【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3at PSY
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3 - 暇つぶし2ch1:宝珠愚者
08/12/20 20:06:14 5LoFzwjn
---論題---
 業道輪廻転生を否定する、これで仏法者か
  URLリンク(www2.big.or.jp)
 死後の世界や輪廻転生の邪説を厳しく批判
  URLリンク(www2.big.or.jp)

仏陀から約2500年を経たが、
現代においてもまだ見解が二分しているこの問題。
もう、そろそろ決着をつけませんか? 
子供たちに教える場合にも困るので、仏陀は説いたのかそれとも説かなかったのか?
肯定派と否定派、両者からの屈託のない活発なご意見を是非、宜しくお願いします。
決着の暁には見解を誤っていた側は、
男らしく女らしく、スッキリとこれまでの姿勢について清く改めましょう!

*仏陀の教説として最も信頼性が高いとされる原始仏典からの引用と解説は特に歓迎します。  
スレ2スレリンク(psy板)
スレ1URLリンク(gimpo.2ch.net)

2:宝珠愚者
08/12/20 20:08:36 5LoFzwjn
スレ2が要領オーバーで投稿不可となりました。
再び、皆さんからの活発なご意見と情報を宜しくお願い致します!


>>684
>>先ず己の信じるところがあって文献を恣意的な解釈によってそれに近づけることは学術的なことなのか?
>学術的ではないでしょうねw しかし、「恣意性」を100%取り除くことは可能なんでしょうかね・・?w
>というよりも、

 私はいいと思います。
 主観に拠らず客観的な事実を見出すのが学問でしょうが、しかし、一つの仮説(自分の考え)がを立てて、
それを実証できる事柄を見出そうとすることは、ごく普通になされることだと思います。
 要するに、その結果として自分の仮説の間違いが確認されたならば、それもまた一つの事実となります。


>>695
確かにこれは、あなたのご指摘の通りだと思います。
これは次の課題というか、もう一つ別の課題というわけです。

尚、私は仏典(仏教思想)以外にもこれを説明する術を持っています。
私が理想とする社会は、人間の生まれ変わりを当たり前の事実として
人々が認識して生活するという社会の創造にあります。
それは家庭では両親が、そして学校では道徳の時間などでこれを学ぶようになる。
その時代においては、
「宗教が説く思想の一つに過ぎない」といったレッテルが外れるのです。

3:神も仏も名無しさん
08/12/20 20:08:54 wWGG4dtQ
仏教に、「輪廻転生」や「霊魂」などという観念を持ち込んだら、仏教は、
単なる「オカルト」「カルト」に堕し、無価値なものになる。

仏教の最大の意義は、「関係性(空)の原理の発見」であるはず。

キリスト教を根底から批判したニーチェは、仏教は「唯一の実証的宗教」「心
の衛生法」としてきわめて高く評価し、またキリスト教神学者さえも、「キリ
スト教が今後向うべき方向は、仏教の空」とさえ言ってるのだが。

「輪廻転生」の概念は、人間の精神にとって極めて有害であるので、仏教から
早急に除去することが必要。「脅し」によっては、「悟り」は絶対に生じ得ない。


4:神も仏も名無しさん
08/12/20 20:16:02 RHiQGTDM
>>前スレ703

来世がミジンコでもいいから、今世で机と同列に扱うのは、よしとくれ。

5:宝珠愚者
08/12/20 20:16:36 5LoFzwjn
>>3
そこが問題なのでしょうね。
「空」なのは、この現象世界のことですよ。
この現象世界は不変であり、これが輪廻していると説いているのです。
姿が変わっていくのを実在とはいわない。常に流転していく・・。
これが「空」の性質だと。

「輪廻転生」の概念が有害という見方しかできないのであれば、
その人は仏教を信奉しなければ良いだけではありませんか?これは仏教による世界支配ではないのです。
その有害?な輪廻の世界から脱することを説いてるのが仏教ですよ!

6:神も仏も名無しさん
08/12/20 20:24:46 RHiQGTDM
ほろほろと 鳴く山鳥の声聞けば 父かとぞおもふ 母かとぞおもふ

世の中に あだにはかなき 身を知れと おしえて帰る子は 知識かな

7:宝珠愚者
08/12/20 20:28:51 5LoFzwjn
失敗しました--前スレ番号には>>アンカー
は、つけないようにお願いします(当スレの投稿番号と誤ってリンクするので)!
また、スレ1-2のリンクアドレスが逆でした(失礼)。

唯物論者も、または仏教思想のその部分だけがネックとみている方も・・
つまり、「転生」現象や生命(意識)の「不死性」が確認されればいいわけですよね?
そうなれば議論の余地なしと!!
私はもう近い将来にそれが起こるものと信じています。
ですから、その点においては割りと楽観的です。
たぶんね・・。

8:神も仏も名無しさん
08/12/20 20:29:45 7YKn1B7H
>>3
>単なる「オカルト」「カルト」に堕し、無価値なものになる。

価値がなくても別にいいんじゃないでしょうか。
それと知らずに自陣に組み入れようとするよりはましでしょう。
そんなことするまでもなく、仏教から都合のいいところ、気に入ったところを
自分なりにアンチョコするだけで十分だと思いますけどね。

>仏教から 早急に除去することが必要。

ここで問題になっているのは、「これまでの仏教では」どういう扱いだったかですね。
除去したり追加するのは他所でやることではないでしょうか。

9:神も仏も名無しさん
08/12/20 20:40:58 OHXDgNWY
スレ2#689
>ということは、「実在」という言葉(或いは概念)は、中論が初出でしたか。
>勉強になりました。ありがとうございます。

違います。原語は svabhaava です。自性と訳されますね。
アビダルマで中心概念になったと思われます。

スレ2#691
>「実在する」ということと「ある(存在する」ということとの違いはどこにあるのでしょう?

「実在する」という場合、素朴実在論に立つ一般の信念のように
見えるものがそのまま自立して、独立して存在するという意味で使ってます。

「ある」「存在する」という場合は、仮設された流通する言語習慣として使ってます。

もちろん、一般の言語習慣では、この二つは区別しないでしょう。
ですが、仏教を説く場合、このように説くのは釈尊からの伝統だと思います。
中観では、明示的に説かれますが、釈尊は暗示的に説かれます。
釈尊のこの語法を初めて指摘したのは、石飛道子先生です。
この方は、天才じゃないかと思ってます。

10:宝珠愚者
08/12/20 21:28:58 5LoFzwjn
追記:>>2
「確かにこれは、あなたのご指摘の通りだと思います。
これは次の課題というか、もう一つ別の課題というわけです。」
は、スレ#2/695に対するレスです。(スレ落ち前に書いときます)

> 何だか「輪廻転生」が仏教の中心問題のようなスレだね。釈迦が言ったから、仏典に書いてあるからとい
>うことだけで、無批判に信じることを、単なる「盲信」「狂信」と呼び、無意味な営み。あくまで、現代人の立
>場からの、意義を考えるべき。釈迦が輪廻転生など言ったとしても、現代人の立場からは、そんなものは
>何ら証明できないのだから、単に「釈迦の誤り」として訂正するだけでよい。仏教者が、「輪廻転生に対す
>る恐怖」から、一生懸命修行しているとしたら、これほど浅ましく、滑稽な姿はない。 大多数の生活者たち
>は、もっと悟っている。悟れないのは、仏教者だけと言うことになるではないか。

11:宝珠愚者
08/12/20 21:29:54 5LoFzwjn
 削除していいの??

 輪廻転生の思想の何が有害だと主張するのか?については、今回の議論においては初代スレ5さんや、
その他の皆さんのご意見で、なるほど大体のところが見えてきました。なるほど・・いいたいことの意味は
概ね理解できるつもりでいます。

 しかし、仏典においてそれが説かれている。しっかりと記述されているという事実は誰しも認める以外に
はない。これが現実です。「空」についての勝手な解釈、嗚呼・・から否定しようという方もいますが、この場
合は世俗諦として有効で必要な記述と見なしているのか?できれば不要ではなく、無いに越したことはな
いと見ているのか?
 何れにせよ、では仏典の輪廻転生について述べた記述は、何故、今日まで削除されずに伝えられてきた
のだと思いますか?経典として初めてこれが文章化されてから、一体、もう何年の年月が経過したのでしょ
うか?これは本当に気の遠くなるほど膨大な時間の中で、大切に大切に護り続けてきたことになる教典の
記述ですよ!2600年間、ま~文章化してはそうじゃないけれど、その間の仏教信徒たちが今日まで大切に
継承し続けてきた教えですよ、これは間違いなく。その重さを理解していますか?

 私は、ただの無信仰な唯物論者がいうのならば分ります。
しかし、仏教徒がこれを削除しろ!というのは、皆さんは如何ですか? 
---本当にその考え方には誤りはありませんか?

12:神も仏も名無しさん
08/12/20 21:41:43 UbzoDIzL
前スレ552
>教祖は自分の子にラーフラ(障碍・しょうがい) と名付けたらしいけど、頭がやはりおかしいピカ?  

確かに悪魔と名づけたとも聞いたりするし、苦ばかり言うし・・・うつ病か、それとも、ご苦労無しだった?(笑

実在か物語の主人公か知らないけど王子さまで何の不自由もなく周りから持ち上げられ毎日据え膳の環境
で育てばそれが当たり前で何の喜びも感謝も出ないし退屈になるのでは?
だから、苦をものすごく大きいものに感じたのかもしれません。
一般人は、3日もライフラインが断たれれば不便になり困ります。水道・ガス・電気・・が通ればホントに助かるし、
入浴で心身がリラックスできれば幸せだし、食事にも感謝出来るし、寝ることも休めることも有難いし、どこも痛く
なければ有難い。それもいろんな苦労があったから分かることとも言えなくもない。だから、苦労の多い人は、
死んだ後は極楽行きに決まってる~(笑

皆、死ぬ前は苦しむから後は、安らぎと休息が待っているょン(笑

前スレ695
>釈迦が輪廻転生など言ったとしても、現代人の立場からは、そんなものは何ら証明できないのだから、
単に「釈迦の誤り」として訂正するだけでよい。

同意。釈迦も只の人間。お腹壊し苦しんでこの世を去ったのだから当然ミスもある筈。

大昔の娯楽も少ない社会で宗教団体の営業理由で持ち上げられ神格化されすぎた感あるし、経典も多すぎでは?
イエスも同様なことが言えるのでは?


13:神も仏も名無しさん
08/12/20 21:46:24 UbzoDIzL
>>4
>来世がミジンコでもいいから、今世で机と同列に扱うのは、よしとくれ。

あはは・・・(笑
全々、煩悩・執着が滅していませんね。残~念!!ヽ(^。^)ノ 

お先に、オヤスミ~ン☆♪~(。・_・。)ノ


14:神も仏も名無しさん
08/12/20 21:56:47 NVzra+9F
>>1
宝珠愚者さまの(西洋コンプレックス仏教者にとっては)危うい提議は、現代仏教学においてもトレンドなのであります。
ゆえに最終決着は[3]にまでもつれこみ、スレたて乙であります。

15:神も仏も名無しさん
08/12/20 22:12:33 DWs8tr78
ふと思ったんだが、輪廻転生を釈尊が説いたとする人は、梵天勧請の話や、
夜叉や神々が釈尊と話したりしていることも、
おとぎ話としてではなく、経典に書いてあるのだから仏教である、
と捉えているんでしょうか。
まさか、そんなことはないですよね。


16:神も仏も名無しさん
08/12/20 22:22:40 NVzra+9F
私は純粋な「仏教徒」ですが、「オーラの泉」ファンですよ。何か?

17:神も仏も名無しさん
08/12/20 22:39:32 9RHyVMGi
>>16 そういうのは純粋
な仏教徒とは言わない。
オカルト仏教徒と言う。

18:神も仏も名無しさん
08/12/20 23:12:20 NVzra+9F
オカルト(occult)とは元来は「隠されたもの」という意味のラテン語に由来する表現であり、
目で見たり、触れて感じたりすることのできないことである。
そのような知識の探求とそれによって得られた知識体系は「オカルティズム」と呼ばれている。
ただし何をもって「オカルト」とするのかについては時代や論者の立場等により見解が異なる。
この語はヨーロッパにおいては、論敵にレッテルを貼るために使われてきた歴史を持つ。
特に正統派を自認している側から、そうではない側をこの名称で呼ぶことが行われた。
ただし、その正統派が誰なのかという点は時とともに変遷する。
例えば、アイザック・ニュートンが「万有引力」を提唱した時には、
同時代の学者たちから"オカルト・フォース"を導入しているとの非難が浴びせられた。
だが、その後はニュートンの説のほうが次第に正当との扱いになり、
"オカルト"ではなくなり、レッテルを貼っていた側のほうが非正統派となってしまったわけである。


19:神も仏も名無しさん
08/12/20 23:12:46 NVzra+9F
またこの事例は自らの理論体系・知識体系がその一部に(万有引力のようにまさしく)、
「目で見たり触れて感じたりすることのできないこと」を含んでいても、
論者自身は通常それを"オカルト"とは呼ばないものであるということも示している。
そもそもこの語がこのような使われ方をする別の理由としては、立場が異なる知識体系の内容はそれがどんなものであれ、
大抵はとりあえず慣れないうちはひどく意味不明であり、まるで得体の知れないものを扱っているように感じられることから、
"隠されたもの"という語があればその語を用いて非難してしまいたくなるという人間の心理上の事情もある。
宗教や信仰の分野においてもそのような原理は働いており、自らの信仰体系とは異なるものは即「オカルト」と呼ぶことにもつながる。
実際、キリスト教が正統派とされていた(あるいは自身でそう自認できた)19世紀のヨーロッパにおいて、
いわゆる"正統派キリスト教会"の信仰体系とは異なる信仰体系(異教)が復興してきた時には、それが「オカルト」と呼ばれることになった。
この歴史の影響から「19世紀以降の、正統キリスト教以外の平常の生活から隠された人間の知識を超えた神秘の研究と、
その結果である神秘主義体系がオカルティズムと呼ばれる」と解されることもある。
今日では伝統宗教からはずれた"異端"宗教、民間宗教、宗教的俗説のようなものに限らず、
単に「一般的でない知識」まで「オカルト」と呼ばれることが多い。

20:初代スレ7
08/12/20 23:25:55 8i/irQ3z
いつの間にwwwww


>> 前スレ642
とりあえずヒント的な事だけ書き込んでおきます。

警察官が万引きや強姦をしたらどう思われるか、ということです。
明らかに法に触れる行為でなくとも、警察官が(制服を着た状態で)、
街中(まちなか)の喧嘩を(楽しげに)傍観していたらどう思われるかということです。
消防士が(制服を着た状態で)煙草のポイ捨てをしたらどう思われるかということです。
医者が、必要な治療行為をせず、治療を長引かせていたらどう思われるかということです。

「果報」は、上記の逆の事象の時に生じ得るものですね。

サンガへの「信」は上記と関係しますが、
「教え」に対しての「信」は、【語られたことが、聞者の“腑に落ちる”かどうか】に懸っているということです。
【頷き】という言い方をしている点を重視してください。

21:神も仏も名無しさん
08/12/20 23:27:52 9RHyVMGi
必死だなwww

22:初代スレ7
08/12/20 23:32:57 8i/irQ3z
>>9
やはり、
「『仏教で言う(→“中論”で言う)実在』は、縁起しない」 という、ただそれだけですねw

『仏教外での実在』は「縁起するもの」でも構いませんよね?
如何ですか?w

(´ー`)y━~~

23:宝珠愚者
08/12/20 23:36:49 5LoFzwjn
>>15
>梵天勧請の話や、夜叉や神々が釈尊と話したりしていることも、

 私は原理主義者(一句たり逃さず書かれてある通りの意味として受け取る)ではありません。書かれ
て在ることの背景であったり、その前後の文脈であったり、いろいろな要素からみて判断します。原始
経典については、私は概ね記述通りでいいという部分が圧倒的だと見なしています。
 ただ、梵天勧請での「梵天」(ブラフマン/プラフマー)というのは、ゴータマ自身の心の中での葛藤にお
ける「良い思考」(これは我々にとってのかな?)を象徴的に示しています。
 ゴータマが苦行に精進している最中に出現した悪魔ナムチの例は、苦行を辞めるよう誘惑してきます。
これも辞めてもっと世間的な善行で十分に良いのではないか?ここまでする必要が一体どこにあるの
か?といった心の中に自然と湧いてくる想い「悪い思考」をそのまま表した象徴です。
 つまり、心理描写の文学形式の表れなのです。

24:宝珠愚者
08/12/20 23:37:20 5LoFzwjn
 「(悪魔)ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいてきて、言った、あなたは痩せてして、顔色も悪い。
あなたの死が近づいた。あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。きみよ、生きよ。
生きたほうがよい。命があってこそ諸々の善行をもなすこともできるのだ。あなたがヴェーダ学生としての
清らかな行いをなし、聖火にに供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる。(苦行に)つとめはげ
んだところで、何になろうか。つとめはげむ道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい」この詩を唱えて、
悪魔は目ざめた人(ブッダ)の側に立っていた。かの悪魔がこのように語ったときに、尊師(ブッダ)は次の
ように告げた。─「怠け者の親族よ、悪しき者よ。汝は(世間の)善業を求めてここに来たのだが、わた
しはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。
わたしには信念があり、努力があり、また知慧がある。このように専心しているわたしくしに、汝はどうして
生命をたもつことを尋ねるのか? (はげみから起る)この風は、河水の流れも涸らすであろう。ひたすら
専心しているわが身の血がどうして涸渇しないであろうか。(身体の)血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れ
るであろう。肉が落ちると、心はますます澄んでくる。わが念いと智慧と統一した心とはますます安立する
に至る。わたしはこのように安住し、最大の苦痛をうけているのであるから、わが心は諸々の欲望にひか
れることがない。見よ、心身の清らかなことを。」(スッタニパータ426-435)

25:宝珠愚者
08/12/20 23:37:56 5LoFzwjn
 また、ゴータマは悪魔(マーラー)の正体については明確に解説してもいます。

 『「大徳よ、悪魔、悪魔と仰せられますが、大徳よ、いったい、なにを悪魔と仰せられるのでございますか」
「ラーダよ、色(肉体)は悪魔である。受(感覚)は悪魔である。想(表象)は悪魔である。行(意志)は悪魔
である。識(意識)は悪魔である。
 ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、
想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪を離れることができる。貧を
離れることによって、解脱する。」』(相応部経典23-11/羅陀相応魔)

 私は「夜叉」やその他の「神々」の登場についても同様、質問者の代表として、ちょうど相応しいようなバラ
モンの神々を用いて象徴的に文学作品として用いているものと見なします。バラモンの神々が仏陀に降伏し
て賛美するような使い方など・・。
 ただし、私個人は神(唯一神)の属性としての力の象徴(個々の神々)を否定している人間ではありません
が、ゴータマは説かなかったとみています。

26:宝珠愚者
08/12/20 23:44:14 5LoFzwjn
訂正:
>>5
 × この現象世界は不変であり、これが輪廻していると説いているのです。
 ○ この現象世界は「無常」であり、これが輪廻していると説いているのです。
>>11
 × できれば不要ではなく、無いに越したことはないと見ているのか?
 ○ できれば「必要」ではなく、無いに越したことはないと見ているのか?

27:神も仏も名無しさん
08/12/20 23:50:21 lPF+zdeV
べにくらげ=不老不死
URLリンク(ja.wikipedia.org)

クラゲが再びポリプに戻ることが発見され

28:初代スレ7
08/12/20 23:50:56 8i/irQ3z
>>23
>書かれて在ることの背景であったり、その前後の文脈であったり、いろいろな要素からみて判断します

貴方は、前スレ656のどのコースなんでしょうね・・w

或る記述は
>書かれて在ることの背景であったり、その前後の文脈であったり、いろいろな要素からみて
字句通りではない誇張・譬喩・文学的表現と読み、
或る記述は
>書かれて在ることの背景であったり、その前後の文脈であったり、いろいろな要素からみて
真実と読む。

貴方は、自身の中のこの区分に一貫性があるという自負がありますか?
あるとすれば、それはどのような裏付けによるのでしょう?


自身の体験(仏陀・阿羅漢の体験の追体験)?

29:初代スレ7
08/12/21 00:09:44 7pNx+QKj
さて・・寝るか・・・

ノシ

30:初代スレの5
08/12/21 00:20:43 ygF8KWQN
前スレの671さんと703さんが、同一人物であるとの認識の上、レスのお礼を
申し上げます。  了解しました。

31:宝珠愚者
08/12/21 00:21:59 xV9rxDjk
>>28
 その返答は難しいです。その前後と及び全体としてみて整合性が取れているかどうか?といった観点は
やはり、とても重視します。あくまでも「そこに書かれてある事柄について」それぞれに!です。
 整合性ある全てを説明し得る見解を最も正しい解釈の可能性が高いものとして判断します。これは主観
による判断であり、正しい可能性のことです。100%絶対ということは有得ない。読む人によっては当然、異
なる人も出るでしょう。もしも、ゴータマがここにいれば回答してもらえるか、何かしらの反応を期待すること
ができ、それによって解釈の是非を追加確認することが可能になります。しかし、それは不可能なわけです
から、これは止む得ないことです。つまり、自分の見解が正解に当たった人が得することになるのですw

 何故、それが正しいといえるのか?などと、そういう反応しか感じられない方は、どうぞ自分で好きに解釈
すればいいだけのことですよ。誰にもそれを制止することはできないのだから。違いますか?
 この私が如何なる論証をして、「コレコレが絶対に100%唯一にして正しい!」として主張しようとも、否違う
な!と感じる人は、それはそれでいいのではありませんか?
 私の見解にもしも正当性があるならば、同意する人はきっと増大するであろうし、それでも否違うぞ!とい
う人も当然でるでしょう。

32:宝珠愚者
08/12/21 00:44:33 xV9rxDjk
>>23
>貴方は、前スレ656のどのコースなんでしょうね・・w

 素晴らしい分析シートでしたが、残念ながら私はあのような分析は殆ど無価値と見なします。単純な内容
ならは効果は期待できるでしょうが、宗教の内容は無理です。何故なら、あのような分析では「限定」が生じ
るからです。初代スレ7さんは限定したいがために用いようとしているのかもしれませんが・・。

 仏典のある部分については「E1:語られた通り」またある部分は「E2:誇張して(譬喩表現として)」、そして
またある部分については、「詩的・文学的表現として」であろうし・・。全部もしくは全体をコレとして決め付け
ることができない、というのが残念ながら仏典の中身なのです。どこがどっちになるのか?それは自分で読
み解いていくです。自分で読み解けない人は他人の解釈の評価によって選択する手段に出たりするのだろ
うと思います。

 私個人は、他人様ご本人それぞれの判断のあり方について、といった分析、等々には興味ないです。

33:初代スレの5
08/12/21 04:43:41 ygF8KWQN
少し、調べてみましたが、「主体設定を否定する輪廻思想」というのは
どうやら、『サンユッタ・ニカーヤ』の釈迦とアチェーラ・カッサパとの
問答、および、龍樹の『因縁心論』あたりが論拠みたいですね。
簡略化すると、「主体を否定する代わりに、その『行為』そのものに
スポットライトをあて『因』として、次の生という『果』の形成力とする。
つまりは、現象の連鎖ですね。」
しかし、やはり、ひとつの『死』という因が、なぜ次の『生』という果の形成力
になるのか? その必然性の説明、メカニズムの記述は、ありませんね。
やはり、そこはブラックボックスのままです。
(比喩として、おもしろいものは二三見かけましたが)

そのあたりが、仏説における輪廻思想の限界なのでしょうか?
後は自分で悟って理解するしかないと。

34:神も仏も名無しさん
08/12/21 07:21:25 roKmYc3v
>>33
今使っているパソコンのことを、あらゆる部品やそれについての構造、素材や成り立ち、原子や分子、素粒子レベルに至まで全て理解して使っていますか?

35:初代スレ7
08/12/21 08:40:06 7pNx+QKj
>>32
>     ある部分については「E1:語られた通り」またある部分は「E2:誇張して(譬喩表現として)」、そして
>またある部分については、「詩的・文学的表現として」であろうし・・。全部もしくは全体をコレとして決め付け
>ることができない、というのが

仰る通りです。あの図表に於けるEは、『仏典全てがそのようである』ということを必ずしも意味しません。
(勿論、そのように考えることをもまた妨げるものではないですが・・。)

ああした図表を用いる弊害は、画一的思考・画一的分類を誘引してしまうことでしょうね・・w
前スレ658や686、或いは今回の貴方レスのような反応を・・・。

私が(あの作業で)示したかった重要なポイントは2点あります。
1点は、意見の相違を単純に『否定・肯定・無記』の3種に分けられない性質を持つということ。
2点目は次に再掲する点です。
(私は貴方の誠実さを感じていますよ。前スレ343に対しての返レス369・370や今回の答え方等に。)

>重要なことは、(逆ツリーを考えて辿ってみるとよく判りますが)、
>【Eのどこからスタートしても】【A1・A2・A3全てに辿りつける】ということです。
>それが何を意味するかと言うと、【AとEを繋ぐ“途中経過の部分”をどう見るか】に懸っているということです。
>仏典にどう書かれているかは勿論重要ですが、それだけでは(このスレ的)答えは出ない、ということです

36:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/21 08:56:57 6WJyF2Au
>>33
>しかし、やはり、ひとつの『死』という因が、なぜ次の『生』という果の形成力
>になるのか? その必然性の説明、メカニズムの記述は、ありませんね。

因果関係といふのは必然性といふよりも偶然性ですよね。
ですから「現象の連鎖」といふのは有り得ない。

「形成力」とか「メカニズム」とか、法則的なものはない。

株式市場を例にすると、
市場が開く前、ファンダメンタルズの情報がいきわたっても、
引け(結果)はどうなるか全く分らない。
経験的に「ある程度は予想ができる」。ってだけですね。

競馬場を例にすると、
本命と対抗が、必ずしも連勝式連番で大当たりするとは限らない
経験的には、本命とか対抗を外して大穴を狙うとか?
こういう人もいる。

結婚を例にすると、
結婚相手が、必ずしも幸福を約束してくれるとは限らない。
(この場合、えてして外れる場合が多い)



37:初代スレの5
08/12/21 09:53:00 ygF8KWQN
>>34 話を極端化しすぎてます。
例えば、私たちはTVの詳細な構造を理解していなくても、その
大まかな情報伝達システム、すなわち、TV局の発した情報が電波により
受信機に伝わり、そこでその情報をもとに音声、映像を再生するということは
理解しています。 私の言いたいことは、「その核心部分である、情報伝達
システムの『概要』の説明がない。」 ということであって微細構造の説明
を求めてるわけではありません。

>>36 仰ることは、よくわかります。しかし、
>因果関係といふのは必然性といふよりも偶然性ですよね。
ですから「現象の連鎖」といふのは有り得ない。

と、このようにしてしまいますと「業報思想」が、崩壊してしまいます。
この思想においては、『果』があれば、必ずその『因』を求めます。
結果を単なる確率の収束とは、見做さず、あくまでも「隠れた変数」を主張する
のが、この思想のスタンスです。


38:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/21 10:47:26 6WJyF2Au
>>37
拙者は「空」を「第一義」としたところに先人の智慧が隠されているのかと思ひますね。
どういうことかと言いますと、
例えばですが、
嫁さんを貰って(因)、そして苦楽を共にし(縁)・・・
結果として晩年(果)にはどういふ嫁さんになってるか(業)?
ってのを考えたら宜しいかと思ひまふ。

重要なのは縁ですね。
因果というのは、それに付帯するもの。
ということは・・・

>あくまでも「隠れた変数」を主張するのが、この思想のスタンスです。

「隠れた変数」といふよりも、
「因果」とか「業報」とかは、「そう名づく形態」ですよね。

人間が社会生活を営むうえで、コミュニケーションとしての論理構成上における
コンセンサスとして「そう名づく形態」というのはありますよね。
つまり、便宜上において必要なもの(言語とか)。
これを仏教では世俗諦としている。

もちろん、この世俗諦も重要ですけど、
勝義諦になりますと、こういった世俗概念の殆どが意味抹消になってしまいます。
ですから、
世俗諦のまんまで論考しましても、
それは世俗の範疇でしかない。って、結果になってしまう。

(つづく)


39:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/21 10:48:28 jVTnJ5KS
(つづき)
自灯明・法灯明といふのは、こういった「そう名づく形態」を拠りどころとして
法(ダルマ)まで到る(彼岸まで到る)ということでして、
彼岸まで逝きますと、
それまでの方便(方法)は必要なくなる。
乗ってきた筏(いかだ)はいらない。ってことになりまふね。


40:1/3 初代スレ7
08/12/21 11:02:17 7pNx+QKj
>>前スレ462
> しかし、仏教には「無自性」 「空」 「一如」  などの「個」を否定する思想
> もあります。 果たしてこれらの思想と業報思想は両立し得るのでしょうか?

「一如」はともかく、「無自性」「空」或いは「無我(非我)」は、「個」を否定するものではありません。
このスレでもよく見られる言い方として「仮設されたもの」というのがあります。
また、「仮和合」という言い方がされることもあります。(「個」は「仮設されて“ある”」と言えるでしょう。)
≪(因により縁により)「個」【として】現れているが、それは「無常」「無我」なるものであり「縁起」するものである≫
と見れば解決できる話です。(「個」を完全否定してしまっては自灯明(自洲)の譬えが霞んでしまいます。)
「世俗で見れば、唯一最後の拠り所として「個」にすがる」こともできますが、
「勝義に於いては、そのようにすがれるものではない」と言うこともできます。
仏教で「真実(諦)(sacca)」とか「如実に(あるがままに)(yatha^ bhu^taM)」とか
“正しい見解”“正しい行い”“梵行”などの際の「正しい(samma^)」や「梵(brahma)(すぐれた・清浄な)」とか
「聖なる(ariya)」などと言われる時、それは
「仏教という枠(視線)の中で」ということです。「仏教では」ということです。
「“涅槃に資するかどうか”という基準に立っている」とも言えます。

41:2/3 初代スレ7
08/12/21 11:03:16 7pNx+QKj
勝義と世俗の二諦を設けることに異を唱える人もいますが、私は重要だと思っていますし、
寧ろ、この二方向の視線なくしては仏教はありえないと考えています。
この時、私自身注意したいと思っているのは、
「この勝義と世俗の間を断絶させてはならない」ということと、
「両者を繋ぐ言葉が用意されるべき」だということです。
特に2chやネット上では、勝義至上主義或いは勝義一辺倒なレスが多いわけですが、
それが通用するのは限られた状況に於いてです。柔らかい言い方では
「仏の立場から見れば」とか「悟りの世界では」といった言辞の場合もあります。
それはそれで構わないのですが、(必要な、重要な語り口だと思いますが)、
それを(≒勝義の言葉を)変換することなくそのまま世俗に当てはめようとする者のなんと多いことか・・・。
逆のパターン(世俗の言葉や事象を勝義に当てはめる行為)を激しく糾弾しておきながら、
勝義を世俗に当てはめることには何の躊躇もない。寧ろ見下すが如く「勝義ではこうだ!」と勝ち誇る。
(勝ち誇ったり見下したりはしていないが、勝義色の強いレスが多いのが机氏だったりするわけですが・・・w)
(この行為(勝義を問答無用に世俗へ当てはめる行為(或いは世俗を勝義で塗り潰す行為)は、カルト系宗教に
 より顕著に見られます。だから、たとえ正論であっても、筋が通っていても、慎重でなければならないし、
 具体的状況・情況への視線を外してはならないと思うのです。)

42:3/3 初代スレ7
08/12/21 11:04:27 7pNx+QKj
>>前スレ462

少し脱線してしまいました。話を戻すと、
(因により縁により)「個」【として】現れているのであるから、「無自性」「空」或いは「無我(非我)」に抵触しないでしょう。
また、今生に限って言えば、そのような「個」も今現在(因により縁により)存続しているのですから、
業報思想と抵触もしません。行為の報いを受ける余地は残っていますw
(やはり問題は“輪廻”が絡んだ場合ですね・・w)
(※哲学的な“(継続する)(自己)同一性”に関しては措いておきますw)

43:神も仏も名無しさん
08/12/21 12:33:24 wt3eG5Q/
>>20
なるほど、律の細かな規定に関わってきますね。
解脱にには殆ど関係ないけど、品行方正であるべきだと。

サンガについては水野弘元先生が『要語』旧版107-112で本質的かつ感動的に述べておられます。
それに繋がりますね。

【頷き】という言い方は、西洋哲学的な響きがありますね。
しかしながら、まだ前述のことは分かりません。

>>22
>「『仏教で言う(→“中論”で言う)実在』は、縁起しない」 という、ただそれだけですねw
そうですね。

>『仏教外での実在』は「縁起するもの」でも構いませんよね?

ここは微妙ですね。仏教以外の言語習慣で「実在」というのは大抵、存在論の枠内で使われませんか?
つまり、現象面での名指し以上に現象上に観念的、人口的な本質・実体を設定する場合ということです。
古くは、アートマン、原子、アルケー、最近では原子とか量子とか。
それが間違っているというのが仏教ですから、『仏教外での実在』は「縁起するもの」とは言わないでしょう。
縁起するものは、知覚可能なものですから本質・実体は、伝統的に増益されたもの、妄想付託されたものと言うでしょう。
原始仏教では確認していませんが、中観でそういうことは確かです。

もちろん、実在の意味が別ならまた話は別ですが。
言葉の意味も、無常なのでw

44:神も仏も名無しさん
08/12/21 12:36:12 wt3eG5Q/
>>42
概ね仰るとおりだと思いますが、

>(やはり問題は“輪廻”が絡んだ場合ですね・・w)
>(※哲学的な“(継続する)(自己)同一性”に関しては措いておきますw)

なんでですか? 同一性は仮設されたもの、輪廻とは絶え間ない現象の縁起であって、生死はただの仮設でしょう?

45:神も仏も名無しさん
08/12/21 12:56:39 roKmYc3v
川を泳ぐ者にとってみれば、
川(の中の水)が流れることは容易く理解できる。
しかし、川(そのもの)が(中の水ごと)流れるのを理解するのは果てしなく難しい。

46:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/21 13:39:03 6WJyF2Au
>>41
>勝義色の強いレスが多いのが机氏だったりするわけですが・・・w)

おそれいります。

>(因により縁により)「個」【として】現れているのであるから、
>「無自性」「空」或いは「無我(非我)」に抵触しないでしょう。
>また、今生に限って言えば、そのような「個」も今現在(因により縁により)存続しているのですから、

「因により縁に依り存続する」のであれば、
それはアビダルマが提唱している「我=自性」ですね。
(これだと実有論です)

「無自性・空」といふのは、この説一切有部を徹底的に批判した龍樹の論法です。
これはあくまでも中道(中観)としての見解を明確にするもんでした。
つまり、実有論はそれ自体が中道ではない。

中道ってのは、実有でもなければ実無でもない。
「無自性」というのは、ただ単に「自性ではない」という意味です。

中道というのは、あまり講釈は付けられない。
何故かと言いますと、講釈を付け過ぎますと中道でなくなるから。
そこのとこは非常に機微ですね。

47:神も仏も名無しさん
08/12/21 14:09:53 sQRGo9NO
観念論は、百人百様で、その正誤・正邪を判断する基準はない。従って、どこ
まで行っても、客観的真理には到達し得ない。

「人間とは、生存本能(生物的生命)を中核とする生物の一種」という、唯一の
普遍の事実に立ち返ることが必要。

宗教、勝義諦、世俗諦、そのた人間のすべての営みは、この生物的生命の機能に
過ぎない。

意識も、生命の機能だから、「死後の意識」などという言葉は言語矛盾。

創唱宗教は、この生命という究極の根源に思い至っていない。

むしろ、一般の生活者のほうが、この生命という究極の存在を、意識的・無意識
的に自覚して、生を営んでいる。つまり、究極の悟りを得ている。

生命は、現実界(自然)に100%依存しない限り維持できないのだから、
生命と自然とは一体である。

48:神も仏も名無しさん
08/12/21 14:35:13 roKmYc3v
>>47
意識が生命の機能で、生命と自然が一体ならば、自然の一体的発露が生命で、自然の機能の一部として意識があるともいえる。
自然に意識が無いとどうして言える?

49:1/4 初代スレ7
08/12/21 14:56:30 7pNx+QKj
勝義と世俗の繋ぎ・橋渡しを考えるに際し、一枚の紙の裏表を喩えとして用いてみましょう。
『表』が『世俗』、『裏』が『勝義』としましょう。
>>40の《「個」と「無常」「無我」「縁起》」で言えば、
紙の『表側』が「個であり(似顔絵が描いてありw)」、『裏側』が「無地である」ようなものです。
『裏』が「無地」であるからといって『表』の「似顔絵」が消えるわけではありません。
また、『表』に「似顔絵」があるからといって『裏』にも「似顔絵」があるわけではありません。
(“透けて見える”くらいの受け止め方はあってもいいかもしれませんが・・・w)

この時、「勝義しかない」「表側は虚妄である」などと『裏』のみを主張してしまうと、
(仏教外の人間からの)「では、切り裂いても燃やしてしまっても構わないよねw」
「殺人とか暴行とか、人格・尊厳の軽視は問題にならないよねw」「だって“無地”なんだからwww」
という発言に返答できなくなります。 《『裏』のみを見るならばまさにその通り》 なのですから!
 (※勿論、仏教の究極の視線・態度としてそのベクトルが存在することを否定はしません。
   しかし、(伝家の宝刀ではありませんがw)援用する場合は、よくよく状況を吟味すべきだろうと思います。)
≪『表』に「個」があること、似顔絵があること≫を忘れてはなりません。
(『裏』しか見ない姿勢は、禅的に言えば“百尺竿頭に留まるようなもの”です。
 “安悟りに腰を据えるな”と叱咤されるようなものです。)

仏教が(一般に対して)何事かを語る時、その時には、
「『表』だけを見たら確かにその通りだけれども、そこには『裏』があるんだよ。
 その『裏』こそが、見据えられるべき真の姿なんだよ。だから、『表』に固執してはいけないよ」
とでも語るべきなのです。そして、こう付け加えられるべきだと思うのです。
「けどね、『表』を蔑ろにしてはいけないよ。『表』の在り様もまた、かけがえのない、
 一度きりの、貴方の生なのだから。他者の『表』もまた同じだよ」と・・・。

50:2/4 初代スレ7
08/12/21 14:58:38 7pNx+QKj
そして、(>>49の)この裏表の喩えを「ある」「存在」「実在」の場合で考えてみた時に、
  『表』   .:   『裏』
 『ある』  :  『ない』
『存在する』:『存在しない』
『実在する』:『実在しない』
という構図を立てることができます。
>>40に於いて「仮」というキーワードに触れました。
『表側』で「ある」と言われる時、それは「仮に」“ある”ということなのだ、と。
しかし、49でも触れたように、それを「完全な“ない”」にしてしまっては駄目だと思うのです。
「他者を害してはならない」とか「(五感に於いて)自己を護る(防護する)」といった言辞を有効なものとする為には、
《『表』の“ある”》を完全否定してはならないのです。
「他者、自己、衣や鉢、食事、木陰、水etc.etc.様々な“ある”とされるもの」を
“ある”と見做さなければ仏教は成立しないのです。
少なくとも、【(比丘或いは僧伽が)社会の中に在ろうと思ったなら】『裏』のみでは不可能なのです。
(ここを理解して貰える人は意外に少ない・・・ orz )

某所(某板某スレ)で、
私の「(原始)仏教は素朴実在論【的】だよw」という発言から一悶着ありました。
(スレ違いでもあったので、自然消滅的に立ち消えてしまいましたが・・・。
 当該スレの性格から「主観(認識)から独立して」という条件の解釈も要点でしたが、今はそれには触れません。)
その時の御相手が当スレにいらっしゃるかは判りませんが、
「実在」という語の定義の仕方にも触れながら、
最終的には、「上記のようなことである」という所まで持っていきたかったです。
自身の説明能力の拙さを痛感するばかりです。

51:神も仏も名無しさん
08/12/21 15:00:15 xPzDxtqH
47さんは生命教の方ですよね。
生命こそが神様なんですよね?

ロボットが生命を持つことは可能でしょうか?
バクテリオファージは生物でしょうか?


52:3/4 初代スレ7
08/12/21 15:01:44 7pNx+QKj
>>9で述べられるように、仏教内では初めから、
 「“実在”とは」「固定的恒常的に存するもの」であり、
 「因によらず縁によらず存するもの」であるという定義となっています。
 これに対して『仮』ということが言われるのでしょう。『実』と対置される『仮』なのでしょう。
 だから、『実』には「固定的恒常的に存するもの」「因によらず縁によらず存するもの」という意が含まれるのでしょう。
 ですから、私の発言はそこを無視した勇み足である、という批判は甘んじて受けねばなりません。
 しかし、それは“実在”という語をそのように定義した場合であり、
 西洋的“実在”或いは現代日本の一般的語義としての“実在”には、
 上記のような意味合いは直接的にはないのでは?(“自性”となれば尚更です。)(>>43

作文中にレスが付きましたので返答も兼ねて続けます。
>>43
> ここは微妙ですね。仏教以外の言語習慣で「実在」というのは大抵、存在論の枠内で使われませんか?
> つまり、現象面での名指し以上に現象上に観念的、人口的な本質・実体を設定する場合ということです。
ですから、そうした「仏教が見る“実在”」と「素朴実在論等で言われる“実在”」とが
「同じ性質を持つ“実在”(同じ意味の“実在”)」としていいのだろうか?という疑問を私は持っています。
素朴実在論が、その本質として「観念的なもの・概念的なもの・錯覚等幻的なもの」をも
(知覚される以上は)(個物的に・実体的に“ある”)とするものであることは理解できますが、
(→まさしく中観の批判する「“法”“有”」ですかね・・・?w おそらくは、本来は素朴な“ある”だったのでしょうが・・。)、
たとえば目の前にリンゴがあり、それを食する時、「リンゴは“ある”」とするのもまた素朴実在論ではないのでしょうか。
この時、「リンゴは“ない”」とするのが仏教であるなら、比丘にとっての托鉢とは一体何なのか。
「“ない”ものを食する」という禅問答的な答えで満足すべきなのか。
心経の無色声香味触法~無苦集滅道のように、「食するということもない」とだけ言えばよいのか・・・。

53:4/4 初代スレ7
08/12/21 15:03:23 7pNx+QKj
某所でのやりとりに於いて、「素朴実在論」という名称がもたらす「“ある”ということ(意味)の幅」について、
間を採る言い方は無いだろうか・・と記しました。(だから(丁寧な記述の場合)【的】を添えてみたりもしています。)
「素朴存在論」とか「素朴“ある”論」とか「素朴仮在論」とか?w
少なくとも、上記(>>49)での危惧のように、
「空」とか「虚妄」とか「ない」とかいう『裏』のみの言辞で虚無主義としての批判を受けることへの抵抗として、
『表』を表現する・大切にする言い回し、フレーズ、謳い文句が欲しいなと思っているのです。

> それが間違っているというのが仏教ですから、『仏教外での実在』は「縁起するもの」とは言わないでしょう。
はい。ですから、上で弁明したように(某所で弁明したように)、
“実在”という語義解釈に於いて反則技を使った勇み足であることを認めます。
何か素敵なフレーズがあれば御教示願いたいです・・。

> 原始仏教では確認していませんが、中観でそういうことは確かです。
ですから、現在「実在」という訳を付しているパーリやSktの語が、
本当に「実在」という訳がふさわしいかどうかも気になるところです。

> もちろん、実在の意味が別ならまた話は別ですが。
> 言葉の意味も、無常なのでw
ですねw

補:
「何かを(“固定的実体として”“恒常的に”)“ある”」と見ることが顛倒であるのは言わずもがなですが、
「無」や「ない」という言い方がレトリックとしての性質を含んでいる点は留意されてよいと思っています。
「○○である」と言われる時、それは「“勝義に於いて”○○である」という意味なのだということを、
「“仏教では”このように見るのです」ということを忘れたくはない・・・。

54:神も仏も名無しさん
08/12/21 15:03:43 roKmYc3v
裏を見せ 表を見せて 散るもみぢ

55:神も仏も名無しさん
08/12/21 15:03:53 sQRGo9NO
>>48
それは、人間が自然を勝手に「擬人化」しているだけ。自然の一部としての
人間に、自然の意識など知るよしもなかろう。自然現象に従って生存している
だけに過ぎない。

56:初代スレ7
08/12/21 15:07:40 7pNx+QKj
>>54
深く、美しい一句ですね。

57:神も仏も名無しさん
08/12/21 15:13:46 roKmYc3v
>>55
兎にも角にも、気がついたら意識があった。
そこまでは、とりあえず解るでしょ?
気がつく前は?
死んだ後は?

「解らない」ならまだしも「無い」とするところに真をおく危うさアヤフヤさ。

58:神も仏も名無しさん
08/12/21 15:21:01 sQRGo9NO
>>49
表だ、裏だ、などと言わなくても、要するに、「個は他との関係においてのみ
存在している」という自覚(縁起、空)さえあればよい。

生活者は、みな、意識的・無意識的に悟っていること。

59:神も仏も名無しさん
08/12/21 15:28:17 sQRGo9NO
>>57
意識は、意識器官によって発生するものですよ。意識器官の形成前又は
その消滅後の意識を論じることは、まさに言語矛盾。

60:初代スレの5
08/12/21 15:32:52 ygF8KWQN
いろいろ、ありましょうが、「良寛はいい」

これは真実。うん。

61:神も仏も名無しさん
08/12/21 15:52:29 roKmYc3v
>>59
唯物論と空観と本覚思想の親和性を今更ながら痛感w

>>60
いろいろありますが、良寛はいいですね。
うんうんw

62:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/21 16:10:31 jVTnJ5KS
>>49
書込みを読んでみました。

拙者がイメージしたのは、
例えば10人の男性の前を美人が通り過ぎたとする。
ある人は全く無視したり、
ある人はさりげなく見送ったり、
ある人は心臓をバクバクさせたり、
10人が認識する度合いといふのは、それぞれで違う。

拙者が書こうとしたら、既に>>58に書いてある。
>「個は他との関係においてのみ 存在している」。
で宜しいかと思いまふ。

自他は不二であり、たとえ美人であろうと存在してないこともある。

63:神も仏も名無しさん
08/12/21 16:13:19 h6oHWjAe
>>61
本覚思想は、原始仏教の誤り是正したのだから、当然でしょう。

「意識器官なしの意識」という矛盾に対する反論は?

64:初代スレの5
08/12/21 16:16:23 ygF8KWQN
>>59 まあ、私、個人の感想ですが、あなたの視点には同意です。
過度に観念化して、不毛な空論で終わらせないためにも
あなたのような視点は重要であると考えます。(ここでは反発する
人も多いかもしれませんが)

初代スレ7さん  これも全く個人的感想ですが、本日の書き込み
が今までで、一番良かったように思いました。

それでは私もひとつ

ぬすびとに  盗り残されし  窓の月

(スレ違いであると怒られそうなので、ここまでにしておきます)


65:神も仏も名無しさん
08/12/21 16:20:38 wt3eG5Q/
>>49-50 >>52
巧いですね。机さんの二諦がバラバラといったのはその意味です。
勝義は、勝義。世俗は、世俗と言った説き方で、勝義が世俗と関係ないイデアのような夢の世界のような。
そして世俗を説く場合にも、論理に詰まると勝義を出して結局空だからといった論調。
それではなにもならないどころかただのニヒリズムです。世俗には縁起として因果が確固としてある。
それは、如来いずるも~の有名句に明らかなように法性と呼ばれ性質、本質と呼ばれています。
いわゆる法則です。集諦苦諦として説かれるものです。

仏教の目的は苦を除くことですから。苦の因になる悪業を為さず、善業を為すようにする。

>「殺人とか暴行とか、人格・尊厳の軽視は問題にならないよねw」「だって“無地”なんだからwww」

もちろん、そういうことをすると無我・空ですが悪業の結果、苦が縁起しますから、苦を除くために

>「他者を害してはならない」とか「(五感に於いて)自己を護る(防護する)」

と説かれます。これは倫理ではなく苦しみたくない、苦しませたくないからです。

>私の「(原始)仏教は素朴実在論【的】だよw」

というのはやっぱり反対ですね。無常・無我・空・縁起・仮設といった法は、
凡夫の実在論的思考を壊すためにあると思うからです。
仏教は日常言語論の方、いわゆる後期ウィドゲンシュタイン系の方が近いと思います。
やっぱり縁起論や仮設存在論と言った方が間違いないと思います。
表を大切にする言葉としては業論、因果論でしょう。
これが近代以降、人気のない言葉ですね。

66:神も仏も名無しさん
08/12/21 16:23:27 wt3eG5Q/
>>54
きれいですね。

>>61
>唯物論と空観と本覚思想の親和性を今更ながら痛感w

本覚思想は日本で最高の見解だと思ってます。
とても説明できませんけど。

67:初代スレ7
08/12/21 16:29:00 7pNx+QKj
>>43
> 解脱にには殆ど関係ないけど
そうでもないでしょう?w 形から入るのも大事ですよ。
日常生活でも、居住まいを正せば気持ちもそれについてきてシャンとなったりしませんか?
(ま、私は自分のことを棚上げして書き込んでますが・・・w)

> サンガについては・・・・・・それに繋がりますね。
はい。そのようなサンガであるからこそ、
《「釈尊の教えを正しく伝えている」「涅槃を体現する」「正しく涅槃を求めている」「供養を受けるに値する」集団である》
と人々が認め「彼らが語る言葉は正しく、我々に益するものである」と受け止める理由となるのです。
サンガへの信頼の基盤となるのです。
そしてそれは、サンガであろうと一比丘(沙門)であろうと変わりません。


> 【頷き】という言い方は、西洋哲学的な響きがありますね。
そうですか?w
私は、実に日本的な受け止め方だと感じますが・・・。

> しかしながら、まだ前述のことは分かりません。
どのような点でしょうか。もう少し具体的にして頂けると助かります。 m(_ _)m

68:初代スレ7
08/12/21 16:30:26 7pNx+QKj
>>44
> なんでですか? 同一性は仮設されたもの、輪廻とは絶え間ない現象の縁起であって、生死はただの仮設でしょう?
・「輪廻と絡んだ場合」というのは「業果の相続」の問題。
・「同一性」に関しては、「(たとえ仮設であっても)同一と見做す際の基準の取り方」についてです。
 「何を以てして同一であると見做すのか」「同一性を担保しているのは何か」ということです。
 哲学徒と対話する時はここを避けて通れません。「前後際断せり」で納得していただけるかどうか疑問です。
 (てか、実は正法眼蔵にはまだ手を出してないんですけどね・・・wすいません・・。)
・「輪廻と同一性」に関しては、上記と同じく、
 「業果の相続」が「脅しw(→倫理道徳の理由付け)」として機能するには(悪行を避ける理由として受け入れられるには)、
 「今生の自分と、次の生の自分との連続性」が想定されねばなりません。
 「“輪廻して業果を受けることを恐れる人”は、そこに、一体どのような同一性を見ているのか」ということです。

 ※ ・「生死の仮設」は、医療分野及び法律や行政処理と関わってくるのでしょう。

69:神も仏も名無しさん
08/12/21 16:33:11 h6oHWjAe
>>66
>本覚思想は日本で最高の見解だと思ってます。
>とても説明できませんけど。

簡単に説明してください。仏教スレなのに、本覚思想や悉有仏性につい
ての議論が全くなされないのは、極めて異常。

仏教の持つ「普遍性」は、それ以外にはないはずだが。

原始仏教は、オウムを生み出した、単なるカルト宗教に過ぎません。

70:神も仏も名無しさん
08/12/21 16:58:05 wt3eG5Q/
>>67
>そうでもないでしょう?w 形から入るのも大事ですよ。

う~ん、道が違いますw

>どのような点でしょうか。もう少し具体的にして頂けると助かります。

深読みだったかもしれません。私も言葉にならない何か新しい深い見解がそこに込められていたように読みました。

>68
>・「輪廻と絡んだ場合」というのは「業果の相続」の問題。
縁起相続する以上の何かを設定すると釈尊の素晴らしい道が崩壊すると思います。

>・「同一性」に関しては、「(たとえ仮設であっても)同一と見做す際の基準の取り方」についてです。

お~、プラマーナ・シッディですね。それは長年悩んだのですが、
きっちりした基準はありえないというのが結論です。
それぞれの習慣や条件によって習慣的基準が適当に設定されるだけです。
それが仮設であり、縁起であり、因果である。
しかし、その因果は尊重しないといけない。

基準を立てようとすると必ず実在が要請されます。
これまた縁起が崩壊します。

71:神も仏も名無しさん
08/12/21 17:04:56 wt3eG5Q/
>>69

いや、難しくて無理です。
ただ言えるのは、本覚論は現実の肯定なんて単純なものではありません。
相当戒定に精進し、優れた慧が出た聖者の微細な知覚の中で始めて了解できるものと推察しているのみです。

平安末期の天台は黄金期で素晴らしい聖者が沢山でたと思います。

72:初代スレ7
08/12/21 17:15:31 7pNx+QKj
>>65
特に異論はございません。丁寧なレス痛み入ります。

> 勝義は、勝義。世俗は、世俗と言った説き方で、勝義が世俗と関係ないイデアのような夢の世界のような。
> そして世俗を説く場合にも、論理に詰まると勝義を出して結局空だからといった論調。
はい。私が(2chだけでなく、様々な所で目にする言辞として)イラっとくるのが、まさにその所なのです。
だから、ついつい批判覚悟で強引な言い方をしてしまう・・・w
 >世俗と関係ないイデアのような夢の世界のような
的確な表現ですねw 脱帽です。


> というのはやっぱり反対ですね。無常・無我・空・縁起・仮設といった法は、
> 凡夫の実在論的思考を壊すためにあると思うからです。
やっぱり強引ですかね・・・w
いや、自分でも危うさは感じているんだが、哲学素人なんで上手いキャッチフレーズを思いつかなくて・・・。
> 仏教は日常言語論の方、いわゆる後期ウィドゲンシュタイン系の方が近いと思います。
> やっぱり縁起論や仮設存在論と言った方が間違いないと思います。
> 表を大切にする言葉としては業論、因果論でしょう。
けど、それだけだと(今まで通りの無難なフレーズなので)
上記のような「勝義厨」や「空教信者」「心経かぶれ」の防波堤としては弱いんですよねぇ・・・。
後期ウィトですか・・・。今更(今から)哲学はしんどいなぁ・・・w

> これが近代以降、人気のない言葉ですね。
そうなんですか? やっぱりカルト系に利用され易い“因果応報”と繋がるからですかね・・。

>仮設存在論 は一応頂いておきます。(哲学界での通用度としてはどうなんでしょう?)

73:初代スレ7
08/12/21 17:17:23 7pNx+QKj
>>64
> 今までで、一番良かったように思いました。
恐縮です・・。当スレでは初のマジレスですから・・・w

;´ー`)y━~~


以降はまた冷やかしに戻るつもりでいますw



>>70
>深読みだったかもしれません。
おそらく深読みでしょうw
相手に対する「信」を生ぜしめ、或いは増長し、或いは補強するのは、その相手の身口意に他なりません。
(当然、自身が「信」を受けようと思えば、自身の身口意が問われることとなりますw)
また「おしえ」を「信ずる」には、そこに「理解、納得」が必要です。
(サンガについて記したように、「あの人が言っているのだから・・」というのもアリと言えばアリですが・・・。)
そして、その「納得」とは、自身の経験等と合致することでもあります。
【頷き】とは、まさしくそのように「ああ、確かにその通りだ」という実感を言いたいが為です。
「腑に落ちる」という言い方をしたのも、そこを表現したかったからです。

「冷暖自知」という言葉は侮れないと思っています。
だから、宝珠氏に前スレ343を投げかけたのです。
そして、宝珠氏のみならず他の人も(そして私自身も)「輪廻に関してはどうなのか?」ということです。

74:神も仏も名無しさん
08/12/21 17:39:05 wt3eG5Q/
>>72

>後期ウィトですか・・・。今更(今から)哲学はしんどいなぁ・・・w

え~、それより覚ればいいだけじゃないですか?
完全な悟りは無理にしても、空とかだったらがんばれば可能だと思います。

>そうなんですか? やっぱりカルト系に利用され易い“因果応報”と繋がるからですかね・・。

カルト系に限らず脅しや商売で使ったら終わりなんですが。
それよりも平等思想に反するという嫌悪感が強いと思います。
本来、無我・空よりも因果・業果を始めに説くのが伝統ですね。
四諦の教えも正にそれに他なりませんし。

>>仮設存在論 は一応頂いておきます。(哲学界での通用度としてはどうなんでしょう?)

私の知る限り西洋哲学は、縁起説のような高度な見解に立っているものはないと思います。
ですから、西洋哲学の用語は人に理解させるための譬喩としてにた概念を適当に素人っぽく大胆に用いていいんじゃないでしょうか?
論争するわけじゃありませんから。言語習慣上適当にコンセンサスを持った言葉を適当に使うだけですから。

偉そうなのは、修行が足りない証拠ですw


75:神も仏も名無しさん
08/12/21 17:52:53 wt3eG5Q/
>>73
>【頷き】とは、まさしくそのように「ああ、確かにその通りだ」という実感を言いたいが為です。

釈尊がキサーゴータミーに対してとった教えですね。
実感させる。

それを意識して拙くも輪廻と無我は両立しない説に対して、
じゃ、現在の自意識と無我は両立しますか? と伺ったつもりです。
未熟なので成功しなかったのですがw

信というのは微妙ですね。誰でも何かを無根拠に信じているのに、
現代人は、科学的に検証した結果合理的だから主体的に承認したと思ってる。
どんな優秀な科学者でも全て検証することなんてできないし、
あらゆる説明体系は仮説なのにw

76:神も仏も名無しさん
08/12/21 18:06:33 xPzDxtqH
自意識(ahamkaara)と我(aatman)は別物です。
自我意識を我であると誤認するのは、aj~naa、avidyaaのなせる技です。

77:神も仏も名無しさん
08/12/21 18:12:55 h6oHWjAe
>>75
あなたが義務教育の修了者なら、宗教と科学の違いくらいは、理論的に
理解してくださいね。それと「現実」と「空想」との区別も。

78:神も仏も名無しさん
08/12/21 18:31:20 h6oHWjAe
>>71
>いや、難しくて無理です。
>ただ言えるのは、本覚論は現実の肯定なんて単純なものではありません。

原始仏教よりは「現実的」であることは確かでしょう。

原始仏教は説明できても、本覚思想は説明できないのですかw。「論じたく
ない」だけなのでは?

79:初代スレ7
08/12/21 18:43:12 7pNx+QKj
>>77
貴方がスーパーで購入する牛肉が産地偽装されていないこと、
或いは賞味期限が改竄されていないことは、何によって担保されているんでしょうね・・・?w

貴方の乗る電車が走るシステムを、貴方は
「自らの五感と思考で“(試験し)、確認し、理解し”」その上で乗っているんでしょうかね・・?w

貴方が運転する車が、ブレーキをかけたら止まる理屈を、
「自らの五感と思考で“(試験し)、確認し、理解し”」その上でブレーキをかけているんでしょうかね・・?w

貴方が病院で処方された薬が、“どのように作用して”どのような効果を生じるのか、
「自らの五感と思考で“(試験し)、確認し、理解し”」その上で服用しているんでしょうかね・・?w

(´ー`)y━~~



今日は、一日作文に費やしてしまった・・・馬鹿だな・・俺は・・・w

80:神も仏も名無しさん
08/12/21 18:53:45 h6oHWjAe
>>79
すべては、多くの担当者や科学者が、その「五感」で確認しているから、信用
するのです。そして、電車が走るのも、止まるのも、五感で確認できます。

薬の場合は、その効果に心理的要素が介入するのを防ぐために、「二重盲検試
験」をやることはご存知ですね。

あなたのご質問を、すべて宗教に対してやったら、どんな結果が出ますかw。
ついでに、宗教の効果についても、二重盲検試験をやったらいかがでしょうw。

81:初代スレ7
08/12/21 19:15:11 7pNx+QKj
>>80
やっぱり馬鹿でしたか・・・w

>多くの担当者や科学者が、その「五感」で確認しているから、信用するのです。
だからw
そうした担当者や科学者を(彼らの五感及び彼らの言を)信用できる理由は何ですか?

82:神も仏も名無しさん
08/12/21 19:31:40 h6oHWjAe
>>81
それは、同時代人としての人間に対する信頼からです。あなたは、現実界で、
他者によって生かされていながら、その信頼もないのですか。

あなたが、2500年も前の釈迦や仏典を信じて止まないのはなぜですか。
時代も異なる2500年も前で、確実な証拠は皆無であり、あなたは釈迦が五
感で知覚したかどうかも確認していませんねw。

83:初代スレ7
08/12/21 19:36:50 7pNx+QKj
>>82
笑わしよるw

>同時代人としての人間に対する信頼から

>あなたは釈迦が五感で知覚したかどうかも確認していませんねw

貴方は、同時代人としての彼らが五感で知覚したかどうかを確認した、ということですね。
いや、素晴らしいwww ひょっとして超能力者ですか?w

84:神も仏も名無しさん
08/12/21 19:41:22 bI8sMwQm
>>79
>今日は、一日作文に費やしてしまった・・・馬鹿だな・・俺は・・・w

まぁ何と言いましょうか。
今日は上のセリフにMVPを贈りたいです。
それぞれ言いたい事は違っていても、仏法興隆の灯火は現代にも燦然と輝いているのでありますよw

85:神も仏も名無しさん
08/12/21 19:44:36 h6oHWjAe
>>81
人間は、現実界(実在界)に100%依存しない限り、生存は不可能で
す。生存できなかれば、宗教を初め、人間のいかなる営みも不可能です。
釈迦もイエスも生存できません。

五感は、実在・非実在を判断するための不可欠な器官です。従って、生
命そのものとも言えます。

生まれたばかりの赤ん坊でも、母親のオッパイの実在を判断して、しゃぶり
つき、生命を維持しようとします。

どんなに偉い宗教者でも、飯を食うとき、「この飯は果たして実在するか」
などと考えて食う者はいませんね。

86:神も仏も名無しさん
08/12/21 19:50:11 h6oHWjAe
>>83
五感の知覚は記憶が可能であり、その記憶は、言語によって他者に伝達
することが出来ます。それによって、社会が成立し、維持されます。

五感で知覚できないものが存在すると信じることを、「妄想」と呼び、
治療の対象になります。

仏典は、五感の知覚の記憶の伝達ですか。それとも「妄想」ですか。

87:神も仏も名無しさん
08/12/21 19:51:58 vAw0wGEA
>>82

>あなたが、2500年も前の釈迦や仏典を信じて止まないのはなぜですか。

横レスで申し訳ないのですが、それぞれに熱い思いを持ってお釈迦さんを仰ぐ人たちは2500年の時を越えたメッセージを受け取ったのですよ。
ふと手に取った仏典の些細な一節に心を安らかにしてもらった経験があるのですよ。
計り知れない深遠の入り口は、実に些細な安らぎと、ほんの少しの憧れなのです。

88:神も仏も名無しさん
08/12/21 19:57:20 6AhV52ST
>>86
>五感で知覚できないものが存在すると信じることを、「妄想」と呼び、治療の対象になります。
>仏典は、五感の知覚の記憶の伝達ですか。それとも「妄想」ですか。

私の「妄想」を治療しないでくださいw コワイヨー

89:神も仏も名無しさん
08/12/21 19:57:41 h6oHWjAe
>>87
その安らぎは、根拠も不明な大昔の開祖や経典からではなく、現実の
他者との係わり合いの中で、人間である他者から得るべきもの。それに
よって、人間社会が成立し、存続しているのです。

90:神も仏も名無しさん
08/12/21 20:02:10 h6oHWjAe
>>88
病人を治療しないで放置することは、人道に反しますよ。

酔生夢死の一生を送らせることになるのですから。

病気を治療するために、多くの病院があり、医者がいるのではありませんか。

91:神も仏も名無しさん
08/12/21 20:12:36 h6oHWjAe
お釈迦さんは、信者たちが「妄想」の中で生きることを教えたのでしょうか。

若しそうなら、「色即是空」だけでよく、「空即是色」は不要だったはず。

何故わざわざ、「空即是色」を加えたのだと思いますか。「無もまた
無である」と、わざわざ言っていますね。

92:神も仏も名無しさん
08/12/21 20:18:13 Q6Nm+pM+
>>90
>>酔生夢死の一生を送らせることになるのですから。

↑このような考え方をゴーマンチキと呼ぶのでありましょ。もしくは
余計なお世話と。自宅に押しかけて布教する人達の心象となんら変わりない。


93:神も仏も名無しさん
08/12/21 20:20:31 h6oHWjAe
>>92
精神病者を治療するのは、傲慢とは言いませんw。

94:神も仏も名無しさん
08/12/21 20:31:38 h6oHWjAe
色(1)=空(0)
空(0)=色(1)

この両等式を加えると、色(1)=色(1)になりますね。空(0)と
はなりません。

95:神も仏も名無しさん
08/12/21 20:35:44 eWxKL8JD
先生、それ以前に1=0が有り得ません。


96:神も仏も名無しさん
08/12/21 20:39:33 h6oHWjAe
>>95
だから、御釈迦さんは、わざわざ二つの等式を掲げたのです。

御釈迦さんは、実は物凄い真理を説いている。御釈迦さんは、低脳では
なかった。

97:神も仏も名無しさん
08/12/21 20:43:15 h6oHWjAe
御釈迦さんの真理は、非信者のほうがよく理解できる。信者の方々は、
もっとがんばってくださいw。

98:神も仏も名無しさん
08/12/21 20:47:37 ndUfjsJS
う~む。

空無を語るターミネーターみたいなのが出てきたな。
眼から必殺の衆生本来成仏光線がでるぞ。
最早、人類が生き残る余地など全くないw

99:神も仏も名無しさん
08/12/21 20:52:24 Uvu+gpQf
M1終わったし誰かターミネーターやっつけておくれ人類のために。

100:神も仏も名無しさん
08/12/21 20:56:38 h6oHWjAe
>>98
御釈迦さんの知恵は、「人類が生き残る(即ち、ゼロにしない)」ため
の知恵なのですよ。

非信者さえ納得させる知恵が、普遍の真理なのです。「宗教内部」だけ
にしか通用しない真理は、真理ではありません。

こんなことを考えついた西洋の思想家は、唯の一人もいないはず。

101:神も仏も名無しさん
08/12/21 21:08:15 86ROZL0O


******************************************************************************************


■ご隠居氏は、日本が誇る世界の宝 ■
  
   _
   /~ヽ プルルン♪      ★ご隠居氏は、カリスマ性があるし、レスが並みではなくて
 (((。・-・))) プルルン♪        独特で際立ってるし、相当修行・瞑想・・・・等実践して
   ゚し-J゚    プルルン ルン♪           到達されたステージとオモ  ご立派!☆★


URLリンク(www.blinkx.com)


******************************************************************************************



102:神も仏も名無しさん
08/12/21 21:09:44 Q6Nm+pM+
ちょーーーーーーーーーーーー仏教は

人類が生き残るための人類教ですかあああ?

間逆でしょおおおおお?

非社会性が仏教の面目でっしゃろ?


結論「人類は存続してもしなくてもいい。どちらでもいい。気にするな。」




103:神も仏も名無しさん
08/12/21 21:16:36 h6oHWjAe
>>102
仏教者は、よってたかって御釈迦さんを「低脳扱い」すべきではない。

見るに見かねた、非信者からの一言です。

104:神も仏も名無しさん
08/12/21 21:24:48 Q6Nm+pM+
もう一度、書いておく。


「人類の存続」にこだわらない唯一の宗教が仏教である。


仏教の特徴は非社会性と言っても、反社会的行為を容認するもの
ではないことはデフォである。以上。

机さん、どう思います?


105:1/3 初代スレ7
08/12/21 21:44:33 7pNx+QKj
>>85-86
答えになっておりませぬ・・・w というか、“はぐらかし”に近いですね・・。
ま、いいです。
(前スレか前前スレかで、全く同じやりとりをしてますよね?
 前スレ446(スレリンク(psy板:446番))には返答がありませんでしたねw)

私は、実際は(この点に関しては)貴方の意見に9割方同意するのですよw(特に>>85などw)
ただ、今の貴方の答え方では、
独我論や懐疑論・不可知論(及びそれらの亜流)からの指摘に答えきれないのです。
映画マトリックスのように、「水槽の中で夢想している」可能性を誰も否定できないからです。
もし貴方が、感覚器官と脳による感受・入力・統合を想定しているなら、
その感覚器官が正常に機能していることを信頼する理由も述べてほしかった。

 ※ちなみに答えておくと
  >仏典は、五感の知覚の記憶の伝達ですか。それとも「妄想」ですか
  「五感の知覚の記憶の伝達」に決まっておろうが・・・w(脚色が入っている可能性を否定はせんが・・w)

106:2/3 初代スレ7
08/12/21 21:45:54 7pNx+QKj
現代の科学的知見を信じるのも、古の文献を信じるのも、そこに大きな違いはない。
勿論、大前提は「自らの五感と思考」を信じることだが、
それ以降も、所詮伝聞を信頼してゆくしかない。この構図に違いはない、ということだ。
禅宗が、なぜ前時代的な修行方法を護持しているかわかるか?彼らは「追体験」を重視するからだよ。
上で述べた「冷暖自知」を重視するからだよ。
お釈迦さんは(出家受戒を望む者に)「来たれ、比丘よ」と言った。(涅槃は「来て、見よ」と言われる。)
それは、貴方が再三再四主張している
〔“自身の五感を信じる”こと、“同時代人の言動を信じる”こと、“それら言動が自らの五感で確認できる”こと〕と、
何ら構造を異としない。お釈迦さんは、「自分で確かめろ」と言っているのだ。
2500年?古い文献?笑わせんなw
同時代人のペテン師よりは信頼性は高いかもしれんぞw
政府発表にしろ、研究発表にしろ、嘘や誤認、見通しの甘さ、実験条件の不備等はつき物だ。
(「月面着陸がスタジオ撮影である」という説が、まことしやかに流れる理由が判るか?
 子供たちがサンタクロースや節分の鬼を信じる理由、“信じなくなる理由”を考えたことはあるか?)

107:3/3 初代スレ7
08/12/21 21:46:56 7pNx+QKj

・(自身の)五感については、
 ≪(成長に従う)経験の積み重ねによって精度が上がり信頼性も上がる。
   また、現在まで生きながらえているそのことにより、五感が正常に機能していることが担保される≫
・他者の言葉(≒伝聞)については、(上でサンガについて述べたように)、
 ≪種々の周縁の要素が信頼性を担保する≫
・そうした伝聞内容の信頼性は、
 ≪自身が追体験(或いは疑似体験・相似する体験、或いはスケールダウンした簡易体験)をすることにより担保される≫
・≪そうした蓄積をもとに、類似した事例に関してはそのままの比較検討により、
 そうでない場合でも、手にした情報を総動員して類推する≫

畢竟、『経験・情報の蓄積、情報の整理統合、類推』が信頼の基礎なんだよ。
このように答えてくれるものと思っていたのだが、買い被り過ぎだったようだ・・・。

108:神も仏も名無しさん
08/12/21 23:01:38 2C+m0MlN
レベルの低い合理主義者は、近代仏教学(ニヒリズムに歪められた東洋哲学)を好むのですね。

109:神も仏も名無しさん
08/12/21 23:11:12 h6oHWjAe
>>105
>その感覚器官が正常に機能していることを信頼する理由も述べてほしかった。

人間は、徹頭徹尾、共同体的存在。従って、共同体(広くは、人類共同体)の
不特定多数の成員の平均的知覚との対比によって、正常・異常を判断する。
「異常」「病気」とは、不特定多数人の平均値からの有意な偏移をいう。人間
が独りで生きているとすれば、どのような「異常な」知覚であっても、当人に
とっては、「正常」である。「異常」の判断基準が存在しないからである。

>>107
> 畢竟、『経験・情報の蓄積、情報の整理統合、類推』が信頼の基礎なんだよ。
>このように答えてくれるものと思っていたのだが、買い被り過ぎだったようだ

五感の知覚による判断は、物の実在・非実在だけに係るもの。従って、
「経験・情報の蓄積、情報の整理統合、類推』は、必ずしも問題にはならない。
見たことも、聞いたこともない物の実在の判断の場合を考えて欲しい。

物の実在・非実在の判断においては、経験も情報も思考も要しない。

しかし、現実界(実在界)においては、すべての情報及び類推も、究極的には、
自己又は他者の五感の知覚(の伝達)を基盤とする。さもなければ「妄想」で
ある。

110:神も仏も名無しさん
08/12/21 23:24:43 wt3eG5Q/
初代スレ7さん、今日は色々ありがとうございました。
エゴなのか、心が喜んでます。

おやすみなさい


111:神も仏も名無しさん
08/12/22 00:07:21 ObMIa//d
前663>釈迦は、己の肉体に依存する生命で考えた →次の「この一尋の身体に即して」でしょうか。

  友よ。わたしは、世界の終極に達しないで苦しみを消滅する、と説くのではない。そうではなく
  て、意識もそなえ心もあるこの一尋(ひろ)の身体に即して、世界そのものと、世界の生起と、
  世界の止滅と、世界の止滅にみちびく道とを説示するのである。…
  世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となるであろう。
  かれは、悪を静めて、世界の終極を知り、この世をもかの世をも望まない」と。(相応部 2.3.6)

 註 世界の終極ということを、一般世人は空間的物理的な意味に解していたが、
 初期の仏教はニルヴァーナの意味に解していたことが解る。

前679>仏教では、聖者と凡夫では知覚領域が違います →宿命通は五蘊の記憶である、とあります。

  もろもろの沙門・婆羅門のなかには、いろいろと過去世のことを記憶しているものがあるが、
  それらもすべて、人間を構成する五つの要素(五蘊)、もしくは、そのいずれかを記憶して
  いるのである。(相応部 22.79)

また次のように、通常いうところの神通力は、いやしく、下劣で、聖者の修めるものではなく、
愛すべき欲望の対象を、捨て、離れることこそが、聖者にとっての神通力である、とされます。

  この神足は卑賎・下劣にして凡夫の行なうところなり。これ賢聖の修習するところにあらず。
  もし比丘、諸々の世間において、愛色に染せられず、これを捨離しおわり、行ずべきところの如くなり。
  これを名づけて賢聖の神足となす。(長阿含・自歓喜経 大正蔵1巻76ページ下段)

112:初代スレ7
08/12/22 00:14:54 vqHGvWUK
>>109
言わんとする所は解る。
他者の経験(知覚)(の表明)との比較や、経験(知覚)が反復されることによる
「自身の経験(知覚)の検証」が重要であり、その為には、他者が居て、外界が無ければならない。
が、今の対話の流れに於いては、
「生存を脅かすような(判断ミスを誘う)知覚」が「異常」であり、「生存を脅かさない範囲の知覚」は「正常」である、
という見做しで十分じゃないか?(熱さを“正常に”感じられなければ火傷を負うことになる。水風呂に入って風邪をひくかもしれない。)
その上で、自身の五感(による知覚)が信頼に足る理由を問うてきたのだ。(正常異常の線引きにそれほどの重要性はない。)

後段に関して。 貴方は、>>86に於いて
>五感の知覚は記憶が可能であり、その記憶は、言語によって他者に伝達することが出来ます  と述べた。
>>109に於いては
>すべての情報及び類推も、究極的には、自己又は他者の五感の知覚(の伝達)を基盤とする  と述べた。

“(自身の)知覚” は “経験” ではないのか?
“記憶される” ということは “情報が(経験が)蓄積される” ということではないのか?
“言語によって他者に伝達されたもの” は “情報” ではないのか?
“伝達された他者の知覚” は “情報” ではないのか?
“類推が、自己又は他者の五感の知覚(の伝達)を基盤とする” ということは、
 “経験・情報の蓄積をもとに類推する” ということとどこが違うのか?

そして、非実在とされる「愛」や「友情」、「喜び」「悲しみ」、或いは「思想」「概念」etc.etc.
これらは“情報”として扱えないのか? 知覚不能なのか?
法境が立てられ、意根が立てられ、意識が立てられる・・。五蘊十二処十八界は伊達じゃねーぞw (前スレ442・446参照w)

(私も人のことは言えないがw)貴方もなかなか詰めが甘いw
てか、甚だしくスレチだな・・・w  この件はこれで終わりにします。申し訳ない・・・ m(_ _)m  >>ALL


>>110
どういたしまして。 おやすみなさい。 ノシ

113:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/22 07:21:10 u90jy9UM
>>102
>非社会性が仏教の面目でっしゃろ?

まったくその通りですね。

釈尊が菩提樹の下で瞑想に耽ったのは、
これは社会的規範とか、倫理とか、そういった諸々の想念を断絶したお姿なのでありまふ。

つまり悟りというのは、社会性というベクトルの一瞬の断絶した、その瞬間の直覚でありまふ。
こういった釈尊の手法をそっくり真似た(模放した)のが菩提達磨でした。
禅定というのは、静中禅でも道中禅でも非社会的空間を体験することに他なりません。

直覚といふのは突然にやってくるのです。
道元ですと、禅定中のドサクサ紛れに身心脱落を起こしたよぉに。
ある僧は、石が竹に当たった瞬間とか、
あるいは、裏山のセセラギを聞いている最中とか、
また、秋虫の声で突然に目が開く、といふこともありまして、
まったくもって無為・無心において開眼するのであります。

    (つづく)

114:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/22 07:22:59 x6CtKM6L
(つづき)
ここにいらっしゃる輪廻肯定派の御仁にしても、いろいろと「あの世」について想念を巡らせ、
もう疲れ果ててヨロヨロと川辺に立ち、
あの世へ逝くなど決心し、いざ川に飛び込まんとするその刹那、
目が開く、といふこともありますね。

目が開くとどうなるか?と言いますと、
オウムのように「民衆救済」とかは一切考えなくなりますね。
何故かと言いますと、救済せんでも世界は既に悟っている。
ってことを明確に達観してくるのです。
(これを空観とか言いますね)

この空観だけでは世俗で生き抜くのは至難だありまふ。
ですから、世俗とどうのか馴れ合って生きましょうよ。
ってことで、
色即是空の次に→<空即是色>が書かれておるわけですね。

この空即是色は、善行とか悪行とか、この二項から解脱しました
人間の自由の境地でであります。
どうか「輪廻」の呪縛から離れて、自由な人生を楽しんで頂きたいと願っておりまふ。
(これはロムってる一部の方へのメッセージです)

115:神も仏も名無しさん
08/12/22 07:40:56 /S4iGNy6
なんだかなぁ・・・。
先の大戦で仏教学は帝国主義の道具に使われたこともあったけど、使いようによっては共産主義的全体主義の道具にもなるんだなあ。
といういい見本をみせてもらったよ。
世の中が進んでID:h6oHWjAeのような人たちがふえると私も「異端者」として粛清されたり「治療」と称して洗脳されたりロボトミー手術されたりするようになるのだろうか。


116:神も仏も名無しさん
08/12/22 08:24:11 FWfOzL9d
>>113
こっちはこっちでアナーキストか。
仏教を学ぶものは奇人変人か。

普通の人で、お釈迦さまの愛好家を求む!(大至急)

117:神も仏も名無しさん
08/12/22 08:36:15 8FLq5fX4
>>79
我という脚下(立脚点)の危うさに気がついた人こそ虚空を軽やかに飛翔する翼を求めるのだと思います。

>>101
ID制だから、インチキしてもばれちゃうよね(苦笑

118:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/22 09:29:55 u90jy9UM
>>116
>普通の人で、お釈迦さまの愛好家を求む!(大至急)

「普通の人」といいますのは、常識的な人ということですか?
だったら、
そういう人は仏教にはそもそも向かないかと思います。

社会通念とか、常識に囚われておったら釈尊の本義に到るには至難です。
釈尊の出家の経緯は既にお分かりかと思いますが、
禅の六祖・慧能も変人でありました。
(母を捨てて出家した)
一休宗純も変人ですよね。
(狂気の悟り。ともいわれた)

かくいう拙者も奇人・変人の部類に入るかと思われ。
どうか宜しうに御教示くだされまし。

         <机龍之介・花押>


119:神も仏も名無しさん
08/12/22 10:47:52 GtDJyn3+
>>114
>救済せんでも世界は既に悟っている

これが大事なことですね。世間は、生活の中において既に悟っている。
社会性の基礎ですw。悟っていないのは、生活を離れて悟りに執着し、それを
求める宗教者だけということになる。

机先生は、奇人・変人どころか、彼らに真の悟りとは何かを教える、偉大な
常識人ですw。

120:神も仏も名無しさん
08/12/22 10:55:34 x3KLBppL
こうして偉大なる現実肯定、安易な本覚思想に流れていく・・・・
    「憂き世」から「浮き世」に変化していったように・・・・w
 日本特有の現象ですなw

121:神も仏も名無しさん
08/12/22 11:03:25 GtDJyn3+
>>120
日本人の「賢明さ」だと思うよ。

だから、鎖国までして、キリスト教の進入を防いだ。当時の為政者は
偉かった。

122:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/22 11:09:32 x6CtKM6L
>>119
そおなんですよね。

これを眼横鼻直といいまふ。

0(ゼロ)の発見のように、
あまりにも簡単過ぎるのが、
これが一番難しいのです。

123:神も仏も名無しさん
08/12/22 11:11:38 x3KLBppL
「五感で認識し得るもののみが現実である」と信じるよう大脳は設定されております。
しかし、時として幻肢のようなことも大脳はやってしまう。
まあ大脳に100パー信頼を置いて依存しないと、ご飯も食べれない・・・
でも、なんでご飯を食うんだ?
大脳が食えと命令するから
大脳は死にたくないんだね
大脳は快楽を求める性だからね。
でも本当に腹が減ってるのか?


124:神も仏も名無しさん
08/12/22 11:26:48 GtDJyn3+
>>123
幻肢も、幻覚も、食欲異常も、共同体の不特定多数人の平均値から有意に
偏移していれば、「病的」として、精神医学による治療の対象になります。

125:神も仏も名無しさん
08/12/22 12:18:49 agk7kXSW
>>117
>ID制だから、インチキしてもばれちゃうよね(苦笑

↑ 意味不明。どういう意味ですか? (・・?) 

ID制だから、勿論、はっきりご隠居氏とは別人って分かるでしょw
何、寝ぼけてるの?イヤガラセまでして・・・(苦笑


126:神も仏も名無しさん
08/12/22 14:05:30 ehGXX7oi
>>125
>↑ 意味不明。どういう意味ですか? (・・?) 

私の勘違いですよ。ごめんあそばせ。

127:神も仏も名無しさん
08/12/22 14:25:02 ehGXX7oi
出来の悪い養老孟司のコピーみたいなのが、寄って集ってえらい勢いだな。
唯物論が唯脳論になって中途半端な仏教理解をつっかい棒にして、いつのまにやら勘違いなナショナリズム高揚の道具にしているんだよなぁ。
世間じゃウケているんだろうけど、あんなの本気にする輩はお里が知れてるわな。

128:神も仏も名無しさん
08/12/22 17:21:17 cMOwpCE/
>>126-127
君のイジケタヤキモチの方がお里が知れてるわな


129:神も仏も名無しさん
08/12/22 17:35:47 eVIcW9P+
>>128
あなたも勘違いですよ。ごめんあそばせ(笑

130:神も仏も名無しさん
08/12/22 17:38:55 gIGi3zRi
>>114>>119
>>救済せんでも世界は既に悟っている
>これが大事なことですね。世間は、生活の中において既に悟っている。

俺の嫁や知り合いなどいわゆる世間が悟っているとはとうてい思えない。
あんたの嫁やガキやいじわる上司は何を悟っているのさ。
だからこそ無明が逆命題たりうる。
わがまま、ヒステリー、居直り、自己中、エゴイスト、エエカッコしい、イケズ、腹グロ・・・・
先祖供養に強欲自己中現世利益至上主義 が悟りかよw
無常=無我=縁起=空=中道を自得し、出世間のまなざしで世間の只中で生き直すこと、
これがブッダの四聖諦の趣旨だろう。

世間が悟っているのなら、全仏教はトンチンカンで愚昧な思想史の1ページに叙述されて、
あとはかいさ~~~~ん!!だな。

                     ご苦労



131:初代スレ7
08/12/22 17:52:01 vqHGvWUK
>>130
言葉遣いや言い回しは下品で乱暴だがw、
「煩悩即菩提」や「本覚」、或いは「悉有仏性」の“濫用”に対する警告としては秀逸だ。

>無常=無我=縁起=空=中道を自得し、出世間のまなざしで世間の只中で生き直すこと

  「出世間のまなざしで世間の只中で生き直す」

2chで感動したのは久しぶりだよ・・w (同時に耳も痛いがな・・w)


 ;´ー`)y━~~

132:神も仏も名無しさん
08/12/22 18:02:11 gIGi3zRi
ブッダは看話禅や老荘思想等の因果撥無の自然外道主義者ではない。

133:神も仏も名無しさん
08/12/22 18:05:43 fQuTzH9B
>>130
あるがままの現実を受け入れ、そのなかに価値を見出して、安心立命を
得るのが、「悟り」なのだよ。人間が生きている限り、どう足掻いても
現実から逃避することは出来ないのだから。

他者が気になれば、「一切衆生悉有仏性」を思い起こすべし。

釈迦はそのために「色即是空」を説いたのではないのかな。

134:初代スレ7
08/12/22 18:08:04 vqHGvWUK
>>133

  「出世間のまなざしで世間の只中で生き直す」

135:神も仏も名無しさん
08/12/22 18:16:31 x3KLBppL
良いおもちゃを手に入れたねw

136:神も仏も名無しさん
08/12/22 18:24:46 gIGi3zRi
>>133
たとえば、株式市場や国会に安心立命の悟りとやらがあるのかい?


137:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/22 18:32:02 x6CtKM6L
>>130
一休の「死にとうない」も、
道元の「眼横鼻直」も、
良寛の「裏を見せ 表を見せて 散るもみぢ 」も、
人それぞれに自分の心で受止めたなら、
そりゃ~十人十色、いろんな考えがあって当然ですね。

言葉は言霊(ことだま)と言いまして、不思議と内心がアカラサマに出ます。
貴殿の書込みも当然支持します。

いろいろな論客の書込みを拝見しまして、
大変参考になりますね。

このスレは、宗教板の名スレになる悪寒はします。
必死こいて書込みしておる御仁もおりますし、
実は必死になるのは重要なんです。
人生とは、「成りきり」なのでふ。
飯食うときも、糞するときも成りきって生きて逝く。

   <世の中は、食うて糞して寝て起きて、さて其の後は死ぬるばかりよ>by一休


138:神も仏も名無しさん
08/12/22 19:16:45 fQuTzH9B
>>136
一生懸命やってることの中に、安心立命を見出していると思うよ。

人間にとって、幸せな人も、不幸な人も、「いまここに精一杯生きている」
ことが、実は最大の幸せなのです。自殺志望者でも、他人から殺されようと
すると、必死に抵抗しますね。

139:神も仏も名無しさん
08/12/22 20:21:35 COMJn817
さて。

いい余韻に浸っておりますが、このスレも一先ずは出尽くした感じでしょうか?

140:神も仏も名無しさん
08/12/22 20:39:14 9iFYH2+Z


******************************************************************************************


☆★ 輪廻転生を信じたいのは何故ですか?

■ 輪廻転生を一言でいうなら、古代インドの特権階級のアーリア人のバラモンたちが、
末代までも体制維持するために考え出された「カースト制度」の為の方便です! ★☆

   _
   /~ヽ プルルン♪      ★ そんなものを認めたら宗教などの支配階級に
 (((。・-・))) プルルン♪         <脅しと甘言>で良いように利用されてしまいます。☆
   ゚し-J゚    プルルン ルン♪



★ キリスト教のパクリはここを参照 ↓
■ URLリンク(video.google.com)


******************************************************************************************



141:神も仏も名無しさん
08/12/22 22:06:54 x3KLBppL
そんなものを認めたら宗教などの支配階級に
<脅しと甘言>で良いように利用されてしまいます。☆

またか・・やれやれ
あんたもう少し宗教史勉強したら?
宗教はいつの時代も世俗の権力に対抗しうる唯一の勢力だって知らなかった?


142:神も仏も名無しさん
08/12/22 23:57:42 WSfIIzdL
>>141
>宗教はいつの時代も世俗の権力に対抗しうる唯一の勢力だって知らなかった?

冗談じゃない。キリスト教は、ローマ帝国にべったりと癒着したから、今日が
ある。布教のためには、手段を選ばない。殉教、強制改宗、異教徒の大虐殺、
もはや狂気である。

それに、「世俗の権力に対抗する」とは、世俗を支える圧倒的多数の民衆にも対
抗することにもなる。一向一揆、法華の乱を見よ。



143:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/23 04:33:50 WYPPbB7a
なんだ机。最近見ないなと思ったら、こんなとこで遊んでたんだな。
あいも変わらず邪険をばら撒いているようだな。
最近みなかったので、てっきり死んだものだと思っていたぞ。残念だ・・もとい、
元気そうでなによりだ。

てか、お前の仏教は釈迦の仏教とは違う。いいかげんそのことに気付や。
せめて今生の終わるまでの間に、それくらいは気づこうや、机。釈迦の仏教は、君の能書き
のような、ただの詭弁ではないのだよ。

144:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/23 04:42:16 WYPPbB7a
ここの生命教のご隠居とかいう引きこもりの屑の能書き聞くと、まるで
原始経典にある、悪魔ナムチと、釈尊の会話を思い出し、こいつの能書きは
まんま、悪魔ナムチの能書きそのままだってことに笑える。
あのさ、釈迦の仏教は、完全に唯物論じゃないんだよ。唯物論どころか、オカルトに近い。
どう読んでも、輪廻思想があるしな。それを無いことにしてしまう君らのエゴには、
恐れ入るしかないな。

隠居のような、唯物論を得意げに語る人のことを釈迦は、凡夫とよび、お前のような
がちがちの唯物論者のことを無明に囚われた者だといったんだよ。

145:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/23 05:15:45 WYPPbB7a
>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
>もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
>生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
>生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
>生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。
>『ウダーナ』8章3節<不生不滅>

原始経典には、このように現象世界以外の、生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
と、はっきりと書いてある。またそのような境地があるからこそ、苦しみでしかない、この現象世界(物質世界)から脱することが
できると、はっきりと書いてある。おまえらがいくら小難しい御託を並べようと、仏教はこれが全てだ。それ以上でも、それ以下でもない。
釈迦の仏教を簡単に、誰でもわかるようにかいつまんで簡単に説明するとこうだ。
生き物は輪廻する。それは真理を知らない無明により起こる、この物質世界であるこの世に対する愛執がおもな原因である。つまり、真理を知らず
その無知からこの世に執着し、この世を思う者は、それが縁となって、又この世に生まれてくる。だがこの世の生存。どんなに金持ちになろうとも
なにひとつ永遠のものは無く、いずれ生老病死で幕を閉じる、この肉の生存は苦しみでしかない。苦しみの終焉は、再びこの世へと
生まれてこないことだ。それは輪廻の輪を断ち切ることに他ならない。ならばどうやって、その輪廻の鎖の輪を断ち切るか?それは八正道を
今生において納めることである。八正道とは、この世の生存、この肉の生存とは苦しみでしかないという真理を悟り、その苦しみを終焉するには
どうすればいいかという真理を悟り、瞑想により、煩悩を拭い去り、また、その境地を知り、
また、真理にいたる道への実践の為に、道徳に即した、正しい生活を送り、今生を生きる。八正道とは、輪廻の鎖を絶ち、真理にいたる道への実践である。


その重いからの物質世界である、肉の生存は


146:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/23 05:22:55 WYPPbB7a
八正道を否定する者は、もはや釈迦の仏教ではなく、外道である。
道徳を否定する者は、これもまた、釈迦の仏教とは違う道を行く、外道である。
道徳の完成こそが、真理に至る道なのだ。イエスはそれを身を挺して示した。

禅や、創価などの日本の末法仏教徒達は、八正道も知らない御仁がたくさんいる
のには、呆れるばかりだ。

彼らは法華経や、般若心経は読むが、肝心の原始経典は、ほとんど読まないらしい。

147:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/23 05:34:16 WYPPbB7a
ゴータマは、この物質世界はなにひとつ永遠不滅のものは無く、いずれは消えてなくなる
幻だと説いた。それは、この物質世界を認識する、五感による知覚。その知覚も永久にあるわけではなく、
五感によって得られるどんな快楽も、永久にとどまるものではなく、すぐに消えてなくなる幻、
そしてそれを認識するこの意識、そして思考も、それらに付随する、この肉の自我も死んでこの肉が滅びれば
共に滅びる幻だと説いた。そしてそれらのものは苦しみでしかないものだから、そんなものに執着するなと説いたのだ。
そんなことも知らずに、この五感に感じるものこそが現実だと、タダの唯物論を得意げに語る隠居とかいう引きこもりの
屑が、何も知らずに、仏教マンセーしてる様は、真に笑える。

148:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/23 05:45:06 WYPPbB7a
誤謬に満ちた末法仏教の走り、竜樹の誤りは、釈迦は>>145にあげたウダーナの一節に
あるように、明確に、幻で、苦しみでしかないこの物質世界以外の境地があるといっているのに、
その境地は無いものにしてしまい、無自性な空でしかないこの物質世界を説明することだけで、
釈迦の仏教を完結してしまったことにある。彼以後、多くの仏教徒は邪険に次ぐ邪険で多いに迷い、
真理から大きく離れることになる。一切皆苦。ゴータマは、一切、つまりこの世の肉の生存は
苦しみでしかないと説いた。なのに今の末法仏教徒達は、この物質世界。つまりこの一切の中に
涅槃を探している。

149:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
08/12/23 06:29:22 WYPPbB7a
あ、俺は別に今のキリスト教徒達が考えているあの世の生存などあるなんて
言ってないし、考えてもいないよ。あるのはこの世と、涅槃静寂。涅槃静寂とは、安息の日。

苦しみとは、見るものが、見られるものを自我と認識することにある。
ヨーガとは、今の思考を止滅させることにある。そうすれば、見るものは、本来の姿に安住するだろう。
そこに苦しみの終焉がある。

150:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/23 07:12:46 HdWnrrN9
カラスの唄どの、お久しぶりです。

>あいも変わらず邪険をばら撒いているようだな。

おそれいります。

>ここの生命教のご隠居とかいう引きこもりの屑の能書き聞くと、

しばらく宗教板はご無沙汰しておりますので、ご隠居どのとは絡んだことがありません。
しかるに、隠居どのの教説など縁がありましたら教示願えれば有難い。

>>145
>原始経典には、このように現象世界以外の、
>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。

そんなことは書いてありませんですね。
特別に解説します。
この文意とは二項対立の矛盾を書いてあるのです。
この文意を理解するには、非常に高度のスキルが必要です。

>>148
>誤謬に満ちた末法仏教の走り、竜樹の誤りは、釈迦は>>145にあげたウダーナの一節に
>あるように、明確に、幻で、苦しみでしかないこの物質世界以外の境地があるといっているのに

いやいや、竜樹の言説にピタリ一致しておりまふ。
よぉく文意を確かめなされまし。


151:神も仏も名無しさん
08/12/23 08:34:33 1b9PDIUg
>>69
>原始仏教は、オウムを生み出した、単なるカルト宗教に過ぎません。

後世の経典を増広だとか仏教文学だとか捏造だとか言って自説に不都合な部分を排斥するのは、人情としてわからんでもないが、釈迦の過ちを後世が正したとして初期経典自体を排斥して仏教を信じるという姿勢は病気としか思えん。

152:神も仏も名無しさん
08/12/23 09:49:01 xdRgcnCV


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


既に申し上げたように、仏陀は、時代も全く異なる2500年前の社会
において、当時の人々に対して教えを説いたのです。

「真理」とは、社会の変化にも適応できるものでなくてはなりません。☆

仏陀の教えも、彼が現在生きていたら、何をどう教えるか、の点から
解釈しなければなりません。

■ 時代も異なる大昔の経典の「言葉」だけにしがみつくことは、単なる
狂信であり、カルトです。 ☆★

釈迦が、そんなことを望んだでしょうか。彼はそんな愚か者ではないと
信じます。

彼の偉大さは、その「無の思想(関係性の原理)」の発見により、その
後の巨大な大乗仏教の体系の確立を可能にしたことにあると思います。
さもなければ、後代の仏教者の膨大な努力の意味は、一体何だったので
しょうか。

(*^。^*)


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪



153:神も仏も名無しさん
08/12/23 10:49:17 ZGKxT0RM
>仏陀の教えも、彼が現在生きていたら、何をどう教えるか、の点から解釈しなければなりません。

お釈迦さんの金口に一番近い初期経典の説を勝手に取捨選択しておいて、お釈迦さんの代理人を気取るのはやめてくれ。

>後代の仏教者の膨大な努力の意味は、一体何だったのでしょうか。

お釈迦さんの言葉ですら、まともに受け取れない人が後代の祖師の言葉をまともに受け止められるはずもなし。
なにも仏教を引き合いに出して苦しい経典解釈しなくっても、自分教だけでいいんじゃないの?(*^。^*)

154:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/23 11:11:53 HdWnrrN9
>>150の続き

>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
>もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
>生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
>生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
>生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。
>『ウダーナ』8章3節<不生不滅>
________________________________________________________________________________
この経典は、カラスどのが貼り付けして下さった優れた内容です。
もちろん、あの世があるのか?あの世がないのか?に即対応します。

>この文意とは二項対立の矛盾を書いてあるのです。>>150

改めて思うには、やはり仏教は不二の法門であることを根拠にせねば、回答は得られず。
かように思いまふ。


155:神も仏も名無しさん
08/12/23 12:22:56 GSEYbS8U
>>150
ウダーナのその節は要するに「中道」をなんとか伝えようとする苦心の表現だな。
金剛般若経と同じように、感じてはいるんだがどう表現していいか四苦八苦しているように思える。
愛している彼女にどう告白すべきか迷う若者のようだw
このことを中道やでっと、ズバッと表現して見せたのがナーガールジュナさ。
稀代の魔術的レトリックでナンパ口説きの名人だだな。

「生じないもの」VS「生じたもの」の二項概念対立を
中道というメタコードにて解すれば足りること。
我々はナーガールジュナを通っているのだから、簡単なことだ。

それにしても、またオバカラスの空騒ぎかよw
おまえ、アパートの家賃ちゃんと払えよ。



156:神も仏も名無しさん
08/12/23 12:53:16 O8TxZ+t/
色即是空空即是色を安易な現状肯定、無事禅と勘違いするひとに
「如来は如来ならざるが故に如来と呼ばれる」は理解できまい。

直訳すれば、色は空性を包摂し、空は色性を包摂する。
これが、ぐるぐる行ったり来たり、回っているようにしか見えないようなら
ただの板担ぎ野郎だ。

空と空性の違いくらい理解しないとな。

157:神も仏も名無しさん
08/12/23 13:02:36 GSEYbS8U
それにしても
>(そのような状況から)脱し、離れること←ウダーナ

という表現はいかにも稚拙(な訳)だよな。未熟な表現だ。
ウダーナ書いた奴、大丈夫なんかいな。
これではいかにも西欧的弁証法論理を予定しているように読める。
もっともあの時代に予定していたら実はスゴイのだが・・

良い子の皆さんはあくまで勝義中道で感じるようにいたしませうw

158:神も仏も名無しさん
08/12/23 13:10:12 GSEYbS8U
>>156
おまえなんでそんな興奮してんねんw
>中道というメタコードにて解すれば足りること、ってかいてるやないか。



159:神も仏も名無しさん
08/12/23 13:38:19 LwJ3UdTs
初代スレ7氏が渾身の名レスを>>49-50>>52したのにもかかわらず蛙の面にションベンな人達。

机龍之介 ◆8Z1PfzdK1 ID:GSEYbS8U

160:神も仏も名無しさん
08/12/23 13:53:09 PqMz6OD3
>>155
>「生じないもの」VS「生じたもの」の二項概念対立を
>中道というメタコードにて解すれば足りること。

中道もコードには違いないが、メタコードととって得々としてちゃ、
なんもかわらんで、虚しい慢心だけが残る

机さんとほとんど同じ。


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