09/01/22 16:29:46 A1oMnrvg
>>387
だから人を師としなさんなって。法を師としなさい。
390:神も仏も名無しさん
09/01/22 17:27:47 u1TUBjlo
>>382
大変失礼いたしました。華厳命じゃなかったのね。
漏れには華厳経は難しすぎてわからなかったよ。
どっちかというと律宗の方がわかりやすくていい。
戒律を守ればいいんだから。漏れ五戒も守ってないけどねw
不可能だもの。不殺生戒と不妄語戒なんて。健康な男なら不邪淫戒もだけどw
なるべく守るようにする志は大切だと思うけどね。在家であっても。
391:390
09/01/22 17:28:36 u1TUBjlo
>>383
失礼。アンカーミスだった
392:神も仏も名無しさん
09/01/22 17:45:42 2HnGKNuX
>>389 で、法の情報源は?
結局、長老達が伝えてきた情報をつまみ食いするしかできない。
393:神も仏も名無しさん
09/01/22 17:59:09 2HnGKNuX
>>384 落語を学びたい人同士が、どうやったら落語が上手くなるかを語りあう場で、
落語家である師匠や落語の悪口を言うのは的はずれでしょう。
落語が嫌いで、落語家の師匠を尊敬していないなら、
なんで落語を学ぶ場に来るんでしょうか?
無理に勧誘されて来たんですか?
394:神も仏も名無しさん
09/01/22 18:06:20 u1TUBjlo
>>393
悪口と批判は違うだろ。師が破戒しようとしているのに止めないのは釈尊の心に反すると思うぞ。
師匠とて完全な人間は滅多にいない。イエスマンになるのも浮世の落語ならそれでいいかもしれんが
話は仏教だぞ。
395:神も仏も名無しさん
09/01/22 18:09:35 2HnGKNuX
仏教は好きだけれどスマナサーラ長老の教え方が気に入らないという人は、
他の僧侶を探して教えてもらえばいいだけでしょう。
私達のような素人がとやかく言ったくらいで、
スマナサーラ長老の教えを変えられるとでも思っているのでしょうか?
また、どのような教えに変えたい、どのような教えが好みなのですか?
その好みの教えを、あなたはどこで知ったのですか?
別のお坊さんから聞いたのなら、
そのお坊さんのところに通って教えてもらえばいい。
本で読んだのなら、その本の著者や著者の弟子にでも教えてもらえばいい。
文句を言いながらスマナサーラ長老のところに来る必要はありませんよね。
396:神も仏も名無しさん
09/01/22 18:12:57 AVO7YxEZ
スマ蛭を変える必要などなし
社会的に葬り去ればいいだけwww
397:神も仏も名無しさん
09/01/22 18:14:23 2HnGKNuX
>>394 出家者の戒律では、他の出家者の過ちを言いふらすのはダメだったような。
まぁ、在家信者だからそこまで気にしなくてもいいとしても、
やはり本人にこっそり忠告すればいいのに、
なぜ大勢の前で言いふらすのですか?
それに、スマナサーラ長老よりも戒律を守っている
他の尊敬できる僧侶を探して、仏教を教えてもらえばいいだけではないでしょうか?
398:神も仏も名無しさん
09/01/22 18:17:54 u1TUBjlo
>>395
誰もスマナサーラ長老が気に入らないなんて言ってないだろ。
イエスマンになるのはどうかと問いかけているだけじゃないか。
何でそんなに焦ってるの?ここは全部信じて疑わない人以外は来ちゃ駄目なの?
少しの批判すら許されないんじゃちょっと息苦しいなあ。まあここは2chだし大目に見てよ。
漏れテーラワーダの掲示板には一回も書いたことないから。信者じゃないし。
399:� アこに、このようにいるのか」という、自分たちの存在の成り 立ちに対する答えを求めて来ました。 その疑問は多くの宗教や哲学を生み出し、「すべては全能の神に創造されたのだ」「どんなこ とも偶然の産物にすぎない」「全部、過去世で決められた運命だ」等、様々な答えが語られて きたのです。 仏教ではものの成り立ちについて、因果法則を説きます。「ある原因とある条件が揃ったとこ ろである結果が現れる、その原因や条件が消えればその結果も消える」というのが因果法則です。 業論は、生命の因果法則だということができます。 「Kamma (業)」の辞書の意味は「行為」です。 仏教では、身体の行動だけでなくしゃべることや考えることも行為に入ります。「善因善果、 悪因悪果」という言葉で知られるように、良い行為には良い結果が、悪い行為には悪い結果が ついてくるというのが法則です。けれども世の中には不条理だと思えることがたくさんあります。 正直でまじめな人がリストラにあった、かわいい子供が突然事故で亡くなったなど、わけがわか らないことが起こるのです。そうすると、「定め、運命、宿命」等の言葉が出てきます。私たち が「業」について考えるのはそういう時です。
400:スマナサーラ
09/01/23 23:36:39 IGae5qrZ
釈尊は、「すべては宿命であって、決められた定めだ」という考え方には反対されました。
すべてが決められているならば人間が努力する余地はなくなります。そういう考え方は恐ろ
しい邪見だとおっしゃっています。
「ではいったいなぜ?」という疑問が起きますが、すべての原因と条件を明確に知ることは、
人間には不可能です。
釈尊は、人間には知り尽くすことができず、無理に理解しようとすると頭が狂ってしまうよう
なことが四つある、と言われました。その中の一つが業のことなのです。業については、普遍
的な法則としてのみ理解するのがよいのです。
釈尊は業について、「業は自己のものだということが正見です:kammassakatâ sammâditthi 」
と説かれました。
自分の行為の結果は自分に返ってくる、それを理解することが正しい考え方だということで、
つまり、自己責任ということです。
仏教は個人主義です。誰かが犯罪を犯しても、その親兄弟を責めることはありません。
業はあくまでも自分だけのものなのです。
すべては自己責任なのだから、他人のせいにすることもできないのです。人はすぐに他人の
せいにするクセがありますが、何でも全部自分の責任だと思った方が正しいのです
401:スマナサーラ
09/01/23 23:42:37 IGae5qrZ
「業は自分のものだ」という言葉には、一人一人の人権を尊重するという意味もあります。
だから仏教では、「何々するなかれ」という命令形はめったに使いません。「こういうことをすると
こうなりますよ」と事実を教えます。
やるかやらないかは、それぞれの自由なのです。
人は完全に独立した個人であって、誰にも支配されていません。自由です。しかし行為には結果があ
ります。それは宇宙の法則で、どうしようもないのです。
ですから、「すべては自己責任だ」としっかり生きるべきなのです。
その生き方が身につくと「悪いことをすれば自分がひどい目に遭う。だから私はやりません」と、周り
の悪影響を受けずに生きていけます。仏教の業論では、そういう強さも教えているのです。
ここで付け加えると、「周りの影響」ということも、業論ではとても重要なテーマです。
普通、私たちはどうしても周りの影響を受けるからです。
人は自然と似たもの同士でつきあいます。
怒りっぽい人は怒りっぽい人同士、悪い考え方を持っている人は悪い考え方を持っている人同士、
音楽の才能がある人は音楽の才能がある人同士など、性格別、能力別にグループをつくります。
似たもの同士は同じ運命で回転するので、運命の方向は変わりません。運を好転させたければ、自分
の欠点を良く理解して、苦労してでも自分の短所と逆の性格を持つ人々とつきあった方がいいと思い
ます。
そのためには的確な判断力やかなりの忍耐力が必要で、実際にはなかなか難しいのです。だから本格
的に自己変革して運を好転できる人の数は少ないのです。
402:スマナサーラ
09/01/23 23:46:33 IGae5qrZ
すべては無常なのだから我々の運命も努力すれば好転する、というのが仏教の立場です。
それは「やればできる」という単純なことではありません。
原因と条件が揃ったところで結果が出るのです。
その理を理解し、客観的に物事を正しく判断して合理的にがんばりなさい、ということ
なのです。
403:スマナサーラ
09/01/23 23:52:33 IGae5qrZ
業論とは人の幸不幸について語るものだ、と言うこともできます。
仏教では、幸不幸は心の問題だと説いています。交通事故で足が一本なくなった人が不幸だとは
決められないのです。
その人が明るく堂々とがんばっているならば、別に不幸ではありません。
中にはちょっとしたケガだけで落ち込んで不幸になる人もいます。幸不幸は各自の思考パターン
から来ているのです。
思考パターンは過去の行為の結果(業)です。思考パターンを変えるのは難しいですが、努力す
れば変えることができます。そのために必要なのは、合理的で具体的な智恵と知識です。
自分を徹底的に客観的に見ることができる勇気も必要です。自分自身を本質的に変えるためには、
かなりの勇気が必要なのです。人はどうしても楽な方へ、怠ける方へと流れ、自分の性格で落ち
着こうとします。
自分の思考パターンで落ち着いてしまえば、その人に進歩はないのです。
404:スマナサーラ
09/01/24 00:04:15 +I41lNWn
業とはいったい何なのか、より具体的な説明があります。
「比丘らよ、『意志が業だ』と私は言う」 という釈尊の言葉があります。
「業」=「意志」だとおっしゃるのです。
心には常に「行為を起こす動機となる想い」があります。たとえば妄想する場合でも、
「なぜこういうことを妄想するのか」と見てみると、何らかの「想い」が見つかるで
しょう?その「想い」がcetanâ(意志)であり、業なのです。
結果を出すのはそれなのです。「想い」が清らかなものか、貪瞋痴で汚れているかに
よって、善業か不善業かが決まるです。
たとえば「自分が成功したい」という貪りや「人に負けないぞ」という怒りで行動す
るのは不善業です。
欲や怒りが強いと意志も強いので、うまくいくように見えますが、結局は良い結果に
なりません。
一見「良いこと」であっても、意志が汚れている場合は、悪いことをしているのです。
「病院をつくった、学校をつくった」というだけで、善行為か悪行為かは決められません。
欲のない慈しみの気持ちでがんばると、結果も良いし、充実感も得られます。
とにかく、なるべく「自分が」という自我意識を置いて行動することが、良い結果を得る
道なのです。
意志に行為の重点があると知り、それを語ったのはお釈迦さまだけです。
405:スマナサーラ
09/01/24 00:12:00 +I41lNWn
心の業を積み重ねる仕組みについて少し詳しく見てみましょう。
心の業というのは非常に微妙で細やかなものなのです。
たとえば花を見て「花だ」と思ったら、その瞬間にもう業を積んでいるのです。
「花を見る」とは、目に入った情報を瞬時に頭の中で合成して、「花だ」と認識する
ということです。
頭の中で現象を組み立てる時にも、やはりかすかな意志がはたらいていて、そこにその
人の経験が関わっています。
「花だ」とわかると同時に感情も揃っています。それは個人的な作業で、同じものを見
ても頭の中の認識は一人一人違います。
目に光を感じることは自然の流れで、それは避けられません。
そこまでは善でも悪でもなく、業にはなりません。
目に触れた光を「花だ、壁だ」と判断したとたんに感情をつくり、「好きか嫌いか、これ
はどういうものか」などと考えています。それが、自分の将来を決める業になるのです。
耳で聞く場合も、「音」だけで止まると、業にはなりません。
しかし我々は耳に音が触れた瞬間に「鳥の声だ」「車の音だ」と認識しています。
瞬時に頭の中で合成しているのです。もうすでに業を積んでいるのです。
つづく
406:神も仏も名無しさん
09/01/24 00:14:44 9uUT1IN9
つづけないで下さい
407:スマナサーラ
09/01/24 00:21:04 +I41lNWn
たとえばある人が道を歩いているとします。
それだけで、ドンドンその人の頭の中の合成機能が変わっていきます。
感情も変わっていきます。それによって性格も変わっていくのです。
「ただ歩いているだけで、どうってことない」と思うかもしれませんが、そういう単純な
行為でさえ、小さな小さな業を心の中にためていくのです。
その瞬間その瞬間、違うものを合成するのです。
それがたまってたまって、次へ次へ次へと、自分を変えていくのです。
業からは逃がれられないのです。
ただ歩いているだけでも、悪行為をしているのか、善行為をしているのか、わかったもの
ではないのです。
聞く場合でも、味わう場合でも同じです。
何をしても、瞬間瞬間の小さな粒子をたくさん積み重ねていって、
無数の業を積み重ねながら、自分の見方を変えていくのです。
完全に悟らない限り、業を積み重ね続けることからは逃げられません。
私たちはいつでも自分の運命に足すか引くか、どちらかのことをしているのです。
408:スマナサーラ
09/01/24 00:38:40 +I41lNWn
それでは、我々をがんじがらめに縛っているこの業から自由になる道はあるのでしょうか?
合理的で、科学的な方法があるのでしょうか?あるのです。
409:神も仏も名無しさん
09/01/24 00:42:29 GqSX6tSZ
>>541
それがたまってたまって、次へ次へ次へと、自分を変えていくのです。
そうですね。無意識(自覚のない)の行為は危険ですね。
> 業からは逃がれられないのです。
> 私たちはいつでも自分の運命に足すか引くか、どちらかのことをしているのです。
私には為になる話でした。
410:神も仏も名無しさん
09/01/24 00:44:09 9sRPzSno
なるほろ。
411:スマナサーラ
09/01/24 01:16:48 +I41lNWn
六処(眼耳鼻舌身意)に対象が触れるとその瞬間に頭の中で現象をつくり出し、感情が
生まれている。
それらは次から次へと流れて行き、その瞬間瞬間、業がポテンシャルなエネルギーとして
蓄えられ、同時に自分を変化させていくというところまで述べました。
私たちに生じる感情は殆どが不善心所(不善なる心のはたらき)なので、感情=煩悩と言
ってもいいくらいなのですが、善心所(善なる心のはたらき)が心に生じることもあります。
善心所が生じると善い業を蓄積することになります。
412:スマナサーラ
09/01/24 01:20:48 +I41lNWn
幸福は善い業の結果です。
たとえば花を見て「きれいだ」と喜んだとすると、その瞬間、その人は過去の
善業の結果を味わっているのです。
同じ花を見て不機嫌になった人は、悪い業の結果を受けているのです。
判断には各自の経験が入りますから、同じ花を見ても、一人は幸福になり、一人は
不幸になります。
過去の行為が今の瞬間の幸不幸を決めているのです。しかしたとえ善果を得て幸せ
になってもそこに罠があります。
幸福を喜ぶ人は、そこから多くの感情をつくり出します。
それらの感情は殆どが「欲」という不善のカテゴリーに入るのです。そこでその人
は幸福を感じつつ、次から次へと、不善業を積んでいくことになるのです。
もしも、「イヤだなあ」と機嫌が悪くなったならば「怒り」のカテゴリーに入る不
善業を積み重ねていくことになります。
「良い」とも「イヤだ」とも思わず無関心な時は無知がはたらいています。
ですから「生きる」ということは、欲と怒りと無知の悪業を膨大に積み重ねていく
ことなのです。
しかも私たちは、とても好ましいことやひどくイヤなことを心に刻み込み、何度も
何度も思い出すのです。
そうやって思い出すたびに不善行為を重ねることになります。
413:スマナサーラ
09/01/24 01:25:14 +I41lNWn
そのように、私たちがつくり出していく業も膨大な量ですが、過去生から背負っている
業はそれと比べものにならないほど巨大なものです。
無始なる過去から積み重ねた業の量は生半可ではないのです。
生命は皆、想像を絶する量の業を背負っているのです。
悪業を償おうとしても、償い切れるものではありません。
ブッダは、過去生の業など放っておきなさい、と説かれます。大切なのは自分が今罪を
犯さないことですよ、と。過去を嘆いたり後悔したりしても罪を重ねるだけなのです。
過去のことを考える暇があったら、今の瞬間に気づくことです。自分がかつて何をした
としても、皆、無量の業を背負っているのだから、大差はないのです。
膨大にためこんでいる業の中から、条件が揃うと、ある業が自動的に機能するのです。
自分の好き勝手に業を機能させることはできません。では我々に手も足も出ないかと
いうと、そうではありません。条件を変えると、結果も変わるのです。
そこで仏教では、法則を正しく理解して冷静に落ち着いていることを推薦します。
つまり、良いことに出会ってもイヤなことに出会っても、無執着の心で放っておくのです。
世間では「執着を捨てるなどとんでもない、喜怒哀楽こそすばらしい」と思っています。
「楽しんでこその人生だ」と常に喜びを探し求めています。
つまり、「欲」の不善業を探し求めているのです。
世の中で好ましいものばかりに出会う人はいないので、当然、怒りも生じます。
414:スマナサーラ
09/01/24 01:34:57 +I41lNWn
世に善行為というものはとても少ないのです。
たとえば「慈悲」という秒単位で徳が増える最高の善行為を教えられても、教わった
とおりに無差別の慈悲を実践する人はまずいません。
善悪判断を止めるように言われても、「なんと素晴らしいことか」「なんと腹立たし
いか」とあれこれ妄想することは決して止めません。
そういうわけで、欲と怒りと無知という膨大な不善業をつくりながら生きていく我々は、
決して輪廻から逃れられないのです。
仏教の業論は、「そういう生き方はとても危険ですよ、智恵をはたらかせて生きてみな
さい、智恵こそ救いであって、智恵がなければすべて終わりですよ」と教えているのです。
智恵を育てる道がヴィパッサナー冥想です。
何かを認識して判断する前に、淡々とサティ(気づき)をすると、不善業はつくりません。
同時に鋭い判断能力と智恵が出てきます。
自分の心に起こっていく出来事をそのまま客観的に観ていくーー
―それに勝る方法はありません。
ですから、ヴィパッサナー冥想こそ、最高の善行為であり、悪しき業から逃れる道なのです。
終わり。拝読ありがとうございます。(スマナサーラ)
415:神も仏も名無しさん
09/01/24 01:42:19 Hif3oQGI
こちらこそありがとうございました。
416:神も仏も名無しさん
09/01/24 01:44:04 OqgDP/D7
スマ蛭奴隷工作員の脅迫&恫喝乙!
417:神も仏も名無しさん
09/01/24 01:49:40 UsUYpi6v
その話はよくわかります。
でも、般若心経は間違いと主張することは、善行為なのでしょうか。
般若心経は、真理を示す仏説ではないのでしょうか?
どうしても、そこのところが引っかかるのです。
418:神も仏も名無しさん
09/01/24 02:18:16 bx9yOKV9
>>551
間違いを正し、正しい真理を教えることは善行為でしょう。
419:神も仏も名無しさん
09/01/24 02:23:32 Hif3oQGI
>>551
よくわかってないし関係ないやないかーい
420:urayasu taro
09/01/24 02:27:13 AcS1n5D6
>>494さんへ
慈悲の瞑想をしては如何でしょうか。
自分を高める単なる機会だと思って。
それでも収まらないようなら、やはり相手に伝えては。
無理に自分と戦わない方がいいと思います。
無明の人を相手に腹を立て続けること程、馬鹿馬鹿しいものはないですからね。
大変でしょうけど、頑張ってください。
応援しています。
生きとし生けるものが幸せでありますように
URLリンク(ichibuddhist.dtiblog.com)
421:神も仏も名無しさん
09/01/24 02:52:52 Q17qjqg3
さあ皆さん!慈悲の瞑想しましょ~!
青年部リーダーAの投身自殺を~上手く隠蔽できますように~
スマ尊師の破戒を~見て見ぬふりできますように~
教団の不祥事を~上手く隠蔽できますように~
私を嫌う人々が~どんどん不幸になりますように~
私を嫌う人々が~必ず不幸になりますように~
プロパガンダ本の在庫の山が~一掃できますように~
スマ尊師を批判をする人たちが~不幸になりますように~
批判をする人たちが~必ず不幸になりますように~
批判をする人たちが~死にますように~
批判をする人たちを~消せますように~
目障りな異教徒どもを~全員殺戮できますように~
弱虫で怠惰な負け犬の~精神疾患者は~さっさと自殺しますように~
教団の暗部や弱味を握るヤシを~抹殺できますように~
私の詭弁と言い逃れを~みんなが鵜呑みにしますように~
422:神も仏も名無しさん
09/01/24 04:39:06 23cRcruf
>>529
>>554
ありがとうございました。
レスよませていただいて
楽になりました。
生きとしいけるものが
幸せでありますように。
4時に目覚めてしまいました。
これから瞑想します。
423:神も仏も名無しさん
09/01/24 04:56:07 B4QwBRDk
釈迦はパーリ語で説法していない。
翻訳ミスが全体の1%でもあれば、一つ一つ違うロジックを100個(個というのは例え)組み立てていくと、途中ほば確実に間違える事になるw
424:神も仏も名無しさん
09/01/24 05:12:03 07YmCSHw
>>532
宗論はどっちが勝っても釈迦の恥と言うぞw
425:神も仏も名無しさん
09/01/24 05:25:51 Hif3oQGI
>>554
>>556
ありがとうございます。
426:神も仏も名無しさん
09/01/24 06:30:17 Ti/KP1dS
YOUTUBEにアップされてるスマの講演聞くと、「〇〇が私の金を狙って」「私から金を取ろうと」「家の一軒建てるくらいの金はある」なんてセリフを連発してるぞ。
どんだけ破戒してんだよw
427:神も仏も名無しさん
09/01/24 06:52:05 8xxrBekE
本当に言ったかどうかそれのURLはってよ
428:神も仏も名無しさん
09/01/24 07:03:08 hw8teCrX
日本仏教の坊主や他宗教の聖職者を嘘つきよばわりしたスマナサーラは
とりあえず親鸞にあやまれ。
URLリンク(ryotaroneko.ti-da.net)
> 「念仏を唱えれば、極楽往生するだって?さあ・・・どうだろうか・・・よくわからんな。
> 先生の法然聖人がそう言ってたから、私はそう信じているだけだ。
> それがウソでもそんなの関係ない。真偽を確かめる能力は私には無いからね。
> 例え法然聖人に騙されていても別に悔いはないね。」
> 「大体私のような人間は死んだら真っ先に地獄へ堕ちる大馬鹿者である。
> そんなこと百も承知さ、しかしなあ、そんな救いようのない私ですら、
> 阿弥陀仏の慈悲は救って下さるのだと、法然上人が仰っているのだ。
> だからそれを信じているだけですが、何か?」
429:神も仏も名無しさん
09/01/24 07:19:29 eX0+017U
>>494
働くとは、あなたの労働力を誰かに売ることです。
今、あなたの労働力を買ってくれているのは会社です。
会社の人達(特に上司)は、あなたの労働力を買ってくれるお客様です。
お客様が何歳だろうと、商品を売る店はへりくだるのがあたりまえです。
上司は、あなたの労働力を買うお客様です。
430:神も仏も名無しさん
09/01/24 07:22:22 23cRcruf
なるほど。そういう考えも成り立ちますね。
ありがとう。参考にします。
431:神も仏も名無しさん
09/01/24 07:41:43 sDvhmtLr
自分にもいろんな場面で起こりそうなことだからつい考えちゃうんだけど
お釈迦様の教えはとにかく無用な争いはせずに落ち着いていなさいというんだよね
今は新しい仕事を教えてもらって
若造上司さんにも自分流にちゃんとあいさつして、がさつな態度に影響されずにいれば
そしてもしそういう人が少しずつ増えてきたら職場自体いい感じになってくるっていうのが理想かも
ここで上司に言葉づかいの注意なんかしたら相手はますます反発しそうだね
何といっても新人になんかあった時、しりぬぐいしてくれるのは責任者だし
責任者のほうも新しいメンバー、しかもかなりの年上迎えて内心緊張してないかな
ほんとむづかしいよね、生きた修行って感じがするね
432:神も仏も名無しさん
09/01/24 07:42:51 c+ae0qvn
>>560
>>561
これか?
スマナサーラ長老講演会(あべこべ感覚)(本篇)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
スマナサーラ長老講演会(あべこべ感覚)(質疑応答)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
カネ云々は質疑応答の中な。「家の一軒くらい」云々は
「そういう準備はいとも簡単にできる」といってるだけ
だが、「私からカネ」云々はいってるな。
433:神も仏も名無しさん
09/01/24 07:44:14 k1I4AT8x
日本ヴェーダーンタ協会
悟りの世界・華厳経・・・
別スレで、またゴンちゃんが暴れてます
ほじめ人間ゴンゴンゴ~ん
434:神も仏も名無しさん
09/01/24 08:04:03 sDvhmtLr
スマ長老は自分が日本で人種差別されたことがたくさんあって
もし言葉でいやなこと言われたら相手が一生忘れられないような言い方で
やり返してやります、って話していたのを時々思い出すんだけど
一体どんなやり返し方するんだろうね
あんまりお釈迦様風ではないような気がする
臨機応変、相手によっては激しい態度もしかたないのかもしれないけど
わたしが慈悲の瞑想で、とても重症の精神病をなおしてあげたのに
患者がそれを神父さんに話してすごく怒られて(お坊さんなんかに頼ったということでかな)
また入院するほど悪くなってしまったとか
イエスなんて女性がいて戒律守ってないからだめですとか
説法の中でいきなり何の脈絡もなく、ほかの宗教のことをひどくなじるよね
鬱なんてなおすの簡単とか、誰でも2週間で悟れますとか極端なこと言わなければ
今ほどの反論来てないんじゃないかな
435:神も仏も名無しさん
09/01/24 08:27:26 23cRcruf
>>565
生きた修行がんばります。
436:神も仏も名無しさん
09/01/24 09:18:37 Cwr34xym
今じゃ比叡山で宗教を超えたサミットが開かれ、日本の僧侶とヨーロッパの修道士が
お互いに聖職者を派遣して宗教体験させてる時代だというのに
布教するのにいちいち他宗教をこき下ろすのって数百年前のやり方だよな。
今でもそんなことをやってる宗教もあるけど、大抵は新興宗教とかカルトの部類。
(だいたい上座部仏教にしたって,戒律を厳格にし過ぎて悟りをマニュアル化させてしまったとか
いう批判もあるのに,それにはどう対応してるんだろうね?)
言ってる事の9割は納得できるからこそこのあたりは直してほしいよ。
437:神も仏も名無しさん
09/01/24 09:28:33 9sRPzSno
そういうの信じちゃうと悟りにいたれないからじゃないの
438:神も仏も名無しさん
09/01/24 09:36:17 Cwr34xym
>>571
そういうことはすでに出家してる比丘に対して言うべきであって、
この人の場合,初対面に近い見知らぬ人に対して
「お前の宗教嘘八百m9(^Д^)プギャー」って言ってるのと大して変わらない気がする。
439:神も仏も名無しさん
09/01/24 09:47:23 oWXQ8zXh
スマさんは仏教は信じる必要がない(科学)と思ってるから、迷信めいた信仰で成り立ってる
他の宗教が野蛮にみえるんだろ。じっさいそうだと思うけどね。
440:urayasu taro
09/01/24 09:48:08 AcS1n5D6
>>570
確かにその通りですね。
日本の仏教は、伝統的に神仏習合的というか懐の大きさを感じますね。
風土の違いかな。
長老のアビダンマシリーズを今、読んでいますが、すごいですものね。
他宗教批判さえしなければ上座仏教も日本にもっと受け入れられると思うのですが、もったいない気がします。
URLリンク(ichibuddhist.dtiblog.com)
441:神も仏も名無しさん
09/01/24 10:23:19 PJnOiyH9
>>551
般若心経はここが参考になる
URLリンク(cyberbaba.blog57.fc2.com)
442:神も仏も名無しさん
09/01/24 10:27:56 PJnOiyH9
>>567
あそこは華厳ちゃんにぴったりなんじゃないか?
ヴェーダーンタを信奉する人が多くいるから。上座部とは対照的だがな。
彼らは梵我一如に捕らわれ続けるかぎり、解脱できっこないことをわかってないんだろうけどな。
443:urayasu taro
09/01/24 10:39:25 AcS1n5D6
華厳さん、帰ってこないのかな。
何だか寂しいですね。
444:神も仏も名無しさん
09/01/24 11:20:57 RomvA6eC
↑煩悩を欲するんだね
悟りは寂しいのか
445:神も仏も名無しさん
09/01/24 11:37:34 9sRPzSno
>>573
そういうのもあるかもしれないけど批判の対象になるのはそういう宗教が
根本的な人間の苦しみや悩みを解決しなかったり、むしろ原因になってたりするからじゃないのかな。
446:神も仏も名無しさん
09/01/24 11:56:32 oWXQ8zXh
>>579
そうだね。妄想に妄想を重ねてどうするんだってことだろう。
447:神も仏も名無しさん
09/01/24 12:46:46 XUu/KUXN
>>575
それ mix○観察してたらわかるが
㌧デモな方だというのをしらないのかwww
448:神も仏も名無しさん
09/01/24 13:04:46 PJnOiyH9
>>581
トンデモかどうかともかく、この解説は正しいと思うが
449:神も仏も名無しさん
09/01/24 13:12:37 9sRPzSno
マントラの部分の訳はかなり意訳を含んでるとおもうけど。
>gate 文法的には行ったという過去完了、転じて(乗り越えて)行け、修行せよの意味
勝手に転じていいもん?
450:神も仏も名無しさん
09/01/24 17:02:23 ayeFVfAT
今さっきBSでNASAが火星を目指してなんたらとやってたけど
あれって結局宗教だよなあ。人間が宇宙に挑むってアリンコがPCを使いこなすより大変でしょう。
ああいう頑張るマン達が生き残っていくんだろうねw
まあ目指すべき到達点は涅槃だなってつくづく思ったよ。
451:神も仏も名無しさん
09/01/24 17:40:50 mz2vWr1U
テーラーワーダを真摯に学ぶのはいいと思うよ。
大乗派も第一段階として小乗は教えに含まれているわけだし勉強になろう。
けどな、スマ師はただの破戒僧でしかないので、スマ教から離れろ。
あれはただの新興宗教だ。外にももっといい師は居るだろう。
452:神も仏も名無しさん
09/01/24 17:45:00 mz2vWr1U
>>573
だったらまず自宗の中で大きな位置をしめている
ただの呪術でしかないパリットだの
守り本尊の魂入れ業なんてもんを批判して止めさせたらいいのに。
それをせず日本で他宗批判してご満悦ってなにそれ。
単に日本で大金稼げるというだけじゃないか。
その批判をスリランカの寺院に一回でも言ってみろ。
453:神も仏も名無しさん
09/01/24 17:56:34 mz2vWr1U
>で、そのマハーカッサパの直系がテーラワーダで、アーナンダの直系が大乗だという根拠はあるの?
>これらの弟子の対立は根本分裂の話で、大乗の成立の遥か昔のはずだけど??
ヴェーサリーのヴァッジ族が強くアーナンダを崇拝しているというのを
玄奘が伝えていますよ
ヴェーサリーのヴァッジ族、すなわち大衆部に連なるものたちです。
玄奘が記録した当時は大乗そのものです。
非アーリアでは、マハーカッサパとは対立したとみられるアーナンダ系を伝えていることを示しています。
アーナンダの妹の尼もマハーカッサパに反感を持ったので地獄へ落ちたと書かれていますように
アーナンダを支持した派閥が、シャカ族系の僧を中心にあったのでしょう。
テーラワーダ狂信者が思ってるほど、パーリは正当性あるものではありませんし
大乗に連なる系譜は由緒が無いわけでもないのです
454:神も仏も名無しさん
09/01/24 18:04:59 mz2vWr1U
>>525
マハーカッサパ自身が中傷したわけではないでしょうが
苦行者マハーカッサパを理想とする彼の率いた弟子の系統と
慈悲的な思想の強いアーナンダを支持する系統とがあって、
主導権を握ったマハーカッサパ系によってアーナンダを貶めていったということを
そのサイトは書いてるのでしょ。
まさかパーリは一次結集で成立してその内容まんまなんて妄想持ってる?
文献の考古学的研究ではパーリの記述内容からしてずっとあとの時代の記述が大半とされています。
パーリの成立は根本分裂以後ということを示してるのではないでしょうか。
455:神も仏も名無しさん
09/01/24 18:31:52 ayeFVfAT
一番分かりやすいのはテーラワーダだし
456:神も仏も名無しさん
09/01/24 18:42:39 sDvhmtLr
>589
そのわかりやすすぎるところが難かも
長老はパーリ経典はお釈迦様の言葉そのものを弟子が忠実に口伝えし
一言一句間違いないことを大勢で確かめあい
一句でも抜けたらすぐわかるように行数をそろえたり工夫をし、
要するに後にできた写本では写し違いもあるけれど
口伝のパーリは完璧と断言してしまっていたからねえ
素直に聞いた人はお釈迦様が昔パーリ語で人々に説教した
そのまんまを長老が唱えていると思っているのかも
あんなに繰り返しが多く、型にはまっていて長い長い唄みたいなのを
お釈迦さまが普段いろんな人相手にしゃべっていたとは到底思えないけど
457:神も仏も名無しさん
09/01/24 18:56:31 23cRcruf
では大乗と比べてみたら?
458:神も仏も名無しさん
09/01/24 19:27:17 nHrXuHBt
布施貰うのって大乗じゃないの?
459:神も仏も名無しさん
09/01/24 19:34:28 sDvhmtLr
なぜ一々大乗と比べて優位を誇りたいんだろう
ほかの宗派は別に寺和田をどうこう積極的に言わないけど
(いうほど普及してないけど)
それにカトリックの神父さんが臨済宗の座禅に行ったりしているけど
寺和田もお寺を建てたから、段々本場スリランカから来た人たちが集まるようになって
伝統的な儀式や風習やお布施システムが山ほど日本会員の目にも触れることになるよ
まじないに占い、手に聖糸を巻いてもらったり
伝染病には宝経、恨みや精霊の魔除けには慈経、、、
おなじ上座でも国や宗派によって自分のほうが守っている戒律が多いからと
優越感を持ったり。
宗教として普及してしまったら大抵起こる問題は同じ
460:神も仏も名無しさん
09/01/24 19:52:01 sDvhmtLr
>592
寺和田協会の建物、運営
各地に作りつつある戒壇、寺はすべて在家の負担
お坊さんの生活一切はお布施で成り立つ(じゃなければ収入はどうするの)
加えて毎日のお食事も午前中に在家が整えて差し上げる
(寺和田協会でいつもボランティア募集ってやってるじゃないか)
みんなで競ってお布施しましょうっていう長老のお話聞いてないの?
461:神も仏も名無しさん
09/01/24 19:57:42 oWXQ8zXh
たくさん本だしてるから印税もけっこうなもんじゃないの
462:神も仏も名無しさん
09/01/24 19:58:27 fUywkvA9
馬鹿め、布施は大乗の基礎だ。信者ではなく、修行者も信者や貧しい人々、孤独な人々に行なうもんだ。発想が上座と大乗では180度逆なのだ。坊主こそ民衆の不請の友となって近付いていく…これこそ大乗だ。
463:神も仏も名無しさん
09/01/24 20:17:02 fUywkvA9
乞食には乞食のメーキャップをして、愚か者には愚か者になりて、そっと近付いていく…そして「相手の話」を聞いてやる。「夜の宿」ルカ老人のように。潜在意識レベルまで、見返りを求めない彼らはボーディー・サットバと呼ばれる。回向に重点を置く。