08/12/29 01:34:34 6Ab3FVcX
>>586
光も闇も表裏一体。
どちらも二つで一つなのだ。
それがこの世だ。この地があればこそ、天もある。
また、偽りの命といえる肉の生存があればこそ、真の命もある。
どちらも切っても切れない二つで一つなのだ。
別に今の肉の自我による生存が無駄なものとは言っていない。
むしろ肉の生存の間に何を成すかが問われる。
人は三つの状態がある。偽りに命の状態である、肉の自我による生存か、
真の命である、真我ともいえる生存であるか。そして、
無の状態である死の状態であるかだ。人はこの無である状態の時には
なにもできない。真の命を取り戻すには、生きているときにしかできないのだ。
だから、今生を無駄に生きてはいけない。
何か新しい教えを残した教祖がいた。彼の教えを知る最も信頼できる資料は
彼が直接書いたテキストだと思うが、それがない場合、彼に弟子がいた場合、彼の教えを
直接聞いた弟子の書いたテキストが最も信頼のできる資料となる。その後、新しい教えを伝えた
教祖の教えを直接聞いた者の書いたテキストは、教祖の教えを直接聞いた直弟子達の書いた
資料と矛盾がないかと見る。矛盾なく整合するものなら、その説をとるが、矛盾するものなら、
恒星の弟子の主観が入ったもので、教祖の教えとは違うと理解し、教祖の教えを信頼するなら、
きっぱり投げ捨てる。たしか原始経典にもそんな記述があったはず。あんたの書いた
パウロ二世の話は、典型的な後者のパターンだ。
しかしあんた、馬鹿だな。あまりあんたとの話では実のある話はできないと思う。悪いけど。
酒が回ってもう眠い。もう寝るよ。あんたにも悟りの光がありますよう。お休みだ、アホ共。早く悟れよ。