09/02/21 22:00:24 +v8e000s
「どうしたら思考を止める事が出来るだろうか?」←これは「思考」である。
「思考を排除すべきか否か?」←これは「思考」である。
「観察は排除的であるべきか否か?」←これは「思考」である。
「ラベリングすべきか否か?」←これは「思考」である。
「どんなラベリングが適切だろう?」←これは「思考」である。
「呼吸のどこを見るべきだろう?」←これは「思考」である。
「もっと細かく観察するべきか否か?」←これは「思考」である。
「観察は分析的であるべきか否か?」←これは「思考」である。
「観察は1次的であるべきか否か?」←これは「思考」である。
…たった一つ確かな事は、「思考が現れるとき、あなたは既に観ていない」という事なのだ。
そして「本当に観る事」だけが、思考を止めるのだ。
何度でも観よう。
何億回でも観直そう。
私が「観直そう」とする前に、そこには思考に対する純粋な認識がある。
認識するものは主体である。
それが「帰命」なのだ。
何億回でも観直し、何億回でも帰命しよう。
自戒を込めて。