A・スマナサーラ☆日本テーラワーダ仏教協会11at PSY
A・スマナサーラ☆日本テーラワーダ仏教協会11 - 暇つぶし2ch352:神も仏も名無しさん
09/01/22 03:38:03 xscVZOe1
>>348

> そうではない。因果関係は虚構であって,虚構だけどそのように成立している。

因果関係は虚構なんですか? でも十二因縁はホントの因果ですよね?仰っていた赤のフィルターと赤の世界の話しは。因果というより相関なのかな。

353:神も仏も名無しさん
09/01/22 03:42:46 xMSI2mjS
おおげさに仏教を語る者のほとんどはニセモノだ。
2xhにはアポーンの機能があるのだjから、相手しなければ
良いだけのこと。

354:brown
09/01/22 03:42:49 5y/4AdZG
>>349
「元々悟っていたが,あるとき堕落して迷いに堕ち,今は輪廻の中に
いる」のではないということです。
そうではなく,「元々,過去に一度も悟りはなく,ずっと輪廻の中にいて,
今,ここに迷いあり,将来解脱すると,元々備わっていた悟りに気づく」
ということです。

355:神も仏も名無しさん
09/01/22 03:49:44 xMSI2mjS
悟りを得たものから見れば、迷いも悟りもなし。
これが大乗における正しい見解です。
それでは。

356:brown
09/01/22 03:51:42 5y/4AdZG
>>352
因果関係は,厳密には成立しませんね。記憶上一致するだけです。厳密には。
つまり勝義では。なぜなら,果が生じる時点で因はもう無いので,何が因
だとか言えないでしょう?因に関する記憶なら残っているけど。
厳密に,究極の真実からすると,虚構ということになる。

だけど,記憶の一致のレベルの確からしさを承認すれば,そのレベルでは,
因果関係は整然と成立しますね。十二縁起はそういった因果関係を言います。
つまり,輪廻の世界の成立の仕方ですね。だから,勝義からすると,
虚構ですね。一方,世俗の精度で見れば,そのとおりに成立していますね。

357:神も仏も名無しさん
09/01/22 03:52:54 xscVZOe1
>>351
そう思いたいけど。
チベ密系の本で、慈悲とは凡夫の怒りが昇化された『菩薩の感情?』だと聞いたことがある。
私も日常に親切心が生ずることがあるけれど、慈悲なのか思い上がりなのか分からなくなる。というのも拒絶されたり、感謝されなかったり、意外に困っていないことが判明したりすると…容易に真逆の感情が生ずることがあるからです。



358:神も仏も名無しさん
09/01/22 04:03:08 xMSI2mjS
密教は良くしらないけれど、中国の思想では
悲しみは怒りを制し、それを飲み込む形で表します(金克木)
相手の反応で感情が動くのは、自我のなせるわざです。
それに対処する方法は私がいちいち教えるまでもないでしょう。
それでは、おやすみなさい。

359:神も仏も名無しさん
09/01/22 04:13:36 xscVZOe1
>>354

> そうではなく,「元々,過去に一度も悟りはなく,ずっと輪廻の中にいて,

なぜずっと輪廻なんでしょう。分かりません。無から有(因果関係を基)は生まれないから…ではないですよね。


360:神も仏も名無しさん
09/01/22 04:36:06 xscVZOe1
>>358

> 悲しみは怒りを制し、それを飲み込む形で表します(金克木)
それじゃ怒りの発現を抑えている対極にある感情ですよね。(だからこそ私の場合は裏返った)

菩薩の慈悲とは凡夫の善行としての慈悲(哀れみでなくて、怒りを含んだ悲しみ(又は悲しみを含んだ怒り)のように思われます。怒りと悲しみの合(ジン)
少しも状況の変化に応じない。自我の働きから生まれたのではないものだから。

こんな理屈いっててもしょうがないけど、釈迦が伝えた云々は密教レベルではないですか?ある程度の境涯のもの同士が言及すれば恰かも顕教のように聴こえた。
…とはいえ実践(凡夫)の慈悲と完成された高度の(菩薩)慈悲の間には連続性があると私は理解しておりますが。
おやすみなさい。


361:神も仏も名無しさん
09/01/22 04:38:33 yYHCX+fP
さあ皆さん!慈悲の瞑想しましょ~!

青年部リーダーAの投身自殺が~隠蔽できますように~

教団の不祥事が~隠蔽できますように~

私を嫌う人々が~不幸になりますように~

私を嫌う人々が~不幸になりますように~

プロパガンダ本の在庫の山が~一掃できますように~

批判をする人たちが~不幸になりますように~

批判をする人たちが~抹殺されますように~

批判をする人たちが~死にますように~

批判をする人たちを~消せますように~

異教徒どもを~全員殺戮できますように~

弱虫で怠惰な負け犬の~精神疾患者は~さっさと自殺しますように~

教団の暗部や弱味を握るヤシを~抹殺できますように~

私の詭弁と言い逃れを~みんなが鵜呑みにしますように~



362:294
09/01/22 04:57:43 45ISDO64
>>343
釈尊は往々にして自灯明と言ったぞ。犀の角の如くただ一人歩めと。
漏れも自己を確立せず努力もせずにおいて他人を盲信するのはどうかと思うな。
>>336
>>344
華厳ちゃん最初からそうやって本音で大乗の説法してくれれば良かったのに。
漏れもその大乗の立場は否定しないよ。悟りし後に戻って来て菩薩行。
これこそ釈尊の通った道だよ。ただ釈尊と同じことが凡人には簡単にはできないと思うがな。
小乗から大乗への乗り換えは。それこそ弥勒菩薩でも現れてくれなきゃそんな
大仕事は凡人には到底不可能だと漏れは思う。悟りを判定してくれる師がいないんだ。
凡人が俺こそ悟りました仏陀ですなんて言い始めたらおかしくなる。だから凡人は小乗でいいと漏れは思うぞ。

漏れは真宗しか周りにいないから堕した大乗を批判しただけだ。正直すまんかった。
もう変な荒らしはするなよ。ってやってるしwでも法華経はいいとして漏れ如来神力品と日蓮宗だけは勘弁な。w
>>346
>>350
あれだけ自分自身をぶちまけたんだ。華厳ちゃんも変化しようとしてるんだ。
二面性なんてどんな人間にもあるだろ。それくらい受け入れてやれよ。
仏教やってんのにそれくらいの慈悲もないのか君らは?漏れも荒らしはスルーするがなw

363:神も仏も名無しさん
09/01/22 05:07:25 71jX1laU
>>344

菩薩行というのは、具体的に何をするのですか?

テーラワーダのようにお坊さんたちが世界中を飛び回って、在家信者に説法したり、
一般向けに講演会を開いたり、瞑想会を開いたり、本を書いたり、説法の動画を配信
したり、経典の勉強会を開いたりなどの、「衆生を助ける」活動を何かやってますかね??

大乗でもお寺によっては住職が個人的に小規模にこのような活動やっているところはあるけれども。
でも見劣りは否めないな。

また、テーラワーダを小乗と誤解しているようだが、それは誤解だ。大乗以上に、自己研鑽のみならず、
人々(衆生)の幸福を願っているぞ。

364:神も仏も名無しさん
09/01/22 05:12:10 71jX1laU
東南アジアの仏教寺院を特集していた番組では、
お坊さんたちが貧しい子供たちのために学校を
作ったりして、社会福祉的な活動もやってた。
また、お寺は村人たちの憩いの場、子供たちの遊び場、
お坊さんは相談役にもなったりして、皆に尊敬されてる。
とても「小乗」だなどとは思えないね。勘違いも甚だしい。
日本の大乗仏教も少しは見習え。

365:神も仏も名無しさん
09/01/22 05:39:38 8pyVQTBy
>>364
>在家信者に説法したり、
>一般向けに講演会を開いたり、瞑想会を開いたり、本を書いたり

日本のこれまでの普通の仏教でもいくらでもやってくれてるけど

ここで「日本の大乗仏教」を批判している人たちは
たとえば大都会で全く仏教に関心なく過ごしてきたのか
それとも地方でなれ合いになってしまったお寺さんとのつきあいに嫌気がさしたのか・・・

いろいろなお寺の座禅会や説法、若い人たちにも人気とテレビで紹介されるくらいだし
死んで自動的に戒名もらうよりお墓予約しておいて生きているうちに仏教が学べる会とか
国際的に活動している青年会があるところもあるよ



366:神も仏も名無しさん
09/01/22 05:54:21 71jX1laU
>>365
では具体的にそのHPなり具体的内容を紹介してくれますか?
(小規模のものはいりません。そりゃお寺ごとの座禅会くらいはやるでしょうから)

「男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺 」という本を読みましたが、
この人はスゴイですね。日本の大乗仏教も捨てたもんじゃないな、と期待して読んだのですが、
なんと、日本の大乗をこの人自身が批判しているのです。
「日本にはもう仏教はない。もし、あると思いたいならば、現在の僧は皆家を捨てて、もしくは寺を出て、
もう一度出家すればいい。そこにおいて、初めて出家らしい姿ができるんじゃないか」
「今の大乗仏教はヒンズー教との折衷のような宗教だからです」
ヴィッパサナー瞑想も学んだそうですから、大乗を捨ててテーラワーダを評価しているのです。
やはりこれが本物の「菩薩道」だったのですね。

367:神も仏も名無しさん
09/01/22 05:58:25 Zz+QyzX4
出家するのはいいけど税金はきちんと払ってね

368:神も仏も名無しさん
09/01/22 06:02:43 8pyVQTBy
お釈迦さまの本来の教えがやっと日本にも伝えられる、という触れ込みで
何か新しい発見があったのかとパーリ語のお経を見てみたけど
ダンマパダやスッタ二パータ、何十年も前から研究され紹介され
その辺の本屋で文庫本で並んでるようなものの一部

スッタ二パータの中でもどの部分が一番古くてお釈迦様オリジナルに近いか
言葉の使い方から研究した結果とか一般向けの本も結構出てるし
派手なキャンペーンを今更やらないだけで
興味があれば普通の人が自分で地道に考えられるものはそろっている

確かにスリランカの習俗なんかは目新しいけど
ミャンマーやタイの仏教については結構耳に入っていたし
直接行った人の話や現地のブログなんかでもそう理想的には行ってないよね
それは日本の大乗ももちろん同じ
歴史のあるものほど欠点も目立つ、それだけ期待も大きかったということだと思うけど

369:神も仏も名無しさん
09/01/22 06:18:40 71jX1laU
>>367
出家したら家もなければ収入もないので、払うべき所得税も固定資産税もありませんが??

370:神も仏も名無しさん
09/01/22 06:22:28 71jX1laU
>>368
もちろん日本にも資料は昔からあるのだが、ある程度「メジャー」にならないと「気づかない」、「調べてみようと思わない」
のもまた事実。(また、瞑想実践については古い資料は少ないでしょう)

>スッタ二パータの中でもどの部分が一番古くてお釈迦様オリジナルに近いか
>言葉の使い方から研究した結果とか一般向けの本

どの本ですか?読んでみたいです

371:神も仏も名無しさん
09/01/22 06:26:56 ZeJfJKYr
>>362
華厳さんは好きですよ^^

372:神も仏も名無しさん
09/01/22 06:30:00 ZeJfJKYr
>>362
でも、そういうことではありませんので。
そういう風に事情を知らず、延々と議論をしていくあり方や
自分自身のあり方にも、もう合わないと言うことです。
ありがとうございました。



373:神も仏も名無しさん
09/01/22 06:37:49 ZeJfJKYr
何か1つでも、心の成長につながっていたかと思うと、何もつながっていません。
心が狭いのは了承いたしますが・・。心を汚す方が圧倒的に多かったです。それでも
それなりの目的が果たされるのでしたら、それも良いと思いますが、私の場合は、
それもないと判断いたしました。こういう事情ですので、他人から見ておかしいとか間違ってるではなくて、
私自身の判断なんです。

374:神も仏も名無しさん
09/01/22 06:39:53 ZeJfJKYr
連投すみません。これで本当に最後です。だからもう批評は結構です、
そっとしておいてください。

375:神も仏も名無しさん
09/01/22 06:54:01 8pyVQTBy
>>71jX1laU
>>365
>では具体的にそのHPなり具体的内容を紹介してくれますか?
(小規模のものはいりません。そりゃお寺ごとの座禅会くらいはやるでしょうから)

小規模のものはいりません、というのも激しいですねえ
自分は351さんのような感覚を大事にしたいし
そもそも仏教自体、大規模に華々しく何かをやるものだとは思いませんが

別に仏教徒でもない自分にも思い浮かぶ団体といえば
大手の(?)S宗国際ボランティア会とかかなあ
アマゾンに「アジア・共生・NGO―タイ、カンボジア、ラオス国際教育協力の現場から」
なんて本の紹介もある
「カンボジア難民救援活動にはじまり、タイの農村での図書館づくりやラオスでのガリ版印刷所の開設など、15年にわたるSVAの活動の記録。」
なんてのどうです?
ほかにも何かの折に活動の様子を耳にするし、国内の災害救助にも行ってます


376:神も仏も名無しさん
09/01/22 08:06:32 2HnGKNuX
青少年教化協議会とかは、いろんな宗派の僧侶が参加して活動してます。

377:大乗坊主
09/01/22 08:11:12 2HnGKNuX
私が青少年教化協議会を知ったのは、
阪神大震災のときに、避難所で、
娯楽のない子供達の遊び相手になるボランティアに誘われたときでした。

378:大乗坊主
09/01/22 08:28:48 2HnGKNuX
大乗の宗派にも、海外への不況やボランティア活動をやってる僧侶がいます。
普段の私達には、土日に法事でお参りしてる坊主の姿しかわかりませんが、
平日の昼間に色んな活動をできる僧侶もいます。



379:神も仏も名無しさん
09/01/22 10:21:12 A1oMnrvg
>>363
菩薩行というのは、縁起主題の思想から当然出る、自己ではなく
世に対する向上をさせようというベクトルです。すなわち慈悲。
悟りの完成を自己の内面で完了するとするテラワダの発想と
自他の両方の完了がなければ仏の完成などありえないということで
これは諸法無我であるのですから、当然の発想であると思います。

>テーラワーダのようにお坊さんたちが世界中を飛び回って、在家信者に説法したり、
>一般向けに講演会を開いたり、瞑想会を開いたり、本を書いたり、説法の動画を配信
したり、
>経典の勉強会を開いたりなどの、「衆生を助ける」活動を何かやってますかね??

いくらでもやってます。身近な日本で行われてることすら目を向けてないひとが、なにがテラワダですか。
上で話題になっていた、見識が狭いからオウムなんかにはまるってのと同じです。
もっと視野は広く。

>大乗でもお寺によっては住職が個人的に小規模にこのような活動やっているところはあるけれども。
でも見劣りは否めないな。

個人的?宗派レベルでもやってますし、そういうの皆無の寺を探すほうが難しいでしょう。
この分野ではテーラワーダのほうがやはり少ないです。仏像の魂入れなんかは別としてね。

>また、テーラワーダを小乗と誤解しているようだが、それは誤解だ。
>大乗以上に、自己研鑽のみならず、人々(衆生)の幸福を願っているぞ。

つまり、彼らの中にもテラワダは間違いで足りない。大乗が正しいと理解してるわけですよ。
テラワダの教義が真実とするなら、人里から離れ、山奥でボロ布はおって
孤独に瞑想行をするのみに没頭し、
そのような世間のことにこだわるのは執着とせねばなりませんから。

つまり、結局大乗が正しいんですよ。
テラワダだけでは足りぬと、パーリ読んでも分かることです。

380:神も仏も名無しさん
09/01/22 10:33:28 A1oMnrvg
>>357
後期密教思想が入ってるなら分からないけど
それは般若理趣分やそれを密教的に発展させた理趣経に説かれる
我執にまみれた低俗な欲や怒りを捨て、それならばもっと大きな
世の救いの欲(大欲)に昇華させよという論理を言ってるのじゃないか?
中期密教経典ではそういう理論。
怒るなら、菩薩の怒り、すなわち堕落せんとする人をしかって救う怒りに昇華させよ
うんぬんと、煩悩を菩薩にまで高める方法もあることを説く。

こういう他者におせっかい焼くのは大乗的な思想なんだよね
スマのやってることはだから大乗なら分かるんだよ
テラワダの教えに一心に帰依するなら、彼はスリランカで篭って瞑想してなければならない。
気に入らない大乗や弟子を貶し散らすなんてテラワダの思想や態度ではない
しかもガキ臭い感じで、大乗の菩薩の怒りという境地にまで高められた怒りとも到底思えないし…

381:神も仏も名無しさん
09/01/22 10:42:45 A1oMnrvg
>>364
>東南アジアの仏教寺院を特集していた番組では、
>お坊さんたちが貧しい子供たちのために学校を
>作ったりして、社会福祉的な活動もやってた。

どれだけお寺が併設してる孤児院が日本にあると思ってんの?
佐々木氏は有名だが、バングラデシュで孤児院はじめたのも日本の大乗僧だし
その他各種活動は見られるよ。
あまりにも見識が低い。ものを知らなすぎる。
ブッダの遺言で、よく観察せよという教えがありますが、見聞を深めようとせず
狭い視野で盲信するから、現実を見誤るのです。
スマ長老の本でこう書いてあったから、で盲信してしまう知識が足りない人が信者に多いと思う

何も知識知らず入ってない人は、乾いたスポンジのようにすぐ吸い込んでしまうのでしょうが
無尽蔵の吸収力を持たんとするのが仏教的な態度であって、それですぐいっぱいいっぱいになって
それ以上を受け付けようとしない。それじゃあ世を真に観察することなどできませんよ。
人を師としてはならないのです。法を師としなさい。


382:神も仏も名無しさん
09/01/22 11:14:16 GOrz8GAN
>>379-381
華厳ちゃんいいねえ。もっと寺和田に足りない所をを批判してくれよ。
誹謗中傷しなくても批判できるじゃないか。がんばれよ。

383:神も仏も名無しさん
09/01/22 12:55:40 A1oMnrvg
いや。華厳とは全く別人>>382
ただ、私も華厳経は縁起・因果律を重視する経典で、
まさに「法を師とせよ」であり
大乗の真髄とは思います。

384:神も仏も名無しさん
09/01/22 13:20:23 +S9UQDAQ
今月のパティパダで青年部ダンマトークは長老や仏教への批判をはきだす場所ではない、疑問を討論する場所だと。

批判を自分の心のなかで抑圧して、長老や仏教は絶対悪くないって思考回路を 自分一時期やっていた。
ばかだった(笑)

385:マハー・河童サ
09/01/22 13:25:47 +5AHFV9+
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
人間が生と死の回転する輪廻転生の車輪のなかに巻き込まれ・・・
衆生界のいたるところに余すところなく教えの車輪がころがっていき・・・
車輪にたとえられる円満な境地に入った。
神は円である、その中心は遍在し、その円周はまことにどこにもない
URLリンク(thumbnail.image.rakuten.co.jp)

386:神も仏も名無しさん
09/01/22 13:29:45 HsFsqgpA
>ばかだった
過去形で言うところがアウト

387:神も仏も名無しさん
09/01/22 16:00:50 WFZtV+qr
>>379>>380>>381
大乗の素晴らしさはもう分かったよ
でもあなたの書きぶりを見るとテーラワーダやスマ長老よりレベルが高いとは思えないよw

388:神も仏も名無しさん
09/01/22 16:22:41 AVO7YxEZ
さあ皆さん!慈悲の瞑想しましょ~!

青年部リーダーAの投身自殺を~隠蔽できますように~

教団の不祥事が~隠蔽できますように~

私を嫌う人々が~不幸になりますように~

私を嫌う人々が~不幸になりますように~

プロパガンダ本の在庫の山が~一掃できますように~

スマ尊師を批判をする人たちが~不幸になりますように~

批判をする人たちが~不幸になりますように~

批判をする人たちが~死にますように~

批判をする人たちを~消せますように~

目障りな異教徒どもを~全員殺戮できますように~

弱虫で怠惰な負け犬の~精神疾患者は~さっさと自殺しますように~

教団の暗部や弱味を握るヤシを~抹殺できますように~

私の詭弁と言い逃れを~みんなが鵜呑みにしますように~


389:神も仏も名無しさん
09/01/22 16:29:46 A1oMnrvg
>>387
だから人を師としなさんなって。法を師としなさい。

390:神も仏も名無しさん
09/01/22 17:27:47 u1TUBjlo
>>382
大変失礼いたしました。華厳命じゃなかったのね。
漏れには華厳経は難しすぎてわからなかったよ。
どっちかというと律宗の方がわかりやすくていい。
戒律を守ればいいんだから。漏れ五戒も守ってないけどねw
不可能だもの。不殺生戒と不妄語戒なんて。健康な男なら不邪淫戒もだけどw
なるべく守るようにする志は大切だと思うけどね。在家であっても。

391:390
09/01/22 17:28:36 u1TUBjlo
>>383
失礼。アンカーミスだった


392:神も仏も名無しさん
09/01/22 17:45:42 2HnGKNuX
>>389 で、法の情報源は?
結局、長老達が伝えてきた情報をつまみ食いするしかできない。


393:神も仏も名無しさん
09/01/22 17:59:09 2HnGKNuX
>>384 落語を学びたい人同士が、どうやったら落語が上手くなるかを語りあう場で、
落語家である師匠や落語の悪口を言うのは的はずれでしょう。
落語が嫌いで、落語家の師匠を尊敬していないなら、
なんで落語を学ぶ場に来るんでしょうか?
無理に勧誘されて来たんですか?

394:神も仏も名無しさん
09/01/22 18:06:20 u1TUBjlo
>>393
悪口と批判は違うだろ。師が破戒しようとしているのに止めないのは釈尊の心に反すると思うぞ。
師匠とて完全な人間は滅多にいない。イエスマンになるのも浮世の落語ならそれでいいかもしれんが
話は仏教だぞ。


395:神も仏も名無しさん
09/01/22 18:09:35 2HnGKNuX
仏教は好きだけれどスマナサーラ長老の教え方が気に入らないという人は、
他の僧侶を探して教えてもらえばいいだけでしょう。
私達のような素人がとやかく言ったくらいで、
スマナサーラ長老の教えを変えられるとでも思っているのでしょうか?
また、どのような教えに変えたい、どのような教えが好みなのですか?
その好みの教えを、あなたはどこで知ったのですか?
別のお坊さんから聞いたのなら、
そのお坊さんのところに通って教えてもらえばいい。
本で読んだのなら、その本の著者や著者の弟子にでも教えてもらえばいい。
文句を言いながらスマナサーラ長老のところに来る必要はありませんよね。

396:神も仏も名無しさん
09/01/22 18:12:57 AVO7YxEZ
スマ蛭を変える必要などなし
社会的に葬り去ればいいだけwww

397:神も仏も名無しさん
09/01/22 18:14:23 2HnGKNuX
>>394 出家者の戒律では、他の出家者の過ちを言いふらすのはダメだったような。
まぁ、在家信者だからそこまで気にしなくてもいいとしても、
やはり本人にこっそり忠告すればいいのに、
なぜ大勢の前で言いふらすのですか?

それに、スマナサーラ長老よりも戒律を守っている
他の尊敬できる僧侶を探して、仏教を教えてもらえばいいだけではないでしょうか?

398:神も仏も名無しさん
09/01/22 18:17:54 u1TUBjlo
>>395
誰もスマナサーラ長老が気に入らないなんて言ってないだろ。
イエスマンになるのはどうかと問いかけているだけじゃないか。
何でそんなに焦ってるの?ここは全部信じて疑わない人以外は来ちゃ駄目なの?
少しの批判すら許されないんじゃちょっと息苦しいなあ。まあここは2chだし大目に見てよ。
漏れテーラワーダの掲示板には一回も書いたことないから。信者じゃないし。


399:�アこに、このようにいるのか」という、自分たちの存在の成り 立ちに対する答えを求めて来ました。 その疑問は多くの宗教や哲学を生み出し、「すべては全能の神に創造されたのだ」「どんなこ とも偶然の産物にすぎない」「全部、過去世で決められた運命だ」等、様々な答えが語られて きたのです。 仏教ではものの成り立ちについて、因果法則を説きます。「ある原因とある条件が揃ったとこ ろである結果が現れる、その原因や条件が消えればその結果も消える」というのが因果法則です。 業論は、生命の因果法則だということができます。 「Kamma (業)」の辞書の意味は「行為」です。 仏教では、身体の行動だけでなくしゃべることや考えることも行為に入ります。「善因善果、 悪因悪果」という言葉で知られるように、良い行為には良い結果が、悪い行為には悪い結果が ついてくるというのが法則です。けれども世の中には不条理だと思えることがたくさんあります。 正直でまじめな人がリストラにあった、かわいい子供が突然事故で亡くなったなど、わけがわか らないことが起こるのです。そうすると、「定め、運命、宿命」等の言葉が出てきます。私たち が「業」について考えるのはそういう時です。



400:スマナサーラ
09/01/23 23:36:39 IGae5qrZ

釈尊は、「すべては宿命であって、決められた定めだ」という考え方には反対されました。
すべてが決められているならば人間が努力する余地はなくなります。そういう考え方は恐ろ
しい邪見だとおっしゃっています。
「ではいったいなぜ?」という疑問が起きますが、すべての原因と条件を明確に知ることは、
人間には不可能です。

釈尊は、人間には知り尽くすことができず、無理に理解しようとすると頭が狂ってしまうよう
なことが四つある、と言われました。その中の一つが業のことなのです。業については、普遍
的な法則としてのみ理解するのがよいのです。

釈尊は業について、「業は自己のものだということが正見です:kammassakatâ sammâditthi 」
と説かれました。
自分の行為の結果は自分に返ってくる、それを理解することが正しい考え方だということで、
つまり、自己責任ということです。
仏教は個人主義です。誰かが犯罪を犯しても、その親兄弟を責めることはありません。
業はあくまでも自分だけのものなのです。

すべては自己責任なのだから、他人のせいにすることもできないのです。人はすぐに他人の
せいにするクセがありますが、何でも全部自分の責任だと思った方が正しいのです


401:スマナサーラ
09/01/23 23:42:37 IGae5qrZ

「業は自分のものだ」という言葉には、一人一人の人権を尊重するという意味もあります。
だから仏教では、「何々するなかれ」という命令形はめったに使いません。「こういうことをすると
こうなりますよ」と事実を教えます。
やるかやらないかは、それぞれの自由なのです。

人は完全に独立した個人であって、誰にも支配されていません。自由です。しかし行為には結果があ
ります。それは宇宙の法則で、どうしようもないのです。
ですから、「すべては自己責任だ」としっかり生きるべきなのです。
その生き方が身につくと「悪いことをすれば自分がひどい目に遭う。だから私はやりません」と、周り
の悪影響を受けずに生きていけます。仏教の業論では、そういう強さも教えているのです。

ここで付け加えると、「周りの影響」ということも、業論ではとても重要なテーマです。
普通、私たちはどうしても周りの影響を受けるからです。
人は自然と似たもの同士でつきあいます。
怒りっぽい人は怒りっぽい人同士、悪い考え方を持っている人は悪い考え方を持っている人同士、
音楽の才能がある人は音楽の才能がある人同士など、性格別、能力別にグループをつくります。

似たもの同士は同じ運命で回転するので、運命の方向は変わりません。運を好転させたければ、自分
の欠点を良く理解して、苦労してでも自分の短所と逆の性格を持つ人々とつきあった方がいいと思い
ます。
そのためには的確な判断力やかなりの忍耐力が必要で、実際にはなかなか難しいのです。だから本格
的に自己変革して運を好転できる人の数は少ないのです。

 


402:スマナサーラ
09/01/23 23:46:33 IGae5qrZ

すべては無常なのだから我々の運命も努力すれば好転する、というのが仏教の立場です。
それは「やればできる」という単純なことではありません。

原因と条件が揃ったところで結果が出るのです。
その理を理解し、客観的に物事を正しく判断して合理的にがんばりなさい、ということ
なのです。

403:スマナサーラ
09/01/23 23:52:33 IGae5qrZ

業論とは人の幸不幸について語るものだ、と言うこともできます。

仏教では、幸不幸は心の問題だと説いています。交通事故で足が一本なくなった人が不幸だとは
決められないのです。
その人が明るく堂々とがんばっているならば、別に不幸ではありません。
中にはちょっとしたケガだけで落ち込んで不幸になる人もいます。幸不幸は各自の思考パターン
から来ているのです。

思考パターンは過去の行為の結果(業)です。思考パターンを変えるのは難しいですが、努力す
れば変えることができます。そのために必要なのは、合理的で具体的な智恵と知識です。

自分を徹底的に客観的に見ることができる勇気も必要です。自分自身を本質的に変えるためには、
かなりの勇気が必要なのです。人はどうしても楽な方へ、怠ける方へと流れ、自分の性格で落ち
着こうとします。
自分の思考パターンで落ち着いてしまえば、その人に進歩はないのです。



404:スマナサーラ
09/01/24 00:04:15 +I41lNWn


業とはいったい何なのか、より具体的な説明があります。

「比丘らよ、『意志が業だ』と私は言う」 という釈尊の言葉があります。
「業」=「意志」だとおっしゃるのです。

心には常に「行為を起こす動機となる想い」があります。たとえば妄想する場合でも、
「なぜこういうことを妄想するのか」と見てみると、何らかの「想い」が見つかるで
しょう?その「想い」がcetanâ(意志)であり、業なのです。

結果を出すのはそれなのです。「想い」が清らかなものか、貪瞋痴で汚れているかに
よって、善業か不善業かが決まるです。
たとえば「自分が成功したい」という貪りや「人に負けないぞ」という怒りで行動す
るのは不善業です。
欲や怒りが強いと意志も強いので、うまくいくように見えますが、結局は良い結果に
なりません。

一見「良いこと」であっても、意志が汚れている場合は、悪いことをしているのです。
「病院をつくった、学校をつくった」というだけで、善行為か悪行為かは決められません。
欲のない慈しみの気持ちでがんばると、結果も良いし、充実感も得られます。

とにかく、なるべく「自分が」という自我意識を置いて行動することが、良い結果を得る
道なのです。
意志に行為の重点があると知り、それを語ったのはお釈迦さまだけです。


405:スマナサーラ
09/01/24 00:12:00 +I41lNWn

心の業を積み重ねる仕組みについて少し詳しく見てみましょう。
心の業というのは非常に微妙で細やかなものなのです。
たとえば花を見て「花だ」と思ったら、その瞬間にもう業を積んでいるのです。

「花を見る」とは、目に入った情報を瞬時に頭の中で合成して、「花だ」と認識する
ということです。
頭の中で現象を組み立てる時にも、やはりかすかな意志がはたらいていて、そこにその
人の経験が関わっています。

「花だ」とわかると同時に感情も揃っています。それは個人的な作業で、同じものを見
ても頭の中の認識は一人一人違います。
目に光を感じることは自然の流れで、それは避けられません。
そこまでは善でも悪でもなく、業にはなりません。

目に触れた光を「花だ、壁だ」と判断したとたんに感情をつくり、「好きか嫌いか、これ
はどういうものか」などと考えています。それが、自分の将来を決める業になるのです。
耳で聞く場合も、「音」だけで止まると、業にはなりません。
しかし我々は耳に音が触れた瞬間に「鳥の声だ」「車の音だ」と認識しています。
瞬時に頭の中で合成しているのです。もうすでに業を積んでいるのです。

つづく

406:神も仏も名無しさん
09/01/24 00:14:44 9uUT1IN9
つづけないで下さい

407:スマナサーラ
09/01/24 00:21:04 +I41lNWn

たとえばある人が道を歩いているとします。
それだけで、ドンドンその人の頭の中の合成機能が変わっていきます。
感情も変わっていきます。それによって性格も変わっていくのです。

「ただ歩いているだけで、どうってことない」と思うかもしれませんが、そういう単純な
行為でさえ、小さな小さな業を心の中にためていくのです。
その瞬間その瞬間、違うものを合成するのです。

それがたまってたまって、次へ次へ次へと、自分を変えていくのです。
業からは逃がれられないのです。
ただ歩いているだけでも、悪行為をしているのか、善行為をしているのか、わかったもの
ではないのです。

聞く場合でも、味わう場合でも同じです。
何をしても、瞬間瞬間の小さな粒子をたくさん積み重ねていって、
無数の業を積み重ねながら、自分の見方を変えていくのです。
完全に悟らない限り、業を積み重ね続けることからは逃げられません。

私たちはいつでも自分の運命に足すか引くか、どちらかのことをしているのです。


408:スマナサーラ
09/01/24 00:38:40 +I41lNWn

それでは、我々をがんじがらめに縛っているこの業から自由になる道はあるのでしょうか?
合理的で、科学的な方法があるのでしょうか?あるのです。



409:神も仏も名無しさん
09/01/24 00:42:29 GqSX6tSZ
>>541
それがたまってたまって、次へ次へ次へと、自分を変えていくのです。

そうですね。無意識(自覚のない)の行為は危険ですね。

> 業からは逃がれられないのです。
> 私たちはいつでも自分の運命に足すか引くか、どちらかのことをしているのです。
私には為になる話でした。

410:神も仏も名無しさん
09/01/24 00:44:09 9sRPzSno
なるほろ。

411:スマナサーラ
09/01/24 01:16:48 +I41lNWn

六処(眼耳鼻舌身意)に対象が触れるとその瞬間に頭の中で現象をつくり出し、感情が
生まれている。
それらは次から次へと流れて行き、その瞬間瞬間、業がポテンシャルなエネルギーとして
蓄えられ、同時に自分を変化させていくというところまで述べました。

私たちに生じる感情は殆どが不善心所(不善なる心のはたらき)なので、感情=煩悩と言
ってもいいくらいなのですが、善心所(善なる心のはたらき)が心に生じることもあります。

善心所が生じると善い業を蓄積することになります。


412:スマナサーラ
09/01/24 01:20:48 +I41lNWn

幸福は善い業の結果です。

たとえば花を見て「きれいだ」と喜んだとすると、その瞬間、その人は過去の
善業の結果を味わっているのです。
同じ花を見て不機嫌になった人は、悪い業の結果を受けているのです。

判断には各自の経験が入りますから、同じ花を見ても、一人は幸福になり、一人は
不幸になります。
過去の行為が今の瞬間の幸不幸を決めているのです。しかしたとえ善果を得て幸せ
になってもそこに罠があります。

幸福を喜ぶ人は、そこから多くの感情をつくり出します。
それらの感情は殆どが「欲」という不善のカテゴリーに入るのです。そこでその人
は幸福を感じつつ、次から次へと、不善業を積んでいくことになるのです。

もしも、「イヤだなあ」と機嫌が悪くなったならば「怒り」のカテゴリーに入る不
善業を積み重ねていくことになります。
「良い」とも「イヤだ」とも思わず無関心な時は無知がはたらいています。

ですから「生きる」ということは、欲と怒りと無知の悪業を膨大に積み重ねていく
ことなのです。
しかも私たちは、とても好ましいことやひどくイヤなことを心に刻み込み、何度も
何度も思い出すのです。
そうやって思い出すたびに不善行為を重ねることになります。

413:スマナサーラ
09/01/24 01:25:14 +I41lNWn

そのように、私たちがつくり出していく業も膨大な量ですが、過去生から背負っている
業はそれと比べものにならないほど巨大なものです。

無始なる過去から積み重ねた業の量は生半可ではないのです。
生命は皆、想像を絶する量の業を背負っているのです。
悪業を償おうとしても、償い切れるものではありません。

ブッダは、過去生の業など放っておきなさい、と説かれます。大切なのは自分が今罪を
犯さないことですよ、と。過去を嘆いたり後悔したりしても罪を重ねるだけなのです。

過去のことを考える暇があったら、今の瞬間に気づくことです。自分がかつて何をした
としても、皆、無量の業を背負っているのだから、大差はないのです。
膨大にためこんでいる業の中から、条件が揃うと、ある業が自動的に機能するのです。

自分の好き勝手に業を機能させることはできません。では我々に手も足も出ないかと
いうと、そうではありません。条件を変えると、結果も変わるのです。

そこで仏教では、法則を正しく理解して冷静に落ち着いていることを推薦します。
つまり、良いことに出会ってもイヤなことに出会っても、無執着の心で放っておくのです。
世間では「執着を捨てるなどとんでもない、喜怒哀楽こそすばらしい」と思っています。

「楽しんでこその人生だ」と常に喜びを探し求めています。
つまり、「欲」の不善業を探し求めているのです。
世の中で好ましいものばかりに出会う人はいないので、当然、怒りも生じます。




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