08/12/29 00:30:42 0vBWDHiT
なぜ、あらゆる自己改革が失敗するのか?
それは「改革する自己」「改革される自己」というように、自己分割が発生するからです。
あらゆる自己分割は葛藤を生み出します。
葛藤は本来の宇宙の流れである変容のエネルギーを消耗せしめ、「変われぬ自己」をつくりだします。
よくスピリチュアル・パラドックスといって「変わらなくてもいいと理解した瞬間に変わりだす」とされますが、それはこういうトリックがあったのです。
観察という行為が自己分割を停止させるようです。
しかし「自己観察」も結局は「観察する自己」「観察される自己」という自己分割をもたらしますので、「目的なき理想なき非難なき正当化なき方向性なき集中なき観察」が求められるでしょう。
それによって自己分割を最小限にとどめるのです。
その時、変容は起こり始めるでしょう。
ただ観る…。
それを観る…。
クリシュナムルティが「観るものは観られるものである」といったのは、こういう事でしょう。