09/01/06 21:54:04 po+wSoAQ
カエサルについて言うべきことがある。
それは前世でのこの功績が俺に帰すべきものではなく、俺の守護神瀬織津姫に帰すべきものだということ。
この世に生起する人間の営みにはどんな些細なことにも、必ずその背後に守護神の働きがある。
その営みが高度なものであればあるほど目に見えない神の働きは確実に存在する
身近な例で言えば、漫画やアニメなどの創作にも守護神からの啓示や導きという形での神の働きがある。
ローマ時代のカエサルの活動も同じ。
上の方で嫉妬する人間も出てきたが、本来嫉妬すべき性質のものではない。
俺は女神の器として行動したに過ぎないし、それは自覚していようといまいとどの人間も同じだ。
何より日本人は俺に嫉妬している時ではない。
嫉妬とは、その対象が自分に無いと認めることで、本来自分にも可能なことを不可能にする行為だ。
それを肯定して受け入れることで、自分で自分の上にその現実を引き寄せるのだ。
今すぐこれをやめるべきだ。
日本人は新しい世では、カエサルがそうであったように実務家にならなければならない。
カエサルに嫉妬して、自分の中の実務の能力を否定している場合ではない。
日本人の新しい世での役目は、カエサルが果たしたような世界の統治と行政に関する実務面の尊い仕事を全て引き受けることだ。
俺は御輿になり、神の意思を取り次ぐ祭祀王になる。
外国人はこれまでの日本人がそうであったように情緒的・芸術的な面での才能を開花させ、それらを普段の生活の中で楽しんだり、自由に創作を行って自分の中の情緒や芸術を思う存分に表現していく。
これが天子、日本人、外国人のそれぞれの成長の方向であり、新しい世での姿だ。
なぜならこの三者は人類の中でそれぞれが暗質、激質、純質に相当しており、
天子 : 暗質 → 純質
日本人 : 激質 → 暗質
外国人 : 純質 → 激質
がそれぞれの成長の方向に当たるからだ。