09/01/24 13:37:30 TeML1ath
ヴァッカリ尊者のように自殺して涅槃に入ったケースにゴーディカ尊者がいます。
六度解脱し六度解脱から後退した彼は、七度目に解脱した時に自殺し涅槃する。
悪魔がゴーディカ尊者の魂を探すが、見つからない。釈尊は彼が涅槃したことを讃える。
中村元訳『悪魔との対話』岩波文庫 48-52
「魂」(世界の名著1、456)「識別力」(悪魔との対話、52)と訳される viJJAna つまり、識!
中村元さんは註で「一種の魂、霊魂のようなものを考えていたのであろう」(324)としてます。
原始仏教について最も権威のある水野弘元先生も『仏教要語の基礎知識』初版149で、
外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体として
業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。
それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。
これが中観派で言われる縁起して旋火輪のように生成し同一性を保つように持続する心相続に他なりません。
これは死後だけでなく、現在の我々の自己同一性を保っているかのように見える自我意識も全く同じです。
だから、モークシャーカラグプタの輪廻の論証も次のように説かれます。中公の世界の名著2、532
心というものはすべて、次の瞬間の心と結びつくものである、たとえば現在の心のように。
死ぬときの心も、心にかわりはない。(だから来世の心と結びつく)
以上のように「精査してからコメントしろ」とは電波男の全ての書き込みに言えることです。