【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3at PSY
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3 - 暇つぶし2ch737:神も仏も名無しさん
08/12/31 10:03:15 gyfuw/Jk
>>732
>やはり「輪廻業報思想」を説いてると観られる箇所はありませんね。

あたなは自分に読解力がないことをはっきりと自覚すべきですよ。
まず、中村訳の以下の箇所は「輪廻業報思想」を説いてるでしょ。

779 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜き去って、勤め励んで行い、この世もかの世も望まない。

801 かれはここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世についても、来世についても、願うことがない。諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居は、かれには何も存在しない。

836 (マーガンディヤがいった)、「もしもあなたが、多くの王者がもとめた女、このような宝、が欲しくないならば、あなたはどのような見解を、どのような戒律・道徳・生活法を、またどのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」

864 「世間において、愛し好むものは何にもとづいて起るのですか。また世間にははびこる貪りは何にもとづいて起るのですか? また人が来世に関していだく希望とその成就とは、何にもとづいて起るのですか?」

865 「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る。また人が来世に関していだく希望と成就とは、それにもとづいて起る。」

1009 かれらはすべて、それぞれ衆徒を率い、全世界に命名があり、瞑想を行い、瞑想を楽しむ者で、しっかりと落ち着いていて、前世に宿善を植えた人々であった。

特に1009 は、前世の善業によって現在、優れた福徳があるとしか読めないでしょう。


738:神も仏も名無しさん
08/12/31 10:03:47 gyfuw/Jk
確認のために以下で原文を見ると。
URLリンク(www.tipitaka.org)
1015.
Paccekagaṇino sabbe, sabbalokassa vissutā;
Jhāyī jhānaratā dhīrā, pubbavāsanavāsitā.
となっていて、pubbavāsanavāsitā が「前世に宿善を植えた人々であった」の原文です。
直訳すると「前世に習気に香りづけらた」という意味です。

この部分の注釈(アッタカター)を見ると
Pubbavāsanavāsitāti pubbe kassapassa bhagavato sāsane pabbajitvā. Gatapaccāgatavattapuññavāsanāya vāsitacittā.
「前世に宿善を植えた人々であった」とは、前世にカッサパ世尊の教えにおいて、出家して、行き来した福徳の習気に香りづけらた心である。

となっていて「輪廻業報思想」を説いてる以外のなにものでもありません。

739:神も仏も名無しさん
08/12/31 10:15:56 gyfuw/Jk
>>732
>この部分は「無記」へと繋がる部分だと思いますが、いったい
>どう読んだら「業報思想」や「宿命通智」などに繋がるんですかね?

明らかに「無記」と同じ考えですが、はっきりと「業報思想」や
「宿命通智」などに繋がるどころか、前提として説かれているでしょう。
前後の文脈から明らかです。以下、中村訳。

1072 師は答えた、「ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の<想いからの解脱>において解脱した人、─かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」

1073 「あまねく見る方よ。もしもかれがそこから退きあともどりしないで多年そこにとどまるならば、かれはそこで解脱して、清涼となるのでしょうか? またそのような人の識別作用(あとまで)存在するのでしょうか?」

1074 師が答えた、「ウバシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(生存するものとしては)数えられないのである。」

1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか? 聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」

1076 師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

「聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、
(生存するものとしては)数えられない」ということから、
これは解脱した聖者について説かれていることが明らかです。
輪廻から解脱した人に輪廻がないのは当たり前の話。
その前提として1009のような「輪廻業報思想」があるのは、
少なくとも編集時には意識されていたわけですね。

私はもちろん、釈尊も前提とされていたとしか思えませんが。


740:神も仏も名無しさん
08/12/31 10:18:22 gyfuw/Jk
おまけ

想を遍知して暴流を度るべし.
牟尼は諸遍取に染取するなく、
箭を抜き不放逸にして行じつつ.
此世と他[世]とを願求するなし.(suttanipata779)
                         南傳大蔵経、第42巻、79頁

(その古い註ニッデーサ)
此世と他[世]とを願求するなしとは、此世たる自己の身体を願求せず、
他世たる他人の身体を願求せず.此世たる自己の色・受・想・行・識
を願求せず、他世たる他人の色・受・想・行・識を願求せず.此世たる
自己の六内処を願求せず、他世たる他人の六内処を願求せず.此世たる
人世間を願求せず、他世たる天世間を願求せず.此世たる欲界を願求
せず、他世たる色界・無色界を願求せず.此世たる欲界・色界を願求
せず、他世たる無色界を願求せず.更に趣・生起・結生・有・輪廻又は
輪転を願求せず.欲求せず、楽はず、冀求せず、希望せず、熱望
せざるなり.これ「此世と他[世]とを願求するなし」[の義]なり.
                         南傳大蔵経、第42巻、85-86頁


741:神も仏も名無しさん
08/12/31 10:22:57 gyfuw/Jk
>>733
>「輪廻転生」は、仏陀がバラモン社会での布教のために「心ならずも」使った
>言葉であり、それは「法」ではない。並川氏も、「すべて否定的な文脈で使われ
>ている」と言っているではないか。

あの~、仏教は輪廻を厭うという意味で一貫して「否定的」なんです。
昇天というのは、あくまで方便。
並川さんみたいな学者に依ってもしょうがないでしょう。



742:宝珠愚者
08/12/31 11:42:49 j94YWP7c
>>733
>あなたのような解釈では、「自灯明」「法灯明」と、両者間に優劣を付けづに
>並列に並べた意味が、全くなくなる。「法灯明」だけでよいはず。

 デタラメはやめましょうか?《「法」(私の残した教え)を拠りどころとして自ら歩め。他に頼れるものはな
し。》ということ。「お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前
たちの師となるである 」 >>731

>「法」には種々の意味がある。「釈迦の教え」だけという偏狭なものではない。

そう!照らし合わせて教えに沿っていればだね。あくまでもゴータマの教えと「照らし合わせて」。

>イエスが、「自灯明」に該当する言葉を、唯の一度でも言ったことがあるかね。

 「自灯明」「法灯明」ね。「自灯明」といって一人歩きさせない。近いものとはこれでしょう。わたしが全て
救うからわたしにすがれ!だの、わたしを信じない者は滅ぶだの、といったのは愚かな教会ね。「わたし
に向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく、天におられるわたしの父のご意志
を行なう者が入るのです。」(マタイ7:21) 「だから,あなた方の天の父が完全であられるように,あなた
方も完全でありなさい。」(マタイ5:48)

>あなたが、釈迦の「言葉」から一歩も踏み出せない「軽蔑すべき三流弟子」であることは、明らか。

はいはぃ、「軽蔑すべき三流弟子」で結構です。

743:神も仏も名無しさん
08/12/31 12:00:02 gyfuw/Jk
>>742
宝珠愚者さん、あなたももうこんな無駄なこと止めたら。
みんなどんな証拠あろうと自説を曲げないんだから。


744:宝珠愚者
08/12/31 12:35:54 j94YWP7c
>>743
ID:gyfuw/Jkさん、
素晴らしいを解説ありがとうございました。

初代スレの5さんは恐らく、「来世」と書かれてあればそれは「業とは書かれてない」と見てるのでしょう?
(輪廻否定派ならば、「来世」と書かれてあるだけでも根拠が崩壊してるのですが・・・。)
それで、1009の1節だけをスレ2で提示したんです。
そしたら、この私をオカルトマニアだからとして、
「もう仏典の検証、仏教的視野にたった議論など、何の意味も、もちません。」といい返答を放棄したのです。
この私には仏典以外に及ぶ事柄までも回答させようとしておきながら、
私が仏典から彼のいう4-5章からの根拠を提示したというのに。。。

>あなたももうこんな無駄なこと止めたら。

私はこれらの人々の意思も尊重します。
だから勝手に断滅論仏教徒であればいいのですよ。改心する必要も無い。
残念なことですが、彼らがどうなろうともいいのです。
私はただ閲覧者のために投稿しています。


しかし、どこの宗門も回答を届けてこない。>>332
ビビッて回答したくないようですね---無視/放置の姿勢のようです・・。
電話をかければ、「今は担当者がいない、電話ではなく文章で希望します。」
などといいながら音信なし。
自分の宗門の見解すらも、自信を以って回答できないのか!!

745:神も仏も名無しさん
08/12/31 12:36:53 t9tYoZPz
>>742
時代も異なる大昔の始祖の表面上の言葉だけに必死にしがみつき、その現代的
意味は少しも理解できない「軽蔑すべき三流弟子」の君が、何を喚いても無駄。

君のような解釈なら、釈迦は、イエスと同様、「俺が、俺が」の自分だけを
押し付けるエゴイストで、現代人が信じるに値しない俗物、現代の多数のカルト
教祖と全く同じになってしまう。釈迦を侮辱してはならない。

イエスは、そのユダヤ教の狂信と、統合失調症の症状としての誇大妄想から
「自分が創造主になりたい、なった積り」の野望を抱いただけ。現代の進歩
した精神医学の知識を背景としてイエスの言動を観察すれば、あまりにも明らか。
彼には、創造(自然界、現実界)に対する畏敬は皆無であった。イエスは、
「私は、神の子、神の座の右に座る。アブラハムようり前からいた」「私を信
じない者は裁かれる」「創造は不完全」「私は、平和ではなく剣を、家族間の
敵対をもたらすために来た」などという暴言を吐きまくっている。なれなれしく
も、神に対して「父よ」などと呼びかけている。彼のほとんとすべての「教え」
は、「自分の気に入らない者に対するあくなき憎悪・非難・排斥」とセットに
なっていることを看破すべきである。「善きサマリア人」の話も、彼の真意は、
自分が特別の個人的関係と行為を有するサマリア人にかこつけて、自分の気に
入らない祭司とレビ人とを名指しで挙げて、非難することであった。さもなけ
れば、単に「他の通行人たちは」とだけすればよかったはず。彼は、父なる神
と自己とを同一視して、自己のために、神を「利用」したに過ぎないのである。

この「父なる神の冒涜罪」という己の大罪故に、十字架で処刑されたのである。
彼は、人間の罪を贖うなどという意図は、毛頭なかった。「罪概念」や「贖罪
概念」は、パウロが、その宣教のための「脅迫手段」としてでっち上げたもの
に過ぎない。そもそも、創造主を冒涜して処刑された犯罪者イエスの「汚れた
血」で、他者の罪を贖える訳がない。

多くのカルトを分析してきたが、他の宗教でも、キリスト教の影響があれば
必ずカル化している。君もその一例に過ぎない。

746:神も仏も名無しさん
08/12/31 12:49:39 t9tYoZPz
>>745の訂正
×アブラハムようり
○アブラハムより

×個人的関係と行為
○個人的関係と好意

747:神も仏も名無しさん
08/12/31 12:58:32 ZPDwu+9x
>>742->>743
真に明知に達したものは、「この世」「かの世」「現世」「来世」などの無明による迷いの妄想から脱皮する。
業報輪廻という迷妄の既成概念から脱皮する、捨て去る。

スッタニパータ 1 「蛇」に結論が書いてある。
『~は、この世とかの世とをともに捨て去る。-蛇が脱皮して古い皮を捨て去るようなものである。』
古い皮とは無明によって積み重ねてきた輪廻などの既成概念をさすことは当然だ。
ブッダ成道時の「ふる信を捨てよ、去れ」に対応していることはいうまでもない。

もういいかげんに仏教徒として眼を開けろよ。

748:747
08/12/31 13:03:17 ZPDwu+9x
× 明知
〇 明智 

749:宝珠愚者
08/12/31 13:04:07 j94YWP7c
>>735
神秘体験に関心がないといえば嘘になります。
しかし、オウムに見られるような、
そのようなものの開発を意図した技法の取り組みについては覚者方は禁じられます。
物事には全て段階というものがあります。
神秘体験に見せられた取り組みは破滅の道です。

私の体験とは、
UFOの目撃、心霊存在による物理現象(物体の瞬間移動)、私の幽体離脱(目撃確認者あり)
シンクロニシティ(共時性)の多発、といった一般人々が普通に体験する程度のものです。
私は開発技法(この世界には詳しいが・・)には着手しないので。

750:神も仏も名無しさん
08/12/31 13:11:03 5fkj3UMS
並川氏などの論理を借りれば、「釈尊は「心ならずも」輪廻を前提とした教義を説いた。」
を真とするならば、輪廻という迷信を真理への入り口と成すということになる。
輪廻が観念的なもので、あらゆる観念的なものをを打ち破るのが釈尊の悟りの当体=空=中道ならば、40年を超える布教活動の中に、
輪廻を実在とする観念こそ迷いに他ならないとする真説がなければ、釈尊はとうとう真実を説かなかったということになる。
真説を説かなかったばかりか、弟子たちを真理に導かなかったことになる。
なぜならば、輪廻を否定する仏教徒(自称)は本邦のごく一部にしか存在しないからである。

よって、並川説は論理として成り立たない。
並川氏説は氏の願望に過ぎないことは自明である。

751:747
08/12/31 13:16:12 ZPDwu+9x
>>737->>741
まるで判ってないのはおまえだよ⇒>>747



752:747
08/12/31 13:29:14 ZPDwu+9x
再掲載
623 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 16:22:50 ID:0rEfRUmf
本スレの命題は、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダが転生(再生誕)を実際に『説いたのか?』だろ?

・自分が輪廻転生論をどう思うか、とは全く別問題。
   →転生論に完全反対でも、ブッダが説いたことは認める立場もありうる。
・ブッダ没後100年以上経ってから、当然ブッダとは全く別人が書いた「経典」なるものが、
 正確に客観的事実を書いているかは、~伝聞証拠であって、反対尋問による検証ができないから~
 確認のしようがなく、真実性の担保はない。ウソである可能性も高い。
・仮にブッダが「説いた」という立場をとっても、「説いた」の意義をめぐって、
   1)涅槃へ導くための、教育的方便としてのおとぎ話や物語(フィクション)である可能性もある。
     この立場からは、教義の中核から転生論は排除される。
   2)ブッダがバラモン=ヒンドゥ的輪廻転生論者だった(梵我一如論と表裏一体)と主張するなら、
     ブッダ成道の意義~わざわざ宗を起てる意義~を問い直して、説明しなければならない。


753:747
08/12/31 13:35:54 ZPDwu+9x
>>750
 まるで判ってないのはおまえだよ⇒>>747



754:神も仏も名無しさん
08/12/31 13:49:39 gyfuw/Jk
>>751
陳腐な解釈ですね。以下は、どう読むの?
>>737
>1009 かれらはすべて、それぞれ衆徒を率い、全世界に命名があり、瞑想を行い、瞑想を楽しむ者で、しっかりと落ち着いていて、前世に宿善を植えた人々であった。




755:747
08/12/31 14:33:34 ZPDwu+9x
>>754
>>752 1)


756:747
08/12/31 14:42:50 ZPDwu+9x
>>754
・ブッダ没後100年以上経ってから、当然ブッダとは全く別人が書いた「経典」なるものが、
 正確に客観的事実を書いているかは、~伝聞証拠であって、反対尋問による検証ができないから~
 確認のしようがなく、真実性の担保はない。ウソである可能性も高い。(>>752)




757:神も仏も名無しさん
08/12/31 14:43:35 gyfuw/Jk
>>755
つまり、スッタニパータ1009は輪廻業報を認めてるということ?
すると先ず>>747は誤った解釈だと認めないといけませんね。
それが認められないのなら話は終わり。
認めるなら>>752 1)に答えましょう。




最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch