08/12/23 21:19:55 Xn9iKqYZ
とにかく、取り合えず原始仏典を読むようにはすべきでしょうね。
これは問答無用です。大乗経典の成立の経緯からみても、まずは原始経典を読まなければ仏教は見え
てはきません。
「要するに、アーガマもなし出家修行もなしでは到底、仏陀の説く境地の達成は諦めざる得ない状況と
判断したのです。」(スレ#2/610)
原始経典はゴータマ直説といわれている経であり、大乗諸経典とは全く異なる。では大乗経典の何がど
うダメなのか?
つまり、ゴータマ直説というのは何を意味するのかというと、これはニルヴァーナに到達した仏陀ご自身、
自らがそのご自身の体験に基づいてニルヴァーナに到達するための方法とその教えをそのまま説かれ
ているもの。であるから、これは事実に基づく、ゴータマの実際の体験に裏打ちされたものなのです。それ
に対する大乗諸経典の教えというのは、アーガマを持たない異端派(アーガマは小乗グループが所持す
る)であり、アンチ出家修行としてのグループによるオリジナルの内容なのです。従って、仏陀が説いたも
のではないので、ニルヴァーナに到達できるという裏付けが一切ない。また仏陀の境地を半ば諦めたグル
ープでした。悲劇はアーガマを所持するグループが山林に篭ってしまったことにあった・・。大衆の支持と
信仰を集めた大乗と、一部を除いて小乗経としての不遇な扱いが続いたアーガマ伝承の原始経典との対
比が今日に見る大きな溝になっているのです。
「これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来するものであり、
弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けようとし、了解
しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。
かくの如くにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応している諸
経典は消滅してしまうであろう。」(スレ#2/700)
しかしながら、仏教学の発達によってゴータマ直説経と大乗経(非仏説)という大別が判明した今日、私た
ちは大乗経からの条件付けを解いて、今一度、素直な心で原始経典の説くゴータマの声に耳を傾けるべき
なのです。
175:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/23 21:23:35 AJnq9ndc
>>164
>ま暇が出来れば、また遊んでやるよ、机。
また遊んでください・・・。
つうか、
経典を提示したら、安直に解しないで、
当時、書かれた時代を偲んだり、
また書いた修行者の心象を想像するのもイイかもしれんね。
ウダーナは苦心の作とも言えるが、
一方では謎めいた、故意に解りにくい表現になっている。
こういう類の経典および論書といふのは、
いかにもアカデミックであることを装うもんだよ。
どしてか?と言いますと、
経典の解釈を求められたら講釈するため。
まあ、講釈垂れたがるので禅では多くの論書が残されておるんです。
では、おやすみ。
176:神も仏も名無しさん
08/12/23 22:01:39 BuONqiHv
>>174
>原始経典はゴータマ直説といわれている経であり
妄想
177:宝珠愚者
08/12/23 22:38:20 Xn9iKqYZ
文献学的考証に対する扱い
「近世以降の「大乗非仏説」説では、文献学的考証を土台とし、仏教が時代とともにさまざまな思想と
の格闘と交流を経て思索を深化し、発展してきたことを、「実際存在する/伝わった経典を証拠に、事
実として示す」のが特徴である。 文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中
の仏典『阿含経典』、特に相応部などに最初期の教え(釈迦に一番近い教え)が含まれていることがほ
ぼ定説になっており、少なくとも「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法した」という文献学者はいない。」
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
少なくとも原始経典を読まなかったり非下し、原始経典の中のゴータマの姿をバラモン外道、呼ばわり
などはもっての外---論外なのです。
178:神も仏も名無しさん
08/12/23 22:58:29 UyZ233wk
直接仏陀やイエスに会ったことも話したこともないのに、>>170や宝珠愚者氏の
ようなしつこい輩(=宗教が人生の目的のようになってしまう=宗教にのめり込む人=
宗教者・指導者=布教が仕事の人=24時間2ch・・)が沢山出るから宗教は有害w
こんなに解釈が分かれるということは、もう宗教団体を解体した方が良いのでは?
大切なことは、今=ここ=現実社会で自爆テロや宗教紛争、オウムのような事件・
犯罪・・・を起こさないように努力して宗教の弊害を改善すること。
美しい教義を掲げる宗教は、冠婚葬祭等の社会に貢献する仕事以外は、ボランティア
ですることこそ、それにふさわしいのではないか?
信者の美しいボランティアの心を見て全知全能の神仏は感心してお金位は、簡単に
出し恵んでくれるでしょうよw きっと・・
179:宝珠愚者
08/12/23 23:34:57 Xn9iKqYZ
>>178
では、無神論者や唯物論者は犯罪を犯さないと?
180:神も仏も名無しさん
08/12/23 23:38:52 BuONqiHv
>>117
「含まれていること」と改変や挿入が無いのは別の話。
181:神も仏も名無しさん
08/12/24 03:00:21 EHNxw3Fy
パーリはマハーカッサパ派の経典にすぎないという説などもあるしな
URLリンク(web.kyoto-inet.or.jp)
182:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/24 07:13:10 I2Cca0uK
>>177
釈尊は人間でありますから、何から何まで全て悟った訳ではない。
法(ダルマ)はひとつだけ。
これは全て初転法輪に集約されている。
(人間は、重要なことは最初に語ちる)
この法において、全てが解明されておるんですよ。
こういうのを演繹法という。
(法はひとつだけ)→これは重要です。
色即是空 空即是色というのは、つまり演繹法なんです。
原始経典にしても、脚色されたり粉飾されたりすることもある訳で、
これは人間の業というもんだよ。
(貴殿でも脚色は得意だろ?)
「唯物論」とか「大乗非仏説」とか、カテゴリーに拘らんでも、
法は脈々と延々と現代に流れておりまふ。
この大事な法を見逃すと、全てが戯論になってしまう。
183:神も仏も名無しさん
08/12/24 08:18:12 BcDCCDoe
>>179
>では、無神論者や唯物論者は犯罪を犯さないと?
すぐそうやってすり替え論にして自論=宗教布教に?・・・をしないこと
(=考えないこと・・)が短絡的でマイコン・洗脳されていて問題
少なくとも会ったことも話したこともない架空の神・イエス・仏陀・・等の大昔の
信憑性が疑われる教義を盲信・狂信し犯罪を犯す愚はしないでしょうw
■ <仏教は、今=ここ=現実世界・・>が重要と聞いてます。その通りでしょw ■
徒に大昔に拘り、実在したかも定かではない仏陀やイエスを神格化して教義で
妄想を膨らませ、宗教団体の収益につなげることは見苦しいし、大エゴでしょw
☆やはり、ボランティアが美辞麗句の宗教の教義にはピッタリで美しいことでしょう。☆
184:神も仏も名無しさん
08/12/24 08:35:28 GOhPIy/d
>>177
初期経典と大乗経典が別物に見えるのなら、程度の低い理解でしかない。
たしか貴殿は仏教と梵教の究極的な一致を語る人物のはずだが、大乗経典への無理解には呆れてしまう。
大乗テクストに対する斜視が根底にあるのではないですか?
本邦の生臭坊主に不満があるのかもしれないが、南伝にも酷いのはごろごろますよ。
>大乗諸経典の教えというのは、アーガマを持たない異端派
↑さすがに、こりゃどうかと思うよ。夫々のバージョンで違うところは、まぁあるだろうが、漢訳経典は糞扱いですか?
185:神も仏も名無しさん
08/12/24 08:36:31 nAwemVlf
<仏教は、今=ここ=現実世界・・>が重要と聞いてます。
それは大間違いだな。
仏教は現実の世界に対しては無関心だ。
無記って知ってる?
仏教は社会に働きかけることはない。
仏陀はカーストを否定したんであって、
制度をなくそうと社会に働きかけたわけではない。
ボランティア?
大概の宗教団体はやってるぞw
186:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 08:57:18 m/TTY2rl
>>165
俺の話のどこが二諦バラバラなのか説明してもらおうか。
てか、俺もヴィパサナはやってるわけだが。
俺の話は究極の一元論だ。
あのさ、この世に善悪は無いと解説してる奴は邪見なんだよ。
善悪があるからこの世なんだよ。だがそれら二つに見えるものは見せかけに過ぎない。
全ての人や、全ての植物、全ての動物は創造と一体である。全てが創造と分離
しているように見えるが、そうではない。全ては一体なのである。
人は一つのものを二つにしたのである。人の霊は創造と一体であり、別のものではない。
肉は、物質形態をとる霊の一部分であり、したがって、個々人は、霊と一体であり二つのものではない。
この教えは一元であり、二元にされるものではない。真理真実は二元であると考える人は正しくない。
人間の思考にみが間違いを犯すのであり、創造の掟は間違いを犯すことは無い。
全てのものは一つから発生し、二つと見えるものは、見せかけでしかない。不純な考えからでは、
それを理解出来ない。 人は二つのものを一つにし、創造の掟に従い、考え、行動しなければならない。
人間は無理解により、一つのものを二つに分け、それを真実だと思い行動し、罪を犯す。
しかし、全てのものを一元に正し、この創造物が一つだと知り行動すれば、誤ることは無い。
この真理を理解すれば、この二つに分けられた世界で、なにが善であり、なにが悪であるかを理解するだろう。
あなた方が傷つけている相手は、自分自身なのだ。だから他人を他人として分けるのではなく、自分自身だと思い
愛してやれ。だが人々はこの真理を知らず、自分と他人を分け、利己的に生きる。
全て他人にしたことしなかったことは、自分自身にしたこと、しなかったこと。他人にしたことの報いは、必ず自分自身が
受け取ることになる。だから善を成せ。悪を成してはならない。因果応報とはこういうことなのだ。
賢者は常に、ものが二つあり、二つが一緒になって、一つになっていると思っている。
一つのものが一緒になって、二つになっていると思うのは、見せかけに過ぎない。
この物質世界では見せかけ上、二つの部分があることになるが、それ自体としては一つであり、
又、引き裂かれないままでも、一つである。
187:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 09:00:40 m/TTY2rl
一元のものが二つにされたのであるが、その二つに見えるものは、見せかけに過ぎない。
人間は、二つに分けられた、一元である。霊は二つに分けられた、一元である。お互い別々に見えるが、一元である。
肉体は霊なしでは生きられない。また霊も肉無しでは生きられない。この二つは二元に見えても、一元なのだ。
人はそれ自身一元であり、一元のものは根本的には、分割されないのが、掟である。
ま、いっても君らには理解できない、理解しようともしないだろうがな。
君らには聞かせるのがもったいない話だ。聞く耳のある人だけが、聞けばいいだろう。
188:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 09:12:57 m/TTY2rl
大体末法仏教徒の君らは、無我の思想もわかっちゃいない。
釈迦はあくまで、自分の肉の自我も含め、縁起で成り立つこの世界の何一つ、
主体性のあるアートマンなどはありませんよと説いたのに過ぎない。
釈迦は別に真我を否定したわけではない。ただそれを、在るといえば常見となり、
無いといえば断見となる。それを「一」だと表現すると、常見となり、「0」と表現すると断見と
なる。それは言葉では正確には表現できない。なぜなら「言」は、識別智であるから。
それは、識別されえないものだから。だからそれは、中道をいくものだと表現される。
いいかい?釈迦はあくまで、この物質世界に縁起するものは無我ですよと説いたのであって
決して真我を否定したものではないんだよ。仏教用語にもあるだろう。
「天上天下唯我独尊」ってな。俺はこの意味を痛いほどよく理解しているぜ。
189:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 09:29:26 m/TTY2rl
ゴータマは、原始仏典を読む限り、輪廻を説いたのはあきらかだ。
これを無理やり説いていないことにするのは、その人達のエゴに過ぎないトンデモ説に
過ぎない。こんなことを言ってるのは末法仏教の最も発展した、日本の仏教界の人達だけ。
仏教の本場、ミャンマーや、インドなどの仏教では、輪廻は当り前のこととして説かれている。
たく、どこをどう読めば、ゴータマは輪廻を説いていなかったとなるのか、理解に苦しむ。
ここに、無明に囚われたこいつらの、汚いエゴが垣間見える。こいつらは、ゴータマは無我を
説いたのだから、輪廻を認めると、輪廻の主体となるアートマンを認めないといけないので
佛説に反すると、輪廻を否定する根拠としてもっともらしい御託を並べるが、こいつらは
なにが輪廻しているのかも理解できないほどのおつむの弱さだ。呆れるしかない。
では、なにが輪廻しているか?それは、行いと結果という、業だよ。原始仏典にも、はっきりと
そう書いてあるだろう。君らはメクラだ。エゴというでっかい梁が眼の中にあるので、はっきり書かれて
いることも、見えず、無かったことになっている。もちろん、行いと結果による業も、二項からなる、
縁起でしか成り立たない無自性な、空だ。もちろんこの業も永遠ではない。なぜなら、その行いと結果による
業も、この世があればこそ存在するのであり、この世と縁起して始めて存在できるものだからだ。
もちろん今のこの世も、いずれは滅びる。そうなれば、今の世に縁起してなる、この業も共に滅びるだろう。
人は今の世が終わるまでに、真理真実を取り戻さないと、今の世が終わると共に完全な無へと滅び去るだろう。
そうなっては全ては手遅れなのだ。
190:神も仏も名無しさん
08/12/24 09:33:27 vC5vL4EI
>>186->>188
はいはい、そうですそうです、ご苦労様です。
自己中演説は終わりましたか?
ではお引取りくださいませ。
191:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 09:33:46 m/TTY2rl
とにかく君ら末法仏教徒達は、空という単語の意味も、
縁起=無自性=空。と、自性の意味する、一相=無相=空。と、ごっちゃになってる
むちゃくちゃなものだ。
192:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 09:36:16 m/TTY2rl
>>190
君には豚に真珠だったようだね(苦笑)
ある意味君らは気の毒だ。君らは真理を悟ることが許されていない。
きっと名前の無い人達なんだろう。
193:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 09:43:58 m/TTY2rl
>>154
おまえのいいたい能書きは大体わかるよ。
だがそこのウダーナの経文はそのままでいいんだよ。
おまえらのようになんでもかんでも深読みしすぎると邪見が生まれる。
ちゅうか、おまえらの深読みは、自説に合うように、書かれてることをありのまま
みとめないで、屁理屈こねくり回して、曲解してるだけだけどな。
で、その曲解から生まれる結論は、あってもなくてもどうでもいい、ただの屁理屈、
詭弁でしかならない、糞の役にも立たないものだ。そうだろ?机。
194:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 10:33:16 m/TTY2rl
ゴータマは輪廻を説いた。これは原始仏典を読めば動かしがたい事実だ。
ではなにが輪廻しているか?それは前にも言ったが、行いと結果という、業だ。
良い行いをした人は良い結果を。悪い行いをした人は、悪い結果を。
そして真理を悟り、肉の自我を再び起こす業を滅ぼした者は、輪廻の鎖を断ち切り、
永遠を手にするだろう。今の自我が輪廻しているのではない。今の自我は
今の肉が滅びれば、共に滅びる定め。廻っているのは、あくまでおまえの起こした行いと、
それによる結果である、業なのだ。
真理を悟らず、無明に囚われた者は、肉の自我を再生する業を滅ぼすことを知らず、
繰り返し肉の自我を再生させ続けるだろう。だがそれらは全て縁起でしか成り立たない
主体性のない、無自性な空である。形あるものはいずれは滅びる定め。
真を手にせず、無自性な空をさまよう彼らは、今の世が終わるとき、共に滅びるだろう。
彼らは実体の無い、幻のまま終わるのだから。滅び行く魂に哀れみを。
195:神も仏も名無しさん
08/12/24 10:37:36 Xy+lJD60
>>191
>縁起=無自性=空。と、自性の意味する、一相=無相=空。と、ごっちゃになってる>むちゃくちゃなものだ。
自性を一相=無相=空。とする仏教経典などないよ。
まあ、これは言葉の問題だから、大した意味はない訂正すればいいだけ。
カラスくんは、佐倉さんだっけ、あの人のサイトを誤読した上で、
現象界は縁起=無自性=空で、実在界は自性の意味する、一相=無相=空と単純に捉え、戒定を修行することで現象界から実在界へ行くことが仏教と捉えているんだろうけど、それは仏教の主流ではない。
ヴィパサナを実践してるそうですが、ヴィパサナというのは定、三昧、サマタ、
つまり、心を集中する訓練ができて、その集中状態、三昧の中で縁起等を観じることを言います。
これによって、縁起=無自性=空を悟る。それが戒定慧の慧なんですね。
この慧が出て、縁起=無自性=空を理解していたら、「自性の意味する、一相=無相=空」とは言いません。
三昧の状態を悟りと勘違いするのはよくあることで、古くはウドラカ・ラーマプッタなど、最近ではオウムがそうだった。
しかし、これは仏教ではないことは、多くの仏典が強調すること。
上に引用した『勝義空性経』や『縁経』を見て。
その『ウダーナ』も誤読ですな。
196:神も仏も名無しさん
08/12/24 10:37:50 j9PmV+XM
■==================================□■□■□■□■===============================■
このように解釈が分かれるということは、直接仏陀やイエスに会ったことも話したこともないからw
大昔のことを事実のように語る →<今=ここ=現実社会>が一番大切 ■
./)/)
(・ー・)ノ ★【宗教は阿片】・・なので止められません、止まりません~ ☆ヽ(▽⌒*)
゚L-J ☆★ 『このように宗教は有害でつ』 ☆★
■==================================□■□■□■□■===============================■
197:神も仏も名無しさん
08/12/24 10:42:00 Xy+lJD60
>>194
>ゴータマは輪廻を説いた。これは原始仏典を読めば動かしがたい事実だ。
>ではなにが輪廻しているか?それは前にも言ったが、行いと結果という、業だ。
>良い行いをした人は良い結果を。悪い行いをした人は、悪い結果を。
>そして真理を悟り、肉の自我を再び起こす業を滅ぼした者は、輪廻の鎖を断ち切り、
>永遠を手にするだろう。今の自我が輪廻しているのではない。今の自我は
>今の肉が滅びれば、共に滅びる定め。廻っているのは、あくまでおまえの起こした行いと、
>それによる結果である、業なのだ。
>
>真理を悟らず、無明に囚われた者は、肉の自我を再生する業を滅ぼすことを知らず、
>繰り返し肉の自我を再生させ続けるだろう。だがそれらは全て縁起でしか成り立たない
>主体性のない、無自性な空である。形あるものはいずれは滅びる定め。
ここまではおおよそ仏説といっていいよ。ただ、以下はないね。
>真を手にせず、無自性な空をさまよう彼らは、今の世が終わるとき、共に滅びるだろう。
>彼らは実体の無い、幻のまま終わるのだから。滅び行く魂に哀れみを。
輪廻は無始無終ですよ。ただし、解脱すれば終わるんですが。
198:初代スレの5
08/12/24 10:55:09 i8G1V8R1
まさに百論百出という感じですね。
199:神も仏も名無しさん
08/12/24 10:59:21 FwMJAfME
>>188
『末法、無我、縁起、主体性、真我、常見、断見、識別智、天上天下唯我独尊』
言葉遊び楽しいかい?
200:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/24 11:01:51 WxJ7oZZW
>>193
>糞の役にも立たないものだ。そうだろ?机。
まあ、たしかにそうかもしれんね。
貴殿の一連の書込みを拝読いたしました。
印象としますと、なかなか口上が達者ですなw
まあ、キリストも釈尊も口が達者なのは想像がつく。
新興宗教とか、全て含んで宗教家たるもんは口だけは上手い。
そう思いました。
(最低限、これだけのスキルはないと宗教家にはなれない)
イソップの童話で、人の一番大事なのは言語能力らしい。
またこの言語能力こそ人の禍の元凶たると・・・
その二面性を指摘しておった。
貴殿の、そのコミュニケーション能力を生かして
もしも立宗したら成功するかもしれんよ?
昔、宗教板で立宗宣言して、拙者のコテハンを変えた人物がおった。
彼はその後、武道板で大暴れして警察に逮捕されちまったが、
(コテ名は「キックの鬼」、大阪府某所の米屋の二階からpc発信。逮捕時36歳)
やはり自己陶酔型の典型だったよ。
宗教家というのは、どこか類似性を持ってる。
といふのが、拙者の印象だったね。
201:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 11:03:38 m/TTY2rl
>>197
わからない人だね。今の宇宙が滅びれば、今の輪廻も共に滅びるんだよ。
それまでに真理を手にしない者の受け取る報酬は、永遠の滅びだ。そうなってからは
全ては手遅れになる。
おまえ、今の宇宙は永遠だと思っているのか?(苦笑)
いいことを教えてあげよう、。この世は、七つの周期で廻っている。
第七の日は全ての完成を示す。このとき創造は全てを休み、まどろむ。涅槃静寂だ。
安息のとき、一つの時は終り、今の宇宙は滅びる。
ま、お前らが信じようが信じまいが、形あるものはいずれは滅びるのが定め。
そのとき、今の宇宙と共にある、輪廻の鎖は、今の宇宙と共に滅びる。これらは全て
永遠のものは無く無自性な空だからな。
しかし輪廻は永遠などと、君らの無理解は、呆れるしかない。
今の輪廻の鎖は、解脱すれば終わるというのは正しいけどね。これは、無明のままこの世を
輪廻し、今の宇宙が滅びるのと共に滅びるのとはわけが違う。
202:神も仏も名無しさん
08/12/24 11:05:34 lx/Pz/tL
仏陀に誤りや時代錯誤や不合理があれば、時代の進歩・変化に合わせて
それを正すのが、弟子たちの義務である。
優れた教師である釈迦にとって最大の喜びは、弟子たちが教師を超えて
くれることではないのかな。さもなければ、単なる盲信で、何の進歩も
ない。釈迦は、弟子たちの盲信を喜んだであろうか。
203:神も仏も名無しさん
08/12/24 11:10:02 FwMJAfME
言葉遊びしてるから、こんな妄想夢想にとりつかれるんだよ。
>>201
それまでに真理を手にしない者の受け取る報酬は、永遠の滅びだ。そうなってからは
全ては手遅れになる。
おまえ、今の宇宙は永遠だと思っているのか?(苦笑)
いいことを教えてあげよう、。この世は、七つの周期で廻っている。
204:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 11:10:12 m/TTY2rl
>>195
俺は、自性を一相=無相=空。とする仏教経典があるなんていっていないんだよ。
君ら末法仏教徒達のなかには、空という言葉を、縁起=無自性=空と言う意味と、
一相=無相=空というまったく正反対の意味なのに、「空」とい言葉でひとくくりにして
はなしている馬鹿がいるといっているんだよ。
そりゃ、自性を一相=無相=空。とする仏教経典などないだろうな。空とは本来、
縁起=無自性=空という、自性とは正反対の意味で使われる単語だからな。
なにをちんぷんかんぷんなこといってんだか、この人は(苦笑)
205:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 11:15:42 m/TTY2rl
>>203
だからおまえらが信じようが信じまいが、形あるものはいずれは滅びる定めだと
言ってるんだよ。
ちゅうか宗教とは、おまえら唯物論者からすれば、元々がオカルトみたいなものだ。
釈迦の仏教もしかり。それを違うというのは、それこそおまえらの妄想だ。
おまえらが受け入れられなければ、むりやり自分たちの価値観にあわせて曲解しなくとも
おまえらがあっさり、仏教を捨てればいいこと。それをなに仏教という看板に執着しているのやら。
本物の宗教家は、誰も自分の価値観をお前らのように他人に押し付けたりしないものだ。
別にお前らが受け入れなければ、それはそれで仕方が無いと思ってるよ。自分を救うのは
他人ではなく、あくまで自分自身しかいないのだからね。
206:神も仏も名無しさん
08/12/24 11:18:44 Xy+lJD60
>>201
>わからない人だね。今の宇宙が滅びれば、今の輪廻も共に滅びるんだよ。
>それまでに真理を手にしない者の受け取る報酬は、永遠の滅びだ。そうなってからは
>全ては手遅れになる。
確かに宇宙は無常、だが輪廻は続く。手遅れというのは、この生で行しない人に言ってね。
自灯明の本当の意味はそれ。
>おまえ、今の宇宙は永遠だと思っているのか?(苦笑)
>いいことを教えてあげよう、。この世は、七つの周期で廻っている。
>第七の日は全ての完成を示す。このとき創造は全てを休み、まどろむ。涅槃静寂だ。
>安息のとき、一つの時は終り、今の宇宙は滅びる。
思ってないよ。宇宙が滅びようが、地球が滅びようが、輪廻する。
これが仏教。カラスくんのは、キリスト教とか色々な要素が入っているようなので
仏教ではありません。たしかにオウムに近いは。
>しかし輪廻は永遠などと、君らの無理解は、呆れるしかない。
>今の輪廻の鎖は、解脱すれば終わるというのは正しいけどね。これは、無明のままこの世を
>輪廻し、今の宇宙が滅びるのと共に滅びるのとはわけが違う。
それとヴィパサナやってると言ってたけど、カラスくんの理解は、
テーラワーダ協会的ですね。彼らの説は伝統説と違う。
サマタなしにヴィパサナなんてできないからね。上に説いたように。
まあ、これ以上は無駄だから、もう言わないよ。
207:神も仏も名無しさん
08/12/24 11:20:54 vC5vL4EI
一番いいのは、はやいことタイムマシーンをつくって
ブッダに直接インタビューすることだな。
嘘八百の歴史と教説はくつがえされるw
もっとも音楽と同じで、作品は作曲家の手を離れ、それぞれの解釈に任されるから、
事態はたいして変わらんかw
ここにいる連中なんて迷いの井の中の蛙だから、
見たこともない井戸の外を妄想してもナンセンスなんだけどね。
>>197
>ここまではおおよそ仏説といっていいよ
井の中の蛙が井戸の外の勝手な妄想で「仏説」とお墨付きを与えても
マンガでしかない。
208:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 11:31:19 m/TTY2rl
>>206
君の話だと、輪廻は永遠だとなる。
だが俺は言っておく。輪廻は、行いと結果という二項からしかなりえない主体性の無い
空であり、この世と縁起してはじめて成り立つ無自性な空であり、この世と同じく
無常なもので、永遠ではない。君らはわからない人達だね。
>まあ、これ以上は無駄だから、もう言わないよ。
そうしてくれ。君には残念ながら智慧がない。智慧の無い者に法を語っても無駄な努力に
終わる。
209:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 11:47:10 m/TTY2rl
>>206よ、輪廻は決して不生不滅の、自性ではないんだよ。
むしろ、輪廻の鎖の輪を絶った先に、それはあるんだよ。わかるかい?
210:初代スレの5
08/12/24 11:49:38 i8G1V8R1
なるほど。主体を設定しない輪廻論ですね。数日前、私が話した人とよく
似た説ですね。 あの人は、宇宙が消滅してもどこかに輪廻すると言って
おりましたが、輪廻思想といっても実に様々ですね。
211:神も仏も名無しさん
08/12/24 11:49:55 Xy+lJD60
>>207
残念ながら仏教は、体験によって再現可能で検証可能なんです。
長い間、多くの聖者によって体験され検証されてきたんです。
その聖者による伝承と、文献を言語学的に検証した一致して、
私が理解できる内容しか述べてませんよ。
ついでながら、ここで主張されているのは、断見、常見、縁起中道の三つしかありません。
断見とは、死んだら終わり輪廻などないという現代人の信念、常識、亜科学信仰で、仏教や宗教を否定するか適当に解釈して常識に適合させようとするタイプ
常見とは、現象は幻、実在があるとするタイプで、仏教以外の宗教はほとんどここに入ります。
縁起中道とは、現象と空が同じである色即是空空即是色で、現世の因果関係も尊重しながら、それが幻のようなものと実感し苦しまないようなこ
決して、適当にバランスとって常識に合わせて平凡に生きるみたいなことではありません。
212:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/24 12:00:28 m/TTY2rl
>>209 少し訂正。こう言い換えたほうが君ら末法仏教徒達には理解しやすいかもしれない。
×輪廻は決して不生不滅の、自性ではないんだよ。(別に間違いではないが)
○輪廻(縁起)は、決して不生不滅の、自性ではないんだよ。
輪廻とはつまり、君らの好きな、縁起そのものの他ならないんだよ。
さて、最近2chの屑共に法を語る空しさを痛感してきてね。法を語るにはふさわしい相手に
ふさわしい場所で。ま、ちょっとわけあって書いたが、この辺でおいとまする。スレ主の邪魔になっても
悪いんでな。ま、せいぜい頑張れよ、邪見に囚われた無明の人達。
213:神も仏も名無しさん
08/12/24 12:11:56 lx/Pz/tL
>>211
>適当にバランスとって常識に合わせて平凡に生きるみたいなこと
最終的には、その自覚に到達するのが、「悟り」というものだよ。
人間は、泣いても笑っても、共同体としてしか生存できないのだから、
それ以外には「悟り」などなかろう。
親鸞は、数十年宗教やったのち、晩年になってやっと「自然法爾」を悟
ったそうだが、圧倒的多数の生活者たちは、生活のなかでとっくに悟っ
ていたこと。親鸞は、あまりにも遅すぎw。
214:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/24 12:46:28 I2Cca0uK
>>212
>法を語るにはふさわしい相手に ふさわしい場所で。
そうですか。
貴殿ならそのスキルはある。
もしHPを立ち上げて立宗宣言するなら、拙者がコメントを書いてもいいよ。
同意は難しいとしても、
質問形式で、貴殿の教義を上手く引き出すことはできる。
(これはあくまでも実験的に)→アンチの立場はとらない。
>この辺でおいとまする。
そうですか。
一期一会、お元気で。
215:神も仏も名無しさん
08/12/24 13:26:59 3dwaotO/
>>185
>無記って知ってる?仏教は現実の世界に対しては無関心だ。・・
来世など、考えても仕方のないことを考えるなと戒めたのでしょw
現実社会に生きて命がなければ君もそのレスが書き込めません。
<現実世界=今=ここ> が誰にも一番重要、ここしか生きられない
無関心なら、仏陀もイエスも献金・お布施も宗教の勉強も必要なく無駄!
>ボランティア? 大概の宗教団体はやってるぞw
いいえ、献金・お布施廃止のことです。つまり宗教指導者も働いて宗教は、ボランティアでするということw
以前読んだヨギ(名前は忘れた)は本の中で、「出家や托鉢は社会に負担をかけるからしない」 と言い、
それを現実に実行していたようです。クリ達聖職者達や、>>170や宝珠愚者氏にも↑ 言えるでしょw
■ やはり、ボランティアが美辞麗句の宗教の教義にはピッタリで美しくお似合いでしょう。 ■
216:神も仏も名無しさん
08/12/24 15:08:10 awRaYe37
輪廻肯定派の文献学大家の名無氏が、とりあえず引っ込んで、叩きやすい手頃なバカが現れた。
こいつはいいやと、このバカを代わりに叩いて先ほどの鬱憤を晴らすべく、またゾロゾロ集まるハイエナ連中。(笑
217:神も仏も名無しさん
08/12/24 15:54:46 bbCIEJhs
釈迦は、「この世は、何と美しいことか」と言ったそうだよw。
これは、どのお経にあるのでしょうか。「文献学の大家」にお願いします。
218:神も仏も名無しさん
08/12/24 17:36:50 Xy+lJD60
以下のように梵本『ネハン経』です。
URLリンク(www2.big.or.jp)
> 次に日中の休息をとるため、ヴェーサーリー郊外のチャーパーラ霊樹のもとに赴きます。
> ここで釈尊は、ヴェーサーリーについて、また世界についての感嘆の言葉を述べられたと記されています。
>
> 「アーナンダよ、ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹は楽しい。ゴータマカ霊樹は楽しい。
> サッタンバカ霊樹は楽しい。バフプッタ霊樹は楽しい。サーランダダ霊樹は楽しい。
> チャーパーラ霊樹は楽しい」(パーリ本、失譯本、梵本、チベット本)
> 「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ」(梵本)
>
> 続いて釈尊は、アーナンダに遠回しの暗示をかけます。
>
> アーナンダよ。いかなる人であろうとも、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、
> (軛を結びつけられた)車のように修し、家の礎のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、
> みごとになしとげた人は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、
> あるいはそれよりも長いあいだでも留まることができるであろう。
「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ」
の部分を梵本で見てみると、
URLリンク(www.sub.uni-goettingen.de)
citro jaMbudvIpo madhuraM jIvitaM manuSyANAm ||
ですね。この部分は上の引用を見れば分かるように釈尊がアーナンダに長くこの世に留まってくださいと
勧請することを促すために世間で生活するのも私はそんなに苦しくないよ、と方便で仰られていらっしゃるので、
決して一切皆苦と矛盾するものではありません。
釈尊は現世肯定などしてませんよ。
ついでながら、空即是色も天台本覚論も密教も現世肯定などしてませんよ。
それに文献学は囓っているだけです。分かってると思いますが念のためw
219:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/24 17:59:29 WxJ7oZZW
>>218
参考資料ありがとうございます。
拙者は未達ゆえ、いろいろ教示願えればありがたい。
>ついでながら、空即是色も天台本覚論も密教も現世肯定などしてませんよ。
で、拙者が一番難解のは、
もしも釈尊が輪廻転生を肯定していたするならば、
なにも仏教を立宗することはなかったんじゃないか?
と、かように思っておるんです。
貴殿は、バラモン教の何処が駄目で、
何処が仏教の優れているとこかと思いますか?
後学のため教示願えないだろうか?
220:神も仏も名無しさん
08/12/24 18:28:29 EHNxw3Fy
縁起・因果律の法則を正しく認識していたならば輪廻はもう超越してるじゃん
諸法無我なんだからそもそも輪廻する我というもの自体が縁起の集大成でしかない
縁起により個々人の関連性はあっても個が輪廻するような思想は仏教に本来ないよ
輪廻転生があるかのような後世の書き換えを無理やり真実とするために
スマのようなテラワダの原理主義者が輪廻はあるある言ってるだけ。
その師の言うことを無理やり真実とするために2chで信者があるある言ってるだけ。
221:神も仏も名無しさん
08/12/24 20:20:28 lYD1GQgd
>>220
おまえは馬鹿だな。
222:神も仏も名無しさん
08/12/24 20:25:26 tqwwNHC+
ニーチェが、その思想の集大成・到達点ともいうべき「反キリスト者(アンチ
クリスト)」において、キリスト教を徹底的に非難する一方、仏教を「唯一の
実証的宗教」「優れた精神衛生法」として絶賛した。
仏教が、実証不能な「輪廻転生」により信者を「脅迫」するのなら、精神衛生
どころか、精神を破壊し、無価値で、有害極まりない宗教に堕してしまう。
223:神も仏も名無しさん
08/12/24 20:27:43 nAwemVlf
>現実社会に生きて命がなければ君もそのレスが書き込めません。
やはり理解できないようだねw
何度言ったらわかるんだ?
仏教は外の世界には無関心。
誰に食べさせてもらってる・・・そんなことはどうでもいい。
「いま生きている」なんてくだらないことを考えるから、
「どう生きたらいいか」とか下らぬ考えが沸き起こる。
ズダ行に励むも信者から多額の布施を受けるのも同じだ。
あんた、毎日瞬間瞬間「生きている」実感があるのか?
そういう実感がなければだめなタイプ?
224:神も仏も名無しさん
08/12/24 20:32:45 Xy+lJD60
>>219
>で、拙者が一番難解のは、
>もしも釈尊が輪廻転生を肯定していたするならば、
>なにも仏教を立宗することはなかったんじゃないか?
なんでですか? 我々は輪廻している。それは苦である。
原因は無明である。涅槃は楽である。涅槃への道がブッダの教えである。
これが四諦で、仏教の基本じゃないですか?
>貴殿は、バラモン教の何処が駄目で、
>何処が仏教の優れているとこかと思いますか?
どこをとっても素晴らしいのが釈尊の教えだと思ってますが、
一番の違いは、何度も言っているようにヴィパシャナを取り入れたことでしょう。
つまり、三昧によって心を集中することで現象が消え楽は体験できる。
ここまではウパニシャッドの行者たち、およびヴェーダーンタなどの行者も実践していることです。
ところが、釈尊はそこで解脱と勘違いしなかった、縁起によってヴィパシャナすることで解脱したというのは、各経典が記すところです。
現代の学者で縁起では解脱できないとしている方が何人かおられますが、
それは三昧状態で縁起を観ずるという状況を見逃して、
凡夫の気が散った状態で論理的に無明によって行が生じと考えても
たいして効果ないからです。
225:神も仏も名無しさん
08/12/24 20:36:08 nAwemVlf
>仏教が、実証不能な「輪廻転生」により信者を「脅迫」するのなら
どこの国の話でしょうか?
日本人のほとんどが輪廻を信じてないのに「脅迫」の手段になると思う?
で、具体的にどのような脅迫でしょうか?
「神を信じなければ地獄に落ちる」みたいな?
226:神も仏も名無しさん
08/12/24 20:37:20 tqwwNHC+
>>223
>誰に食べさせてもらってる・・・そんなことはどうでもいい。
君が、他者の勤労によって「生かされて」貰わない限り、君が、「妄想」
にふけることも不可能になるのだよw。
仏教者は、何故一生懸命托鉢して、「その生命の維持に不可欠な食物」
を求めて歩き回ったのかね。
227:神も仏も名無しさん
08/12/24 21:15:47 py7SQ21Z
ID:nAwemVlf氏は、アンカーレス記入して下さい
傲慢さと独善性・不親切・・が如実に表れています。
前にも似た人いたわなw
自分が分かっていれば他人も当然分かってると判断する非常識がw
228:170
08/12/24 21:53:29 KSnrP8N4
219(机龍之介)さんへ
>で、拙者が一番難解のは、
>もしも釈尊が輪廻転生を肯定していたするならば、
>なにも仏教を立宗することはなかったんじゃないか?
>と、かように思っておるんです。
むう、面白い考えをする人だ。普通、逆に考えるんじゃないか?
「一切皆苦」で「輪廻否定」なら、とっとと自殺すればいい。無駄に苦を長引かせる理由はないからね。
もちろん「一切皆苦」を否定するなら、自殺しないのは当然だけれども。
ところで皆さん…
ここって「仏陀は輪廻を説いたか説かなかったのか?」を議論するスレだよね。
「輪廻があるかないか?」は、どうでもいいことのように思うのだけれど。
229:神も仏も名無しさん
08/12/24 22:09:02 3o2cRcCp
>>222
教義に輪廻転生があると承知していた上でのその発言なら、
「キリスト教よりは」マシという意味なんでしょう。
そうでなく、本人がとりあえず超自然的要素を気分で抜いていたとしたら
それはニーチェが間違っているというだけですね。
別にいいじゃないですか。あなたが困ることは一切ない。それとも
「有害になっちゃうから」仏教が輪廻を説かなかった事にするんですか?
230:神も仏も名無しさん
08/12/24 22:25:03 XUplR7BI
>>224
貴方は、僅かここ数年の間に随分様変わりされて円やかになられましたね。
以前は(ココではない何処かで)皮肉屋で挑発的な文章を好んで書かれていたように思います。
老師の薫陶でも折れなかった貴方の鼻柱は何処でどの様にして柔軟になったのですか?
231:神も仏も名無しさん
08/12/24 23:03:35 vC5vL4EI
それにつけてもカルト寺和田が必死だなw
ほんと陳腐でカルトなスマ論理を繰り返す、
ウンザリだ。
スマナサーラ爺よ! 出て恋!
ストリップ小屋でないのは申し訳ないが・・・
232:神も仏も名無しさん
08/12/24 23:19:50 vC5vL4EI
>>228
>「一切皆苦」で「輪廻否定」なら、とっとと自殺すればいい。
おまえって、とことん井の中の蛙馬鹿そのものだな。
なんにも判っちゃいない。
いまだにこんなかきこをやっているようでは仏教スレに出入りする意味がない。
233:神も仏も名無しさん
08/12/24 23:21:41 CIAUDjq+
>>229
「輪廻転生」は、全く実証的ではないから、承知していれば「仏教は唯一の
実証的宗教」などと言う訳が無い。
「有害な教え」は、批判して、除去するのが、弟子の義務ではないのか。
さもなければ、単なる「盲信」。カルトである。
234:神も仏も名無しさん
08/12/24 23:34:56 3o2cRcCp
>>233
じゃあ、単にニーチェさんの間違いですね。仏教を
キリスト教の対抗馬っぽいものに仕立て上げたかったのでしょう。
>「有害な教え」は、批判して、除去するのが、弟子の義務ではないのか。
ここは、仏陀が輪廻は説いてたのかどうかを議論するスレですからねえ。
アレンジしたいなら他所でやればいい。
>単なる「盲信」。
ええ、仏教もあくまで宗教ですから。科学とは違います。
引用された文章ですら「実証的『宗教』」と言ってるでしょう。
235:神も仏も名無しさん
08/12/24 23:35:53 +mHeYYZQ
生まれ変わり事例の研究
(メタ超心理学研究室 明治大学教授 石川幹人)
URLリンク(www.kisc.meiji.ac.jp)
ヴァージニア大学の精神科医スティーヴンソンは,
1961年から生まれ変わり事例の実地調査を始め,
1997年には「生まれ変わり」の信憑性が高い
225例の調査報告を掲載した大著を出版した。
236:神も仏も名無しさん
08/12/24 23:47:25 CIAUDjq+
>>234
君が仏教信者なら、仏教がキリスト教より優れている点は、どこだと思う
のかね、
宗教であるからこそ、盲信は有害で危険。
>>235
心理学会では、相手にされない妄想。心理学は自然科学だから、客観性が要件。
237:宝珠愚者
08/12/24 23:48:29 C+j7Xu/z
>>181
第一結集に始まるゴータマ説法の編纂作業、その主催者がマハーカッサパであったことはよく知られ
ているところ。しかしながら、原始経典には特に問題となるほどの教えの歪曲があるという見方はないと
思います。遙か後代の別グループによる大乗経典その中身は何でもあり。
>>182
>「唯物論」とか「大乗非仏説」とか、カテゴリーに拘らんでも、 法は脈々と延々と現代に流れておりまふ。
>この大事な法を見逃すと、全てが戯論になってしまう。
>>184
初期経典と大乗経典が別物に見えるのなら、程度の低い理解でしかない。
世界中どこを探しても、歴史上のゴータマの教えを知る上で大乗諸経典が対象とされることは一切あり
ません。たしかに信仰はご自由です。何宗何経でもお好きなだけどうぞ!
しかしながら、仏教史上、唯一にして解脱した仏陀であるとして認められるゴータマ・シッダッタ、その人
について知れるものは、この原始経典群をおいて他には一つも存在しないのです。大乗諸経典は仏陀直
説とはいえず、仏陀の教えと仏陀に成るための方法論としては全く信頼には値しない。
よって、ゴータマの教えではないものは「仏教」とは呼べない。私は大乗諸経典群に価値がないとはいっ
ていませんが、これらは「仏説ではない」。大乗諸経典を重視したい方はご自由にどうぞ!
238:宝珠愚者
08/12/24 23:49:22 C+j7Xu/z
原始経典群
A パーリ五部(Pan~ca-nika^ya)パンカ・ニカーヤ
a 長部経典(Di^gha-nika^ya)ディーガ・ニカーヤ
b 中部経典(Majjhima-nika^ya)マッジマ・ニカーヤ
c 相応部経典(Samyutta-nika^ya)サンユッタ・ニカーヤ
d 増支部経典(Anguttara-nika^ya)アングッタラ・ニカーヤ
e 小部経典(Khuddaka-nika^ya)クッダカ・ニカーヤ
・法句経(Dhammapada)ダンマ・パダ
・自説経(Uda^na)ウダーナ・ヴァルガ
・如是語経(Itivuttaka)イティブッタカ
・経集(Sutta-nipa^ta)スッタニパータ
・長老偈経(Thera-ga^tha^)テーラ・ガーター
・長老尼偈経(Theri^-ga^tha^)テーリー・ガーター
・本生経(Ja^taka)ジャータカ
等々.
・律蔵(vinaya-piTaka)ヴィナーヤ・ピッタカ
B 漢訳四阿含
a 長阿含経
b 中阿含経
c 雑阿含経
c' 別訳雑阿含経
c'' 雑阿含経
d 増一阿含経
239:宝珠愚者
08/12/24 23:50:28 C+j7Xu/z
この中でも特に「スッタニパータ」「ダンマパダ」「テーラガータ」「テーリーガータ」「サンユッタ・ニカーヤ」
やパーリ長部中の「マハー・パリニッバーナ・スッタンタ」などはゴータマの姿(当時の教え)を知る上では
重要といわれています。
私は特に漢訳経典よりもパーリ経典の方を重視します。漢訳四阿含は古代マガダ語→サンスクリット語
経典→漢訳経典と翻訳を繰り返されてきており、特に漢訳された際に微妙にシナ(古代中国)的変色を受
けた可能性があります。現在のところまだパーリ五部の原典となる古代マガタ語経典の発見がないといわ
れていますが、わたしの直感ではそれは多分、元々からして「無い」のではないか?と思います。ゴータマ
の説法は古代マガタ語でしたが、パーリ語で口誦され続けて、恐らくそのままパーリ語で書き記されたので
しょう。
240:宝珠愚者
08/12/24 23:51:07 C+j7Xu/z
>>183
>少なくとも会ったことも話したこともない架空の神・イエス・仏陀・・等の大昔の
>信憑性が疑われる教義を盲信・狂信し犯罪を犯す愚はしないでしょうw
たしかに出遭った事はありませんが、しかし、記載されている内容を知り、それ(経典の教え)を理解す
ることは可能です。
>>202
>仏陀に誤りや時代錯誤や不合理があれば、時代の進歩・変化に合わせて
>それを正すのが、弟子たちの義務である。
時代に適合させることと、教えを捻じ曲げてしまうこととは異なります。仏陀は我々のような人間のレベル
を卒業し、それを超越された存在であり、その大いなる超常的意識は物質世界の制約すらも受けることが
ない。その仏陀に対して、師の間違いを教えてあげるのが弟子の役目だと?
仏陀をただの普通の人間に成り下げてしまっては、仏教は成立しない。到底、在り得ないわw
241:神も仏も名無しさん
08/12/24 23:55:57 iz2ppjzK
∧,,,∧ ゚ , , 。
/\(`・j・´)/\ ハッハッハー ゚ ,
⌒⌒ wωw'"⌒⌒ ` .゚ .゚. ゚。 . . ゚ . , . . . 。 ゚ . ゚ , ,
. .。 . .。 o .. , ゚。, ☆ ゚. + 。 ゚ ,
■ 【献金・布施制度廃止】 ■ 。o ☆ + ,゚
゚ , , 。
美辞麗句の観念の<甘言と脅し><偽善>で人を釣る金の亡者!☆
人の懐あてにするな!社会の寄生虫!★ ゚。, ☆ ゚. + 。 ゚ ,
宗教は、ボランティアでやりましょうねw (笑
。 . . . . . 。 ゚。, ☆ ゚. + 。 ゚ ,。 . 。 , .。 . .。. . . .
゚ 。 ゚. . +。 ゚ * 。. , 。゚ +. 。*。 ゚. . . . . ゚ . ゚ ,
。 . . 。 。゚. 。* 。, ´。. ☆。。. ゚。+ 。 .。 . 。 . . .
. 。 ゚ ゚。 。, .。o ☆ + ,゚。 *。. 。 。 . 。 . 。 .. . . .
゚ .゚ ゚ 。゚ + 。. +。 * 。゚。゚., ,+ 。゚. 。 . . , 。 . . .
゚。゚+゚`, o。。.゚*。゚ 。.゚ 。 ☆+。。゚. ° 。 . , ゚ ゚. . . . ゚
。, .゚。 + ☆。,゚. o。 。+ 。゚., . ゚ , 。 ゚ , , 。 . . . .
゚. o * 。゚。゚.。゚。+゚ 。 。 ゚。 ゚ 。 ゚ 。 . .
゚` .゚ .゚. ゚。 . . ゚ . , . . . 。 ゚ . ゚ , ,
. .。 . .。 o .. ,
242:初代スレ7
08/12/25 00:01:24 Q0LlfLmu
>>228
>どうでもいいことのように思うのだけれど。
そのように言うこともできますし、議論をスムーズにするには(≒学際的な議論にするには)捨象すべきことかと思います。
前スレ656のC・D(及びB)を問うスレ、というのがこのスレの本来あるべき姿であるのは貴方の御指摘通りです。
しかしながら、実際は(議論を進める上では)、どうしても絡んできてしまうのです。
なぜか?
(基本的に)我々が知り得るのは実は『E』のみです。
また、『E』から遡ってD・C(・B)がどうであったかを類推するしか手立てはありません。
『E』が脚色かどうかを判断することでさえ、
多くを比較検討する文献学的研究・教義の探究によるしかありません。
しかも、それすら決定的に確定することはできません。
もし、この時、『A』の側からもアプローチできたなら、選択範囲(考究範囲)は少しだけ狭めることができます。
ジグソーパズルを組み直す時、複数の基準・基点があると作業はずっと楽になります。
ですから、(無意識理にでも)『A』の部分に於いて或る仮説を立て、それを参考にしてしまうのです。
たとえ無意識にでもです。
客観的批判に耐えるには、比較検討という手段が妥当なわけですが、
上で“『A』の側からのアプローチ”と書きましたが、ここに追体験があったとしたら話は変わってきます。
体験のある彼は、『A』からD・C(・B)へとアプローチできるのです。
そして実は、追体験可能な(或いは“現代科学の知見により、仏典との関わりなく考察し得る”)という点で、
『E』以外の、我々の考察基準足り得るのです。(これは、輪廻以外の様々な記述・教義にも当てはまる構図です。)
ジグソーパズルの譬えではないですが、我々が基準とできる部分が希少である以上、
そして、『A』を仮設することが、どれほど考察を先へ進ませるかを考えれば、致し方の無いことのように感じます。
また、「ブッダは真実しか語らない」「ブッダに誤りは無い」という前提をとるかとらないかも関わってくるでしょう・・・。
243:神も仏も名無しさん
08/12/25 00:10:56 MWKG0PGt
>>226
>君が、他者の勤労によって「生かされて」貰わない限り、君が、「妄想」にふけることも不可能になるのだよw。
ホントにそう。宗教者は、妄想を言ってるだけなのに威張ってるw ┐(´ー`)┌
信徒や献金・お布施に対する感謝が全々感じられません。故に『宗教は有害』!!
言語ゲームして遊んでるだけで現実面では何も還元してません!
>仏教者は、何故一生懸命托鉢して、「その生命の維持に不可欠な食物」を求めて歩き回ったのかね。
見えない世界に住んでるのだから、宗教者は、見えない食物で体を維持して下さいなw
お金も、見えないお金で充分~(笑
(・∀・)ノ!!
244:初代スレ7
08/12/25 00:35:46 wzjHZDF4
>>239
歴史的位相はこんな感じじゃね? 知らんけどw
直・初期
在世 仏 弟子 古M語 P Skt Tib 漢
| ○
| ○
| ○
| ○ ..○
| ○ ..○ ○
| .○ .○ ○
| .○ .○─○ ○
| .○ .○─○ ○
| .○ .○─○ ○
| .○ .○─○ ○
↓ .○ .○─○ ○
現代
245:宝珠愚者
08/12/25 01:09:18 2CddHNLY
>>235-236
いや、こういう研究は絶対に必要。
それにはまず、馬鹿にして放置し無視するような姿勢を正すことから始まるのです。
まっ、ここに集ってる転生否定論者たちの多くは、
世界の最高科学機関からの「新事実を発見しました!」という
公式見解が下りるまでは断固として認めない輩ばかりです。
調べてみようという研究者そのものまでも馬鹿にしてしまう!
246:神も仏も名無しさん
08/12/25 01:32:42 kNKp7b6n
宗教者の最大の誤りと錯覚は、「開祖・教祖が言った」から、「教典に書かれ
ている」から、「真理」だと思い込むこと。古代人の言葉が「時代が全く異な
る現代においても」通用しない限り、それは、現代においては、もはや真理と
はいえないのである。
従って、現代において通用しない開祖・教祖の言葉は、すべて、誤りとして
無視するだけでよい。「言った、言わない」「書いてある、書いてない」を
詮索するのは、労力と時間の無駄に過ぎない。
仏教の教えのうち、「関係性」は現代でも100%通用する永遠の真理だが、
輪廻転生など問題にならない。論じるに値しない。
仏陀もバラモン教の社会に生きていたのであり、その「悪影響」を完全に払拭
できなかった事情を、充分に考慮する必要がある。
後代における宗教者の任務は、古代人である開祖の教えから、「現代に通用する
真理」を見出すことでなければならない。
時代の制約下にあった開祖の誤りや妄想を大真面目に議論することは、むしろ
開祖に対しても礼を失することになる。
人間であるイエスを、こともあろうに「神格化」し、あらゆる荒唐無稽を付け
加えたキリスト教が、その典型である。キリスト教の愚を繰り返してはならない。
247:初代スレの5
08/12/25 01:46:21 5/yRxjzq
>>246 確かに、あなたの仰るとおりだと思いますが
どうしても「釈迦を超人的な神」にしたいと思ってる人達
にとっては、到底、受け入れられない言葉でしょうね。
248:宝珠愚者
08/12/25 01:55:50 2CddHNLY
>>246
>仏陀もバラモン教の社会に生きていたのであり、その「悪影響」を完全に払拭
>できなかった事情を、充分に考慮する必要がある。
バラモンの悪影響ではなく、ゴータマ自らずそのことを体験によって確認したのであり、如来の出現の
いかんに関わらず定まっている。
仏陀をただの普通の俗人にしては仏教は成立しない。神格化したいのではなく、これが正統な経典に
基づく理解です。
「前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖
者、完成すべきことをすべて完成した人、─かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。」(ダンマパダ423)
「あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れ
なく、清らかで、生を滅ぼしつくすに至った人、─彼を(目ざめた人)(ブッダ)という」(スッタニパータ517)
「すなわち、わたしは清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれ
の行為に従っているのを見た。
『じつにこれらの人々は身体で悪い行為をし、ことばで悪い行為をし、心で悪い行為をし、多くの聖者
を非難し、よこしまな見解をもち、よこしまな見解にもとづいて行為をする。かれらは身体が壊れ死んだ後、
悪い所、苦しい所、地獄に生まれる。また、他のこれらの人々は身体で善い行為をし、ことばで善い行為
をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、正しい見解をもち、正しい見解にもとづいて行為をする。
かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる』と。
わたしは、このように清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行
為に従っているのを見た。
バーラドゥヴァージャよ、これが夜の中間の部分において得られた第二の明知である。」(スレ#2/667)
249:宝珠愚者
08/12/25 01:56:43 2CddHNLY
『また、心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は過去の生存の境涯を想起する
知(宿住通)に、心を傾け、心を向けます。彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すな
わち、ひとつの生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯
を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の
生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。「あのときの生存において、自分の名まえはこう
であった。家系はこう、階級はこうで、こんな食物を食べ、こんな幸福や不幸を体験し、これこれの
年齢まで生きた。そして、その世から消え去り、別の世に生まれ変わり、そこでも同じように、自分
はこれこれの名まえ・家系・階級の者で、こんな食物を食べ、これこれの幸福や不幸を体験し、こ
れこれの年齢まで生きた。そしてその世から今のこの世に生まれ変わってきたのだ」というように、
具体的な映像や、具体的な説明を伴って過去の生存の境涯を想起します。』
(ディーガ・ニカーヤ2:93/出家の功徳)
どこに転生肯定者の勝手な解釈が入っているのか?
250:神も仏も名無しさん
08/12/25 02:43:50 kNKp7b6n
>>248
>>249
少なくとも義務教育を終了した現代人から見れば、単なる古代人の妄想。
現実上の根拠は皆無。
現代人なら、現実上の根拠のない妄想を語るべきではない。
251:神も仏も名無しさん
08/12/25 07:59:15 wSNhqT2W
>>250
「転生肯定者の勝手な解釈」じたいは原文に入ってないということでよろしいですね。
解釈を用いるまでもなく、そのまま書いてあるので当然ですが。
252:神も仏も名無しさん
08/12/25 08:12:54 wSNhqT2W
「釈迦は輪廻を説いてない」論の根拠というのは
仏教のほかの部分で説かれている論理で言えば
輪廻転生は成り立たない、というものなんでしょうか。
253:神も仏も名無しさん
08/12/25 09:18:52 NTMZuZP8
>>248
おまえみたいな態度を字句概念仏教妄信というのだよw
サマタ中の妄想を書きなぐったものを、そのまま狂信する。
どろどろした潜在意識がふた(理性)が取れてナマで噴出してきたものを
そのまま真実とうけとることがどうかしている。
法華経なんかもっとおもろいぞ
釈迦がトンデモ・スパーマンになる。
こっちのほうが宝珠愚者殿にはお似合いだと思うぞ。
254:神も仏も名無しさん
08/12/25 09:30:19 8aNm8k2C
>>230
>老師の薫陶でも折れなかった貴方の鼻柱は何処でどの様にして柔軟になったのですか?
一応、行してますよ。でも、自分ではそんなに変わったとは思ってません。
縁起・空の理解が進んだことは、画期的です。
ところで老師ってどなたのこと?
我が師の教戒・加持が一番大きいかもしれません。
255:神も仏も名無しさん
08/12/25 09:40:15 LJ7wdlGb
>>248-249
宝珠愚者氏も誰も実証出来ないのなら只の『絵に描いた餅』
幼児が天国の絵本を読んで、得意げに並べているのと同じことw
実証してください!!
生まれ変わりも覚えていない人の方が圧倒的に多いのが現状
誰も言葉で言えても証明出来ませんw
同じことを乗せてだらだらだらだらループしてる=悪く取ればロム人をマイコン・洗脳してるw
宝珠愚者氏はクリと一緒、何言われても自説を押してくる宗教マイコンロボ!
気持ち悪いよ~~(-_-#) ココモ氏に同感!!(笑
256:神も仏も名無しさん
08/12/25 09:43:23 LJ7wdlGb
前スレ2#693 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/12/20(土) 18:28:39 ID:DTh6CNcT
>また、他のこれらの人々は身体で善い行為をし、ことばで善い行為をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、
正しい見解をもち、正しい見解にもとづいて行為をする。
かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる』と。・・・・・・・『天眼通』
↑ ような宗教団体の美辞麗句の教義を信じた真面目で純粋で品行正しい人達がオウムの信徒になり聖者の
名前をつけた大師を尊敬しお布施した結果、悲惨な事件が起こり社会に大きな災害・ショックを与え、死亡された
方・被害者も沢山出て、今もその傷は癒されてはいない「大不幸を」起こしたのです。
宗教者は、事実をつかれ返答に窮すると「信仰だから事実とは区別するもの」と言いながら、又、すぐ自分達の都合
の良い経典のコピペを貼りつけ、まるで事実のように錯覚させマイコン・洗脳に巧みに引き込んでいくのです。
<言葉の魔力>を駆使し、質が悪いので、真面目で純粋で知的好奇心が高い人がコントロールされやすいのです。
くれぐれも美しすぎる言葉を多用してくるのは、詐欺も使いますから気をつけましょう!!
257:初代スレの5
08/12/25 10:11:38 5/yRxjzq
輪廻肯定論者の方たちにお聞きしたいのですが、やはり、みなさんは
「天眼通」とか「空を飛んだ」 とかいう話を事実であると信じて
おられるのでしょうか?
258:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 10:25:16 V34fndlw
>>224
>なんでですか? 我々は輪廻している。それは苦である。
>原因は無明である。涅槃は楽である。涅槃への道がブッダの教えである。
>これが四諦で、仏教の基本じゃないですか?
バラモン教はウパニシャット哲学を根本義としておりますから、
この時点で輪廻転生思想はあった。
その思想を進化させたのが釈尊ということですね。
>現代の学者で縁起では解脱できないとしている方が何人かおられますが、
>それは三昧状態で縁起を観ずるという状況を見逃して、
>凡夫の気が散った状態で論理的に無明によって行が生じと考えても
>たいして効果ないからです。
なるほど、非常に参考になります。
「縁起を観ずる」というのは、よく解りませんけど。
(禅は観行はしないですから)
「縁起で解脱」もよく解りません。
しかしながら大変参考になったのは間違いないです。
ありがとうございました。
259:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 10:26:48 V34fndlw
>>228
>「一切皆苦」で「輪廻否定」なら、とっとと自殺すればいい。
これもどうも拙者には理解不可ですね。
拙者が「世界は悟ってる」って言ったのは、
森羅万象「今を生きてる」じゃ~ないですか?
こういう意味で言ったのです。
人類の歴史は、知能の発達の歴史でありました。
この発達の段階において、いろいろと妄想に耽るようになった。
(無明とは、この発達【言語獲得含む】と密接に繋がりがある)
猿が死んだ先のことを心配しますか?
せんでしょ?
猿はもともと悟ってるからなんです。
>「輪廻があるかないか?」は、どうでもいいことのように思うのだけれど。
いんや、そんなことはないですね。
皆さんは輪廻転生で夜も眠れんくらいに心配しとるんですよ。
このスレが賑わってるのがその証左でつ。
260:神も仏も名無しさん
08/12/25 10:44:38 eRLQmIeV
>君が、他者の勤労によって「生かされて」貰わない限り、君が、「妄想」
にふけることも不可能になるのだよw。
仏教者は、何故一生懸命托鉢して、「その生命の維持に不可欠な食物」
を求めて歩き回ったのかね。
えー、三輪空寂をご存じない?
「お陰様」「生かされて」なら別に仏教でなくて道徳のレベルでしょw
あのね、そうゆういかにも日本的な日常や平凡が大事なら、
仏陀は非日常、反社会的な出家なんてしない。
王子のままで王位につき善政をほどこし民に感謝すれば済むことだ。
君には、インド的な仏教は似合わない。
お天道様に手を合わせるだけで充分だろw
ところで、そういうあなた、この私によっても「生かされている」ことを
なぜ感謝しないw
傲慢な人だねw
自分だけは特別だとでも?
261:神も仏も名無しさん
08/12/25 10:45:09 8aNm8k2C
>>258
>バラモン教はウパニシャット哲学を根本義としておりますから、
>この時点で輪廻転生思想はあった。
>その思想を進化させたのが釈尊ということですね。
正確に言うとヴェーダです。ウパニシャッドは補助聖典。
意味は変わりませんが、念のためw
>「縁起を観ずる」というのは、よく解りませんけど。
>(禅は観行はしないですから)
>「縁起で解脱」もよく解りません。
ここは、理解しにくいところ、誤解しやすいところで、
私自身も長年誤解してました。誤解が解けたのは師の教えによってです。
私の理解では禅は、先ず座禅してサマタ、精神集中行に集中する。
ヴィパシャナは、縁起の代わりに公案など別の手法を用いるのだと思います。
ヴィパシャナは縁起観だけではないのです、色々な手法があります。
とりあえず、縁起にしても公案にしても三昧に入らないで論理的に思索しても
ほとんど意味がないということは、お分かりいただけますか?
262:神も仏も名無しさん
08/12/25 10:48:02 edkW4bCG
>>257
>「天眼通」とか「空を飛んだ」 とかいう話を事実であると信じて
>おられるのでしょうか?
空を飛んだとは思ってませんね。馬に乗った方が楽なんじゃないですか。
輪廻転生が本当にあるとしても、転生を特に希望しない心理状態で死にたいですね。
263:神も仏も名無しさん
08/12/25 10:56:41 8aNm8k2C
>>259
>259 名前: 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. Mail: 投稿日: 2008/12/25(木) 10:26:48 ID: V34fndlw
>>>228
>>「一切皆苦」で「輪廻否定」なら、とっとと自殺すればいい。
>
>これもどうも拙者には理解不可ですね。
それは「一切皆苦」を実感しないで、
ただ知的にそういう思想だと捉えているからではないでしょうか?
実際、「一切皆苦」を本当に理解できるのは聖者のみと諸聖典は口を揃えます。
確かに、うまい!とか美しい!とか気持ちいい! といった快感が楽なのか
どうかよく考える必要があります。
私はそういった快感は、無明だと思ってます。と言って実感してませんがw
なぜなら、快感を求めて這いずり回る虫や犬と変わらないからです、
本能という無明に突き動かされて、苦を楽と錯覚して業を作りまた苦しむ。
糞壷の糞虫もスッキン(快楽者)である、という言葉が頭に響きます。
264:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 11:07:26 V34fndlw
>>261
>私の理解では禅は、先ず座禅してサマタ、精神集中行に集中する。
精神集中はしないですね。
本来無一物(精神は無い)ですので、集中しようがないのです。
これが南宗禅の特徴です。
(もしかしたら北宗禅なら、そういう行法があるかもしれません)
>とりあえず、縁起にしても公案にしても三昧に入らないで論理的に思索しても
>ほとんど意味がないということは、お分かりいただけますか?
三昧に入る以前に捨置するのが禅ですね。
この段階において禅病とか神経衰弱とかになる可能性がある。
白隠は、これで弟子二名を自死させてます。
魔境というやつですね。
非常にやばい場合もある。
(これを取り去る行法が軟蘇の法)→自己暗示的なもの
つまり、非常に精神的に不安定であることは間違いないです。
>ここは、理解しにくいところ、誤解しやすいところで、
>私自身も長年誤解してました。誤解が解けたのは師の教えによってです。
そうでしたか^m^
265:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:13:12 JW0hNU6a
釈迦が自分で書いた経典など一つもない。すべて後代の人々が、それぞれの
解釈で書いたもの。経典が、釈迦の「真意」であることの保証は「皆無」で
ある。
従って、釈迦や原始仏典の「言葉」に拘るのはナンセンス。それぞれの時代に
生かすべく、それぞれに解釈すればよいだけのこと。
266:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 11:17:37 V34fndlw
>>263
>それは「一切皆苦」を実感しないで、
一切皆苦というのは、これは諦観ですよね。
つまり例示しますと、
不細工な嫁さんを貰ったとする。
この嫁さんが美人になることを望むより、
不細工は不細工なりに全てを受け入れる。
そうしますと、
だんだん慣れてきまして、いつかは不細工と美人の二項から離れる。
諦観の基盤となるのが、一切皆苦になるやに理解しております。
267:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:19:08 8aNm8k2C
>>264
>精神集中はしないですね。
>本来無一物(精神は無い)ですので、集中しようがないのです。
>これが南宗禅の特徴です。
>(もしかしたら北宗禅なら、そういう行法があるかもしれません)
>
>>とりあえず、縁起にしても公案にしても三昧に入らないで論理的に思索しても
>>ほとんど意味がないということは、お分かりいただけますか?
>
>三昧に入る以前に捨置するのが禅ですね。
>この段階において禅病とか神経衰弱とかになる可能性がある。
ほんとですか? 三昧のない仏教は考えにくいですね。
白隠さんは、臨済宗ですよね。たしか公案も使用していたし、
仮名法語とかでは、因果も説かれていたと思いますが、
以前読んだ印象では。
まあ、知らないことはこれ以上口を挟んでもしょうがないですね。
268:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 11:30:07 V34fndlw
>>267
>ほんとですか? 三昧のない仏教は考えにくいですね。
弟子が禅定に入るのに、
「座らんでいい」。って言う師家もおりましたし。→盤珪
作為的にやるもんじゃ~ないですね。
「瓦は磨いても仏にはなれない」。
(修行しても仏にはなれない)
というのが南宗禅ですね。
六祖慧能以降あたりが最も禅の開花期です。
269:初代スレ7
08/12/25 11:34:40 wzjHZDF4
>>228
ねw >>245のように、宝珠氏もまた、
《『A』の側から(も)アプローチしたい》という意図が明らかです。
※また、現代人の一般的知識から(様々な知識・経験則から)却下し易い、というのもあります。
これを、「ただ知らないだけ」「凡夫の視線でしか見ていない」と言うのは容易いですが、
検証困難(不能?)・追体験困難(不能?)であることに変わりはありません。
もしかしたら、箱の中身を知らないだけ、壁の向こうを知らないだけかもしれません。
が、様々な情報の集積から予測・推測されるに、「どうやら中身は空っぽだ」「壁の向こうは荒野だ」
と、仮説を立てるのです。否定論者の殆どはこの点に拠っています。
現代の常識を古代の思想にそのまま援用することが不当であるとは言いながらも、
「同じ人間であった」という姿勢をとる限りは、どうしても生じてしまう事態なのです。
たとえそれが阿羅漢達の実体験であったとしても、
思索の上での「心理的体験」である可能性も又完全却下できないのです。
もし、仏教内部だけでなく外部の者との対話が想定されるなら、
『A』についての議論も又避けては通れないのでしょう・・・。
他の教義のように、通常の思考・体験により「頷ける」の可能性の高いものとは違うでしょうが、
(>>242で述べたように)その「考察の構図」或いは「考察の方法論」の上で、
「輪廻」に関してもまた、『A』の側からのアプローチが重要な位置を占めるのです。
様々な教祖(始祖)たちが、『実体験・自身の体験』として何事かを語る時、
それの検証は追随する者の追体験に委ねられます。
現代に於いては、それらに対する科学的アプローチも手法としては存在しますが、
完全な検証・分析は今の所不可能でしょう。
さて・・・、果たして「涅槃」は“正しく”追体験されてきたであろうか・・・。
270:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:41:15 gGCntIzx
>>267
机さんの唱える禅は、机禅ですからw
坐ることが大嫌いで、如何にかして坐らないで悟ったことにしたくて今の論法を編み出したのですよ。
日曜坐禅会でちょこっと坐った気分を味わった人に多いタイプです。
271:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:42:18 8aNm8k2C
>>266
諦めるというのは、机さん解釈のように近代で誤解されたと考えています。
そういった世俗のなかでわたりをつけるとか、妥協すると言った意味では
ありません。
机さんの説は最終的にただの妥協になるので、
それだったら別に仏教の必要はないでしょう。
教えを聞く必要もないし、戒律も護る必要もない、
禅定も..........
ここ20年近く、いろんな人と仏教の話をしてきましたが、
私が疑問だったのは常識や亜科学信仰者で仏教を否定せずに常識化しようとする人たちでした。
それなら、常識や亜科学のフレームで生きていけばいいじゃないか? と思うからです。
しかし、最近やっと分かった気がします。科学というのは現象を記述して説明体系を提示するだけ、
つまり、こうなってますよとは言うけど、どうすべきか、どう生きるべきかについては全く何も提示しません。
それどころか、いままでの常識が、なんの根拠もないただの習慣であると社会学や言語学などは明かしてきました。
そこでニヒリズムが生じて規範を模索する、そのなかで合理的で歴史的に権威のある規範として仏教などを選択する人がいるということだと思います。
それならデレク・パーフェットとか読めばいいのにと思いますが、もう一つ重要な要素は、お手軽ということでしょう。
合理的かつ権威的で、お手軽ということで仏教。
仏教は、そんなお手軽なプチ修行で分かるものでもないが、
方便がよければお手軽なプチ修行で効果があるものでもあると思ってます。
ただ、自己正当化の為に常識におもねった仏教を主張してもなんにもならず、
虚しい慢心が残るだけなのは確かだと思います。
272:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:47:04 JW0hNU6a
>>269
そもそも、釈迦がそのような体験を本当にしたのかどうかの保証も「皆無」
ですね。
開祖に拘らずに、現代人は、現代におけるその生において、自分自身の「涅槃」
を見出せばよいだけのこと。開祖や経典に拘るのは、本末転倒といえよう。
273:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:49:19 betrjJ1O
>三昧のない仏教は考えにくいですね。
三学の内、定・慧に重きを置いたのが本邦の仏教ともとれる。
現代に至って「定」すら捨てるというのか。
仮にも「禅」を題目にする輩が・・・。
机なら机の言うことだからと、笑っていられるが、駒沢や花園にも似たような学者がいるからしゃれにならん。
274:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:55:21 JW0hNU6a
>>271
>どうすべきか、どう生きるべきかについては全く何も提示しません。
どう生きるかを「考える」ことは、「生きる」ことではない。それは、むしろ、
「死んでいる」状態である。
生きることの意味は、生きること自体にあることを悟って欲しい。
275:神も仏も名無しさん
08/12/25 11:57:45 betrjJ1O
すみません。「デレク・パーフェット」について紹介してください。お願いします。
276:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:01:33 betrjJ1O
>どう生きるかを「考える」ことは、「生きる」ことではない。それは、むしろ、
>「死んでいる」状態である。
>生きることの意味は、生きること自体にあることを悟って欲しい。
言いたい事は解らんでもないが、運転に集中するときは集中することが大切だが、行き先を調べるときには、地図を広げて行き先について考えることも大切。
それを正しく弁別することが大切。
277:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 12:10:45 V34fndlw
>>269
>『A』についての議論も又避けては通れないのでしょう・・・
帰納法的推論するならば、
何ゆえ輪廻転生なるシステム化されたものが必要なのか?
という大局的観点に立たねばならんでしょうね。
そのテーゼとは何か?
例えば「至上善」的なものを追求しようとする学問もある。
(これも今現在においては殆ど崩壊しておりますけど)
非常にファジーな概念でもって、
自己基準でカルマの清算をするわけですが、
これが普遍性を有しない限りは、システム化そのものも崩壊する。
システム化されなければならない必然性とかは、
全くレスポンされていないのが、
その証左やに思いますね。
278:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:12:23 JW0hNU6a
>>276
>行き先を調べるときには、地図を広げて行き先について考えることも
>大切。それを正しく弁別することが大切。
それも「現実の目的地」に到達するための「生の行為」。地図が「空想上
の地図」だったら、無意味。
人間の心身は、専ら、現実界のみで生存できるようにプログラムされて
いる。現実と空想とを混同したら、そのプログラムが狂い、生そのもの
が破壊される。
人間は、現実と非現実との区別を、専らその五感の知覚によってのみ
行う。
279:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 12:29:48 V34fndlw
>>271
>机さんの説は最終的にただの妥協になるので、
妥協というのは、ひとつの段階でして・・・
それを通り越して全てを捨て去る(修行もなにもかもです)まで逝かねばならんのです。
諦観というのは、そういう道しるべであるのです。
修行して何かを得るのではないですね。
得ることはなにもなくて、
ただ捨て去るだけなのです。
(捨て去ることのために修行をする、と言ってもいい)
そういう段階を経ませんと、本来の南宗禅にはならない。
(拙者はは我流で書いてるのではありゃ~せんのですよw)
>教えを聞く必要もないし、戒律も護る必要もない、
>禅定も..........
戒律はどうなんでしょうか?
あまり固執はしないですね。
一休は、肉も食べましたし、女も好んで食べたようです。
280:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:31:48 JW0hNU6a
釈迦もイエスも、その「生物的生命(生存本能)」がなければ、仏教も
キリスト教も存在しなかった。人間は、生物の一種に過ぎない。
宗教者は、この「生物的生命」という、人間のすべての営みの根源を
失念してしまっているように見受けられる。
すべての「宗教的観念」も、この生物的生命の機能に過ぎない。
生命は、すべての人間に共通する唯一の普遍の事実。これに反し、
「観念」は百人百様。何らの普遍でもない。だから、争いが生じる。
その正誤・正邪を判断する基準は皆無だからである。
今後の宗教、いやすべての人間の営みは、「生命」という根源に立ち返
らない限り、無意味なばかりでなく、争いの原因をもたらす、極めて
有害な営みであり続ける。
すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だから
である。
281:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:32:02 ueru0cDq
>人間は、現実と非現実との区別を、専らその五感の知覚によってのみ行う。
だれでも出発点はそこだよ。貴方は貴方の現実界という幻影の中で生きているだけ。
282:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:34:42 ueru0cDq
>>280
ははぁ。内山の亜流か?
283:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:46:15 JW0hNU6a
>>281
「現実(実在)」と「非現実(非実在・幻影)」との区別のテストは、
それが人間の生物的生存に直接の関係があるか否かである。
人間は、神仏を煮て食うこともできないし、衣服にして寒気を防ぐこと
も出来ず、幻の女を抱いても、子供は生まれない。一方、石ころでも、
道路を作り、家屋を作ることにより、人間の生物的生命の維持に役立つ。
そして、人間界は徹頭徹尾共同体だから、現実・非現実の判断は、専ら
共同体の不特定多数の成員の、「ほぼ共通の五感の知覚」によって行う。
従って、「現実界という幻影」という言葉は、言語矛盾である。
284:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:48:55 1r1Y6phq
>すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
>「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だからである。
これをこの論調で突き詰めると、戦争も殺人も認めるようになるよ。全体主義の究極形態だろう。
285:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:54:23 k2WT6WmN
>>283
トンデモスーパーマン・シャカムニ絶対主義が生命絶対主義に成り代わっただけだ、ということに全く気がついていないところが、愚か過ぎる。
健康のためなら命もいらない、と言った芸人の笑い話の何処が面白いのか、アンタわかんないでしょ?
286:神も仏も名無しさん
08/12/25 12:57:08 JW0hNU6a
>>284
人間は、独りでは絶対に生存できないのだから、生存とは、他者の生存
も含むのだよ。従って、この生存本能から、共同体形成・維持本能、自他
の死への恐れ、他者への思いやりという、本能や自然の感情が派生する。
純粋に生存のための戦争であれば、この生存本能による自動制御が働き、
適当なところで和解が可能である。宗教は、その「観念」によって、生存
本能を制限、変容、破壊するから、生存に関係ない宗教紛争においては、
この自動制御が働かず、相手を皆殺しにするまで止めることができない。
287:神も仏も名無しさん
08/12/25 13:02:47 JW0hNU6a
>>285
人間が生きている限り、いくら足掻いても、生命の絶対性からだけは
逃れることはできない。
「健康のためなら、生命はいらない」という言葉は、まさに宗教の矛盾
に当てはまる。
288:神も仏も名無しさん
08/12/25 13:37:52 8aNm8k2C
>>273
>三学の内、定・慧に重きを置いたのが本邦の仏教ともとれる。
なるほど。特に天台宗および、その分派はそうですね。
南都系と真言宗は、近代以前は少なくとも題目上は違った。
>現代に至って「定」すら捨てるというのか。
>仮にも「禅」を題目にする輩が・・・。
>机なら机の言うことだからと、笑っていられるが、駒沢や花園にも似たような学者がいるからしゃれにならん。
ですね。
>>275
デレク・パーフィットでした。失礼しました。
URLリンク(www.lifestudies.org)
論理的倫理学者で、仏教に深い共感を示しています。
私は、彼とダライラマ猊下とマチウ・リカール、石飛道子で
幸せになるための論理といった内容の論理と倫理に関する議論を
日本で実現したらいいなと思ってます。
289:神も仏も名無しさん
08/12/25 14:59:31 JW0hNU6a
>>288
「幸せになるための論理」という言葉だけで、すでに胡散臭い。
「幸福の科学」という新興宗教があるねw。
「幸せとは何か」を考えることが、先決だろう。
「自分の幸せ」と意図的に求めれば、それは遠ざかるものであることだけは、
間違いない。
290:神も仏も名無しさん
08/12/25 15:23:54 8aNm8k2C
>>289
>「幸福の科学」という新興宗教があるねw。
「幸福の科学」は>>271で言った「合理的かつ権威的で、お手軽な」伝統宗教+憑依系霊能を広告代理店が演出した感じですね。
正しく、私にはなんでこんなもの信仰できるか不思議でならなかった宗教です。
テキストがマンガレヴェルで、出来が悪すぎる。なぜ、日本の概説書に書かれている人物しか登場しないのか?
とか、内的な論理体系と実践的修行体系の欠如、つまり、どうゆう理由でどうすべきかが曖昧で、さっぱり理解できない。
>「幸せとは何か」を考えることが、先決だろう。
仏教的には、単純ですよ。苦の軽減、消滅した状態のことです。
>「自分の幸せ」と意図的に求めれば、それは遠ざかるものであることだけは、
>間違いない。
その場合、より正確に言えば「自分の欲望」ですね。
単純に言うと西洋論理学は、自己正当化、あるいは自己弁護の論理学だった。
その論理に基づく現代社会では個々が自分の欲望の正当性を主張して譲らない
苦しみを生み出すしかない社会、あるいは思想、論理である。
それに代わる新しい論理と倫理の模索を、その四人の方に話し合っていただきたいということです。
291:神も仏も名無しさん
08/12/25 15:55:35 eRLQmIeV
生命教は生長の家と内山の臭いがするw
292:神も仏も名無しさん
08/12/25 15:58:29 JW0hNU6a
>>290
>仏教的には、単純ですよ。苦の軽減、消滅した状態のことです。
仏教的な「苦」の本質とは、何ですか?「人生皆苦」では、人生の否定に
繋がるから、話にならない。
苦があるからこそ楽が存在し得る。「人生皆楽」は、「人生皆苦」と何らの
相違もない。
苦を滅すれば、他者の苦を理解し、共感する能力(これを、人間の成長という)
が育たない。
肉体的・物質的な原因から生じる苦は、科学が対応する。
純粋に精神的な苦は、自己中心主義から生じ、自我を離れて身近な他者へ心を
移すことにより、軽減し、消滅する。人間の本質が、共同体性である所以である。
293:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 15:59:35 T8Imcs1b
>>273
>現代に至って「定」すら捨てるというのか。
>仮にも「禅」を題目にする輩が・・・。
>机なら机の言うことだからと、笑っていられるが、駒沢や花園にも似たような学者がいるからしゃれにならん。
しゃれにならんかったら捨置すればよきこと。
捨てきれんとこに貴殿の迷いあり。
294:神も仏も名無しさん
08/12/25 16:11:37 8aNm8k2C
>>292
あなたですか、そうやって信念体系の異なるものを非難することが苦の原因でしょう。
そんな無駄なことは止めませんか。
295:神も仏も名無しさん
08/12/25 16:16:53 JW0hNU6a
>>291
「内山」って誰?聞いたこともない。
生長の家は、キリスト教の影響を受けた大本の系列で、「生命の絶対性」
など考えない。
296:神も仏も名無しさん
08/12/25 16:24:45 JW0hNU6a
>>294
ならば、仏教という「信念体系」そのものが苦の原因になるね。
あなたなりに、>>292に反論してみてください。
297:神も仏も名無しさん
08/12/25 16:35:59 8aNm8k2C
>>296
>あなたなりに、>>292に反論してみてください。
もう十分、話したでしょう。平行線で同じ内容を繰り返すのは無駄ですよ。
あなたは常識を確信している。私は仏教を確信している。
しかも、対象領域が全く異なる。無駄でしょう。
298:神も仏も名無しさん
08/12/25 16:55:49 IWNDj8Eo
また常識か?お前はどう
も常識という語を相手を
蔑視する際に使う癖があ
るようだが、非常識な妄
相に取り付かれている自
分をよくみてみる必要が
あるな
299:初代スレ7
08/12/25 17:08:25 wzjHZDF4
>>292
【悟りは】反仏教論の構築へ向けて・・・【逃避?】
スレリンク(psy板)
こちらへどうぞw
300:神も仏も名無しさん
08/12/25 17:09:05 qPfa885u
>>298
なぜ仏教にこだわっているのかな?
あなたのやりたいこと(非常識の排除)は
キリスト教に対してはやらないのか?
仏教のほうが常識に近いと思い込んで、
自分の思い通りに常識化して理解したって、
それは仏教ではないし、なにも得るものはないよ。
仏教を勘違いしているのではないか?
自分をよくみてみる必要があるな。
301:神も仏も名無しさん
08/12/25 17:29:52 IWNDj8Eo
>>300 誰が仏教にこだわ
っていると書いたか?
勝手に思い込んで妄想に
より書いているのはお前
の方だろ。
302:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/25 17:45:03 T8Imcs1b
>>252
>「釈迦は輪廻を説いてない」論の根拠というのは
>仏教のほかの部分で説かれている論理で言えば
>輪廻転生は成り立たない、というものなんでしょうか。
時制、つまり三時(時間のこと)については、そもそも現代論理学では無理なんですよ。
ですから「論理」というなら、古典インド言語哲学から学んだ方が早いですね。
でも、まあ、そこまですることもないですが・・・
ようするに、西洋哲学的な発想の「時間の実存性」において論考するのは、
ちょうど油と水を混ぜるようなもんです。
西洋とインドでは噛み合いません。
石飛道子が「ブッダ論理学五つの難問」の書籍を出しましたけど、
やはり無理がありますね。
石飛自身が「無理」ってのを言ってるわけですから。
あの本を買った方は大損しましたね。
303:神も仏も名無しさん
08/12/25 19:22:15 eRLQmIeV
「生命の絶対性」を信じるのなら
私の生命の前にひれ伏しなさい。
304:神も仏も名無しさん
08/12/25 19:24:20 oDYfYDK0
俺の生命の前にもひれ伏してもらおうか。
305:神も仏も名無しさん
08/12/25 19:33:08 NTMZuZP8
なんだかんだ言っても、
よーするに「死ぬ」のが怖いのだろ?
こういう発想自体が無明なんだけどね。
「生命の絶対性」だの「死の恐怖」だのって迷いと矛盾そのものなんだけどね。
『中道』という言葉は知っていても、なんにも解かっちゃいないということかw
306:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:04:47 JqL4YIjk
生命の絶対性を主張するバカと絶対的無関心を標榜するバカ。
対極のように見えるが、愚鈍という根っこで繋がっている。
>>286
生命の「絶対」を主張するもの同士が衝突すれば、どちらかが根絶やしになるまで止まらないだろう事は自明。
仏教という「宗教」は「ともに、是凡夫なるべし」という姿勢で致命的な衝突を回避してきた歴史がある。
虎のごとき好戦的民族である蒙古の民ですら、仏の教えで猫のごとく爪を隠すことを学んだ。
あんたの主張は、「妄想」「世迷言」でしかない。
307:宝珠愚者
08/12/25 20:11:50 2CddHNLY
仏教徒ならば、経典を拠りどころとするのは当たり前であり、尚且つ、そのことが最重要の姿勢とい
えるでしょう。そんなにあなた方が経典の内容とゴータマの説法が気に入らないのであれば、何も無理
して仏教を信奉する必要はどこにもない。これは理解できる心の開かれた者が自ら望んで摂取すべ
きなのであり、強制や仏教支配などではないのだから---どうぞ好きにして下さいな!
証明ねぇ・・・私は偶然にも昔、たまたま心霊存在による物理現象を目撃体験したことがある。重さ5
キロ程度もあろうかという物体がパッ!と勢いよく瞬間移動したんだな、本当にコレが!!(笑)
こんな俗人ですからもただ肉体が無いというだけでこのような物理現象を作用できるのであるから、
現象世界から解脱さけた仏陀が、その大いなる神通力を働かせていたとしても何ら不思議ではなく、
寧ろ何もないというほうが不自然で可笑しい。
何も神通力はゴータマだけの話ではなく、ゴータマ十大弟子のモッガラーナ「神通第一」、阿那律「天
眼第一」といった存在のことも知らないのか?
で、話は変わって、私からの質問状に対する返答が並川 孝儀氏より届いたところです。
佛教大学文学部人文学科教授/並川 孝儀氏
---インド仏教学専攻(原始仏教,部派仏教)
URLリンク(www.bukkyo-u.ac.jp)
私からの質問内容とは----
308:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:19:58 Akl4uHQZ
>>307
すごい・・・。
やりましたね。
いや。
やりすぎましたね!
いや、いや。
どっちでもいいからw
309:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:20:17 /GKwWKQH
>>306
「生命の絶対性」とは、宗教を含め、人間のすべての営みが、生命の
機能であるという、自明の事実を言っているだけ。
その意味で、宗教も、神仏概念も、生命の奴婢に過ぎない。
生命の絶対性を信じる者が、他者の生命を奪う訳がなかろう。
310:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:35:58 XyGXZhCo
>>303-306
>「生命の絶対性」を信じるのなら私の生命の前にひれ伏しなさい。
>俺の生命の前にもひれ伏してもらおうか。
人
(__)
(__)
(,,/)(ヽ,,) イナイイナイ・・・ ★ 感情的な汚い罵りと歪曲した傲慢な態度は
( )
'u ̄u'
人
(__)
(__)
(ヽ(,,・∀・,,)/) バァー・・・ 宗教にマイコン・嵌ってる証拠!!★☆
( )
'u ̄u'
311:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:38:24 qPfa885u
生命=エゴ
312:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:40:55 dVxLBZx3
>>309
「絶対性」が数値化出来るところに争いの種があることもわからんのか。
生命に絶対性をもたせたとて、現状は「全く」変わらないこともわからんか?
>>310
ごくろうさん。
313:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:44:05 XyGXZhCo
>>265
>>272
>>280
<ご隠居氏の論>は、パーフェクト!!スバラシイ!!ヽ(^。^)ノ
■すべての「宗教的観念」も、この生物的生命の機能に過ぎない。
■今後の宗教、いやすべての人間の営みは、「生命」という根源に立ち返らない限り、
無意味なばかりでなく、争いの原因をもたらす、極めて有害な営みであり続ける。
■すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だからである。
↑ は、万人に理解できる優れもの~、宗教を超えていま~す!!☆★
(・∀・)ノ オチ☆♪~☆★
314:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:51:31 B2TOdjtQ
すばらしい帰依ぶりですね。
315:神も仏も名無しさん
08/12/25 20:55:55 /GKwWKQH
>>311
>生命=エゴ
当たり前でしょう。エゴがなければ、生命の維持はできない。
しかし、生命は、独りでは決して維持することはできません。だから、
人間は、常に共同体を作って生存しているのです(共同体形成維持本能)。
そして、このことから、自他の死への恐れや他者の生存への思いやりが
生じます。他者が生存してくれなければ、自分の生存も危なくなる訳です
から。「情けは人のためならず」です。
仏教でも、「自利・利他」を教えているはずだが。
316:神も仏も名無しさん
08/12/25 21:14:53 NTMZuZP8
>>313
>生物的生命
ってあんた、非生物的生命があるみたいな言い方だなw
カルトの一歩手前~~~~~!
生命とはよーするにDNAなんだから、無明の奥にはDNAが鎮座ましましているわけだ。
>「生命」という根源に立ち返らない限り
無明を常に逆命題とする仏教は常に根源からの発想をしているのはとーぜんだ。
なにマトはずれをしゅちょうしてるんだあ?
>すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
>「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だからである。
馬鹿すぎてお話にならんw
それは無明絶対肯定論であって、仏教ではない!!!
真相はDNAによって生命現象が「無明」という状態でコントロールされている(一切皆苦)から、
それをいかに克服するかがブッダの本懐であり四聖諦の本質だ。
クソ馬鹿隠居の主張はDNAによる無明絶対主義主義であって、無明外道そのものだ。
自演(爆笑 ご苦労!
& アディオス!!
317:神も仏も名無しさん
08/12/25 21:15:17 SvLIBcAK
>>314
隠居とやらのマイコンの虜☆
隠居はいい儲に囲まれて幸せだなw
318:宝珠愚者
08/12/25 21:21:26 2CddHNLY
「生きものを(みずから)殺してはならぬ。また(他人をして)殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害す
るのを容認してはならぬ。世の中の強剛な者どもでも、また怯えている者どもでも、すべての生きものに
対する暴力を抑えて─。」(スッタニパータ394)
「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。已が身をひきくらぺて、殺してはならぬ。殺
させてはならぬ。すべての者は暴力におびえ、すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。已が身にひき
くらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。生きとし生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によっ
て生きものを害するならば、その人は自分の幸せをもとめていても、死後には幸せが得られない。生きと
し生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害しないならば、その人は自分の幸せ
をもとめているが、死後には幸せが得られる。」(ダンマパダ10:129-132)
味噌も糞も一緒に論じて、オウムや西欧の一神教徒らと一緒にされては困る。教えを勝手に守らず欲
望と破壊とに走る者を聖者にせいにするな!
319:神も仏も名無しさん
08/12/25 21:22:13 NTMZuZP8
>>315
あんた、それはアジタ的古い唯物論やって何回もゆーてるやないか。
もーええかげんにブッダの中道に踏み込んでこいや。
もっとも、ゴータマとアジタは近しいことを認めるにやぶさかではないw
320:神も仏も名無しさん
08/12/25 21:24:28 hIpZ3YvZ
>>318
そんなことはいいから、さっきの続きを首長くして待っているんですけど。
321:宝珠愚者
08/12/25 21:36:59 2CddHNLY
-----質問
一般的には「無我」といって、
輪廻する主体、アートマン存在が否定されたことになっているが、
しかし釈尊が述べたのは、正確には「それら(五蘊)はアートマンではない」
(いい換えるならば、「五蘊ではない存在がアートマンである」)という意味でしかなく、
よって、「非我」と表現されるほうがより正しいのではないかということ。
つまり、「アートマン存在を(無いものとして)否定した」言葉は
実際、一つもなかったということが、まず第一点。
輪廻転生を否定した場合には、
唯物的な外道思想の「断見」(死んだらそれで継続的生命が無くなるという断滅論)
ということになる、というのが第二点。
「毒矢のたとえ」として知られる「無記」とは、
形而上学的な問題について判断を示さず沈黙を守る姿勢のことですが、
つまり、直接に修行に必要ではない形而上学的な内容については説かれなかっただけで、
ここでも「アートマンは無い」などとは述べてはいない。
また、転生(再生)を現実的な現象として説いたとしても、
何ら沈黙すべき無記としての形状学的問題としては抵触しない。
これが第三点。
322:宝珠愚者
08/12/25 21:38:02 2CddHNLY
また、
因果律の延長上においても輪廻転生は必然的な見解であり、
これを認めなければ善行善果/悪業悪果としての業報思想に矛盾する。
因果としての輪廻転生は、縁起からみた場合、
時系列的な因果関係を示す限定の意味はなくても、
時系列的な因果関係として現れることはない、という証明にはなっていない。
これが第四点。
実際、輪廻転生を説く内容の経で溢れているのが現実であって、
輪廻転生をないものとして否定した経などは一つも存在していない。
これが第五点。
以上の理由からみても、
私は、史実としての釈尊が実際に輪廻転生を説いていた可能性は
かなり高いものと考えています。にも関わらず、
仏典で記述された膨大なその部分を意図的に排除する
最近の方向性というものは如何なものでしょうか?
それとも文献学上、釈尊がそれを説かなかったという、
つまり後世の経典制作上の附加増大に依るものとの
学術的な確信と方向性が高まったということなのでしょうか?
-----------------------------------------------------------
届けられた氏からの返答とは・・・
323:神も仏も名無しさん
08/12/25 21:59:24 eRLQmIeV
>315
ただ「神」を「生命」と読み替えただけか・・・つまらん。
で、生命教ではその生命はだれが作ったんだ?
324:神も仏も名無しさん
08/12/25 22:04:57 /GKwWKQH
>>323
>生命教ではその生命はだれが作ったんだ?
それを思考するのも、生命の機能w。
325:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:04:40 qPfa885u
それじゃ答えになってないことが分からないのは、
科学バカだからなのかな。
326:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:09:48 NTMZuZP8
>>321
>一般的には「無我」といって、
>輪廻する主体、アートマン存在が否定されたことになっているが、
>しかし釈尊が述べたのは、正確には「それら(五蘊)はアートマンではない」
>(いい換えるならば、「五蘊ではない存在がアートマンである」)という意味でしかなく、
>よって、「非我」と表現されるほうがより正しいのではないかということ。
しかし前スレで 宝珠愚者はこう引用しているではないか、
612 :宝珠愚者:2008/12/20(土) 00:58:43 ID:5LoFzwjn
『「大徳よ、無我、無我と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなることを無我というのでありましょうか」
「ラーダよ、色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。行(意志)は無我である。識(意識)は無我である。
おそらく定評のある増谷文雄氏の訳だが、明確に「無我である」と主張し、「我ではない」「我に非ず」などとこじつけ訳はやっていない。
これに対し
615 :神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 02:42:16 ID:hoPT5oc1
ブッダの所説は一切内においては「無我」であって非我ではない。
一切外においては“無記”であって非我ではない。
非我説は完全な誤り。
宝珠愚者は>>615に対しなんらの反論もできていない。
中村元説のこじ付け的ご都合主義的援用にしかすぎない。
327:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:20:11 m2jdSMhd
いや、「我ではない」と「無我である」は同じことなのでは?
無我説というのは全称的に「我はない」という理解していたんだけど、違うの?
328:神も仏も名無しさん
08/12/25 23:40:05 NTMZuZP8
>>321
>輪廻転生を否定した場合には、
>唯物的な外道思想の「断見」(死んだらそれで継続的生命が無くなるという断滅論)
>ということになる
宝珠愚者は、ブッダがメタコードの空=中道を説かれている意義がいまだに!解かっていない。
「無記」については前スレ>>615の通りであり、経験主義者として当然の態度だ。
戯論を吐きまくる君たちと違って、大人なんだよw。
縁起はほとんど偶然性のカオス的因果関係の集合であり、善因善果論のような
超単純素朴な価値論で判断できるものではない。世俗においての善悪価値判断などというものは
実情無視の単純素朴な共同幻想を想定してのみ成立しうることであり、
普遍的価値としての善悪などというものは幻想にしかすぎない。
宝珠愚者の論は具体的歴史現実を無視した抽象論にしか過ぎないのだ。
>史実としての釈尊が実際に輪廻転生を説いていた可能性
仏典に記されていることを否定するものは誰もいない。
しかし、それは勝義中道=涅槃へ目覚めさせるための方便であり、フィクションだと言っている。
現にジャータカが子供向けのおとぎ話=フィクションだと認めているなら、
ほとんどがマトモな教育など受けたことのない大人向けのおとぎ話=フィクションを方便として語られても
なんら不思議ではないのだ。
もういいかげんにしたら?