08/12/31 03:24:48 Hr07DD8D
時間があったので、改めて最古層仏典(スッタニパータ第4、第5)を
読み返してみましたが、やはり「輪廻業報思想」を説いてると観られる
箇所はありませんね。繰り返し説かれていることは、「論争の無意味さ」
「全ての執着をなくし、妄執を滅すべきこと」 これが本旨ですね。
それどころか
>1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか?
或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか?
聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。
あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」
1076 師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。
かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。
あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、
あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」
この部分は「無記」へと繋がる部分だと思いますが、いったい
どう読んだら「業報思想」や「宿命通智」などに繋がるんですかね?
釈迦の教説の本旨はやはり
>1119 (ブッダが答えた)、
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。
このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」
そうすれば死を乗り越えることができるであろう。
これでしょう。