【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】5at PSY
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】5 - 暇つぶし2ch150:神も仏も名無しさん
09/01/09 14:28:05 cV8BmzWa
ここの頑迷末法仏教徒にいくらいっても疲れるだけだ。
どのみち聞く耳ない人達だし。

俺はその「無」の話をしている。そして「有」の話をしている。
二つは別個のものではない。二つで一つのものだ。ま、君らにいくら言っても
自性は理解不能だろう。ちなみにそれを「自性」と呼ぶのも適切ではない。
それは識別智である「言」では正確に表現し得ない。ただ、便宜上自性と呼んでいるだけである。

151:神も仏も名無しさん
09/01/09 14:29:45 utjZxAtH
>>147
>自性という言葉は出てこなくても、「無」という言葉は出てくる。
>
>「無」が分らなければ、仏教ではない。

はあ?

>>148
>言葉が出てこなかったらおまえは否定するのか?
>なら、中論も否定しろよ。

はあ? 自性という言葉はだから部派仏教の概念で、法が実体があるという意味で使われるんですが?
いいかげん、佐倉さんのサイトで一切と自性を読んでグノーシス解釈で誤読したことを認めないと。
そんな意味で自性を使うのは、カラスさんだけだからね。

152:神も仏も名無しさん
09/01/09 14:31:51 wIREQGnf
>>150
この世は「現実界」だから、現実上の根拠を欠くものはすべて「妄想」
であり、聞く必要はない。



153:神も仏も名無しさん
09/01/09 14:31:56 tya1ImFm
>>86
>静寂の境地から目覚め、明けの明星をみたときに全てを悟ったんだよ。

ナルホド。無色界自体を超えたところにあると。滅尽定自体は、無色界を越えたところ
(涅槃と同じ)にあるので、非想非非想定と言っていただければ、誤解しなかったので
すが。

それでは次に「明けの明星を見て悟った」ということについて具体的に説明していただ
けませんか?

154:新人
09/01/09 14:32:44 K8HJeVx4
ちょっと誤解されているようなので補足しておくと
霊魂にも自性はないです。
無常であり縁によって千変万化するものです
あの世ですらそうでこの世以上に流動的なのです
無常こそが真理であの世の高級霊も精進を怠ると地獄界に転生することがあります
ただ空なる魂それ自体は不変なのですね
永遠に変化するといういみで永遠なのです


155:神も仏も名無しさん
09/01/09 14:33:24 utjZxAtH
>>146
じゃ、そういう意味で自性が説かれている経典だしてくださいよ。
『ウダーナヴァルガ』『スッタニパータ』『ウダーナ』全て
svabhaava も sabhaava も説かれてませんが?


156:神も仏も名無しさん
09/01/09 14:34:44 cV8BmzWa
>>153
おまえらに話す気は無いよ。
それこそ無記とさせていただく。

157:神も仏も名無しさん
09/01/09 14:41:30 cV8BmzWa
>>151
>はあ? 自性という言葉はだから部派仏教の概念で、法が実体があるという意味で使われるんですが?

だからよ、俺の話は、部派仏教の概念である自性とはまるで違うんだよ、タコ。
いつ俺が、法に実体があると言ったんだ?この理解力の無さをみろ。
おれは、仏教で飯を食ってる、糞坊主のように、中論を使った詭弁で不可知論を説いて
詭弁でごまかすようなことはしてないし、簡単な話を、専門用語を用い、
小難しい言い回しで難しい言い回しをしてごまかさないで、誰でもわかる
わかりやすい言葉で、だれでもわかるように簡単に話している。俺はそんなに難しい話をしてるとは
思わないんだが、この人らにとっては難しすぎるようだ(苦笑)

158:神も仏も名無しさん
09/01/09 14:45:10 utjZxAtH
>>157
じゃ、分かりやすく証拠を出せば済むんですが?
さっぱり、分かりませんね。
私にはあなたが適当に眼についた自性という言葉を誤読してデタラメを言ってるようにしか見えませんよ。


159:神も仏も名無しさん
09/01/09 14:50:39 cV8BmzWa
>>155
説かれているだろう。
それを認めたくないおまえらが、屁理屈こねくり回して、
説かれていないことにしてるだけ。

ウダーナの
>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
>もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
>生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
>生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
>生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。

の部分は、生じたもの。生成されたもの。つくられたもの。形成されたもの。つまり
無自性なこの現象世界の反語だ。それを自性といんだよ。
おまえらの中道を使った屁理屈だと。ゴータマは、原始経典などで、あくまで、この現象世界は、生じては滅する
幻のようなものだと説いたのに、いいや、本当は生じては滅するが、生じもしなければ
滅することもない、中道だべ~!!と、結論なき不可知論をいっていたことになる。こりゃ詭弁だし、不可知論は外道だ。
原始経典はそんなことを言っていない。この世はあくまでも、生じては滅する、幻のようなものだと言ってるんだよ。

160:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/09 14:52:20 VLLQXIJF
>>154
>霊魂にも自性はないです。
>無常であり縁によって千変万化するものです

霊魂というのは、それ自体で成り立つ(自性)から霊魂であって、
もし無自性なら霊魂はないことになる。


161:神も仏も名無しさん
09/01/09 14:52:42 cV8BmzWa
>>158
どこがでたらめなんだよ。お前らの中道を使った詭弁のほうがでたらめ
だろう。おまえは理解力が無い。おまえはそのでっかいエゴを滅ぼさない限り、
書かれていることを素直に読めない。

162:神も仏も名無しさん
09/01/09 14:59:55 utjZxAtH
>>159
説かれてませんね。涅槃というタイトルが付いてますが、sabhāva という単語は見当たりませんね。

3. Tatiyanibbānapaṭisaṃyuttasuttaṃ

73. Evaṃ me sutaṃ – ekaṃ samayaṃ bhagavā sāvatthiyaṃ viharati jetavane anāthapiṇḍikassa ārāme.
Tena kho pana samayena bhagavā bhikkhū nibbānapaṭisaṃyuttāya dhammiyā kathāya sandasseti samādapeti samuttejeti sampahaṃseti.
Tedha bhikkhū aṭṭhiṃ katvā, manasi katvā, sabbaṃ cetaso samannāharitvā, ohitasotā dhammaṃ suṇanti.

Atha kho bhagavā etamatthaṃ viditvā tāyaṃ velāyaṃ imaṃ udānaṃ udānesi –

‘‘Atthi, bhikkhave, ajātaṃ abhūtaṃ akataṃ asaṅkhataṃ. No cetaṃ, bhikkhave, abhavissa ajātaṃ abhūtaṃ akataṃ asaṅkhataṃ,
nayidha jātassa bhūtassa katassa saṅkhatassa nissaraṇaṃ paññāyetha. Yasmā ca kho, bhikkhave, atthi ajātaṃ abhūtaṃ akataṃ asaṅkhataṃ,
tasmā jātassa bhūtassa katassa saṅkhatassa nissaraṇaṃ paññāyatī’’ti. Tatiyaṃ.


163:神も仏も名無しさん
09/01/09 15:03:09 utjZxAtH
>>161
だからあなたの言うような自性が仏教で説かれていないからですよ。
ウダーナにも説かれてないでしょ。上に見るように。

164:神も仏も名無しさん
09/01/09 15:16:03 tya1ImFm
>>156
あらら。

ところで、ゴータマ仏陀が明けの明星を見て悟ったという話は、パーリ仏典
にもあるのでしょうか?
どなたかお知りの方がおられましたら、お願いします。

165:新人
09/01/09 15:32:31 K8HJeVx4
金星飲み込んで悟ったのは空海の逸話じゃなかったっけ?


166:神も仏も名無しさん
09/01/09 15:40:32 V9hT5cHZ
あれは秀吉さんのオカカ様じゃまいか、金星でなく日輪を胎に孕んだとか

167:神も仏も名無しさん
09/01/09 15:44:44 tya1ImFm
>>163
佐倉さんの受け売りなのは、カラスさんではなくて、宝珠愚者さんという印象があります。

ただ、カラスさんの態度が紛らわしい。宝珠愚者さんに味方するあまり、それ以外の意見
の人を外道扱いですから。用語もいいかげんなので、私自身、カラスさんが言う、中道を
使った詭弁による真我論者だと思って、それで無色界のことを指摘しようとしていました
から(一方、宝珠愚者さんは明らかに単純な真我論者だと思います)。

私は、

かれは両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない。
かれを、わたしは〈偉大な人〉と呼ぶ。─中村元『ブッダのことば』p219

とあるように、唯物論(欲界)も、その反対の真我論(色界)も、そして中間の空
論(無色界)も、すべて否定されるべきだと考えています。その点に限っては、実
はカラスさんと同じだったかもしれませんが、ただ、無色界すらも超えた先にある
もの(私は普通に「涅槃」でいいと思うのですが)として、「明けの明星を見て」
で何を言わんとしているかは、「無記」だそうですので、最初から論議の対象外に
あるわけですが……。

168:初代スレ7
09/01/09 15:48:50 lBDOoeEL
で、このスレ的決着は出ても、
今度は、(「輪廻がある・ない/説かれた・説かれない」ではなく)
【どう説かれていたのか】が問題となるわけか・・・w

169:神も仏も名無しさん
09/01/09 15:49:58 tya1ImFm
>>165
空海や空海好きの桐山靖雄氏もそんなことを言ってます。ただ空海以前に、大乗の仏伝として
そのような話があるようです。それはパーリにもあるのかどうか、気になったのです。

170:神も仏も名無しさん
09/01/09 16:03:53 utjZxAtH
>>164
修行本起經 (No. 0184) 0471c27 - 0472b08: 災&MT02125;所作已成智慧已了明星出時廓然
佛説太子瑞應本起經 (No. 0185) 0478b13 - 0478b25: 栽枿所作已成智慧已了明星出時廓然大悟得無上正眞之
佛説普曜經 (No. 0186) 0522b11 - 0522b14: 災𦽵所作以成智慧以了明星出時廓然大悟得無上正眞道
佛本行集經 (No. 0190) 0796c05 - 0796c11: 爾時如來於彼後夜明星出時得成阿耨多羅三藐三菩提已


という漢訳と梵本はあるようですが、パーリは arun.a で、ざっと検索した所ないようですが?

171:神も仏も名無しさん
09/01/09 16:13:27 Shy15hJf
真の仏教は現世で悟ることを目標としている。


172:神も仏も名無しさん
09/01/09 16:20:37 utjZxAtH
>>167
>佐倉さんの受け売りなのは、カラスさんではなくて、宝珠愚者さんという印象があります。

カラスさんは、グノーシスが基本で佐倉さんの「一切」と「自性」に当てはめ、
『ウダーナ』などの原始経典を適当にその解釈で読んでるだけだと思います。

>かれは両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない。
>かれを、わたしは〈偉大な人〉と呼ぶ。─中村元『ブッダのことば』p219


中道については、石飛道子先生の『ブッダと龍樹の論理学』をご覧ください。
これ以上、明解な学者の論述はみたことありません。天才じゃないでしょうか?

>とあるように、唯物論(欲界)も、その反対の真我論(色界)も、そして中間の空
>論(無色界)も、すべて否定されるべきだと考えています。

否定するというか、執着すべきではないことはもちろんですが、
上の考え方は、いささか問題だと思います。
三界は、禅定・三昧の深さによるものと思います。
深まると段々、対象が消えていくので上の分類になっていると思います。
そして仏典で三界を説くのは、各段階の三昧体験を悟りと勘違いするな、
という為に説かれていると聞いたことも読んだこともあります。


>無色界すらも超えた先にある
>もの(私は普通に「涅槃」でいいと思うのですが)として、

その通りです。ウダーナが説くのもその状態でしょう。
そしてそこに行くには縁起観などによる観が必要なことは、
仏伝や諸経論に明らかなのですが、これがなかなか理解されない。
1.のタイプの人が問題外なのは、禅定・三昧の必要性も理解しない
ただの気休めか好事家の探求、コレクションにしかならないと思うからです。

173:神も仏も名無しさん
09/01/09 16:22:29 tya1ImFm
>>170
ありがとうございます。参考にさせていただきます。

174:神も仏も名無しさん
09/01/09 16:23:55 SRbXRxEo
自性の無い肉体、自性の無い霊魂。どちらもあり。

肉体というのは、それ自体で成り立つ(自性)から肉体であって、
もし無自性なら肉体はないことになる。


175:神も仏も名無しさん
09/01/09 16:25:55 BpM7f3Pa
「人間」が、何を、どのように思考し、議論し、信じようとも、それはすべて
人間の「生物的生命」の機能。死者には一切が不可能。そして、生命は、実在
界(自然)に100%依存することによって「のみ」、維持することが出来る。

この「生命・自然」という究極的基盤を、片時も忘れてはならない。問題や疑問
が生じた場合には、この根源に立ち帰ることにより、最も正しい解答や解決が、
容易かつ迅速に得られるものである。

この究極的基盤から離れた思考や議論は、百人百様、口から出任せに過ぎず、
全く無意味・時間の浪費であることを、自覚する必要がある。

176:神も仏も名無しさん
09/01/09 16:34:27 tya1ImFm
>>172
>石飛道子先生の『ブッダと龍樹の論理学』

未読です。是非、読ませていただきたいと思います。

>>とあるように、唯物論(欲界)も、その反対の真我論(色界)も、そして中間の空
>>論(無色界)も、すべて否定されるべきだと考えています。
>
>否定するというか、執着すべきではないことはもちろんですが、
>上の考え方は、いささか問題だと思います。
>三界は、禅定・三昧の深さによるものと思います。

唯物論の根には五欲への執着がある。
真我論の根には色有への執着がある。
空論の根には無色有への執着がある。

と私はこのように解しております。実際に、心がその境地へと触れるには、
禅定を深めていくことによって可能となりますが、その境地で得たものに
ついて「これが絶対究極」と思い込み、執見し、それを元に思想を構築し、
他者と論争することになるのではないでしょうか。

177:神も仏も名無しさん
09/01/09 16:43:36 utjZxAtH
>>176
>唯物論の根には五欲への執着がある。
>真我論の根には色有への執着がある。
>空論の根には無色有への執着がある。

これなら分かります。ただ空論というより虚無論と言った方が誤解がすくないかと。
天台とかの解釈では仰るとおりなのかもしれませんが。
言葉は、同じ記号でも指示対象が別なことが多いというか、
同一対象をほとんど指示できませんから、きっちりはありえませんねw

>と私はこのように解しております。実際に、心がその境地へと触れるには、
>禅定を深めていくことによって可能となりますが、その境地で得たものに
>ついて「これが絶対究極」と思い込み、執見し、それを元に思想を構築し、
>他者と論争することになるのではないでしょうか。

仰る通りだと思います。誰もが現状肯定したいですから。

178:神も仏も名無しさん
09/01/09 16:46:31 BpM7f3Pa
>>172
「自分の」輪廻に恐れおののき、それを逃れるための禅定・三昧など、他者に
とっては糞の役にも立たない「問題外」。自己中心主義の典型に過ぎない。
それを煩悩というのである。

179:神も仏も名無しさん
09/01/09 17:08:19 YRVq9LyY
自己を否定しているのに、自己中心主義と断定し非難する・・・
????????

180:神も仏も名無しさん
09/01/09 17:25:21 BpM7f3Pa
>>179
ならば、すべての否定しているのに、何故輪廻転生だけは恐れ慄く?

181:神も仏も名無しさん
09/01/09 18:31:53 vSyWM1tV

阿羅漢を目指すのが小乗で、
菩薩・仏を目指すのが大乗ではないかと。
小乗ではあまり輪廻は問題にならないが、
大乗は輪廻からの解脱を目的とする。
だから輪廻はとうぜんある。
仏は輪廻の制約は受けないからである。

182:神も仏も名無しさん
09/01/09 18:37:11 4ymCCQRA
修行するのが小乗で 勧誘するのが大乗だろう。だから大乗はしょうも無い。

そして輪廻するという妄想 から解脱することを釈迦は勧めました。

183:神も仏も名無しさん
09/01/09 18:38:19 97IbmvPp
菩薩は目指すものじゃなくて、菩薩の誓願をしたその日から、菩薩ってことらしいよ。
もちろん文殊菩薩とか普賢菩薩とかそういうメジャーな菩薩とはくらべるべくもないが、
ジャンル的には一応同じになるのが大乗仏教らしい。菩薩のはしくれってやつか。

184:139
09/01/09 18:43:03 teqyLo7s
一応確認。

虚無論と唯物論はウロボロスの頭と尻尾みたいなものだから、分類①に一纏めでもよろしいですよね?

185:初代スレ7
09/01/09 18:48:06 lBDOoeEL
>>183
だね。

法話をする和尚さん方が、その中で
「【我々凡夫は・・・】」という言い方を多用する(或いは、それしかしない)ことの
意味や理由(→たとえ無意識裡であっても)を考察してみても面白いと思うよw

上座部の比丘や昔日の阿羅漢達は、決してそうは言わなかっただろう。
「【貴方方凡夫は】」という形式になっただろう。(言葉そのままではないにしろ・・)


(´ー`)y━~~

186:神も仏も名無しさん
09/01/09 19:00:14 tfvdhtkV
大日やら千手など存在したこともないものを神のごとく信仰するものは断じて仏教ではない

187:神も仏も名無しさん
09/01/09 19:12:57 ZqAA4O4w
>>186
我々仏教徒は、実在したとかしないとか、そんな他人任せのあやふやなものを拝んでいるのではない。
佛神に対して慎ましく手を合わせるという己の有り方を信じて行じているのである。

188:神も仏も名無しさん
09/01/09 19:29:10 YRVq9LyY
>180
輪廻なんてはなっから信じてませんけど?
俺ってすでに解脱しているだろ?

また、はなっから信じていないから、必死になって否定することもないw
病人の妄想を必死になって、真顔で否定する連中の気がしれないw
そんなんで、病人の病気が治るなら世話ないわwww

189:神も仏も名無しさん
09/01/09 20:02:14 XvREjQ+W
何もせずに解脱しているという仏教の宗派は無いな。
大乗なら解脱しているという概念を否定するしね。

190:神も仏も名無しさん
09/01/09 20:07:26 yWx3aGza
神も仏も名無しさん 投稿日:2009/01/09(金) 14:19:35 ID:wIREQGnf

開祖や原始教典の「言葉」から一歩も踏み出せない思考停止が、「話に
ならんカルト」なのだよ。

キリスト教の「逐語霊感説」「原理主義」 「福音派」が、世界にどれほど
の害毒を流しているかを見よ。☆

原理主義 のブッシュは、イスラム教徒を「家畜のように」殺しまくっている。☆

彼は、宗教に嵌ったが故に、すべてのの原因が「宗教」であることに、
気付くことが出来ないのである。


191:神も仏も名無しさん
09/01/09 20:16:11 XvREjQ+W
宗教はあっても無くても人は争うんだけどね。
ただ、政治と宗教が結びつくと悲惨な結果になるのは明白。
宗教家は政治とはっきり決別すべき。

192:神も仏も名無しさん
09/01/09 20:41:46 rc53R8Fc
>>191
宗教者が自分の宗教に触れられると激昂しやすく、簡単に政治に利用される
のは、宗教の「病理」の一つ。

教祖や宗教を批判されると、自分や自分の家族が批判された以上に激昂する。
ドーでも良い「他人ごと」なのにね。

193:神も仏も名無しさん
09/01/09 20:46:36 XvREjQ+W
他人に否定されたくらいで価値が変わるようなチャチな教えならいらないな。

194:神も仏も名無しさん
09/01/09 20:51:37 rc53R8Fc
>>151の訂正
×「無」
○「空」

これなら文句ないだろw。

195:神も仏も名無しさん
09/01/09 20:55:56 XvREjQ+W
そうだね。空とは両極端を否定すること。有るとか無いとか。

196:神も仏も名無しさん
09/01/09 23:01:55 YmT7iWy3
>188
若葉マークの超初心者が解かった風に書き込むな。
おまいは仏教質問箱にでもすっこんどれ。邪魔だ。



197:前々スレ170
09/01/09 23:32:57 fG6C+lYd
>24 :机龍之介 さん
>>>18
>一休宗純のころ(室町時代)は大徳寺も荒れてまして、
>羽振りのいい堺商人の金を目当てに、印可証の乱発までやったのです。
>(それがイイかワルイかは別問題として)
明らかにワルイ

>やはり僧は市井の人間に依存しなければ生きてはいけないのです。
だから「嘘」をついて布施を巻き上げると。
24の机さんの発言を見るに、
彼の言う禅僧は、「嘘」をついて市井の人間に寄生する薄汚い特権階級ってことになるね。
あと道元を嘘つき扱いするのはやめて欲しい…もちろんお釈迦さんもね。

輪廻を前提に教えを説いたお釈迦さんは間違っている!
法華経なんてものを拝む道元はキチガイだ!
…というのであれば筋はとおっているのだけれども。

20さんへ
>仏教が、宗教として、キリスト教のような組織的大虐殺をやったという事実は、
>寡聞にして知りません。
うまく話をずらしたね。
血に飢えた仏教徒が「仏様を大事にしないやつは死ぬべきなんだ!」とか言って殺戮に励んでも、
「仏教が宗教として組織的大虐殺をやった」ことにはならないからね。
あくまで例外的な仏教徒が個人的にやったと言い抜けできるというわけだ。
(それにしては例外的な奴らのなんと多かったことよ)
ジャイナ教ですら戦争と無縁でいられなかったのだから、まあ、どうしようもないわけだが。



198:神も仏も名無しさん
09/01/09 23:57:45 CToBVp95


■輪廻はインドにおける「とらわれ」の代表格であり、釈尊はあらゆる「とらわれ」から離れるべきこと

(これを「解脱」とか「悟りを開く」などという)を説きました。☆★☆∵※



        *'``・* 。
        | 人  `*
        |(__)  `*。         ※∵☆☆★☆★☆★☆☆∵※
       。∩__)  *          「永遠の生命」「極楽浄土」など求めるのは、
      + (・∀・ ) *。+゚             究極の執着と煩悩で~す。
      `*。 ヽ、  つ *゚*                ※∵☆☆★☆★☆★☆☆∵※
       `・+。*・' ゚⊃ +゚
       ☆   ∪~ 。*゚
        `・+。*・ ゚


■一度脳に焼きついた観念というのは、そんなに簡単に消えるものではなく、
やがてその観念において自己をコントロールされてしまう。

【宗教の恐ろしさ】とは、これに尽きますね。☆★☆∵※



199:前々スレ170
09/01/10 00:05:00 BdUbJfFD
ID:wIREQGnfさんへ

>108 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 13:20:21 ID:wIREQGnf
>現代人の常識と知識から判断すれば、輪廻転生など絶対にあり得ない、
>荒唐無稽な代物。肯定者は、いつまで原始人のままで留まりたいのかね。
「お釈迦さんは荒唐無稽な教えを説いた原始人」ってことでいいじゃない。何か問題ある?
「輪廻転生など絶対にあり得ない」と思うのなら「仏教は信じられない」って言えば済むこと。

>94 :神も仏も名無しさん:2009/01/09(金) 12:55:53 ID:wIREQGnf
>>>88
>>原始経典を読めば、ゴータマは業法輪廻を明らかに 説いている。
>
>「説いている」のではく、当時のバラモン社会における圧倒的な「輪廻
>転生」観の環境下において布教するための方便として「心ならずも」言
>及せざるを得なかっただけ。現代人として、その釈迦の「苦衷」くらい
>は理解できないでは、そもそも、仏教者とは言えない。
こういうのを「無茶な解釈」といいます。
アジタ・ケーサカンバリンが明瞭に説けたのに、お釈迦さんが説けないってことはないでしょ。
ID:wIREQGnfさんが、お釈迦さんはアジタに及ばない腰抜け野郎だと思っているのなら、話は別だけど。

200:神も仏も名無しさん
09/01/10 00:05:34 rc53R8Fc
>>197
>明らかにワルイ

果たしてそうかな。僧も、自分や家族の生活がかかっているのだよ。「腐敗」
はむしろ人間的。教会の腐敗を非難したルター、カルヴィンの宗教「改革」が、
どれほどの殺戮を生み出したかを考えて欲しい。ルターは、自分が火をつけた
農民戦争を結局は弾圧したし、カルヴィンは、自分の信仰エゴのため、子まで
殺した。

日本には、「水清ければ、魚住まず」という、優れた諺がある。

>あと道元を嘘つき扱いするのはやめて欲しい…もちろんお釈迦さんもね。

開祖、教祖、教典を批判できることは、常に必要。さもなければ、単なる
「個人崇拝」に堕してしまう。優れた教師にとっては、弟子たちが自分を
超えてくれることが、最大の喜びなのである。「自灯明」という言葉は、
釈迦が極めてすぐれた教師であったことを証明している。イエスが逆立ち
しても、言えない言葉。

>血に飢えた仏教徒が「仏様を大事にしないやつは死ぬべきなんだ!」とか言
>って殺戮に励んでも

キリスト教とは異なり、構造的にそれが出来ないようになっているのが、仏教の
思想だと思うが。「一切衆生悉有仏性」の下では、できる訳がないではないか。

>(それにしては例外的な奴らのなんと多かったことよ)

その実例を挙げてくれ、と言っている。





201:前々スレ170
09/01/10 00:10:12 BdUbJfFD
読み直してわかりにくかったので補足。

アジタ・ケーサカンバリンが明瞭に説けたのに、

アジタ・ケーサカンバリンが“輪廻否定”を明瞭に説けたのに、


202:神も仏も名無しさん
09/01/10 00:12:42 kaQCrAVD
>>199
>「輪廻転生など絶対にあり得ない」と思うのなら「仏教は信じられない」
>って言えば済むこと。

仏教は、「輪廻転生」以外には何も無い宗教なのかね。「縁起・空・関係性」
はどこへ行ったの。

君は少しおかしいよ。

203:前々スレ170
09/01/10 00:48:26 BdUbJfFD
200さんへ

>果たしてそうかな。僧も、自分や家族の生活がかかっているのだよ。
宗教は「商売」の一種なのかな?
「嘘」を売って生きるくらいなら、市井にいて普通に働いて食えばいいじゃない。

>>あと道元を嘘つき扱いするのはやめて欲しい…もちろんお釈迦さんもね。
>
>開祖、教祖、教典を批判できることは、常に必要。
あっ、勘違いしてるね。スレの流れが速すぎるから仕方ないんだけれども。
机さんという人は、道元が前世について語ったのを嘘(「洒落」という言い方をしている)だと解釈して
そういう事を言ったのを「肯定的」に語っているのさ。批判していない。二枚舌を讃えているんだよ?
で、道元は冗談の通じそうにない狂信バリバリの男だから、机さんの言うことは無理があると俺は指摘しているわけ。

>キリスト教とは異なり、構造的にそれが出来ないようになっているのが、仏教の
>思想だと思うが。「一切衆生悉有仏性」の下では、できる訳がないではないか。
「できる訳がない」…でもやっちまうのが人間。
身の回りの仏教徒を見てもそんなに人格者いないでしょ?
あっ、あとキリスト教でも一応構造的に出来ないようになっているはずだけどね。
「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」 とかいうじゃない。でも、奴らはミサイルとか飛ばすわけですよ。

>>(それにしては例外的な奴らのなんと多かったことよ)
>
>その実例を挙げてくれ、と言っている。
歴史の本や教科書を見れば?(例:日本における6~7世紀の崇仏派どもの所業)

204:神も仏も名無しさん
09/01/10 01:31:37 kaQCrAVD
>>203

>宗教は「商売」の一種なのかな?
当然でしょう。坊さんも、食わなければ生きてゆけない。職業分類を見てくだ
さい。すべての職業は尊い。社会においてそれぞれの役割を果たしている。
「宗教だけは特別」と思うのが、誤った選民意識の原因となります。それに、
宗教は無税。すべての人々は、税金を払うために働いているのだから、宗教ほ
ど「美味しい商売」はありません。

>「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」
イエスを初めとして、その「教え」を守れたクリスチャンは、一人もいないw。
イエスは、神殿で誠実に生活の糧を稼ぐ商人たちを「暴力」で追い出したし、
イチジクの木に実がなっていなにのに腹を立て、呪い枯らした。クリスチャンは、
片方の頬を打たれたら、相手の頬を10回以上殴り返すw。しかし、守れないほうが
正しいのです。自分の一度きりの生命を守る正当防衛も不可能になる。
それに、片方の頬を打った相手に対して、他方の頬を差し出すのは、むしろ相手
に対する侮辱という「精神的暴力」ではないかな。相手は怒って更に殴るか、
又は精神的な傷を負うでしょう。それに、イエスの「教え」は、常に、「自分
の気に入らない者に対する憎悪・非難・排斥」とセットになっていることを、見
抜かなければなりません。だから彼は、その己の罪故に、十字架で処刑された
のです。
ついでだが、相手が右利きであれば、左の頬を打たれずはず。イエスは左利き
だったのかw。

> 日本における6~7世紀の崇仏派どもの所業)
宗派名を教えてください。仏教到来時の紛争は、ある程度止むを得ないが、
それでも神仏習合してしまった。キリスト教では、考えられないこと。
キリスト教そのままの浄土真宗の一向一揆は、例外。

205:神も仏も名無しさん
09/01/10 01:43:43 kaQCrAVD
>>203
>身の回りの仏教徒を見てもそんなに人格者いないでしょ?

人格者ぶらないことが、仏教者のいいところ。お葬式でも、訳の分らんお経を
唱えて、お布施を貰ったら、さっさと帰ってしまう。遺族は、お坊さんや会葬者
の応対の忙しさの中で、悲しみをしばし忘れることが出来る。キリスト教の牧師
のように、「訳知り顔」で説教などされても、遺族の悲しみは深まるばかり
です。

葬式仏教は、すべての人に訪れる死の後始末という、人の嫌がる仕事をやって
くれる点で、それなりの役割を果たしている。葬式仏教を馬鹿にしてはいけない
と思う。

それに、真言系の声明は、素晴らしい芸術ですね。声明を聞くだけでも、葬式に
参列した価値が有る。

206:神も仏も名無しさん
09/01/10 07:38:58 URiUcMiO
>宗教は無税
もう少し勉強したほうがいいよ。
2ちゃんでは宗教法人の税制については常識だ。
無知を突っ込まれるよw
当然、他の公益法人と比較してなw

で「すべての職業は尊い」というなら「宗教屋も尊い商売」のはずだよな?
それなのに「美味しい商売」と妬みや羨望丸出しの揶揄はなぜ?
そんなに「美味しい商売」なら派遣切りの失業者が殺到するだろw

207:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/10 07:42:31 5vHR+Mde
>>197前々スレ170氏
>法華経なんてものを拝む道元はキチガイだ!

拙者はそうは思わないですね。
禅者は「無可無不可」です。→可もなければ不可もない
法華経は臨済宗の白隠にも縁が深く、
臨済宗・曹洞宗とも法華経を学ぶようです。

黄檗宗は念仏もやりますしね、双修は基本的にはイイことかと思いますね。
(批判することだけが仏教ではない)
仏を殺すのが禅でありましても、神仏の前に出でたれば礼をするのが世の習い。
このくらいの智慧がありませんと世間では生きてはいけませんですから。

>あと道元を嘘つき扱いするのはやめて欲しい…もちろんお釈迦さんもね。

道元は、宮中直参などの経緯から拝すると、
それなりにTPOを弁えた賢い僧であったかと推測される。
(拙者は、好きでも嫌いでもないが、それなりに評価はしている)

三時業を在家信者に説いたのも、その状況からして適切なものであったかと拝せられる。
(待機説法は釈尊以来の伝統でありますから)
待機説法というのは「嘘」かもしれませんけど、
その人にとっては「嘘」の方が救われる場合もある。

「彼の世」を望む者がいれば・・・「彼の世」に希望を持たせてやるのも僧の仕事。
(これは重要です)

208:宝珠愚者
09/01/10 09:33:29 14OGiD58
どうですかぁ-お元気でしたか皆さん?
あれから少しは、無明は晴れてきましたか?


>>82
>おいカラス、おまいや新人=愚者は正体がバレているんだから、正体を出せよw

しかし、なんでこの私が「新人」(大川さんの弟子)なの?
だからこの私は、教団運営だのといった経営ビジネスには興味ないと以前にもいったでしょう!
真の覚者は直接そういった次元には関わらない・・。

209:宝珠愚者
09/01/10 09:39:46 14OGiD58
>>200
>キリスト教とは異なり、構造的にそれが出来ないようになっているのが、仏教の
>思想だと思うが。「一切衆生悉有仏性」の下では、できる訳がないではないか。

 もう、あまりにデタラメ過ぎるので少し・・。
 「一切衆生悉有仏性」というのは、基本的には原始仏教で説かれたことはないと思います。原始仏教の
基本姿勢はあくまでも、「人は行為に拠って」成仏するものと説くからです。これらは瑜伽行唯識派が関与
したともされる大乗の思想ですね。まっ、私自身は仏性の概念そのものについては否定しませんが・・
(むしろ肯定的に捕らえています)。

 実は、「一切衆生悉有仏性」と同じようなことを教えていたのはイエスなのです。パウロが述べた言葉、
「汝らの中に在すキリストにして栄光の望みなり。」(コロサイ1:27)がそれであり、いずれ私たちもキリストの
ような完全なる段階に達することによって、「キリストの満足れるほどに至る。」(エペソ4:13)のであるとした。
 原始キリスト教においては常識でしたが、後にこれらの教えは教会主義によって抹消されたのです。何故
ならイエスを唯一絶対のものとするためには、あまりに邪魔な見解だったからです。教会によって改変され
た教義(ドグマ)とイエスを同一視する愚は改めるべきです。

 私がここで付け加えておきたいこと。それは「人間、死んだら全て終わり」という絶望的な断滅を説いてお
きながら、「一切衆生悉有仏性」もヘッタ腐れも何もないでしょう!ってことですw
 ゴータマの教えは万人成仏道なのです。人間、死んだらお終いではなく、悪い行為を慎み奉仕の精神で
生きた人は、来世においては必ずそれが報われることになるのですよ(善因善果の法則)。たとえ死の間
際であれ、仏縁が生じ心から帰依した衆生は死んで終わりではなく、その人は来世においては確実に仏道
を思い切り精進できる境涯に生まれることができるだろうということです。
 そこに大きな希望が示されているのです。断滅論には決してないこと!

210:宝珠愚者
09/01/10 09:49:09 14OGiD58
>>139
>②縁起-無常-非我-輪廻 非我は自性を示すための方便で、不滅の自性(霊魂)あり 
>涅槃=永遠の生命(カラス・愚者・新人)

 ま~大体は近いけれども、これも正確にいうと正しくはない。
私の主張していることは大凡、仏教解説書の類いをいくら開いても無理です。そんな分ってない人間(学者)
が解説したものを読んでも分る筈がない。

 では再度、簡単に述べておきます。
 当時のインドの一般民衆が信じるアートマンとはパーソナリティーの低我(低級我/エゴ)、つまり表層意識
(五蘊の「行識」)のことです。これは基本的には死後に消滅するもの(異常な状態の個人は稀に一定期間だ
け存続している)で、当然、輪廻する主体ではありません。これがゴータマのいうアートマン否定の主だった
一つの意味です。そして、もう一つの意味は、アートマンとて永久不滅ではないということです。アートマンも
ニルヴァーナに至るまでの仮の媒体に過ぎない。
 ゴータマが示した無記というのは、人によってはこれらは正しく理解されず、かえって誤解を増すだけである
からです。

>③縁起-無常-無我-輪廻 ウィキの説明のとおり。自性即ち無自性にして、迷妄の衆生に輪廻あり。
>無我輪廻 涅槃寂静=三昧上の縁起観(170氏・名無し氏(ID:utjZxAtHなど同一人物とおもわれる))

 私は大した問題とは見なしていないので、別に③で仏教界が統一されることには全く抵抗はありません。確
かにこちらのほうが一般的な見解でしょう!(私もそれを分っています)
 とにかく「断滅」とかいったことを仏教して説くのは辞めて頂きたい。それだけですよ。


>>125
>1.が断見 2.が常見 3.が中道で仏教。

 従って、「常見」とは一般大衆の人々が、パーソナリティーの低我が不滅のアートマンである見なしている迷
信を指摘したものなのです。もちろん、この私は常見に陥っているわけではありません。

211:宝珠愚者
09/01/10 09:49:48 14OGiD58
>>146
>ゴータマが自性を認めなかったのは、あくまでこの現象世界のこと。
>>150
>ま、君らにいくら言っても自性は理解不能だろう。ちなみにそれを「自性」と呼ぶのも適切ではない。
>それは識別智である「言」では正確に表現し得ない。ただ、便宜上自性と呼んでいるだけである。

これらカラスさん(なのかな?)の説明は、
この私にはとてもよく分りますし、恐らく私と最も近しい内容だと思います。


>>167
>(一方、宝珠愚者さんは明らかに単純な真我論者だと思います)。

 ま~近いですが・・私のいう「真我」とはアートマンではありません。サーンキャ哲学の説く「プルシャ」、
神智学の説く「モナド」のことです。私はアートマンの永久不滅論者ではないので誤解しないで下さい!
違いについては特に説明しません(各自でどうぞ!)。
 仏教の一般解説書しか開かない人たちには明確な区別は困難です。

----------------------------
以前のようにはあまり投稿しませんが、
また、気になった部分においては、たまにふら~りと登場します!

212:神も仏も名無しさん
09/01/10 10:11:15 iVCZpThm
>>211
おかえり。

213:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/10 10:33:45 L1R+NJ3K
>>209
> 実は、「一切衆生悉有仏性」と同じようなことを教えていたのはイエスなのです。

仏教における「一切衆生悉有仏性」というのは、そんなに意味はない。
(悟る過程における概念)

人間というのは、幸福を求めて仏道に入る者もおりますが、
ある修行僧が、突然予期せぬことに遭遇する。
なんとしたことか!修行中に女子に見初められるので御座います。
ここで誰しもが迷うかと思いますが(幸福が突然にやってきた訳ですから)
修行僧は女子を蹴って仏道を選ぶのです。

これは婆子焼庵という有名な公案ですが、
これにはいろんな考えがあって当然です。→そのまま自己の心象が表れる

この婆子焼庵の公案を、白隠が弟子に問うたところ、
弟子は「私だったら女子を抱きます」と言った。
これで立腹した白隠は、即刻弟子を破門とする。
これにはいろんな考えがあって当然ですが、
拙者は白隠の了見の狭さに少々ガッカリはしました。

「一切衆生悉有仏性」であっても、悩むことも大事です。




214:神も仏も名無しさん
09/01/10 10:45:24 R6pgFmqx
>>211>>213
1.のタイプの人が問題外なのは、禅定・三昧の必要性も理解しない
ただの気休めか好事家の探求、コレクションにしかならないと思うからです。


215:神も仏も名無しさん
09/01/10 10:50:48 LRpKgM7E
>>211
> ま~近いですが・・私のいう「真我」とはアートマンではありません。サーンキャ哲学の説く「プルシャ」、
>神智学の説く「モナド」のことです。私はアートマンの永久不滅論者ではないので誤解しないで下さい!
>違いについては特に説明しません(各自でどうぞ!)。
> 仏教の一般解説書しか開かない人たちには明確な区別は困難です。

輪廻を認めるのはいいとして、その考え方に近い仏教説は有部と経量部かな?

そのような考えだと三昧は可能だけど、縁起観ができないので、解脱できないんですよ。
これは文献学者だけでなく、テーラワーダ、大乗仏教が一致して説く見解ですよ。

216:宝珠愚者
09/01/10 11:06:09 14OGiD58
>>215
---いいたい意味は分らなくはないのですが・・
しかし、ご心配に及ばずだと思います。
マーヤー(無明)とサーンキャ哲学、不二一元論も全て把握できていれば何も混乱はない。
とうも私からすれば、このような「縁起観ができないので、解脱できないんですよ」
といった説明のほうが言葉遊びとして映るのですが・・。

100歩譲ったとして、私の理解には間違いがあったとしよう。
しかし、境地が深まり近づくにつれ、その間違いは氷解するのではありませんか?
問題とは思えませんが。

217:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/10 11:13:16 L1R+NJ3K
>>214
>1.のタイプの人が問題外なのは、禅定・三昧の必要性も理解しない

日常生活が三昧なんじゃないでしょうか?
(平常心是道ともいう)
菩提心あらば自然に禅定のカタチにはなります。
(止観とか精神集中とかはやらない)
これは静中禅とは限らず、動中禅も同じ。
(どちらも重要)
これが南宗禅の特徴。→頓修頓悟
(日本禅は、カリキュラム化されていて日本ナイズされてます)
これ↑はワルイ意味ではない。


218:神も仏も名無しさん
09/01/10 11:21:21 b3F4Icbt
>>217

止観とか精神集中とかはやらない、禅定・三昧の必要性も理解しない、ただの気休めにしかならない.

219:神も仏も名無しさん
09/01/10 11:23:44 LRpKgM7E
>>216
>マーヤー(無明)とサーンキャ哲学、不二一元論も全て把握できていれば何も混乱はない。

あなたがブッダか解脱者なら問題ないでしょう? そうは思えません。

>100歩譲ったとして、私の理解には間違いがあったとしよう。
>しかし、境地が深まり近づくにつれ、その間違いは氷解するのではありませんか?
>問題とは思えませんが。

問題です。なぜか? 大抵、三昧のある程度の状態を悟りと勘違いするからです。
三昧が深まると、このような状態になるけれど、それは悟りではないと仏教の諸経論は口を揃えています。
私もそのように諸師から習いました。

それに仏教ではサーンキャやヴェーダーンタのプルシャやブラフマンが悟りではないと言っています。
これはプルシャやブラフマンに限るのではなく、縁起・空を理解しない他の実在論や虚無論すべて悟りに至らない考え方だとしているからです。

ですから、宝珠愚者さんがご自身の考えを最高の境地とするのはご自由ですが、
それを仏教、釈尊の説であるとするのは止めてください。
誤解する人がいますから。

220:宝珠愚者
09/01/10 11:45:20 14OGiD58
>>219
>大抵、三昧のある程度の状態を悟りと勘違いするからです。

まっ、そんなこともちろん分っています。

>それに仏教ではサーンキャやヴェーダーンタのプルシャやブラフマンが悟りではないと言っています。
>これはプルシャやブラフマンに限るのではなく、縁起・空を理解しない他の実在論や虚無論
>すべて悟りに至らない考え方だとしているからです。

私から見れば、それらは単なる仏教者らによる誤解に過ぎませんね。
私も「縁起・空」は理解していますが、しかし、
そのような頭で観念で思考に拠って理解することなどではないです。

>ですから、宝珠愚者さんがご自身の考えを最高の境地とするのはご自由ですが、
>それを仏教、釈尊の説であるとするのは止めてください。
>誤解する人がいますから。

いいでしょう。分りました。
一般的な仏教解説書では私のいってることは把握できないでしょうから、それは止む得ません。
では、個人的見解と伝統的仏教説として区別して他者には述べるように致します。
これなら問題はありませんね!

まっ、私はウパニシャッドの説く真理とゴータマの解脱とは、
究極においては一つなるものだと見なしています。これは仏教学者/中村氏などと同一見解です。
つまり、あなたは違うわけなのでしょう!


では、しっかりと、
ここに巣食う断滅を説く自称仏教者たちに正しい仏教について今後も説いて下さい。
どうか宜しくお願い致します。ペコリッ

221:宝珠愚者
09/01/10 12:02:23 14OGiD58
>>219
もう、あなたと特に議論の意図はありませんが、
もう少し補足しておきます。

 プルシャやモナドは、「実在論」が説く実在といったものでは捉えられないものについてを述べています。
仮に「実在」という言葉を用いて話しますと、古代インドが説くところの実在とは所謂、「有」というものではない。
「有」ではない永久不滅の存在が「実在」なのです。
 あなたはゴータマがこれを否定したと見ていると思いますが、ゴータマが否定した実在とは、森羅万象/現象
界での流転変滅する実体無き性質を指してするのであり、古代インドが説くところの「実在」とはこれらとは違う
ものをいっているのです。実に、ここに全ての混同が起こる原因がある・・
 ゴータマの説くところのニルヴァーナ境地がこの絶対永久不滅の領域をいうのであり、これが古代インドの
説く「唯一なる実在」と同義だと、この私はいっているのです。

 分らなかったら別にいいです。
自己の境地が近づけば気付くでしょうから・・。

222:神も仏も名無しさん
09/01/10 12:05:54 /gONIIq1
 ウソも相手のためになると考えての方便だし、
まともに仏教を学んだ者が、輪廻説法を方便だと見抜けないようでは、
センスがなさ過ぎる。アホ過ぎる。
輪廻説法を経典に書き込んだ不明(無明以前)坊主および、
それを援用する愚者やカラスのことを言っている。
なにせ(事実上)神を想定した、為にする言論だとは言えるが。
非仏教徒だ。

223:神も仏も名無しさん
09/01/10 12:09:40 /gONIIq1
>>221
>ゴータマの説くところのニルヴァーナ境地がこの絶対永久不滅の領域をいうのであり、これが古代インドの
>説く「唯一なる実在」と同義だと、この私はいっているのです

非仏教徒の迷妄言論。
センスがなさ過ぎる。アホ過ぎる。

224:宝珠愚者
09/01/10 12:19:53 14OGiD58
>>219
あなたは、ID:LRpKgM7Eさんによ~く教わりなさい!
なんで業報輪廻/転生が真理であり事実であるといえるのか?
これがなければ一体どんな矛盾が生じるのか?(つまり仏教理論が崩壊する)

私もこの方だったら任せられる。
とにかく・・しっかりと学んで帰りなさい。

225:宝珠愚者
09/01/10 12:21:30 14OGiD58
投稿ミスしました(失礼)


>>222-223
>>209
> 私がここで付け加えておきたいこと。それは「人間、死んだら全て終わり」という絶望的な断滅を説いてお
>きながら、「一切衆生悉有仏性」もヘッタ腐れも何もないでしょう!ってことですw
> ゴータマの教えは万人成仏道なのです。人間、死んだらお終いではなく、悪い行為を慎み奉仕の精神で
>生きた人は、来世においては必ずそれが報われることになるのですよ(善因善果の法則)。たとえ死の間
>際であれ、仏縁が生じ心から帰依した衆生は死んで終わりではなく、その人は来世においては確実に仏道
>を思い切り精進できる境涯に生まれることができるだろうということです。
> そこに大きな希望が示されているのです。断滅論には決してないこと!

もう1度、親切に再掲載してあげよう!
あなたの説く断滅論で、これらの人と事態に対する対処について述べてみなさい。

>>219
あなたは、ID:LRpKgM7Eさんによ~く教わりなさい!
なんで業報輪廻/転生が真理であり事実であるといえるのか?
これがなければ一体どんな矛盾が生じるのか?(つまり仏教理論が崩壊する)

私もこの方だったら任せられる。
とにかく・・しっかりと学んで帰りなさい。

226:神も仏も名無しさん
09/01/10 12:23:53 /Ta70Xl6
>>222>>223
①のタイプの人は、不思議と下品なのが多いね。

227:神も仏も名無しさん
09/01/10 12:45:31 ihM2Jpgt
>それは「人間、死んだら全て終わり」という絶望的な断滅を説いておきながら・・・

宝珠愚者氏は、「人間、死んだら全て終わり」が、何故絶望的と単純に断定されるのか?

>人間、死んだらお終いではなく、悪い行為を慎み奉仕の精神で 生きた人は、来世においては必ずそれが報われる・・

↑ これも実証した人がいない観念論、実証してから説いてください

仏陀もイエスも食べて寝て金を稼がなければ生きていけない普通の人間、死ぬ時も人間を超越してはいない。

>そこに大きな希望が示されているのです。
お布施に頼った出家信者達やオウム信者達・仏教に関わった者の希望ばかりでは?


228:神も仏も名無しさん
09/01/10 12:56:25 q4vZP5Pc
>>209
>実は、「一切衆生悉有仏性」と同じようなことを教えていたのはイエスなのです。

キリスト教には、「すべての人間が神の子」などという概念は全く無い。
それでは、「唯一の神の子」としてのイエスの立場が丸潰れになるからである。

それに、常に「俺が、俺がのエゴの塊」であるイエスが、すべての人間に棲み
付いたら、人間は一体どうなるのか。

キリスト教にあるのは、すべての人間・自然と神やイエスとの間の「巨大な隔絶」
のみ、人間そのものの徹底的な軽視と否定のみである。キリスト教の「血塗られた
歴史」が、そのことを如実に証明して余りが有る。

パウロは1狂信者に過ぎず、イエスを自己の「パウロ教」の宣教のために「利用」
しただけ。その宣教のために、「罪」という「脅迫」と、「贖罪」という「甘言」
をでっち上げた。彼の狂気の宣教は、自分の「信仰義認」という「エゴの追求」で
あった。殆どすべてのクリスチャンは、パウロの、「罪と贖罪」概念の植え付け
という悪質な宣教手段による、洗脳の犠牲者に過ぎない。その意味で、彼らは
「キリスト教徒」ではなく、「パウロ教徒」である。

君や他の熱心な輪廻肯定者が、仏教者などではなく、クリスチャンまたはキリ
スト教の強い影響下にあることは明白である。

229:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/10 13:02:26 L1R+NJ3K
>>218
>止観とか精神集中とかはやらない、禅定・三昧の必要性も理解しない、ただの気休めにしかならない.

では、精神集中と無心では何処が違うのか?って言っても、
同じ人間だからそう脳の構造に違いはない。
ただ「精神を集中する」とかの「意識」はしない。

あと「観ずる」とかいうのも、観ずる気持ちなどさらさらなくても・・・・
観じますよw
人間だからね、そんなにやることは違わないんですよ。

そういった「観じたもの」に意味付与するか?しないか?の違いです。
もし観じたら陶酔してればイイんじゃないでしょうか?
それ以上の意味はないかと思います。
(脳内モルヒネの影響かもしれません)

禅においては、そういった諸々の心現象を全て廃棄してしまうのです。
(これを魔性とかいい、釈尊成道時においても逸話として残ってます)
そこからが悟入への登竜門となりますね。


230:神も仏も名無しさん
09/01/10 13:06:12 /gONIIq1
仏教徒で中道に目覚めているなら、無常=無我=縁起=空であって、
人間死んだら終わりなどという断滅論を説くわけがない。
断滅⇔恒常、生⇔死、有⇔無、始⇔終、根源⇔末端、善⇔悪、苦⇔楽、前⇔後、上⇔下 etc
・・などの言語観念による文節・分別・差別以前の空=中道を直覚しているからだ。
愚者はいかに語ろうとその思考は世俗的一元論、二元論でしかない。カラスも同じ


231:230
09/01/10 13:07:50 /gONIIq1
230は>>225の愚者宛レス

232:神も仏も名無しさん
09/01/10 13:09:13 3nifGPuQ
>>229
仏教の必要性も理解しない、ただの気休めにもならない。

233:神も仏も名無しさん
09/01/10 13:13:16 ZCtODb1h
>>230
如来が、娑婆に現れようが、現れまいが、法はある。
言語観念があろうがあるまいが、生があり死があり、涅槃がある。

234: ◆4yy3YEx6Zc
09/01/10 13:19:05 3f1ZLIOV
.>>216は間違ってはいない。
原始仏教スレの時よりだいぶ進歩したようで嬉しい。

ただ>>220は言い過ぎ。
事実としては宝珠愚者と中村先生の見解は同一ではない。
中村先生をなめすぎ。

216で止めて220を口に出さないのが今後の課題。
心の内で220を想い励む分には問題ないからね。

>>221は調子に乗りすぎて実体論に堕ちている。
いわゆるインド型唯名論について言いたいのだろうが
それならば、情報源の先生の用語使用例に倣うべき。
変なところで気取るから俗物と見下されるんですよ。


全体としてはよくがんばった。
以前の原始仏教スレでのヒンドゥー+大乗+人智学の立場よりよほどましにになっている。
3~4年後にまた来なさいね。

235:神も仏も名無しさん
09/01/10 13:20:56 LRpKgM7E
>>220
>まっ、私はウパニシャッドの説く真理とゴータマの解脱とは、
>究極においては一つなるものだと見なしています。これは仏教学者/中村氏などと同一見解です。

中村先生より、津田真一先生や宮元啓一さんが、まさにその説です。
前にも言いましたが、私も初めのうちはそう理解してました。
完全な誤解でした。

>>221
>仮に「実在」という言葉を用いて話しますと、古代インドが説くところの実在とは所謂、「有」というものではない。
>「有」ではない永久不滅の存在が「実在」なのです。
> あなたはゴータマがこれを否定したと見ていると思いますが、ゴータマが否定した実在とは、森羅万象/現象
>界での流転変滅する実体無き性質を指してするのであり、古代インドが説くところの「実在」とはこれらとは違う
>ものをいっているのです。実に、ここに全ての混同が起こる原因がある・・

いえ、それはそんなに難しくない考え方です。仮象と実在というようよく言われます。
マーヤーとブラフマンでも同じこと。
三昧に入ると、このマーヤー的現象界が消滅し、実在であるブラフマンが体験できるという見解ですね。
釈尊の伝記でラーマプッタが出てきます。その方の見解が同じようなものです。
ですが、釈尊はそれは悟りと見なさなかった。
三昧状態で縁起を観ることで悟ったというのが、諸伝の伝える伝承です。
それに従って、あらゆる仏教の伝統が三昧状態での縁起などの観察によって、
無我・空を理解することが仏教の悟りであるとしています。

> ゴータマの説くところのニルヴァーナ境地がこの絶対永久不滅の領域をいうのであり、これが古代インドの
>説く「唯一なる実在」と同義だと、この私はいっているのです。

それは涅槃とは言わないと仏教の伝統はいいます。
輪廻問題と違って縁起・空を理解するのは難しいと思います。

よき師との出会いがあることを祈っております。

236:神も仏も名無しさん
09/01/10 13:22:20 ihM2Jpgt
>その人は来世においては確実に仏道を思い切り精進できる境涯に生まれることができるだろうということです。

愚かにも、仏道の価値ばかり説く自画自賛の宗教患者!宗教セールスマン!
今、君が霞を食べて空気も吸わないで生きてられるのなら構わないけどねw
他の人間の力や自然により生かされているのに実証出来ない観念ばかり説くのは如何なものかw

●偽メール問題で議員辞職した永田寿康・元民主党衆院議員(39)が3日午後6時半ごろ、
北九州市八幡西区里中の11階建てマンションから飛び降り、間もなく死亡が確認された。●

↑ 東大卒のエリートの輪廻転生の解説をドゾー


237:神も仏も名無しさん
09/01/10 13:58:33 B2siGTYO
>>235
>中村先生より、津田真一先生や宮元啓一さんが、まさにその説です。
>前にも言いましたが、私も初めのうちはそう理解してました。
>完全な誤解でした。

私もまさしくその通りです。

>>210
> 当時のインドの一般民衆が信じるアートマンとはパーソナリティーの低我(低級我/エゴ)、つまり表層意識
>(五蘊の「行識」)のことです。これは基本的には死後に消滅するもの(異常な状態の個人は稀に一定期間だ
>け存続している)で、当然、輪廻する主体ではありません。これがゴータマのいうアートマン否定の主だった
>一つの意味です。

ここで明らかに愚者さんが、五蘊のこともよく理解されていないことが露呈しているのです。
あなたの示したい“低級我”というのは、色に対する五欲に過ぎません(欲界の執着)。そ
れで、“高級我”に相当するというモナドやプルシャと愚者さんが呼んでおられるものは、
せいぜい五欲を離れた、色界梵天の境地をおっしゃっている程度です。

この段階で、ゴータマ仏陀の教説を曲解されていることがわかります。愚者さん自身の世
界観を否定・批判するつもりはないのですが、ID:LRpKgM7Eさんと同様に私も、愚者さん
はゴータマ仏陀の教説を不当に過少評価することは避けた方がいいのではないかと思いま
す。

ゴータマ仏陀が五蘊で網羅されているのは、欲界・色界・無色界において心が知覚しうる
あらゆるものについてです。

>そして、もう一つの意味は、アートマンとて永久不滅ではないということです。アートマンも
>ニルヴァーナに至るまでの仮の媒体に過ぎない。

それではカラスさんには答えていただけませんでしたので、同じかどうかわかりませんが、よ
ろしければ愚者さんに答えていただければありがたいのですが、愚者さんの呼ぶアートマンと
ニルヴァーナとの違いはどこにあるのでしょうか?

238:神も仏も名無しさん
09/01/10 17:18:49 bkFbr4um


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


■「有名だから、偉い」と勘違いしてはならない。

人間社会は、釈迦やイエスなどの「有名人」ではなく、
<無数の無名の生活者の絶え間ない努力によって支えられている>
ことを、忘れてはならない。 ☆★

(*^。^*)


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪



239:神も仏も名無しさん
09/01/10 17:47:12 vYfyGgjq

諸法無我とか、無自性とか、どうみても
造物主の意図を想定しているのでは。
つまり、造物主は無我であるという理念、立場。
バラモンに対して釈迦は自性的な輪廻を否定したんだと。
断見、常見は否定しているが、輪廻は否定していないということ。
釈迦的に見れば、カーストは造物主的に見ても間違っている
ということだろう。

240:神も仏も名無しさん
09/01/10 18:00:40 AlxK+8V+
>>239
それでは、キリスト教になってしまうw。

造物主や霊など「人間が考えても無意味なもの」は考えるなと戒めたのが、
釈迦の類い稀な偉大さなのだよ。

孔子の、「鬼神(神)は敬してこれを遠ざく」「いまだよく人に仕えず。
いずくんぞ鬼神に仕えん」と共通する。

いずれも、優れた「東洋の叡智」である。

241:神も仏も名無しさん
09/01/10 18:33:46 zP2JQBsq
密教を仏教に含めるのがおかしい。

242:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/10 19:01:42 L1R+NJ3K
>>239
このスレにおいて、真我とかアートマンとかの単語が散見され、
自分は何かそういっものにコントロールされてるんじゃ~ないか?
とか、そんな妄想は、
いわゆる総合失調症(分裂病)の初期においてはよくありますね。

これは障害になるわけですから本人には自覚はありませんが。


243:神も仏も名無しさん
09/01/10 19:05:43 URiUcMiO
>「人間が考えても無意味なもの」
人間があらゆる物事の基準です。
人間こそすべてです。
これが仏教ですw

244:神も仏も名無しさん
09/01/10 19:22:11 D2ZaBTiO
>>1
僕ちゃん悟ってます。
輪廻あるかないか、迷ってる程度なら、たいしたことないことなので、
どうでもいいことでつね。
でも、いいでつね。輪廻っていうことを考えた人のおかげで、暇つぶしできるんだから。
感謝ですね。
それじゃ、ばいばーい。


245:前々スレ170
09/01/10 21:53:43 BdUbJfFD
204さん
>仏教到来時の紛争は、ある程度止むを得ないが、
あれだけ小気味よくキリスト教を批判してたのに、仏教になるとこれか…
「ある程度止むを得ない」と思った奴が、異教徒の政敵を攻め滅ぼし、主君を暗殺し、他国と戦争するわけですよ。

机さん
>三時業を在家信者に説いたのも、その状況からして適切なものであったかと拝せられる。
>(待機説法は釈尊以来の伝統でありますから)
>待機説法というのは「嘘」かもしれませんけど、
>その人にとっては「嘘」の方が救われる場合もある。
>
>「彼の世」を望む者がいれば・・・「彼の世」に希望を持たせてやるのも僧の仕事。
凄い…ここまであけすけに言うとは思わなかった(もうちょっとオブラートに包むと思っていました。御見それしました!)。
机流「仏教(…と言っていいものかどうか)」においては「不妄語戒」は絵に描いた餅なんですね。
出家は在家にタカる詐欺師集団(働け!)、新たなるバラモン階級というわけですな。

あ、あと皆さん「仏様を大事にしない奴は死ぬべきなんだ!」に突っ込んでくれなかったのは残念。
一応元ネタがあるものなので、興味のある人はググってくださいな。

246:神も仏も名無しさん
09/01/10 22:58:28 /gONIIq1
今宵は満月 雪の三千大千世界

ブッダを眠らせ 泡雪降りつむ

イエスを眠らせ 淡雪降りつむ

247:初代スレ7
09/01/11 00:46:52 nOVAtfUW
けれど もしも 憶い出せないなら
私 貴方に いつでも言う
生まれてくれてWelcome


百億の人々が 忘れても見捨てても
宇宙(そら)の掌の中
人は永久欠番

248:宝珠愚者
09/01/11 02:02:10 4Nf+B5Yz
>>234
>以前の原始仏教スレでのヒンドゥー+大乗+人智学の立場よりよほどましにになっている。

私は大乗やら人智学は述べていません。
そして、人智学できなく神智学ね!


>>237
>愚者さんの呼ぶアートマンとニルヴァーナとの違いはどこにあるのでしょうか?

それは難しいですね!
ま~ごく簡単に述べることにします(仏典に根拠を求めても無駄だと思いますが・・)。
アートマンは転生の媒体なのですが、
転生が止みニルヴァーナ境地に到達するとアートマンはその役目を終了して、
モナド(サーンキャの説くプルシャ)に吸収されて消滅するのです。
こうして初めて真実の自己たる真我(モナド/プルシャ)に意識が留まるのです。
この意識境はもう絶えることはなく、永久不滅の状態にあります。
本来は元々からして自己の存在は真我なのですが、
それに気付くために経験を要するのです。
この自己が真我であることの自覚を妨げているものの全てがマーヤー(無明)です。

249:神も仏も名無しさん
09/01/11 02:09:57 5yxWTo00
シュタイナーはキリスト教徒。
ブラバツキーは魔女。
神智学徒はベーメ=キリスト教徒。
本当の仏陀(カンターレ)を見極めきれていない宝先生に失望!


250:神も仏も名無しさん
09/01/11 02:55:24 T6JHfQ9N
>>248
自分で自分を判断することは不可能。自分を判断するのば別の自分であり、
その別の自分を判断するのは、更に別の自分である、という循環が無限に
続き、結局は、自分の主観を免れない。合わせ鏡の像と同じ。

また、自分の心の中のことなど、社会には一切関係ない。単なる「自己満足」。

「自分探し」こそ、無明の典型である。

251:神も仏も名無しさん
09/01/11 03:14:16 kRhGHU8s
>>250おまえは閃きを考えた事ないのか?お前の論理でいけば一切が自分のみでしかないことになり、元々から動きようが無くなる。別の観点方向から捉えて記憶を取り出す時、閃きは起こされるもんだ。だからこそ自分の範疇にいながらにして再体系が繰り返される。

252:神も仏も名無しさん
09/01/11 03:17:11 kRhGHU8s
ケツの穴どもよ。

253:神も仏も名無しさん
09/01/11 03:21:46 T6JHfQ9N
>>251
「自分の閃き」も、「自分の主観」に過ぎない。

人間界は、徹頭徹尾、共同体だから、自分を判断できるのは、他者のみ
である。

どこまで行っても「自分の主観」に過ぎない「自分探し」は、単なる
自己満足であり、社会にとっては無意味。

人間は、独りで生きているのではない。この自明の事実の認識の欠如が、
宗教者一般に共通する倒錯と誤謬である。

254:神も仏も名無しさん
09/01/11 03:39:56 kRhGHU8s
>>253自分の要素は記憶より取り出されはするが、記憶記憶では一切動かん。意識に触れて記憶は再体系を繰り返すようにお前が言う自分なんてのは定めている時点での自分でしかないではない。そういった構造を省いて一色単に自分では記憶記憶で動かんぞ。といっているんだ

255:神も仏も名無しさん
09/01/11 03:42:05 kRhGHU8s

が抜けてたよケツの穴どもよ。

256:神も仏も名無しさん
09/01/11 08:00:01 fp68N7WK
>人間は、独りで生きているのではない。この自明の事実の認識の欠如が、
>宗教者一般に共通する倒錯と誤謬である。

これがあんたの最大の倒錯だな。
何度言ったら分かるんだ?
「俺」によって「あんた」は生かされているのに、なんでそれを認めない?
あんたも所詮口先だけの寄生虫だなw

257:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/11 08:01:46 XvFz5xF8
>>245
>机流「仏教(…と言っていいものかどうか)」においては「不妄語戒」は絵に描いた餅なんですね。

貴殿は状況判断が鈍いようなので、特別に解説いたします。

在家信者は「比丘の不戒」をネタ(因)に「布施拒否」(果)を主張しているわけですから、
その論法で応えてあげるのが世俗諦というものです。
(これは世俗の価値観に準拠するの意)
状況というのは変化する(諸行無常)ものでありますから、判断も変化するのは当然であります。
その状況におかれまして最良の判断となすものを、
いわゆる仏教では慧眼とか仏眼とか言いまして、
在家信者が因果論法にて問うのであれば、道元はこれに習って三時業にて応えたわけです。
(相手の論法(機根)にて説くことを・・・待機説法と言います)

>出家は在家にタカる詐欺師集団(働け!)、新たなるバラモン階級というわけですな。

日本人は死ぬと殆どは戒名を付けますが、これは出家と在家の共存文化です。
戒名をつけたからには、それなりに出家はセレモニーにおいて説明をするのが礼儀というもの。
ここにおいて禅宗系でも「彼の世」を語ちる場合がある。
これは「不妄語戒」ではない。
前にも書きましたとおり、日本ナイズされた文化なのです。

世俗で生きることの大切さを、般若心経においては「空即是色」と書かれております。

258:神も仏も名無しさん
09/01/11 08:51:13 BhYs9YB/
>>256
>「俺」によって「あんた」は生かされているのに、なんでそれを認めない?

「俺」より、「あんたたち」のほうが、圧倒的に多いぞ。「俺」は「あんたたち」
に比べれば、大海の一滴にも過ぎない。そんな「俺」自身も、先人を含む
「あんたたち」によって形成され、「あんたたち」に依存しているだけの存在
である。

259:神も仏も名無しさん
09/01/11 08:58:49 jlf8C0bH
>>248
大乗でいう阿頼耶識と如来蔵の関係と、どう違うと言うのですか?

260:神も仏も名無しさん
09/01/11 09:19:15 brpu4OfC
道心の無いもの、菩提心のないものが、禅を齧ると間違いなく机のようになる。

力量があって尚且つ、机のように極端な野狐に成り切れない者は、どうなるか?

驚くべきことに、沢木みたいになる。

261:神も仏も名無しさん
09/01/11 09:33:43 BhYs9YB/
キリスト教や仏教界が、「人を裁けない」という理由で、裁判員として
の参加に躊躇しているという今朝のニュースには笑った。常に「善悪」
を語っているのは、まさにこれらの宗教界ではないか。要するに、「善悪」
とは何か」を、具体的に理解できていないから、具体的な裁判の場では
適用できないのである。

キリスト教では「人を裁くな」と教えているからだそうだが、最も人を
裁きまくっているのは、他ならぬイエスではないか。

裁判員制度の問題点は、それが、例によって、西洋キリスト教国の陪審制
の「猿真似」であることである。陪審制の欠陥は、多数指摘されていると
いうのに。

それに、裁判から得られた情報は、絶対に明かしてはならず、墓場まで
持って行かなければならない。ベッドの中で妻にも明かせない。これほど
の精神的苦痛が、ほかにあるだろうか。

262:神も仏も名無しさん
09/01/11 09:42:23 HgHp0SSr
>>260
>力量があって尚且つ、机のように極端な野狐に成り切れない者は、どうなるか?
>驚くべきことに、沢木みたいになる。

これは所謂見性はあるけど、菩提心がないということでしょうか?
沢木興道さんって、禅宗内で評価されてないのでしょうか?

263:神も仏も名無しさん
09/01/11 09:49:21 BhYs9YB/
仏教者でありながら、般若心経が、「空即是色」「色即是空」と、わざ
わざこの二つの言葉を「並列」に並べていることの意味も理解していな
い者が多いようだね。

264:神も仏も名無しさん
09/01/11 09:58:53 HgHp0SSr
>>263
>仏教者でありながら、般若心経が、「空即是色」「色即是空」と、わざ

先ず、逆ですが。「色即是空」は、三昧中に縁起などを観ずることで、
色から一切智までのあらゆる現象が自立的に実在しているのではなく実体のない空であるということです。
「空即是色」は、三昧から起きて現象が縁起する、その色から一切智までのあらゆる現象が、空であることを体感することと言われます。

「空即是色」は決して凡夫の観る世界がすばらしい、といった現状肯定ではありませんよ。

265:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:01:39 Makez9J8
ここにいる連中は、仏教学は勉強しているが、経典を最初から最後まで通して読んでいない
感じがするな。極所極所つまみ食いしてるかんじ。
だから、スレタイみたいなアホな議論ができるんだろうな。

266:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:12:42 BhYs9YB/
>>264
結局両者は同じ意味じゃん。同じ意味なら、二つ並べる理由は全くない。

君は、あの世に行って、御釈迦さんの真意を確認したのかねw。

お釈迦さんは、「この世は何と美しい」「人の命は何と甘美なものか」
とも言っているのだか。

267:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:14:05 fp68N7WK
>258
つまり、「俺」によって生かされていることは認めるんだな?
「俺」は「あんた」によって生かされている。
したがって感謝している。

しかし、お前にとって「大海の一滴」はとるに足りない存在らしいなw
「俺」はあんたに全力で依存しているんだがなw
お前によって「俺」は生きるに値しない人間か?




268:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:16:08 xqq0t2mH
>>265
貴殿は文字通り経典を最初から最後まで通して読んでいるのか。
感心するよ(笑

269:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:18:48 Makez9J8
そうだな。2chで不毛な議論するより、経典を時間かけて読むほうが価値があったな。

270:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:21:04 HgHp0SSr
>>265
>ここにいる連中は、仏教学は勉強しているが、経典を最初から最後まで通して読んでいない

『象跡喩小経』のような例外もありますが、経典から仏教の全体像を描くのは難しいと思いますが。

むしろ『清浄道論』『倶舍』『勧戒王頌』『宝行王正論』『四百論』
『入中論』『入菩提行論』などの論書の方が全体像を掴めると思います。

271:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:23:12 BhYs9YB/
>>267
「俺」「あんた」ではなく、「俺たち」「あんたたち」だ。それが君の
誤解。

「空」とは、無数の、「俺たち」「あんたたち」「これら」「あれら」
の「複雑な相互依存」の状態をいう。従って、「俺」「あんた」単独で
は存在しない、し得ない、と言うこと。

272:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:23:26 QUwY9EwY
>アートマンは転生の媒体なのですが、
>転生が止みニルヴァーナ境地に到達するとアートマンはその役目を終了して、
>モナド(サーンキャの説くプルシャ)に吸収されて消滅するのです。
>こうして初めて真実の自己たる真我(モナド/プルシャ)に意識が留まるのです。

これって梵我一如のことですよね? 仏教で説く涅槃が梵我一如のことだったのであれば、
既存のバラモン教に対してゴータマ仏陀が改めて登場するまでもなかったと思うのですが……。

>この意識境はもう絶えることはなく、永久不滅の状態にあります。

凡夫からすれば思考の計測メーターを振り切った無限の寿命のような長い時間ですが、
それでも梵天の寿命は有限だそうです。当時のバラモンたちは梵我一如で涅槃に到達
したと思い込んでいましたが、ゴータマ仏陀により、それはまだ見誤っていたという
ことに気付かされ、相次いで帰依したようです。

273:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:25:15 QUwY9EwY
>>272
宝珠愚者さんの>>248
でした。

274:260
09/01/11 10:28:41 3N9dho0Z
>>262
>これは所謂見性はあるけど、菩提心がないということでしょうか?
>沢木興道さんって、禅宗内で評価されてないのでしょうか?

禅宗界隈(特に曹洞宗門では)神様ですよ。
道心堅固なことは、ちょっと人の及ばないものがあるでしょう。
しかし、難しい逸材を導く良き師に恵まれなかったのではないかと考えています。
理由は以下のサイトで上手く纏めてあります

URLリンク(www.ne.jp)

275:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:31:06 HgHp0SSr
>>266
全然、違いますよ。あなたには禅定や三昧の視点がないから同じと思うだけ。

伝承や文献、注釈の多くが一致して認めることですから。

「この世は何と美しい」「人の命は何と甘美なものか」というのは
『ネハン経』梵本にのみ確認できることで、文脈から
アーナンダに対して、あなたが長寿を願うなら延命してもいいよ。
ということを間接的に表現したもので、
それを現状肯定と読むのは文脈を外した断章取義に他なりません。

ひろさちやですか? こういうことを捩じ曲げて
一般に受けるように書く人がいるから困るのです。

276:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:37:55 HgHp0SSr
>>274
ありがとうございました。

う~ん、言葉だけではなんとも言えないかんじですね。

その場で、その言葉を聞かないと分かりません。

277:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:40:09 BhYs9YB/
>>275
一般には受け入れられないで、一部少数の限られた人々にしか受け入れ
られないものは、「人間普遍の真理」とはいえない。

仏陀は、「人間普遍の真理」を説いたのではないのかね。

278:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:49:26 HgHp0SSr
>>277
ああ! 常識教の方ですね。いつも、ごくろうさまです。

279:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:53:13 5poXBsFE
ひろさちや、で悟れるなら楽でいいだろうな。

280:神も仏も名無しさん
09/01/11 10:56:41 5poXBsFE
ID:HgHp0SSrさんへ

貴方はよく「三昧中の縁起観など」というフレーズをお使いですが、この「縁起観」には具体的にどういった手法があるのですか?
また、「縁起観(など)」と仰る様に、縁起観意外にも三昧中の行方があるのですか?

281:神も仏も名無しさん
09/01/11 11:01:52 BhYs9YB/
>>279
煩悩とは、人間が生きていることの証。「煩悩を去れ」というのは、「死ね」
と同義。死んだら、信仰も修行も一切不可能。

悟りとは、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」である。

282:神も仏も名無しさん
09/01/11 11:08:41 yFGifOFz
>>277
「真理」は価値判断を含むものであり「事実」などとは意味合いが異なります。
「人間普遍の真理」というものはありません。人間なら信じるべき、だとか
信じなければ異常だとか愚かだとか言われているだけのものならありますが。
ブッダの主張する「真理」も思想の一つにすぎません。
>>281
つまり、あなたにとって「仏陀の、仏教の」悟りはニセの悟り、というわけです。
それだけの話です。

283:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/11 11:12:00 mF7iUbiv
>>280
そうですね。
拙者も「縁起観」には関心があります。
どういうことを観ずるのか?是非、聞きたいですね。
>>281
>煩悩とは、人間が生きていることの証。

そうそう、拙者も昔、除夜の鐘を聴きつつ「煩悩」の意を解せた。
(金星が体内に入ったわけではないが・・・そのようなもの)


284:神も仏も名無しさん
09/01/11 11:14:42 HgHp0SSr
>>280
釈尊の伝統的手法では縁起の順観と逆観です。
大乗ではこれを基本として様々な手法があります。
具体的な方法は、師から伺ってください。

これは門外漢なのでお叱りを受けるかもしれませんが、
禅の公案もそうだと思ってます。
いずれにしろ三昧・禅定中に行わなければ無意味です。

285:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/11 11:23:17 mF7iUbiv
>>284
>釈尊の伝統的手法では縁起の順観と逆観です。

“観”というのは、このことをいうのか?
(少々期待外れですが・・・)

>禅の公案もそうだと思ってます

いや、全く違いますね。
公案とは難題を吹っかけるだけです。
(これで禅病になる者もいれば、目が明くものもいる)
作為的に我をいじくり廻すこと。


286:神も仏も名無しさん
09/01/11 11:30:55 k/TM8Sch
>>285
お、禅病になった方のが食いついた。

287:神も仏も名無しさん
09/01/11 11:38:22 HgHp0SSr
>>285
机さんは、まず自分の見解が間違ってると認めないと、
仏教としては何も始まらないと思うのですが。

あなたが禅の見性を得ているとは、とても思えませんので、ごめんなさいね。

288:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/11 11:48:44 XvFz5xF8
>>287
拙者の何処が間違ってると仰せなんですか?
道元考の〇〇が間違ってる。と、
はっきり書込みできますか?

もし、項目を出でしアカツキには答えます(笑

289:神も仏も名無しさん
09/01/11 11:57:19 GB96yrRV
>>245
「仏様を大事にしない奴は死ぬべきなんだ」ぐぐった。

「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」@Wiki
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ストーリー
仏像泥棒に殺害されたコチャン少年がウルトラの母の手によって
白猿ハヌマーンとして甦り、ウルトラ兄弟(ゾフィーからウルトラマンタロウまでの
6人)と共にタイ王国に出現した怪獣軍団と戦う。
主役はインドの神話に登場する神ハヌマーンであり、ウルトラ兄弟は
どちらかというと脇役といった登場の仕方である。巨大化したハヌマーンが
仏像を盗んだ強盗を追いかけ回し「仏様を大事にしない奴は死ぬべきなんだ!」
と握り潰したり、水不足を解決するために接近する太陽にハヌマーンが直談判して
遠ざけたり、「卍」のポーズで飛行するハヌマーンなど、タイの文化を下地にして
作られている作品である。


こんなオモロイもんがあったなんてw


290:神も仏も名無しさん
09/01/11 11:58:15 HgHp0SSr
>>288
勘弁してくださいよ。どうせ最後は、所詮空ですからとか言って終わりでしょ。


291:神も仏も名無しさん
09/01/11 12:01:09 fHCV4iev
縁起の『現観』、無分別智(自と対象を区分せずあるがままを観る智慧)。
非想非非想処の境地で尚はたらく智慧がある。

292:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/11 12:04:09 XvFz5xF8
>>290
いえいえ、そんなことは言いません。
貴殿がハンドル付けて下さったら、マジにレスポンします。

つまり、在家信者がゴネてる訳ですね(布施拒否)。
こういった場合、貴殿が道元の立場でしたら、どう対処しますか?

こういった状況においての道元の対処の仕方を
拙者は擁護しただけの話ですw

293:神も仏も名無しさん
09/01/11 12:04:27 fHCV4iev
三昧(サマーディ)を無分別智と誤解してはならない。

294:神も仏も名無しさん
09/01/11 12:15:23 HgHp0SSr
>>292
>つまり、在家信者がゴネてる訳ですね(布施拒否)。

それを受け入れるしかないでしょう。何が問題なのか分かりません?

295:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/11 12:27:38 XvFz5xF8
>>294
受け入れる人数が一人や二人ならいいんでしょうけど、
これが連鎖的に拡大しますと、それが既成事実となる懸念がありますね。
(もっと問題が大きくなる)

もし、在家信者が三時業で納得してくれたなら・・・
問題拡散には至らない。
(ここはそれぞれ考え方が違うかもしれませんが)
道元は宗派を守る責任がありますから、
その立場上において決断しなければならない。という理由において
拙者は、社会的見地(世俗諦)において評価したのです。

道元は、歴史上においては、明智光秀とか神秀にタイプは似てます。
こういうタイプは冒険はあまり好まない。
(よくいう勤勉実直・優秀なタイプ)
ようは禅者でも人間ですから、
その性格は一生続く。

296:神も仏も名無しさん
09/01/11 14:34:52 fp68N7WK
>271
無我の意味でわざわざ「俺」とか「あんた」とかカッコ付きで書いたのだが
・・・
複数と単数の問題にされてしまったw
しかも「あんた」にはantaを掛けてみたんだが・・・難しかったようだね。

297:神も仏も名無しさん
09/01/11 15:16:53 0dOU/iub
>>296
すべての人間が、「俺」であり「あんた」であるから、「単数」では意味を
なさない。これが、社会の基本。

難しすぎるかなw。

「情けは人のためならず」「自利利他」

298:神も仏も名無しさん
09/01/11 15:30:27 0dOU/iub
>>289
タイ国の人口の95%が上座部仏教ということで、説明が付くだろう。

299:神も仏も名無しさん
09/01/11 15:39:55 0dOU/iub
現在のタイ国の政治的混乱も、上座部仏教の国ということで、説明が
付く。チベットも同じ。

300:神も仏も名無しさん
09/01/11 15:47:56 r9VHPfLq
宗教板の仏教徒の人は裁判員制度についてどう思ってる?
自分が選ばれたら参加する?

スレリンク(psy板)l50
宗教界、裁判員に悩む…「人裁けるか」「正式な制度だから」 (読売新聞)
 人を裁くことは、犯罪者も含めた人々の「心の救済」を目指す宗教の立場と両立するか。
国民が参加して有罪・無罪などを判断する裁判員制度が5月に始まるのを前に、宗教界で議論が起きている。同制度では死刑判決に関与することもあるだけに、宗教の社会へのかかわり方が問われている。
 裁判員法では、「人を裁きたくない」というだけでは辞退理由にならないが、立法過程で「宗教上の理由で裁けない人もいる」という意見も出たため、
「裁判参加で精神上の重大な不利益が生じる」と裁判官が判断した場合に限って、辞退が認められることになった。
一方、刑事裁判への国民参加の伝統が長いイギリスやドイツでは、法律で聖職者は参加できない定めがある。
(中略)
 新約聖書に「人を裁いてはならない」というイエスの言葉があるキリスト教。全国で約800の教会を抱えるカトリック中央協議会は、
 「私的な裁きは認められないが、法治国家の正式な裁判制度まで否定はしていない。ただ、被告の人権への配慮や国民の十分な理解が必要だと思う」とする。
 一方、東京都北区の 神召 ( しんしょう ) キリスト教会(プロテスタント)の 山城 ( やまき ) 晴夫牧師(80)は「様々な考え方があり得るが、非常に重い問題で、すぐには答えが出ない」と話す。
 全国約8万社の神社を指導する神社本庁は、「国民の義務として、裁判員に選ばれたら原則参加する」という立場だ。
[ 2009年1月11日3時35分 ]

301:神も仏も名無しさん
09/01/11 15:51:00 /aAMs1X1
>>298>>299
タイもチベットも中共の工作&侵略が混乱の原因だろうが。

302:神も仏も名無しさん
09/01/11 16:06:35 fHCV4iev
>>300
人を裁くのではない。
行為者ではなく、行為を世俗規範(構成要件)に則って判定するだけだ。
主観主義刑法学は過去の遺物。

裁判員制度そのものの当否は別だ。

303:神も仏も名無しさん
09/01/11 16:21:01 r9VHPfLq
>>302
罪を憎んで人を憎まずということか。
そう簡単に理屈通りにいけばいいのだが・・・。
どんな制度も所詮は人間が関わることだから多かれ少なかれ間違いは避けられない。
せめてアメリカの陪審員制度におけるO・J・シンプソン事件みたいなことが起こらなければいいが。

304:初代スレ7
09/01/11 16:27:06 nOVAtfUW
>>302
いや、そういう主旨(当否・是非を問う)のスレ(≒問い)ではあるまい?w

そこに、(判定の際に)、
《仏教的価値観はどのように関わるのか?》
《仏教の教義はどのように関わるのか?》
その時、(判定の際に)、
《「おしえ」に敬虔たる者は、どのような発言をするのか?》
《「仏教」を基準に発言するのか、「世俗法」を基準に発言するのか?》
 ( >行為を世俗規範(構成要件)に則って判定する ならば尚更・・・)
などを問うているのではないか?

また、『行為を裁く』という姿勢は尤もかもしれんが、
結果を評する世間はそうは見ない。
同席した他の構成員は、『仏教が「被告」を(「人」を)裁いた』と見るだろう。
同席する全ての者、傍聴して構成員に仏教者が入っていることを知る者に対して、
その旨を周知せねばならない。
「行為と、その行為主体を別とする視線」は一般的ではない。

305:神も仏も名無しさん
09/01/11 16:28:32 YFTiqdBK
>>303
人が犯した行為は、人としての約束事によってしか裁くことが出来ない。
仏法と世法は、人の智慧で両立できるとおもう。

306:宝珠愚者
09/01/11 17:02:43 4Nf+B5Yz
>>235
>よき師との出会いがあることを祈っております。

うーむ、よき師ね・・・。

インド(ヒンドゥー世界)では、
近年においてもラーマ・クリシュナ、ラマナ・マハリシ、パラマンサ・ヨガナンダといった大覚者が出現したが、
残念ながら、この私の見た目では仏教界には遂にゴータマ以降~は如来(仏陀)を排出できなかった。
(直弟子が阿羅漢に到達としたという伝承は除く)

私は彼ら近代の大覚者(教えの時代的な変色がない)についても知っているが、
あなた方の多くは彼らについては殆ど何も知らない。
彼らヒンドゥーの大覚者たちは口を揃えて、仏教の目指す境地とは同一のものであるという。
もしも違うものならばそういうであろうし、何も(別宗教ということになっているのだから)
わざわざ同じであるとして説くことはないでしょう。

>それは涅槃とは言わないと仏教の伝統はいいます。

それらは到達してない(仏陀ではない)者からの観念的な見解に過ぎません。

307:宝珠愚者
09/01/11 17:03:43 4Nf+B5Yz
>>272
>これって梵我一如のことですよね? 仏教で説く涅槃が梵我一如のことだったのであれば、
>既存のバラモン教に対してゴータマ仏陀が改めて登場するまでもなかったと思うのですが……。
>当時のバラモンたちは梵我一如で涅槃に到達したと思い込んでいましたが、
>ゴータマ仏陀により、それはまだ見誤っていたということに気付かされ、相次いで帰依したようです。

当時の梵我一如で涅槃に到達したといわれる方々とは誰々のことですか?
この私は誰もいないと思っていますが・・。
これはアーラーラカーラーマ、ウッダカラーマプッタの二大師匠のことですか?
非想非非想処の境地をゴータマが悟りとしては否定したという話のことなのかな?
ゴータマが否定したのは、彼らの瞑想の境地(意識)というのはその時だけのものに過ぎなかったからですよ。
二大師匠の瞑想は思考の停止状態にあったともいわれていることから、
瞑想を止めれば再びこれまでの思考活動が再開するだけだからです。
正しい瞑想は思考を停めるのではなく、思考活動を「追わない」ことに鍵がある。
そして、瞑想時だけの意識ではなく、常時、境地の意識が留まっている必要があります。
上記に上げた覚者方は瞑想時だけでなく、常に連続したサーマディー意識を持たれているのです。

当時のバラモン達がゴータマに帰依したというのは、それは当然でしょう。
梵我一如の境地に本当に到達したという存在はどこにもいなかった・・。
私は当時の大衆の眼前に出現した本物の達成者がゴータマであり、
民衆に浸透するバラモン伝統の数々の迷信を指摘し排除されたものとして理解します。
厳密にはウパニシャッド(一部、ゴータマ以前にもあった)の説く真理との違いはない。
到達した者がいるかいないかというだけのこと。

308:宝珠愚者
09/01/11 17:04:15 4Nf+B5Yz
>>259
「阿頼耶識」は、アートマンを無理に否定したことによる不都合から創りあげた大乗思想です。
「如来蔵」(仏性)は原始仏教で説かれていない。
これを説くと縁起と空の理論が崩れるという説明がなされる・・。
しかし、「如来蔵」思想が間違いかどうか?
ということについては、「視点」について考慮する必要があると思います。
低我側からの視点で述べるか、高我側からの視点であるかによって全て異なる返答になるのです。
その違いによって、それを受け取る側にこれらが相反する異なったものとして感じられて混乱が生じるのです。
私の立場からは、「阿頼耶識」と「如来蔵」も間違った思想ということにはなりません。
これらは視点の置き場所、観点(どの立場か?)の違いによるものです。
これが判っていないと全て誤る・・。

309:神も仏も名無しさん
09/01/11 17:10:05 0dOU/iub
>>304
常に「善悪」を語る宗教者が、善悪の具体的適用の場である裁判に参加する
のを躊躇するのはおかしいね。「善悪」とは、人間の共生のための「技術」で
あることを理解せず、単に言葉に酔っているだけだからではないのか。

キリスト教は「人を裁いてはならない」などと言っているが、「人を裁くな」
の言いながら裁きまくったのは、イエス自身ではないか。

裁判員制度は、法曹界の一致ではなく、ましてや国民の要望でもなく、西洋諸国
の陪審制度の猿真似に過ぎない。ロースクールについても、同様である。

裁判員になれば、裁判から得られた情報は機密にし、家族にも語れず、墓場ま
で持って行かなければならないわけだが、これほどの精神的負担があるだろうか。

310:宝珠愚者
09/01/11 17:21:09 4Nf+B5Yz
>>309
>常に「善悪」を語る宗教者が、善悪の具体的適用の場である裁判に参加する
>のを躊躇するのはおかしいね

正しくは善悪といった相対的なものを越えたところに真理を見、
そこからの正しい行動を呼びかけるものでしょう。
それがたまたま世俗社会の善悪と一致する部分もあり、また異なる部分もでる。

>キリスト教は「人を裁いてはならない」などと言っているが、「人を裁くな」
>の言いながら裁きまくったのは、イエス自身ではないか。

だからイエスではなくて、人を裁き血を見るのが好きだったのは「教会」による所業です。
いつも同じで---あなたには全く学習能力がない・・。

311:神も仏も名無しさん
09/01/11 17:43:33 HgHp0SSr
>>306
>インド(ヒンドゥー世界)では、
>近年においてもラーマ・クリシュナ、ラマナ・マハリシ、パラマンサ・ヨガナンダといった大覚者が

いや、もう完全にヒンドゥーですね。ヒンドゥーでもブッダや如来と認められた方は一人もいなかったと思いますが違いますか?

仏教でも解脱者や大成就者はたくさん出てますよ。現代でも。
宝珠愚者さんが知らないだけで。

ヒンドゥーでいけばいいだけで、仏教っていわないでくださいよ。
お願いします。

312:神も仏も名無しさん
09/01/11 17:52:05 fHCV4iev
>>304
逆に言えば、裁判で仏教的に判断することが決定的に間違っている。
現行刑法はあくまであらかじめ禁止された構成要件的行為(行為が構成要件に当てはまるか)を判断する。
そうでなければ思想信条宗教を国家が裁くことになり、憲法19条に違反し、
自由主義が崩壊する。
戦前以前は信条・宗教そのもので裁かれたことは枚挙に暇がない。仏教も例外ではない。

そういった不幸な歴史を繰り返さないためにも、
仏法と世法の混同は厳に排する必要がある。






313:神も仏も名無しさん
09/01/11 18:04:18 fHCV4iev
例えば、オウム信者であることそのものが裁かれるのではない。
(オウムとして)共謀共同行為としての殺人傷害行為という構成要件的行為があったかが判定する対象だ。
思想信条を国家として裁いてはならない。



314:初代スレ7
09/01/11 18:07:26 nOVAtfUW
>>312
>仏法と世法の混同は厳に排する必要がある

潔いな・・・。カッコイイよ。
100%同意できるわけではないが、
視点の取り方の一つとして、マジで参考にさせて貰う。
感謝。 m(_ _)m

315:神も仏も名無しさん
09/01/11 18:14:45 0dOU/iub
>>314
>>仏法と世法の混同は厳に排する必要がある

だったら、仏法は、一体何のためにこの世にあるのかね。社会には、
糞の役にも立たない、自己満足、自己中心主義だけの営みか。


316:神も仏も名無しさん
09/01/11 18:20:36 0dOU/iub
>>312
故意・過失という「心の状態」で、犯罪の成立やその軽重が判断される
のは何故かね。

宗教国では、思想信条で裁くぞ。アメリカには、現在でも「神の冒涜罪
(blablasphemy)が存在する。

317:神も仏も名無しさん
09/01/11 18:22:57 p3TJcQRL
>>314
つうか、当たり前すぐる。

我々が信じて仰いでいる佛神は、我々に大人であれと望んでおられる。
頑是無い子供を扱うように、佛神はあれこれ指図したり処罰したりしないし、大人であれば親の責任にしたりしない。
人の世の事は我々一人一人が、我が事として責任と罪を背負ってゆかねばならんのだ。

318:神も仏も名無しさん
09/01/11 18:27:09 0dOU/iub
>>310
イエスは、「自分(イエス)を信じない者は裁かれる」と「脅迫」して
いるし、「自分の気に入らない者」は、常に非難している。聖書を、
初めから有難がらずに、知性と批判力を持って読まれたし。

教会は、そのイエスの「教え」を熱心に信じる者の集まり。イエスさえ
信じなければ、問題は生じなかったのである。それとも、クリスチャン
は皆、生来的に問題の有る人間だとでも。

319:神も仏も名無しさん
09/01/11 18:28:56 0dOU/iub
>>316の訂正
×blablasphemy
○blasphemy

320:神も仏も名無しさん
09/01/11 18:34:13 0dOU/iub
宗教者が、裁判員として人を裁きたくなければ、「善悪」などという言
葉は一切使うべきではなかろう。それは、まさに、人を裁いていること
ではないか。

321:神も仏も名無しさん
09/01/11 18:41:47 fHCV4iev
>>314
個人実存苦の超克がブッダの本懐。
とくにブッダ当時なら(梵我一如×輪廻転生論)によるカースト制度の桎梏がもたらす
生存苦が大きな社会問題だった。

であるにもかかわらず、カルトの温床となってなっている(梵我一如×輪廻転生論)を
愚者が正当化しようとするのは、バラモン的犯罪でありアナクロニズムそのものだ。
         ↑   ↑
       これが宗教的裁きだ


322:神も仏も名無しさん
09/01/11 18:42:26 0dOU/iub
>>301
>タイもチベットも中共の工作&侵略が混乱の原因だろうが。

小乗仏教の「一神教的性格」が関係なかったとは言えない。タイは中共は
関係ないはず。

ヒンドゥー教も、実質的には一神教的。


323:神も仏も名無しさん
09/01/11 18:43:49 fHCV4iev
(梵我一如×輪廻転生論)は保守反動的反革命反仏教だ

324:神も仏も名無しさん
09/01/11 18:52:31 fHCV4iev
>>316
構成要件的行為を責任(故意、過失)を通じて、行為主体に結びつける要素だからだ。
だから強制された行為や睡眠中の行為は責任がない。

>宗教国では、思想信条で裁くぞ。
そのような国家は世俗的自由をもたらす体制ではない。
現行日本国憲法は人類が持った世俗法として最も優秀な憲法であることは保障できる。

325:神も仏も名無しさん
09/01/11 18:59:43 fHCV4iev
>>320
>「善悪」などという言葉は一切使うべきではなかろう。
世俗法規範と世俗道徳・倫理規範を混同すべきではない。
あくまで世俗法の問題だ。
たとえば姦通は道徳的には悪かもしれないが、犯罪ではない。



326:初代スレ7
09/01/11 19:02:44 nOVAtfUW
どのような意見が述べられる場合でも、
最も頻繁に引用されるエピソードは、
おそらく「姦通女」の話と「アングリマーラ」の話だろうな・・・w

327:神も仏も名無しさん
09/01/11 19:03:53 ciaZJiO4
戦争とか貧困とかの原因として、一神教が原因~とかイエスが原因~とか、因果を短絡的にしか考えれん人には縁起など理解できるはずもなし。

328:前々スレ170
09/01/11 19:04:12 rD7kFDYH
207の机さんに関する遅レス
>道元は、宮中直参などの経緯から拝すると、
>それなりにTPOを弁えた賢い僧であったかと推測される。
「TPOを弁えた賢い僧」と「狂信」は両立しますよ。

257 の机さんへ
>貴殿は状況判断が鈍いようなので、特別に解説いたします。
読みました。まったく納得できません。
・道元の仏教解釈は机さん流の仏教解釈とは違う。
・道元は信仰者として在家に説法した。
と考えると、無理なく説明できますから。
どうも、机さんは道元(あるいはお釈迦さん)に必ず(机さんの目から見て)理にかなった行動をさせたがる傾向がありますね。
昔の人で、宗教なんてやってる人たちなんだから、変なことをしたっていいじゃない。
机流仏教解釈と矛盾する言動になるかもしれませんが、それは彼らの考えが机さんと違うってだけでしょう?


329:宝珠愚者
09/01/11 19:12:57 4Nf+B5Yz
>>311
>いや、もう完全にヒンドゥーですね。
>ヒンドゥーでもブッダや如来と認められた方は一人もいなかったと思いますが違いますか?

そりゃーそうでしょうよ!
観念的仏教徒(伝統?)の見解は単純でヒンドゥーは外道そのものですから。
仏教外に仏陀存在を肯定する筈がないわ(笑)

>仏教でも解脱者や大成就者はたくさん出てますよ。現代でも。
>宝珠愚者さんが知らないだけで。

エエッ!!それは初耳でしたね。
一体、それは誰々のことをいっていますか?
(まー名の知られていない存在の中にはいるかもしれないが・・)

---ゴータマ以降の歴史上、公に知られている仏教者で一体、誰が仏陀だって??
まさかナーガルージュナとかアサンガとかいわないでしょうね?
是非、そのお名前を挙げてもらえませんか?


>>318
真実は全く正反対でしょ!
イエスの教えを守らず、暴挙に暮れたのは教会とその信徒らです。

では、あなたの主張を示す根拠を提示願います。

330:神も仏も名無しさん
09/01/11 19:13:56 Hm1eaajK
今まで仏法に関して、色んな解釈をする様々な御仁を見てきたが、机ほど下品なのには、未だ嘗てお目にかかったことが無い。

331:前々スレ170
09/01/11 19:14:50 rD7kFDYH
机さんとHgHp0SSrさんのやり取りを見ていて気になったんだけれど、
机さんは「在家が出家に布施を出すのは当然」と考えているフシがないかい?
机流仏教だと、布施を出すことに特に功徳ってないんでしょ?
しかも法を説くわけでもなく、布施目当てで嘘をつくってんだから酷いもんだ。

在家信者がゴネてる(布施拒否)?
受け入れて飢えて死ねばいいじゃない。
後、山に篭って霞や松の皮を食って生きるのもいいね。
それが嫌なら市井に戻って働くんだね。

宗派を守る責任がある?
無いってそんなもの。机流仏教だと、出家は単なる穀つぶし。
瞑想や哲学にひたるボヘミアンを、在家が苦しい思いをして養う理由なんてないじゃない。

332:神も仏も名無しさん
09/01/11 20:03:07 rsJhoAAC
>>325
>世俗法規範と世俗道徳・倫理規範を混同すべきではない。
>あくまで世俗法の問題だ。
>たとえば姦通は道徳的には悪かもしれないが、犯罪ではない。

道徳・倫理とは、人間同士の共生のための「技術」。宗教は、人間にあらざる
超越者との関係(一神教において)。

宗教のいう「善悪」が、道徳・倫理となりうる根拠と理由は何?

刑事法は、最低限の道徳・倫理である。

なお、姦通は、旧刑法では犯罪だったw。

333:神も仏も名無しさん
09/01/11 20:03:31 fHCV4iev
そこで葬式仏教ですよ!

日本人のお客様の宗教的ニーズに応えます。

生きる苦しみの心情を癒します

宗教的心情を満たすサービス業

こころの時代は葬式仏教、もとい「こころの癒し仏教」にお任せください。

信じるものは癒されます

僧侶によっては、世を忍ぶ仮の姿とも自覚しております。

ありがたや ありがたや                     

                      合掌


334:神も仏も名無しさん
09/01/11 20:11:02 rsJhoAAC
>>327
そうやって、自分の宗教や教祖は絶対に批判できず、すべての責任を
「他の人間」に押し付けることが、宗教の病理であり、戦争や紛争の
原因なのだよ。

335:神も仏も名無しさん
09/01/11 20:11:45 fHCV4iev
>>332
>宗教のいう「善悪」が、道徳・倫理となりうる根拠と理由は何?

世俗においては宗教も文化の一種。
文化とは、人間が社会生活を営むうえで形造る生活や行動の様式(スタイル)をいう。
だから文化的共同幻想としてのスタイルに両者は「相互に」融合しあう側面がある。
インドと日本ではスタイルが異なって当然だ。
オリジナルと異なるからニセモノとは限らない。


336:神も仏も名無しさん
09/01/11 20:22:30 9eMb5U3V
>>334
そのように、自分自身のことは絶対に批判できず、
すべての責任を宗教や>>327などの他人のせいにして攻撃することが
人間の病理(仏教で言うところの三毒や煩悩。キリスト教で言う罪や欲望。神道で言うツミやケガレ。)
であり、ありとあらゆる苦しみの根本原因なのである。
平和も戦争も自らの心から始まる。
心の中にある煩悩や欲望や他者への攻撃性がお前の苦しみを造るのだ。

337:神も仏も名無しさん
09/01/11 20:28:42 YwLQ4Mtz


☆************************************☆************☆******************************☆


■ 今度の<イスラエル軍>ガザ都市部で本格交戦、侵攻後最大規模に ■
↑ 今回も軍需産業で金儲けしてるのがいるんでしょw

<実在・事実の話> ↓ ニュースにも新聞にも載らない不思議~☆★
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   /~ヽ プルルン♪      ★これ見たぁ?・・ ↑ <お金>は、全てに関与する ☆
 (((。・-・))) プルルン♪       【戦争】は儲かる商売w ☆★
   ゚し-J゚    プルルン ルン♪    ■ 一方に【銃】を売り、一方に【金】を貸すw ☆★



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