09/01/21 13:31:18 vf2wRoQA
帰省に合わせてラブリへ一度ご挨拶に行くことにしました。
謝りたい、お礼を言いたい、聖書の正しさを否定できない現状の相談、
藤本師と対話をしたいという理由で・・・
そして、ずっと言えなかったある「祈り」に対するお礼がしたくて。
ある「祈り」とは、3年半前に僕の実兄が交通事故にあって意識不明の
重態になったとき、僕はもう頼めるのは教会しかないということで、駄目元で
ラブリに電話をし「祈ってください」と懇願しました。その時も藤本師は
真摯に対応してくださり、教会中の方に祈っていただきました。
しかし残念ながら兄は帰らぬ人となりました。本来なら祈ってもらった
以上、教会のみなさんにそのことを報告する義務があるのですが、
僕は、「兄貴が地獄にいるということを認めたくない」という想いも
あって、顛末をお伝え、お礼を言うことがずっとできないでいました・・・
相談した内容についても
藤本師も、他の信徒の皆さんも、親身になって相談に乗ってくださいました。
印象的だったのが、僕がラブリに行くと事前に連絡した時に藤本師から
の返信に「もう一度謝るチャンスをくれてありがとう」という記述があり、
暴力行為(少なくとも、私に対するもの)についても認め、本当に反省している
という旨のことがかかれていました。教会を離れたのは僕の信仰の脆弱さの
問題だったのだけれども・・・恐らく心を痛めていたのは藤本師のほうだと
想います。僕は被害者面しようと思えばいくらでも被害者面できるわけですし。
だから正直、もう殆ど覚えていないんです。
藤本師はそういった暴力行為についても、主に対して、真摯に向き合い
心より反省をされているご様子でした。ただ、僕も社会人生活の中で色々な
人を見てきてましたが、少なくとも、私利私欲のためではなく、本気で
神に仕えていること、魂の救いに対して、ただならぬ情熱と憂いを持っている
点に関しては疑いようがなく、不器用ではありますが、愛情豊かで勤勉で、
少し寂しがりやな人であると私は素直に感じております。