08/12/24 07:13:10 I2Cca0uK
>>177
釈尊は人間でありますから、何から何まで全て悟った訳ではない。
法(ダルマ)はひとつだけ。
これは全て初転法輪に集約されている。
(人間は、重要なことは最初に語ちる)
この法において、全てが解明されておるんですよ。
こういうのを演繹法という。
(法はひとつだけ)→これは重要です。
色即是空 空即是色というのは、つまり演繹法なんです。
原始経典にしても、脚色されたり粉飾されたりすることもある訳で、
これは人間の業というもんだよ。
(貴殿でも脚色は得意だろ?)
「唯物論」とか「大乗非仏説」とか、カテゴリーに拘らんでも、
法は脈々と延々と現代に流れておりまふ。
この大事な法を見逃すと、全てが戯論になってしまう。