09/02/06 20:52:33 uzlxjmbD
285 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 19:47:36 0
>>282
秦氏は原始キリスト教徒だったから、エフライム(失われた10部族)ではない。
エフライムはユダ2部族の下にイエスが誕生する遥か以前に既に行方知れずだった。
それから、秦氏は、もっと膨大な人口だった。
記録によると、秦氏一族は渡来人のうちで最大の豪族であり、応神天皇(15代)のとき
120県(あがた)で数千人規模から、欽明天皇(29代)の時の戸籍によれば7053戸、
家族も含めると推定3~4万人にも増え、当時の人口の10%前後にはなっていたと思われる。
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
古代日本文化に与えた秦氏の驚異的な影響
(1)驚異的人口比
「人口から読む日本の歴史」鬼頭宏(きとうひろし)著によれば、欽明天皇元年(AD532年)の
秦氏の戸数は7053戸あったので、秦氏の人口は十数万人あったと考えられると述べています。
これは一戸あたりの人数を20人として計算していますので、約15万人と見てよいでしょう。
その当時の日本の総人口は、(北海道と沖縄を除き)約450万人と推定されるので、33人に
1人が秦氏だったことになります。それにこの時期は未だ秦一族は広く日本の辺境に追いやら
れてはいなかったでしょう。多分、彼ら15万人は畿内に住んでいたと思われますので、当時の
畿内の人口は約45万人でしたから、実に3人に1人が秦氏だったことになります。人口比から
見ても秦氏の及ぼした影響は多大であったと思われます。
URLリンク(www.christ-ch.or.jp)