09/01/25 22:42:20 6HiPDF+U
レスが>>38にもありますが、
>>14 >原始仏教で輪廻の主体が識とされることはあります。
これでは、釈尊に誤りを指摘されたサーティ比丘の発言、「世尊の教えは
『識が輪廻する』というものだ」というのと非常に近いですね。
tathA 'haM bhagavatA dhammaM desitaM AjAnAmi,
yathA tad ev' "idaM viJJANaM sandhAvati saMsarati anaJJan"ti. (中部経典 38)
私(サーティ)は、世尊によって説かれた教えを次のように理解しています。
すなわち、まさにそれ(教え)は「他ならぬこの識が、流転し輪廻する」というものだ、と。
識とは六つの識であり、日夜、滅しては生じを、いつ始まったともなく反復しているものです。
識が輪廻の主体である、といった表現は避けた方がよいと思います。