09/01/26 17:27:38 hVrHWcc5
ヴィッパサナーなんて横文字で言わずとも
そんなものは大蔵径を見れば阿毘達磨蔵などに入っている。
大乗の膨大な経典類はテラワダの内容を内包しており、どれを重視するかは己にゆだねられているというだけ。
小乗(あえてそう言う)の内容は大乗でもやろうと思えば十分学べるよ。
禅の瞑想論の進展の歴史を調べて見るといい。
禅のルーツは上座部系の部派のインド仏教の瞑想論で、それが中国に伝わったもので
スリランカ上座部とは親戚のようなもの。
スリランカ上座部という部派仏教の末裔でしかないんですよ。現在のテラワダって。
他の部派がインド亜大陸で滅びたからってなに正統ぶってんのってはなし。
で、そういう意味では、ダライ・ラマが言うように、個人の内面的修行にテラワダを学ぶというのはいいことだと思うし否定しない。
大乗の教学ではまず第一番目の初歩の教えとされる小乗をまずきっちりやるのはむしろ推奨されている。
ただし、小乗は第一弾目の己の律し方の方法論。それで終わりではなく、ここからが始まり。
己と他は一体で区別などないのだから、己で終わってしまうのは当然間違いだからね。
次には己と他の関係、他をよくする(慈悲)という、縁起の世界をよりよく回す方向へといく。
テラワダ学んでいる人は小乗の勉強をよくしているのだから、それはよいこと。
己が瞑想したら終わりなんて簡単な話じゃない。
だけどそれで終わりなどとブッダの教えを矮小化するのは間違い。