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第六章 予 定 論<①>
聖書には、人生の栄枯盛衰や、幸不幸はもちろん、堕落人間の
救いの在り方から、国家の興亡盛衰に至るまで、すべてが神の
予定によってなされると解釈できる聖句が多くある。
ローマ人への手紙八章29節~
「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに
似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子
を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。そして、あらか
じめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とし
た者たちには、更に栄光を与えて下さったのである」
このように、完全に予定説を立てることのできる聖書的な根拠が多
くある。
しかし?、我々は、このような予定説を否定する他の聖書的な根拠
も多くあるということを忘れてはならない。
マタイの福音書七章7節
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見い
だすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう」
↑もしすべてのみ旨の成就が、神の予定によってのみなされるのであ
れば、何のために人間の努力を強調する必要があるであろうか?