09/01/02 21:52:06 I+gfM7Ou
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>おぬしも外見に囚われて人を観ているのう。
>仏像のように頭にこぶがあって、重々しく語るのが悟った者と想っておるようじゃ。
>それはおぬしの抱えているイメージじゃ。
これは単なる「決め付け」に過ぎないものだとは思えなかったのかね?
なあ、鬼和尚よ。
あんたは誰もが悟りに向かわなきゃならないと、そう思い込んでいるんじゃないかね?
必ずしも人の生は、悟りと言う目標の為にある訳ではないというのに、だ。
「無」や「空」と言う言葉には、束縛のない自由と言う意味もある。
確かに行法や理法としての側面もあるが、決してそれだけではない。
物事の意味を限定してしまうのは、あんたの悪いクセだ。
己の在り方のみならず、全ての物事に「こうあるべき」姿は無いと悟るのは、ある種の人にとっては「救い」なんだ。
憂悲悩苦から人を救うのが己の使命と思うなら、これは避けては通れない話ではないかね?
先ず目の前の問題を片付けなければ、「存在」や「意識」などの根本疑問に取り組む事は出来ないものだ。
だから一切皆空と悟る事で、つかえが取れて修行が進む人だっているんだよ。
まさか「四向四果」を知らない訳でもあるまいに。
今後も導師として振舞うつもりなら、もっと人心の多様性を観察する事だ。
必ずしもこの世の中は、あんたが認識した通りに在るのではないのだから。