08/12/22 21:20:45 nBGeN5nj
>>236 仕組みを知識として理解する事が観察の目的ではない。
観察によって、苦と自分を同一化する認識を止め、苦を厭離する事が出来るのじゃ。
知識はどれほどあっても苦しみは厭離出来ないものじゃ。
例えば子供を失って悲しむ親に、それは愛別離苦だと知識を与えても、楽にはなるまい。
その苦を可能な限り客観的に観察して、初めて苦は去るのじゃ。
これは語っても判らない事じゃろう。
いつか肉体の苦でも、精神的な苦でも、起こった時に観察してみると良かろう。
なんでも試してみるのじゃ。