08/12/29 16:21:04 weh56+Kv
>614
私は「宗教とは常識を逸脱するもの」と考えております。
常識を逸脱した部分に、人々は「聖なるもの」を感じていたんだと思います。
エリアーデが述べたとおりです。
誰もが逸脱できないからこそ、逸脱したした人に対する「尊敬」あるいは「侮蔑」が
生じます。
かつて日本映画でヤクザ物がはやったのもその理由でしょう。
逸脱に対する「憧れ」と「恐れ」は同時に生じます。
輪廻批判などその典型でしょう。
>617
このかたの意見こそ、まことに日本的な「尋常志向」ですね。
柳田国男がすでに指摘している点ですが、日本の村社会は常に調和を求めます。
悪の方向であれ、また善の方向であれ逸脱は許されません。
そもそも善悪の基準は「社会の調和」をもってなされます。
聖徳太子の「和を以て貴しとなす」は仏教思想ではなく日本古来の思想であると
指摘されておりますが、まさにむべなるかな。
たしかに柳田は名もない民衆の歴史を掘り起こし、「平凡」を非常に評価しています。
617さんの意見も分かります。
しかし、常識の範疇で宗教を見る姿勢は日本的であれ必ずしも正しい見方ではありません。
もっとも個人の信仰でしょうから、文句はありませんが。