08/12/20 21:05:57 pv7CFKfw
>>146 わっはっはっは。
おぬしはまだわしの書いた事が理解出来ておらんのう。
わしはお釈迦様が業はないと言ったなどと書いたかな?
そしてわしは因果も無いと書いたかな?
全ておぬしの妄想じゃ。
おぬしの妄想のソースはおぬしの脳内にしかない。
わしは以前に業というのは仮設されたものに過ぎないが、悪を為せば報いがあると書いた。
なぜなのかおぬしに考えてみよとも書いたが、未だ判らんようじゃのう。
全ては心の為せる技じゃ。
昔のインド人は業というものがあり、悪を為せばそれによって報いがあると考えていた。
業を説けばそれを信じて行いを正す事が出来る故に、お釈迦様は説いたのじゃ。
今、おぬしは業が在る、因果があると書きながら、嘘をつき、罵るのを止めない。
知識として記憶しても信じておらず、行いを正す事も出来ない。
そのような者に改めて業があると説くべきではなく、教えるべきでもない。
むしろ実際を教え、事実を以って教えるべきなのじゃ。
業が概念ではなく、存在するならどのような色、形、音などがあるか教えて欲しいものじゃ。
書かれた知識だけを信じるおぬしには理解しがたいじゃろうが、業は昔のインド人が考えた概念に過ぎず、それとは無関係に悪には報いがあるものじゃ。
なぜなのか考えてみるが良かろう。
ひんとはこの文の中にあるのじゃ。
Wikiの間違いはダンマパダを読めば明白じゃ。
読むが良かろう。