【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3at PSY
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3 - 暇つぶし2ch244:初代スレ7
08/12/25 00:35:46 wzjHZDF4
>>239
歴史的位相はこんな感じじゃね? 知らんけどw


       直・初期
在世  仏  弟子   古M語    P    Skt Tib   漢
 |   ○
 |        ○
 |              ○
 |              ○          ..○
 |              ○          ..○      ○
 |                    .○    .○      ○
 |                    .○    .○─○   ○
 |                    .○    .○─○   ○
 |                    .○    .○─○   ○
 |                    .○    .○─○   ○
 ↓                    .○    .○─○   ○
現代

245:宝珠愚者
08/12/25 01:09:18 2CddHNLY
>>235-236
いや、こういう研究は絶対に必要。
それにはまず、馬鹿にして放置し無視するような姿勢を正すことから始まるのです。

まっ、ここに集ってる転生否定論者たちの多くは、
世界の最高科学機関からの「新事実を発見しました!」という
公式見解が下りるまでは断固として認めない輩ばかりです。
調べてみようという研究者そのものまでも馬鹿にしてしまう!

246:神も仏も名無しさん
08/12/25 01:32:42 kNKp7b6n
宗教者の最大の誤りと錯覚は、「開祖・教祖が言った」から、「教典に書かれ
ている」から、「真理」だと思い込むこと。古代人の言葉が「時代が全く異な
る現代においても」通用しない限り、それは、現代においては、もはや真理と
はいえないのである。

従って、現代において通用しない開祖・教祖の言葉は、すべて、誤りとして
無視するだけでよい。「言った、言わない」「書いてある、書いてない」を
詮索するのは、労力と時間の無駄に過ぎない。

仏教の教えのうち、「関係性」は現代でも100%通用する永遠の真理だが、
輪廻転生など問題にならない。論じるに値しない。

仏陀もバラモン教の社会に生きていたのであり、その「悪影響」を完全に払拭
できなかった事情を、充分に考慮する必要がある。

後代における宗教者の任務は、古代人である開祖の教えから、「現代に通用する
真理」を見出すことでなければならない。

時代の制約下にあった開祖の誤りや妄想を大真面目に議論することは、むしろ
開祖に対しても礼を失することになる。

人間であるイエスを、こともあろうに「神格化」し、あらゆる荒唐無稽を付け
加えたキリスト教が、その典型である。キリスト教の愚を繰り返してはならない。

247:初代スレの5
08/12/25 01:46:21 5/yRxjzq
>>246  確かに、あなたの仰るとおりだと思いますが
どうしても「釈迦を超人的な神」にしたいと思ってる人達
にとっては、到底、受け入れられない言葉でしょうね。

248:宝珠愚者
08/12/25 01:55:50 2CddHNLY
>>246
>仏陀もバラモン教の社会に生きていたのであり、その「悪影響」を完全に払拭
>できなかった事情を、充分に考慮する必要がある。

 バラモンの悪影響ではなく、ゴータマ自らずそのことを体験によって確認したのであり、如来の出現の
いかんに関わらず定まっている。
 仏陀をただの普通の俗人にしては仏教は成立しない。神格化したいのではなく、これが正統な経典に
基づく理解です。


 「前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖
者、完成すべきことをすべて完成した人、─かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。」(ダンマパダ423)
 「あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れ
なく、清らかで、生を滅ぼしつくすに至った人、─彼を(目ざめた人)(ブッダ)という」(スッタニパータ517)

 「すなわち、わたしは清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれ
の行為に従っているのを見た。
 『じつにこれらの人々は身体で悪い行為をし、ことばで悪い行為をし、心で悪い行為をし、多くの聖者
を非難し、よこしまな見解をもち、よこしまな見解にもとづいて行為をする。かれらは身体が壊れ死んだ後、
悪い所、苦しい所、地獄に生まれる。また、他のこれらの人々は身体で善い行為をし、ことばで善い行為
をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、正しい見解をもち、正しい見解にもとづいて行為をする。
かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる』と。
 わたしは、このように清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行
為に従っているのを見た。
 バーラドゥヴァージャよ、これが夜の中間の部分において得られた第二の明知である。」(スレ#2/667)

249:宝珠愚者
08/12/25 01:56:43 2CddHNLY
 『また、心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は過去の生存の境涯を想起する
知(宿住通)に、心を傾け、心を向けます。彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すな
わち、ひとつの生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯
を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の
生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。「あのときの生存において、自分の名まえはこう
であった。家系はこう、階級はこうで、こんな食物を食べ、こんな幸福や不幸を体験し、これこれの
年齢まで生きた。そして、その世から消え去り、別の世に生まれ変わり、そこでも同じように、自分
はこれこれの名まえ・家系・階級の者で、こんな食物を食べ、これこれの幸福や不幸を体験し、こ
れこれの年齢まで生きた。そしてその世から今のこの世に生まれ変わってきたのだ」というように、
具体的な映像や、具体的な説明を伴って過去の生存の境涯を想起します。』
(ディーガ・ニカーヤ2:93/出家の功徳)

 どこに転生肯定者の勝手な解釈が入っているのか?

250:神も仏も名無しさん
08/12/25 02:43:50 kNKp7b6n
>>248
>>249

少なくとも義務教育を終了した現代人から見れば、単なる古代人の妄想。
現実上の根拠は皆無。

現代人なら、現実上の根拠のない妄想を語るべきではない。

251:神も仏も名無しさん
08/12/25 07:59:15 wSNhqT2W
>>250
「転生肯定者の勝手な解釈」じたいは原文に入ってないということでよろしいですね。
解釈を用いるまでもなく、そのまま書いてあるので当然ですが。

252:神も仏も名無しさん
08/12/25 08:12:54 wSNhqT2W
「釈迦は輪廻を説いてない」論の根拠というのは
仏教のほかの部分で説かれている論理で言えば
輪廻転生は成り立たない、というものなんでしょうか。

253:神も仏も名無しさん
08/12/25 09:18:52 NTMZuZP8
>>248
 おまえみたいな態度を字句概念仏教妄信というのだよw
 サマタ中の妄想を書きなぐったものを、そのまま狂信する。
 どろどろした潜在意識がふた(理性)が取れてナマで噴出してきたものを
 そのまま真実とうけとることがどうかしている。
 
 法華経なんかもっとおもろいぞ
 釈迦がトンデモ・スパーマンになる。
 こっちのほうが宝珠愚者殿にはお似合いだと思うぞ。

254:神も仏も名無しさん
08/12/25 09:30:19 8aNm8k2C
>>230
>老師の薫陶でも折れなかった貴方の鼻柱は何処でどの様にして柔軟になったのですか?

一応、行してますよ。でも、自分ではそんなに変わったとは思ってません。
縁起・空の理解が進んだことは、画期的です。

ところで老師ってどなたのこと? 
我が師の教戒・加持が一番大きいかもしれません。


255:神も仏も名無しさん
08/12/25 09:40:15 LJ7wdlGb
>>248-249
宝珠愚者氏も誰も実証出来ないのなら只の『絵に描いた餅』
幼児が天国の絵本を読んで、得意げに並べているのと同じことw

実証してください!!
生まれ変わりも覚えていない人の方が圧倒的に多いのが現状
誰も言葉で言えても証明出来ませんw

同じことを乗せてだらだらだらだらループしてる=悪く取ればロム人をマイコン・洗脳してるw
宝珠愚者氏はクリと一緒、何言われても自説を押してくる宗教マイコンロボ!

気持ち悪いよ~~(-_-#)  ココモ氏に同感!!(笑


256:神も仏も名無しさん
08/12/25 09:43:23 LJ7wdlGb
前スレ2#693 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/12/20(土) 18:28:39 ID:DTh6CNcT

>また、他のこれらの人々は身体で善い行為をし、ことばで善い行為をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、
正しい見解をもち、正しい見解にもとづいて行為をする。
かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる』と。・・・・・・・『天眼通』

↑ ような宗教団体の美辞麗句の教義を信じた真面目で純粋で品行正しい人達がオウムの信徒になり聖者の
名前をつけた大師を尊敬しお布施した結果、悲惨な事件が起こり社会に大きな災害・ショックを与え、死亡された
方・被害者も沢山出て、今もその傷は癒されてはいない「大不幸を」起こしたのです。

宗教者は、事実をつかれ返答に窮すると「信仰だから事実とは区別するもの」と言いながら、又、すぐ自分達の都合
の良い経典のコピペを貼りつけ、まるで事実のように錯覚させマイコン・洗脳に巧みに引き込んでいくのです。

<言葉の魔力>を駆使し、質が悪いので、真面目で純粋で知的好奇心が高い人がコントロールされやすいのです。
くれぐれも美しすぎる言葉を多用してくるのは、詐欺も使いますから気をつけましょう!!


257:初代スレの5
08/12/25 10:11:38 5/yRxjzq
輪廻肯定論者の方たちにお聞きしたいのですが、やはり、みなさんは
「天眼通」とか「空を飛んだ」 とかいう話を事実であると信じて
おられるのでしょうか?

258:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 10:25:16 V34fndlw
>>224
>なんでですか? 我々は輪廻している。それは苦である。
>原因は無明である。涅槃は楽である。涅槃への道がブッダの教えである。
>これが四諦で、仏教の基本じゃないですか?

バラモン教はウパニシャット哲学を根本義としておりますから、
この時点で輪廻転生思想はあった。
その思想を進化させたのが釈尊ということですね。

>現代の学者で縁起では解脱できないとしている方が何人かおられますが、
>それは三昧状態で縁起を観ずるという状況を見逃して、
>凡夫の気が散った状態で論理的に無明によって行が生じと考えても
>たいして効果ないからです。

なるほど、非常に参考になります。

「縁起を観ずる」というのは、よく解りませんけど。
(禅は観行はしないですから)
「縁起で解脱」もよく解りません。
しかしながら大変参考になったのは間違いないです。
ありがとうございました。

259:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 10:26:48 V34fndlw
>>228
>「一切皆苦」で「輪廻否定」なら、とっとと自殺すればいい。

これもどうも拙者には理解不可ですね。

拙者が「世界は悟ってる」って言ったのは、
森羅万象「今を生きてる」じゃ~ないですか?
こういう意味で言ったのです。

人類の歴史は、知能の発達の歴史でありました。
この発達の段階において、いろいろと妄想に耽るようになった。
(無明とは、この発達【言語獲得含む】と密接に繋がりがある)

猿が死んだ先のことを心配しますか?
せんでしょ?
猿はもともと悟ってるからなんです。

>「輪廻があるかないか?」は、どうでもいいことのように思うのだけれど。

いんや、そんなことはないですね。
皆さんは輪廻転生で夜も眠れんくらいに心配しとるんですよ。
このスレが賑わってるのがその証左でつ。

260:神も仏も名無しさん
08/12/25 10:44:38 eRLQmIeV
>君が、他者の勤労によって「生かされて」貰わない限り、君が、「妄想」
にふけることも不可能になるのだよw。
仏教者は、何故一生懸命托鉢して、「その生命の維持に不可欠な食物」
を求めて歩き回ったのかね。

えー、三輪空寂をご存じない?
「お陰様」「生かされて」なら別に仏教でなくて道徳のレベルでしょw
あのね、そうゆういかにも日本的な日常や平凡が大事なら、
仏陀は非日常、反社会的な出家なんてしない。
王子のままで王位につき善政をほどこし民に感謝すれば済むことだ。
君には、インド的な仏教は似合わない。
お天道様に手を合わせるだけで充分だろw

ところで、そういうあなた、この私によっても「生かされている」ことを
なぜ感謝しないw
傲慢な人だねw
自分だけは特別だとでも?



261:神も仏も名無しさん
08/12/25 10:45:09 8aNm8k2C
>>258
>バラモン教はウパニシャット哲学を根本義としておりますから、
>この時点で輪廻転生思想はあった。
>その思想を進化させたのが釈尊ということですね。

正確に言うとヴェーダです。ウパニシャッドは補助聖典。
意味は変わりませんが、念のためw

>「縁起を観ずる」というのは、よく解りませんけど。
>(禅は観行はしないですから)
>「縁起で解脱」もよく解りません。

ここは、理解しにくいところ、誤解しやすいところで、
私自身も長年誤解してました。誤解が解けたのは師の教えによってです。

私の理解では禅は、先ず座禅してサマタ、精神集中行に集中する。
ヴィパシャナは、縁起の代わりに公案など別の手法を用いるのだと思います。
ヴィパシャナは縁起観だけではないのです、色々な手法があります。
とりあえず、縁起にしても公案にしても三昧に入らないで論理的に思索しても
ほとんど意味がないということは、お分かりいただけますか?

262:神も仏も名無しさん
08/12/25 10:48:02 edkW4bCG
>>257
>「天眼通」とか「空を飛んだ」 とかいう話を事実であると信じて
>おられるのでしょうか?

空を飛んだとは思ってませんね。馬に乗った方が楽なんじゃないですか。
輪廻転生が本当にあるとしても、転生を特に希望しない心理状態で死にたいですね。



263:神も仏も名無しさん
08/12/25 10:56:41 8aNm8k2C
>>259
>259 名前: 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. Mail: 投稿日: 2008/12/25(木) 10:26:48 ID: V34fndlw
>>>228
>>「一切皆苦」で「輪廻否定」なら、とっとと自殺すればいい。
>
>これもどうも拙者には理解不可ですね。

それは「一切皆苦」を実感しないで、
ただ知的にそういう思想だと捉えているからではないでしょうか?
実際、「一切皆苦」を本当に理解できるのは聖者のみと諸聖典は口を揃えます。

確かに、うまい!とか美しい!とか気持ちいい! といった快感が楽なのか
どうかよく考える必要があります。
私はそういった快感は、無明だと思ってます。と言って実感してませんがw
なぜなら、快感を求めて這いずり回る虫や犬と変わらないからです、
本能という無明に突き動かされて、苦を楽と錯覚して業を作りまた苦しむ。

糞壷の糞虫もスッキン(快楽者)である、という言葉が頭に響きます。

264:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 11:07:26 V34fndlw
>>261
>私の理解では禅は、先ず座禅してサマタ、精神集中行に集中する。

精神集中はしないですね。
本来無一物(精神は無い)ですので、集中しようがないのです。
これが南宗禅の特徴です。
(もしかしたら北宗禅なら、そういう行法があるかもしれません)

>とりあえず、縁起にしても公案にしても三昧に入らないで論理的に思索しても
>ほとんど意味がないということは、お分かりいただけますか?

三昧に入る以前に捨置するのが禅ですね。
この段階において禅病とか神経衰弱とかになる可能性がある。

白隠は、これで弟子二名を自死させてます。
魔境というやつですね。
非常にやばい場合もある。
(これを取り去る行法が軟蘇の法)→自己暗示的なもの
つまり、非常に精神的に不安定であることは間違いないです。

>ここは、理解しにくいところ、誤解しやすいところで、
>私自身も長年誤解してました。誤解が解けたのは師の教えによってです。

そうでしたか^m^

265:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:13:12 JW0hNU6a
釈迦が自分で書いた経典など一つもない。すべて後代の人々が、それぞれの
解釈で書いたもの。経典が、釈迦の「真意」であることの保証は「皆無」で
ある。

従って、釈迦や原始仏典の「言葉」に拘るのはナンセンス。それぞれの時代に
生かすべく、それぞれに解釈すればよいだけのこと。

266:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 11:17:37 V34fndlw
>>263
>それは「一切皆苦」を実感しないで、

一切皆苦というのは、これは諦観ですよね。

つまり例示しますと、
不細工な嫁さんを貰ったとする。
この嫁さんが美人になることを望むより、
不細工は不細工なりに全てを受け入れる。
そうしますと、
だんだん慣れてきまして、いつかは不細工と美人の二項から離れる。

諦観の基盤となるのが、一切皆苦になるやに理解しております。

267:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:19:08 8aNm8k2C
>>264
>精神集中はしないですね。
>本来無一物(精神は無い)ですので、集中しようがないのです。
>これが南宗禅の特徴です。
>(もしかしたら北宗禅なら、そういう行法があるかもしれません)
>
>>とりあえず、縁起にしても公案にしても三昧に入らないで論理的に思索しても
>>ほとんど意味がないということは、お分かりいただけますか?
>
>三昧に入る以前に捨置するのが禅ですね。
>この段階において禅病とか神経衰弱とかになる可能性がある。

ほんとですか? 三昧のない仏教は考えにくいですね。
白隠さんは、臨済宗ですよね。たしか公案も使用していたし、
仮名法語とかでは、因果も説かれていたと思いますが、
以前読んだ印象では。

まあ、知らないことはこれ以上口を挟んでもしょうがないですね。

268:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 11:30:07 V34fndlw
>>267
>ほんとですか? 三昧のない仏教は考えにくいですね。

弟子が禅定に入るのに、
「座らんでいい」。って言う師家もおりましたし。→盤珪
作為的にやるもんじゃ~ないですね。

「瓦は磨いても仏にはなれない」。
(修行しても仏にはなれない)
というのが南宗禅ですね。

六祖慧能以降あたりが最も禅の開花期です。

269:初代スレ7
08/12/25 11:34:40 wzjHZDF4
>>228
ねw >>245のように、宝珠氏もまた、
《『A』の側から(も)アプローチしたい》という意図が明らかです。
 ※また、現代人の一般的知識から(様々な知識・経験則から)却下し易い、というのもあります。
   これを、「ただ知らないだけ」「凡夫の視線でしか見ていない」と言うのは容易いですが、
   検証困難(不能?)・追体験困難(不能?)であることに変わりはありません。
   もしかしたら、箱の中身を知らないだけ、壁の向こうを知らないだけかもしれません。
   が、様々な情報の集積から予測・推測されるに、「どうやら中身は空っぽだ」「壁の向こうは荒野だ」
   と、仮説を立てるのです。否定論者の殆どはこの点に拠っています。
   現代の常識を古代の思想にそのまま援用することが不当であるとは言いながらも、
   「同じ人間であった」という姿勢をとる限りは、どうしても生じてしまう事態なのです。
   たとえそれが阿羅漢達の実体験であったとしても、
   思索の上での「心理的体験」である可能性も又完全却下できないのです。
   もし、仏教内部だけでなく外部の者との対話が想定されるなら、
   『A』についての議論も又避けては通れないのでしょう・・・。

他の教義のように、通常の思考・体験により「頷ける」の可能性の高いものとは違うでしょうが、
>>242で述べたように)その「考察の構図」或いは「考察の方法論」の上で、
「輪廻」に関してもまた、『A』の側からのアプローチが重要な位置を占めるのです。

様々な教祖(始祖)たちが、『実体験・自身の体験』として何事かを語る時、
それの検証は追随する者の追体験に委ねられます。
現代に於いては、それらに対する科学的アプローチも手法としては存在しますが、
完全な検証・分析は今の所不可能でしょう。


さて・・・、果たして「涅槃」は“正しく”追体験されてきたであろうか・・・。

270:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:41:15 gGCntIzx
>>267
机さんの唱える禅は、机禅ですからw
坐ることが大嫌いで、如何にかして坐らないで悟ったことにしたくて今の論法を編み出したのですよ。
日曜坐禅会でちょこっと坐った気分を味わった人に多いタイプです。

271:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:42:18 8aNm8k2C
>>266
諦めるというのは、机さん解釈のように近代で誤解されたと考えています。
そういった世俗のなかでわたりをつけるとか、妥協すると言った意味では
ありません。

机さんの説は最終的にただの妥協になるので、
それだったら別に仏教の必要はないでしょう。
教えを聞く必要もないし、戒律も護る必要もない、
禅定も..........


ここ20年近く、いろんな人と仏教の話をしてきましたが、
私が疑問だったのは常識や亜科学信仰者で仏教を否定せずに常識化しようとする人たちでした。
それなら、常識や亜科学のフレームで生きていけばいいじゃないか? と思うからです。
しかし、最近やっと分かった気がします。科学というのは現象を記述して説明体系を提示するだけ、
つまり、こうなってますよとは言うけど、どうすべきか、どう生きるべきかについては全く何も提示しません。
それどころか、いままでの常識が、なんの根拠もないただの習慣であると社会学や言語学などは明かしてきました。
そこでニヒリズムが生じて規範を模索する、そのなかで合理的で歴史的に権威のある規範として仏教などを選択する人がいるということだと思います。

それならデレク・パーフェットとか読めばいいのにと思いますが、もう一つ重要な要素は、お手軽ということでしょう。

合理的かつ権威的で、お手軽ということで仏教。
仏教は、そんなお手軽なプチ修行で分かるものでもないが、
方便がよければお手軽なプチ修行で効果があるものでもあると思ってます。

ただ、自己正当化の為に常識におもねった仏教を主張してもなんにもならず、
虚しい慢心が残るだけなのは確かだと思います。

272:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:47:04 JW0hNU6a
>>269
そもそも、釈迦がそのような体験を本当にしたのかどうかの保証も「皆無」
ですね。

開祖に拘らずに、現代人は、現代におけるその生において、自分自身の「涅槃」
を見出せばよいだけのこと。開祖や経典に拘るのは、本末転倒といえよう。

273:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:49:19 betrjJ1O
>三昧のない仏教は考えにくいですね。

三学の内、定・慧に重きを置いたのが本邦の仏教ともとれる。
現代に至って「定」すら捨てるというのか。
仮にも「禅」を題目にする輩が・・・。
机なら机の言うことだからと、笑っていられるが、駒沢や花園にも似たような学者がいるからしゃれにならん。

274:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:55:21 JW0hNU6a
>>271
>どうすべきか、どう生きるべきかについては全く何も提示しません。

どう生きるかを「考える」ことは、「生きる」ことではない。それは、むしろ、
「死んでいる」状態である。

生きることの意味は、生きること自体にあることを悟って欲しい。

275:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:57:45 betrjJ1O
すみません。「デレク・パーフェット」について紹介してください。お願いします。

276:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:01:33 betrjJ1O
>どう生きるかを「考える」ことは、「生きる」ことではない。それは、むしろ、
>「死んでいる」状態である。
>生きることの意味は、生きること自体にあることを悟って欲しい。

言いたい事は解らんでもないが、運転に集中するときは集中することが大切だが、行き先を調べるときには、地図を広げて行き先について考えることも大切。
それを正しく弁別することが大切。

277:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 12:10:45 V34fndlw
>>269
>『A』についての議論も又避けては通れないのでしょう・・・

帰納法的推論するならば、
何ゆえ輪廻転生なるシステム化されたものが必要なのか?
という大局的観点に立たねばならんでしょうね。

そのテーゼとは何か?

例えば「至上善」的なものを追求しようとする学問もある。
(これも今現在においては殆ど崩壊しておりますけど)
非常にファジーな概念でもって、
自己基準でカルマの清算をするわけですが、
これが普遍性を有しない限りは、システム化そのものも崩壊する。

システム化されなければならない必然性とかは、
全くレスポンされていないのが、
その証左やに思いますね。


278:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:12:23 JW0hNU6a
>>276
>行き先を調べるときには、地図を広げて行き先について考えることも
>大切。それを正しく弁別することが大切。

それも「現実の目的地」に到達するための「生の行為」。地図が「空想上
の地図」だったら、無意味。

人間の心身は、専ら、現実界のみで生存できるようにプログラムされて
いる。現実と空想とを混同したら、そのプログラムが狂い、生そのもの
が破壊される。

人間は、現実と非現実との区別を、専らその五感の知覚によってのみ
行う。

279:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 12:29:48 V34fndlw
>>271
>机さんの説は最終的にただの妥協になるので、

妥協というのは、ひとつの段階でして・・・
それを通り越して全てを捨て去る(修行もなにもかもです)まで逝かねばならんのです。
諦観というのは、そういう道しるべであるのです。

修行して何かを得るのではないですね。
得ることはなにもなくて、
ただ捨て去るだけなのです。
(捨て去ることのために修行をする、と言ってもいい)
そういう段階を経ませんと、本来の南宗禅にはならない。
(拙者はは我流で書いてるのではありゃ~せんのですよw)

>教えを聞く必要もないし、戒律も護る必要もない、
>禅定も..........

戒律はどうなんでしょうか?
あまり固執はしないですね。

一休は、肉も食べましたし、女も好んで食べたようです。

280:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:31:48 JW0hNU6a
釈迦もイエスも、その「生物的生命(生存本能)」がなければ、仏教も
キリスト教も存在しなかった。人間は、生物の一種に過ぎない。

宗教者は、この「生物的生命」という、人間のすべての営みの根源を
失念してしまっているように見受けられる。

すべての「宗教的観念」も、この生物的生命の機能に過ぎない。

生命は、すべての人間に共通する唯一の普遍の事実。これに反し、
「観念」は百人百様。何らの普遍でもない。だから、争いが生じる。
その正誤・正邪を判断する基準は皆無だからである。

今後の宗教、いやすべての人間の営みは、「生命」という根源に立ち返
らない限り、無意味なばかりでなく、争いの原因をもたらす、極めて
有害な営みであり続ける。

すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だから
である。


281:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:32:02 ueru0cDq
>人間は、現実と非現実との区別を、専らその五感の知覚によってのみ行う。

だれでも出発点はそこだよ。貴方は貴方の現実界という幻影の中で生きているだけ。

282:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:34:42 ueru0cDq
>>280
ははぁ。内山の亜流か?

283:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:46:15 JW0hNU6a
>>281
「現実(実在)」と「非現実(非実在・幻影)」との区別のテストは、
それが人間の生物的生存に直接の関係があるか否かである。

人間は、神仏を煮て食うこともできないし、衣服にして寒気を防ぐこと
も出来ず、幻の女を抱いても、子供は生まれない。一方、石ころでも、
道路を作り、家屋を作ることにより、人間の生物的生命の維持に役立つ。

そして、人間界は徹頭徹尾共同体だから、現実・非現実の判断は、専ら
共同体の不特定多数の成員の、「ほぼ共通の五感の知覚」によって行う。

従って、「現実界という幻影」という言葉は、言語矛盾である。

284:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:48:55 1r1Y6phq
>すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
>「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だからである。

これをこの論調で突き詰めると、戦争も殺人も認めるようになるよ。全体主義の究極形態だろう。

285:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:54:23 k2WT6WmN
>>283
トンデモスーパーマン・シャカムニ絶対主義が生命絶対主義に成り代わっただけだ、ということに全く気がついていないところが、愚か過ぎる。
健康のためなら命もいらない、と言った芸人の笑い話の何処が面白いのか、アンタわかんないでしょ?

286:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:57:08 JW0hNU6a
>>284
人間は、独りでは絶対に生存できないのだから、生存とは、他者の生存
も含むのだよ。従って、この生存本能から、共同体形成・維持本能、自他
の死への恐れ、他者への思いやりという、本能や自然の感情が派生する。

純粋に生存のための戦争であれば、この生存本能による自動制御が働き、
適当なところで和解が可能である。宗教は、その「観念」によって、生存
本能を制限、変容、破壊するから、生存に関係ない宗教紛争においては、
この自動制御が働かず、相手を皆殺しにするまで止めることができない。

287:神も仏も名無しさん
08/12/25 13:02:47 JW0hNU6a
>>285
人間が生きている限り、いくら足掻いても、生命の絶対性からだけは
逃れることはできない。

「健康のためなら、生命はいらない」という言葉は、まさに宗教の矛盾
に当てはまる。

288:神も仏も名無しさん
08/12/25 13:37:52 8aNm8k2C
>>273
>三学の内、定・慧に重きを置いたのが本邦の仏教ともとれる。

なるほど。特に天台宗および、その分派はそうですね。
南都系と真言宗は、近代以前は少なくとも題目上は違った。

>現代に至って「定」すら捨てるというのか。
>仮にも「禅」を題目にする輩が・・・。
>机なら机の言うことだからと、笑っていられるが、駒沢や花園にも似たような学者がいるからしゃれにならん。

ですね。

>>275
デレク・パーフィットでした。失礼しました。
URLリンク(www.lifestudies.org)
論理的倫理学者で、仏教に深い共感を示しています。

私は、彼とダライラマ猊下とマチウ・リカール、石飛道子で
幸せになるための論理といった内容の論理と倫理に関する議論を
日本で実現したらいいなと思ってます。

289:神も仏も名無しさん
08/12/25 14:59:31 JW0hNU6a
>>288
「幸せになるための論理」という言葉だけで、すでに胡散臭い。

「幸福の科学」という新興宗教があるねw。

「幸せとは何か」を考えることが、先決だろう。

「自分の幸せ」と意図的に求めれば、それは遠ざかるものであることだけは、
間違いない。

290:神も仏も名無しさん
08/12/25 15:23:54 8aNm8k2C
>>289
>「幸福の科学」という新興宗教があるねw。

「幸福の科学」は>>271で言った「合理的かつ権威的で、お手軽な」伝統宗教+憑依系霊能を広告代理店が演出した感じですね。
正しく、私にはなんでこんなもの信仰できるか不思議でならなかった宗教です。
テキストがマンガレヴェルで、出来が悪すぎる。なぜ、日本の概説書に書かれている人物しか登場しないのか?
とか、内的な論理体系と実践的修行体系の欠如、つまり、どうゆう理由でどうすべきかが曖昧で、さっぱり理解できない。

>「幸せとは何か」を考えることが、先決だろう。
仏教的には、単純ですよ。苦の軽減、消滅した状態のことです。

>「自分の幸せ」と意図的に求めれば、それは遠ざかるものであることだけは、
>間違いない。

その場合、より正確に言えば「自分の欲望」ですね。

単純に言うと西洋論理学は、自己正当化、あるいは自己弁護の論理学だった。
その論理に基づく現代社会では個々が自分の欲望の正当性を主張して譲らない
苦しみを生み出すしかない社会、あるいは思想、論理である。
それに代わる新しい論理と倫理の模索を、その四人の方に話し合っていただきたいということです。

291:神も仏も名無しさん
08/12/25 15:55:35 eRLQmIeV
生命教は生長の家と内山の臭いがするw

292:神も仏も名無しさん
08/12/25 15:58:29 JW0hNU6a
>>290
>仏教的には、単純ですよ。苦の軽減、消滅した状態のことです。

仏教的な「苦」の本質とは、何ですか?「人生皆苦」では、人生の否定に
繋がるから、話にならない。

苦があるからこそ楽が存在し得る。「人生皆楽」は、「人生皆苦」と何らの
相違もない。

苦を滅すれば、他者の苦を理解し、共感する能力(これを、人間の成長という)
が育たない。

肉体的・物質的な原因から生じる苦は、科学が対応する。

純粋に精神的な苦は、自己中心主義から生じ、自我を離れて身近な他者へ心を
移すことにより、軽減し、消滅する。人間の本質が、共同体性である所以である。

293:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 15:59:35 T8Imcs1b
>>273
>現代に至って「定」すら捨てるというのか。
>仮にも「禅」を題目にする輩が・・・。
>机なら机の言うことだからと、笑っていられるが、駒沢や花園にも似たような学者がいるからしゃれにならん。

しゃれにならんかったら捨置すればよきこと。
捨てきれんとこに貴殿の迷いあり。


294:神も仏も名無しさん
08/12/25 16:11:37 8aNm8k2C
>>292
あなたですか、そうやって信念体系の異なるものを非難することが苦の原因でしょう。

そんな無駄なことは止めませんか。




295:神も仏も名無しさん
08/12/25 16:16:53 JW0hNU6a
>>291
「内山」って誰?聞いたこともない。

生長の家は、キリスト教の影響を受けた大本の系列で、「生命の絶対性」
など考えない。

296:神も仏も名無しさん
08/12/25 16:24:45 JW0hNU6a
>>294
ならば、仏教という「信念体系」そのものが苦の原因になるね。

あなたなりに、>>292に反論してみてください。

297:神も仏も名無しさん
08/12/25 16:35:59 8aNm8k2C
>>296
>あなたなりに、>>292に反論してみてください。

もう十分、話したでしょう。平行線で同じ内容を繰り返すのは無駄ですよ。
あなたは常識を確信している。私は仏教を確信している。
しかも、対象領域が全く異なる。無駄でしょう。

298:神も仏も名無しさん
08/12/25 16:55:49 IWNDj8Eo
また常識か?お前はどう
も常識という語を相手を
蔑視する際に使う癖があ
るようだが、非常識な妄
相に取り付かれている自
分をよくみてみる必要が
あるな

299:初代スレ7
08/12/25 17:08:25 wzjHZDF4
>>292

【悟りは】反仏教論の構築へ向けて・・・【逃避?】
スレリンク(psy板)

こちらへどうぞw

300:神も仏も名無しさん
08/12/25 17:09:05 qPfa885u
>>298
なぜ仏教にこだわっているのかな?
あなたのやりたいこと(非常識の排除)は
キリスト教に対してはやらないのか?
仏教のほうが常識に近いと思い込んで、
自分の思い通りに常識化して理解したって、
それは仏教ではないし、なにも得るものはないよ。
仏教を勘違いしているのではないか?
自分をよくみてみる必要があるな。

301:神も仏も名無しさん
08/12/25 17:29:52 IWNDj8Eo
>>300 誰が仏教にこだわ
っていると書いたか?
勝手に思い込んで妄想に
より書いているのはお前
の方だろ。

302:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 17:45:03 T8Imcs1b
>>252
>「釈迦は輪廻を説いてない」論の根拠というのは
>仏教のほかの部分で説かれている論理で言えば
>輪廻転生は成り立たない、というものなんでしょうか。

時制、つまり三時(時間のこと)については、そもそも現代論理学では無理なんですよ。
ですから「論理」というなら、古典インド言語哲学から学んだ方が早いですね。
でも、まあ、そこまですることもないですが・・・

ようするに、西洋哲学的な発想の「時間の実存性」において論考するのは、
ちょうど油と水を混ぜるようなもんです。
西洋とインドでは噛み合いません。

石飛道子が「ブッダ論理学五つの難問」の書籍を出しましたけど、
やはり無理がありますね。
石飛自身が「無理」ってのを言ってるわけですから。
あの本を買った方は大損しましたね。




303:神も仏も名無しさん
08/12/25 19:22:15 eRLQmIeV
「生命の絶対性」を信じるのなら
私の生命の前にひれ伏しなさい。



304:神も仏も名無しさん
08/12/25 19:24:20 oDYfYDK0
俺の生命の前にもひれ伏してもらおうか。

305:神も仏も名無しさん
08/12/25 19:33:08 NTMZuZP8
なんだかんだ言っても、
よーするに「死ぬ」のが怖いのだろ?
こういう発想自体が無明なんだけどね。
「生命の絶対性」だの「死の恐怖」だのって迷いと矛盾そのものなんだけどね。

『中道』という言葉は知っていても、なんにも解かっちゃいないということかw

306:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:04:47 JqL4YIjk
生命の絶対性を主張するバカと絶対的無関心を標榜するバカ。
対極のように見えるが、愚鈍という根っこで繋がっている。

>>286
生命の「絶対」を主張するもの同士が衝突すれば、どちらかが根絶やしになるまで止まらないだろう事は自明。
仏教という「宗教」は「ともに、是凡夫なるべし」という姿勢で致命的な衝突を回避してきた歴史がある。
虎のごとき好戦的民族である蒙古の民ですら、仏の教えで猫のごとく爪を隠すことを学んだ。
あんたの主張は、「妄想」「世迷言」でしかない。

307:宝珠愚者
08/12/25 20:11:50 2CddHNLY
 仏教徒ならば、経典を拠りどころとするのは当たり前であり、尚且つ、そのことが最重要の姿勢とい
えるでしょう。そんなにあなた方が経典の内容とゴータマの説法が気に入らないのであれば、何も無理
して仏教を信奉する必要はどこにもない。これは理解できる心の開かれた者が自ら望んで摂取すべ
きなのであり、強制や仏教支配などではないのだから---どうぞ好きにして下さいな!

 証明ねぇ・・・私は偶然にも昔、たまたま心霊存在による物理現象を目撃体験したことがある。重さ5
キロ程度もあろうかという物体がパッ!と勢いよく瞬間移動したんだな、本当にコレが!!(笑) 
 こんな俗人ですからもただ肉体が無いというだけでこのような物理現象を作用できるのであるから、
現象世界から解脱さけた仏陀が、その大いなる神通力を働かせていたとしても何ら不思議ではなく、
寧ろ何もないというほうが不自然で可笑しい。
 何も神通力はゴータマだけの話ではなく、ゴータマ十大弟子のモッガラーナ「神通第一」、阿那律「天
眼第一」といった存在のことも知らないのか?


 で、話は変わって、私からの質問状に対する返答が並川 孝儀氏より届いたところです。

 佛教大学文学部人文学科教授/並川 孝儀氏
  ---インド仏教学専攻(原始仏教,部派仏教)
  URLリンク(www.bukkyo-u.ac.jp)

 私からの質問内容とは----

308:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:19:58 Akl4uHQZ
>>307

すごい・・・。

やりましたね。

いや。

やりすぎましたね!

いや、いや。

どっちでもいいからw


309:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:20:17 /GKwWKQH
>>306
「生命の絶対性」とは、宗教を含め、人間のすべての営みが、生命の
機能であるという、自明の事実を言っているだけ。

その意味で、宗教も、神仏概念も、生命の奴婢に過ぎない。

生命の絶対性を信じる者が、他者の生命を奪う訳がなかろう。

310:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:35:58 XyGXZhCo
>>303-306
>「生命の絶対性」を信じるのなら私の生命の前にひれ伏しなさい。
>俺の生命の前にもひれ伏してもらおうか。


    人
   (__)
  (__)
  (,,/)(ヽ,,) イナイイナイ・・・   ★ 感情的な汚い罵りと歪曲した傲慢な態度は
  (   )
   'u ̄u'

 
    人
   (__)
  (__)
(ヽ(,,・∀・,,)/) バァー・・・   宗教にマイコン・嵌ってる証拠!!★☆
  (   )               
   'u ̄u' 





311:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:38:24 qPfa885u
生命=エゴ

312:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:40:55 dVxLBZx3
>>309

「絶対性」が数値化出来るところに争いの種があることもわからんのか。
生命に絶対性をもたせたとて、現状は「全く」変わらないこともわからんか?

>>310
ごくろうさん。

313:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:44:05 XyGXZhCo
>>265
>>272
>>280

<ご隠居氏の論>は、パーフェクト!!スバラシイ!!ヽ(^。^)ノ 


■すべての「宗教的観念」も、この生物的生命の機能に過ぎない。

■今後の宗教、いやすべての人間の営みは、「生命」という根源に立ち返らない限り、
無意味なばかりでなく、争いの原因をもたらす、極めて有害な営みであり続ける。

■すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だからである。


↑ は、万人に理解できる優れもの~、宗教を超えていま~す!!☆★

(・∀・)ノ オチ☆♪~☆★



314:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:51:31 B2TOdjtQ
すばらしい帰依ぶりですね。

315:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:55:55 /GKwWKQH
>>311
>生命=エゴ

当たり前でしょう。エゴがなければ、生命の維持はできない。

しかし、生命は、独りでは決して維持することはできません。だから、
人間は、常に共同体を作って生存しているのです(共同体形成維持本能)。

そして、このことから、自他の死への恐れや他者の生存への思いやりが
生じます。他者が生存してくれなければ、自分の生存も危なくなる訳です
から。「情けは人のためならず」です。

仏教でも、「自利・利他」を教えているはずだが。





316:神も仏も名無しさん
08/12/25 21:14:53 NTMZuZP8
>>313
>生物的生命  
ってあんた、非生物的生命があるみたいな言い方だなw
カルトの一歩手前~~~~~!

生命とはよーするにDNAなんだから、無明の奥にはDNAが鎮座ましましているわけだ。
>「生命」という根源に立ち返らない限り 
 無明を常に逆命題とする仏教は常に根源からの発想をしているのはとーぜんだ。
 なにマトはずれをしゅちょうしてるんだあ?

>すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
>「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だからである。

 馬鹿すぎてお話にならんw
 それは無明絶対肯定論であって、仏教ではない!!!

 真相はDNAによって生命現象が「無明」という状態でコントロールされている(一切皆苦)から、
 それをいかに克服するかがブッダの本懐であり四聖諦の本質だ。

 クソ馬鹿隠居の主張はDNAによる無明絶対主義主義であって、無明外道そのものだ。
 

 自演(爆笑  ご苦労!

          & アディオス!!


317:神も仏も名無しさん
08/12/25 21:15:17 SvLIBcAK
>>314
隠居とやらのマイコンの虜☆
隠居はいい儲に囲まれて幸せだなw

318:宝珠愚者
08/12/25 21:21:26 2CddHNLY
 「生きものを(みずから)殺してはならぬ。また(他人をして)殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害す
るのを容認してはならぬ。世の中の強剛な者どもでも、また怯えている者どもでも、すべての生きものに
対する暴力を抑えて─。」(スッタニパータ394)

 「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。已が身をひきくらぺて、殺してはならぬ。殺
させてはならぬ。すべての者は暴力におびえ、すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。已が身にひき
くらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。生きとし生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によっ
て生きものを害するならば、その人は自分の幸せをもとめていても、死後には幸せが得られない。生きと
し生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害しないならば、その人は自分の幸せ
をもとめているが、死後には幸せが得られる。」(ダンマパダ10:129-132)


 味噌も糞も一緒に論じて、オウムや西欧の一神教徒らと一緒にされては困る。教えを勝手に守らず欲
望と破壊とに走る者を聖者にせいにするな!

319:神も仏も名無しさん
08/12/25 21:22:13 NTMZuZP8
>>315
あんた、それはアジタ的古い唯物論やって何回もゆーてるやないか。

 もーええかげんにブッダの中道に踏み込んでこいや。

 もっとも、ゴータマとアジタは近しいことを認めるにやぶさかではないw

320:神も仏も名無しさん
08/12/25 21:24:28 hIpZ3YvZ
>>318

そんなことはいいから、さっきの続きを首長くして待っているんですけど。

321:宝珠愚者
08/12/25 21:36:59 2CddHNLY
-----質問

一般的には「無我」といって、
輪廻する主体、アートマン存在が否定されたことになっているが、
しかし釈尊が述べたのは、正確には「それら(五蘊)はアートマンではない」
(いい換えるならば、「五蘊ではない存在がアートマンである」)という意味でしかなく、
よって、「非我」と表現されるほうがより正しいのではないかということ。
つまり、「アートマン存在を(無いものとして)否定した」言葉は
実際、一つもなかったということが、まず第一点。

輪廻転生を否定した場合には、
唯物的な外道思想の「断見」(死んだらそれで継続的生命が無くなるという断滅論)
ということになる、というのが第二点。

「毒矢のたとえ」として知られる「無記」とは、
形而上学的な問題について判断を示さず沈黙を守る姿勢のことですが、
つまり、直接に修行に必要ではない形而上学的な内容については説かれなかっただけで、
ここでも「アートマンは無い」などとは述べてはいない。
また、転生(再生)を現実的な現象として説いたとしても、
何ら沈黙すべき無記としての形状学的問題としては抵触しない。
これが第三点。

322:宝珠愚者
08/12/25 21:38:02 2CddHNLY
また、
因果律の延長上においても輪廻転生は必然的な見解であり、
これを認めなければ善行善果/悪業悪果としての業報思想に矛盾する。
因果としての輪廻転生は、縁起からみた場合、
時系列的な因果関係を示す限定の意味はなくても、
時系列的な因果関係として現れることはない、という証明にはなっていない。
これが第四点。

実際、輪廻転生を説く内容の経で溢れているのが現実であって、
輪廻転生をないものとして否定した経などは一つも存在していない。
これが第五点。


以上の理由からみても、
私は、史実としての釈尊が実際に輪廻転生を説いていた可能性は
かなり高いものと考えています。にも関わらず、
仏典で記述された膨大なその部分を意図的に排除する
最近の方向性というものは如何なものでしょうか?

それとも文献学上、釈尊がそれを説かなかったという、
つまり後世の経典制作上の附加増大に依るものとの
学術的な確信と方向性が高まったということなのでしょうか?
-----------------------------------------------------------

届けられた氏からの返答とは・・・

323:神も仏も名無しさん
08/12/25 21:59:24 eRLQmIeV
>315
ただ「神」を「生命」と読み替えただけか・・・つまらん。
で、生命教ではその生命はだれが作ったんだ?


324:神も仏も名無しさん
08/12/25 22:04:57 /GKwWKQH
>>323
>生命教ではその生命はだれが作ったんだ?

それを思考するのも、生命の機能w。



325:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:04:40 qPfa885u
それじゃ答えになってないことが分からないのは、
科学バカだからなのかな。

326:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:09:48 NTMZuZP8
>>321
>一般的には「無我」といって、
>輪廻する主体、アートマン存在が否定されたことになっているが、
>しかし釈尊が述べたのは、正確には「それら(五蘊)はアートマンではない」
>(いい換えるならば、「五蘊ではない存在がアートマンである」)という意味でしかなく、
>よって、「非我」と表現されるほうがより正しいのではないかということ。

しかし前スレで 宝珠愚者はこう引用しているではないか、
612 :宝珠愚者:2008/12/20(土) 00:58:43 ID:5LoFzwjn
 『「大徳よ、無我、無我と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなることを無我というのでありましょうか」
 「ラーダよ、色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。行(意志)は無我である。識(意識)は無我である。

おそらく定評のある増谷文雄氏の訳だが、明確に「無我である」と主張し、「我ではない」「我に非ず」などとこじつけ訳はやっていない。

これに対し
615 :神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 02:42:16 ID:hoPT5oc1
ブッダの所説は一切内においては「無我」であって非我ではない。
       一切外においては“無記”であって非我ではない。
非我説は完全な誤り。

宝珠愚者は>>615に対しなんらの反論もできていない。
中村元説のこじ付け的ご都合主義的援用にしかすぎない。






327:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:20:11 m2jdSMhd
いや、「我ではない」と「無我である」は同じことなのでは?

無我説というのは全称的に「我はない」という理解していたんだけど、違うの?


328:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:40:05 NTMZuZP8
>>321
>輪廻転生を否定した場合には、
>唯物的な外道思想の「断見」(死んだらそれで継続的生命が無くなるという断滅論)
>ということになる

 宝珠愚者は、ブッダがメタコードの空=中道を説かれている意義がいまだに!解かっていない。

「無記」については前スレ>>615の通りであり、経験主義者として当然の態度だ。
戯論を吐きまくる君たちと違って、大人なんだよw。

縁起はほとんど偶然性のカオス的因果関係の集合であり、善因善果論のような
超単純素朴な価値論で判断できるものではない。世俗においての善悪価値判断などというものは
実情無視の単純素朴な共同幻想を想定してのみ成立しうることであり、
普遍的価値としての善悪などというものは幻想にしかすぎない。
宝珠愚者の論は具体的歴史現実を無視した抽象論にしか過ぎないのだ。

>史実としての釈尊が実際に輪廻転生を説いていた可能性
仏典に記されていることを否定するものは誰もいない。
しかし、それは勝義中道=涅槃へ目覚めさせるための方便であり、フィクションだと言っている。
現にジャータカが子供向けのおとぎ話=フィクションだと認めているなら、
ほとんどがマトモな教育など受けたことのない大人向けのおとぎ話=フィクションを方便として語られても
なんら不思議ではないのだ。

もういいかげんにしたら?

329:宝珠愚者
08/12/25 23:48:48 2CddHNLY
>>326
 しかし・・あまりの読解力の無さに悲しくなります。

 「色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。行(意志)は無我で
ある。識(意識)は無我である。」とはつまり、「色受想行識の五蘊はアートマンではない。」と述べて
いるのです。読めば分るでしょ!要するに、アートマンとは五蘊ではないものだといってるのですよ。
わかりますか?従って、アートマンではないものをアートマンと同一視することなかれ、とゴータマは
教えているのです。

 anattan[アナッタン]そのものの意味は、「我ならざること」「我を有せざると」の二義で、漢訳の「無
我」の直意は、「在るものが我(アートマン)を有しないこと」「或るものに我が無いこと」をいう。
 

>非我説は完全な誤り。

だから私は、
「アートマンは存在しない」などと述べた経はどれなんだ?とズーと聞いてるのです。
早くそれをここに提示して下さいよ!

330:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:51:54 NTMZuZP8
>>327
「我に非ず」(非我)は、抽象的に有我(アートマン)であることを前提としてのこじつけ立論であることは当然だ。
ヒンドゥ=バラモンに下半身が犯されたロマンチストの見解であることはいうまでもない。
あとは大日如来などの別名ブラフマンを設定すればヒンドゥの仏教侵略は完成するわけだ。

331:宝珠愚者
08/12/25 23:52:09 2CddHNLY
届けられた氏からの返答とは・・・


「ゴータマ・ブッダ考」並川孝儀著 
URLリンク(daizoshuppan.bunkensystem.co.jp)

 なんと---ちょうどこのスレでも話題の上った並川氏からの返答が届くものとは、私も全く予想だにして
ませんでした。氏が佛教大所属だったことも知らずに質問を佛教大に送付していたのです。教学部教務
課からはご親切なことに、専門の先生に回しましたとのこと(感謝 !!)。

 で、とても氏からの返答は、そのままここには掲載するわけにはいかないので、要点だけを箇条書きで
記します(文体は変えます)。年末で忙しく返答が遅くなったことを謝罪頂きまして、とても丁寧かつ親切な
文面でした。ゴータマは説いたとも説かなかったとも確定はしてないということであり、また、私からの質問
内容に対しては「論外でナンセンスである!」といったことはなかったw

 ・質問者からの指摘は適切でそれ自体は正しい。
 ・従って、輪廻を初期仏教の段階で認めていたと考えるのも妥当。
 ・しかし、本当に釈尊自身が輪廻を考えていたかは研究者たちの見解に相違がある。 
 ・原始経典の内容全てが釈尊の教えとするのと、
   或いは弟子の見解も入っているという二つの見方がある。
   (詳しくは、並川孝儀著『スッタニパータ―仏教最古の仏教―』岩波書店/2008年12月の購読を推奨)
 ・自分は原始経典の成立を新古層に区別して理解すべきとの立場に立っている。
 ・しかし、それとは異なった立場でも、
   資料に対して批判的に処理し論理的な見解であれば十分に尊重される。

 また、全く同一の質問状を国内最大学会とされる「日本印度学仏教学会」にも送付しましたが、しかし残念
なことに事務局で跳ね除けられてしまいました。「ここはただの事務局なので返答できない」といった悲しい
返信でした。解答可能な研究者へと回したり、紹介を頂けるといった親切はなかった。
 まっ、担当者が悪かった・・。

332:宝珠愚者
08/12/25 23:56:25 2CddHNLY
 また、日本の全宗派から「宗派としての見解」を集めている最中です。まとまり次第、スレ上で大公開しま
す!質問内容は以下の通りです

------------------------------------------------------------------
明確に「人間の来世の生まれ変わり」ということについて、
宗派としての見解(個人的意見ではなく)を教えて下さい!
我々、大衆は死後に生まれ変わりをしているのかどうか?
「はい」「いいえ」「その他」(わからない、興味なし、など)として明確にご回答下さい。
どこに出しても問題のない宗派の教義としての見解で宜しくお願い致します。
------------------------------------------------------------------

333:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:59:35 NTMZuZP8

それにしてもロマンチスト連中は「梵我一如」がお好きなようでw

>>331
やっぱり並川はんの返答はなんのインパクトもない(2チャンネルでのほうがもっと
突っ込んで議論している)、アカン。
 2ちゃんねる仏教学もけっこうイイセンいってるの鴨。

334:宝珠愚者
08/12/26 00:02:58 2CddHNLY
>>330
「無我」だからアートマン否定だ。「アートマンはない」んだ!
アートマンがないなら輪廻の主体もない。ということは輪廻そのものもないんだ。
という論拠・・

ですから、その根拠となる経を提示して下さいよ!
それから言ってくださいな。。。

335:初代スレの5
08/12/26 00:03:51 CRvUCEUf
>>333  それは、そうでしょう。 どこの誰ともわからない人からの
問い合わせには、当たり障りのない返答をするのが通常かと思われます。

336:初代スレ7
08/12/26 00:14:24 rP9xTeJf
>>無我と非我

機械的日本語訳としてはどちらも可能な読みだが、
“意味合いとして”非我を支持する人は多いと思うよ。

少なくとも、奈良さんや田上さんは、授業中そのような主旨の発言をしていたし、
田上さんに至っては、(今はどうか知らないけどw)若い頃の論文を次のように締め括っているw
面倒だが・・・、以下、少々長いが引用してみよう。
田上太秀「ブッダの自我と無我について」―『駒沢大学仏教学部論集』3(1972)所収(p.31~50)

> 六 まとめ
>ブッダはアートマンを否定はされなかったと考えられる。ウパニシャッドで“哲学的に”アートマンを追求し、知ることが解脱とされ、
>それはそのままブラフマンを知ることであり、ブラフマンとなることであったが、ブッダは実践的倫理的に追及され、
>アートマンになり、ブラフマンとなられた。自らがアートマンであり、ブラフマンである。といってそのアートマンが
>いずれにあるかということについては自己撞着に陥入るために、言語をもって表現することのできないものであるから
>説明をされなかった。定義することさえされなかった。ブッダそのままを直指するよりほかはない。
> アートマンは五蘊にないのであって、五蘊に構成される個体にないといっているのではない。しかし、
>その“ある”という観念さえも消滅しない限り解脱はえられない。
> 「仏伝」において疑問に附してあった自己の問題は右の結論によって解答をえたと思われる。
>ブッダは無我を説かれる場合、根本的には「自分のもの」という所有欲をなくすことを説かれているのであり、
>具体的には五蘊に対する所有観念の破棄をいっている。これが裏付けとなって
>一切の自己―自他の差別としての自己、涅槃を求めて行く実存的な自己、あるいはアートマンとしての自己など―が
>五蘊にはないと述べている。
> 『法句経』では結論として、アートマンを求め至向する実存的自己―人称的私の自己を含めた―のあり方を
>強調しているもので、『スッタニパータ』は、ブッダそのものがアートマンであることを説いていると思われる。

337:初代スレの5
08/12/26 00:22:41 CRvUCEUf
アートマンねえ。  このへんで、主体設定をしない輪廻思想を主張していた
かの御仁の説明をお聞きしたいとこですね。 かの御仁は、おそらく
無我、空 との関連からアートマンを含め、主体の設定を否定されて、おられ
たと思われますが、そのあたりを仏典に根拠を求めるとすれば、どうなるので
しょうか?  やはり、「因縁心論」 「サンユッタ・二カーヤ」
あたりになるのでしょうか?

338:神も仏も名無しさん
08/12/26 00:55:27 AQhpEWo1
並川氏の著書に対する、宮崎氏の書評(上掲のリンクより)

 「では,ブッダは輪廻をどう捉えていたか。古層の経典では,確かに輪廻は業報
と結びつけられ,積極的に説かれる。だが著者は文献を精査し,最古層の経典に
は輪廻(サムサーラ)という語は見出せず,「来世」や「再生」などの表現はみ
えるものの,いずれも否定的な文脈に限られている事実を突き止める。ブッダ自
身の輪廻観は飽くまで否定的であったと推すことができるのだ。「無我なのに
どうして輪廻という生死を超えた我の存続を認めるのか」との疑問が氷解する
とともに,当時から流布していた輪廻という観念の因襲を,無我の思想を立てて
解体しようとしたブッダの姿を,本書は見せてくれる。」

339:神も仏も名無しさん
08/12/26 01:40:13 74K2Qd0P
>>334
>>334
 宝珠愚者殿は基本的な教科書をしっかり読んでいるのかねえw
いくらでもあるが、基本を押さえるために教科書的経典を示しましょう。
(1)『いま、われ、甘露の門をひらく。
    耳ある者は聞け、古き信を去れ。』(相応部経典六、一:増一阿含経十九 勧請)

(2)『われというものはない。またわがものというものもない。
    すでにわれなしと知らば、何によってかわがものがあろうか。
    もしこのように解することを得れば、よく煩悩を断つことを得るであろう』
   (相応部経典二二,八九:雑阿含経九、一〇三など)
同趣旨経典はいたるところにある。


340:神も仏も名無しさん
08/12/26 01:41:33 74K2Qd0P
>>334
<続き>
 ブッダが捨て去れ!と言われた『ふるき信』とはブラフマン=アートマンを中核とする
リグ・ヴェーダ以来の特にウパニシャッド的梵我一如論への信仰を指しているのは当然だ。
 (1)(2)から以下の趣旨を導き出し得る。
第一)我所(mana)の否定。存在が無常である限り「わがもの」はありえない。経文通り。
第二)我(attan)の否定。ブッダの成道が縁起の法の悟りを中核とするものである以上、
ウパニシャッド的梵我一如的自我観の完全否定を意味する。
   つまり宝珠愚者が執着する「これは我にあらず」とはバラモン的絶対的自我主張を真正面から全面否定したものである。
第三)我体(me atta)の否定。つまり自我の恒久不変なる本体の否定。肉体を離れてもなお永続する我の本体=霊魂だが、
手を変え品を変え文言を変え名称を変え登場する。無明人間のサガともいうべき情念だろう(死ぬのが怖い)。
   縁起の立場からブッダは自己の本体に関する固定的観念をも否定し去ったのだ。

 大切なことは、ブッダの姿勢は常に帰納的かつ分析的だということだ。
五蘊、六処の個々にわたり無常・無我を細かく検証してゆく手法だ。
それによって具体的に無常=無我=縁起の法を体得させる見事な教育法だろう。
だから、個々の文言を取り上げて「我に非ず」などと非我と曲解するのは
揚げ足取り的歪曲との非難を免れない。



341:神も仏も名無しさん
08/12/26 02:05:18 74K2Qd0P
>>336
田上は「仏陀のいいたかったこと」のなかではそーゆー梵我一如論丸出しということはない(159頁~)。
だいぶ腰が引けている印象だw。

とにかく因果撥無の戯論は叩くべきだろう。



342:初代スレの5
08/12/26 02:22:48 CRvUCEUf
さて、宝珠愚者氏を代表とする「アートマン支持派」の反論が楽しみですね。

343:神も仏も名無しさん
08/12/26 02:54:23 QfORdN1l
偏執的ともいえる輪廻・アートマン肯定派は、最初にもいったように、要する
に、浅薄にもキリスト教の影響を受けていることは確かだと思う。少なくとも、
キリスト教を本質的に批判することはできないはず。

一方、クリスチャンは、全面的肯定派だろう。両者間の親和性は、極めて高い。

否定したら、「俺が俺が」のイエスのエゴや、その「「復活」「再臨」「永遠
の生命」「最後の審判」も正当化できないからだ。

輪廻転生は、キリスト教の宣教「手段」としての、罪の意識の植え付けという
「脅迫」にも通じる。また、聖書の文言から一歩も踏み出せない狂信性も同様
である。

344:神も仏も名無しさん
08/12/26 06:20:02 Fu5ETnCd
佛法を修せざれども、自然に覺海に歸すれば、さらに生死の輪轉なし。
このゆゑに後世なしといふ。これ斷見の外道なり。
かたちたとひ比丘にあひにたりとも、かくのごとくの邪解あらんともがら、さらに佛弟子にあらず。
まさしくこれ外道なり。
おほよそ因果を撥無するより、今世後世なしとはあやまるなり。
by道元

345:神も仏も名無しさん
08/12/26 06:37:19 VdvlfdRo
>>343
釈迦はクリスチャンか?

346:承狂 ◆nR84EH8w52
08/12/26 07:16:55 ATXrBQd0
>345
君はバカだな?(笑)

347:神も仏も名無しさん
08/12/26 08:31:43 G8WAzMuV
>346
まぁ、あまり賢いほうじゃないと思うが、君よりは幾分マシだよ。(微笑)

348:神も仏も名無しさん
08/12/26 08:34:29 G8WAzMuV
>>342
同じことのくり返しさ。
平行線は交わることは無いという結論が出ている。
君は物分りが悪いな。

349:初代スレの5
08/12/26 08:38:10 CRvUCEUf
>>348 別に交わることを期待しているわけでは、ありませんが。

350:神も仏も名無しさん
08/12/26 08:39:51 G8WAzMuV
自説の論拠が推測にしか過ぎず、学説と呼ぶには曖昧に過ぎることを並川氏自身が認めたとしても、釈迦の言説すら貶める連中が自説を省みることはありえない。

351:神も仏も名無しさん
08/12/26 08:52:54 EmgWArW4
>・質問者からの指摘は適切でそれ自体は正しい。
>・従って、輪廻を初期仏教の段階で認めていたと考えるのも妥当。

↑↓この間の転換がわけわからん。

>・しかし、本当に釈尊自身が輪廻を考えていたかは研究者たちの見解に相違がある。 


>・原始経典の内容全てが釈尊の教えとするのと、
> 或いは弟子の見解も入っているという二つの見方がある。

二者択一しかないわけは無かろう。弟子の見解は入っていても釈尊の金口の論旨を妨げるものではなかろう。
弟子は釈迦の弟子であれば、遺志を継ぐのは当然のことである。しかも「サンガ」という共同体にあれば釈尊の意志を曲げることのほうが難しい。
よしんば若干の表現等の変革はあったとしても、「輪廻」に纏わる大きな問題を操作することのほうが困難である。
「輪廻」が方便であるとする説も同じ。

352:神も仏も名無しさん
08/12/26 09:34:20 rbjSMtWi
もういいかげんにしたら? → >>343

353:神も仏も名無しさん
08/12/26 09:47:52 rbjSMtWi
>>314
>すばらしい帰依ぶりですね。

↑ このレスも宗教に嵌り、宗教カテゴリー内だけの言葉ですねw
賛同出来ない点は、ちゃんと主張しますょン~、勿論ね(笑

ご隠居氏の無神論は、当たり前の万人が納得出来る現実の自明の事実を言われてるだけ。
納得して賛同してるだけで『生命教』という宗教ではないから「帰依」という言葉は不要w
信憑性の不確かな聖書・経典・・等の教義の一部分に陶酔している信徒とは全く異なりま~す!★☆

>>316
>自演(爆笑  ご苦労!

↑ って、クリ達みたい、ちゃんと、ID確認してごらんなさ~い
「天眼通」他の神通力も修行成果全く無しの証明(笑

>>317
>隠居とやらのマイコンの虜☆

ご隠居氏の論は現実面に立脚した確かなものだから、信じることも盲信することも不要、
儲にもならないし、却って足手まといっしょw☆(笑


354:神も仏も名無しさん
08/12/26 10:01:45 KUNSDBSk
>ご隠居氏の論は現実面に立脚した確かなものだから、信じることも盲信することも不要、
>儲にもならないし、却って足手まといっしょw☆(笑


>>353
自ら遜って無私の帰依をしている。
そして言っていることが、オウムなどに見られるマイコン信者たちの自我防衛と全く同じ所が恐ろしい。


355:神も仏も名無しさん
08/12/26 10:06:57 rbjSMtWi
お馬鹿につける薬な~し!!
忙しい!

356:初代スレ7
08/12/26 10:30:24 rP9xTeJf
>>341
そうなんだ。
ま、36年前の発表だもんな・・。
あの論文は、血気盛んな若い頃ならではってことか。
歳とると、やっぱり丸くなるもんなんだな・・・w
(それとも、あれが修士論文かなんかだったのかな? ほやもんで“敢えて奇をてらった”とか?w
 年齢的にそれは無いか・・・)

それでも、ワシが学生の頃は、「現代日本仏教は言ってみればバラモン教(祭祀宗教)だ」と明言してたが・・・。
(尤も、これはある意味正解なんでw、改めて訂正する必要もないか・・・w)
他にも色々言ってたがw、田上の授業も面白かったなぁ・・・。

357:神も仏も名無しさん
08/12/26 10:39:01 PgXFahqo
>>356
仏教を扱下ろすことが「新しい学問」のステータスだった。
当時の教授陣もそういう人を評価していた。
トリビアルな枝節を誇張して「批判的教学」を論じれば学問らしく見えた。
そういう時代だったのですよ。


358:初代スレ7
08/12/26 10:46:08 rP9xTeJf
>>357
>そういう時代だったのですよ。
かもなぁ・・・。
学生時代、袴谷・松本シンパのなんと多かったことか・・・w

359:神も仏も名無しさん
08/12/26 10:49:13 NW1cZGtt
>>357
というよりも、仏教を時代に合わせて解釈するという努力だったのでは
ないか。

前レスの宮崎氏の書評から、釈迦もその努力をしたことが窺われる。

360:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:11:15 lJAxX148
>>357

批判仏教、輪廻批判とかしてる学者は、今でもそうですね。
とても優れた学者とは思えません。

>358

駒沢といえば、水野弘元先生と片山一良先生がなんといってもいいな。
学問も堅実で仏教に対する信があって。
ただ二人ともパーリや曹洞宗的な視点があるところが、私的には玉にきず。

361:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:13:54 lJAxX148
>>359
え~、宮崎さんとか並川さんとか問題外だと思いますが。

362:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:15:04 lJAxX148
以下で「輪廻 仏教」で検索した結果で、原始仏教関係と思われるものを抽出してみました。
URLリンク(ci.nii.ac.jp)
*が付いているものは、上からダウンロード可能。
それ以外にネット上で閲覧可能なものは URL を貼っておきました。

松尾,宣昭/仏教と「輪廻」の概念--並川孝儀氏の所論をめぐって
竜谷哲学論集 (22),51~77,2008(ISSN 09176284)

松尾,宣昭/「輪廻転生」は「諸法無我」と矛盾するか
竜谷教学 (42),112~125,2007/3(ISSN 02885298)

石飛,道子/仏教と輪廻(下)ブッダは輪廻を説かなかったか
春秋 (475),24~27,2006/1(ISSN 13436198)
URLリンク(homepage1.nifty.com)
優れた正論、ただし比喩は誤解を招きかねないと思われる。

石飛,道子/仏教と輪廻(上)ブッダは輪廻を説かなかったか
春秋 (474),5~8,2005/12(ISSN 13436198)

望月,海慧/仏教と輪廻転生--ブッダは輪廻のことをどう考えたのか
春秋 (467),5~8,2005/4(ISSN 13436198)
未見だが、上の石飛論文で論破されたと聞く

森,章司/死語・輪廻はあるか--「無記」「十二縁起」「無我」の再考
東洋学論叢 (通号 30),180~158,2005/3(ISSN 03859487)

村石,恵照/仏教の霊魂観--縁起・輪廻の主体・往生の主体をめぐって
日本仏教学会年報 (71),1~14,2005年度(ISSN 09103287)

並川,孝儀/原始仏教にみられる輪廻思想--ゴータマ・ブッダの輪廻観
印度哲学仏教学 (19),35~56,2004/10(ISSN 09128816)


363:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:18:02 lJAxX148
*楠本,信道/『倶舎論』における世親の縁起観 : 有部と経量部の十二支縁起解釈
印度學佛教學研究 51(1),373-376,20021220(ISSN 00194344)
原始仏教でも輪廻は認めていたと述べる。

小谷,信千代/和辻博士の縁起説理解を問う--釈尊の輪廻説と縁起説
佛教学セミナー (76),1~19,2002/10(ISSN 02871556)

伊藤,正見/命根と中有--輪廻転生の主体として
東海仏教 47,53~38,2002/3(ISSN 04957407)

前田,專學/講演会 インドにおける業論--業報輪廻
真宗教学研究 (21),97~112,2001/6(ISSN 13462156)

茨田,通俊/対外道における初期仏教の思想的見地--業・輪廻思想と無記説
真宗教学研究 (20),55~66,2001/03(ISSN 13462156)

櫻部,建/輪廻について
佛教学セミナー (72),15~20,2000/10(ISSN 02871556)

望月,海慧/ブッダは輪廻思想を認めたのか (佛教をいかに學ぶか--佛教研究の方法論的反省)
日本仏教学会年報 (66),49~63,2000年度(ISSN 09103287)
著者の常識が文献検証することによって打ち砕かれ、輪廻を比喩として説いたと苦しい説を提唱している。

梶山,雄一/アーラヤ識と業報・輪廻
創価大学国際仏教学高等研究所年報 (2),3~19,1998年度(ISSN 13438980
URLリンク(iriab.soka.ac.jp)
有部、経量部、唯識、中観は輪廻を認めているとしながらも、
輪廻と無我が相容れないということを暗示しているのは理解できない。


364:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:19:01 lJAxX148
浪花,宣明/パ-リ上座部の業論(2)--輪廻
仏教研究 (通号 25),7~27,1996/03(ISSN 02850605)

*外薗,幸一/業報輪廻の倫理観 : 六道輪廻説を中心として
鹿兒島経大論集 36(1),87-139,19950420(ISSN 02880741)
好論文、穏健な説と思われる。

二瓶,孝次/釈尊の悟りと道徳的発達(中) : 行為の因果律と最善観的輪廻転生論
北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編 45(2),29-44,19950300(ISSN 03864472)

細田,典明/輪廻の主体についての蛭の譬喩
印度哲学仏教学 (通号 9),p68~89,1994/10(ISSN 09128816)

舟橋,尚哉/輪廻思想と仏教
佛教学セミナー (通号 59),p1~16,1994/05(ISSN 02871556)

梶山,雄一/輪廻と超越--「城邑経」の縁起説とその解釈
哲学研究 47(8),p1324~1359,1984/10(ISSN 03869563)

松濤,誠達/仏教が排除したもう一つの「輪廻説」--父と息子の一致をめぐって
東洋学術研究 22(1),p60~70,1983/05(ISSN 02876086)
URLリンク(www.totetu.org)

玉井,威/ミリンダパンハ-における輪廻説について
印度学仏教学研究 26(2),p872~874,1978/03(ISSN 00194344)

*岡崎,公良/『ミリンダ王問経』における「輪廻転生」思想について
金城学院大学論集. 人文科学編 10,47-61,19761230(ISSN 04538862)
多分、哲学系の学者による論考で誤認が多い。


365:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:20:01 lJAxX148
山本,啓量/原始仏教における輪廻並びに無始無明と触に関する考察
印度学仏教学研究 25(1),p184~187,1976/12(ISSN 00194344)

服部,正明/輪廻と業 (仏教思想の核心(特集))
中央公論 89(5),334~342,1974/05/00(ISSN 05296838)

*修山,脩一/佛教中に輪廻転生説の存在する理由
佐賀龍谷學會紀要 11,30-44,19641225(ISSN 02863758)
輪廻を有我思想、禅定体験の結果と捉えている。

*海恵,宏樹/ビルマ仏教の輪廻説
東南アジア研究 1(3),11-23,19640000(ISSN 05638682)
上座系の輪廻説が分かりやすくまとまっている。

上野,順瑛/原始仏教に於ける無我輪廻説の論理的意義
印度学仏教学研究 7(1) (通号 13),190~193,1958/12(ISSN 00194344)

雲井,昭善/阿含における輪廻の問題
大倉山学院紀要 (通号 1),27~41,1954/12(ISSN 04715144)

雲井,昭善/輪廻の思想的根拠
大谷学報 34(2),1~12,1954/09(ISSN 02876027)

雲井,昭善/輪廻と無我について
印度学仏教学研究 2(2),633~635,1954/03(ISSN 00194344)

舟橋,一哉/釈尊の輪廻説
大法輪 20(11),19~23,1953/11

春日井,真也/仏教に於ける輪廻の主体の問題
宗教研究 (通号 133),293~295,1952/12(ISSN 03873293)


366:354
08/12/26 11:35:36 yc/GRHcD
>>355

「オウム」「マイコン」この御札は、何処にでも誰にでも、貼り付けることが出来る上に、嫌がらせの効果は絶大であるなw


367:神も仏も名無しさん
08/12/26 11:48:50 J4SuHc6H
マルクス主義の敗北とともに仏教学においても唯物論勢力が衰退しているのだ。

368:初代スレ7
08/12/26 11:58:12 rP9xTeJf
>>359
>仏教を時代に合わせて解釈するという努力
それは今でも変わらないんじゃないかな・・。(その頃が、その大きなうねりの始まりだったとしても。)
教義のみでなく、文化的視座をもって仏教を捉えていく、とか。

仏典に真摯に向き合う者、触れた者にとっては、
「今でも使える仏教」というのが、やっぱり主軸になるんじゃないかな・・。

>>360
>私的には玉にきず
それは仕方ないんじゃね?w
片山さんはおそらく、
「現存パーリから原始(初期)仏教へアプローチする」という立ち位置を自認してるだろうし、
また現在翻訳中なれば、パーリ仏教の枠外へ出ることは控えられるだろうし・・。
(通仏教的発言は、無難なものが多いw)
律や注釈等(全てに)一区切りついた時、それらを踏まえた上でどのような発言となっていくのか、
今、一番楽しみな所ではあるw

369:神も仏も名無しさん
08/12/26 12:19:47 lJAxX148
>>368
>>>360
>>私的には玉にきず
>それは仕方ないんじゃね?w

まったくのないものねだりです、ハイ

お二人とも実に立派な仕事なのは、ちょっと勉強すれば分かることですから。

370:神も仏も名無しさん
08/12/26 12:54:53 lx4ioda4
ブッダのことば パーリ仏典入門 片山 一良 (著)
●あとがきより抜粋
これ(本書の元となる『大法輪』の連載執筆)をお引き受けするにあたり、
私は次のようなことをお許し頂いた。その時もそうであったし、
今もそうであるが、私はいわゆる研究というものをしていない。
時間は訳経や坐禅に費やされることが多く、いつも仏教は一つであり、
原始仏教であれ、上座部仏教、あるいは大乗仏教であれ、それは名のみのもの、
教えの根幹はまったく同じである、と学んでいる。
従って執筆はそのような把握によるまとめとなり、学術的なものにならない。
いわゆる仏法の立場から「ブッダのことば」を紹介したい、ということである。

371:神も仏も名無しさん
08/12/26 12:57:00 lx4ioda4
同じ大学の同じ学者とは言いながら、えらい違いやで。


ほんま。

372:初代スレ7
08/12/26 13:07:22 rP9xTeJf
>>370
単行本になってたのか。
いいあとがきだ・・。買おう。
ちょっと注文してくる!

 (д゚ )
  (  ) =
  く \ =3

373:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/26 13:10:22 wA2ei/HQ
>>332
>明確に「人間の来世の生まれ変わり」ということについて、
>宗派としての見解(個人的意見ではなく)を教えて下さい!
>我々、大衆は死後に生まれ変わりをしているのかどうか?
>「はい」「いいえ」「その他」(わからない、興味なし、など)として明確にご回答下さい。
>どこに出しても問題のない宗派の教義としての見解で宜しくお願い致します。
------------------------------------------------------------------

面白い質問だね。
おそらくは伝統宗派は明言は避けるかとおもうが。
まあ、それとは別に、
昔、朝日新聞だったか?僧侶に無記名でアンケートをしたことがある。
質問項目は、
「霊魂は存在するとおもいますか?」
この質問に関しては、宗派間にはそれほど開きはなかった。
「ある」と「ない」が半々くらい。

つまり宗派にはあまり関係なくて、最終的には僧侶自身に依るところが多い。
禅宗系でも、すべての僧侶が見性しているわけではない。
(現在は、見性率はかなり落ちてる)
それよりも説法の上手い僧侶が重宝がられる。

ようするに宗派というのは、
世間と馴れ合って上手く運営するのが仕事であって、
教理は二の次になる。

374:神も仏も名無しさん
08/12/26 13:21:58 pbKgz190
>>372
アマゾンに2冊あった在庫がパッと無くなった(笑

375:神も仏も名無しさん
08/12/26 13:24:47 W8UgZBIa
玉に瑕だって・・・
ここに水野先生を超える碩学が隠れていたのか・・・w

376:初代スレ7
08/12/26 13:36:52 rP9xTeJf
>>374
自分、大抵1-Click注文なんで・・・。サーセンw

377:神も仏も名無しさん
08/12/26 13:53:32 lJAxX148
>>375

水野先生は、大変尊敬していて日本一の仏教学者だと思ってますが、
多少、パーリ、曹洞宗的香りがするということですよ。
例えば『要語』旧版20で顕密の区別を主として日本としてますが、
これはインド・チベット・モンゴルでも重要です。
また134で法身、仏性、如来蔵に批判的ですが、これがパーリ、曹洞宗的香りですね。

もちろん『要語』は名著中の名著で、存在・本体論、ヴィヤヴァハーラからラクシャナへ、
ニッサッタニッジーヴァター解釈、サンガの意味、十二縁起を自内証の法門とすること、
四諦の三転十二行相解釈、信戒定慧解釈、四証浄などの高い見解が
明解な基本用語の解説とともに簡潔に説かれていて圧巻です。
何度読んでも発見があります。そして利他意識で書いておられるところも素晴らしい。

378:神も仏も名無しさん
08/12/26 14:01:14 lERFp53V
>>377
水野氏の一般向けの文庫版を立ち読みしたことがあるが、あまり感心
しなかったことを覚えている。何だか、のめりこんでいる感じ。

379:神も仏も名無しさん
08/12/26 14:49:44 DRU0q5WW
>>378
読み物として娯楽性が無いからな。
並川氏とかその手の人たちは「売れる」本や、新しい「学説」を唱えて話題性を出すのが目的としか思えん。
時代の要請に応えていると言えば、聞こえがいいが、その行為に学者としての面目は無い。

380:神も仏も名無しさん
08/12/26 15:22:03 lJAxX148
>>379
同意! 

381:神も仏も名無しさん
08/12/26 15:54:43 sSQvRqja
>>373
>つまり宗派にはあまり関係なくて、最終的には僧侶自身に依るところが多い。
>禅宗系でも、すべての僧侶が見性しているわけではない。
>(現在は、見性率はかなり落ちてる)

禅宗の宗祖、達磨は「二入四行論」の中で確かに因果と輪廻を語っている。
道元も然り。白隠も然り。祖師方は皆、輪廻を前提に道を示している。
あんたは輪廻を認めない禅者は「未達・未見性の人」という意味で語っているのか?

382:神も仏も名無しさん
08/12/26 16:21:25 J4SuHc6H
輪廻がタブーなのは人権団体からの糾弾を恐れているからではないか。

383:神も仏も名無しさん
08/12/26 16:24:58 zUHdtS/V
>>382
しぃーーーーっ!

町田発言とか蒸し返して、寝てる子を起こすんじゃない。

384:神も仏も名無しさん
08/12/26 16:54:39 W8UgZBIa
>法身、仏性、如来蔵に批判的ですが、これがパーリ、曹洞宗的香りですね。
パーリは分かりませんが、
曹洞宗的ではなく袴や松本的ですね。


385:初代スレ7
08/12/26 17:31:30 rP9xTeJf
>>382-383
ま、超宗派で「同宗連」ってのがあるくらいだからなw
そりゃ、発言に慎重さも出ようて・・・www
また、おそらく各宗派、経費の中に同和問題に絡んだものが必ず計上されている筈。
今現在は殆ど形だけの経費・集まりかもしれんけど・・。
けど、地域によっては、今でも東奔西走してるお寺さんは多いと思う。
まさしく「負の遺産」と化している・・・。
日本仏教のこうした歴史的推移と事実を無視して、綺麗な仏教だけを語ろうとするのは
少々厚顔に過ぎると思うわけで・・・。
仮に「輪廻」や「過去世」「過去世の業」を認め・語るにしても、その時には、
たとえあちらサイドの過敏な反応が無かったとしても、
差別の助長や生産に対してブレーキとなる言葉や語り口が必須であろう。
若者或いは子供たちの間に、昔日のような(部落的な)差別意識が存在しない(或いは薄まっている)としたら、
尚のこと“語り口には「工夫」が必要”だろう。
輪廻存在派は、この点を肝に銘ずべきかと思う。

人間が社会的動物である以上(共同体として生きる以上)、その心に差別感情が生じるのは必然であり、
生じてしまうことそれ自体を責めることはできない。
が、そこへ言葉を投げ入れ、視線の転換を提示するのは大人たちの義務だと思うし、
それこそが本来の宗教の義務であろう。本来の仏教の義務であろう。

個人的感想を言わせてもらえば、(21世紀にもなったことだし)、
あちらさん達の現状や運動の仕方に疑問を感じえないし、
両者共に有する過敏な反応はどうかと思ったりもするわけだが・・・。

これは、私自身が、縁遠い地域・環境で育ってきた故の、楽観的夢想かもしれないが・・・。

386:神も仏も名無しさん
08/12/26 17:54:46 jP2uVUJO
>>385
輪廻肯定者だが、貴方の仰る事には深く、激しく同意いたします。

387:神も仏も名無しさん
08/12/26 18:02:51 jP2uVUJO
>>384
曹洞宗門の人は、みんなマゾで袴タソや松チャソの事大好きなのかと思ってた。

388:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/26 18:26:22 Ud6CDBh4
>>381
>禅宗の宗祖、達磨は「二入四行論」の中で確かに因果と輪廻を語っている。

実際のところは、菩提達磨の論書というのは後世に誰かが書き残した。
というのが一般的な見解ですね。

六祖・慧能の書といわれる「六祖壇経」も、最近になってバーミヤン遺跡から資料が発掘され、
弟子の神会が書いた、とされるのが一般的です。

中国禅といいますのは、粗野で荒削り的な印象で、日本的繊細な禅とは多少違います。
達磨も慧能も優秀なスポークスマンがおったわけで、
そういった人物の宣伝(論書などが)に使われた可能性がある。
(中国人は、こういうのは得意)

>道元も然り。白隠も然り。祖師方は皆、輪廻を前提に道を示している。

道元は、三時(いわゆる過去・現在・未来)については悟っておりますから、
輪廻からは既に解脱は達成してますね。

白隠は、「水に浮く氷(自分)という表現で書いてる。
つまり、氷(自分)が溶け(死)ますと水に帰す。という言い方です。

>あんたは輪廻を認めない禅者は「未達・未見性の人」という意味で語っているのか?

禅者で、輪廻に迷うておるのは未見性ですね。
見性の次に、コペルニクス的大転換を迎えるのです。
これで解脱達成ですね。
(いわゆる大悟というやつですね)

389:神も仏も名無しさん
08/12/26 19:03:28 Uk1EfedL
>>388
流石、宗教板の牢名主だ。
全く迷いが無い。
そして成長も無い。

390:神も仏も名無しさん
08/12/26 19:13:14 KJpa90di
しかし、まぁなんというか。
持説に不都合な記述に出くわすと、師匠に黙って弟子が書きました~とか、増広だ~とか、陰謀だ~とか。
あっさりバッサリ切ってしまえる、迷いの無さが恐ろしい。自己を省みるという姿勢が全く無い。仏教以前の問題である。
学者でもこれだから、その辺のおっさんなら尚更か。

391:初代スレ7
08/12/26 20:10:58 rP9xTeJf
>>390
2500年の伝言ゲームが、一字一句違わず成功したという楽観視もどうかと思うけどなw

(´ー`)y━~~

392:神も仏も名無しさん
08/12/26 20:13:05 lJAxX148
>>384
いえいえ、道元禅師に本覚批判を臭わせる言動があって、松本さんや袴谷さんは護教論のつもりで書いたのでしょう。
少なくとも最初は。

>>390
松本さんに至と釈尊でさえ仏教を知らないと言ってます。

393:神も仏も名無しさん
08/12/26 20:17:04 Rj8fd9JT


■今の日本の現状を見ても明らかなように、 宗教を利用したがっている人間は沢山いますよ。
釈尊入滅後100年を経て経典は編纂されましたけど、この約2400年の間にはそういう輩
もいたわけで、書かれていても鵜呑みにはできませんですね。(釈尊が空中を飛ぶ話もある)

  
// |ヽ\
 / / | ヽ 人
 ^Y⌒Y⌒(__)
    ||,∧(____) 
    ||;;;;::::・∀・:;ヽ  <■ もちろん、全ての宗教は本質的には【マイコン】【洗脳】 から切り離せない。■
   ,Jl;;;::::;;;:::::::;;;:;;;:ヽ      ちなみに極楽浄土などの「浄土」という概念は、本来はあらゆるとらわれから解き放たれた状態
   /;;⊂::::▲ ▲ ▲ヽ             を指すのであって、輪廻ではありません。
   i;;;::::::;;" .▲ ▲ ▲.i  
   |;;;;;:::::i        l
   .ヽ;;;;;;;      /
    .\;;;;;;;;;;;:::::::/


■ 確かに経典の中には輪廻を説くものもあるのです。
どういうことかというと、輪廻を自明の理と考えているインド人にいきなり「無我」を説いても受け入れてくれません。
したがって一旦、輪廻を肯定した上で、徐々に「無我」へと導くように説いたためのことです。★☆





394:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/26 20:17:42 wA2ei/HQ
>>390
>師匠に黙って弟子が書きました~とか、

「師匠に黙って」というよりも、
新進気鋭の慧能をバックアップしたのが神会で、
神会の影響がなかったら、
慧能自身が禅の歴史に残ることさえなかったわけです。

五祖・弘忍あって慧能あり。
神会あって慧能あり。
(慧能というのは、よくよく運が良かった)

貧乏クジを引いたのが神秀。

395:神も仏も名無しさん
08/12/26 20:20:45 7EVHeFnb
>>391
たしかに、よくよく安心して手放しではいけないことも確かではあります。
温かい血の通った「仏法」を望むなら尚更。

>>392
スッタニパータは反仏教w
ギャグなのか?w

396:170
08/12/26 20:35:18 8mkwDlQe
392さんへ
>>>390
>松本さんに至と釈尊でさえ仏教を知らないと言ってます。
こういうネジレタことを言うくらいなら、
「お釈迦さんは間違っている、俺は仏教をやめる!(そして新しい哲学学派を建てる)」
と素直に言えばいいものを。
「仏教」という看板がないと、人が集まらないし金も集まらないからなんだろうね。やっぱ。

393さん
>■ 確かに経典の中には輪廻を説くものもあるのです。
なんだ、やっぱり輪廻を説いているじゃん。
>どういうことかというと、輪廻を自明の理と考えているインド人にいきなり「無我」を説いても受け入れてくれません。
>したがって一旦、輪廻を肯定した上で、徐々に「無我」へと導くように説いたためのことです。★☆
うむ、結局「お釈迦さんは輪廻を説かなかった」と主張する人は、「お釈迦さんは嘘つきだ」という結論にいたるわけね。

お釈迦さんは2500年前の古代人なんだからさ、別に奇天烈な事を言っていたっていいじゃない。
お釈迦さんの言う事が正しいと決め付ける義理もないんだからさ。

397:神も仏も名無しさん
08/12/26 21:30:52 J4SuHc6H
コピペ
白隠禅師の仮名法語をつらつら読んでいる。
「禅宗は輪廻説を捨てた、否定してきた」とまことしやかに言う論者が多いが(玄侑宗久師もそうだ)、白隠師は口をすっぱくして輪廻と因果応報を説く。
道元禅師はもとより、日本臨済宗中興の祖(事実上の祖師)たる白隠禅師も、輪廻を否定し、修行を否定する似非仏教者を外道とののしり排撃したのだ。
まともな仏教者は輪廻を説くってこった。

398:神も仏も名無しさん
08/12/26 21:50:53 IY/ZT5V0
>397
机曰く、白隠は見性しておらん。

又は

仮名法語は弟子が書いた。

399:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:03:43 R1i5/yzb
輪廻はヒンズー教の概念。仏教はそれを否定することから始まっている。
仏教は現世での悟りを説くものである。


400:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:08:44 GyR0m75w
>>399
輪廻の思想(梶山雄一)人文書院
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

過去ログも読んどけ。

401:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:18:28 wXqqzkiu
>>343
>輪廻転生は、キリスト教の宣教「手段」としての、罪の意識の植え付けという「脅迫」にも通じる。
また、聖書の文言から一歩も踏み出せない狂信性も同様である。

確かに、輪廻転生・カルマ論は <脅しと甘言>で悪用しようと思えば幾らでも出来そうなところが問題w

お布施だって仏教国では悪僧侶が、持ち逃げしてしまうことがあるらしくて、庶民はわずかな蓄えも
お布施してしまうので貧しい生活から中々、抜け出せない・・・とNHKの放送を見た記憶がある

キリスト教の拡大が日本では期待できないから、輪廻転生・カルマを説き、イエスも又、罪を
同様に説いているとか言って2大宗教・聖典が目指すところは一緒とでも使いたいのかも?(笑


402:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:45:55 74K2Qd0P
 ブッダ成道時、「古き信を去れ」(相応部六,一 など)宣言は
ウパニシャッドの業報輪廻論と梵我一如論という両輪に対する信仰の全面否定宣言に他ならない。
ブッダもその当時の自由思想家の一人であったのであり、
そうでなければ敢えて「宗」を起てなければならない必然性はない。

「わたしがいま証得したこの法は、はなはだ深くして観がたく悟りがたく、
微妙にして思念の領域を超え、深妙にして賢者のみよく知るべきものである。」
このスレの輪廻肯定論者をみていればブッダの憂いは痛切に感じ取ることが出来る。
この馬鹿どもには「縁起の理は見がたく、この涅槃の理は悟りがたいであろう。
もしわたしが法を説いたとしても、人々はわたしの言うことを了解せず、
わたしはただ疲労困憊するのみであろう。」





403:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:55:08 KqJW06GI
白隠は、禅病にかかった。精神的な問題があったものと思われる。

カルト宗教は、白隠は引用するが、道元は引用しない。これは何故だろうか。

カルト宗教が好んで引用する他の人物は、ソクラテス、プラトン、イエス、
デカルト、パスカル、カント、ヘーゲル、ユング、老子、荘子、空海、親鸞、
平田篤胤、などである。

孔子、孟子、本居宣長、ヒューム、ニーチェなどは、間違っても引用しない。

カルトに共通する一定の思想的傾向が、窺われるのではあるまいか。

404:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:56:28 74K2Qd0P
>微妙にして思念の領域を超え、深妙にして賢者のみよく知るべきもの

スレ主こだわりの単なる筏である経典をはじめとする言語論理ではなく、
「思念の領域を超え」る、すなわち『無分別智=縁起の現観』を意味することはいうまでもない。
それを感じ掴み得る者を『賢者』という。

もちろんバラモン的輪廻転生ごときに迷っている者が『賢者』であるわけがない。

405:神も仏も名無しさん
08/12/26 22:56:32 wXqqzkiu


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪


人間には、百人百様の論理が可能であるが、それが「生存」の方向に向って
いる場合にのみ、それを「正しい」という。☆★

いなかる論理を弄してみても、それが「人間の生命の否定」に向っている場合
には、「正しい」とは言わない。論理が、人間の生命の機能である以上、当然
のこと。さもなければ、論理の発生源そのものを否定するという矛盾に陥る
からだ。

これは古今のどの「本」にも書かれていない「ありがたいお言葉」だよw。☆★

(*^。^*)


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪



406:初代スレ7
08/12/26 22:58:18 rP9xTeJf
>>405

【悟りは】反仏教論の構築へ向けて・・・【逃避?】
スレリンク(psy板)

こちらへどうぞw

407:神も仏も名無しさん
08/12/26 23:01:44 74K2Qd0P
>>405
馬鹿&白痴のもう一回
316 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 21:14:53 ID:NTMZuZP8
>>313
>生物的生命  
ってあんた、非生物的生命があるみたいな言い方だなw
カルトの一歩手前~~~~~!

生命とはよーするにDNAなんだから、無明の奥にはDNAが鎮座ましましているわけだ。
>「生命」という根源に立ち返らない限り 
 無明を常に逆命題とする仏教は常に根源からの発想をしているのはとーぜんだ。
 なにマトはずれをしゅちょうしてるんだあ?

>すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
>「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だからである。

 馬鹿すぎてお話にならんw
 それは無明絶対肯定論であって、仏教ではない!!!

 真相はDNAによって生命現象が「無明」という状態でコントロールされている(一切皆苦)から、
 それをいかに克服するかがブッダの本懐であり四聖諦の本質だ。

 クソ馬鹿隠居の主張はDNAによる無明絶対主義主義であって、無明外道そのものだ。
 

 自演(爆笑  ご苦労!

          & アディオス!!



408:神も仏も名無しさん
08/12/26 23:10:40 KqJW06GI
現代の裁判において、裁判官があらゆる証拠を調べても、真相は「闇の
中」であることが、殆どである。裁判の両当事者が、判決の事実認定に
満足することなど、稀である。

ましてや、1000年、2000年前の事実を完全に知ることは、絶対に
不可能。学者がいくら文献を調べても、釈迦はイエスは、「俺はそんな
こと言った覚えは無い」「そんな意味ではなかった」という恐れがある。

従って、大昔の歴史は、あくまで「参考程度」に留めることが必要。
絶対的に真実だ、などと信じ込んだら、とんでもない誤りを犯している
恐れがある。

「歴史」とは、「現在の視点」からの、過去の事実の「解釈」に過ぎない
のである。

409:神も仏も名無しさん
08/12/26 23:37:21 J4SuHc6H
>>403
孔子、孟子はオカルト。本居宣長は「みなことごとくに神の御所為なり」とおっしゃった。
ヒュームは懐疑論者。ニーチェは無神論に耐えられず狂気にいたる。



410:神も仏も名無しさん
08/12/27 01:25:25 ErdqLabv
>>409
孔子:「子は怪力・乱神を論ぜず」「いまだよく人に仕えん。いずくんぞ鬼神
    に仕えん」

本居宣長の「かみの定義」は読んだのか。

ヒュームと道元は、世界最大の思想家・哲学者であると評価する哲学者もいる。

ニーチェの精神病は、商売女から移された梅毒が原因。誠に人間的である。釈迦
やイエスは、女は買えたのかね。買わなかったとしたら、性的不能者である疑い
が大きい。

411:神も仏も名無しさん
08/12/27 06:59:28 GvLDH93L
>>409
道元も女は買わなかったろw
女買いが正常人間の基準みたいだな(笑
イエスは知らんが、子供までこさえた釈迦をインポ呼ばわりとは恐れ入った。




わけわからんw

412:170
08/12/27 08:10:37 F7BTcLNZ
道元を自説(合理主義or輪廻否定)の箔付けに利用できると考える人はおかしい。
著作を読んでみればわかるが、奴は筋金入りの大乗狂信者(※誉め言葉)だぜ?

合理的な意味で読めなくもないようなところのみを引用するのは恣意的だね。


413:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 08:38:27 pP6ub8/r
>>397
>白隠師は口をすっぱくして輪廻と因果応報を説く。

因果応報なら、輪廻という果を必然性とするとこに論理矛盾があるだろ?
つまり分りやすく書くと、
果が最初から決定されている。ということになる。
おかしいだろ?

まあ、悟ればこのくらいの倫理矛盾は気がつくのだが、
拙者はあまりこういうのは書かない。
何故かというと、
こういう矛盾は拙者が指摘する前に、
貴殿が気づいてくれるのを待ってるからだよ。
自灯明というし、
借りもんの明智では、貴殿のためにはならい。


414:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 08:44:03 pP6ub8/r
× 倫理矛盾
○ 論理矛盾



415:神も仏も名無しさん
08/12/27 08:46:52 8i5s4PF+
>>413
わかっとらんのは、貴殿じゃよ。





頭悪い上に我執が強いから、何時までたっても無眼子。

416:神も仏も名無しさん
08/12/27 08:48:39 JMk7oblu
>>413
>因果応報なら、輪廻という果を必然性とするとこに論理矛盾があるだろ?
>つまり分りやすく書くと、
>果が最初から決定されている。ということになる。
>おかしいだろ?

それは机さんが縁起を理解してないと告白してるだけ。
仏教で果のことを異熟という意味を考えれば分かる。

業報は決定論ではありません。行為をする。業が蓄積される。
それが諸縁によって異なって熟する。
しかも、行為は連続してなされるから次々に変化する。
机さんは、水野先生の『要語』を三回ぐらい熟読した方がいいよ。

417:神も仏も名無しさん
08/12/27 08:50:05 8i5s4PF+
>>414
訂正しなくとも、貴殿の頭悪いのは、みんなしっとるよ。







                  ぷっw

418:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 09:24:33 pP6ub8/r
>>416
>仏教で果のことを異熟という意味を考えれば分かる。

なんでそんなに古い時代の言説を信じ込んでるんだろ?
殆ど化石みたいなもんだろ?
それでいいになら話は別だけど。

実有論の自性の話だろ?
そういうのを信じているんですか?
小一時間問いたい。

例の「原始佛教」のスレってのは、つまり懐古趣味みたいなもんだろ?
あれをそのまま信じこんでしまうのは、少々痛い気がするんだがw

419:神も仏も名無しさん
08/12/27 09:32:53 JMk7oblu
>>418
信じてますよ。なぜ、信じるか。私の場合は主に二点。

伝承してきた聖者たちの人格が素晴らしい。これは実際に合った結果です。
私の場合は、チベット人とビルマ人でしか聖者にあってませんけど。
日本人では一人もいなかったな。多少、神通ある人は結構いるけど。

経典と論書の体系と整合性、検証可能性がたしかであるということ。
言い換えると論理の筋道に矛盾がなく、やればそのとおり結果がでるということ。

それに信じないなら、机さんは仏教を絡めないで机哲学とか机思想で、
どっかで語ってればいいじゃないですか。

420:悪寛
08/12/27 09:37:46 aIxVQ4KW
外は、雪。

   淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)

   またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る


421:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/27 09:46:51 pP6ub8/r
>>419
>信じてますよ。なぜ、信じるか。私の場合は主に二点。

それは失礼しました。

>それに信じないなら、机さんは仏教を絡めないで机哲学とか机思想で、
>どっかで語ってればいいじゃないですか。

インドではそもそも宗教とか、哲学とか、思想とかのジャンル別の分類はないらしい。
ある意味、寛大な風土なんだろうけど、
それゆえに世界的な哲学・思想を生み出した。
とも言える。

422:神も仏も名無しさん
08/12/27 09:56:54 JMk7oblu
>>420
良寛さん、華厳的ですね。

423:神も仏も名無しさん
08/12/27 10:05:46 hdi800gm
>410
宣長みたいな神道カルトを孔孟や世界宗教と同列に扱い
ほめたたえる感性が理解できないw
神道系カルトの臭いプンプンw


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