08/12/27 10:22:59 /0y3IKKW
以前、A~Eという区分をしたが、もう少し簡潔にすれば以下のようなものとなる。
そして、このスレでは『1』(と『3』)が主要テーマとなる。
が、『2』を通過或いは援用せずに考察することもできまい。
『1』と『2』は常にセットであり、『2』(と当時の思想状況)によって『3』を類推することになる。
(『5』によって検証する方向性もあるが、万人向けとは言い難い)
別の場所で、電波氏が“思想的区分例”を提示していたが、それは『2』の解釈(のみ)に関連することであり、
『1』(及び『3』)と『5』の問題を捨象している。
上で述べたように、畢竟、『2』が最重要であることに異論はないが、
仏典を小脇に抱えて歩むならば、『1』との関連は各自がそれぞれにケリを付けておかねばならない。
でなければ、彼の語る言葉の誠実性(→小脇に抱えている理由)はぼやけてくる。
仏典をその場へ置いて歩んでいけばいい。(筏を置いて歩き出すように・・・w)
そういう歩き方もあっていい。(寧ろお釈迦さんは褒めてくれるだろうw)
1:記述の問題
仏典の記述は具体的にどのようになっているか
2:教義上の問題
仏教の教義は輪廻を欠いたら成立しないのか
3:釈尊の完全性の問題
ブッダ自身は、どう見ていたか
※その他
4:仏教外での問題
現代の種々の科学的知見は、輪廻の存在可能性を低下させている
5:★経験・体験上の問題★
宿命通は体験できるのか
できるとしたらそれはどのようなものか