09/01/27 10:40:20 q8+K2MqN
ここまでROMる。
>>380
>形而上も「五感で認識できるもの」です。
そうですね。
例えばですが、美人を目撃しまして・・・萌え~とかなったり、
はたまた九相絵図を思い描いたりしますね。
(これは人それぞれで、形而上の問題ですね)
ヴィパーサナ瞑想の「観」というのも、あれは形而上ですね。
では釈尊の本懐(悟り)というのは、形而上・形而下と無理に分類するとしたらどうなのか?
ってことになりますと、
これは非常に難しいお題ですが・・・
あえて言うなら、形而下ということになるんでしょうか?
(分類はできない)
#、電波先生の論法は独特でありまして、なかなか説得力があります。
(しかし、形而上・形而下の部分がどうも引っ掛かりますね)