08/12/31 11:42:49 j94YWP7c
>>733
>あなたのような解釈では、「自灯明」「法灯明」と、両者間に優劣を付けづに
>並列に並べた意味が、全くなくなる。「法灯明」だけでよいはず。
デタラメはやめましょうか?《「法」(私の残した教え)を拠りどころとして自ら歩め。他に頼れるものはな
し。》ということ。「お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前
たちの師となるである 」 >>731
>「法」には種々の意味がある。「釈迦の教え」だけという偏狭なものではない。
そう!照らし合わせて教えに沿っていればだね。あくまでもゴータマの教えと「照らし合わせて」。
>イエスが、「自灯明」に該当する言葉を、唯の一度でも言ったことがあるかね。
「自灯明」「法灯明」ね。「自灯明」といって一人歩きさせない。近いものとはこれでしょう。わたしが全て
救うからわたしにすがれ!だの、わたしを信じない者は滅ぶだの、といったのは愚かな教会ね。「わたし
に向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく、天におられるわたしの父のご意志
を行なう者が入るのです。」(マタイ7:21) 「だから,あなた方の天の父が完全であられるように,あなた
方も完全でありなさい。」(マタイ5:48)
>あなたが、釈迦の「言葉」から一歩も踏み出せない「軽蔑すべき三流弟子」であることは、明らか。
はいはぃ、「軽蔑すべき三流弟子」で結構です。