【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3at PSY
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3 - 暇つぶし2ch416:神も仏も名無しさん
08/12/27 08:48:39 JMk7oblu
>>413
>因果応報なら、輪廻という果を必然性とするとこに論理矛盾があるだろ?
>つまり分りやすく書くと、
>果が最初から決定されている。ということになる。
>おかしいだろ?

それは机さんが縁起を理解してないと告白してるだけ。
仏教で果のことを異熟という意味を考えれば分かる。

業報は決定論ではありません。行為をする。業が蓄積される。
それが諸縁によって異なって熟する。
しかも、行為は連続してなされるから次々に変化する。
机さんは、水野先生の『要語』を三回ぐらい熟読した方がいいよ。

417:神も仏も名無しさん
08/12/27 08:50:05 8i5s4PF+
>>414
訂正しなくとも、貴殿の頭悪いのは、みんなしっとるよ。







                  ぷっw

418:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 09:24:33 pP6ub8/r
>>416
>仏教で果のことを異熟という意味を考えれば分かる。

なんでそんなに古い時代の言説を信じ込んでるんだろ?
殆ど化石みたいなもんだろ?
それでいいになら話は別だけど。

実有論の自性の話だろ?
そういうのを信じているんですか?
小一時間問いたい。

例の「原始佛教」のスレってのは、つまり懐古趣味みたいなもんだろ?
あれをそのまま信じこんでしまうのは、少々痛い気がするんだがw

419:神も仏も名無しさん
08/12/27 09:32:53 JMk7oblu
>>418
信じてますよ。なぜ、信じるか。私の場合は主に二点。

伝承してきた聖者たちの人格が素晴らしい。これは実際に合った結果です。
私の場合は、チベット人とビルマ人でしか聖者にあってませんけど。
日本人では一人もいなかったな。多少、神通ある人は結構いるけど。

経典と論書の体系と整合性、検証可能性がたしかであるということ。
言い換えると論理の筋道に矛盾がなく、やればそのとおり結果がでるということ。

それに信じないなら、机さんは仏教を絡めないで机哲学とか机思想で、
どっかで語ってればいいじゃないですか。

420:悪寛
08/12/27 09:37:46 aIxVQ4KW
外は、雪。

   淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)

   またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る


421:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 09:46:51 pP6ub8/r
>>419
>信じてますよ。なぜ、信じるか。私の場合は主に二点。

それは失礼しました。

>それに信じないなら、机さんは仏教を絡めないで机哲学とか机思想で、
>どっかで語ってればいいじゃないですか。

インドではそもそも宗教とか、哲学とか、思想とかのジャンル別の分類はないらしい。
ある意味、寛大な風土なんだろうけど、
それゆえに世界的な哲学・思想を生み出した。
とも言える。

422:神も仏も名無しさん
08/12/27 09:56:54 JMk7oblu
>>420
良寛さん、華厳的ですね。

423:神も仏も名無しさん
08/12/27 10:05:46 hdi800gm
>410
宣長みたいな神道カルトを孔孟や世界宗教と同列に扱い
ほめたたえる感性が理解できないw
神道系カルトの臭いプンプンw

424:神も仏も名無しさん
08/12/27 10:21:13 PomvwMU7
>>413>>418>>421

机が素になってら。よっぽど腹立ったんだな。
自分の胸に「チクリ」とでも痛いところがあったら、素直に真摯に透明になって入三昧。
そのくり返しが「仏道」
がんばれ。只管歩め。










              でも、無理だろうなw

425:初代スレ7
08/12/27 10:22:59 /0y3IKKW
以前、A~Eという区分をしたが、もう少し簡潔にすれば以下のようなものとなる。
そして、このスレでは『1』(と『3』)が主要テーマとなる。
が、『2』を通過或いは援用せずに考察することもできまい。
『1』と『2』は常にセットであり、『2』(と当時の思想状況)によって『3』を類推することになる。
(『5』によって検証する方向性もあるが、万人向けとは言い難い)
別の場所で、電波氏が“思想的区分例”を提示していたが、それは『2』の解釈(のみ)に関連することであり、
『1』(及び『3』)と『5』の問題を捨象している。
上で述べたように、畢竟、『2』が最重要であることに異論はないが、
仏典を小脇に抱えて歩むならば、『1』との関連は各自がそれぞれにケリを付けておかねばならない。
でなければ、彼の語る言葉の誠実性(→小脇に抱えている理由)はぼやけてくる。
仏典をその場へ置いて歩んでいけばいい。(筏を置いて歩き出すように・・・w)
そういう歩き方もあっていい。(寧ろお釈迦さんは褒めてくれるだろうw)

1:記述の問題
仏典の記述は具体的にどのようになっているか

2:教義上の問題
仏教の教義は輪廻を欠いたら成立しないのか

3:釈尊の完全性の問題
ブッダ自身は、どう見ていたか

※その他
4:仏教外での問題
現代の種々の科学的知見は、輪廻の存在可能性を低下させている

5:★経験・体験上の問題★
宿命通は体験できるのか
できるとしたらそれはどのようなものか

426:神も仏も名無しさん
08/12/27 10:45:13 JMk7oblu
>>425
2. に関しては、一切皆苦で輪廻しないなら自殺すればいいと論理的に帰結されると思うんですが。

これを受け入れない理由はなんでしょう?

427:初代スレの5
08/12/27 10:56:54 MkASH/en
「この世のあらゆることは苦である。」  「輪廻はない。」
この二つを前提として考えるなら、「死」も選択肢のひとつでしょう。

しかし、それ以外の選択肢、すなわち「認識の転換により、苦を滅する。」
これこそが、仏教の本旨なのでは?

428:神も仏も名無しさん
08/12/27 11:13:39 JMk7oblu
>>427
>「この世のあらゆることは苦である。」  「輪廻はない。」
>この二つを前提として考えるなら、「死」も選択肢のひとつでしょう。

その二つの前提が眞なら、自殺しないのは不明、あるいは自己欺瞞でしょう。
選択肢のひとつではなく、当然、より必然的帰結。

>しかし、それ以外の選択肢、すなわち「認識の転換により、苦を滅する。」
>これこそが、仏教の本旨なのでは?

私が思うにこのように考えるのは、現状肯定したいからだと思います。
このように思う人が仏教に関わるのは、釈尊も自分の考えと同じだと納得したいだけ。

だから、一切皆苦も輪廻も適当に自分の思想に合わせて、
「やっぱり釈尊も同じこと思ってる、やっぱこれでいいんだ」と。

そういうことは意味ないでしょ。だからデレク・パーフィットとか読んでくださいよ。

429:初代スレの5
08/12/27 11:46:29 MkASH/en
>その二つの前提が眞なら、自殺しないのは不明、あるいは自己欺瞞でしょう。
選択肢のひとつではなく、当然、より必然的帰結。

「苦」というのは、あくまでも主体的認識によるもの。
ある個人にとっては、耐え難い「苦」が、別の「個人」にとっては
なんでもないことが普通にありますね。よって、「一切皆苦」が
真であっても、それが必然的に「死」に結びつくと言うのは論理の
飛躍ですね。

>私が思うにこのように考えるのは、現状肯定したいからだと思います。
このように思う人が仏教に関わるのは、釈尊も自分の考えと同じだと納得したいだけ。

だから、一切皆苦も輪廻も適当に自分の思想に合わせて、
「やっぱり釈尊も同じこと思ってる、やっぱこれでいいんだ」と。

あなたの思い込みでしょう。






430:神も仏も名無しさん
08/12/27 11:55:15 JMk7oblu
>>429

>「苦」というのは、あくまでも主体的認識によるもの。
>ある個人にとっては、耐え難い「苦」が、別の「個人」にとっては
>なんでもないことが普通にありますね。よって、「一切皆苦」が
>真であっても、それが必然的に「死」に結びつくと言うのは論理の
>飛躍ですね。

ほら「一切皆苦」をさっそく「適当に自分の思想に合わせて」ますね。
苦という言葉の意味をテキスト・あるいは仏教から離れて、
現代の意味で解釈している。それでは「一切皆苦」の意味なんて分からない。




431:初代スレ7
08/12/27 11:56:32 /0y3IKKW
>>426
今生で苦を滅することが不可能なら、その選択がベストでしょう。
だが、釈尊は苦の滅を説いた。
苦の因を知り、滅する方法を説いた。苦の滅を“我が身を持って”示した。
「来たれ、比丘よ」の意味を噛み締めねばならない。
これは、死を薦める言葉ではない。
アッサジが舎利弗に語った縁生偈は、
「今生に於いて苦の滅がある」と読まなければならない。「(今)行じれば必ず苦の滅がある」と読まなければならない。
入滅前の最後の言葉も、「(今)行じれば必ず苦の滅がある」と読まなければならない。

“仏教の枠で言えば”、
 >輪廻しないなら自殺すればいい
などという論理展開こそ、真っ先に却下されるべき思考だと私は思う。

432:神も仏も名無しさん
08/12/27 11:59:53 ECzLbh7+
>>430
時代錯誤により、2500年前の釈迦の「言葉」だけにしがみついて
いるのは、教師の言葉をひたすらノートし、暗記している三流学生と
同じであることを自覚して欲しい。

それは、優れた教師としての釈迦が望んだこととでも思うのかね。

433:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:09:17 aIxVQ4KW
無明のままだと、即ちDNAによるコントロールを受けたままだと
~それが「生命」の存在形式だから~
一切皆苦であることは当然。
 そのような事態をいかに超克するかが、ブッダの本懐だったはず。

で、無常=無我=縁起=空=中道の自得による新生がその結論。

>現状肯定 云々は??? 不思議なトンチンカンぶりですなあ。

そもそも輪廻などという概念自体が、ブッダの問題意識に関係ない異様な異質ブツだ。

434:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:09:19 j8hW9sMM
>>432
「言葉」の意味とつないでゆくと文章になる。
文章を繋いでゆくと、哲学になる。
「言葉」の体・用・相を疎かにしてはならない。
釈尊が在世に伝えたかったことは、仏教徒にとって「真理」であり「そのように在らしめる力」である。
在世の「言葉」の体・用・相を「なるべく」過たず踏まえ吟味し自家薬籠中のものとした上で、そこで初めて「現代の佛子の生きる道」を論じて欲しい。


435:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:17:36 ECzLbh7+
>>434
言葉は、極めて不完全、かつ制限的なもので、森羅万象を表現すること
など、到底不可能であることを、まず自覚すべき。

重要なのは、発語者がその「不完全な言葉で表現しようとする思想内容」
であることを、忘れてはならない。さもなければ、本末転倒となる。

436:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 12:18:21 pP6ub8/r
>>426
>これを受け入れない理由はなんでしょう?

まあ、貴殿達はそういう極論めいた書込みをするんで、
いかにも・・・って感じなんですが、
ある意味、仏教というのは極論なんですよ。

全くイイもんはない。
ニヒリズムの極とでも言いましょうか。
これが「一切皆空」なんですね。

しかしながら、これで終わらんとこが仏教の仏教たる所以でありまふ。
ここまでの絶対否定というのは・・・絶対肯定でもあるんです。
(これがいわゆる中道の中道たる所以ですね)

ニーチェの虚無主義というのも、これは仏教に通じる虚無でもあるわけです。
(たぶんニーチェは仏教に影響されたと思うが)

で、この世でイイことがないと、死ぬきゃないですか?
そんなことはないですね。
イイこともなければ、ワルイこともない。
安心して暮らせる、良い子の世界じゃ~ないですか?


437:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:18:46 JMk7oblu
>>431
>“仏教の枠で言えば”、
> >輪廻しないなら自殺すればいい
>などという論理展開こそ、真っ先に却下されるべき思考だと私は思う。

なぜでしょうか? 輪廻という前提があるからこそ自殺は苦しかもたらさない。
と考えるのが仏教でしょう。律で自殺を禁じているのは、その意味。
しかし、ヴァッカリやゴーティカというアルハットの自殺を釈尊は讃えています。
これは自殺しても輪廻しないアルハットの境地に達していたからに他ならないでしょう。

もちろん、「行じれば必ず苦の滅がある」のですが、それは輪廻を前提にした話です。
そして、必ずしも今生に限定してません。それは四双八輩や昇天が説かれていることから原始経典でも明らかでしょう。
大乗は普賢行がありますから言うまでもありません。

つまり、仏教で苦の滅は、戒定慧の三学によって無明を断つ以外、輪廻するしかないということですが。



438:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 12:21:58 pP6ub8/r
×  「一切皆空」なんですね。
○  「一切皆苦」なんですね。

439:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:31:30 JMk7oblu
>>432
日本には聖者と分かる人がいないからしかたないですが、
言葉の問題は二次的なもので、多くの聖者に合ってるんでこの体験は個人的に動かしがたいですね。

>402
>「わたしがいま証得したこの法は、はなはだ深くして観がたく悟りがたく、
>微妙にして思念の領域を超え、深妙にして賢者のみよく知るべきものである。」

これを引用された方は、この意味を全く誤解してますね。
「微妙にして思念の領域を超え」というのは、凡人の思考対象にはならないという意味ですよ。
少なくとも素朴実在論的な見たままの世界が、そのまま実在していると思ってる人では絶対分からないという意味です。

この例は輪廻の主体によく現れているでしょう。
釈尊は輪廻の主体どころか、現在、現れている全ての生物に主体がないと説かれた。
でも、素朴な「思念の領域」で捉えようとする人は、何かを想定しないと考えられない。
だから、輪廻の主体は何かと考えてしまう。その思考法自体が無明であると気づく事ができない。

440:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:35:58 JMk7oblu
>>436
>まあ、貴殿達はそういう極論めいた書込みをするんで、
>いかにも・・・って感じなんですが、
>ある意味、仏教というのは極論なんですよ。

極論ではなく。あたりまえのことです。
この辺にしときますがw

441:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:36:02 ECzLbh7+
>>437
>輪廻という前提があるからこそ自殺は苦しかもたらさない。

「天国で生まれ変わる」という「輪廻」を「信じ込まされて」、自他の
生命を奪い続けているのが、自爆テロリストなのだよ。

「輪廻転生」の観念の弊害極まれりだね。

442:初代スレ7
08/12/27 12:37:33 /0y3IKKW
(とりあえず、聞かれたら書き込もう、と思って準備していたものを投下しておきます)
────────────
いつかは言われるだろうと思っていました・・w

御指摘に応えて私の(個人的)スタンスを>>425に当てはめれば以下のようになる。
以前のA~Eの時にどのコースになるかを一応考えてはみたが、
ややこしくて(&複数コースになって)面倒臭いのでやめたw

1:
仏典の記述は、その多くが輪廻(のあること)を前提としている
仏典の記述は、その一部は輪廻のあるなしを脇へ置いたものとなっている

2:
仏教の教義は、輪廻を前提とせずとも成立し得る(→今生に重点を置くのみでも成立し得る)
輪廻があろうがなかろうが、「為すべきことに変わりはない」

3:
我々には知りえない(おそらくはあると見ていた)

4:
我々には知りえない(おそらく輪廻はない)

5:
未体験故、他の方に委ねる

────────────

443:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:40:16 yoRa6vsL
>>435
>重要なのは、発語者がその「不完全な言葉で表現しようとする思想内容」
>であることを、忘れてはならない。さもなければ、本末転倒となる。

思想内容を「ただでさえ不完全な言葉で表現しようとしている」のだからこそ、思想内容をなるべく明確にするために
「言葉」を疎かにしてはならない。と言っているのですよ。
感情的にならないで、自分の錯乱した文章と歪んだロジックをよく見てみなさい。

444:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:54:29 ECzLbh7+
>>443
「不完全な」言葉に固執すると、却って思想内容が見えなくなるという
本末転倒に陥る、と言っているのですよ。

常に、言葉より高い次元、即ち常識を用いるべきことを、忘れてはならない。

外国語を日本語に直訳すると、意味不明な言葉になりますよ。それは
もはや日本語でさえもない。

このことは、大学入試の英文和訳や長文解釈の場合の鉄則であるはずw。

445:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 12:56:25 pP6ub8/r
>>442
人間というのは、理性で納得いかないもんは、どうにか論理的に追求したがるもんだよ。
そういったベクトルの真逆を逝くのが、いわゆる仏教ですね。


446:神も仏も名無しさん
08/12/27 13:04:37 WtikHgrV
>>407
あははは・・・(笑
相も変わらず分からんおひとです。

君が、論を考えてレス出来るのは<生命>があるからじゃん!
命が無ければ2chもレスも修行も教学も仏陀もイエスも仏教も宗教も無いでしょw

(一切皆苦)だからと自分の「生命の否定」をしてどうするの?(笑

■ 生命の有難さが分からん人は、今から食べ物を一切食べるな!
■ TVでも街頭にでも立って「この世は(一切皆苦)だから子供は産まないようにしましょう!!」
と大声で叫んで、みんなの反応を見てきて報告してくださ~い!!
■カルト思考は、>>408>>432氏のレスを参考に「自灯明」で少しは考えてみんしゃ~い!

仏陀はうつ傾向かご苦労無しかもしれないし、イエスも又、問題あり・・とかく教祖は問題あり~(笑

>>426
>一切皆苦で輪廻しないなら自殺すればいいと論理的に帰結されると思うんですが。

論理的なのは、頭の中だけ、生きているということは肉体があって誰にも生命維持本能・
防御本能があるから結局、死にたくないわけw

だから、頭の中だけで論で「生命の否定」をしても苦しむだけ~ 

忙しくて時間の無駄!オチ

447:神も仏も名無しさん
08/12/27 13:06:44 JYs3F72g
>>444
おりこうさんですね。

釈尊は釈尊の時代の「常識」で語った。
釈尊の「言葉」の背後にあるものを踏まえよと言っているのです。
「言葉」の背景もわからない人が「思想」の背景がわかりますか?
およそ常識的な現代人なら時代背景を考慮に入れます。。

あなた自分でも、おかしいこと言ってるの解ってて意固地になってるでしょ。

448:神も仏も名無しさん
08/12/27 13:11:03 31NgOFCg
>>444
>「不完全な」言葉

ちなみに、この件の場合「苦」にかんして「言葉が不完全」なのは貴方と5氏

449:神も仏も名無しさん
08/12/27 13:24:16 ECzLbh7+
>>447
>釈尊は釈尊の時代の「常識」で語った。

だから、時代の変化に応じて、解釈時の時代の「常識」で改変しなければ
ならないのです。

当時の常識で語った釈尊の言葉を、機械的に現代に当てはめることは、
むしろ、「教え」そのものの否定です。

輪廻転生が、その典型例。それは現代の常識ですか。

450:神も仏も名無しさん
08/12/27 13:31:59 hdi800gm
みなさんに素晴らしい言葉を差し上げましょう。
अतो भावाभावान्तद्वयरहितत्वात्
सर्वस्वभावानुत्पत्तिलक्षणा
शून्यता मध्यमा प्रतिपन्मध्यमो
मार्ग इत्युच्यतो
一刻も早く二辺から離脱し、ध्यममार्ग を
歩みましょう。


451:神も仏も名無しさん
08/12/27 13:59:06 aIxVQ4KW
輪廻転生はバラモン=ヒンドゥによって仏教に対し謀略的に埋め込まれた異質物です。

カッコウが他の鳥の巣に卵を産み、その鳥に育てさせ、その鳥も小鳥も追い出すのと同じことです。

実質的にヒンドゥ化(輪廻転生+梵我一如)している日本仏教は、仏教の名に値しません。

もはや、自灯明、法灯明のひとり仏教で歩むしかないとおもいます。

452:宝珠愚者
08/12/27 14:00:18 JfEKiA1z
>>330
>ヒンドゥ=バラモンに下半身が犯されたロマンチスト
>あとは大日如来などの別名ブラフマンを設定すれば

 それは何でもありの大乗の所産(末路)でしょう。金剛大乗はバラモン回帰だったのであり、シヴァ派の
シャクティー派よろしく、下半身を犯されたのは無上瑜伽タントラ派の左道密教化の流れでした。
 この日本にも立川流が出現しています。僧侶が比丘尼や女性信徒らと修行と称して交わる世界・・。


>>391
インドにおける宗教思想での口誦は驚異的なものであり、
我々のような日本人の一般常識ではとても推し量れない。

 「教授がすらすら暗唱するリグヴェーダの賛歌、これは紀元前1000年頃のテクストです。現代まで伝承
されていますから3000年の古さです。口承で正確に伝承されています。また多くの写本も残っています。」
URLリンク(www.k4.dion.ne.jp)

453:神も仏も名無しさん
08/12/27 14:01:21 bPN8EC0b
>>449
カッカせずに落着きなさい。
「言葉」の扱いについて貴方が不可思議なことを言い出したのでしょう。
「言葉」の解釈と時代的考察とをごちゃ混ぜにしているから、短絡的になる。
「言葉」の解釈を、お座成りにして全体の論旨が捉えることが出来ると考えるのは間違いだと気がつきなさい。
たとえば英語を学ぶときに貴方は文章の全体の意味から学びますか?
単語の意味を明確にするところから始めるでしょう。
そこが貴方に出来ていないから、仏教の話が極論になり自説意外について考察する幅が無くなる。
初歩に入るための準備をしなさい、といっているのです。
以上。

454:宝珠愚者
08/12/27 14:09:40 JfEKiA1z
>>339-340
 (1)でいう「古き信を去れ」とは、バラモン思想(リグ・ヴェーダ以来の特にウパニシャッド的梵我一如
論)についての誤った大衆認識を意図するものと解することができます。つまり、世間では「アートマン」
が誤解されているからに他ならない。

 あまりにも全然、分ってないようなので現代語で説明します。その誤解の様とは今日における日本の
一般大衆でも古代インドでも全く同様なのであって、つまり「魂」という概念についての理解は、今ある自
覚できる意識(表層意識)がそれであり、これが永久に生存し続けるか、または転生していくものと見なし
ているからなのです。
 語句としてはこれもアートマン(自己)なのですが、実体は表層意識/低我であって、肉体の消滅後には
一定期間の間を中有界に留まることがあります。盂蘭盆のモッガラーナと母親の話などであり、これがい
わゆる心霊存在です。これは次の世では別のパーソナリティーへと転生するので、転生毎に消滅する存
在でしかない。
 人々はこれが永遠に存続することを願っているのであり、これが永久不滅のアートマンと同一視されて
しまっているわけです。
 ゴータマはそのような客観的実体的、或いはそんな機能的なアートマン観に対して反対したのです。低
我は転生毎のパーソナリティーに過ぎず、またバラモン聖典の説くアートマン(高我/真我)とて、厳密には
これは転生が終了するまでの媒体であって、そういう意味においては永久不滅ではない。
 ゴータマはアートマン解説をしなかっただけであって、この私からのこの説明を読めば分る通り、これら
はただ誤解を生む元になりかねない事柄であるからとして危険なので避けたのです。
 私は愚者だからアレコレと解説するのです。

455:宝珠愚者
08/12/27 14:11:36 JfEKiA1z
 (2)でいう「われというものはない。またわがものというものもない。」とは、「(五蘊は)自己(真実の)では
ない」し、「五蘊は自己のものではない」から、自己ではないものを自己と同一視することなかれ!というこ
とを述べているのですよ。他経も読み進めればこれはより明確になります。全部、同じことしか述べてない。 
 恐らく、もともと「非我」であったものが、後の時代に他宗教との差別化を図るために弟子たちが「無我」
(アートマン否定)として説いていったのでしょう。そのほうがバラモンとの相違で明確化できるからです。結
果的には完全に誤解されてしまった・・。


>>402
>「わたしがいま証得したこの法は、はなはだ深くして観がたく悟りがたく、
>この馬鹿どもには「縁起の理は見がたく、この涅槃の理は悟りがたいであろう。
>もしわたしが法を説いたとしても、人々はわたしの言うことを了解せず、

死んだら終わり、などいう「断滅」がそんなに不思議で理解し難い深遠な見解だと??
「縁起の理は見がたく」というのは、縁起に拠る輪廻の現象をいうのです。
その驚異の体験に基づき把握した神秘なる大自然の摂理のことです。

 「彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すなわち、ひとつの生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、
十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期
(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。」
>>248-249 といった体験と能力によりこれを語っているのです。

>>439-ID:JMk7obluさんによる説明はとても素晴らしい!


456:神も仏も名無しさん
08/12/27 14:36:52 aIxVQ4KW
>>452>>454>>455
「われというものはない」
「われというものはない」
「われというものはない」
「われというものはない」
「われというものはない」

言語明瞭、意味明瞭
まともな日本語能力があるなら。
一切法無我とは、我(attan),我所(mana) , 我体(me atta)の否定(無)を意味する。
これは仏教的常識だ。
無常=無我=縁起=空=中道
*このメタコード的立場からは断滅論などと誤解されようがない。

宝珠愚者はいつもながらの自己中ご都合主義的曲解に必死だな
似非仏教にとどまらず、遠慮はいらん、ヒンドゥに逝けよ。
誰も止めたりはせんぞw


457:神も仏も名無しさん
08/12/27 14:48:50 aIxVQ4KW
>>455


458:神も仏も名無しさん
08/12/27 14:49:36 aIxVQ4KW
>>455
だいたい「非我」などという甘っちょろい言い換え、すり替えはバラモン=ヒンドゥそのものであって、
ブッダ成道の深さと鋭さを無視し、事実上揶揄するものだ。
ブッダ立宗の意義根本的毀損を目論んだ外道の見解だといわざるを得ない。


459:神も仏も名無しさん
08/12/27 15:08:51 aIxVQ4KW
>>455
相応部経典二二,八九は文言どおり
「すでにわれなしと知らば」←我(attan)そのものの否定
「何によってかわがものがあろうか」←我所(mana)の否定を意味する。

「すでに“われなし”と知らば」を非我などと読みようがない。
もし、そう読めば相応部経典二二,八九は意味を成さなくなる。
一切外の我(attan)の我所(mana)を認めることになり、ナンセンス極まる戯論だからだ。
完全な無明執着であり外道というほかない。


460:初代スレの5
08/12/27 15:32:36 MkASH/en
>>454 >これが永久不滅のアートマンと同一視されて
しまっているわけです。

この「永遠不滅のアートマン」 なるものが、いったい、どのようなもので
あるのかについての説明が全くありませんね。

461:神も仏も名無しさん
08/12/27 15:44:12 HdrfxgPf


■ キリスト教は、宗教戦争・紛争で沢山の残忍な殺戮を繰り返しているのに
勢力拡大して、世界最大宗教にまで発展してるではないですか? ■


     人
    (_)
   (__)    
   (・∀・ ∩ ))   ☆★ 勿論、<カルマや輪廻>なんてあるわけないでしょw ★☆
 ((  (⊃ 丿        「天国で生まれ変わる」という「輪廻」を「信じ込まされて」、自他の
     (__)し'            生命を奪い続けているのが、自爆テロリストなのだ。■



■ 「教会は最大の犯罪組織」 URLリンク(www.hpo.net)
■ 「魔女狩りの時代」 URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
■ 「十字軍の実体」 URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
■ キリスト教 URLリンク(www6.plala.or.jp)
■ 聖バルテルミーの大虐殺 URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)




462:神も仏も名無しさん
08/12/27 15:58:24 aIxVQ4KW
中村元博士の撒き散らす害毒の影響は大きい。

一切法無我を非我と言い換えることもそうだが、
仏教には教義がないというが、縁起の法はどうなのだ。
ウダーナ(自説経)冒頭の「縁起の法を知るがゆえであった」はウソか?

スッタニパータを「ブッダのことば」として出版することも矛盾する。
金口の説法は確定できないといいながら、
一般にそうと受け止められてもいいのか?
教義はあるではないか。

エライさんのやることは、ワケワカメw
ボケてても誰も文句をいわんのか?

463:神も仏も名無しさん
08/12/27 16:00:30 muCqcEPQ
>>419 「多少、神通ある人は結構いるけど。」
なんだこりゃ? 多少は経典読んるでみたいだが根っこは宝珠愚者と同じオカルトマニアかい。
がっかりだね。

464:神も仏も名無しさん
08/12/27 16:16:28 Ic+xOWPU
凡夫の妄想は、百花繚乱だな。
全ては現在の己の実相が物語る人間妙なる物語。

さあ、続けたまえ。




465:神も仏も名無しさん
08/12/27 16:20:18 VYDtdyFW
>>456-464

どの様に言い方を変えようとも、断滅は断滅。

外道の所作。

466:神も仏も名無しさん
08/12/27 16:32:08 aIxVQ4KW
だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw
バラモン=ヒンドゥからすればブッダは「外道」だろう。
だから矮小化されて片隅に追いやられている。

467:神も仏も名無しさん
08/12/27 16:40:34 RtnKoVps
>>466
>だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw

まさに松本史郎のミニチュアだな。
古今東西の仏教経典読んで見ろよ、ブッダは反仏教・反中道・反縁起・反空思想だとか言い出すぞ。

468:170
08/12/27 16:57:28 F7BTcLNZ
467さんへ
>まさに松本史郎のミニチュアだな。
>古今東西の仏教経典読んで見ろよ、ブッダは反仏教・反中道・反縁起・反空思想だとか言い出すぞ。
いや、ホントに言い出しかねないですよね。彼らの考えは理解しがたい。
「仏教は邪教!釈迦は輪廻を説いたカルト教祖!!」というのであれば、まだわかるのですが。

469:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 17:11:39 pP6ub8/r
>>466
>だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw

そういう誤解があるようですので、拙者は少々書込みします。

中道というのは生死を越えたのが中道でありますから、
断ずることもないし、ましてや滅することもない。
(不生不滅)であり(生死一如)。

まあ、つまり、法においては人間が死ぬことにはそんなに意義はない。
考えてみればそうかもしれんね。
あらゆるものが流転を繰り返してるわけで、
一個の人の命などは、まことに儚い(はかない)もんです。

儚さゆえの一切皆苦。
故に、摩訶不思議たる人の命の営みを、
感謝、感謝で生きれば、それが一番理に適ってる。
(即今即所)
これを禅では「日々是好日」とか言うんですね。


470:神も仏も名無しさん
08/12/27 17:28:24 JMk7oblu
>>463
>なんだこりゃ? 多少は経典読んるでみたいだが根っこは宝珠愚者と同じオカルトマニアかい。
>がっかりだね。

ごめんね。オカルトマニアだとは思ってませんけど。
オカルトの意味が反常識という意味なら宝珠愚者さんより上ですよ。
なにしろ、大乗経典もテルマも仏説だと思ってるし、神通も当然ありですから。
ですが、常識ももちろん尊重しますよ。因果ですからw

471:神も仏も名無しさん
08/12/27 17:34:53 pymbHZcK
>>469
今更、口当たりの良いことを言っても「断滅は断滅」
アンタが散々言ってきたことじゃないか。
死ぬときは、思いや観念ごと消えてなくなると。
中道とか生死を超えるといっているが、結局は「断滅」

472:神も仏も名無しさん
08/12/27 17:43:07 pymbHZcK
>>470
奇跡的出来事を受け入れても、倫理と論理を失わない人格こそ得難い奇蹟である。


473:神も仏も名無しさん
08/12/27 17:47:53 JMk7oblu
>>466
>だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw

無我・空・縁起と輪廻は矛盾しませんよ。

>>468
>「仏教は邪教!釈迦は輪廻を説いたカルト教祖!!」というのであれば、まだわかるのですが。

そうです。論理的にはその通り。
松本さんは、道元禅師の本覚批判らしき伝承を本覚批判と読んで研究を始めたんでしょう。
それでチベット仏教で如来蔵批判を発見して喜んだ。
道元禅師の本覚批判と同じに見えたからです。
それらを適当に読み替えて自分の常識にあった仏教を妄想した。
それを基準にして全て批判して仏教・非仏教の裁断を行ったので、
同じような常識的に仏教を解釈したい人に受けた。

でも、最近は破綻してボロボロで、自分の説は信仰だと言ったそうです。
たしかに常識信仰なんですがw

474:神も仏も名無しさん
08/12/27 17:49:01 muCqcEPQ
>>470 するとなにかい?お前さんもお釈迦様は
空を飛び回ってたって言うくちかい?

475:宝珠愚者
08/12/27 17:51:21 JfEKiA1z
>>456>>466
>*このメタコード的立場からは断滅論などと誤解されようがない。
>だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw

断滅論などとは誤解であるといいながら、
今度はついに断滅でも大いに結構だと開き直りましたか?。
この経文は、ゴータマは言葉巧みに断滅を説く人々(外道)のことを
明確に指摘されていたことが瞭然ですね。

 「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにか
れらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地があ
る)と、巧みに語っている。」(スッタニパータ876)

476:宝珠愚者
08/12/27 17:52:27 JfEKiA1z
>>456>>459>>462
 『「われというものはない」「すでにわれなしと知らば」---その語句の部分だけを抽出して誤解すること
なく、他の経及び全体の文脈から語句の意味を理解する必要があります。そうすれば、「われというもの
はない」とは、「五蘊のいずれも我ではない」、という意味でしか述べていないものとして理解されるのです。

 「(何ものについてでも)《これがわがものである》といわない人々、及びそれらのうちのいずれもわれ
(aham)であると語らない人々」(サンユッタ・ニカーヤⅠ,p.116)---これが初期仏教の理想であった。
 初期の仏教においては、このように「これ」として具体的に、或いは対照的客観的に、示して見せること
のできるいかなるものも、アートマン(自己)ではない。それはアートマンとは異なった他のものである。ま
たそれはアートマンに属するものでもない、と説いているのである。「修行完成者は自ら自己を見ることが
ない。」(スッタニパータ477) アートマンを客体的なものとして認めることができない、というのである。』
(「原始仏教-その思想と生活」中村 元著/NHKブックス)


 「見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、<名称と形態>(個体)に執著している。「これ
こそ真実である」と考えている。或ものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものは異なったものと
なる。何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。」
(スッタニパータ756-757)

 『人々は「わがものである」と執著した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないか
らである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまってはならない。人が「これはわ
がものである」と考える物、─それは(その人の)死によって失われる。われに従う人は、賢明にこの理
を知って、わがものという観念に屈してはならない。』(スッタニパータ805-806)

477:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 17:53:50 nepCc8Yp
>>471
貴殿は、本当は「死ぬのが怖い」ということですね。
ですから死後の世界がないと安心して眠れない。
こういうことなんですね。

そいうことで、不安・恐怖観念がある方は大勢います。
もしも「死後の世界観念」で安心できるなら、
それが一番イイのですが、
絶対的な確信が持てないから、
また、不安・恐怖観念が表出してしまう。
この無限ループに陥りまふ。

結果的には精神的に不安定になり、
これが宗教ドグマですね。
(白隠は、これにやられてしまったわけですが)


478:1/4 初代スレ7
08/12/27 18:24:07 /0y3IKKW
>>437
>            輪廻という前提があるからこそ自殺は苦しかもたらさない。
> と考えるのが仏教でしょう。律で自殺を禁じているのは、その意味。
はい。自殺しても、輪廻し、次の生での苦が待っている。(仏典上は)貴方の仰る通りでしょう。
では、苦の滅の後はどうなのか?
貴方が
> しかし、ヴァッカリやゴーティカというアルハットの自殺を釈尊は讃えています。
> これは自殺しても輪廻しないアルハットの境地に達していたからに他ならないでしょう。
と言うように、釈尊はそのように考えて、自殺を許されたのでしょう。
ここで大切なのは、「苦の滅」や「涅槃」は、世俗の煩わしさを消去し切ったわけではないということです。
(ここが、以前の“存在・実在云々”という話とリンクしてきますw)
“独我論的に”という言い方がまずければ、『【当人の主観に於いて】苦は滅せられている』ということです。
しかしそれは、「当人にとって苦ではない」ということでしかありません。
出家受戒を各自で行ってよいとされたこと、托鉢で十分な食を得られないこともあったこと、
晩年の釈尊が疲労を口にすること、チュンダの供養で食中毒となること、
サンガの監督に於いて煩わしさがあると述べていること、
何よりも、ブッダ自身が老衰し死を迎えたということ、挙げていけばキリがありません。
上記二人の姿勢は、“こうした世俗の煩わしさとも離れよう”というものと見ることができます。
そして、林住比丘の在り様が称賛される価値観なれば、
阿羅漢の自殺自体を咎める理由は釈尊にはなかったでしょう。
しかしそれは、『“自殺の”称賛』『自殺の推奨』では断じてない。
限られた、或る条件を満たした上で認められる特例であると見るべきではないか。
ましてや、道の途上にある者にとって、その選択肢は許されるものではないだろう。

「固執しない、とらわれない」ということは、
決して「粗末にしていい」「蔑にしていい」「無視していい」ということではない。
自己の命も又、(天寿という言い方はむず痒いがw)続く限りは大切にされるべきだろう。
この意味で、 >真っ先に却下されるべき だと私は考えるのです。
こうした視点に於いては輪廻は不要だと言っているのです。

479:2/4 初代スレ7
08/12/27 18:25:27 /0y3IKKW
>>437
> それは輪廻を前提にした話です。
> そして、必ずしも今生に限定してません。
今生に於いて苦の滅はあるんですか?ないんですか?

もし、今生に於いて苦の滅があるなら、
前世来世を考えることなく、今目の前にある苦を問題にすることができる。
輪廻があろうとなかろうと、苦の滅という涅槃に違いはない。
「輪廻があったとしても、彼は輪廻しない。彼は涅槃に安住する」
「輪廻が無かったとしても、今生(現世)に於いて、彼は涅槃に安住する」
私は、この意味で、「輪廻を排除しても仏教の教義は成立しうる」と言っているのです。
(勿論ここには、“現存する仏典の記述との整合性”という問題が立ちはだかるわけですが・・。)

> つまり、仏教で苦の滅は、戒定慧の三学によって無明を断つ以外、輪廻するしかないということですが。
「涅槃に至らない限り、輪廻するしかない」というのは、仏典を普通に読むなら当然のことです。
が、『涅槃に至った後では、輪廻のあるなしは問題とならない』のです。
(このスタンス(或いは構図)を積極的にとっているのが禅だと言うこともできます。)
だとするならば、21世紀の今、
《「今生(現世)に於いて涅槃は見られる」》という点(説き方)こそが強調されるべきではないのか。
《その方向性》こそが、現代社会における“救い”足り得るのではないか。

2500年前のインドとは違う。
21世紀の今を生きる人々にとって、より解り易く、より頷き易い方向性が《それ》ではないか。
我々は、いつもいつもいつもいつも、「今、釈尊ならば何と言われるか」を自問し続けねばならないのではないか。

480:3/4 初代スレ7
08/12/27 18:26:38 /0y3IKKW
余談。
>>437 > なぜでしょうか? について、少し蛇足を加えておく。
前に「一枚の紙の裏表」を喩えに引いた。ここでもう一度使用してみよう。
今度は、『表』を『今ある命』として、『裏』を『無地』としよう。
さて、
A:『裏』の『無地』を『涅槃』と見た時(→涅槃故に無地と見た時)、
  『無地』だからと言って紙を破り捨ててよいのか?
  上の二人の阿羅漢の事例はこれに当たる。釈尊は咎めなかった。
  (異論はあるが、まあ、とりあえず良しとしておこうw)
B:『裏』の『無地』を『輪廻が無いことによる無地』(→一回きりの『表』であるという意味での無地と見た時)、
  『表』を破り捨ててよいのか? 《“苦”の脱出(“滅”)》を《『表』の消去》で代用していいのか?
  それが仏教と言えるのか?

お釈迦さんは、『裏』が『無地』であることを高らかに宣言した。
だが、《『表』がない》などとは言っていない筈だ。《『表』を無視せよ》などとは言っていない筈だ。
《『表』の大切さ》をもまた説いていたのではないか。

「今ある命」を粗末にして、何が仏性か。何が悟りか。何が涅槃か。
そんな仏教なら、こっちから願い下げだ。

481:4/4 初代スレ7
08/12/27 18:29:15 /0y3IKKW
更に余談。
私は、このように「命の大切さ」を考える時、綾瀬コンクリート事件が脳裏をよぎる。
被害者の彼女は「死なせて(殺して)」と訴えたらしい。
彼女の受けた「恐れ」「苦しみ」「絶望」は如何ばかりだったろう・・・。
(加害者達が命の大切さを見ていなかったことは論外として)、
“彼女の「死にたい」「死んで終わらせたい」という想い”を誰が責めることができよう・・。

巷には「生きてさえいれば・・・」という言葉がある。
素晴らしい言葉だと思う。その通りだと思う。
無常なる世に於ける好転可能性を示す、素晴らしい言葉だと思う。
しかし、しかしだ・・・・・・。
仏教的価値観を持っていれば、彼女の苦は軽減したかもしれない。
彼女が悟っていれば、「そこに“苦”はなかった」だろう。
しかし、しかしだ・・・・・・。

特殊なケース過ぎて、個別に語るしかない事例ではあると思う。
だが、「生きよ」という言葉がもつ残酷性も、仏教者は把握しておくべきかと思う・・。
“残酷な言葉を敢えて吐く”、この覚悟を持たねばなるまい・・・。


延命治療や尊厳死、安楽死、脳死、臓器移植、中絶、等等、
仏教が答えねばならない宿題は山のようにある。
もしかしたら、それらは「仏教が」答えるものでなく
「個人が」「一人一人が」答えるべきことなのかもしれない・・・。


“ vaya dhamma^ saNkha^ra^ , appama^dena sampa^detha ”

私は、「輪廻に振り回される暇があるのか?」と問いたくなるのだ・・・。

482:神も仏も名無しさん
08/12/27 18:32:15 aIxVQ4KW
>>475
>断滅論などとは誤解であるといいながら、
>今度はついに断滅でも大いに結構だと開き直りましたか?。

曲解は宝珠愚者の得意技だが、誰が大いに結構だと言ってるのかね?
真逆だろw
中道をマトモに理解し得ない>>465のような実質バラモン=ヒンドゥ教からすれば
ブッダは「外道」だろうと言っているのだよ。
ユーモアのひとつも通用せんらしい。

とにかくブッダ成道の革命的意義は縁起の法の悟りを中核として、
ウパニシャッド的業報輪廻転生&梵我一如の両論への信仰の全面否定 にある。
カースト制度に支えられたアーリア=バラモン支配階級にとって自らの支配への
反抗勢力であり、謀略の対象となるのは当然だ。

いまだに業報輪廻転生を信じ、梵我一如的傾向の連中は、謀略にやられている末裔だということだ。



483:宝珠愚者
08/12/27 18:46:19 JfEKiA1z
>>482
>いまだに業報輪廻転生を信じ、梵我一如的傾向の連中は、謀略にやられている末裔だということだ。

 「賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報
いとを熟知している。世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者
は業(行為)に束縛されている。---進み行く車が轄(くさび)に結ばれているように。」
(スッタニパータ805-806)
 「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(スッタニパータ666)
 「罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生の
あるうちになすべきことをなして、忽(ゆるが)せにしてはならない。」(スッタニパータ676)

484:神も仏も名無しさん
08/12/27 18:51:53 F9ADIMQP


./)/)
(・ー・)ノ   ■ 知りえないことについて知っているかのように語られる
゚L-J         あらゆることは物語である(池田晶子)。




485:神も仏も名無しさん
08/12/27 18:53:28 fcbCI6lW
>初代スレ7氏
迷いの只中に「修」衆生とともにある苦しみの中に「証」を明らめるのが貴殿の宗旨ではないのか?
迷苦がそのまま答えならば、貴殿が歩むべき道はそんなに広くないはず。
既に、迷うこと恐るるにたらず。悟ること求むるにたらず。

486:初代スレ7
08/12/27 19:00:42 /0y3IKKW
>>485

辱い。 m(_ _)m

487:神も仏も名無しさん
08/12/27 19:06:04 9Gp1MmZ7
>>486
誠に仏を求める熱い思いに不覚にも2chで感動してしまった。
こちらこそ、かたじけない。(-人-)

488:宝珠愚者
08/12/27 19:09:09 JfEKiA1z
>>481
>延命治療や尊厳死、安楽死、脳死、臓器移植、中絶、等等、
>仏教が答えねばならない宿題は山のようにある。
>もしかしたら、それらは「仏教が」答えるものでなく
>「個人が」「一人一人が」答えるべきことなのかもしれない・・・。
>私は、「輪廻に振り回される暇があるのか?」と問いたくなるのだ・・・。

 これらは大切な問題であり、真剣に考えなければならない命題だと思っています。ただし仏教者は、
仏教の教え(輪廻)に基いて理解し、難題について向き合って回答すべきです。

 すでに直る見込みの全く無い難病の末期患者であったり、すでに植物人間状態に在る者というのは、
単純見解としては、早く次の転生に入るほうが有利であると見なすことができます。
 しかしながら、本当にその個人が直らないのか否か?といったことについては、それを我々は、仏陀
のようにとても見通すことができないといったジレンマがあります。
 尊厳死に対する心ももちろん理解できます。しかし、奇跡は常に絶望の中で起こるのであり、現在の
常識の多くは太古の時代にとっては不可能な奇跡でした。従って、基本的な推奨されるべき態度とは、
あくまでも生存の存続(回復)と及び苦痛からの解放とにあるでしょう。あくまでも相手を思う慈悲心が根
底には必要です。

>綾瀬コンクリート事件が脳裏をよぎる。被害者の彼女は「死なせて(殺して)」と訴えたらしい。


 はい、私も読んだことがあります。自殺もそう。基本的には推奨はされないが、場合によってはそれを
望む者にはその選択地を持たせることも在りです。

 延命治療や尊厳死、安楽死、脳死、臓器移植、中絶・・これら全てに対する私の態度はすでに決まって
いますが、敢えてここでは述べないことにします。(それは別スレや自分のウェブで主張します)

 正直に語ることができない参加者ばかり多いのが実に残念なことです。

489:170
08/12/27 19:21:08 F7BTcLNZ
473さんへ
>松本さんは、道元禅師の本覚批判らしき伝承を本覚批判と読んで研究を始めたんでしょう。
>それでチベット仏教で如来蔵批判を発見して喜んだ。
>道元禅師の本覚批判と同じに見えたからです。
>それらを適当に読み替えて自分の常識にあった仏教を妄想した。
チベット仏教こそ、松本史朗さんに都合の悪いものてんこ盛りだったはずなのですが…
山口瑞鳳さん同様、自説に都合の悪いところは目の前にあっても見えない(あるいは故意に無視して読者に伝えない)のでしょうね。

490:神も仏も名無しさん
08/12/27 20:23:03 muCqcEPQ
>>470 経典自慢のオカルト反常識者のレスまだあ?

491:神も仏も名無しさん
08/12/27 22:43:37 F9ADIMQP


*****************************************************************************************☆


  _
  /~ヽ プルルン♪      ■ 語りえないことについては人は沈黙せねばならない(ウィトゲンシュタイン)
(((。・-・))) プルルン♪       ■ ブッダの教え(仏教)は、「いま ここ・おのれ・のみ」。★☆
  ゚し-J゚    プルルン ルン♪


*****************************************************************************************☆





492:宝珠愚者
08/12/27 23:11:39 JfEKiA1z
私はハッキリという。
仏教(ゴータマの教え)は非真理であり、現実社会の人間の苦悩とは別問題である。
仏教をただの物語に過ぎないとする人は、
別に仏教に信を置く必要などは全くないので、どうぞご自由にして下さい、と。

いや、輪廻転生の教えだけが間違いなんだ。
これはゴータマが説いたものではなく、後代の経典制作での仮定で意図的に挿入されてしまったのだ。
と主張する者については、その根拠と証拠を提示して、
史実のゴータマの教えと姿が浮かび上がるよう努めるべきです。

493:神も仏も名無しさん
08/12/27 23:14:09 aIxVQ4KW
>>488
>すでに植物人間状態に在る者というのは、
>単純見解としては、早く次の転生に入るほうが有利であると見なすことができます

宝珠愚者を名乗る奴が根源的に愚かで馬鹿だということを示してあまりある言葉だ。
道元の「自受用三昧」ということばを噛み締めるがいい!!
悟りの何たるかがまったく判ってはいない。
こいつの判断の根源にあるのは常識的かつ世俗的な損得勝負有利不利だけだ。
言葉でどう取り繕うと、すべては等価=無価である空たることがまったく掴めていない。
下半身がヒンドゥにやられた愚かな者は当然だとはいえ、あまりの言葉に脱力する。

外道!!! 失せろ!!!


494:神も仏も名無しさん
08/12/27 23:20:19 aIxVQ4KW
>>492
外道!
遁走準備か?w

495:神も仏も名無しさん
08/12/27 23:50:33 aIxVQ4KW
諸仏如来、ともに妙法を単伝(たんでん)して、阿耨菩提(あのくぼだい)を証するに、最上無為(むい)の妙術あり。
これただ、ほとけ仏(ほとけ)にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。
この三昧に遊戯(ゆけ)するに、端坐(たんざ)参禅を正門(しょうもん)とせり

この言葉の根源を宝珠愚者が掴めるのは一生かかっても無理だろう。
勝手に輪廻転生で踊りをおどっていてくんなましw

               寝るぞ

496:初代スレ7
08/12/28 00:44:30 XZ97f21W
(長文書く気力もないので一言だけ)。
>>488 > 仏教の教え(輪廻)に基いて
>>492 > いや、輪廻転生の教えだけが

「輪廻」を仏教の中心に据えている点に於いて、貴方と私は決して相容れない。
深い関連はあっても、仏教の中心は輪廻ではない。「縁起」だ。「四諦八正道」だ。
輪廻があろうとなかろうと、「縁起」も「四諦」も揺るぎはしない。
「解脱」や「四双八輩」が輪廻前提の言葉であったとしても、私は「輪廻」という言葉を捨てることに躊躇はない。
それが、誤解や暴走を助長するようなら(言葉・解説によるフォローが困難なら)、容赦なく切って捨てる。
「四波羅夷以外を廃してもよい」と言った釈尊の姿勢(意図)に倣うならば、私は輪廻を廃す。
世界にどれだけの聖者がいるかは知らないが、
「輪廻を知ること・見ること」が、いったいどれほど涅槃に資すると言うのか?
《輪廻を恐れること無しに》「信」も「行」も「涅槃」もないとしたら、そんな仏教は要らない。
《現世における苦の滅》こそが、仏教の真髄であるべきではないか?
ここに気付いた時、もはや輪廻は不要だ。
「四門出遊」の逸話、(これが、そっくりそのまま史実だとは私も思わないが)、
その意味する所、重要性は、重く深く受け止められるべきと思う。
「きっかけとしての“輪廻への怖れ”」はあってもいい。
が、シッダッタの出家の動機は、
『今まさに目の前にある“苦”、今後続いて襲いかかってくるであろう“苦”の滅であった』ということ、
『わがまま、自己保身、自我欲望の理由・根源の探索にあった』ということは忘れられてはならない。

(パーリ)大般涅槃経に於いて、最後の弟子スバッダの逸話が述べられている。
彼は、六師外道の一人一人について「彼らは悟っているのでしょうか」と問うた。
釈尊は言う、「それは捨て置きなさい」と。 そして、「八正道のあるところに阿羅漢はいるであろう」と。
種々の記述はあるにせよ、私は、パーリ仏典ほど“現実に立脚した”経典は無いと思っている。

片山さんの本が届いた。明日はゆっくり浸ってみたいと思う・・・。

おやすみなさい ノシ

497:初代スレの5
08/12/28 00:59:33 fIvrDls+
>>496  そのとおり。 まさに正論ですね。

498:宝珠愚者
08/12/28 01:21:29 odrxEpIf
>>493
「すでに植物人間状態に在る者というのは、
単純見解としては、早く次の転生に入るほうが有利であると見なすことができます。」
>宝珠愚者を名乗る奴が根源的に愚かで馬鹿だということを示してあまりある言葉だ。

 冗談じゃない!これは絶望的な状況に置かれている特殊ケースについて述べてるのですよ。必要以上
の苦悩からの解放を慈悲的に考えた場合の止む無き見解です。肉体生命が絶対視されるわけではない。
次の生涯にかけて前向きに来世に向かうということ。
 ただし、助からないのかどうか?は、我々のレベルでは容易に判断が着かないから、病気と症状からの
回復を願い最大限の努力に当たることが基本となると述べたのです。通常は周囲の行為の如何に関わら
ず、最終的には本人の寿命が尽きれば、多くの場合にはそれでちゃんと死を迎えるものです。


>>437
>輪廻という前提があるからこそ自殺は苦しかもたらさない。
>と考えるのが仏教でしょう。律で自殺を禁じているのは、その意味。
>しかし、ヴァッカリやゴーティカというアルハットの自殺を釈尊は讃えています。
>これは自殺しても輪廻しないアルハットの境地に達していたからに他ならないでしょう。

 このような見解は正しいものです。理解できないのならお話になりません。ゴータマはその気であれば、
肉体生命の延命や不死さえも可能であったということを付け加えておきます。仏陀をただの俗人レベルに
見下さないよう注意すべきです。


仏教は自殺を本当に禁じているのか?
URLリンク(www.geocities.co.jp)

499:宝珠愚者
08/12/28 01:23:15 odrxEpIf
>>496
>釈尊は言う、「それは捨て置きなさい」と。そして、「八正道のあるところに阿羅漢はいるであろう」と。

 私はあなたのこの見解と姿勢については、それはそれで尊重したいと思います。仏教は「道」であり、
実際の歩みに応じてその結果が得られます。その意味では輪廻について知ろうが知るまいが、正しい
実践には同じ結果がついてくるでしょう。それがゴータマの無記(形而上学的問題については沈黙する)
という姿勢の主旨だったのでしょう。


 またどうせなら、八正道というよりは「三十七菩提文法」というべきなのでは。。。
 原始経典を小乗扱いしてきた人たちはこれを修行してない。つまり、「これを修行せずしていくらこの
私(ゴータマ)に成仏を願おうとも、それは絶対にできない。何故ならこれを修しないからである」と。

 「比丘たちよ、だが、もし、比丘にして修習するに精進することがなかったならば、<わが心取著する
ところなくして、もろもろの煩悩より解脱してあれ>と望むといえども、その心は、取著するところなく、も
ろもろの煩悩より解脱してあることはできないであろう。
 それは何故であろうか。それは修習しないからであるといわねばならない。では、なにを修習しないの
であるか。四つの熱心なる観想(四念処)を修習せず、四つの正しき精進(四正勤)を修習せず、四つの
意志力の修練(四如意足)を修習せず、五つの能力の修練(五根)を修習せず、五つの能力の実現(五
力)を修習せず、七つの観察(七覚支)を修習せず、また、八つの正しい実践(八正道)を修習しないか
らである。」 (雑阿含経10.8応説/相応部経典22.101手斧の柄)

500:宝珠愚者
08/12/28 01:24:37 odrxEpIf
 「アーナンダよ。いかなる人であろうとも、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、(軛を結
びつけられた)車のように修し、家の礎のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、みごとに
なしとげた人は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長い
あいだでも留まることができるであろう。」 (マハー・パリニッバーナ・スッタンタ/命を捨てる決意)
 「その『法』とは何であるか? それはすなわち、四つの念ずることがら(四念処)と四つの努力(四正勤)
と四つの不思議な霊力(四神足)と五つの勢力(五根)と五つの力(五力)と七つのさとりのことがら(七覚
支)と八種よりなるすぐれた道(八正道)とである。修行僧達よ。これらの法を、わたしは知って説いたが、
お前たちは、それを良くたもって、実践し、実修し、盛んにしなさい。それは清浄な行いが長くつづき、久
しく存続するように、ということをめざすのであって、そのことは、多くの人々の利益のために、多くの人々
の幸福のために、世間の人々を憐れむために、神々と人々との利益・幸福になるためである。」
(同/死別の運命)

三十七道品(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
URLリンク(ja.wikipedia.org)

501:神も仏も名無しさん
08/12/28 07:09:03 R0Q8vBK0
>>494>>495
流れからみて貴方の解釈の立場は興道あたりが基礎ですね。
師の良いところは真似しないで、悪いところだけ立派に継承されましたね。
耕山から「とうとう最後まで悟らんかったな」「書物を捨てることが叶わんかった」
と言われてましたね。

>>496
この身、今生に度せずんば、更に何れの生に於いてか、この身を度せん。
上の如き気概は仏法者における誓願の最も大切なものだと思いますし、貴方の仰る事は心情としてよく解ります。
然しながら、此処は「仏陀は転生を説いた!?」スレなわけで、論戦の中心は「輪廻」なのは当たり前かと存じます。
貴方以外の否定者がしばしば用いる論法に、肯定者が「輪廻」を求める為に仏法を学んでいるかのごとき本末転倒のすり替えを見ます。
まさに戯論です。


502:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/28 08:43:15 rMJ81715
>>498
>「すでに植物人間状態に在る者というのは、
>単純見解としては、早く次の転生に入るほうが有利であると見なすことができます。」

「植物人間状態に在る者」を、他人(親族も含む)が干渉してくるのが怖いですね。
「早く次ぎの転生に入ったほうが有利」ということで、
殺害でもしかねない。

殺害しても善行であって、カルマ落としとして他者が利用される。
そこは全く罪悪感というものはなく、ただただハッピー・ハッピーで終わる。

人(他者)の死生観というのは、それは人生の集大成である。
何人もそれを犯してはならんですね。

なかには、あえて地獄逝きを願う御仁もいる訳ですから、
それを阻止してはならぬ。

自己満足のために、他人を利用するのは最大の罪悪ですよw



503:170
08/12/28 08:48:30 Un1RLmZm
宝珠愚者さんのオカルトかぶれはどうでもいいじゃん。
彼の考えが外道かどうかもどうでもいい。
ここは「仏陀は転生を説いた!?」かどうかを議論するスレでしょ。

宝珠愚者さんの492さんの書き込み
>いや、輪廻転生の教えだけが間違いなんだ。
>これはゴータマが説いたものではなく、後代の経典制作での仮定で意図的に挿入されてしまったのだ。
>と主張する者については、その根拠と証拠を提示して、
>史実のゴータマの教えと姿が浮かび上がるよう努めるべきです。
これに対して、納得のいく論拠を示す人を見たことがない。

491さんへ
>■ ブッダの教え(仏教)は、「いま ここ・おのれ・のみ」。★☆
「仏教がこうあって欲しい」という希望でしかないよね。
実際の仏教(部派・大乗・金剛乗)をしっかり見なよ。
既成仏教教団は全て腐敗していると考えたとしても、経典を素直に読むとそんなこと言えないから。


504:神も仏も名無しさん
08/12/28 09:06:49 XxotQKEP
>>503
全く同意!!

505:神も仏も名無しさん
08/12/28 09:08:28 VWszxPiV
>>478-481
方便としてならあなたの見解もありかと思います。
ですが、釈尊を始めとする諸聖者が一番始めに輪廻と因果、その苦について説いた意味をよく考えれば、あなたの見解は邪見としかいいようがありません。

これ以上、話し合っても平行線だと思いますので、私はこれで失礼いたします。
みなさんの心に安らぎがあることを祈っております。

506:神も仏も名無しさん
08/12/28 09:23:02 VWszxPiV
>>489
ですね。山口瑞鳳さんの止まらない妄想、暴走はもはやギャクの域に達してますね。>>495

>495
その引用が最終見解なら道元禅師はサマタのみで悟ってないことになりますが?


>>496
私はパーリ仏教は見解が低いと見てます。その一つの根拠は、『勝義空性経』の伝承がないこと。
『清浄道論』に似た伝承が引用されますが、それだけです。
この伝承が北伝系部派や大乗で重視されるのは、それが縁起・空の重要な見解を示しているからだと思ってます。
たぶん、あなたがパーリに共感するのは曹洞宗だからでしょうw

>>498
そのリンク先は誤解してますね。聖者の自殺と凡夫の自殺を区別してない。
それを区別しない根拠は、輪廻を前提にしてないからです。
このように輪廻を前提にしなければ仏教体系はボロボロですよ。>>501

>501
そうそう、輪廻肯定派と言われると輪廻を望むもののようにとられかねませんが、
仏教で輪廻を厭わないものはいませんよね。



507:神も仏も名無しさん
08/12/28 09:29:32 VWszxPiV
>>503
>宝珠愚者さんの492さんの書き込み
>>いや、輪廻転生の教えだけが間違いなんだ。
>>これはゴータマが説いたものではなく、後代の経典制作での仮定で意図的に挿入されてしまったのだ。
>>と主張する者については、その根拠と証拠を提示して、
>>史実のゴータマの教えと姿が浮かび上がるよう努めるべきです。
>これに対して、納得のいく論拠を示す人を見たことがない。

一応、これを主張してるのが並川さんですね。
その論旨は無茶としかいいようがありません。
理由は以下のように


508:神も仏も名無しさん
08/12/28 09:31:41 VWszxPiV
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
>和辻哲郎は、文献学・原典批判という手法を用いて輪廻を仏教から排除しようとしました。
>それは彼が馴染んだ常識的世界観を擁護したかったからで、仏教の真実を描きだしたかったからとは思えません。
>この和辻の手法に荒巻典俊説を加えたのが並川『ゴータマ・ブッダ考』ですが、まったく受け入れられません。
>なぜなら、経典を最古層と古層に分け、最古層より古層が輪廻に対して積極的だということから、
>釈尊が最古層より輪廻に対して消極的で「あくまで現世に力点を置くという態度を強く示していた
>のではないかと推定できる」としています。ですが、その根拠である最古層が輪廻に対して否定的表現をとる
>から消極的というのは、他生や再生が望まれないことを指しているからです。
>他生や再生、つまり輪廻を厭う、否定的であるというのは通仏教的であり、
>特殊な表現でないことはお二人には自明のことでしょう。
>それに対して古層が輪廻に対して積極的というのは、輪廻の中で良い生まれを望むことを指してます。
>これまた通仏教的で、生天と言われ解脱に向かわない人への方便的教え、本来否定されますが、
>悪趣に行くよりはマシといった内容であることも、お二人には自明のことでしょう。
>つまり「資料に対して一貫した姿勢で臨み、それに基づく研究が徹底され」ているのではなく、
>釈尊は「現世に力点を置く」としたいために意図的に最古層が輪廻に対して消極的だと解釈しているのです。
>この現世というのは、彼が馴染んでいる常識的世界観であることは明らかでしょう。
>このような研究はまったく支持できません。
>凡人が馴染んでいる常識的世界観、つまり普通の認識が無明に覆われて倒錯した見方をしていて、
>それを行によって打ち壊さなければならないのに、かえって凡夫の常識的世界観を
>擁護する仏教学者が多いのには、困りものです。輪廻解釈はその試金石になると思いませんか?
>(ちなみにこの常識的世界観から逸脱した思想がカルトと呼ばれるようです)
>しかし世の中はこの常識的世界観を擁護する仏教学を好むものです。理由はもう言うまでもないでしょう。


509:神も仏も名無しさん
08/12/28 09:44:37 2WGEWJxr
人間に生まれ、仏法のある国に生まれ、仏法とご縁ができたこの喜びを
かみしめましょう。

510:神も仏も名無しさん
08/12/28 10:00:29 j7kfh9+C
あーぁ。

初スレ7さん。




とうとう見限られましたね。
我慢比べの曹洞禅で何時まで頑張れますかね。
己の至らなさに無力を感じる度に、是でいいんだと自分を慰めるくり返しを、一生続けますか?

511:間に合うかな。。
08/12/28 10:42:00 TTHN5t7N
私信

170 ID:Un1RLmZm さん
ID:VWszxPiV さん

めへる下さい。

512:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/28 11:37:39 k9Udo4ZW
>宝珠愚者さんの492さんの書き込み
>>いや、輪廻転生の教えだけが間違いなんだ。
>>これはゴータマが説いたものではなく、後代の経典制作での仮定で意図的に挿入されてしまったのだ。
>>と主張する者については、その根拠と証拠を提示して、
>>史実のゴータマの教えと姿が浮かび上がるよう努めるべきです。
>これに対して、納得のいく論拠を示す人を見たことがない。

【根拠と証拠】
仏教における勝義諦においては平等相であります。
輪廻転生とかの差別は全くなきの、円相の位相。
これはまさしくバラモン(カースト・差別)におけるアンチテーゼであることは
拙者が言うほでもなく明白です。

罪障というのはなく(本来無一物)、人は平等にして
ある者が浄土に逝く。とか
ある者が地獄に逝く。とか
それらは全くなく一切皆空である。

513:神も仏も名無しさん
08/12/28 12:03:42 kJ64yZfw
輪廻思想でこりかたまったバラモン社会の真っ只中において、「心ならずも」
輪廻を肯定するが如き言辞を弄せざるを得なかった釈迦の心労くらいは、想像し、
同情してあげる必要がある。

現世に生きているからこそ、このような議論が可能になる。現世で現世外を議
論することの矛盾を自覚すべきである。

「この世は、なんと美しいものか。人の命は、何と甘美なものか」という釈迦の
言葉をかみ締めるべきであろう。

514:神も仏も名無しさん
08/12/28 12:16:24 kJ64yZfw
輪廻を説いて、「カースト制度」という悪業を犯した、バラモン聖者の来世は、
一体どうなるのかな。

輪廻を信じて「解脱」のための修行に励み、修行の一環として多くの人命を奪
ったオウムの来世はどうなるのか。

515:神も仏も名無しさん
08/12/28 12:22:16 A636mm4I
あら?卵?お前たしかもう来ねえよとか 口汚なく捨てセリフ吐いて消えたはずだが、まだウロウロしてたの?執着しまくり。そんなこっちゃ輪廻断ち切れんぞwwww

516:神も仏も名無しさん
08/12/28 12:24:35 FjQc9NF3
探し物は何ですか。  ・・輪廻転生です
見つけにくいものですか。    ・・だれも体験学習できないので見つけられないのです
鞄の中も、机の中も探したけれど見つからないのに。
まだまだ探す気ですか。    ・・お釈迦様は、たとえ方便物語であってもお説きになっているので・・    
                 ・・実を言うと後生がないとすると、死ぬのが怖いんです、私がいなくなるなんて信じたくない!
それより僕と踊りませんか。  ・・それより、私を安心させる言葉をください、わたしは永遠に幸福だと言って!
夢の中へ、夢の中へ行ってみたいと思いませんか。  ・・夢か現(うつつ)か判らなくなっているのです。


517:神も仏も名無しさん
08/12/28 12:33:46 kJ64yZfw
>>515
輪廻を信じるが故に悪行を犯した、バラモン聖者とオウムの来世について
答えてくれw。

あと、信者を輪廻で脅して全財産を巻き上げている、宗教の教祖の来世に
ついてはどうか。

518:宝珠愚者
08/12/28 12:36:34 odrxEpIf
>>506
>そのリンク先は誤解してますね。聖者の自殺と凡夫の自殺を区別してない。
>それを区別しない根拠は、輪廻を前提にしてないからです。
>このように輪廻を前提にしなければ仏教体系はボロボロですよ。

 リンク先も輪廻と聖者と凡夫との区別を分っていて解説してるのではないでしょうか?私は凡夫の自殺で
あれ、特殊ケースにおいては例外です。それは初代スレ7さんの上げたコンクリート事件での少女のような
ケースであり、もしも彼女に自殺できる手段があり、彼女が仮にそれを敢行していたものとします。私はその
ことを彼女に責めることはできない。
 それは「望まれない行為の中での止む無く最善」として、彼女のとった行動を認めます。これが凡夫の容
認例です。

 殺人についても然り。私は狂信者に殺害されるギリギリの状況においては、正当防衛としての狂信者に対
する殺人も容認します。あなたは「殺されても良い」などとは私は説くことがない。
 ただし聖者の場合においては、恐らく殺すくらいならば殺される側を彼らは望むことでしょう。ここが凡夫と
聖者の違いなのです。

 「輪廻を前提にしなければ仏教体系はボロボロ」は、まさにその通りだと思います!

519:宝珠愚者
08/12/28 12:37:33 odrxEpIf
>>502
>>488
>奇跡は常に絶望の中で起こるのであり、現在の常識の多くは太古の時代にとっては不可能な奇跡でした。
>従って、基本的な推奨されるべき態度とは、あくまでも生存の存続(回復)と及び苦痛からの解放とにある
>でしょう。あくまでも相手を思う慈悲心が根底には必要です。
>>498
>病気と症状からの回復を願い最大限の努力に当たることが基本となると述べたのです。

 私はこう述べてるのです。机さんは決めつけが多く読解力がない・・。
あなたはどうせ>>518を見て、私が殺人も肯定したなどというでしょうね。あなたのような断滅論支持者では、と
ても理解できないのでしょう。
 ま~とにかく、断滅を支持するのはあなたのご自由ですよ。唯物主義者も沢山います。ですから誰も止め
てません--仏教に信を置くのはもう辞められることを推奨します。「断滅」は外道中における最悪見解です。


>>512
これ以上、自分勝手な解釈は辞めるべきです。
仏典では>>483のように明確に述べていますよ。

「行為(業)とその報いとを熟知している」(スッタニパータ653)
「生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている」 (スッタニパータ654)
「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。
 愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(スッタニパータ666)


>>483
訂正
 ×(スッタニパータ805-806)
 〇(スッタニパータ653-654)

520:神も仏も名無しさん
08/12/28 12:38:37 kJ64yZfw
>>515
>執着しまくり。そんなこっちゃ輪廻断ち切れんぞ

輪廻で脅され、輪廻に執着して修行に励む人々は、輪廻断ち切れるのか。

521:神も仏も名無しさん
08/12/28 12:44:02 A636mm4I
今まで影に隠れてコソコソ宝珠の援護射撃してた奴がいたが、あれお前か?
みっともねえ。オームくずれは早く消えろ。
>卵

522:神も仏も名無しさん
08/12/28 12:45:53 kJ64yZfw
>>515
同じ人間を、「聖者と凡夫」に差別すること自体が、既に「人間差別」
という悪行。

君の来世はどうなるの?

523:神も仏も名無しさん
08/12/28 12:48:38 FjQc9NF3
>>498
>すでに植物人間状態に在る者というのは、
>単純見解としては、早く次の転生に入るほうが有利であると見なすことができます。」

全世界に数十万人はいるといわれる(痴保をふくめ)植物人間状態に在る人々に対する
死亡推奨促進宣言として『宝珠愚者』を名乗る奴の名を記憶しておこう。
もちろん宝珠愚者によれば、植物状態人間はそのようなかたちで、
前世以前のみずからの業報をうけていることを主張するわけだ。
ベッドに横たわる人に言って来い、「すべてはおまえの前世の業が悪いから当然だ」とな。
ご立派な業報輪廻転生論であることよ!




524:神も仏も名無しさん
08/12/28 12:52:01 kJ64yZfw
輪廻を信じ込ませて信者に恐怖感を抱かせるという「業」を犯し続ける、
すべての輪廻肯定論者の来世はどうなるのか?

525:神も仏も名無しさん
08/12/28 12:54:39 kJ64yZfw
輪廻を信じた麻原の来世は?

526:神も仏も名無しさん
08/12/28 12:58:58 A636mm4I
>>522 おいおい、何か勘違いしてねえか?俺は輪廻なんか認めてねえぜ。あれは狂信者の妄想。

527:植物人間死亡促進宣言
08/12/28 12:59:34 FjQc9NF3
宝珠愚者 曰く

植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!!

植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!!

植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!!

植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!!

植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!!

植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!!

植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!!

植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!!



528:宝珠愚者
08/12/28 13:04:02 odrxEpIf
>>507-508
「その根拠と証拠を提示して、史実のゴータマの教えと姿が浮かび上がるよう努めるべきです。」
>>これに対して、納得のいく論拠を示す人を見たことがない。
>一応、これを主張してるのが並川さんですね。
>その論旨は無茶としかいいようがありません。理由は以下のように

 以前、並川氏に対するこの批評については、本をしっかり読んでない人のものだと(並川氏の支持者
からは)一蹴りにされてしまいましたね・・。

 並川氏は真面目な研究者で立派であるとは敬意を払いますが、しかし、自分の学説に信念と確信を抱
のくなら、何故、私からの質問状に対して明確に、「それは違うと思いますよ!」と自己の見解を説かない
のでしょうか!>>307>>321-322>>331
 それらはナンセンスな質問ですよと、どうして明確に私に否定しなかったのか!ゴータマは無我といって
輪廻の主体を認めなかったから輪廻がある筈がないと。これは後代の弟子が勝手に経典に挿入したもの
ですよと・・。
 どうも自己の心情から仮説を立てたはいいが、その確たる証拠もやはり見つかってはいない、というべ
きではないでしょうか。

 この前、「東方学院」に電話した際に担当した中観派の研究学者も、輪廻転生を否定してきましたが、私
から「非我」とかを説明したら、正直いってあんまり判ってなかった様子でしたね。最終的には「待機説法の
方でしたからね、釈尊も説いていた可能性はある」などといってきました。あんれ、なーんだ?否定派じゃな
かったのか?って思いましたね。
 つまりは、ゴータマの待機説法で説いた輪廻転生の話は自分は信じてないと・・。


 まっ、無理でしょうね---輪廻転生は経典の教えとして全く矛盾がない。
勝手に否定派たちがあれこれと誤解を起こしているだけに過ぎないのだから。

529:神も仏も名無しさん
08/12/28 13:07:02 kJ64yZfw
>>526
失礼。>>522は、「釈迦の立場と心情を理解し得ず、輪廻に執着しまくり、
聖者と凡夫を人間差別する」宝珠愚者氏に対するレスでした。

530:神も仏も名無しさん
08/12/28 13:21:11 kJ64yZfw
>>528
並川氏の回答は、彼の著書における詳細な展開を君が充分に読み、理解
してくれている、との前提だと思うよ。彼の回答の趣旨は、著書で充分
に明らかにされている。

それほどまでに、輪廻転生や原始仏典の「言葉」だけに執着し続ける、
君の来世は一体どうなるの?

531:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/28 13:27:47 rMJ81715
>>519
>これ以上、自分勝手な解釈は辞めるべきです。

おそれいります。

>仏典では>>483のように明確に述べていますよ。

スッタニパータは基本的に詩句でありますから、
詩的には美文でありますが、内容としますと主語と述語があいまいであります。

覚者の心象を書いてあるのか?
覚者が無明の分析してるのか?
どうにでも解釈できる内容になっております。

経典というのは、基本的には解釈はどうにでも取れる。
(作為的な一面もあります)→いつでも意味付加できるように。
例えば、釈尊が空を飛んだりするんですよ。
これなんかは好例ですね。

殆どの人は信じないかと思いますが、
なかには信じる人もいるかもしれません。

532:神も仏も名無しさん
08/12/28 13:35:06 o5S5Wkzk
しかし学者の人も大変だね。
わけのわからない人を相手に、何らかの回答するというのは、
それなりに誠実だと思う。
普通なら、いきなり電話して質問してくるような奴は
何を言ってきたとしても、完全無視だよ。
係わって言質をとられたりすると、ロクなことがない。

533:宝珠愚者
08/12/28 13:39:22 odrxEpIf
>>529
まずは聖者と凡夫の違いを理解しましょうか。ていうよりは、
根本部分として、【「差別」と「差異」の違いと意味】について履き違えないようにしましょう。

>>514
フーム。カースト制度がバラモン聖者が造ったと?
これは本来、人の生涯における理想的な流れ(人生の時期)としてその基本が象徴的に説かれたものです。
これが後に権力者によって支配に利用されたのです。

>>530
>君が充分に読み、理解してくれている、との前提だと思うよ。

そうですか-わかりました。
では、親切に対応して頂いた氏に敬意をはらい、
氏の著作は購読することにします。

534:神も仏も名無しさん
08/12/28 13:54:01 I0GVCBNJ


☆******************************************************************☆


./)/)    ■ 何がそんなに大問題なのですか。■
(・ー・)ノ   「輪廻転生」も、人間の生命の機能としての概念作用。
゚L-J      【生命】がなくなれば、その概念も当然消滅する、でよいのでは。  


☆******************************************************************☆



535:宝珠愚者
08/12/28 13:55:23 odrxEpIf
>>525
>輪廻を信じた麻原の来世は?

輪廻を信じることが特に「善」ではない。否定することも「悪」ではない。
ただし、聖者に対する罵声だけは辞めたほうが懸命ですよ。
私は再度、これを繰り返しいっておきますね。

信じる信じないではなく、人は行為によってその果報を受ける。
来世においても行為者は決して逃れられない。
これは自己責任であり、誰のせいでもない。

536:神も仏も名無しさん
08/12/28 13:55:43 kJ64yZfw
>>533
人間に関しては、差別と差異は、本質的には同義。一方を他方に優越させるこ
とを差別と呼ぶが、「聖」と「凡」の観念で、すでに「差別」している。

政治的に容易に利用され得る教義を作った者に、第一の責任がある。

537:神も仏も名無しさん
08/12/28 14:23:50 kJ64yZfw
>>535
良いことも、悪いこともした人間は、どうなるのかねw。すべての人間は、そ
うなのだが。

538:神も仏も名無しさん
08/12/28 14:51:01 A636mm4I
宝珠よ。お前は仏教など語らんでいいから、大人しく瞬間移動の訓練でもしとけ。そうすれば今度は5Kgじゃなくて10Kgの瞬間移動に成功するかもしれんぞ。

539:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/28 15:32:30 rMJ81715
>>519
>私はこう述べてるのです。机さんは決めつけが多く読解力がない・・。

それは申し訳ありません。

>私が殺人も肯定したなどというでしょうね。

貴殿は勿論、殺人など肯定はしておりませんが、
マイコンのプログラムを挿入されますと、自分の意思に関係なく
プログラムが作動するようになってるんですよ。

だから簡単に殺人でもなんでも出来るようになる。
勿論そこに良心の呵責があったとしてもです。

オウムの林郁夫の記録を見ますと、
完全にマイコンされているわけではなく、
多少の社会的規範の分別はあったようです。
それでもなお、マイコンのプログラムの方が優先されちまいますね。

郁夫がマイコンから開放される切っ掛けとなりましたのは、
逮捕において警察で事情聴取され、
さりげなく窓の外を眺めて、そこで戯れる母子の姿においてです。

540:宝珠愚者
08/12/28 15:57:03 odrxEpIf
>>536
>「聖」と「凡」の観念で、すでに「差別」している。

凡とは「俗」のこと。「俗」から「聖」に至ることを説くのが宗教。
「俗のままであれ!」などという教えは宗教にはない。
論理の破状というか・・論理にもなれない。

>政治的に容易に利用され得る教義を作った者に、第一の責任がある。

これは何歳からは本格的な修行に入るのがベストといった程度の素朴なもの。
あなたの話はまるで、「喉をつかえたらコンニャク畑が悪いから」という理論と同じで余りにも愚かです。
交通事故で死者が出るから車の発案者が悪い。製造/販売者が悪いといってるのとも同じ。
子供の駄々っ子と一緒でお話になりません。

541:神も仏も名無しさん
08/12/28 16:00:04 qsdZOGlL
>>539
そうなんですね。宗教に嵌ると宗教団体内が社会となって部外者との
交流が余り無くなるようです。つまり、井の中の蛙ですw


542:宝珠愚者
08/12/28 16:09:20 odrxEpIf
>>538
神秘力は目的ではない。
その段階における過程と到達点において自然と獲得されるものに過ぎない。
これを目的にしたり、僅かに身について神秘力に自惚れ過信する者は道を踏み外す。

私は、数十年を掛けてやっと水上歩行の奇跡ができるようになった行者を見たとある大覚者が、
「あなたは随分と無駄なことに時間を費やしましたな」と笑って語ったという話を知っている。
ゴータマがハタヨーガを非難し、弟子にもこれを推奨しなかったわけもそうだね。
手段が目的と化して---時間的な無駄が多い---のでね。

543:神も仏も名無しさん
08/12/28 16:35:52 aBVaKH4J
>>540
>凡とは「俗」のこと。「俗」から「聖」に至ることを説くのが宗教。

「聖」と「俗」との区別は、具体的に何?

他者との係わり合いの中で、一度きりの人生をひたむきに生きる人々こそ、
「聖」なのではありませんか。

「非凡なる凡人」という言葉もありますよ。

同じ人間を、聖・俗に差別することこそ、「人間差別」という悪行に他なり
ません。

544:宝珠愚者
08/12/28 16:46:07 odrxEpIf
>>543
わたしは宗教学者や評論家ではありません。
『「俗」から「聖」に至ることを説くのが宗教。「俗のままであれ!」などという教えは宗教にはない。』
で理解できないなら、自分で調べて自分でよくよく考えることです。

>他者との係わり合いの中で、一度きりの人生をひたむきに生きる人々こそ、
>「聖」なのではありませんか。

「1度きりの人生」という言葉は余計です。
来世があるから勝手デタラメな生き方ができないのです--逆ね。
前向きに生きて害悪から遠ざかり、他者を想い慈悲的な行動がとれるならば、
その生き方は聖者が推奨するものです。

その完成の域に到達した存在を覚者という。
それが「聖」なる領域。

545:神も仏も名無しさん
08/12/28 16:53:01 A636mm4I
いいねえ。今度は水上歩行かい。お前の話は本当に笑えるわ。反常識度ではお前には負けないとか、ほざいてた経典自慢の中途半端なオカルトかぶれがいたが、お前の勝ち。俺が保障する。また何か奇跡起こしたら報告ヨロ 期待してるぜ。

546:神も仏も名無しさん
08/12/28 16:56:16 aBVaKH4J
>>544
>「1度きりの人生」という言葉は余計です。
>来世があるから勝手デタラメな生き方ができないのです--逆ね。

完全に死んで、来世を確認してきた人間は、史上、唯の一人もいない。
宗教者なら、嘘や出鱈目を言ってはならない。

来世があるから、宗教の教えに従って、この世ではどんな出鱈目をやって
もよい、という理屈も、同様に成り立つよ。自爆テロリストや宗教戦争が
その好例。

一度きりの人生だから大切にするという考えのほうが、はるかに好ましい。
この世界に1個しかないものは、すべて貴重である。貴金属は、乏しいが
故に貴重なのである。

547:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/28 17:42:14 MRH/C6Pv
しばらく書かないと思ったが、宝珠氏が孤軍奮闘してるのに忍びなく、
援護射撃。ま、今日暇だしね。

あのさ。あんたらが信じる信じないの話ではなく、
ここのテーマは、釈尊は輪廻をといたかどうかということなんだろう。
それを絞っていえば、初期仏典を見る限り、明らかに釈尊の仏教の教義には
輪廻思想が中心としてあり、釈迦は輪廻を語っているのは明白だ。

相も変わらず、回っているのは、行いと結果である
業だと教えてあげても、原始経典にもそう書いてありますよと、また、行いと結果である業は
それ自体は無常であり、無我であるものであるから、釈迦の、一切法無我、一切行無常
の教えにも矛盾しませんよと、教えてあげても、君らにはまるで馬の耳に念仏。
そんな話もなかったことにしている。そして相も変わらず、釈尊は無我を説いたのだから、
死後も回る主体性のようなものはないと、壊れたレコードのように論破されている自説を繰り返している。
行いと結果という業も、主体性とも呼べる、アートマンという性質のものではない。これもまた、
無常であり、無我なるものだ。ここに何の矛盾がある?ドメクラ共が。

この輪廻思想は、釈迦が、おそらくどこかの王族であろう
人々のことを、神々とたとえ、神々と話したとか、あきらかにここにいる生命教の、がちがちの
唯物論者の能書きを語る者を、悪魔とたとえ、悪魔と話したとか、そのまま形而上の存在が
釈尊の前に現れ話したとみるのは妥当ではなく、上に上げた人々の比喩として描かれたものだという
レベルではなく、輪廻思想は、どうよんでも、釈尊の仏教の教義の中心的思想だというのは
明らかで、そうみるのが、自分の思い込みというフィルターなしで、あるがままをあるがまま見る人の、
正常な判断だろう。どうみても。輪廻思想を、「おまうは書かれてる文言をそのまま事実だとみるアホだ!!」
という批判は適当ではない。輪廻思想は、明らかに教義的な話であり、釈尊は、自分の残した仏教の教義の
根幹に、この輪廻思想を入れていたのは明らかだろう。それを違うと読むのは、
おまえら唯物末法仏教者くらいなものだ。

548:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/28 17:53:54 MRH/C6Pv
善業善果、悪業悪果の輪廻思想があるからこそ、人は利己的に生きるのをやめる
ことができるとも言え、一度きりの人生であるからこそ、刑罰などの
自分の不利益にならないのであれば、利己的に生きればよい。犯罪も見つからなければ
自分の不利益にならないので、自分の欲を満たすことのできるのであれば、したものの勝ち。
という考えも成り立つ。輪廻があるから、自爆テロなどを起こすなどという論法の持って生き方は
フェアではない。むしろ死ねば終わりの唯物論のほうが、利己主義が蔓延し、この世に悪がはびこり
住みにくい世の中になる。麻原などは自分の利己心を満足させるために宗教を利用したのであり
正しく真理を理解していたのなら、あのような事件、殺人を起こしたりはしなかっただろう。
盲人達には、そんなこともわからないんだな。
彼は悪を成した。その報いは必ず受ける。すでに受けている。これが因果応報だ。

549:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/28 18:08:48 MRH/C6Pv
机よ、おまえの中道を使った詭弁で、
一切皆苦を説いた釈尊の教えもなかったことにしているが、
おまえの中道を使った詭弁で、おまえが何が言いたいのかは俺はよく理解している。
はっきりいう。それは間違いだ。おまえは釈尊の仏教を何も理解していない。
おまえのような、中道という言葉を利用した詭弁は、結論をはっきり言わない、不可知論と
いってな。釈迦ははっきりと、おまえのような詭弁家のことを、私の教えの外を行く
外道だと、言っているんだよ。だいいちお前の主張する仏教は、ただの詭弁でしかなく、
ただの言葉遊びでしかない。それにお前のただの詭弁でしかない仏教は、言葉遊びとしては
面白いかもしれんが、現実にはただの気休めにもならない、糞の役にも立たないものだ。
釈尊の仏教は、お前のようなただの言葉遊びで税に入る、思考上だけの遊びじゃない。
おまえの、というより、おまえらの唯物末法仏教は、ただの気持ちの持ちようでこの世はハッピー
という結論にしかならず、その程度のものなら、いまさら仏教など必要もなく、現代の心理カウンセラー
のほうが、現実の生活の悩みを取り除いてくれるだろう。机よ。釈迦はあくまでこの世の生存
、(正確には、肉の自我による生存だが、ここでは多くは語らない)、つまり一切は、皆苦だと説いたんだよ。
おまえのように、でも勝義では中道であるから、そうともいえるが、そうともいえないものである。
なんて明言を避ける、詭弁でしかない、不可知論を真理だと話しちゃいないんだよ。



550:宝珠愚者
08/12/28 18:09:13 odrxEpIf
>>546
>完全に死んで、来世を確認してきた人間は、史上、唯の一人もいない。
>宗教者なら、嘘や出鱈目を言ってはならない。

その全てを見通される方がゴータマ仏陀なのでした。

>来世があるから、宗教の教えに従って、この世ではどんな出鱈目をやってもよい、
>という理屈も、同様に成り立つよ。自爆テロリストや宗教戦争がその好例。

 論理の摩り替えは辞めるべきです。それは狂信状態に陥っている彼らが勝手にしていることであって、
無差別殺人を容認する宗教などは存在しない。その果報による地獄を説かない宗教も存在しない。イスラ
ムの過激派(異教徒殺人=善)などが顕著な例ですが、彼らはイスラムの中でも少数の異端派であり、他
の善良な一般信仰者は皆んな彼らに迷惑してるのです。迫害(及び殉教)に対する信仰者への励ましを誤
解して、ジハード(聖戦)の名の下に無差別テロを敢行している。基本的にコーランでは正当性のない殺戮
は大義のない犯罪であるとして禁止しています。

---仏典---
 「罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。」(スッタニパータ676)
 「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(スッタニパータ666)
 「悪口または悪意を起して聖者をそしる者は、十万と三十六のニラップダ地獄と五つのアッブダ地獄と
に赴く。嘘を言う人は地獄に墜ちる。また実際にしておきながら、《わたしはしませんでした》と言う人もま
た同じ。両者ともに行為の卑劣な人々であり、死後には同じような来世をたどる(地獄に墜ちる)。」
(スッタニパータ660-661)

551:宝珠愚者
08/12/28 18:09:50 odrxEpIf
---新約聖書---
 「自分が裁かれないために、人を裁くのを止めなさい。」(マタイ伝7章1節) 
 「他の人を裁くその事柄において、あなたは自らを罪に定めているからです。」(ローマ人への手紙2章1節) 
 「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また
刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を
刈り取ります。たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになるのです」
(ガラテア人への手紙6章7-9節)


>一度きりの人生だから大切にするという考えのほうが、はるかに好ましい。
>この世界に1個しかないものは、すべて貴重である。貴金属は、乏しいが故に貴重なのである。

残念ながらそこには、
「1度きりの人生だからは、わたしはわたしのやりたいことを好き勝手にする。
他者の苦悩などわたしには関係がない」と考える人を制する理論/理屈が存在しない。

552:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/28 18:23:50 MRH/C6Pv
ちなみに六師外道とは
道徳否定論を説いた当時の思想家。
これ、おおくの今の日本の仏教者、代表格が禅宗。机もこのカテゴリー

宿命論的自然論説いた、当時の思想家。

唯物論、快楽論当時の思想家
ここの隠居とかいうがちがちの唯物論者がこれ。ここで釈尊ははっきりと
死んで終わりの断滅論は、自分の教えるものとは違う、外道だといっている。

無因論的感覚論、七要素説説いた当時の思想家
これも五感で感じられるこの世界こそが現実だとする、ここの隠居を代表する唯物論者の
能書きと同じ。

懐疑論、不可知論を説いた当時の思想家
これはただの言葉遊びでしかない詭弁。机の説法、机の仏教は、これ。

ジャイナ教についてはめどくさいので割愛。詳しくはここでも見てくれ

URLリンク(www2.big.or.jp)

このHPを貼るのも何度目だろう?でもこいつらにとっては馬の耳に念仏だ。
ここの唯物末法仏教者は、はっきり言って釈尊の仏教とは違う外道なんだよ。
そのことを認めたらどうだ?外道。

553:神も仏も名無しさん
08/12/28 18:27:43 aBVaKH4J
>>551
>「自分が裁かれないために、人を裁くのを止めなさい。」
何故、聖書など持ち出す?最も人を裁いたのが、他ならぬイエスである。

狂信者とは、「最も熱心に宗教を信じる者」。宗教は、熱心に信じれば
信じるほど「狂信」となる、という特徴を有する。

「地獄に堕ちる」と「脅迫」するのは、最大の悪行。人間は、脅迫によって
しか、善をなし得ないとでも言うのかね。それも「人間不信」「人間軽視」
という悪行である。

554:初代スレ7
08/12/28 18:28:56 XZ97f21W
>>505
>> あなたの見解は邪見としかいいようがありません。
でしょうねw
先の一連の書き込みは、貴方の(?)「輪廻に拠らずに仏教があり得る根拠は?」に対する私なりの返答ですから。
「今生の涅槃」は仏法として記しましたが、「輪廻の排除」は私の個人的見解として記したつもりです。
曖昧な表現で混ざり合ってたかもしれませんが・・・。
(もし、仏教絵本的な、或いはそうした入口的な語りを要する時は、ちゃんと使用しますw
 観音経も、それを含む法華経も素晴らしいと思ってますよw)
私は学者ではないので、私が受けとめた、私に必要なブッダの言葉を尊重してゆくだけです。
また、“『経典』の伝承者”でもないので、一字一句コピーして伝えるつもりもありません。
邪見の称号、甘んじて受け入れましょう。
ちなみに、本来のこのスレ的回答ならば、
私は、「仏典には輪廻の記述がある」「輪廻を前提として説かれている」と考えていますよ。

> これ以上、話し合っても平行線だと思いますので
ですね。駄弁にお付き合い下さり有難うございました。

555:初代スレ7
08/12/28 18:30:11 XZ97f21W
>>506
> 私はパーリ仏教は見解が低いと見・・・・・・・・・からだと思ってます。
さきほど読み終えた片山さんの著書から、「p23.l12~p24.l4」と「終章」を返答とします。(引用はしませんw)

> たぶん、あなたがパーリに共感するのは曹洞宗だからでしょうw
ごめんなさい! 臨済宗です・・・。 サーセンw (/>_<)


>>510
> とうとう見限られましたね。
いや、十分有意義でしたよ。
宗教系の話で、単なる罵倒でない応答が2chで出来るのは珍しいのでは?
私は感謝してます。

> 我慢比べの曹洞禅で何時まで頑張れますかね。
ごめんなさい! 臨済宗です・・・。 サーセンw (/>_<)

> 己の至らなさに無力を感じる度に、是でいいんだと自分を慰めるくり返しを、一生続けますか?
私は凡夫ですからねw
2chの書き込みは棚上げの連続ですよ。読んで頂けるならそのつもりで読んでくださいなw

556:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/28 18:39:23 MRH/C6Pv
何度もいうが、初期仏典を読めば、釈尊は輪廻を語っていたのは明らかだ。
それを自分達が信じられないからと、語っていないことにするのは、おまえらのエゴだ。
書いてあるものを、書いていないことにしてしまうおまえらの我執はどうしようもなく
強いものだ。どこかのアホ宗教学者が仏教を研究しながら、自分が輪廻などの形而上の
ことは信じられないからと、釈迦は仏教を理解していなかったという様は、もはや基地外レベル
だろう。ここの唯物末法仏教者のおまえらも同じ穴の狢だ。おまえらの強烈なエゴは
みていて反吐がでる。釈尊は明らかに輪廻を説き、自分の教義の中心にそれを据えている。
君らがどうしてもそれを認められなかったr羽、あっさり仏教の看板を捨てろよ。そうすれば
おまえらの主張もわからんでもない。だが、釈迦は明らかに輪廻を説いているのに、
自分達がそんなものはあるはずがないからと、無理やり屁理屈こねくり回して説いていなかった
ことにするから、話はおかしくなる。釈迦の言説を、自分たちの好むように捻じ曲げて
伝えるのは、これは真理への冒涜だ。自分たちの言説に合わない文言は、後世の付け足し
などというのは、詭弁の最たるものだ。そう思うのなら、その根拠と、証拠を示さなければならない。
それを示せないのであれば、単なる君らの願望でしかない。自分たちの願望でしかないものを
真実だとするのは、それは君らのエゴだ。邪見はすべてこの醜いエゴから生まれる。
仏典にもそう書いてあるだろう。邪見は、その人のエゴが起こすってな。

おまえらさ、もう結論は出てるだろう。初期仏典を読む限り、釈迦はどうみても、輪廻を説いている。
それを受け入れなければ、おまえらは仏教を捨てればいいだけのこと。それなのになぜ、仏教に執着して、
迷っているんだ?外道の人達。

557:初代スレ7
08/12/28 18:44:44 XZ97f21W
>>556
相変わらず熱いお人ですな・・・w
原佛スレが閑古鳥なんで賑やかさに引かれましたか?


       _, ,_
     ( *゚∀゚)つ酒  < ま、一杯飲んでいきなさいw
   //\ ̄ ̄酒\
  // ※.\___ \
 \\※ ※ ※ ※ ※ ヽ
   \`ー─── ヽ

558:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/28 18:48:59 MRH/C6Pv
>>554
今生というより、無常でしかない肉の自我による生存には
涅槃はねぇんだよ、タコ。なにが涅槃とは、今生の中にあるだ。
釈迦は一切皆苦だと説いたんだよ、タコ。おまえの願望を仏教にするなよ。

だいたい我の強いものほど、唯物論に傾倒するものだ。
2chの唯物末法仏教徒達を観察すれば、彼らが恐ろしく頑固で、我の強い人達だと
気がつく。彼らがなぜ釈迦は一切は皆苦だと説いたのに、この一切の中に涅槃を
探すのかというと、それは彼らの根底には、自分の我を愛してやまないものがあるからだろう。
我執の強いものほど、この世を愛し、この世こそ現実だと釈尊とは正反対のことを言う。
そして彼らはなぜか、イエスを憎む(苦笑)なぜ彼らがイエスを憎むのかは俺は知っている。
肉の自我を愛してやまない彼らは、自分たちは悪い存在だと示したイエスを、
本能的に憎むのだろう。

いっとくが、我の強い奴は助からないよ。気の毒だけどね。

559:神も仏も名無しさん
08/12/28 19:00:22 7FmFTrIN


☆******************************************************************************************☆


■キリスト教とは、イエスの精神病の集団的大感染という、「精神医学的現象」以外の何物でもない。☆★

  
   _
   /~ヽ プルルン♪      ★ キリスト教のパクリはここを参照 ↓
 (((。・-・))) プルルン♪       ■ URLリンク(video.google.com)
   ゚し-J゚    プルルン ルン♪


■ URLリンク(www.hpo.net)


☆******************************************************************************************☆



560:神も仏も名無しさん
08/12/28 19:18:14 o5S5Wkzk
チューリングテストにパスしてしまうようなロボットにも
輪廻転生はあるのでしょうか?

561:宝珠愚者
08/12/28 19:27:35 odrxEpIf
>>545
まっ、水上歩行で驚くなら、
ボールように大地を大きくバウンドしながら弧を描いて空を飛行していったラマ僧の話なんかはどうよ?
私は奇跡現象の話にも詳しいし、本当はもっと面白い話もたくさんあるけど、
気絶者が出たらいけないからソコソコで辞めておきますよ^^

うちの義兄ですから方位磁石くらいならばPK(念動)で少し動かせる。
この程度なら宗教修行とも特には関係ない。

562:神も仏も名無しさん
08/12/28 19:48:59 2WGEWJxr
唯物論で考えても
ここで輪廻を否定する人は無から有が生じると思っているのか?
人は死んだら無になると思っているのか?

そもそも輪廻を「霊魂みたいなのが死後も存続し、それが新たな肉体の中に入る。
虫が隣の葉に移るように」と思っているのか?




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