08/12/25 21:36:59 2CddHNLY
-----質問
一般的には「無我」といって、
輪廻する主体、アートマン存在が否定されたことになっているが、
しかし釈尊が述べたのは、正確には「それら(五蘊)はアートマンではない」
(いい換えるならば、「五蘊ではない存在がアートマンである」)という意味でしかなく、
よって、「非我」と表現されるほうがより正しいのではないかということ。
つまり、「アートマン存在を(無いものとして)否定した」言葉は
実際、一つもなかったということが、まず第一点。
輪廻転生を否定した場合には、
唯物的な外道思想の「断見」(死んだらそれで継続的生命が無くなるという断滅論)
ということになる、というのが第二点。
「毒矢のたとえ」として知られる「無記」とは、
形而上学的な問題について判断を示さず沈黙を守る姿勢のことですが、
つまり、直接に修行に必要ではない形而上学的な内容については説かれなかっただけで、
ここでも「アートマンは無い」などとは述べてはいない。
また、転生(再生)を現実的な現象として説いたとしても、
何ら沈黙すべき無記としての形状学的問題としては抵触しない。
これが第三点。
322:宝珠愚者
08/12/25 21:38:02 2CddHNLY
また、
因果律の延長上においても輪廻転生は必然的な見解であり、
これを認めなければ善行善果/悪業悪果としての業報思想に矛盾する。
因果としての輪廻転生は、縁起からみた場合、
時系列的な因果関係を示す限定の意味はなくても、
時系列的な因果関係として現れることはない、という証明にはなっていない。
これが第四点。
実際、輪廻転生を説く内容の経で溢れているのが現実であって、
輪廻転生をないものとして否定した経などは一つも存在していない。
これが第五点。
以上の理由からみても、
私は、史実としての釈尊が実際に輪廻転生を説いていた可能性は
かなり高いものと考えています。にも関わらず、
仏典で記述された膨大なその部分を意図的に排除する
最近の方向性というものは如何なものでしょうか?
それとも文献学上、釈尊がそれを説かなかったという、
つまり後世の経典制作上の附加増大に依るものとの
学術的な確信と方向性が高まったということなのでしょうか?
-----------------------------------------------------------
届けられた氏からの返答とは・・・
323:神も仏も名無しさん
08/12/25 21:59:24 eRLQmIeV
>315
ただ「神」を「生命」と読み替えただけか・・・つまらん。
で、生命教ではその生命はだれが作ったんだ?
324:神も仏も名無しさん
08/12/25 22:04:57 /GKwWKQH
>>323
>生命教ではその生命はだれが作ったんだ?
それを思考するのも、生命の機能w。
325:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:04:40 qPfa885u
それじゃ答えになってないことが分からないのは、
科学バカだからなのかな。
326:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:09:48 NTMZuZP8
>>321
>一般的には「無我」といって、
>輪廻する主体、アートマン存在が否定されたことになっているが、
>しかし釈尊が述べたのは、正確には「それら(五蘊)はアートマンではない」
>(いい換えるならば、「五蘊ではない存在がアートマンである」)という意味でしかなく、
>よって、「非我」と表現されるほうがより正しいのではないかということ。
しかし前スレで 宝珠愚者はこう引用しているではないか、
612 :宝珠愚者:2008/12/20(土) 00:58:43 ID:5LoFzwjn
『「大徳よ、無我、無我と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなることを無我というのでありましょうか」
「ラーダよ、色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。行(意志)は無我である。識(意識)は無我である。
おそらく定評のある増谷文雄氏の訳だが、明確に「無我である」と主張し、「我ではない」「我に非ず」などとこじつけ訳はやっていない。
これに対し
615 :神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 02:42:16 ID:hoPT5oc1
ブッダの所説は一切内においては「無我」であって非我ではない。
一切外においては“無記”であって非我ではない。
非我説は完全な誤り。
宝珠愚者は>>615に対しなんらの反論もできていない。
中村元説のこじ付け的ご都合主義的援用にしかすぎない。
327:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:20:11 m2jdSMhd
いや、「我ではない」と「無我である」は同じことなのでは?
無我説というのは全称的に「我はない」という理解していたんだけど、違うの?
328:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:40:05 NTMZuZP8
>>321
>輪廻転生を否定した場合には、
>唯物的な外道思想の「断見」(死んだらそれで継続的生命が無くなるという断滅論)
>ということになる
宝珠愚者は、ブッダがメタコードの空=中道を説かれている意義がいまだに!解かっていない。
「無記」については前スレ>>615の通りであり、経験主義者として当然の態度だ。
戯論を吐きまくる君たちと違って、大人なんだよw。
縁起はほとんど偶然性のカオス的因果関係の集合であり、善因善果論のような
超単純素朴な価値論で判断できるものではない。世俗においての善悪価値判断などというものは
実情無視の単純素朴な共同幻想を想定してのみ成立しうることであり、
普遍的価値としての善悪などというものは幻想にしかすぎない。
宝珠愚者の論は具体的歴史現実を無視した抽象論にしか過ぎないのだ。
>史実としての釈尊が実際に輪廻転生を説いていた可能性
仏典に記されていることを否定するものは誰もいない。
しかし、それは勝義中道=涅槃へ目覚めさせるための方便であり、フィクションだと言っている。
現にジャータカが子供向けのおとぎ話=フィクションだと認めているなら、
ほとんどがマトモな教育など受けたことのない大人向けのおとぎ話=フィクションを方便として語られても
なんら不思議ではないのだ。
もういいかげんにしたら?
329:宝珠愚者
08/12/25 23:48:48 2CddHNLY
>>326
しかし・・あまりの読解力の無さに悲しくなります。
「色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。行(意志)は無我で
ある。識(意識)は無我である。」とはつまり、「色受想行識の五蘊はアートマンではない。」と述べて
いるのです。読めば分るでしょ!要するに、アートマンとは五蘊ではないものだといってるのですよ。
わかりますか?従って、アートマンではないものをアートマンと同一視することなかれ、とゴータマは
教えているのです。
anattan[アナッタン]そのものの意味は、「我ならざること」「我を有せざると」の二義で、漢訳の「無
我」の直意は、「在るものが我(アートマン)を有しないこと」「或るものに我が無いこと」をいう。
>非我説は完全な誤り。
だから私は、
「アートマンは存在しない」などと述べた経はどれなんだ?とズーと聞いてるのです。
早くそれをここに提示して下さいよ!
330:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:51:54 NTMZuZP8
>>327
「我に非ず」(非我)は、抽象的に有我(アートマン)であることを前提としてのこじつけ立論であることは当然だ。
ヒンドゥ=バラモンに下半身が犯されたロマンチストの見解であることはいうまでもない。
あとは大日如来などの別名ブラフマンを設定すればヒンドゥの仏教侵略は完成するわけだ。
331:宝珠愚者
08/12/25 23:52:09 2CddHNLY
届けられた氏からの返答とは・・・
「ゴータマ・ブッダ考」並川孝儀著
URLリンク(daizoshuppan.bunkensystem.co.jp)
なんと---ちょうどこのスレでも話題の上った並川氏からの返答が届くものとは、私も全く予想だにして
ませんでした。氏が佛教大所属だったことも知らずに質問を佛教大に送付していたのです。教学部教務
課からはご親切なことに、専門の先生に回しましたとのこと(感謝 !!)。
で、とても氏からの返答は、そのままここには掲載するわけにはいかないので、要点だけを箇条書きで
記します(文体は変えます)。年末で忙しく返答が遅くなったことを謝罪頂きまして、とても丁寧かつ親切な
文面でした。ゴータマは説いたとも説かなかったとも確定はしてないということであり、また、私からの質問
内容に対しては「論外でナンセンスである!」といったことはなかったw
・質問者からの指摘は適切でそれ自体は正しい。
・従って、輪廻を初期仏教の段階で認めていたと考えるのも妥当。
・しかし、本当に釈尊自身が輪廻を考えていたかは研究者たちの見解に相違がある。
・原始経典の内容全てが釈尊の教えとするのと、
或いは弟子の見解も入っているという二つの見方がある。
(詳しくは、並川孝儀著『スッタニパータ―仏教最古の仏教―』岩波書店/2008年12月の購読を推奨)
・自分は原始経典の成立を新古層に区別して理解すべきとの立場に立っている。
・しかし、それとは異なった立場でも、
資料に対して批判的に処理し論理的な見解であれば十分に尊重される。
また、全く同一の質問状を国内最大学会とされる「日本印度学仏教学会」にも送付しましたが、しかし残念
なことに事務局で跳ね除けられてしまいました。「ここはただの事務局なので返答できない」といった悲しい
返信でした。解答可能な研究者へと回したり、紹介を頂けるといった親切はなかった。
まっ、担当者が悪かった・・。
332:宝珠愚者
08/12/25 23:56:25 2CddHNLY
また、日本の全宗派から「宗派としての見解」を集めている最中です。まとまり次第、スレ上で大公開しま
す!質問内容は以下の通りです
------------------------------------------------------------------
明確に「人間の来世の生まれ変わり」ということについて、
宗派としての見解(個人的意見ではなく)を教えて下さい!
我々、大衆は死後に生まれ変わりをしているのかどうか?
「はい」「いいえ」「その他」(わからない、興味なし、など)として明確にご回答下さい。
どこに出しても問題のない宗派の教義としての見解で宜しくお願い致します。
------------------------------------------------------------------
333:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:59:35 NTMZuZP8
それにしてもロマンチスト連中は「梵我一如」がお好きなようでw
>>331
やっぱり並川はんの返答はなんのインパクトもない(2チャンネルでのほうがもっと
突っ込んで議論している)、アカン。
2ちゃんねる仏教学もけっこうイイセンいってるの鴨。
334:宝珠愚者
08/12/26 00:02:58 2CddHNLY
>>330
「無我」だからアートマン否定だ。「アートマンはない」んだ!
アートマンがないなら輪廻の主体もない。ということは輪廻そのものもないんだ。
という論拠・・
ですから、その根拠となる経を提示して下さいよ!
それから言ってくださいな。。。
335:初代スレの5
08/12/26 00:03:51 CRvUCEUf
>>333 それは、そうでしょう。 どこの誰ともわからない人からの
問い合わせには、当たり障りのない返答をするのが通常かと思われます。
336:初代スレ7
08/12/26 00:14:24 rP9xTeJf
>>無我と非我
機械的日本語訳としてはどちらも可能な読みだが、
“意味合いとして”非我を支持する人は多いと思うよ。
少なくとも、奈良さんや田上さんは、授業中そのような主旨の発言をしていたし、
田上さんに至っては、(今はどうか知らないけどw)若い頃の論文を次のように締め括っているw
面倒だが・・・、以下、少々長いが引用してみよう。
田上太秀「ブッダの自我と無我について」―『駒沢大学仏教学部論集』3(1972)所収(p.31~50)
> 六 まとめ
>ブッダはアートマンを否定はされなかったと考えられる。ウパニシャッドで“哲学的に”アートマンを追求し、知ることが解脱とされ、
>それはそのままブラフマンを知ることであり、ブラフマンとなることであったが、ブッダは実践的倫理的に追及され、
>アートマンになり、ブラフマンとなられた。自らがアートマンであり、ブラフマンである。といってそのアートマンが
>いずれにあるかということについては自己撞着に陥入るために、言語をもって表現することのできないものであるから
>説明をされなかった。定義することさえされなかった。ブッダそのままを直指するよりほかはない。
> アートマンは五蘊にないのであって、五蘊に構成される個体にないといっているのではない。しかし、
>その“ある”という観念さえも消滅しない限り解脱はえられない。
> 「仏伝」において疑問に附してあった自己の問題は右の結論によって解答をえたと思われる。
>ブッダは無我を説かれる場合、根本的には「自分のもの」という所有欲をなくすことを説かれているのであり、
>具体的には五蘊に対する所有観念の破棄をいっている。これが裏付けとなって
>一切の自己―自他の差別としての自己、涅槃を求めて行く実存的な自己、あるいはアートマンとしての自己など―が
>五蘊にはないと述べている。
> 『法句経』では結論として、アートマンを求め至向する実存的自己―人称的私の自己を含めた―のあり方を
>強調しているもので、『スッタニパータ』は、ブッダそのものがアートマンであることを説いていると思われる。
337:初代スレの5
08/12/26 00:22:41 CRvUCEUf
アートマンねえ。 このへんで、主体設定をしない輪廻思想を主張していた
かの御仁の説明をお聞きしたいとこですね。 かの御仁は、おそらく
無我、空 との関連からアートマンを含め、主体の設定を否定されて、おられ
たと思われますが、そのあたりを仏典に根拠を求めるとすれば、どうなるので
しょうか? やはり、「因縁心論」 「サンユッタ・二カーヤ」
あたりになるのでしょうか?
338:神も仏も名無しさん
08/12/26 00:55:27 AQhpEWo1
並川氏の著書に対する、宮崎氏の書評(上掲のリンクより)
「では,ブッダは輪廻をどう捉えていたか。古層の経典では,確かに輪廻は業報
と結びつけられ,積極的に説かれる。だが著者は文献を精査し,最古層の経典に
は輪廻(サムサーラ)という語は見出せず,「来世」や「再生」などの表現はみ
えるものの,いずれも否定的な文脈に限られている事実を突き止める。ブッダ自
身の輪廻観は飽くまで否定的であったと推すことができるのだ。「無我なのに
どうして輪廻という生死を超えた我の存続を認めるのか」との疑問が氷解する
とともに,当時から流布していた輪廻という観念の因襲を,無我の思想を立てて
解体しようとしたブッダの姿を,本書は見せてくれる。」
339:神も仏も名無しさん
08/12/26 01:40:13 74K2Qd0P
>>334
>>334
宝珠愚者殿は基本的な教科書をしっかり読んでいるのかねえw
いくらでもあるが、基本を押さえるために教科書的経典を示しましょう。
(1)『いま、われ、甘露の門をひらく。
耳ある者は聞け、古き信を去れ。』(相応部経典六、一:増一阿含経十九 勧請)
(2)『われというものはない。またわがものというものもない。
すでにわれなしと知らば、何によってかわがものがあろうか。
もしこのように解することを得れば、よく煩悩を断つことを得るであろう』
(相応部経典二二,八九:雑阿含経九、一〇三など)
同趣旨経典はいたるところにある。
340:神も仏も名無しさん
08/12/26 01:41:33 74K2Qd0P
>>334
<続き>
ブッダが捨て去れ!と言われた『ふるき信』とはブラフマン=アートマンを中核とする
リグ・ヴェーダ以来の特にウパニシャッド的梵我一如論への信仰を指しているのは当然だ。
(1)(2)から以下の趣旨を導き出し得る。
第一)我所(mana)の否定。存在が無常である限り「わがもの」はありえない。経文通り。
第二)我(attan)の否定。ブッダの成道が縁起の法の悟りを中核とするものである以上、
ウパニシャッド的梵我一如的自我観の完全否定を意味する。
つまり宝珠愚者が執着する「これは我にあらず」とはバラモン的絶対的自我主張を真正面から全面否定したものである。
第三)我体(me atta)の否定。つまり自我の恒久不変なる本体の否定。肉体を離れてもなお永続する我の本体=霊魂だが、
手を変え品を変え文言を変え名称を変え登場する。無明人間のサガともいうべき情念だろう(死ぬのが怖い)。
縁起の立場からブッダは自己の本体に関する固定的観念をも否定し去ったのだ。
大切なことは、ブッダの姿勢は常に帰納的かつ分析的だということだ。
五蘊、六処の個々にわたり無常・無我を細かく検証してゆく手法だ。
それによって具体的に無常=無我=縁起の法を体得させる見事な教育法だろう。
だから、個々の文言を取り上げて「我に非ず」などと非我と曲解するのは
揚げ足取り的歪曲との非難を免れない。
341:神も仏も名無しさん
08/12/26 02:05:18 74K2Qd0P
>>336
田上は「仏陀のいいたかったこと」のなかではそーゆー梵我一如論丸出しということはない(159頁~)。
だいぶ腰が引けている印象だw。
とにかく因果撥無の戯論は叩くべきだろう。
342:初代スレの5
08/12/26 02:22:48 CRvUCEUf
さて、宝珠愚者氏を代表とする「アートマン支持派」の反論が楽しみですね。
343:神も仏も名無しさん
08/12/26 02:54:23 QfORdN1l
偏執的ともいえる輪廻・アートマン肯定派は、最初にもいったように、要する
に、浅薄にもキリスト教の影響を受けていることは確かだと思う。少なくとも、
キリスト教を本質的に批判することはできないはず。
一方、クリスチャンは、全面的肯定派だろう。両者間の親和性は、極めて高い。
否定したら、「俺が俺が」のイエスのエゴや、その「「復活」「再臨」「永遠
の生命」「最後の審判」も正当化できないからだ。
輪廻転生は、キリスト教の宣教「手段」としての、罪の意識の植え付けという
「脅迫」にも通じる。また、聖書の文言から一歩も踏み出せない狂信性も同様
である。
344:神も仏も名無しさん
08/12/26 06:20:02 Fu5ETnCd
佛法を修せざれども、自然に覺海に歸すれば、さらに生死の輪轉なし。
このゆゑに後世なしといふ。これ斷見の外道なり。
かたちたとひ比丘にあひにたりとも、かくのごとくの邪解あらんともがら、さらに佛弟子にあらず。
まさしくこれ外道なり。
おほよそ因果を撥無するより、今世後世なしとはあやまるなり。
by道元
345:神も仏も名無しさん
08/12/26 06:37:19 VdvlfdRo
>>343
釈迦はクリスチャンか?
346:承狂 ◆nR84EH8w52
08/12/26 07:16:55 ATXrBQd0
>345
君はバカだな?(笑)
347:神も仏も名無しさん
08/12/26 08:31:43 G8WAzMuV
>346
まぁ、あまり賢いほうじゃないと思うが、君よりは幾分マシだよ。(微笑)
348:神も仏も名無しさん
08/12/26 08:34:29 G8WAzMuV
>>342
同じことのくり返しさ。
平行線は交わることは無いという結論が出ている。
君は物分りが悪いな。
349:初代スレの5
08/12/26 08:38:10 CRvUCEUf
>>348 別に交わることを期待しているわけでは、ありませんが。
350:神も仏も名無しさん
08/12/26 08:39:51 G8WAzMuV
自説の論拠が推測にしか過ぎず、学説と呼ぶには曖昧に過ぎることを並川氏自身が認めたとしても、釈迦の言説すら貶める連中が自説を省みることはありえない。
351:神も仏も名無しさん
08/12/26 08:52:54 EmgWArW4
>・質問者からの指摘は適切でそれ自体は正しい。
>・従って、輪廻を初期仏教の段階で認めていたと考えるのも妥当。
↑↓この間の転換がわけわからん。
>・しかし、本当に釈尊自身が輪廻を考えていたかは研究者たちの見解に相違がある。
>・原始経典の内容全てが釈尊の教えとするのと、
> 或いは弟子の見解も入っているという二つの見方がある。
二者択一しかないわけは無かろう。弟子の見解は入っていても釈尊の金口の論旨を妨げるものではなかろう。
弟子は釈迦の弟子であれば、遺志を継ぐのは当然のことである。しかも「サンガ」という共同体にあれば釈尊の意志を曲げることのほうが難しい。
よしんば若干の表現等の変革はあったとしても、「輪廻」に纏わる大きな問題を操作することのほうが困難である。
「輪廻」が方便であるとする説も同じ。
352:神も仏も名無しさん
08/12/26 09:34:20 rbjSMtWi
もういいかげんにしたら? → >>343
353:神も仏も名無しさん
08/12/26 09:47:52 rbjSMtWi
>>314
>すばらしい帰依ぶりですね。
↑ このレスも宗教に嵌り、宗教カテゴリー内だけの言葉ですねw
賛同出来ない点は、ちゃんと主張しますょン~、勿論ね(笑
ご隠居氏の無神論は、当たり前の万人が納得出来る現実の自明の事実を言われてるだけ。
納得して賛同してるだけで『生命教』という宗教ではないから「帰依」という言葉は不要w
信憑性の不確かな聖書・経典・・等の教義の一部分に陶酔している信徒とは全く異なりま~す!★☆
>>316
>自演(爆笑 ご苦労!
↑ って、クリ達みたい、ちゃんと、ID確認してごらんなさ~い
「天眼通」他の神通力も修行成果全く無しの証明(笑
>>317
>隠居とやらのマイコンの虜☆
ご隠居氏の論は現実面に立脚した確かなものだから、信じることも盲信することも不要、
儲にもならないし、却って足手まといっしょw☆(笑
354:神も仏も名無しさん
08/12/26 10:01:45 KUNSDBSk
>ご隠居氏の論は現実面に立脚した確かなものだから、信じることも盲信することも不要、
>儲にもならないし、却って足手まといっしょw☆(笑
>>353
自ら遜って無私の帰依をしている。
そして言っていることが、オウムなどに見られるマイコン信者たちの自我防衛と全く同じ所が恐ろしい。
355:神も仏も名無しさん
08/12/26 10:06:57 rbjSMtWi
お馬鹿につける薬な~し!!
忙しい!
356:初代スレ7
08/12/26 10:30:24 rP9xTeJf
>>341
そうなんだ。
ま、36年前の発表だもんな・・。
あの論文は、血気盛んな若い頃ならではってことか。
歳とると、やっぱり丸くなるもんなんだな・・・w
(それとも、あれが修士論文かなんかだったのかな? ほやもんで“敢えて奇をてらった”とか?w
年齢的にそれは無いか・・・)
それでも、ワシが学生の頃は、「現代日本仏教は言ってみればバラモン教(祭祀宗教)だ」と明言してたが・・・。
(尤も、これはある意味正解なんでw、改めて訂正する必要もないか・・・w)
他にも色々言ってたがw、田上の授業も面白かったなぁ・・・。
357:神も仏も名無しさん
08/12/26 10:39:01 PgXFahqo
>>356
仏教を扱下ろすことが「新しい学問」のステータスだった。
当時の教授陣もそういう人を評価していた。
トリビアルな枝節を誇張して「批判的教学」を論じれば学問らしく見えた。
そういう時代だったのですよ。
358:初代スレ7
08/12/26 10:46:08 rP9xTeJf
>>357
>そういう時代だったのですよ。
かもなぁ・・・。
学生時代、袴谷・松本シンパのなんと多かったことか・・・w
359:神も仏も名無しさん
08/12/26 10:49:13 NW1cZGtt
>>357
というよりも、仏教を時代に合わせて解釈するという努力だったのでは
ないか。
前レスの宮崎氏の書評から、釈迦もその努力をしたことが窺われる。
360:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:11:15 lJAxX148
>>357
批判仏教、輪廻批判とかしてる学者は、今でもそうですね。
とても優れた学者とは思えません。
>358
駒沢といえば、水野弘元先生と片山一良先生がなんといってもいいな。
学問も堅実で仏教に対する信があって。
ただ二人ともパーリや曹洞宗的な視点があるところが、私的には玉にきず。
361:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:13:54 lJAxX148
>>359
え~、宮崎さんとか並川さんとか問題外だと思いますが。
362:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:15:04 lJAxX148
以下で「輪廻 仏教」で検索した結果で、原始仏教関係と思われるものを抽出してみました。
URLリンク(ci.nii.ac.jp)
*が付いているものは、上からダウンロード可能。
それ以外にネット上で閲覧可能なものは URL を貼っておきました。
松尾,宣昭/仏教と「輪廻」の概念--並川孝儀氏の所論をめぐって
竜谷哲学論集 (22),51~77,2008(ISSN 09176284)
松尾,宣昭/「輪廻転生」は「諸法無我」と矛盾するか
竜谷教学 (42),112~125,2007/3(ISSN 02885298)
石飛,道子/仏教と輪廻(下)ブッダは輪廻を説かなかったか
春秋 (475),24~27,2006/1(ISSN 13436198)
URLリンク(homepage1.nifty.com)
優れた正論、ただし比喩は誤解を招きかねないと思われる。
石飛,道子/仏教と輪廻(上)ブッダは輪廻を説かなかったか
春秋 (474),5~8,2005/12(ISSN 13436198)
望月,海慧/仏教と輪廻転生--ブッダは輪廻のことをどう考えたのか
春秋 (467),5~8,2005/4(ISSN 13436198)
未見だが、上の石飛論文で論破されたと聞く
森,章司/死語・輪廻はあるか--「無記」「十二縁起」「無我」の再考
東洋学論叢 (通号 30),180~158,2005/3(ISSN 03859487)
村石,恵照/仏教の霊魂観--縁起・輪廻の主体・往生の主体をめぐって
日本仏教学会年報 (71),1~14,2005年度(ISSN 09103287)
並川,孝儀/原始仏教にみられる輪廻思想--ゴータマ・ブッダの輪廻観
印度哲学仏教学 (19),35~56,2004/10(ISSN 09128816)
363:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:18:02 lJAxX148
*楠本,信道/『倶舎論』における世親の縁起観 : 有部と経量部の十二支縁起解釈
印度學佛教學研究 51(1),373-376,20021220(ISSN 00194344)
原始仏教でも輪廻は認めていたと述べる。
小谷,信千代/和辻博士の縁起説理解を問う--釈尊の輪廻説と縁起説
佛教学セミナー (76),1~19,2002/10(ISSN 02871556)
伊藤,正見/命根と中有--輪廻転生の主体として
東海仏教 47,53~38,2002/3(ISSN 04957407)
前田,專學/講演会 インドにおける業論--業報輪廻
真宗教学研究 (21),97~112,2001/6(ISSN 13462156)
茨田,通俊/対外道における初期仏教の思想的見地--業・輪廻思想と無記説
真宗教学研究 (20),55~66,2001/03(ISSN 13462156)
櫻部,建/輪廻について
佛教学セミナー (72),15~20,2000/10(ISSN 02871556)
望月,海慧/ブッダは輪廻思想を認めたのか (佛教をいかに學ぶか--佛教研究の方法論的反省)
日本仏教学会年報 (66),49~63,2000年度(ISSN 09103287)
著者の常識が文献検証することによって打ち砕かれ、輪廻を比喩として説いたと苦しい説を提唱している。
梶山,雄一/アーラヤ識と業報・輪廻
創価大学国際仏教学高等研究所年報 (2),3~19,1998年度(ISSN 13438980
URLリンク(iriab.soka.ac.jp)
有部、経量部、唯識、中観は輪廻を認めているとしながらも、
輪廻と無我が相容れないということを暗示しているのは理解できない。
364:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:19:01 lJAxX148
浪花,宣明/パ-リ上座部の業論(2)--輪廻
仏教研究 (通号 25),7~27,1996/03(ISSN 02850605)
*外薗,幸一/業報輪廻の倫理観 : 六道輪廻説を中心として
鹿兒島経大論集 36(1),87-139,19950420(ISSN 02880741)
好論文、穏健な説と思われる。
二瓶,孝次/釈尊の悟りと道徳的発達(中) : 行為の因果律と最善観的輪廻転生論
北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編 45(2),29-44,19950300(ISSN 03864472)
細田,典明/輪廻の主体についての蛭の譬喩
印度哲学仏教学 (通号 9),p68~89,1994/10(ISSN 09128816)
舟橋,尚哉/輪廻思想と仏教
佛教学セミナー (通号 59),p1~16,1994/05(ISSN 02871556)
梶山,雄一/輪廻と超越--「城邑経」の縁起説とその解釈
哲学研究 47(8),p1324~1359,1984/10(ISSN 03869563)
松濤,誠達/仏教が排除したもう一つの「輪廻説」--父と息子の一致をめぐって
東洋学術研究 22(1),p60~70,1983/05(ISSN 02876086)
URLリンク(www.totetu.org)
玉井,威/ミリンダパンハ-における輪廻説について
印度学仏教学研究 26(2),p872~874,1978/03(ISSN 00194344)
*岡崎,公良/『ミリンダ王問経』における「輪廻転生」思想について
金城学院大学論集. 人文科学編 10,47-61,19761230(ISSN 04538862)
多分、哲学系の学者による論考で誤認が多い。
365:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:20:01 lJAxX148
山本,啓量/原始仏教における輪廻並びに無始無明と触に関する考察
印度学仏教学研究 25(1),p184~187,1976/12(ISSN 00194344)
服部,正明/輪廻と業 (仏教思想の核心(特集))
中央公論 89(5),334~342,1974/05/00(ISSN 05296838)
*修山,脩一/佛教中に輪廻転生説の存在する理由
佐賀龍谷學會紀要 11,30-44,19641225(ISSN 02863758)
輪廻を有我思想、禅定体験の結果と捉えている。
*海恵,宏樹/ビルマ仏教の輪廻説
東南アジア研究 1(3),11-23,19640000(ISSN 05638682)
上座系の輪廻説が分かりやすくまとまっている。
上野,順瑛/原始仏教に於ける無我輪廻説の論理的意義
印度学仏教学研究 7(1) (通号 13),190~193,1958/12(ISSN 00194344)
雲井,昭善/阿含における輪廻の問題
大倉山学院紀要 (通号 1),27~41,1954/12(ISSN 04715144)
雲井,昭善/輪廻の思想的根拠
大谷学報 34(2),1~12,1954/09(ISSN 02876027)
雲井,昭善/輪廻と無我について
印度学仏教学研究 2(2),633~635,1954/03(ISSN 00194344)
舟橋,一哉/釈尊の輪廻説
大法輪 20(11),19~23,1953/11
春日井,真也/仏教に於ける輪廻の主体の問題
宗教研究 (通号 133),293~295,1952/12(ISSN 03873293)
366:354
08/12/26 11:35:36 yc/GRHcD
>>355
「オウム」「マイコン」この御札は、何処にでも誰にでも、貼り付けることが出来る上に、嫌がらせの効果は絶大であるなw
367:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:48:50 J4SuHc6H
マルクス主義の敗北とともに仏教学においても唯物論勢力が衰退しているのだ。
368:初代スレ7
08/12/26 11:58:12 rP9xTeJf
>>359
>仏教を時代に合わせて解釈するという努力
それは今でも変わらないんじゃないかな・・。(その頃が、その大きなうねりの始まりだったとしても。)
教義のみでなく、文化的視座をもって仏教を捉えていく、とか。
仏典に真摯に向き合う者、触れた者にとっては、
「今でも使える仏教」というのが、やっぱり主軸になるんじゃないかな・・。
>>360
>私的には玉にきず
それは仕方ないんじゃね?w
片山さんはおそらく、
「現存パーリから原始(初期)仏教へアプローチする」という立ち位置を自認してるだろうし、
また現在翻訳中なれば、パーリ仏教の枠外へ出ることは控えられるだろうし・・。
(通仏教的発言は、無難なものが多いw)
律や注釈等(全てに)一区切りついた時、それらを踏まえた上でどのような発言となっていくのか、
今、一番楽しみな所ではあるw
369:神も仏も名無しさん
08/12/26 12:19:47 lJAxX148
>>368
>>>360
>>私的には玉にきず
>それは仕方ないんじゃね?w
まったくのないものねだりです、ハイ
お二人とも実に立派な仕事なのは、ちょっと勉強すれば分かることですから。
370:神も仏も名無しさん
08/12/26 12:54:53 lx4ioda4
ブッダのことば パーリ仏典入門 片山 一良 (著)
●あとがきより抜粋
これ(本書の元となる『大法輪』の連載執筆)をお引き受けするにあたり、
私は次のようなことをお許し頂いた。その時もそうであったし、
今もそうであるが、私はいわゆる研究というものをしていない。
時間は訳経や坐禅に費やされることが多く、いつも仏教は一つであり、
原始仏教であれ、上座部仏教、あるいは大乗仏教であれ、それは名のみのもの、
教えの根幹はまったく同じである、と学んでいる。
従って執筆はそのような把握によるまとめとなり、学術的なものにならない。
いわゆる仏法の立場から「ブッダのことば」を紹介したい、ということである。
371:神も仏も名無しさん
08/12/26 12:57:00 lx4ioda4
同じ大学の同じ学者とは言いながら、えらい違いやで。
ほんま。
372:初代スレ7
08/12/26 13:07:22 rP9xTeJf
>>370
単行本になってたのか。
いいあとがきだ・・。買おう。
ちょっと注文してくる!
(д゚ )
( ) =
く \ =3
373:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/26 13:10:22 wA2ei/HQ
>>332
>明確に「人間の来世の生まれ変わり」ということについて、
>宗派としての見解(個人的意見ではなく)を教えて下さい!
>我々、大衆は死後に生まれ変わりをしているのかどうか?
>「はい」「いいえ」「その他」(わからない、興味なし、など)として明確にご回答下さい。
>どこに出しても問題のない宗派の教義としての見解で宜しくお願い致します。
------------------------------------------------------------------
面白い質問だね。
おそらくは伝統宗派は明言は避けるかとおもうが。
まあ、それとは別に、
昔、朝日新聞だったか?僧侶に無記名でアンケートをしたことがある。
質問項目は、
「霊魂は存在するとおもいますか?」
この質問に関しては、宗派間にはそれほど開きはなかった。
「ある」と「ない」が半々くらい。
つまり宗派にはあまり関係なくて、最終的には僧侶自身に依るところが多い。
禅宗系でも、すべての僧侶が見性しているわけではない。
(現在は、見性率はかなり落ちてる)
それよりも説法の上手い僧侶が重宝がられる。
ようするに宗派というのは、
世間と馴れ合って上手く運営するのが仕事であって、
教理は二の次になる。
374:神も仏も名無しさん
08/12/26 13:21:58 pbKgz190
>>372
アマゾンに2冊あった在庫がパッと無くなった(笑
375:神も仏も名無しさん
08/12/26 13:24:47 W8UgZBIa
玉に瑕だって・・・
ここに水野先生を超える碩学が隠れていたのか・・・w
376:初代スレ7
08/12/26 13:36:52 rP9xTeJf
>>374
自分、大抵1-Click注文なんで・・・。サーセンw
377:神も仏も名無しさん
08/12/26 13:53:32 lJAxX148
>>375
水野先生は、大変尊敬していて日本一の仏教学者だと思ってますが、
多少、パーリ、曹洞宗的香りがするということですよ。
例えば『要語』旧版20で顕密の区別を主として日本としてますが、
これはインド・チベット・モンゴルでも重要です。
また134で法身、仏性、如来蔵に批判的ですが、これがパーリ、曹洞宗的香りですね。
もちろん『要語』は名著中の名著で、存在・本体論、ヴィヤヴァハーラからラクシャナへ、
ニッサッタニッジーヴァター解釈、サンガの意味、十二縁起を自内証の法門とすること、
四諦の三転十二行相解釈、信戒定慧解釈、四証浄などの高い見解が
明解な基本用語の解説とともに簡潔に説かれていて圧巻です。
何度読んでも発見があります。そして利他意識で書いておられるところも素晴らしい。
378:神も仏も名無しさん
08/12/26 14:01:14 lERFp53V
>>377
水野氏の一般向けの文庫版を立ち読みしたことがあるが、あまり感心
しなかったことを覚えている。何だか、のめりこんでいる感じ。
379:神も仏も名無しさん
08/12/26 14:49:44 DRU0q5WW
>>378
読み物として娯楽性が無いからな。
並川氏とかその手の人たちは「売れる」本や、新しい「学説」を唱えて話題性を出すのが目的としか思えん。
時代の要請に応えていると言えば、聞こえがいいが、その行為に学者としての面目は無い。
380:神も仏も名無しさん
08/12/26 15:22:03 lJAxX148
>>379
同意!
381:神も仏も名無しさん
08/12/26 15:54:43 sSQvRqja
>>373
>つまり宗派にはあまり関係なくて、最終的には僧侶自身に依るところが多い。
>禅宗系でも、すべての僧侶が見性しているわけではない。
>(現在は、見性率はかなり落ちてる)
禅宗の宗祖、達磨は「二入四行論」の中で確かに因果と輪廻を語っている。
道元も然り。白隠も然り。祖師方は皆、輪廻を前提に道を示している。
あんたは輪廻を認めない禅者は「未達・未見性の人」という意味で語っているのか?
382:神も仏も名無しさん
08/12/26 16:21:25 J4SuHc6H
輪廻がタブーなのは人権団体からの糾弾を恐れているからではないか。
383:神も仏も名無しさん
08/12/26 16:24:58 zUHdtS/V
>>382
しぃーーーーっ!
町田発言とか蒸し返して、寝てる子を起こすんじゃない。
384:神も仏も名無しさん
08/12/26 16:54:39 W8UgZBIa
>法身、仏性、如来蔵に批判的ですが、これがパーリ、曹洞宗的香りですね。
パーリは分かりませんが、
曹洞宗的ではなく袴や松本的ですね。
385:初代スレ7
08/12/26 17:31:30 rP9xTeJf
>>382-383
ま、超宗派で「同宗連」ってのがあるくらいだからなw
そりゃ、発言に慎重さも出ようて・・・www
また、おそらく各宗派、経費の中に同和問題に絡んだものが必ず計上されている筈。
今現在は殆ど形だけの経費・集まりかもしれんけど・・。
けど、地域によっては、今でも東奔西走してるお寺さんは多いと思う。
まさしく「負の遺産」と化している・・・。
日本仏教のこうした歴史的推移と事実を無視して、綺麗な仏教だけを語ろうとするのは
少々厚顔に過ぎると思うわけで・・・。
仮に「輪廻」や「過去世」「過去世の業」を認め・語るにしても、その時には、
たとえあちらサイドの過敏な反応が無かったとしても、
差別の助長や生産に対してブレーキとなる言葉や語り口が必須であろう。
若者或いは子供たちの間に、昔日のような(部落的な)差別意識が存在しない(或いは薄まっている)としたら、
尚のこと“語り口には「工夫」が必要”だろう。
輪廻存在派は、この点を肝に銘ずべきかと思う。
人間が社会的動物である以上(共同体として生きる以上)、その心に差別感情が生じるのは必然であり、
生じてしまうことそれ自体を責めることはできない。
が、そこへ言葉を投げ入れ、視線の転換を提示するのは大人たちの義務だと思うし、
それこそが本来の宗教の義務であろう。本来の仏教の義務であろう。
個人的感想を言わせてもらえば、(21世紀にもなったことだし)、
あちらさん達の現状や運動の仕方に疑問を感じえないし、
両者共に有する過敏な反応はどうかと思ったりもするわけだが・・・。
これは、私自身が、縁遠い地域・環境で育ってきた故の、楽観的夢想かもしれないが・・・。
386:神も仏も名無しさん
08/12/26 17:54:46 jP2uVUJO
>>385
輪廻肯定者だが、貴方の仰る事には深く、激しく同意いたします。
387:神も仏も名無しさん
08/12/26 18:02:51 jP2uVUJO
>>384
曹洞宗門の人は、みんなマゾで袴タソや松チャソの事大好きなのかと思ってた。
388:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/26 18:26:22 Ud6CDBh4
>>381
>禅宗の宗祖、達磨は「二入四行論」の中で確かに因果と輪廻を語っている。
実際のところは、菩提達磨の論書というのは後世に誰かが書き残した。
というのが一般的な見解ですね。
六祖・慧能の書といわれる「六祖壇経」も、最近になってバーミヤン遺跡から資料が発掘され、
弟子の神会が書いた、とされるのが一般的です。
中国禅といいますのは、粗野で荒削り的な印象で、日本的繊細な禅とは多少違います。
達磨も慧能も優秀なスポークスマンがおったわけで、
そういった人物の宣伝(論書などが)に使われた可能性がある。
(中国人は、こういうのは得意)
>道元も然り。白隠も然り。祖師方は皆、輪廻を前提に道を示している。
道元は、三時(いわゆる過去・現在・未来)については悟っておりますから、
輪廻からは既に解脱は達成してますね。
白隠は、「水に浮く氷(自分)という表現で書いてる。
つまり、氷(自分)が溶け(死)ますと水に帰す。という言い方です。
>あんたは輪廻を認めない禅者は「未達・未見性の人」という意味で語っているのか?
禅者で、輪廻に迷うておるのは未見性ですね。
見性の次に、コペルニクス的大転換を迎えるのです。
これで解脱達成ですね。
(いわゆる大悟というやつですね)
389:神も仏も名無しさん
08/12/26 19:03:28 Uk1EfedL
>>388
流石、宗教板の牢名主だ。
全く迷いが無い。
そして成長も無い。
390:神も仏も名無しさん
08/12/26 19:13:14 KJpa90di
しかし、まぁなんというか。
持説に不都合な記述に出くわすと、師匠に黙って弟子が書きました~とか、増広だ~とか、陰謀だ~とか。
あっさりバッサリ切ってしまえる、迷いの無さが恐ろしい。自己を省みるという姿勢が全く無い。仏教以前の問題である。
学者でもこれだから、その辺のおっさんなら尚更か。
391:初代スレ7
08/12/26 20:10:58 rP9xTeJf
>>390
2500年の伝言ゲームが、一字一句違わず成功したという楽観視もどうかと思うけどなw
(´ー`)y━~~
392:神も仏も名無しさん
08/12/26 20:13:05 lJAxX148
>>384
いえいえ、道元禅師に本覚批判を臭わせる言動があって、松本さんや袴谷さんは護教論のつもりで書いたのでしょう。
少なくとも最初は。
>>390
松本さんに至と釈尊でさえ仏教を知らないと言ってます。
393:神も仏も名無しさん
08/12/26 20:17:04 Rj8fd9JT
■今の日本の現状を見ても明らかなように、 宗教を利用したがっている人間は沢山いますよ。
釈尊入滅後100年を経て経典は編纂されましたけど、この約2400年の間にはそういう輩
もいたわけで、書かれていても鵜呑みにはできませんですね。(釈尊が空中を飛ぶ話もある)
// |ヽ\
/ / | ヽ 人
^Y⌒Y⌒(__)
||,∧(____)
||;;;;::::・∀・:;ヽ <■ もちろん、全ての宗教は本質的には【マイコン】【洗脳】 から切り離せない。■
,Jl;;;::::;;;:::::::;;;:;;;:ヽ ちなみに極楽浄土などの「浄土」という概念は、本来はあらゆるとらわれから解き放たれた状態
/;;⊂::::▲ ▲ ▲ヽ を指すのであって、輪廻ではありません。
i;;;::::::;;" .▲ ▲ ▲.i
|;;;;;:::::i l
.ヽ;;;;;;; /
.\;;;;;;;;;;;:::::::/
■ 確かに経典の中には輪廻を説くものもあるのです。
どういうことかというと、輪廻を自明の理と考えているインド人にいきなり「無我」を説いても受け入れてくれません。
したがって一旦、輪廻を肯定した上で、徐々に「無我」へと導くように説いたためのことです。★☆
394:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/26 20:17:42 wA2ei/HQ
>>390
>師匠に黙って弟子が書きました~とか、
「師匠に黙って」というよりも、
新進気鋭の慧能をバックアップしたのが神会で、
神会の影響がなかったら、
慧能自身が禅の歴史に残ることさえなかったわけです。
五祖・弘忍あって慧能あり。
神会あって慧能あり。
(慧能というのは、よくよく運が良かった)
貧乏クジを引いたのが神秀。
395:神も仏も名無しさん
08/12/26 20:20:45 7EVHeFnb
>>391
たしかに、よくよく安心して手放しではいけないことも確かではあります。
温かい血の通った「仏法」を望むなら尚更。
>>392
スッタニパータは反仏教w
ギャグなのか?w
396:170
08/12/26 20:35:18 8mkwDlQe
392さんへ
>>>390
>松本さんに至と釈尊でさえ仏教を知らないと言ってます。
こういうネジレタことを言うくらいなら、
「お釈迦さんは間違っている、俺は仏教をやめる!(そして新しい哲学学派を建てる)」
と素直に言えばいいものを。
「仏教」という看板がないと、人が集まらないし金も集まらないからなんだろうね。やっぱ。
393さん
>■ 確かに経典の中には輪廻を説くものもあるのです。
なんだ、やっぱり輪廻を説いているじゃん。
>どういうことかというと、輪廻を自明の理と考えているインド人にいきなり「無我」を説いても受け入れてくれません。
>したがって一旦、輪廻を肯定した上で、徐々に「無我」へと導くように説いたためのことです。★☆
うむ、結局「お釈迦さんは輪廻を説かなかった」と主張する人は、「お釈迦さんは嘘つきだ」という結論にいたるわけね。
お釈迦さんは2500年前の古代人なんだからさ、別に奇天烈な事を言っていたっていいじゃない。
お釈迦さんの言う事が正しいと決め付ける義理もないんだからさ。
397:神も仏も名無しさん
08/12/26 21:30:52 J4SuHc6H
コピペ
白隠禅師の仮名法語をつらつら読んでいる。
「禅宗は輪廻説を捨てた、否定してきた」とまことしやかに言う論者が多いが(玄侑宗久師もそうだ)、白隠師は口をすっぱくして輪廻と因果応報を説く。
道元禅師はもとより、日本臨済宗中興の祖(事実上の祖師)たる白隠禅師も、輪廻を否定し、修行を否定する似非仏教者を外道とののしり排撃したのだ。
まともな仏教者は輪廻を説くってこった。
398:神も仏も名無しさん
08/12/26 21:50:53 IY/ZT5V0
>397
机曰く、白隠は見性しておらん。
又は
仮名法語は弟子が書いた。
399:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:03:43 R1i5/yzb
輪廻はヒンズー教の概念。仏教はそれを否定することから始まっている。
仏教は現世での悟りを説くものである。
400:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:08:44 GyR0m75w
>>399
輪廻の思想(梶山雄一)人文書院
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
過去ログも読んどけ。
401:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:18:28 wXqqzkiu
>>343
>輪廻転生は、キリスト教の宣教「手段」としての、罪の意識の植え付けという「脅迫」にも通じる。
また、聖書の文言から一歩も踏み出せない狂信性も同様である。
確かに、輪廻転生・カルマ論は <脅しと甘言>で悪用しようと思えば幾らでも出来そうなところが問題w
お布施だって仏教国では悪僧侶が、持ち逃げしてしまうことがあるらしくて、庶民はわずかな蓄えも
お布施してしまうので貧しい生活から中々、抜け出せない・・・とNHKの放送を見た記憶がある
キリスト教の拡大が日本では期待できないから、輪廻転生・カルマを説き、イエスも又、罪を
同様に説いているとか言って2大宗教・聖典が目指すところは一緒とでも使いたいのかも?(笑
402:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:45:55 74K2Qd0P
ブッダ成道時、「古き信を去れ」(相応部六,一 など)宣言は
ウパニシャッドの業報輪廻論と梵我一如論という両輪に対する信仰の全面否定宣言に他ならない。
ブッダもその当時の自由思想家の一人であったのであり、
そうでなければ敢えて「宗」を起てなければならない必然性はない。
「わたしがいま証得したこの法は、はなはだ深くして観がたく悟りがたく、
微妙にして思念の領域を超え、深妙にして賢者のみよく知るべきものである。」
このスレの輪廻肯定論者をみていればブッダの憂いは痛切に感じ取ることが出来る。
この馬鹿どもには「縁起の理は見がたく、この涅槃の理は悟りがたいであろう。
もしわたしが法を説いたとしても、人々はわたしの言うことを了解せず、
わたしはただ疲労困憊するのみであろう。」
403:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:55:08 KqJW06GI
白隠は、禅病にかかった。精神的な問題があったものと思われる。
カルト宗教は、白隠は引用するが、道元は引用しない。これは何故だろうか。
カルト宗教が好んで引用する他の人物は、ソクラテス、プラトン、イエス、
デカルト、パスカル、カント、ヘーゲル、ユング、老子、荘子、空海、親鸞、
平田篤胤、などである。
孔子、孟子、本居宣長、ヒューム、ニーチェなどは、間違っても引用しない。
、
カルトに共通する一定の思想的傾向が、窺われるのではあるまいか。
404:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:56:28 74K2Qd0P
>微妙にして思念の領域を超え、深妙にして賢者のみよく知るべきもの
スレ主こだわりの単なる筏である経典をはじめとする言語論理ではなく、
「思念の領域を超え」る、すなわち『無分別智=縁起の現観』を意味することはいうまでもない。
それを感じ掴み得る者を『賢者』という。
もちろんバラモン的輪廻転生ごときに迷っている者が『賢者』であるわけがない。
405:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:56:32 wXqqzkiu
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
人間には、百人百様の論理が可能であるが、それが「生存」の方向に向って
いる場合にのみ、それを「正しい」という。☆★
いなかる論理を弄してみても、それが「人間の生命の否定」に向っている場合
には、「正しい」とは言わない。論理が、人間の生命の機能である以上、当然
のこと。さもなければ、論理の発生源そのものを否定するという矛盾に陥る
からだ。
これは古今のどの「本」にも書かれていない「ありがたいお言葉」だよw。☆★
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
406:初代スレ7
08/12/26 22:58:18 rP9xTeJf
>>405
【悟りは】反仏教論の構築へ向けて・・・【逃避?】
スレリンク(psy板)
こちらへどうぞw
407:神も仏も名無しさん
08/12/26 23:01:44 74K2Qd0P
>>405
馬鹿&白痴のもう一回
316 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 21:14:53 ID:NTMZuZP8
>>313
>生物的生命
ってあんた、非生物的生命があるみたいな言い方だなw
カルトの一歩手前~~~~~!
生命とはよーするにDNAなんだから、無明の奥にはDNAが鎮座ましましているわけだ。
>「生命」という根源に立ち返らない限り
無明を常に逆命題とする仏教は常に根源からの発想をしているのはとーぜんだ。
なにマトはずれをしゅちょうしてるんだあ?
>すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
>「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だからである。
馬鹿すぎてお話にならんw
それは無明絶対肯定論であって、仏教ではない!!!
真相はDNAによって生命現象が「無明」という状態でコントロールされている(一切皆苦)から、
それをいかに克服するかがブッダの本懐であり四聖諦の本質だ。
クソ馬鹿隠居の主張はDNAによる無明絶対主義主義であって、無明外道そのものだ。
自演(爆笑 ご苦労!
& アディオス!!
408:神も仏も名無しさん
08/12/26 23:10:40 KqJW06GI
現代の裁判において、裁判官があらゆる証拠を調べても、真相は「闇の
中」であることが、殆どである。裁判の両当事者が、判決の事実認定に
満足することなど、稀である。
ましてや、1000年、2000年前の事実を完全に知ることは、絶対に
不可能。学者がいくら文献を調べても、釈迦はイエスは、「俺はそんな
こと言った覚えは無い」「そんな意味ではなかった」という恐れがある。
従って、大昔の歴史は、あくまで「参考程度」に留めることが必要。
絶対的に真実だ、などと信じ込んだら、とんでもない誤りを犯している
恐れがある。
「歴史」とは、「現在の視点」からの、過去の事実の「解釈」に過ぎない
のである。
409:神も仏も名無しさん
08/12/26 23:37:21 J4SuHc6H
>>403
孔子、孟子はオカルト。本居宣長は「みなことごとくに神の御所為なり」とおっしゃった。
ヒュームは懐疑論者。ニーチェは無神論に耐えられず狂気にいたる。
410:神も仏も名無しさん
08/12/27 01:25:25 ErdqLabv
>>409
孔子:「子は怪力・乱神を論ぜず」「いまだよく人に仕えん。いずくんぞ鬼神
に仕えん」
本居宣長の「かみの定義」は読んだのか。
ヒュームと道元は、世界最大の思想家・哲学者であると評価する哲学者もいる。
ニーチェの精神病は、商売女から移された梅毒が原因。誠に人間的である。釈迦
やイエスは、女は買えたのかね。買わなかったとしたら、性的不能者である疑い
が大きい。
411:神も仏も名無しさん
08/12/27 06:59:28 GvLDH93L
>>409
道元も女は買わなかったろw
女買いが正常人間の基準みたいだな(笑
イエスは知らんが、子供までこさえた釈迦をインポ呼ばわりとは恐れ入った。
わけわからんw
412:170
08/12/27 08:10:37 F7BTcLNZ
道元を自説(合理主義or輪廻否定)の箔付けに利用できると考える人はおかしい。
著作を読んでみればわかるが、奴は筋金入りの大乗狂信者(※誉め言葉)だぜ?
合理的な意味で読めなくもないようなところのみを引用するのは恣意的だね。
413:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 08:38:27 pP6ub8/r
>>397
>白隠師は口をすっぱくして輪廻と因果応報を説く。
因果応報なら、輪廻という果を必然性とするとこに論理矛盾があるだろ?
つまり分りやすく書くと、
果が最初から決定されている。ということになる。
おかしいだろ?
まあ、悟ればこのくらいの倫理矛盾は気がつくのだが、
拙者はあまりこういうのは書かない。
何故かというと、
こういう矛盾は拙者が指摘する前に、
貴殿が気づいてくれるのを待ってるからだよ。
自灯明というし、
借りもんの明智では、貴殿のためにはならい。
414:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 08:44:03 pP6ub8/r
× 倫理矛盾
○ 論理矛盾
415:神も仏も名無しさん
08/12/27 08:46:52 8i5s4PF+
>>413
わかっとらんのは、貴殿じゃよ。
頭悪い上に我執が強いから、何時までたっても無眼子。
416:神も仏も名無しさん
08/12/27 08:48:39 JMk7oblu
>>413
>因果応報なら、輪廻という果を必然性とするとこに論理矛盾があるだろ?
>つまり分りやすく書くと、
>果が最初から決定されている。ということになる。
>おかしいだろ?
それは机さんが縁起を理解してないと告白してるだけ。
仏教で果のことを異熟という意味を考えれば分かる。
業報は決定論ではありません。行為をする。業が蓄積される。
それが諸縁によって異なって熟する。
しかも、行為は連続してなされるから次々に変化する。
机さんは、水野先生の『要語』を三回ぐらい熟読した方がいいよ。
417:神も仏も名無しさん
08/12/27 08:50:05 8i5s4PF+
>>414
訂正しなくとも、貴殿の頭悪いのは、みんなしっとるよ。
ぷっw
418:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 09:24:33 pP6ub8/r
>>416
>仏教で果のことを異熟という意味を考えれば分かる。
なんでそんなに古い時代の言説を信じ込んでるんだろ?
殆ど化石みたいなもんだろ?
それでいいになら話は別だけど。
実有論の自性の話だろ?
そういうのを信じているんですか?
小一時間問いたい。
例の「原始佛教」のスレってのは、つまり懐古趣味みたいなもんだろ?
あれをそのまま信じこんでしまうのは、少々痛い気がするんだがw
419:神も仏も名無しさん
08/12/27 09:32:53 JMk7oblu
>>418
信じてますよ。なぜ、信じるか。私の場合は主に二点。
伝承してきた聖者たちの人格が素晴らしい。これは実際に合った結果です。
私の場合は、チベット人とビルマ人でしか聖者にあってませんけど。
日本人では一人もいなかったな。多少、神通ある人は結構いるけど。
経典と論書の体系と整合性、検証可能性がたしかであるということ。
言い換えると論理の筋道に矛盾がなく、やればそのとおり結果がでるということ。
それに信じないなら、机さんは仏教を絡めないで机哲学とか机思想で、
どっかで語ってればいいじゃないですか。
420:悪寛
08/12/27 09:37:46 aIxVQ4KW
外は、雪。
淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)
またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る
421:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 09:46:51 pP6ub8/r
>>419
>信じてますよ。なぜ、信じるか。私の場合は主に二点。
それは失礼しました。
>それに信じないなら、机さんは仏教を絡めないで机哲学とか机思想で、
>どっかで語ってればいいじゃないですか。
インドではそもそも宗教とか、哲学とか、思想とかのジャンル別の分類はないらしい。
ある意味、寛大な風土なんだろうけど、
それゆえに世界的な哲学・思想を生み出した。
とも言える。
422:神も仏も名無しさん
08/12/27 09:56:54 JMk7oblu
>>420
良寛さん、華厳的ですね。
423:神も仏も名無しさん
08/12/27 10:05:46 hdi800gm
>410
宣長みたいな神道カルトを孔孟や世界宗教と同列に扱い
ほめたたえる感性が理解できないw
神道系カルトの臭いプンプンw
424:神も仏も名無しさん
08/12/27 10:21:13 PomvwMU7
>>413>>418>>421
机が素になってら。よっぽど腹立ったんだな。
自分の胸に「チクリ」とでも痛いところがあったら、素直に真摯に透明になって入三昧。
そのくり返しが「仏道」
がんばれ。只管歩め。
でも、無理だろうなw
425:初代スレ7
08/12/27 10:22:59 /0y3IKKW
以前、A~Eという区分をしたが、もう少し簡潔にすれば以下のようなものとなる。
そして、このスレでは『1』(と『3』)が主要テーマとなる。
が、『2』を通過或いは援用せずに考察することもできまい。
『1』と『2』は常にセットであり、『2』(と当時の思想状況)によって『3』を類推することになる。
(『5』によって検証する方向性もあるが、万人向けとは言い難い)
別の場所で、電波氏が“思想的区分例”を提示していたが、それは『2』の解釈(のみ)に関連することであり、
『1』(及び『3』)と『5』の問題を捨象している。
上で述べたように、畢竟、『2』が最重要であることに異論はないが、
仏典を小脇に抱えて歩むならば、『1』との関連は各自がそれぞれにケリを付けておかねばならない。
でなければ、彼の語る言葉の誠実性(→小脇に抱えている理由)はぼやけてくる。
仏典をその場へ置いて歩んでいけばいい。(筏を置いて歩き出すように・・・w)
そういう歩き方もあっていい。(寧ろお釈迦さんは褒めてくれるだろうw)
1:記述の問題
仏典の記述は具体的にどのようになっているか
2:教義上の問題
仏教の教義は輪廻を欠いたら成立しないのか
3:釈尊の完全性の問題
ブッダ自身は、どう見ていたか
※その他
4:仏教外での問題
現代の種々の科学的知見は、輪廻の存在可能性を低下させている
5:★経験・体験上の問題★
宿命通は体験できるのか
できるとしたらそれはどのようなものか
426:神も仏も名無しさん
08/12/27 10:45:13 JMk7oblu
>>425
2. に関しては、一切皆苦で輪廻しないなら自殺すればいいと論理的に帰結されると思うんですが。
これを受け入れない理由はなんでしょう?
427:初代スレの5
08/12/27 10:56:54 MkASH/en
「この世のあらゆることは苦である。」 「輪廻はない。」
この二つを前提として考えるなら、「死」も選択肢のひとつでしょう。
しかし、それ以外の選択肢、すなわち「認識の転換により、苦を滅する。」
これこそが、仏教の本旨なのでは?
428:神も仏も名無しさん
08/12/27 11:13:39 JMk7oblu
>>427
>「この世のあらゆることは苦である。」 「輪廻はない。」
>この二つを前提として考えるなら、「死」も選択肢のひとつでしょう。
その二つの前提が眞なら、自殺しないのは不明、あるいは自己欺瞞でしょう。
選択肢のひとつではなく、当然、より必然的帰結。
>しかし、それ以外の選択肢、すなわち「認識の転換により、苦を滅する。」
>これこそが、仏教の本旨なのでは?
私が思うにこのように考えるのは、現状肯定したいからだと思います。
このように思う人が仏教に関わるのは、釈尊も自分の考えと同じだと納得したいだけ。
だから、一切皆苦も輪廻も適当に自分の思想に合わせて、
「やっぱり釈尊も同じこと思ってる、やっぱこれでいいんだ」と。
そういうことは意味ないでしょ。だからデレク・パーフィットとか読んでくださいよ。
429:初代スレの5
08/12/27 11:46:29 MkASH/en
>その二つの前提が眞なら、自殺しないのは不明、あるいは自己欺瞞でしょう。
選択肢のひとつではなく、当然、より必然的帰結。
「苦」というのは、あくまでも主体的認識によるもの。
ある個人にとっては、耐え難い「苦」が、別の「個人」にとっては
なんでもないことが普通にありますね。よって、「一切皆苦」が
真であっても、それが必然的に「死」に結びつくと言うのは論理の
飛躍ですね。
>私が思うにこのように考えるのは、現状肯定したいからだと思います。
このように思う人が仏教に関わるのは、釈尊も自分の考えと同じだと納得したいだけ。
だから、一切皆苦も輪廻も適当に自分の思想に合わせて、
「やっぱり釈尊も同じこと思ってる、やっぱこれでいいんだ」と。
あなたの思い込みでしょう。
430:神も仏も名無しさん
08/12/27 11:55:15 JMk7oblu
>>429
>「苦」というのは、あくまでも主体的認識によるもの。
>ある個人にとっては、耐え難い「苦」が、別の「個人」にとっては
>なんでもないことが普通にありますね。よって、「一切皆苦」が
>真であっても、それが必然的に「死」に結びつくと言うのは論理の
>飛躍ですね。
ほら「一切皆苦」をさっそく「適当に自分の思想に合わせて」ますね。
苦という言葉の意味をテキスト・あるいは仏教から離れて、
現代の意味で解釈している。それでは「一切皆苦」の意味なんて分からない。
431:初代スレ7
08/12/27 11:56:32 /0y3IKKW
>>426
今生で苦を滅することが不可能なら、その選択がベストでしょう。
だが、釈尊は苦の滅を説いた。
苦の因を知り、滅する方法を説いた。苦の滅を“我が身を持って”示した。
「来たれ、比丘よ」の意味を噛み締めねばならない。
これは、死を薦める言葉ではない。
アッサジが舎利弗に語った縁生偈は、
「今生に於いて苦の滅がある」と読まなければならない。「(今)行じれば必ず苦の滅がある」と読まなければならない。
入滅前の最後の言葉も、「(今)行じれば必ず苦の滅がある」と読まなければならない。
“仏教の枠で言えば”、
>輪廻しないなら自殺すればいい
などという論理展開こそ、真っ先に却下されるべき思考だと私は思う。
432:神も仏も名無しさん
08/12/27 11:59:53 ECzLbh7+
>>430
時代錯誤により、2500年前の釈迦の「言葉」だけにしがみついて
いるのは、教師の言葉をひたすらノートし、暗記している三流学生と
同じであることを自覚して欲しい。
それは、優れた教師としての釈迦が望んだこととでも思うのかね。
433:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:09:17 aIxVQ4KW
無明のままだと、即ちDNAによるコントロールを受けたままだと
~それが「生命」の存在形式だから~
一切皆苦であることは当然。
そのような事態をいかに超克するかが、ブッダの本懐だったはず。
で、無常=無我=縁起=空=中道の自得による新生がその結論。
>現状肯定 云々は??? 不思議なトンチンカンぶりですなあ。
そもそも輪廻などという概念自体が、ブッダの問題意識に関係ない異様な異質ブツだ。
434:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:09:19 j8hW9sMM
>>432
「言葉」の意味とつないでゆくと文章になる。
文章を繋いでゆくと、哲学になる。
「言葉」の体・用・相を疎かにしてはならない。
釈尊が在世に伝えたかったことは、仏教徒にとって「真理」であり「そのように在らしめる力」である。
在世の「言葉」の体・用・相を「なるべく」過たず踏まえ吟味し自家薬籠中のものとした上で、そこで初めて「現代の佛子の生きる道」を論じて欲しい。
435:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:17:36 ECzLbh7+
>>434
言葉は、極めて不完全、かつ制限的なもので、森羅万象を表現すること
など、到底不可能であることを、まず自覚すべき。
重要なのは、発語者がその「不完全な言葉で表現しようとする思想内容」
であることを、忘れてはならない。さもなければ、本末転倒となる。
436:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 12:18:21 pP6ub8/r
>>426
>これを受け入れない理由はなんでしょう?
まあ、貴殿達はそういう極論めいた書込みをするんで、
いかにも・・・って感じなんですが、
ある意味、仏教というのは極論なんですよ。
全くイイもんはない。
ニヒリズムの極とでも言いましょうか。
これが「一切皆空」なんですね。
しかしながら、これで終わらんとこが仏教の仏教たる所以でありまふ。
ここまでの絶対否定というのは・・・絶対肯定でもあるんです。
(これがいわゆる中道の中道たる所以ですね)
ニーチェの虚無主義というのも、これは仏教に通じる虚無でもあるわけです。
(たぶんニーチェは仏教に影響されたと思うが)
で、この世でイイことがないと、死ぬきゃないですか?
そんなことはないですね。
イイこともなければ、ワルイこともない。
安心して暮らせる、良い子の世界じゃ~ないですか?
437:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:18:46 JMk7oblu
>>431
>“仏教の枠で言えば”、
> >輪廻しないなら自殺すればいい
>などという論理展開こそ、真っ先に却下されるべき思考だと私は思う。
なぜでしょうか? 輪廻という前提があるからこそ自殺は苦しかもたらさない。
と考えるのが仏教でしょう。律で自殺を禁じているのは、その意味。
しかし、ヴァッカリやゴーティカというアルハットの自殺を釈尊は讃えています。
これは自殺しても輪廻しないアルハットの境地に達していたからに他ならないでしょう。
もちろん、「行じれば必ず苦の滅がある」のですが、それは輪廻を前提にした話です。
そして、必ずしも今生に限定してません。それは四双八輩や昇天が説かれていることから原始経典でも明らかでしょう。
大乗は普賢行がありますから言うまでもありません。
つまり、仏教で苦の滅は、戒定慧の三学によって無明を断つ以外、輪廻するしかないということですが。
438:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 12:21:58 pP6ub8/r
× 「一切皆空」なんですね。
○ 「一切皆苦」なんですね。
439:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:31:30 JMk7oblu
>>432
日本には聖者と分かる人がいないからしかたないですが、
言葉の問題は二次的なもので、多くの聖者に合ってるんでこの体験は個人的に動かしがたいですね。
>402
>「わたしがいま証得したこの法は、はなはだ深くして観がたく悟りがたく、
>微妙にして思念の領域を超え、深妙にして賢者のみよく知るべきものである。」
これを引用された方は、この意味を全く誤解してますね。
「微妙にして思念の領域を超え」というのは、凡人の思考対象にはならないという意味ですよ。
少なくとも素朴実在論的な見たままの世界が、そのまま実在していると思ってる人では絶対分からないという意味です。
この例は輪廻の主体によく現れているでしょう。
釈尊は輪廻の主体どころか、現在、現れている全ての生物に主体がないと説かれた。
でも、素朴な「思念の領域」で捉えようとする人は、何かを想定しないと考えられない。
だから、輪廻の主体は何かと考えてしまう。その思考法自体が無明であると気づく事ができない。
440:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:35:58 JMk7oblu
>>436
>まあ、貴殿達はそういう極論めいた書込みをするんで、
>いかにも・・・って感じなんですが、
>ある意味、仏教というのは極論なんですよ。
極論ではなく。あたりまえのことです。
この辺にしときますがw
441:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:36:02 ECzLbh7+
>>437
>輪廻という前提があるからこそ自殺は苦しかもたらさない。
「天国で生まれ変わる」という「輪廻」を「信じ込まされて」、自他の
生命を奪い続けているのが、自爆テロリストなのだよ。
「輪廻転生」の観念の弊害極まれりだね。
442:初代スレ7
08/12/27 12:37:33 /0y3IKKW
(とりあえず、聞かれたら書き込もう、と思って準備していたものを投下しておきます)
────────────
いつかは言われるだろうと思っていました・・w
御指摘に応えて私の(個人的)スタンスを>>425に当てはめれば以下のようになる。
以前のA~Eの時にどのコースになるかを一応考えてはみたが、
ややこしくて(&複数コースになって)面倒臭いのでやめたw
1:
仏典の記述は、その多くが輪廻(のあること)を前提としている
仏典の記述は、その一部は輪廻のあるなしを脇へ置いたものとなっている
2:
仏教の教義は、輪廻を前提とせずとも成立し得る(→今生に重点を置くのみでも成立し得る)
輪廻があろうがなかろうが、「為すべきことに変わりはない」
3:
我々には知りえない(おそらくはあると見ていた)
4:
我々には知りえない(おそらく輪廻はない)
5:
未体験故、他の方に委ねる
────────────
443:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:40:16 yoRa6vsL
>>435
>重要なのは、発語者がその「不完全な言葉で表現しようとする思想内容」
>であることを、忘れてはならない。さもなければ、本末転倒となる。
思想内容を「ただでさえ不完全な言葉で表現しようとしている」のだからこそ、思想内容をなるべく明確にするために
「言葉」を疎かにしてはならない。と言っているのですよ。
感情的にならないで、自分の錯乱した文章と歪んだロジックをよく見てみなさい。
444:神も仏も名無しさん
08/12/27 12:54:29 ECzLbh7+
>>443
「不完全な」言葉に固執すると、却って思想内容が見えなくなるという
本末転倒に陥る、と言っているのですよ。
常に、言葉より高い次元、即ち常識を用いるべきことを、忘れてはならない。
外国語を日本語に直訳すると、意味不明な言葉になりますよ。それは
もはや日本語でさえもない。
このことは、大学入試の英文和訳や長文解釈の場合の鉄則であるはずw。
445:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 12:56:25 pP6ub8/r
>>442
人間というのは、理性で納得いかないもんは、どうにか論理的に追求したがるもんだよ。
そういったベクトルの真逆を逝くのが、いわゆる仏教ですね。
446:神も仏も名無しさん
08/12/27 13:04:37 WtikHgrV
>>407
あははは・・・(笑
相も変わらず分からんおひとです。
君が、論を考えてレス出来るのは<生命>があるからじゃん!
命が無ければ2chもレスも修行も教学も仏陀もイエスも仏教も宗教も無いでしょw
(一切皆苦)だからと自分の「生命の否定」をしてどうするの?(笑
■ 生命の有難さが分からん人は、今から食べ物を一切食べるな!
■ TVでも街頭にでも立って「この世は(一切皆苦)だから子供は産まないようにしましょう!!」
と大声で叫んで、みんなの反応を見てきて報告してくださ~い!!
■カルト思考は、>>408>>432氏のレスを参考に「自灯明」で少しは考えてみんしゃ~い!
仏陀はうつ傾向かご苦労無しかもしれないし、イエスも又、問題あり・・とかく教祖は問題あり~(笑
>>426
>一切皆苦で輪廻しないなら自殺すればいいと論理的に帰結されると思うんですが。
論理的なのは、頭の中だけ、生きているということは肉体があって誰にも生命維持本能・
防御本能があるから結局、死にたくないわけw
だから、頭の中だけで論で「生命の否定」をしても苦しむだけ~
忙しくて時間の無駄!オチ
447:神も仏も名無しさん
08/12/27 13:06:44 JYs3F72g
>>444
おりこうさんですね。
釈尊は釈尊の時代の「常識」で語った。
釈尊の「言葉」の背後にあるものを踏まえよと言っているのです。
「言葉」の背景もわからない人が「思想」の背景がわかりますか?
およそ常識的な現代人なら時代背景を考慮に入れます。。
あなた自分でも、おかしいこと言ってるの解ってて意固地になってるでしょ。
448:神も仏も名無しさん
08/12/27 13:11:03 31NgOFCg
>>444
>「不完全な」言葉
ちなみに、この件の場合「苦」にかんして「言葉が不完全」なのは貴方と5氏
449:神も仏も名無しさん
08/12/27 13:24:16 ECzLbh7+
>>447
>釈尊は釈尊の時代の「常識」で語った。
だから、時代の変化に応じて、解釈時の時代の「常識」で改変しなければ
ならないのです。
当時の常識で語った釈尊の言葉を、機械的に現代に当てはめることは、
むしろ、「教え」そのものの否定です。
輪廻転生が、その典型例。それは現代の常識ですか。
450:神も仏も名無しさん
08/12/27 13:31:59 hdi800gm
みなさんに素晴らしい言葉を差し上げましょう。
अतो भावाभावान्तद्वयरहितत्वात्
सर्वस्वभावानुत्पत्तिलक्षणा
शून्यता मध्यमा प्रतिपन्मध्यमो
मार्ग इत्युच्यतो
一刻も早く二辺から離脱し、ध्यममार्ग を
歩みましょう。
451:神も仏も名無しさん
08/12/27 13:59:06 aIxVQ4KW
輪廻転生はバラモン=ヒンドゥによって仏教に対し謀略的に埋め込まれた異質物です。
カッコウが他の鳥の巣に卵を産み、その鳥に育てさせ、その鳥も小鳥も追い出すのと同じことです。
実質的にヒンドゥ化(輪廻転生+梵我一如)している日本仏教は、仏教の名に値しません。
もはや、自灯明、法灯明のひとり仏教で歩むしかないとおもいます。
452:宝珠愚者
08/12/27 14:00:18 JfEKiA1z
>>330
>ヒンドゥ=バラモンに下半身が犯されたロマンチスト
>あとは大日如来などの別名ブラフマンを設定すれば
それは何でもありの大乗の所産(末路)でしょう。金剛大乗はバラモン回帰だったのであり、シヴァ派の
シャクティー派よろしく、下半身を犯されたのは無上瑜伽タントラ派の左道密教化の流れでした。
この日本にも立川流が出現しています。僧侶が比丘尼や女性信徒らと修行と称して交わる世界・・。
>>391
インドにおける宗教思想での口誦は驚異的なものであり、
我々のような日本人の一般常識ではとても推し量れない。
「教授がすらすら暗唱するリグヴェーダの賛歌、これは紀元前1000年頃のテクストです。現代まで伝承
されていますから3000年の古さです。口承で正確に伝承されています。また多くの写本も残っています。」
URLリンク(www.k4.dion.ne.jp)
453:神も仏も名無しさん
08/12/27 14:01:21 bPN8EC0b
>>449
カッカせずに落着きなさい。
「言葉」の扱いについて貴方が不可思議なことを言い出したのでしょう。
「言葉」の解釈と時代的考察とをごちゃ混ぜにしているから、短絡的になる。
「言葉」の解釈を、お座成りにして全体の論旨が捉えることが出来ると考えるのは間違いだと気がつきなさい。
たとえば英語を学ぶときに貴方は文章の全体の意味から学びますか?
単語の意味を明確にするところから始めるでしょう。
そこが貴方に出来ていないから、仏教の話が極論になり自説意外について考察する幅が無くなる。
初歩に入るための準備をしなさい、といっているのです。
以上。
454:宝珠愚者
08/12/27 14:09:40 JfEKiA1z
>>339-340
(1)でいう「古き信を去れ」とは、バラモン思想(リグ・ヴェーダ以来の特にウパニシャッド的梵我一如
論)についての誤った大衆認識を意図するものと解することができます。つまり、世間では「アートマン」
が誤解されているからに他ならない。
あまりにも全然、分ってないようなので現代語で説明します。その誤解の様とは今日における日本の
一般大衆でも古代インドでも全く同様なのであって、つまり「魂」という概念についての理解は、今ある自
覚できる意識(表層意識)がそれであり、これが永久に生存し続けるか、または転生していくものと見なし
ているからなのです。
語句としてはこれもアートマン(自己)なのですが、実体は表層意識/低我であって、肉体の消滅後には
一定期間の間を中有界に留まることがあります。盂蘭盆のモッガラーナと母親の話などであり、これがい
わゆる心霊存在です。これは次の世では別のパーソナリティーへと転生するので、転生毎に消滅する存
在でしかない。
人々はこれが永遠に存続することを願っているのであり、これが永久不滅のアートマンと同一視されて
しまっているわけです。
ゴータマはそのような客観的実体的、或いはそんな機能的なアートマン観に対して反対したのです。低
我は転生毎のパーソナリティーに過ぎず、またバラモン聖典の説くアートマン(高我/真我)とて、厳密には
これは転生が終了するまでの媒体であって、そういう意味においては永久不滅ではない。
ゴータマはアートマン解説をしなかっただけであって、この私からのこの説明を読めば分る通り、これら
はただ誤解を生む元になりかねない事柄であるからとして危険なので避けたのです。
私は愚者だからアレコレと解説するのです。
455:宝珠愚者
08/12/27 14:11:36 JfEKiA1z
(2)でいう「われというものはない。またわがものというものもない。」とは、「(五蘊は)自己(真実の)では
ない」し、「五蘊は自己のものではない」から、自己ではないものを自己と同一視することなかれ!というこ
とを述べているのですよ。他経も読み進めればこれはより明確になります。全部、同じことしか述べてない。
恐らく、もともと「非我」であったものが、後の時代に他宗教との差別化を図るために弟子たちが「無我」
(アートマン否定)として説いていったのでしょう。そのほうがバラモンとの相違で明確化できるからです。結
果的には完全に誤解されてしまった・・。
>>402
>「わたしがいま証得したこの法は、はなはだ深くして観がたく悟りがたく、
>この馬鹿どもには「縁起の理は見がたく、この涅槃の理は悟りがたいであろう。
>もしわたしが法を説いたとしても、人々はわたしの言うことを了解せず、
死んだら終わり、などいう「断滅」がそんなに不思議で理解し難い深遠な見解だと??
「縁起の理は見がたく」というのは、縁起に拠る輪廻の現象をいうのです。
その驚異の体験に基づき把握した神秘なる大自然の摂理のことです。
「彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すなわち、ひとつの生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、
十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期
(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。」
>>248-249 といった体験と能力によりこれを語っているのです。
>>439-ID:JMk7obluさんによる説明はとても素晴らしい!
456:神も仏も名無しさん
08/12/27 14:36:52 aIxVQ4KW
>>452>>454>>455
「われというものはない」
「われというものはない」
「われというものはない」
「われというものはない」
「われというものはない」
言語明瞭、意味明瞭
まともな日本語能力があるなら。
一切法無我とは、我(attan),我所(mana) , 我体(me atta)の否定(無)を意味する。
これは仏教的常識だ。
無常=無我=縁起=空=中道
*このメタコード的立場からは断滅論などと誤解されようがない。
宝珠愚者はいつもながらの自己中ご都合主義的曲解に必死だな
似非仏教にとどまらず、遠慮はいらん、ヒンドゥに逝けよ。
誰も止めたりはせんぞw
457:神も仏も名無しさん
08/12/27 14:48:50 aIxVQ4KW
>>455
458:神も仏も名無しさん
08/12/27 14:49:36 aIxVQ4KW
>>455
だいたい「非我」などという甘っちょろい言い換え、すり替えはバラモン=ヒンドゥそのものであって、
ブッダ成道の深さと鋭さを無視し、事実上揶揄するものだ。
ブッダ立宗の意義根本的毀損を目論んだ外道の見解だといわざるを得ない。
459:神も仏も名無しさん
08/12/27 15:08:51 aIxVQ4KW
>>455
相応部経典二二,八九は文言どおり
「すでにわれなしと知らば」←我(attan)そのものの否定
「何によってかわがものがあろうか」←我所(mana)の否定を意味する。
「すでに“われなし”と知らば」を非我などと読みようがない。
もし、そう読めば相応部経典二二,八九は意味を成さなくなる。
一切外の我(attan)の我所(mana)を認めることになり、ナンセンス極まる戯論だからだ。
完全な無明執着であり外道というほかない。
460:初代スレの5
08/12/27 15:32:36 MkASH/en
>>454 >これが永久不滅のアートマンと同一視されて
しまっているわけです。
この「永遠不滅のアートマン」 なるものが、いったい、どのようなもので
あるのかについての説明が全くありませんね。
461:神も仏も名無しさん
08/12/27 15:44:12 HdrfxgPf
■ キリスト教は、宗教戦争・紛争で沢山の残忍な殺戮を繰り返しているのに
勢力拡大して、世界最大宗教にまで発展してるではないですか? ■
人
(_)
(__)
(・∀・ ∩ )) ☆★ 勿論、<カルマや輪廻>なんてあるわけないでしょw ★☆
(( (⊃ 丿 「天国で生まれ変わる」という「輪廻」を「信じ込まされて」、自他の
(__)し' 生命を奪い続けているのが、自爆テロリストなのだ。■
↓
■ 「教会は最大の犯罪組織」 URLリンク(www.hpo.net)
■ 「魔女狩りの時代」 URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
■ 「十字軍の実体」 URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
■ キリスト教 URLリンク(www6.plala.or.jp)
■ 聖バルテルミーの大虐殺 URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
462:神も仏も名無しさん
08/12/27 15:58:24 aIxVQ4KW
中村元博士の撒き散らす害毒の影響は大きい。
一切法無我を非我と言い換えることもそうだが、
仏教には教義がないというが、縁起の法はどうなのだ。
ウダーナ(自説経)冒頭の「縁起の法を知るがゆえであった」はウソか?
スッタニパータを「ブッダのことば」として出版することも矛盾する。
金口の説法は確定できないといいながら、
一般にそうと受け止められてもいいのか?
教義はあるではないか。
エライさんのやることは、ワケワカメw
ボケてても誰も文句をいわんのか?
463:神も仏も名無しさん
08/12/27 16:00:30 muCqcEPQ
>>419 「多少、神通ある人は結構いるけど。」
なんだこりゃ? 多少は経典読んるでみたいだが根っこは宝珠愚者と同じオカルトマニアかい。
がっかりだね。
464:神も仏も名無しさん
08/12/27 16:16:28 Ic+xOWPU
凡夫の妄想は、百花繚乱だな。
全ては現在の己の実相が物語る人間妙なる物語。
さあ、続けたまえ。
465:神も仏も名無しさん
08/12/27 16:20:18 VYDtdyFW
>>456-464
どの様に言い方を変えようとも、断滅は断滅。
外道の所作。
466:神も仏も名無しさん
08/12/27 16:32:08 aIxVQ4KW
だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw
バラモン=ヒンドゥからすればブッダは「外道」だろう。
だから矮小化されて片隅に追いやられている。
467:神も仏も名無しさん
08/12/27 16:40:34 RtnKoVps
>>466
>だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw
まさに松本史郎のミニチュアだな。
古今東西の仏教経典読んで見ろよ、ブッダは反仏教・反中道・反縁起・反空思想だとか言い出すぞ。
468:170
08/12/27 16:57:28 F7BTcLNZ
467さんへ
>まさに松本史郎のミニチュアだな。
>古今東西の仏教経典読んで見ろよ、ブッダは反仏教・反中道・反縁起・反空思想だとか言い出すぞ。
いや、ホントに言い出しかねないですよね。彼らの考えは理解しがたい。
「仏教は邪教!釈迦は輪廻を説いたカルト教祖!!」というのであれば、まだわかるのですが。
469:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 17:11:39 pP6ub8/r
>>466
>だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw
そういう誤解があるようですので、拙者は少々書込みします。
中道というのは生死を越えたのが中道でありますから、
断ずることもないし、ましてや滅することもない。
(不生不滅)であり(生死一如)。
まあ、つまり、法においては人間が死ぬことにはそんなに意義はない。
考えてみればそうかもしれんね。
あらゆるものが流転を繰り返してるわけで、
一個の人の命などは、まことに儚い(はかない)もんです。
儚さゆえの一切皆苦。
故に、摩訶不思議たる人の命の営みを、
感謝、感謝で生きれば、それが一番理に適ってる。
(即今即所)
これを禅では「日々是好日」とか言うんですね。
470:神も仏も名無しさん
08/12/27 17:28:24 JMk7oblu
>>463
>なんだこりゃ? 多少は経典読んるでみたいだが根っこは宝珠愚者と同じオカルトマニアかい。
>がっかりだね。
ごめんね。オカルトマニアだとは思ってませんけど。
オカルトの意味が反常識という意味なら宝珠愚者さんより上ですよ。
なにしろ、大乗経典もテルマも仏説だと思ってるし、神通も当然ありですから。
ですが、常識ももちろん尊重しますよ。因果ですからw
471:神も仏も名無しさん
08/12/27 17:34:53 pymbHZcK
>>469
今更、口当たりの良いことを言っても「断滅は断滅」
アンタが散々言ってきたことじゃないか。
死ぬときは、思いや観念ごと消えてなくなると。
中道とか生死を超えるといっているが、結局は「断滅」
472:神も仏も名無しさん
08/12/27 17:43:07 pymbHZcK
>>470
奇跡的出来事を受け入れても、倫理と論理を失わない人格こそ得難い奇蹟である。
473:神も仏も名無しさん
08/12/27 17:47:53 JMk7oblu
>>466
>だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw
無我・空・縁起と輪廻は矛盾しませんよ。
>>468
>「仏教は邪教!釈迦は輪廻を説いたカルト教祖!!」というのであれば、まだわかるのですが。
そうです。論理的にはその通り。
松本さんは、道元禅師の本覚批判らしき伝承を本覚批判と読んで研究を始めたんでしょう。
それでチベット仏教で如来蔵批判を発見して喜んだ。
道元禅師の本覚批判と同じに見えたからです。
それらを適当に読み替えて自分の常識にあった仏教を妄想した。
それを基準にして全て批判して仏教・非仏教の裁断を行ったので、
同じような常識的に仏教を解釈したい人に受けた。
でも、最近は破綻してボロボロで、自分の説は信仰だと言ったそうです。
たしかに常識信仰なんですがw
474:神も仏も名無しさん
08/12/27 17:49:01 muCqcEPQ
>>470 するとなにかい?お前さんもお釈迦様は
空を飛び回ってたって言うくちかい?
475:宝珠愚者
08/12/27 17:51:21 JfEKiA1z
>>456>>466
>*このメタコード的立場からは断滅論などと誤解されようがない。
>だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw
断滅論などとは誤解であるといいながら、
今度はついに断滅でも大いに結構だと開き直りましたか?。
この経文は、ゴータマは言葉巧みに断滅を説く人々(外道)のことを
明確に指摘されていたことが瞭然ですね。
「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにか
れらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地があ
る)と、巧みに語っている。」(スッタニパータ876)
476:宝珠愚者
08/12/27 17:52:27 JfEKiA1z
>>456>>459>>462
『「われというものはない」「すでにわれなしと知らば」---その語句の部分だけを抽出して誤解すること
なく、他の経及び全体の文脈から語句の意味を理解する必要があります。そうすれば、「われというもの
はない」とは、「五蘊のいずれも我ではない」、という意味でしか述べていないものとして理解されるのです。
「(何ものについてでも)《これがわがものである》といわない人々、及びそれらのうちのいずれもわれ
(aham)であると語らない人々」(サンユッタ・ニカーヤⅠ,p.116)---これが初期仏教の理想であった。
初期の仏教においては、このように「これ」として具体的に、或いは対照的客観的に、示して見せること
のできるいかなるものも、アートマン(自己)ではない。それはアートマンとは異なった他のものである。ま
たそれはアートマンに属するものでもない、と説いているのである。「修行完成者は自ら自己を見ることが
ない。」(スッタニパータ477) アートマンを客体的なものとして認めることができない、というのである。』
(「原始仏教-その思想と生活」中村 元著/NHKブックス)
「見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、<名称と形態>(個体)に執著している。「これ
こそ真実である」と考えている。或ものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものは異なったものと
なる。何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。」
(スッタニパータ756-757)
『人々は「わがものである」と執著した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないか
らである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまってはならない。人が「これはわ
がものである」と考える物、─それは(その人の)死によって失われる。われに従う人は、賢明にこの理
を知って、わがものという観念に屈してはならない。』(スッタニパータ805-806)
477:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 17:53:50 nepCc8Yp
>>471
貴殿は、本当は「死ぬのが怖い」ということですね。
ですから死後の世界がないと安心して眠れない。
こういうことなんですね。
そいうことで、不安・恐怖観念がある方は大勢います。
もしも「死後の世界観念」で安心できるなら、
それが一番イイのですが、
絶対的な確信が持てないから、
また、不安・恐怖観念が表出してしまう。
この無限ループに陥りまふ。
結果的には精神的に不安定になり、
これが宗教ドグマですね。
(白隠は、これにやられてしまったわけですが)
478:1/4 初代スレ7
08/12/27 18:24:07 /0y3IKKW
>>437
> 輪廻という前提があるからこそ自殺は苦しかもたらさない。
> と考えるのが仏教でしょう。律で自殺を禁じているのは、その意味。
はい。自殺しても、輪廻し、次の生での苦が待っている。(仏典上は)貴方の仰る通りでしょう。
では、苦の滅の後はどうなのか?
貴方が
> しかし、ヴァッカリやゴーティカというアルハットの自殺を釈尊は讃えています。
> これは自殺しても輪廻しないアルハットの境地に達していたからに他ならないでしょう。
と言うように、釈尊はそのように考えて、自殺を許されたのでしょう。
ここで大切なのは、「苦の滅」や「涅槃」は、世俗の煩わしさを消去し切ったわけではないということです。
(ここが、以前の“存在・実在云々”という話とリンクしてきますw)
“独我論的に”という言い方がまずければ、『【当人の主観に於いて】苦は滅せられている』ということです。
しかしそれは、「当人にとって苦ではない」ということでしかありません。
出家受戒を各自で行ってよいとされたこと、托鉢で十分な食を得られないこともあったこと、
晩年の釈尊が疲労を口にすること、チュンダの供養で食中毒となること、
サンガの監督に於いて煩わしさがあると述べていること、
何よりも、ブッダ自身が老衰し死を迎えたということ、挙げていけばキリがありません。
上記二人の姿勢は、“こうした世俗の煩わしさとも離れよう”というものと見ることができます。
そして、林住比丘の在り様が称賛される価値観なれば、
阿羅漢の自殺自体を咎める理由は釈尊にはなかったでしょう。
しかしそれは、『“自殺の”称賛』『自殺の推奨』では断じてない。
限られた、或る条件を満たした上で認められる特例であると見るべきではないか。
ましてや、道の途上にある者にとって、その選択肢は許されるものではないだろう。
「固執しない、とらわれない」ということは、
決して「粗末にしていい」「蔑にしていい」「無視していい」ということではない。
自己の命も又、(天寿という言い方はむず痒いがw)続く限りは大切にされるべきだろう。
この意味で、 >真っ先に却下されるべき だと私は考えるのです。
こうした視点に於いては輪廻は不要だと言っているのです。
479:2/4 初代スレ7
08/12/27 18:25:27 /0y3IKKW
>>437
> それは輪廻を前提にした話です。
> そして、必ずしも今生に限定してません。
今生に於いて苦の滅はあるんですか?ないんですか?
もし、今生に於いて苦の滅があるなら、
前世来世を考えることなく、今目の前にある苦を問題にすることができる。
輪廻があろうとなかろうと、苦の滅という涅槃に違いはない。
「輪廻があったとしても、彼は輪廻しない。彼は涅槃に安住する」
「輪廻が無かったとしても、今生(現世)に於いて、彼は涅槃に安住する」
私は、この意味で、「輪廻を排除しても仏教の教義は成立しうる」と言っているのです。
(勿論ここには、“現存する仏典の記述との整合性”という問題が立ちはだかるわけですが・・。)
> つまり、仏教で苦の滅は、戒定慧の三学によって無明を断つ以外、輪廻するしかないということですが。
「涅槃に至らない限り、輪廻するしかない」というのは、仏典を普通に読むなら当然のことです。
が、『涅槃に至った後では、輪廻のあるなしは問題とならない』のです。
(このスタンス(或いは構図)を積極的にとっているのが禅だと言うこともできます。)
だとするならば、21世紀の今、
《「今生(現世)に於いて涅槃は見られる」》という点(説き方)こそが強調されるべきではないのか。
《その方向性》こそが、現代社会における“救い”足り得るのではないか。
2500年前のインドとは違う。
21世紀の今を生きる人々にとって、より解り易く、より頷き易い方向性が《それ》ではないか。
我々は、いつもいつもいつもいつも、「今、釈尊ならば何と言われるか」を自問し続けねばならないのではないか。
480:3/4 初代スレ7
08/12/27 18:26:38 /0y3IKKW
余談。
>>437 > なぜでしょうか? について、少し蛇足を加えておく。
前に「一枚の紙の裏表」を喩えに引いた。ここでもう一度使用してみよう。
今度は、『表』を『今ある命』として、『裏』を『無地』としよう。
さて、
A:『裏』の『無地』を『涅槃』と見た時(→涅槃故に無地と見た時)、
『無地』だからと言って紙を破り捨ててよいのか?
上の二人の阿羅漢の事例はこれに当たる。釈尊は咎めなかった。
(異論はあるが、まあ、とりあえず良しとしておこうw)
B:『裏』の『無地』を『輪廻が無いことによる無地』(→一回きりの『表』であるという意味での無地と見た時)、
『表』を破り捨ててよいのか? 《“苦”の脱出(“滅”)》を《『表』の消去》で代用していいのか?
それが仏教と言えるのか?
お釈迦さんは、『裏』が『無地』であることを高らかに宣言した。
だが、《『表』がない》などとは言っていない筈だ。《『表』を無視せよ》などとは言っていない筈だ。
《『表』の大切さ》をもまた説いていたのではないか。
「今ある命」を粗末にして、何が仏性か。何が悟りか。何が涅槃か。
そんな仏教なら、こっちから願い下げだ。
481:4/4 初代スレ7
08/12/27 18:29:15 /0y3IKKW
更に余談。
私は、このように「命の大切さ」を考える時、綾瀬コンクリート事件が脳裏をよぎる。
被害者の彼女は「死なせて(殺して)」と訴えたらしい。
彼女の受けた「恐れ」「苦しみ」「絶望」は如何ばかりだったろう・・・。
(加害者達が命の大切さを見ていなかったことは論外として)、
“彼女の「死にたい」「死んで終わらせたい」という想い”を誰が責めることができよう・・。
巷には「生きてさえいれば・・・」という言葉がある。
素晴らしい言葉だと思う。その通りだと思う。
無常なる世に於ける好転可能性を示す、素晴らしい言葉だと思う。
しかし、しかしだ・・・・・・。
仏教的価値観を持っていれば、彼女の苦は軽減したかもしれない。
彼女が悟っていれば、「そこに“苦”はなかった」だろう。
しかし、しかしだ・・・・・・。
特殊なケース過ぎて、個別に語るしかない事例ではあると思う。
だが、「生きよ」という言葉がもつ残酷性も、仏教者は把握しておくべきかと思う・・。
“残酷な言葉を敢えて吐く”、この覚悟を持たねばなるまい・・・。
延命治療や尊厳死、安楽死、脳死、臓器移植、中絶、等等、
仏教が答えねばならない宿題は山のようにある。
もしかしたら、それらは「仏教が」答えるものでなく
「個人が」「一人一人が」答えるべきことなのかもしれない・・・。
“ vaya dhamma^ saNkha^ra^ , appama^dena sampa^detha ”
私は、「輪廻に振り回される暇があるのか?」と問いたくなるのだ・・・。
482:神も仏も名無しさん
08/12/27 18:32:15 aIxVQ4KW
>>475
>断滅論などとは誤解であるといいながら、
>今度はついに断滅でも大いに結構だと開き直りましたか?。
曲解は宝珠愚者の得意技だが、誰が大いに結構だと言ってるのかね?
真逆だろw
中道をマトモに理解し得ない>>465のような実質バラモン=ヒンドゥ教からすれば
ブッダは「外道」だろうと言っているのだよ。
ユーモアのひとつも通用せんらしい。
とにかくブッダ成道の革命的意義は縁起の法の悟りを中核として、
ウパニシャッド的業報輪廻転生&梵我一如の両論への信仰の全面否定 にある。
カースト制度に支えられたアーリア=バラモン支配階級にとって自らの支配への
反抗勢力であり、謀略の対象となるのは当然だ。
いまだに業報輪廻転生を信じ、梵我一如的傾向の連中は、謀略にやられている末裔だということだ。
483:宝珠愚者
08/12/27 18:46:19 JfEKiA1z
>>482
>いまだに業報輪廻転生を信じ、梵我一如的傾向の連中は、謀略にやられている末裔だということだ。
「賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報
いとを熟知している。世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者
は業(行為)に束縛されている。---進み行く車が轄(くさび)に結ばれているように。」
(スッタニパータ805-806)
「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(スッタニパータ666)
「罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生の
あるうちになすべきことをなして、忽(ゆるが)せにしてはならない。」(スッタニパータ676)
484:神も仏も名無しさん
08/12/27 18:51:53 F9ADIMQP
./)/)
(・ー・)ノ ■ 知りえないことについて知っているかのように語られる
゚L-J あらゆることは物語である(池田晶子)。
485:神も仏も名無しさん
08/12/27 18:53:28 fcbCI6lW
>初代スレ7氏
迷いの只中に「修」衆生とともにある苦しみの中に「証」を明らめるのが貴殿の宗旨ではないのか?
迷苦がそのまま答えならば、貴殿が歩むべき道はそんなに広くないはず。
既に、迷うこと恐るるにたらず。悟ること求むるにたらず。
486:初代スレ7
08/12/27 19:00:42 /0y3IKKW
>>485
辱い。 m(_ _)m
487:神も仏も名無しさん
08/12/27 19:06:04 9Gp1MmZ7
>>486
誠に仏を求める熱い思いに不覚にも2chで感動してしまった。
こちらこそ、かたじけない。(-人-)
488:宝珠愚者
08/12/27 19:09:09 JfEKiA1z
>>481
>延命治療や尊厳死、安楽死、脳死、臓器移植、中絶、等等、
>仏教が答えねばならない宿題は山のようにある。
>もしかしたら、それらは「仏教が」答えるものでなく
>「個人が」「一人一人が」答えるべきことなのかもしれない・・・。
>私は、「輪廻に振り回される暇があるのか?」と問いたくなるのだ・・・。
これらは大切な問題であり、真剣に考えなければならない命題だと思っています。ただし仏教者は、
仏教の教え(輪廻)に基いて理解し、難題について向き合って回答すべきです。
すでに直る見込みの全く無い難病の末期患者であったり、すでに植物人間状態に在る者というのは、
単純見解としては、早く次の転生に入るほうが有利であると見なすことができます。
しかしながら、本当にその個人が直らないのか否か?といったことについては、それを我々は、仏陀
のようにとても見通すことができないといったジレンマがあります。
尊厳死に対する心ももちろん理解できます。しかし、奇跡は常に絶望の中で起こるのであり、現在の
常識の多くは太古の時代にとっては不可能な奇跡でした。従って、基本的な推奨されるべき態度とは、
あくまでも生存の存続(回復)と及び苦痛からの解放とにあるでしょう。あくまでも相手を思う慈悲心が根
底には必要です。
>綾瀬コンクリート事件が脳裏をよぎる。被害者の彼女は「死なせて(殺して)」と訴えたらしい。
はい、私も読んだことがあります。自殺もそう。基本的には推奨はされないが、場合によってはそれを
望む者にはその選択地を持たせることも在りです。
延命治療や尊厳死、安楽死、脳死、臓器移植、中絶・・これら全てに対する私の態度はすでに決まって
いますが、敢えてここでは述べないことにします。(それは別スレや自分のウェブで主張します)
正直に語ることができない参加者ばかり多いのが実に残念なことです。