08/12/31 13:11:03 5fkj3UMS
並川氏などの論理を借りれば、「釈尊は「心ならずも」輪廻を前提とした教義を説いた。」
を真とするならば、輪廻という迷信を真理への入り口と成すということになる。
輪廻が観念的なもので、あらゆる観念的なものをを打ち破るのが釈尊の悟りの当体=空=中道ならば、40年を超える布教活動の中に、
輪廻を実在とする観念こそ迷いに他ならないとする真説がなければ、釈尊はとうとう真実を説かなかったということになる。
真説を説かなかったばかりか、弟子たちを真理に導かなかったことになる。
なぜならば、輪廻を否定する仏教徒(自称)は本邦のごく一部にしか存在しないからである。
よって、並川説は論理として成り立たない。
並川氏説は氏の願望に過ぎないことは自明である。