解脱」「厭離」と意味するところは
同じであり「輪廻」がどのようなものであれ「関知しない」彼らの用語で
「捨て置く」ということのようです。
つまり「毒矢の喩え」あるいは「如来の後有」を
「衆生一般の後有」と解し、「無記」であるという主張です
(後者の理由が正しくないことはすでに述べられています)。
否定されるべきものは「執着」ということでしょうか。
結論としていわゆる輪廻否定派「輪廻」の定義にぶれが見られるうえ、
①と②に分け②を否定したり否定しなかったりと、
各者に違いが見られますが、
「毒矢の喩え」の態度は私も大いに肯うところです。
ただ
「毒矢の喩え」を「輪廻」に適応すれば
「輪廻の有無」ではなく「輪廻のプロセス」が捨て置かれるべき
ものとも解釈できますが・・・
虚空は存在する
しかしその辺際は問わない・・・のように。
103:神も仏も名無しさん
09/01/25 10:10:11 wU8RukDY
>>85 から >>90 のお前の書きこみ。 本当にひどいね。
お前、真性のキチ外だね。よくわかったわ。(笑
なんら有意な反論もできず、レベルが低い、バカだ と逃げ回ってるだけ。
さらには「大うそつき」 スレが新しくなったのを幸いに都合の悪い質問
には、「すでに回答済み」と大嘘こいて逃げる。レス番示せといってもできない。
できるわけないわな、答えてないんだから。(笑
さらに人の書きこみ内容も全く理解できないほどの読解力のなさ。
>>82 と >>84 で、かなり詳しく「立証責任」について説明しても
まるでわからない様子。「無いことを証明しろ」を繰り返すだけ。
「転生がなければ説明のつかない実証例」というのをここにあげてみろ。
一瞬で論破してやるから。
お前ねえ、皆が見てるんだよ。これ以上、自分のキチ外ぶりを晒すの止めたら?
ただ「アホだ、ばかだ」をくりかえすだけなら、小学生でもできるぜ。
ちゃんと論理的な有意な反論できるようになってから、書きこみをしろ。
わかったか?
104:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 10:41:16 CkHI4hNK
>>103
くだくだいってんじゃねぇよ、吉外。
おまえよ、立証責任はおまえにあるなんて、大きな勘違いをしているようだが
立証責任とは、自分の有利な事実については、自分が証明しなきゃ
いけないということなんだよ。
頭の悪いお前にもう一度わかりやすいように言ってあげるよ。
どっかの精神科医が集めた事例などから、どうも生まれ変わりを認めないと、
うまく説明ができないケースがある。また、このような事例から輪廻転生があるという仮説は
成り立つ。全く根拠もなしに、仮説を立てているわけではない。
それを完全に無いというのなら、無いというお前がまず、完全に無いという証拠を
示せといってるんだよ。それを立証責任はこっちにあると、ちんぷんかんぷんなこと
言って逃げ回っているのは、お前のほうだろうが。
お前の主張は、何の根拠もない、ただ、そんなものはあるはずが無いという、おまえの
思い込み、主観でしかない。ただおまえは、今の常識といわれているものを、妄信して、
無いというなら無いという証拠も見せずに、頭ごなしに無いといっているだけだろ、吉外。
立証責任などという言葉を使って逃げ回り、ごまかす。こいつらやり口が
詐欺師そのものなんだよ。立証責任についてはもう一度、>>82あたりでも読んで勉強しろや、吉外。
105:神も仏も名無しさん
09/01/25 10:41:27 VwGgTiZl
100-102
よくまとめていただきました。
有難う御座います。
>ブッタは「形而上」を取り扱わなかったことをあげていますが、扱ったか否かで論争中です。
以前にも申し上げましたが、
そもそも「形而上」「形而下」という概念がインド哲学、仏教にはない。
ゆえに、「仏陀は「形而上」の問題を取り扱わなかった」という主張は成り立たない。
もし、「形而上の問題を扱わなかったと仮定する」と解脱や涅槃、菩提は形而上の問題ではないのか?
形而上の問題ではなければ、輪廻の場合と同じようにそれらを実証しなければならない。
しかし、輪廻を否定するものも、それらが有ると無批判に主張する。
106:神も仏も名無しさん
09/01/25 10:42:39 wU8RukDY
キチ外にも理解できる程度に「論点の絞込み」をしようか?
どうも、お前は何が論点なのかさえもわからないみたいだからな。
いいか?キチ外カラス、
「他の生命体への転生の事実。」 はい、これを証拠をあげて実証してくれ。
これなら、さすがに何がポイントなのかは、お前にも理解できるだろう?
これが実証されたら、全面降伏。いままでのレスを全て間違いであると
認めて俺は謝罪のうえ、このスレ去るわ。
さあ、期待してるぞ。お前自身が主張してた説なんだから、当然、論証
できるな? にげるなよ。
107:神も仏も名無しさん
09/01/25 10:45:13 xG8wvtQd
>>56-57
同意。サムサーラに生まれ変わりの意味はないとか詭弁に他なりません。
例えば、
>>50
>「思慮ある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流もおし流すことのできない島をつくれ」(中村元訳)
>という言葉があり、パーリ注釈文では、非常に深いsaMsAra sAgara(sAgaraは=海、大きな湖など)のなかに自分のよりどころpatiTThAである真人の境地(arahattaphala)という島をつくれ、
>すなわちつくることができるように(vol. I, p.255.)としている。
とパーリ注釈文を自分で読んだかのように書いていますが、岩波文庫註二五ほとんどそのままです。
ですが岩波文庫註二五では「非常に深い輪廻の海(saMsArasAgara)のなかに」となっている所を上のように書き換えています。
そしてパーリ注釈文の著者とされるブッダゴーサは『清浄道論』の中で主体のない生まれ変わりをはっきり説いています。
このことは後で詳しく述べましょう。
>つまり、海の激流(荒波?)がsaMsAra(輪廻)なのであり、それを乗り越えて克服することが真人の境地、島(洲)=涅槃なのです。
>また、川の激流もsaMsAraです。原始仏典では随所に「川の激流を渡り対岸へ至れ」というような表現があり、これらも同じです。
ここまでは問題ありません。激流は瀑流と訳されるoghaです。
この瀑流も島(洲)も苦行者文学の中で使われる言葉で、自灯明の原義もここにあります。
つまり、自灯明ではなく自洲なのです。今生の人身を輪廻のなかの島とせよという意味です。
ウパニシャッドから仏教に至る所謂苦行者文学の中での輪廻について
詳しくは荒牧典俊「ゴータマ・ブッダの根本思想」『岩波講座東洋思想 インド仏教1』
をご覧ください。当然ながら電波説とは全く逆で輪廻は生まれ変わり以外のなにものでもありません。
>苦・迷いの人生(欲・煩悩を絶つこと)=激流=saMsAra=輪廻=生まれ変わり(という表現、物理的生死ではない)
上の『ダンマパダ』と岩波文庫のパーリ注釈文から「輪廻=生まれ変わり(という表現、物理的生死ではない」と断定できる理由がなにもないことは誰でも分かるでしょう。
つまり、飛躍、妄想があるということです。
108:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 10:48:49 CkHI4hNK
>>103
お前ハンドル出せよ。
これからおまえみたらおちょくってやるからよ。
おまえ、自分のおつむは相当幼稚で、話にならないということも
気づいてないだろ。
なにがゴータマは、冷厳な唯物論者だ。お前笑われるぞ。
どこをどう読めばそうなるんだよ。ゴータマはむしろ、唯物論者のような
断滅論者は、外道だといったんだよ。自分の思い込みでしか語れない、なんら
合理的な思考回路も持たない、幼稚な餓鬼が。
109:神も仏も名無しさん
09/01/25 10:53:16 g0/uE0Y4
地球人以外の宇宙人は、いるのでしょうか?いないのでしょうか?
110:神も仏も名無しさん
09/01/25 10:54:29 Nm9TbHXD
>>95-96のコピペ元?
スレリンク(psycho板:119-120番)
111:宝珠愚者
09/01/25 10:57:59 oM6E2Y58
>>103
>「転生がなければ説明のつかない実証例」というのをここにあげてみろ
否定論者は決めつけが酷いので、自分自身で調べてみようという意志がない。まず調べない読まない。経典の記述でもそう、読まないかブッ飛ばすか、他の文字に見えてくるのでしょう・・。
112:神も仏も名無しさん
09/01/25 10:59:17 wU8RukDY
>>104 の書きこみ読むと、お前は意図的に論点ずらしてるんじゃなくて
本当に理解できないんだな(笑
お前のいってることは、何の根拠にもなってないの。ただ、
「こういうことを言っている人たちがいますよ」と言う話を紹介
しただけ。その手の話は、本屋にでも行けば腐るほどあるし、TV
とかでもしょっちゅう、やってるわな(笑
それをお前が「真実であると信じてる」だけ。
それが『真実であると実証された』か?それなら、21世紀最大のニュースだ。
現在、我々が日常生活において体験している全ての物理法則も間違いだった
ことになる。
お前が言ってることは、「本にそう書いてあった」 「信頼できる人から聞いた」
「TVでやっていた」というのと同レベル。
何の根拠にもなってないの。 しかるべき機関により検証され、世界に
真実であると認知された『実証例』をあげてみろ。
113:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 10:59:59 CkHI4hNK
>>106
だからよ、この手のテーマは、自分で確かめるしかないんだよ。
だからゴータマはおまえのような頭ごなしにそんなものは無いという人には
あえてこの手のテーマは黙して語らず、無期を通したんだよ。
それと同じだ。おまえのような頭ごなしに否定してくる人間に対して、
どっかの精神科医が集めた事例より、どうも生まれ変わりを認めないと、
うまく説明がつかない事例があるので、ゴータマの業報による輪廻転生を
あわせて、仮説として、成り立ちますよと、話して上げてるんだよ。
その仮説をも、おまえはそんなものあるわけが無いというなら、お前のごみにしかならない
主観だけのものを語らず、きっちりと、無いという証拠を出せといってるんだよ。
たとえば、ゴータマの説に沿って、業報による輪廻転生を考察した場合、
おまえが、地球が消滅した場合どうなるという問いに、他の惑星で、生命いるのなら、
そこに転生するだろうという仮説を立てた。これが論理的に矛盾があるなら、
どこがどう矛盾しているのか、説明してもらおうか?
馬鹿なお前には理解不能のようだが、転生に、待機という概念は無い。
それは前スレで説明済みだ。それでもしつこく、くだらない質問を繰り返すのは、池沼の
おまえだけだよ。さぁ聞かれた事に答えろ。
114:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 11:03:35 CkHI4hNK
>>112
だからよ、その大学の先生が調べたことが何の根拠もない
というなら、その証拠を出せよ。
そんなのは根拠が無いというだけなら、子供でもできるんだよ。
お前の話はいつもお前の主観でしかないんだよ。
こいつの反論は、この話もそうだし、立証責任を他人に押し付け逃げるのも
そうだし、単なる思考停止だから。
115:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 11:04:38 CkHI4hNK
>>112
池沼のおまえは、仮説は成り立つという話も理解不能のようだな(苦笑)
池沼が。
116:宝珠愚者
09/01/25 11:06:31 oM6E2Y58
>>54
>そうですね。
>このスレッドの魅力というのは、様々な人の死生観が垣間見えるということでしょうね。
>輪廻転生があるか?どうか?というよりも、
>その背景にあるのが人間の願望なんでしょうね。
様々な見解と理解にある人たちがいる、というその事実と実体が浮き彫りになることが重要。「このよう
な議論は無駄だから最初からしない」というのではなく、互いの違いについて細部に渡って知り、そして自
分の見解を知らせることに意義がある。その中でより違いも明確になり、中にはただの誤解に過ぎず、共
通した理解であったという部分も見えたりもします。
117:宝珠愚者
09/01/25 11:07:45 oM6E2Y58
『「大徳よ、無我、無我と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなることを無我というのでありましょ
うか」
「ラーダよ、色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。行(意志)は無
我である。識(意識)は無我である。
ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、
想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪りを離れる。貪りを離れる
ことによって、解脱するのである。そして、すでに解脱するにいたれば、ああわたしは解脱したとの智が生
じて、<わが迷いの生活はすでにおわった。清浄なる行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。も
はやかような迷いの生活に入ることはあるまい>と知ることができるのである。」』
(南伝-相応部経典23-17/無我)
無我に関しては、ゴータマは「五蘊はアートマンではない」としか述べていない。つまり、アートマンではな
いものを自己と同一視するな、と教えているのです。アートマンではないものを自己と見なしたり、アートマ
ンではないものを自己のものと見なすことで「苦」が生じていると説くのです。これは他のどの経文において
も然りです。
まずは、ゴータマがアートマン存在を否定した。「アートマンはない」と説いたという事実はないので、この
確認が必要です。それは後代の解釈の誤りです。あれもこれもアートマンではないなら、結局アートマンは
ないということだろう、と簡略化してしまったのです。
そして、輪廻転生は「常見」外道にはあたらないことを理解する必要があります。
118:宝珠愚者
09/01/25 11:08:13 oM6E2Y58
これはつまり、「諸行無常」(現象世界の一切は変移変滅を繰り返していると説く)の真理に反する見解を
示すものであり、大きく二つの意味合いを持つ。一つはこの世(この現象世界)は永遠に続くもので不滅で
あるという見解。そしてもう一つは、人生とはこの世で一回限りであり、死後にはアートマンという不滅の実
体として生存し続けるという見解のことです。
仏教が目指す境地であるニルヴァーナとは繰り返す転生の生涯から遂に出して、真実の自己として常住
することを意味します。従って、転生の媒体(ゴータマはそれをアートマンだとはいわなかったが)も縁起で
生じているのでこれも無常の範疇にあります。
ニルヴァーナに到達した意識(真実の自己意識)は無常なる世界からは脱しているので、それは不滅の
意識であり、そのニルヴァーナ境地に常住し続けます。
しかし、無常なる世界で生きる人間が輪廻しているのであり、生死を繰り返しているのです(輪廻転生)。
ニルヴァーナに到達した者だけが再生(転生)を止むのです。凡夫は繰り返す転生の生涯を知らず、そん
なものはない、といいながら再び母胎に宿ってくる。この哀れな凡夫の姿を無明にあるという。
「賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報い
とを熟知している。世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は
業(行為)に束縛されている。---進み行く車が轄(くさび)に結ばれているように。」(スッタニパータ653-654)
「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(同666)
「罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生の
あるうちになすべきことをなして、忽(ゆるが)せにしてはならない。」(同676)
ゴータマはこのように明確に業があるうちは再生(来世)を止まないと明言しています。
119:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 11:08:14 CkHI4hNK
>>112
ほら、その大学の先生が集めた事例は信頼に値しないというなら
その証拠を出せよ。ほらほら、早く出せ。おまえは立証責任とは誰にあるかも
理解不能のようだが、この場合、立証責任はおまえにあるんだぜ。
ほら、早く出せ、池沼。
120:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:09:04 wU8RukDY
>>108 >なにがゴータマは、冷厳な唯物論者だ。お前笑われるぞ。
お前、誰かと勘違いしてるぞ(笑
>>113 >たとえば、ゴータマの説に沿って、業報による輪廻転生を考察した場合、
おまえが、地球が消滅した場合どうなるという問いに、他の惑星で、生命いるのなら、
そこに転生するだろうという仮説を立てた。
おいおい、仏説に従うとそうなっちゃうのか?本当かよ?
お前、そんなこと言ってると「仏教を勝手にオカルトにするな」って
真摯な仏教徒から叱られるぞ(笑
「仮説」??バカ言うなよ。そんなもん、仮説でもなんでもない。
単なる「妄想」 仮説とは何かについては前スレで書いたな?
よく読んどけ。(笑
121:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:15:13 PeSM4Nhl
>>99
スレッドを荒らすつもりでは無かったのです。
貴方の発言も中にはあったでしょう。(あるいは、ほとんどかも)
いずれせよ、私にどんな理由があるにしても申し訳ないことです。
謝罪いたします。
原始仏教
1 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/05/23 21:36
↑に始まって、↓
原始佛教 その28
1 :阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2008/08/20(水) 15:05:23 ID:ig8AI2xf
↑で終わった(あるいは復活するかもしれませんが)宗教板の名物スレですが、
原始仏教を論ずると題して始まって、6年の星霜を数えました。
その中の発言のほとんどが罵詈雑言でしたがw泥中の蓮華に値するレスを拾ってみました。
意図があって引用の形をとりませんでした。初めて本スレに接する人にとっては、生の発言として捉えてくださるだろうという希望です。
それも言い訳のようで、申し訳ないことですが。
とまれ、6年の長きに亘って「原始仏教」スレで論じられた命題の、ほとんどが「輪廻」に纏わる問題でありました。
ですから、本スレを立ち上げた宝珠氏が「輪廻」に限定してスレ立てをされた意義は深いと感じるのです。
また、本スレには、初代電波氏や阿呆陀羅氏ほどの極端な悪口雑言を陳列される方もいない(カラス氏には食傷)ので
「原始仏教」の悪いところは捨置して、珠玉のレスをリアルタイムに蘇らせてみたしだいです。
意のあるところを酌んでいただいて、厚かましいとは存じますがどうかお許しください。
122:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:19:25 wU8RukDY
>>119 >ほら、その大学の先生が集めた事例は信頼に値しないというなら
その証拠を出せよ。ほらほら、早く出せ。おまえは立証責任とは誰にあるかも
理解不能のようだが、この場合、立証責任はおまえにあるんだぜ。
ほら、早く出せ、池沼。
お前は本当に理解できないんだね?
「その事例が真実であると主張するのならば、まずお前が『なぜ、
これらの事例は真実であるか』を実証してみせなければならないわけ」
それに対して反証を求めるのが順序。なんでわからんの?
いきなり「真実でないことの証明」をもとめるのかねえ?
さあ、「それらの事例が真実である」 ことを実証してもらおうか。
それ対しておれが反証をくわえるから。わかった?
123:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:22:52 wU8RukDY
いったん落ち。
『実証』 期待してるぞ(笑
124:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/25 11:23:57 9to9w83l
>>105
>そもそも「形而上」「形而下」という概念がインド哲学、仏教にはない。
>ゆえに、「仏陀は「形而上」の問題を取り扱わなかった」という主張は成り立たない。
同意ですね。
これは日頃から拙者が主張してました。
「形而上」とか「唯物論」とか「断滅」とか・・・
そもそもこういった概念自体がイン哲にはない。
いろんな思想がチャンポン状態になって・・・法からどんどん離れていく。
それが宗教ドグマ。
「原始仏教スレ」もそうでしたが、水と油を混ぜるようなエマルジョン状態w
これは明確にせんといかんですね。
キリスト教と仏教は、水と油です。けっして混じりあうことはない。
西洋哲学とイン哲も同様。
けっして混じるあうことはない。
125:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 11:24:09 CkHI4hNK
>>120
お前は仏典に書かれていなければ、全て間違いなのかよ、池沼。
お前の理屈で言うと、おまえは、仏典に載っていないから、お前が死んで
輪廻転生するなんていうと、おいおいそんなこと仏典のどこにかいてんだよ!
といっているようなもんだ。他の天体の生命体のことを話せば
条件反射的に馬鹿にするしか能の無い池沼がよ。お前は話にならないんだよ。
126:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 11:26:50 CkHI4hNK
>>120
だからゴータマの業報による輪廻転生から導き出される
説の、論理的におかしいところがあればどこがおかしいか言ってみろよ。
条件反射的にそんなのはあり得ないあり得ないと、お前の主観で者を語る
場合じゃなくってよ。吉外。
127:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:29:33 9/9D2Tus
>>78
>己が無明であるとを自覚することこそ、悟りである
だったら>あるがままの自分(=無明自己)を受け入れ
てはいないではないか。
言っていることが矛盾しているんだよ。
唯物論ではブッダの真理(中道)に到達することは出来ない。
128:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 11:29:51 CkHI4hNK
>>120
仏教は、輪廻転生を歌ってるんだよ、吉外。
語っていないことにしてるのは、日本の末法仏教徒達だけだ。
もうここでも、ゴータマが輪廻転生を説いていたということは結論がでてるだろ。
否定派の能書きは、自分の価値感に無理やり合わせているだけの、
どうみても無理のある曲解ばかりじゃねぇのかよ。
仏典読んでもろくに内容も読めない吉外が。
129:宝珠愚者
09/01/25 11:32:46 oM6E2Y58
「このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が『この者は、このところへ生まれる。
この者は、このところへ生まれる』と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人に吹聴する
ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、『わたしは、このような超能力があることを人は知
れ』というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子
はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもた
らし安楽をもたらす」以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』」
(中阿含経・第77・帝三族姓子経)
修行の進歩に応じた死後の境地、転生回数といった四向四果の解説は需要なものです。内容の詳細
が具体的であり、仏道と修行の成果との関係を示す決定的なものです。それを神通力は仏陀を讃えるた
めに附加された後代の方便、などとされてはお話になりません。
仏教からこれら非科学的と称するものを全て排除したら、ただの当時の道徳規範に過ぎない話になる。
ならばどうしても必要なものではなくて、現代の科学常識と道徳で全て事足りることになり、ただの無用の
産物でしかなくなる。
仏教からこれら神通力の話を削除すべきという人は、仏教を物語と見なして信奉しなければいいだけの
こと。
130:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 11:33:48 CkHI4hNK
>>122
くだくだ言ってないで、その資料が嘘っぱちだというなら
その証拠を出せゴラァ!
わかってねぇのは、てめぇだろ!!
お前の能書きだと、なんら仮説すら立てられないことになるんだよ!
立証責任はてめぇにあるんだよ、吉外。
全く吉外相手には、まともな会話は成り立たない。
131:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:35:31 9/9D2Tus
>>78
あなたの理論によれば、過去の欲望のまま振舞った凶悪犯罪人たちは、
おのれのあるがままを受け入れた聖者たちだということになるなw
132:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:35:36 QWDbIspe
「ない」ことの証明は、「ある」ことの証明不能によって行う。そもそも、
「ない」ものの証明など出来ないからだ。
例えば、溶液中にある物質が「ない」ことを証明するには、その物資に
反応する試薬を入れ、反応しない、即ち、その物質があることが証明で
きない、ことによって行う。
神が「存在しない」ことを証明するためには、世界中の家の天井裏から
床の下、すべての人の鼻の穴からパンツの中まで探さなければならない。
存在することの証明は、神を一匹捕まえてくるだけで済む。
「ない」ことの証明は、「悪魔の証明」といわれ、不可能とするのが、
証拠法における確立された原則。
133:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:38:04 D75KxAsM
>>130
カラスさんが常日頃、悪口雑言を用いているのは、カラスさん自らが業と業果と輪廻転生を否定していることになりますよ。
このスレの輪廻転生否定者No1はカラスさんです。
134:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 11:43:42 CkHI4hNK
>>132
神がいるいないの話をしてるんじゃねぇだろ、ボケェ。
どこかの大学の先生が、生まれ変わりの事例を集めたら
どうも、生まれ変わりを認めないといけなとうまく説明ができない
事例が何点かあった。それから、仏教の輪廻転生の思想からもあわせ、
業報による輪廻転生はあるという仮説も成り立つ。
それらの資料がでっち上げだというなら、そんなものはあるわけないという
そこの吉外の主観ではなく、ちゃんとでっちあげだという証拠を出せろいってるんだよ。
どういつもこいつも池沼ばかりだな。
ちなみに神については、ビック版理論から、全ての始まりの根源はあっただろうということは
理論的に確かめられる。また、縁起の法を逆順で考察しても、根源にぶち当たる。
135:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 11:45:17 CkHI4hNK
>>133
毒は毒を持って制するだ。この論理的思考の欠片も無い
ただ自分の主観だけでものを言っている餓鬼は、相当に性質が悪い。
136:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:49:31 o2HQpJD9
愚者は人の言動にばかり気をとられ、自分自身の行いの醜さ、
言葉の醜さ、心の醜さを反省しようとしない。
137:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 11:51:32 CkHI4hNK
>>124
おまえキリスト教のなにを知って能書きたれてんの?
138:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:51:44 QWDbIspe
>>134
ビッグバンの理論は、カトリックの神父が、聖書の天地創造を正当化するため
に作り上げたもの。賛成する人が多いには、クリスチャンの数が多いからに
過ぎない。
139:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:52:36 xG8wvtQd
>>121
そんなに恐縮されては、こちらが恐縮します。
なるほど、そういう理由ですか。
ですが、引用の形にしないと意味が通じない箇所が散見されるので、
やっぱり引用の方がいいと思います。
根っこの部分では賛同しているので、気を悪くなさらないでください。
140:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:52:57 g0FDHelG
>>135
>毒は毒を持って制するだ。
この考え方は、仏教徒ではありえませんよ。
電波さんや阿呆さんと全く同じ。
141:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:54:16 9/9D2Tus
>>96
>テキストに説かれている釈尊の体系
「釈尊の」金口の説法だとどうして確定できるのか?
逆に宮本啓一みたいにパーリ仏典のブッダのことばを
すべて真説だと居直って丸呑みしてしまうのか?
142:神も仏も名無しさん
09/01/25 11:56:16 o2HQpJD9
とにかく宗教は、<観念>ですから何とでも屁理屈をつけられるので<有害>☆
____
/ \
/ ─ ─ \
/ (●) (●) \ <世界支配しかないお!>
| (__人__) | 皆、長いこと騙されてきたんだよ!
\ ` ⌒´ ,/
r、 r、/ ヘ
ヽヾ 三 |:l1 ヽ
\>ヽ/ |` } | | 『神のくそったれ!』 ↓
ヘ lノ `'ソ | | ■URLリンク(video.google.com) ■
/´ / |. |
\. ィ | |
| | |
143:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 11:57:03 CkHI4hNK
>>136
心は熱く燃えていても、肉に支配された心は弱いものだ。
肉のあるかぎり躓きは避けられない。しかしそれをもたらす者は災いだ。
どんな小さな者でも躓かせる彼らは、生まれてこなかったほうが、まだましである。
144:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 12:00:17 CkHI4hNK
>>138
いよいよ神と呼ばれる存在を否定したいが為に、
ビックバン理論までもがでっち上げにしてるぜ、こいつら。
どうよ(苦笑)
この盲目ぶりをとくとごらんあれ。
145:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/25 12:09:50 9to9w83l
>>137
>>137
キリスト教というのは、
ユダヤ教においてメシア(救世主)が現れたというので大騒ぎしてるんだよ。
今現代においても救世主は現れてる。→文鮮明とか
仏教でも、釈尊の生まれ替わりなんて日本には沢山いる。
(その筆頭が大川隆法とか。もっと昔になると日蓮とか)
救世主を自己表明しているに過ぎない。
しかしながら、何を救世したのか?というと・・・
殆どの場合は救世はしてない。
(冷静にモノゴトの判断を仰ぐのは、もっとアカデミックな宗教哲学が必要である)
146:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 12:12:31 CkHI4hNK
>>145
イエスの救いの意味もわかっていない奴は、黙ってろよ。
147:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/25 12:18:51 9to9w83l
>>146
救う必要は全くない。
釈尊は「世界は甘美である」と表明しておりまして、世界には迷いがない。
迷ってるのは人間だけ。
人間だけ迷ってるなら・・・
人間が自己解決するのが本筋。
これを自灯明・法灯明といふ。
148:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 12:25:25 CkHI4hNK
>>120
お前の前スレで書いた仮説の定義は、間違ってるんだよ。
あの定義だと、不確定性原理など認められないし、今までの常識から外れた
たとえば時間は宇宙の端々まで同じ時を平等に流れているという当時の
常識を打ち破った、アイシュタインの相対性理論も、実験で確かめられるまで、
仮説としても立ててはならないとなる。馬鹿なお前に教えてやるよ。
仮説とは、論理的に矛盾が無ければ、今の常識とかけ離れた理論でも
立派に、仮説として、成り立つんだよ、吉外。
こいつの言ってることはなんら論理的なものは無く、単なる自分の主観のみで
めちゃくちゃだ。仮説の意味もわかっていない。こういう奴が中世に生まれると、
当時天動説が常識だからと、地動説を唱えるものが出てくると、弾圧して、言論を
封殺するんだ。俺がこいつをたたく理由がわかるか?どんなに論理的には筋の通った
話をしtれも、自分の価値観以外は認めないエゴにまみれたこいつは、邪悪なんだよ。
149:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 12:26:44 CkHI4hNK
>>147
そう思ってるのはお前の妄想。
お前の仏教は、現実的にはくその役にも立たない、ただの言葉遊び。
150:宝珠愚者
09/01/25 12:30:24 oM6E2Y58
>>141
私はジャータカ及び人間以外の下等生命への転生話を方便としますが(理由は>>3-6)、それ以外は
全てゴータマの言葉そのままに受け入れています。恐らく宮本啓一氏には近いでしょう。
たしかに鵜呑み丸呑みは良くない(これはゴータマ自身も述べた)。従って、仏典を批判的に読んでい
く姿勢そのものは弟子道にない人には推奨されます。私も否定論者の見解には否定的に読みます。
あなた自身の中で疑問が解消され、或いは教えに対して信頼性が増したなら、仏道入りを検討すると
いいでしょう。疑いのなまこでは弟子とはいえない。そういう人は無理に信奉する必要がない。
151:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 12:30:53 CkHI4hNK
>>147
こいつら似非仏教徒にかかれば、単にエゴのまま生きる動物(獣)は
生まれながらに悟っているとなるから恐れ入る。
おまえよ、邪見をばら撒くのも程ほどにしとかないと、後で公開するぜ。
その業の報いは自分自身が受け取ることになるからな。
そういや電波なんてのは半身不随になったそうじゃねぇか。今頃、ものも語れない
身体になってんじゃねぇのか?(苦笑)
邪見をばら撒き、みんなを迷わすくらいなら、語れない身体になるほうが、はるかにましだ。
152:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/25 12:38:55 6/oyYud+
>>149
貴殿は、キリスト教に救いを求める。というのは
源罪がある。と、そういうふうに脳にプログラムが挿入されているから。
源罪なんて、そういうもんは全くないんですよ。
まあ、あると信じている人は・・・それが真実なんでしょうけど。
>お前の仏教は、現実的にはくその役にも立たない、ただの言葉遊び。
そのとおり。ご利益などは全くない。
ないないづくし。
究極的に「なにもない」というのが、
人間にとっては涅槃となる。
(非常に高度な仏教哲学になる)
153:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 12:40:11 CkHI4hNK
>>152
おまえ原罪の意味わかってんの?聞いてやるから
お前の理解する、キリスト教の言う原罪の意味を言ってみな。
154:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 12:42:36 CkHI4hNK
>>152
>そのとおり。ご利益などは全くない。
>ないないづくし。
>究極的に「なにもない」というのが、
>人間にとっては涅槃となる。
>(非常に高度な仏教哲学になる)
おまえアホやろ。それが悟りなら、なんでゴータマは欲を断ち一日中瞑想
修行しなきゃいけないんだよ。なんで八正道など収めなきゃいけないんだよ。
おまえのはただの言葉遊びで、話にならないんだよ。
155:神も仏も名無しさん
09/01/25 12:43:13 wvCMsfdz
>>151
>そういや電波なんてのは半身不随になったそうじゃねぇか。
ますます、口が悪くなってるなぁ。。
どこでそういう話になったのですか?
156:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 12:43:17 CkHI4hNK
キリスト教の原罪論を理解しない奴は、キリスト教を語るなよ。
157:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 12:44:31 CkHI4hNK
>>155
あんな奴は早く死ねばいいんだよ。
くだらない男だ。
158:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 12:45:46 CkHI4hNK
机よ、いいかげんお前の仏教は、ゴータマの仏教とはちがうという事くらい、
気付こうや。
159:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/25 12:49:08 6/oyYud+
>>156
エデンの園の話は、あれは日本でいえば神話の類。
蛇が語ちるわけはないだろ?
ヤマタノオロチが現実にいた訳ではない。
源罪というのは、そういった一連の物語に過ぎん。
160:宝珠愚者
09/01/25 12:56:22 oM6E2Y58
>>42
ヽ(´ー`)ノ お奨めにあやかりまして、早速「Jane Style」なるものを導入しました。
まだ使い方が分りませんがご親切に感謝です m(_ _)m
161:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/25 12:57:23 6/oyYud+
>>154
>おまえアホやろ。それが悟りなら、なんでゴータマは欲を断ち一日中瞑想
あのですね、
人間というのは、一番簡単そうなのが・・・実は一番難しいのですよ。
そういうもんに気づいていくのが悟りというもんです。
眼が横に付いてて、鼻は縦に付いてる。
これは納得するのに非常に時間と努力を必要とする。
(釈尊の瞑想というのは、この延長線にある)
162:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 12:58:11 CkHI4hNK
>>159
おまえアホやろ。聖書は肝心なことは全てたとえで書かれている。
文言のとおり読んで理解してどうすんだよ。
原罪の意味も全くわかっとらんし。蛇とは善悪を分ける知恵。
それすなわちロゴスだ。われわれを再び生かす命の木も、われわれを殺した
善悪を知る知恵の木も、エデンの園の中央に隣接してなっていた。
そしてイエスもロゴスだ。蛇にかまれた人は死んだが、天に上げられた蛇を拝む者は
死なない。天も地も、生も死も表裏一体。
イエス=ロゴス=蛇=善悪を知る知恵の実=命の木。
全ては表裏一体なのだ。
人は一つのものを二つに分けた。一つのものを、私とあなたに分けた我々人間に
義人はいない。ただの一人もいない。
ま、おまえらにはもったいなすぎる話だ。
163:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 13:00:05 CkHI4hNK
>>161
お前の理屈だと凡夫はそのまま悟っていることになり、
ここに矛盾をはらむ。
164:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/25 13:03:17 6/oyYud+
>>162
>ま、おまえらにはもったいなすぎる話だ。
いやぁ~
そんな話は昔からあるよ。
つまりその根本原理というのは陰陽思想からきている。
別に特別なもんでもない。
古くから中国にはあった。
165:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 13:10:45 CkHI4hNK
>>164
知ってておまえは>>159のような
ちんぷんかんぷんなレスをよこすわけだ。
なにが陰陽の思想だ。男と女の意味も知らず
>>159のようなちんぷんかんぷんなレスをよこすやろうがよ。
では聞こう。なぜロゴスが人を殺し、なぜロゴスが人を救うのだ?
答えてみろ。
言っとくが、キリスト教は、おまえらが思っているより、奥が深いぞ。
166:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
09/01/25 13:11:21 CkHI4hNK
>>164
原罪の意味も知らないカスが、なにを抜かす。
167:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/25 13:17:40 9to9w83l
>>163
凡夫というのは、輪廻転生があるか?どうか?思い煩うことですね。
こういうのを「迷い」と言ったりする。
人は迷いながらも老いて~そして死を迎えるわけですが、
この人生80年くらいでしょうか?
死んだらどうなるか、迷いに迷い抜いて、そして死んでいくわけですね。
有余涅槃というのは、こういった迷いからの解脱ですね。
非常に答えは簡単ですが、
簡単すぎて、これは殆どが解脱は困難。
(これを凡夫といふ)
168:宝珠愚者
09/01/25 13:32:59 oM6E2Y58
便利なものを見つめました。これを使えばDAT落ちスレもすぐに読めます。
次のテンプレからは、こちらの変換機でのURLを貼ったほうが良さそうです。
「2ch DAT落ちスレミラー変換機」
URLリンク(www.geocities.jp)
スレ6(まだDAT落ち前)
URLリンク(mimizun.com)
スレ5
URLリンク(mimizun.com)
スレ4
URLリンク(mimizun.com)
スレ3
URLリンク(mimizun.com)
スレ2
URLリンク(mimizun.com)
スレ1
URLリンク(mimizun.com)
169:神も仏も名無しさん
09/01/25 13:47:24 mt5cCuzk
>おまえアホやろ。聖書は肝心なことは全てたとえで書かれている。
文言のとおり読んで理解してどうすんだよ。
原罪の意味も全くわかっとらんし。蛇とは善悪を分ける知恵。
「聖書は肝心なことは全てたとえで書かれている」と言いながら、仏典については
たとえであることを認めないのはどういうこと?w
170:神も仏も名無しさん
09/01/25 13:50:14 t6ZC9rW2
>>168
あ、これは便利。
今まで全く存じ上げませんでした。
ありがたや。
171:神も仏も名無しさん
09/01/25 14:36:56 xG8wvtQd
>>105
そうですね。形而上学の否定とされるのは十/十四無記と以下の佐倉哲さんの指摘でしょう。
URLリンク(www.j-world.com)
比丘たちよ、わたしは「一切」について話そうと思う。よく聞きなさい。
「一切」とは、比丘たちよ、いったい何であろうか。それは、眼と眼に見えるもの、
耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、
身体と身体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。
誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、
それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないだろう。さらに彼を問い詰めると、
その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。何故か。何故なら、
彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。(サンユッタ・ニカーヤ 33.1.3)
以上のような「一切」と「十/十四無記」に明解に答えるのがパーリ『梵網経』です。
『梵網経』はブッダに対して賞賛と誹謗があることにビクが騒いだの因んで釈尊が説かれた教えです。
釈尊は賞賛に対して次のように仰られます。
Katamañca taṃ, bhikkhave, appamattakaṃ oramattakaṃ sīlamattakaṃ,
yena puthujjano tathāgatassa vaṇṇaṃ vadamāno vadeyya?
ビクたちよ、凡夫が如来を賞賛して語るとき、どのようなわずかなことのみを、
卑近なことのみを、戒のみを語るであろうか(浪花宣明 訳以下同じ)
この後、小中大の戒が説かれます。要するに凡夫でも見て分かることだけを賞賛するとしています。
そして、次に釈尊はこのように仰られます。
172:神も仏も名無しさん
09/01/25 14:37:50 xG8wvtQd
Atthi , bhikkhave, aññeva dhammā gambhīrā duddasā duranubodhā santā paṇītā
atakkāvacarā nipuṇā paṇḍitavedanīyā, ye tathāgato sayaṃ abhiññā sacchikatvā
pavedeti, yehi tathāgatassa yathābhuccaṃ vaṇṇaṃ sammā vadamānā vadeyyuṃ.
ビクたちよ、このほかに、如来がみずから悟り体現して教示している、深遠で、
見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、
微妙で、賢者だけが理解できる諸法がある。それら〔を賞賛すること〕によって、
如来をあるがままに賞賛し、正しく語ることになるであろう。
この後、以下の六十二邪見が説かれます。
1.過去に関する説
1.四常住論(我と世界が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
2.四つの一部常住論(我と世界の一部が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
3.四有限無限論(世界が有限無限であるという三つの禅定体験と一つの推論)
4.四詭弁論
5.二無因生論(我と世界が原因なく発生するという禅定体験と推論)
2.未来に関する説
1.死後の有我説
1.十六有想論
2.八無想論
3.八非有想非無想論
2.七断滅論(一つの無我断見と六つの有我断見)
3.五現法ネハン論(一つの現世肯定論と四つの禅定体験)
これらを述べた直後と、最後に締めくくりとして釈尊は次のように仰られます。
173:神も仏も名無しさん
09/01/25 14:39:47 xG8wvtQd
Tayidaṃ, bhikkhave, tathāgato pajānāti – ‘ime diṭṭhiṭṭhānā evaṃgahitā
evaṃparāmaṭṭhā evaṃgatikā bhavanti evaṃabhisamparāyā’ti.
Tañca tathāgato pajānāti, tato ca uttaritaraṃ pajānāti, tañca pajānanaṃ
na parāmasati, aparāmasato cassa paccattaññeva nibbuti viditā.
Vedanānaṃ samudayañca atthaṅgamañca assādañca ādīnavañca
nissaraṇañca yathābhūtaṃ viditvā anupādāvimutto, bhikkhave, tathāgato.
ビクたちよ、これについて如来は次のように知る。『このように執着され固執された
見解は、このような趣く先をもたらし、このような未来をもたらすであろう』と。
如来はこれを知り、またこれよりも勝れたことを知る。ビクたちよ、
しかしそれを知って如来は固執することなく、また固執がないから、
心の内に寂静があり、感受の〔生起する〕原因と消滅と過患と出離とを正しく知って、
執着を離れている。
「このような趣く先をもたらし、このような未来をもたらすであろう」というのは、
以上の六十二見は、体験した結果の転生をもたらすという意味です。
「如来はこれを知り」ということは、釈尊が以上の禅定体験を全て経験しているという意味です。
さらに釈尊は次のように続けます。
174:神も仏も名無しさん
09/01/25 14:42:40 xG8wvtQd
Tatra , bhikkhave, ye te samaṇabrāhmaṇā pubbantakappikā ca aparantakappikā
ca pubbantāparantakappikā ca pubbantāparantānudiṭṭhino pubbantāparantaṃ
ārabbha anekavihitāni adhimuttipadāni abhivadanti dvāsaṭṭhiyā vatthūhi,
tadapi tesaṃ bhavataṃ samaṇabrāhmaṇānaṃ ajānataṃ apassataṃ vedayitaṃ
taṇhāgatānaṃ paritassitavipphanditameva.
ビクたちよ、これらのうちで、かれらシャモン・バラモンたちは、
過去の限界について考察し、未来の限界について考察し、
過去の限界と未来の限界とについて考察し、過去の限界と未来の限界とについて見解をもち、
六十二の根拠により、過去の限界と未来の限界とに関して種々の浮説を主張するが、、
それはかれら尊敬すべきシャモン・バラモンたちが〔真実を〕知っておらず、
〔真実を〕見ていないために感受されたものであり、渇愛に陥っているために
おののき狂躁したものにすぎない。
ここで重要なのは凡夫より六十二見の方が高い見解であり、禅定によって
知覚領域が高まっているとされていることです。それを裏付けるのが、
凡夫の場合「卑近なことのみ」とされたのに「尊敬すべきシャモン・バラモンたち」が
「感受されたもの」としていることに示されています。ですから、比喩説も否定されます。
「過去の限界と未来の限界」というのは、過去世と未来世です。
それははっきりと説かれています。
「一切」に戻ると、「一切」というのは凡夫の五感の対象だけではないのです。
聖者の心の対象も含まれていることも、はっきりと認識することが重要です。
さらにパーリ『梵網経』には「十/十四無記」を理解する鍵でもあります。
それには石飛道子『ブッダと龍樹の論理学』186頁以下が天才的な考察をされています。
それについては、また後で。
175:神も仏も名無しさん
09/01/25 15:29:16 ErG+iskA
>>98
キリスト教でもイスラム教でもいいけど、
六道輪廻を認めない宗教は多いから、そこで輪廻があると断言すると
論争の種になる。
輪廻に関係ない悟りというか、悟れば自動的に輪廻から解脱するわけだから
輪廻があるとか無いとか言う必要もなく、ただ悟りを目指せばいいという話。
176:神も仏も名無しさん
09/01/25 15:30:37 VwGgTiZl
107さん有難う御座います。
107さんの説明のように
私の質問に対して50さんの返答は全く答えになっておりません。
>川の激流もsaMsAraです
まず私はsa.msaaraに「川や水の流れ」があるなど聞いたことがありません。
漢訳語にも見あたりませんが?
私は1. course,passage の意味におけるsa.msaara単独での用例を求めております。
次にsaMsArasAgaraのコンパウンドですが、tatpuru.sasでしか読めません。
語順からも「海の激流(荒波?)」とはとても読めないのですが?
漢訳語でも華厳経では「生死大海」と訳されています。
>原始仏典における1の意味で用いられるsa.msaaraの頻度はどのくらいですか?
>全てです。
違います。
107さんの指摘と以上からもsa.msaaraの解釈がでたらめであることが
はっきり致しました。
177:神も仏も名無しさん
09/01/25 15:37:53 VwGgTiZl
171-174
ご教示有難う御座います。
178:神も仏も名無しさん
09/01/25 15:44:25 DcGj2Sjh
有難い事です。
これで中道の仮面を被った断見仏教常識派信者の出る幕はなくなりましたね。
次は無我=非我論を盾にした常見仏教神秘派信者ですね。
179:神も仏も名無しさん
09/01/25 15:51:12 orXKi90k
正統派キリスト教やユダヤ教、イスラム教では輪廻を否定しているにしろ、これらの大宗派にはどれも、かつて輪廻を支持して論争してきた党派がいた。
一般に信じられているのとは裏腹に、生まれ変わりは多数の原始キリスト教徒たちに広く受けいれられており、なかでもオリゲネスが転生を信じていた事は有名である。
聖アウグスティヌスもあきらかに「人間存在は一回限りではないらしい事に頭を悩ましていた」
『主よ、お聞かせください‥‥幼少の頃の私は、より前に死んだ別の時代の私の人生を引き継いでいるのでしょうか』と書いている。
彼もたぶん現代キリスト教徒の多くが知らないように、イエス・キリストが輪廻を立証していたという事実を知らなかったのだろう。
このことは、聖書にも書かれているし、グノーシス派の書物にはもっとはっきりと書きしるされている。
グノーシス派の福音書「信仰の知恵」には、『魂はこの世ひとつの身体から別の身体へと次々に注ぎいれられる』というイエスの言葉が引用されている。
四世紀になって、キリスト教は迫害された秘教の信奉者たちの集団から発展し、政治の世界にも影響を及ぼすまでの大組織に成長したわけだが、
このときになって初めてキリスト教神学における輪廻への反対論が表れた。
これにも屈しない彼らには異端という烙印を押された。
「驚くべき現代の神話・輪廻転生」J・L・ホイットン他著より
180:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/25 16:07:50 6/oyYud+
>>168宝珠愚者どの
これは凄いものを見つけましたね。
凄いです!!
こんなのがあったのですね。
早速、利用させて頂きます。
181:神も仏も名無しさん
09/01/25 16:10:49 ZQjEO+KR
>>180
長いこと2chに巣くっている人でも、知らないことがあるのですねw
182:1/3 初代スレ7
09/01/25 16:14:19 s1aNasNV
さて・・・。
私が上げた二つのファイル(―何人か落としてる方もいるようだが、
間違いや批判目的の方もいるだろうと思うのでDL数自体に意味はないだろう―)や、
前スレの(簡単ではあるが)「スパン」「認識の限界」「因果の取捨選択」(或いは「溜飲を下げる」)についても、
スレ違い覚悟で御隠居風味の方とやりとりをした「五感が信じるに足る理由は何か?」についても、
興味を持つ人は居ないんだろうな・・・。(批判や罵倒すら無いし・・・w)
“迎合”や“話を合わせる”ということでなく、
今という時代に於いて、他の価値観との対話が不可欠であるなら、絶対に避けては通れない筈なのに・・・。
また、分類表は、「何が仏教なのか?」「何をもってして(どこをもってして)仏教と言うのか?」
という問いと関連してたりもする。
ま、それはもうどうでもいいか・・・w
183:2/3 初代スレ7
09/01/25 16:16:32 s1aNasNV
スレも序盤。燃料投下も兼ねて、ある意味不遜な暴論を吐いてみましょう。(どうせ外道の戯言だしwww)
私が今考えているのは、
「業報思想の不完全さ」及び「輪廻(生まれ変わり)は、その不完全さを補完する」ということです。
別の言い方をすれば、
《「輪廻(生まれ変わり)」により補完されることによって「業報思想の完全性」が保たれる》 ということです。
肯定論者の方たちの骨子は、まさにこの点にあり、
このスタンスであれば当然、《「輪廻(生まれ変わり)」を欠いたならば、「業報(思想)」が崩壊する》
という考えしか導けません。(端的に表れている直近のレスが>>37(>>20)となります。)
勿論、カラス氏が言うような「根源」や「第一原因」(或いは「世界の始原」)とも絡んできます。
そして、私が各論として掘り下げていければと思うのは、
「不完全さ」の内容である
《「スパンの切り取り基準」や「知覚認識の“際(きわ)”・“限界”」、「“果”の抽出・“因”の抽出及びその基準」、
「“因”や“縁”の(直接に)及ぶ範囲」、「“果を受ける”主体が仮設されてしまうこと(≒>>37(>>20))」》 などです。
※(或いは、
《「“果”からの逆算」(その帰納的・経験的積み重ね)により、「“因果”の確実性」は見出された(≒担保されている)》
という点も加えるべきかもしれない。)
そして、
《「輪廻(生まれ変わり)」を導入することで、そうした「不完全性」を隠蔽している形になっていないか?
不問に付し、見て見ぬふりになっていないか?》 という点です。
184:3/3 初代スレ7
09/01/25 16:17:58 s1aNasNV
この吟味(「この不完全性」を明確にし解体・解決すること)は、
≪ 《「輪廻(生まれ変わり)」が抱える問題点は、実は「業報思想」が抱える問題点と被っている
(→だから補完要素として採用される)》ことであり、「業報思想の不完全性」を明確にし解体・解決することは、
すなわち「輪廻(生まれ変わり)」の不完全性を明確にし解体・解決すること ≫
となるのではないかと思っている。
また(―それが、「結局(輪廻以外の)他の要素による補完」になるのか、
「不完全に見えるだけで、完全であったことが確認される」のか、
「註釈(細かな補足説明)付で為されるものとなる」のかはわからないが―)、
業報思想の不完全性を昇華し、業論者・行為論者(kamma vAdin)と呼ばれた釈尊の言う
「行為とその果」に於ける真意に近付くこととなるかもしれない・・・。
そして、ここに於ける説明が、
仏教外からの(特に哲学(や認識論?)や生物学的視点の側からの)批判・指摘に対する答えとなるだろう、と・・・。
(個人的には、「“宗教”なんだから違って当然。解らなくて当然。」という形は避けたい・・。)
以前「作文中」と書いたが、実際は「考え中・吟味中」と言った方が正確だ。
その意味では、(近似した価値観・スタンスばかりで構成される)狭い仲間内のコミュニティより、
雑多な意見が飛び交う2chという場は、楽しいし有意義だw
このスレも、建った当初は(さて、どういう方向へ向かうやら・・・)と思ってたが、
聡明な、知識豊富な論客が多く出入りするようになった。
特に最近のレスは簡明で解り易い。有難いことです。
185:神も仏も名無しさん
09/01/25 16:31:21 XSTPsDNZ
「原始仏教スレ」も事実上は、輪廻と仏教が主題だったと言ってよいと思います。
そうしますと、足掛け7年も輪廻について議論していることになります。
私も当初は、輪廻など瑣末な問題だと思っておりましたが、八万四千の法門を標榜し、万人に入りやすき教えと思っていた仏教の入り口にある輪廻という小石に誰もがつまずく。
この輪廻という小石は、気がつけば巨石となって、眼前に立ちはだかっていた。
そんな畏怖をおぼえます。
186:初代スレ7
09/01/25 16:38:04 s1aNasNV
>>185
>万人に入りやすき教えと思っていた仏教の入り口にある輪廻という小石に誰もがつまずく。
>この輪廻という小石は、気がつけば巨石となって、眼前に立ちはだかっていた。
>そんな畏怖をおぼえます。
美しい表現をしますね。
躓いている者達の代表が私だと思っていただければ、レスもし易くなるでしょうか・・・?
187:神も仏も名無しさん
09/01/25 16:51:13 gXAhNglN
>>131
>あなたの理論によれば、過去の欲望のまま振舞った凶悪犯罪人たちは、
>おのれのあるがままを受け入れた聖者たちだということになるなw
凶悪犯罪人とは、まさに、「おのれを取り巻くあるがままの現実 」を受け入れ
られずに、その以外のものに執着した結果ではないか。
このことは、あるがままの現実を受け入れられずに、それ以外のものを求めて
宗教や修行に走る、宗教者や聖人も同じこと。彼らにも悟りはない。
人間の本質は、生存と種属の維持である。自分や社会や家族の生存のために精
一杯働き、一日の仕事を終えた後は、家族や、場合によっては友人たちと、楽
夕餉の席を囲む。悟りとは、そこにある。
「あるがままの今ここ」に満足できず、「何か他のもの」を求めて、または
「ありもしない輪廻転生」に怯えて、生存、即ち日常生活から遊離した宗教や
修行に没頭する宗教者たちは、まさに悟りとは正反対の、浅ましい執着の姿に
過ぎない。
188:神も仏も名無しさん
09/01/25 16:59:28 gXAhNglN
>>187の訂正
×楽夕餉
○楽しい夕餉
189:神も仏も名無しさん
09/01/25 17:05:34 ur8uUosv
>>187
じゃぁ、お釈迦さまは、還俗してお城へ帰ったんだ。
修行者や弟子にバカなことはやめて、お家へお帰りって教えたんだね。
190:神も仏も名無しさん
09/01/25 17:09:59 gXAhNglN
>>189
その意味で、釈迦は少しも悟ってはいなかった。だから、仏教者たち
も、執着にまみれた人がいる。
191:神も仏も名無しさん
09/01/25 17:12:09 V4jz+w/F
このスレに出逢って、「悟りとは」などと軽々しく言えなくなった。
禅の見性で会得できるものが随分と小さなものに思えてきた。
釈尊がさらに偉大に思えてきた。
192:神も仏も名無しさん
09/01/25 17:16:20 gXAhNglN
>>191
悟っていなかった釈尊のどこが偉大なのかね。
偉大なのは、「生存・生活」という「最大の修行」で悟った、圧倒的多
数の当時の生活者たちであろう。
193:神も仏も名無しさん
09/01/25 17:18:28 ErG+iskA
キリスト教や仏教を信じている人がいるという「あるがままの現実」を受入れられない可哀想な人もいるな。
194:神も仏も名無しさん
09/01/25 17:22:18 gXAhNglN
>>193
彼らは、あるがままの現実を受け入れられないからこそ、宗教に縋る
のである。そして、悟りからはさらに遠のく。
195:初代スレ7
09/01/25 17:23:43 s1aNasNV
ああ、ついでに告白しておこう・・。
質問箱での一悶着を因として建てられた、このスレ。
【悟りは】反仏教論の構築へ向けて・・・【逃避?】
スレリンク(psy板)
これを建てたのも、仮テンプレの文を作成したのも、私です。
私が、
誰に対する言葉を模索しているか、→『どのような批判に対して、反論の言葉を模索しているか』
が、少しは理解して頂けるでしょうか・・・。
『何を仏教として受け止め、どこに、その価値を見出しているのか』を・・・。
三代目170氏は、誠実に(敏感にw)反応してくれました。
【「出家遊行生活」は“逃避”という“側面”がある】ことを、決して忘れてはならないと思う。
これを忘れた時、仏教は民衆と乖離し、単なる知的パズルに堕してしまうだろう。
お釈迦さんが
《何に悩み、何に気付き、何を目指し、何を説いたのか》(《その時、どのような方面への配慮を気にされていたのか》)、
ここへの視線を忘れた時、その時には、
何が語られようとも、どれだけ仏典が引用されようとも、
それらは全て、絵空事にしかならないだろう・・・。
196:神も仏も名無しさん
09/01/25 17:24:00 ErG+iskA
彼らは、あるがままの現実を受入れられないからこそ、宗教を叩くのである。
そして、悟りからはさらに遠のく。
197:神も仏も名無しさん
09/01/25 17:31:39 gXAhNglN
>>195
>【「出家遊行生活」は“逃避”という“側面”がある】のではなく、「逃避
そのもの」ではないのかね。
釈迦にいささかの悟りがあれば、生まれたばかりの赤ん坊を残して家出し、
引きこもりの修行などしなかったはず。
彼には、その恵まれた環境故に、不幸にして、「生存・生活」という「最大の
修行の場」が与えられなかった。
198:初代スレ7
09/01/25 17:37:56 s1aNasNV
うはwww
藪蛇だったか・・・w orz
>>197
199:神も仏も名無しさん
09/01/25 17:51:03 gXAhNglN
>>198
釈迦は、恐らくはその家族関係(母は義母)を原因とするうつ病であったこと
は明らか。しかし、うつ病は「感情障害」であり、人格崩壊には至らない。
それが、イエスの統合失調症による人格崩壊とは、巨大な相違である。
200:宝珠愚者
09/01/25 18:04:04 oM6E2Y58
>>191
「悟り」というのは、単に困難だったものが「理解できた」に近しいようなレベルから、直感的な閃きといっ
たものまで実に様々な段階的なものです。トンチのような禅問答といったものも「悟った」などという。
しかし、仏教でいう本来の悟りとは、輪廻転生から解脱しニルヴァーナ意識境に到達し、直知体験で初
めて把握する森羅万象一切の摂理の理解のことです。
それは仏教書を読んで意味を理解した、などといったものではなく、神秘体験にて直知体験することに
あります。しかもそれは、自己の意識の焦点が低我(パーソナリティー)から真我に留まり、そこに常住し続
けることをいう。意識の焦点が低我から真我に切換ること、これが解脱者にしか成し得ない驚異なのです。
>>182
>私が上げた二つのファイル(―何人か落としてる方もいるようだが、
ごめ~ん!ダウンロードしたのはいいけど何故か解凍に失敗しています。
是非、拝見したいとは思いましたが、弱りましたぁ(笑)
そんなに膨大なデータ量?ここには分けて書き込めないのかな?
どこかにアップロードするか。無理か・・。
201:宝珠愚者
09/01/25 18:33:13 oM6E2Y58
>>179
ギリシアのオリゲネス(西暦185-253)はアレキサンドリア教理学校の教師で、初期キリスト教界屈指の
神学者でした。彼はプラトン派についての教養も深く、生まれ変わりの法則を強調していました。実際、
西洋では6世紀までは生まれ変わりの概念は普通に受け入れられていたのです。
これを不敬であるとして抹殺したのは当時のユスチウス皇帝でした。553年に開催されたコンスタンチ
ノーブルでの「第五次汎宗教(キリスト教)会議」において、皇帝が当時の教会の長老たちにこの概念を
キリスト教のドグマから排除するよう強いたのです。それ以来、教会から学ぶ神学(教理)には転生の教
えは失ったのです。しかし、聖書には生まれ変わりを示す教え(及び行為の結果が自己に返ってくるとい
う業報の教え)は削除されることなく、そのまま今も残っています。
従って、教会に洗脳されなければ、眼在る者はそれを素直に読むことでこのことを知るのは十分に可
能です。しかし残念ながら、神とキリストに対する信仰的な畏怖の念(それは教会の説く内容に対するも
のだが・・)から、なかなか気付くことができないのが実情です。指摘しても、必ず当人はこじつけて否定
してきます。頭から決め付けているので盲目になっているりです。ここの断滅論仏教者と同じ姿ですね。