08/12/25 12:31:48 JW0hNU6a
釈迦もイエスも、その「生物的生命(生存本能)」がなければ、仏教も
キリスト教も存在しなかった。人間は、生物の一種に過ぎない。
宗教者は、この「生物的生命」という、人間のすべての営みの根源を
失念してしまっているように見受けられる。
すべての「宗教的観念」も、この生物的生命の機能に過ぎない。
生命は、すべての人間に共通する唯一の普遍の事実。これに反し、
「観念」は百人百様。何らの普遍でもない。だから、争いが生じる。
その正誤・正邪を判断する基準は皆無だからである。
今後の宗教、いやすべての人間の営みは、「生命」という根源に立ち返
らない限り、無意味なばかりでなく、争いの原因をもたらす、極めて
有害な営みであり続ける。
すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だから
である。